転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



6月は概ね聴いたが、先月よりは外出の機会が多く、
14時半までに帰宅できずに聞き逃す日もあった。
やはり家に居ないと、自分のペースを保つことが難しいが、
7月半ば以降はまた自分的StayHome月間に戻る予定なので、
今後はなるべく逃さないように続けて行きたいと思っている。

それより意外なことに、今年は前期3か月目が終わったところで
どちらの放送も入門編の講座内容が、いきなり止まってしまった。
そして6月最終の月曜である昨日から、4月の第一回に戻って再放送が始まった。
このような経験は、2008年4月にスペイン語を聴き始めて以来、
いや、おそらくは1977年4月に基礎英語と出会って以来、初めてのことだろう。
NHKは今月、テレビの朝ドラも大河も止まってしまい、再放送に入ったが、
ラジオ語学講座も同様に、新型コロナ騒動で収録ができていなかったようだ。
私としては何度目かの心機一転ということで(汗)、
この機会に、またイチから頑張ろうと思っている。

なお、木曜金曜放送の、フランス語の応用編とスペイン語の中級編は、
そもそもが、各々2019年後期と2018年後期の再放送であるため、
半年分の収録が既にあり、何も変わることなく進行している。
こちらは復習に努めつつ、一緒に進んで行きたいと思っている。

*************

ときに先日、驚いたのだが、これもコロナ騒動の影響で、
今まさに、「仏検」が存続できるかどうかの瀬戸際に立たされていた。
【緊急】「仏検」存続のためのご寄付のお願い

新型コロナウイルス感染症の蔓延のために、
今年の仏語検定春季試験が中止されたのだが、
仏検を主催する公益財団法人フランス語教育振興協会は
これまで、その事業収入の9割を仏検の検定料に頼ってきたので、
試験が無ければ収入の道が断たれることになり、
このまま秋季試験まで中止となった場合には、
もはや協会の存続自体が困難になることが予想される、ということだ。
それで、協会は寄付を募っていたのであった。

私自身、今まで仏検にはお世話になって来たので、
これは微力ながら某かお送りせねばと思っている。
仏検は、学習の動機付けとして、以前からずっと私にとって大切なものだった。
将来的にもまだまだ上の級を目指して行きたいと思っているので、
ここで途絶えるようなことになって貰いたくない。

かつて、日本通訳協会が、2008年11月の通訳技能検定試験を目前に、
「今般の経済不況の中で必要な金融支援も受けられず」
といきなり試験中止を発表し、受験料の返還もしなかった(らしい)、という一件があった。
日本通訳協会は同年12月にすべての業務を停止し、以来、公式サイトも閉鎖された。
学習者はしばしば検定試験を将来の目標にするものだが、
それは決して、これからいつでも受けられる保証などないし、
実際に、時代の流れの中で消滅してしまった資格試験も各種あるのだ。
コロナ禍のために、思いがけなく厳しい状態になってしまったが、
仏検には生き残って戴きたいので、私なりに支援をしようと思っている。

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一昨日の午後、母が電話して来て、
「泥棒が入って、部屋の金庫(=貴重品入れ)の鍵がなくなった。
いつも使っている鞄を見たら、中身が全部ないから財布も盗まれたと思う」
という内容のことを訴えてきた。
某ホームの部屋には、ホテル個室の貴重品入れのような小さい金庫があり、
それの鍵は住人が自分で管理しているのだが、
母はそれを箪笥のとある場所に入れておいたのに、
ふと思いついて見てみたら、無かったのだそうだ。
また、鞄のほうは、日常、母が売店に行くときなどに持っていくもので、
中には財布やハンカチ?などを入れていたそうなのだが、
今、「はっ」と思って調べてみたら、
それらがごっそりなくなって、中はカラになっていた、と言う。

しかし話を聞いてみると、部屋は全く荒らされていないし、
そもそも自分たちはほとんどいつも部屋に居るし、
廊下もスタッフさんが絶えず歩いているし、
コロナの件で面会禁止だから外部の人が来ることも全くないしで、
いつ泥棒が入ってその品々が消えたのか、全然わからないという。
住人たちは自分の居室に鍵をかけてもかけなくても良いことになっているが、
面倒なのでいちいち施錠などしない人が大半ではある。
また、食事時間など、父も母も、隣の部屋の住人も、
確かに一斉に食堂に行くから、居室周辺に人が少なくなるタイミング、
というのが、絶対に無いわけでは無いので、
その半時間ほどの間に誰か(って例えば誰?)が母の部屋を狙ったのだ、
と、言って言えないことは、ないのだが……。

それにしても、忍び込んで手当たり次第に探し回って
現金や財布を盗んでいった、……というならともかく、
部屋に入り、よけいな抽斗ひとつ開けず、何ひとつ荒らさずに
住人本人も気付かない手際で「金庫の鍵」を的確に取り出し、
かつ、それとは離れた場所の「鞄」の「中身」を財布ハンカチちり紙すべて持ち出す、
という行動を、ごく短時間に完遂して逃走した、
………なんてことが、あり得るだろうか?

どうも母が何か勘違いをしているように思えてならないのだが。
ここに置いた、と思っている場所が記憶違いで、
鍵も財布も、実はどこかほかのところに保管しているのでは。
それらは自分なりに大事なものである筈なので、
きちんと仕舞っておかなくてはと思うからこそ、
入れ場所を工夫して変更したりして、今はそれを覚えていない、等では……。
あまり決めつけては悪いが、家に居た頃から
高齢者の毎日は探し物の連続だった。
とにかく二人とも、ものをなくしては、どこに置いたか思い出せずに
探し続けていたものだった。
通帳、免許証、鍵、マイナンバー通知カードなど、次々となくなった。
再発行でカタをつけたものも多かった。

母は勿論、スタッフさんに訴えたそうだ。
そうしたらお忙しいのにスタッフさんは一緒に探して下さって、
部屋のあちこちから財布がいくつか出てきたのだそうだが、
どれも、母の思っている財布ではなかったそうだ。
「よぅ似た財布は出てきてんけど、いつも使うとんのは、
それよりもうちょっと色の濃い、5ミリずつほど大きいやつやねん」
と母は妙に厳密なことを言っていたが、確かなんだろうかね(^_^;。

その後、夕方になって母が再度電話してきて言うことには、
鍵については、スタッフさんが、
「泥棒などここでは入ったことが無いから、何も心配しなくて良いと思うけれども、
仮に鍵がなくなったのだとしても、ここの設備関係は全部、決まった業者さんがあり、
同じ鍵をすぐ作って貰えるから、なくしたことは何も問題ない」
と言って下さったそうで、母はそれですっかり安心したとのことだった。
「私らがここを出るとき、この部屋だけ違う鍵がついとったら
後で入った人に迷惑かけるからね。同じ鍵つくって貰えるんやと。良かったわ」
そんなのでいいんだ……??
本当に鍵を盗まれたのなら、完全に新規に錠前ごと取り替えないと
危険ということになるのではないの??
盗られたのと同じ鍵を業者さんがつくってくれたら、もう安心なのかね??
まあ、どうでも良いわ、母が良いなら(^_^;。

それにしても、「何かが見当たらない→泥棒に盗られた」
という思考は、なんとも見事な、高齢者の典型的なパターンではないか。
しかも鍵とか財布とか、教科書に出ていそうな、どストライクのアイテムだ。
「まあ、そのうちどっかから出て来るて。しもうた場所を忘れてんねや。
無くしもんをして、『泥棒に盗られた』いうのは、ボケの始まりとして
典型的なパターンやで。気ぃつけや(^_^;」
と私が言ったら、母はそれが気に入ったようで、
「そうか、ボケたらあかんね。私も、なんしろトシやからね」
と機嫌が良かった。

あれから何も言って来ないので、気が済んだのだろうか。
もしかして、この騒動や私に電話をかけたことなども
もうすべて、忘れてしまったのだろうかな。
かつて『七度探して人を疑え』と幼い私に教えてくれたのは、
おかーさんだったのですが、ねぇ(^_^;?

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デンファレの花束を買った。
今年は、Stay Homeを心がけるようになった御蔭で
家を居心地よくすることに時間をかけるようになり、
春からかなり積極的にいろいろな花を買ってここまで来たが、
我が家のリビングに生花を飾ることができるのも
季節的にそろそろ一旦終了となりそうだ。
真夏は、気温が高くなりすぎて切り花の維持には向かない。
いつも冷房している部屋なら良いのだろうが、
居間は朝と夕方以降しか使わないし、
私が居ることの多い自分の部屋には、
花瓶を置くような出窓やコンソールが無いのだ。

3月からここまで、生花を飾るのはとても楽しかった。
季節の花が、居間の窓辺を鮮やかに彩ってくれて、
一定期間、生き生きと香り、瑞々しく目を楽しませてくれ、
やがて時期が来れば花が終わり、処分して完全に終了。
このメリハリと、綺麗にゼロに戻すことができるという点で、
切り花は本当に私の性格に合っている。

ありがとう、うちに来てくれた、いろいろな花たち。
涼しくなったら、また(^_^)ノ

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6月17日に国内の新型コロナ感染者数などをここに記録したのだが
なぜあの日を選んで数字まで残したかというと、緊急事態宣言解除後としては、
おそらく、あのあたりが日本のベストの数字になるだろう、という予測があったからだ。
あれから10日あまり、本日20:58現在どうなっているかというと、

 累計患者数18467(前日比+113)
 累計回復者数16558(前日比+38)
 累計死亡者数971(前日比+0)
 現在患者数938(前日比+75)

またぞろ毎日100名前後の新規感染者数が確認されるようになり、
退院する人たちの数を、新たな患者となる人の数が上回り、
国内の要入院・療養者数は近いうちに再び1000人台に乗る勢いだ。

先週からは、東京だけで日々50人以上の新規感染者が確認されており、
このペースのままなら来月には都内で100人/日ほどに上昇することになる。
東京都の実効再生産数は、緊急事態宣言後に一旦は下がり始めて
5月末までは1.00を超えることはなかったのだが、
6月になってからは一度も1.00を下回っておらず、本日は1.26だ。
緊急事態宣言解除以降、きょうまでのところ、
急拡大と言えないだけで、確実に状況は悪化の道を辿っている。
良くなったり悪くなったり、ではなく、単に悪くなっているだけだ。
更に、6月19日に東京とその他の道府県の行き来が再開されたので、
東京から全国へ、再び新型コロナウイルスの拡散が、
既に始まっていると見なすべきだと私は思っている。

私はもともとCOVID-19への警戒は解いていなかったのだが、
緊急事態宣言解除のあたりから、
「首都圏と北海道以外は、期間限定で安全に近い状態になるだろう」
と思ったので、外に出る用事を意図的に集中してこなした。
実家の土蔵に決着をつけ、マンションの和室修繕関係の手配を済ませたので、
一応、今年前半にやるべきことは、最低限やったと自分では思っている。
しかしもう、その「安全」な期間は、少なくとも私の中では終わろうとしている。
とりあえず7月5日(日)に受けている仕事が複数あるので、
そこを境に、私はまた自分的ステイホームに戻るつもりだ。
ちょうど、暑さも本格的になるだろうし、蟄居するにはおあつらえ向きだ。
……そうそう、暑くなったらコロナは終わる、という説は誤りだったな。

外出しない・人と会わない生活と、手洗い励行、マスク着用くらいしか、
COVID-19を個人で防ぐ方法はないので、
私はこれからも、せめてそれらを実行していく所存だ。
娘も夏の帰省はしないことになっている。場合によっては次の年末年始も。
両親がお世話になっている老人ホームも、未だに面会禁止を解いていない。
私の選んだホームは間違っていなかったと有り難く思っている。

なにを大袈裟な、と笑いたい人には存分に笑って貰って全く構わない。
コロナなど罹っても知れている、と感じる人は、
そのように生活すれば良いのだと思うので、私は他人のことはとやかく言わない。
現実に、罹っても9割の人は回復できているし、年齢が若いほどダメージは少ない。
また、現状は検査数が増加した結果としての陽性判明者数の増加であり、
感染者も若年層が7割なのだから、3月の流行拡大時と今の状況は異なる、
という説明にも、ひととおり私は納得している。
感染しないことより、経済を止めないことのほうが重要だ、
という価値判断に相応の根拠があることもまた、私なりに理解できるつもりだ。

しかし私自身は、とりあえず今、
自分はCOVID-19に罹ってもまあ大丈夫だろうとか、
最悪死んでも運だから仕方ない、……等々と思うことはできないので、
感染しないための努力を、その他の様々なことを犠牲にしてでも優先させているのだ。
幸い今の私は、自分の判断で、それがかなりの程度まで実践できる境遇にある。
私はこの生活を、個人の裁量の範囲内でやろうとしているのであり、
社会全体の共通理解や公的なお墨付きを要求しているのではない。
変わり者だとか付き合いが悪いとか自己中だとかの類いの非難は、
今の私にとって、COVID-19と比較したら全くどうでも良い話なので、
何を言われようと私は構わぬ(^_^;。

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先日、実家で、座敷の隣にある「中の間」を掃除していたら、
姿見の下で緑色に光るランプが見え、
なんだこれは!と引っ張り出してみたらルンバのホームベースで、
だったら本体がおる筈だろうが、と探したら、
少し離れたサイドボードの下に、白い丸いのが居た。
ダスト容器には埃が少々溜まっていたので、それを捨てて、
食堂に連れて行って繋いだら、小さくウィーンウィーンと鳴いて
ランプがオレンジ色に点滅し、充電が開始されたようだった。

そして今朝、実家に行ってみたら、ルンバ本体のランプが緑色になり、
充電完了したことを示していたので、
CLEANボタンを押してみたら、果たして、掃除が始まった。
私自身は、家では普通の掃除機を使っているので、
ルンバにやらせるという生活はしたことがなかったのだが、
便利だとは聞いていたので、とりあえず食堂と父の寝室と洗面所、
の間を行き来できるように戸を開け、ほかの場所は閉めて、
午前中は神社の用事があったのでそのまま放置して、出かけた。
食堂~父の部屋~洗面所は、私が既に整頓した場所なので、
障害物なくフローリングの床面が確保されているのだ。
ルンバは問題なくまわれる筈であった。

さてそれで、昼になって、神社から実家に戻ってきたら、
家の中からはなんの音もしていなかったので、
「ほほう、掃除は終わったのか」
と思ってホームベースを見たらルンバは帰っておらず、
見たら、廊下の真ん中に佇んで途方に暮れていた。
自分でホームベースに帰るんじゃなかったのか?
とCLEANボタンを押してみたら
「ルンバを 充電してください」
と喋った。
なるほど、そうだったのか、お前、バッテリーの寿命が尽きかけとったのやね。
だからうちの親は、ルンバを使うことを諦めたのか?
バッテリー交換をしてやれば良かっただけでは??

ちょっと探した程度では取説は発見できず、
スマホで検索したところ、家のはルンバの500シリーズのどれかで、
2007~8年頃の製品であるようだった。
古すぎてもう駄目なのかな??
ダスト容器を開けてみると、それなりにゴミが入っており、
掃除ができなかった訳ではないことが、わかった。
調べてみるとルンバ500シリーズはニッケル水素バッテリーで、
互換品なら2600円くらいから買えるようだ。
一度くらい、取り替えてみてやろうかしらね……(^_^;。

*******************

帰りに、某ホームに寄って両親にオンライン面会をした。
iPadを受付で借り、居室にいる両親もスタッフさんからiPadを渡されて、
お互い、テレビ電話状態で「面会」できるという仕組みだ。
母は、これを「テレビ電話を売りつけるための製品デモ」だと思い込んでおり、
「このあと買うかどうか聞かれるやろうから、どう答えれば良いかいね」
と幾度も私に尋ねた。
「デモやない、『面会』しとぉだけや、製品は勧められてぇへんし、
欲しい言うてもここでは買えへん、販売の人もおらん」
と説明したのだが、どうも母の頭にはうまく入らなかった。

「これがあれば、夜中でもあんたと顔見て話ができるんやろ」
と、母は、買って欲しいような感じのことを言っていたが、
そんな、夜中にテレビ電話させられたら私が迷惑、……という以前に、
たとえ、タブレットを購入しポケットWiFiを用意したとしても、
両親だけでは、アプリを立ち上げて通話を開始するところまでの操作が無理だ。
ガラケーの操作でも既に、通話が精一杯の状態なのだ。
その通話ですら、どこを押すのだったかしばしば忘れるというのに、
タブレットなど手に負えまい。
「これだけあっても話はでけへんねん。
この機械は、このホームのものやから、こうやって映るだけで、
これは個人で買うもんとちゃうねん」
と、多少事実を曲げて?単純に説明しようとしたが、
パソコンもスマホも触ったことのない母にiPadが何であるかをわからせるのは
ほぼ不可能であった。

ともあれ、
「これは販促デモではなく『面会』のかわりにしとぉねん、
コロナで直接会うことが今は禁止やから、画面越しに面会しとぉだけや」
と3回くらい言ったら、ようやく母は、
「コロナで、そんな大変なことに、なっとったん!!」
と驚いていた。
5月の連休の終わり頃、世界じゅうで25万人もの人がコロナで亡くなった、
と私が言ったら、母はケラケラ笑っていたものだったが、
今や死者数は50万人、あれからダブルスコアになった。
『そんな大変なこと』に、なっている最中なのですよ、おかーさん(^_^;。
「タブレットはここで売って貰うことはできひんから、
用があるときは、今までどおり、電話してくれたらええねん」
とも言い添えたのだが、母の頭に入ったかどうか(^_^;。
父は機嫌よく横に座っていただけで、『退院』する話はきょうはしていなかった。
土蔵を一掃したことを話したら、
「んま~、大変やったやろ!」
と母はなんとなく人ごと風味だった(^_^;。誰のせいやねん、ホンマに(^_^;。

オンライン面会はひとり20分と決められているのに、
母の「販促デモ」の勘違いの話で15分くらい取られてしまい、
職員さんが大目に見て下さっているらしいのを良いことに、
結局30分くらい使ってしまった。
最後はふたりはニコニコしてバイバイ(^_^)ノしていたので、
まあ、良かったと、思うことに、しようorz

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マンションのオートロックがいきなり壊れた。らしい。
既に先週のことなのだが、私のほうが先に出た日、
主人があとから出勤しようとしたら、オートロックが全く反応せず、
仕方が無いのでとりあえずメーカーに電話をして事態を報告し、
その日は手持ちの鍵で施錠して出かけた。そうだ。

幸い、鍵は主人も私もちゃんと保管して持っていたので、
その後も出入りに困ることなく過ごしてはいるのだが、
メーカーの判断では、簡便な修理で済む故障ではなく、
やはりオートロック本体の交換が必要とのことなので、
新しいものが入荷して、交換取り付けの作業ができるまで、
このまましのぐしかなさそうだ。
電池が入っていると警告音がピーピー言うので、今は外してあるが、
家の外側から見ると全く何も変化していないので、
主人も私も未だに、帰宅してドアの前に立ち暗証番号を押そうとしては、
「そうだった…」と気付いて、鞄から鍵を取り出す毎日だ。

ときに、私の実家のほうはオートロックなどではない、どころか、
表玄関の鍵は少なくとも私の記憶にある昭和40年代初めから変わっていなくて、
外からは掛けられない仕組みになっている。
 転夫「外からかけれんて、どんな鍵?」
 転妻「なんちゅうの?こう、捻るやつ。さすがに心張り棒ではない」
 転夫「それ、家の人は、どーやって出かけるん(^_^;?」
そりゃ、歌舞伎の世話物であるじゃん、両隣に声をかけて外出するんだよ、
……というのは嘘で、実家では、表玄関の内側から鍵をかけたのち、
改めて裏口から外出するようになっているのだ。
声をかけようにも両隣は田んぼだし。
まあ、だいたいが、昔は大家族で住んでいたから、
家族全員が出ていって家が留守になる、ということが少なかったのだよ。
家に人がいるときは、玄関には鍵などかけず、一日じゅう開けっ放しだったし。

裏口(も実は何カ所かあるのだが)はどれも外から施錠できる。
大昔は、その裏口のうちどれを使うか家族の間で予め決まっていて、
最後に出かけることになった人は、施錠したあとその鍵を
母屋裏の納屋の某処のコンビーフの空き缶の中に置いて出ることになっており、
家族は帰宅して玄関が開いていなかったら、納屋に行って鍵を取り出し、
裏口から家の中に入っていたものだった。
こういう事情もあるうえ、増改築部分にもそれぞれ鍵のかかる仕組みがあり、
実家関係の鍵は年々増えて、しまいに何十本にもなったのだ。

幸い、マンションはそんな前時代的な不便な構造ではないので、
オートロックさえ新品になれば、また元通り快適になる筈だ。
「鍵一本で外出できる人が羨ましい」
と昔よく母がこぼしていたのものだが、
今の私は都会のマンション住まいで、まさにそういう暮らしになった。
それどころか、実家だって、私は面倒で我慢がならないので、
現在はガレージの鍵だけを使っており、専らそこから出入りしている。
母のように、ジャラジャラと鍵を全部ひとまとめにして持って歩くなんて、
私にはかえって心配だし、第一、そんなの、牢屋番みたいで、ねぇ(^_^;。

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しばらく実家の整理にかかりきりだったが、
きょうはようやく、自宅のほうの手入れに戻ることができた。
午前中、和室の戸車の修理に来て戴き、
5枚の間仕切りの戸車がすべて新しくなった。
軽やかに抵抗なく動くようになり、間仕切りは蘇った!
なんと滑らかで心地よい感触なのだろう。これが本来だったのだ。
最初、今までの習慣が残っていて、必要以上の力で開け閉めして
柱に当たってぱーんと跳ね返って来てしまったほどだった。
気を付けなくては(汗)。

だいたい、日頃から戸車の点検や掃除をするべきだったのだ。
ここに入居してしばらくは、今ほど家を磨くことに熱心でなく、
また自分なりのやり方も確立していなかったので
メンテナンスを怠っていた部分がかなりあったと思う。
これを機に、ときどきは和室の建具にも気を配らなくては。

このあとは、舅宅の仏壇をこちらに移す手配をする予定だ。
そして小さいモダン神棚の吊りタイプのを買って壁に取り付けて、と。
梅雨明けには畳替えもすることになっている。
押し入れとチェストの中身は既に整頓したので、
今年後半で和室を仕上げたい。
何か整理整頓が加速しているのを自分でも感じるが、
実家を見れば見るほど、本当に私はケツに火が付いた気分になるのだ。
まさに「いつやるの?(一応まだ高齢者でない)今でしょ」だよ(汗)。

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今回あちこち整頓していて実家で発見したものの中に、
24歳当時の母が書いた、年賀状があった。
昭和29年元旦のもので、葉書は当時4円。
母は神戸在住で、宛先は広島県○○郡○村の、23歳当時の父。
ふたりは当時、姫路の職場の同僚だった。
年末年始なので、父は広島の実家に帰っていたのだろう。

「あら玉の としのはじめの 御よろこび 申し上げます」
と変体がなを交えて書かれており、別に個人的な内容の文面ではない。
両名はその頃すでに付き合っていたのかどうか??
しかしともあれこれが、66年経つ今に至るも保存されていたのだから、
父にとって、この年賀状はすぐに大切なものになり、
それを母もまた知るようになった、ということだろう。

24歳の母は、広島の山奥の村など、行ったこともなかった筈だ。
初めて母が「彼氏」の出身地を訪ねたのは、いつ頃だったのだろう。
土蔵から出てきたアルバムには、ワンピース姿の若い母が、
家の中庭だろうと思われる場所に立っているものがあったが、
あの日、現代の秘境そのもの寒村を目の当たりにし、母は何を思っただろうか。

三宮―広島は急行列車しかなかった時代で、
片道6時間くらいはかかっていたのではないだろうか。
鉄道の電化はされてたんだろうか。
私の記憶にある、特急での三宮ー広島は確か4時間ほどだった。
広島駅で降りて、さて列車を乗り換えたのか、バスがあったか、
いずれにせよ最後は交通機関のない村まで行くのだからタクシーを使ったか。
神戸で育った母が、よくもそんな遠くの県の、しかも山奥の村の古過ぎる家の、
長男の嫁になど、なる決心をしたものだなと、今にして思う(汗)。

よくよく愛してたんだねぇ。
まあ、あの田舎がどういうものなのか、知らなかったんだろうけど。
その後、ふたりして90歳超まで生きるとは、想像もできなかっただろうね(^_^;。

そういえば、いつぞや父が自分で言っていたのだが、
結婚が決まったとき、母の母(私から言えば母方の祖母)が若き花婿となる父に、
「この子は、貴男の行かれるところへ、ついて行く子です。
そのように育てて参りました。どうぞ末永くよろしくお願い致します」
と言ったのだそうだ。
へえええええ~~~!!と私は驚いたというか、感心したというか。
母本人は、私のことを、そのようには転夫ころもんには言っていない筈だし、
言える筈もなかったと思う(逃)。

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昨日までに発見した実家の不具合が、まだ他にもあったのだが、
複数なので忘れる恐れがあり、今のうちに記録しておこうと思う。

ひとつは、インターホンの故障だ。
実家に行くと私は大抵、家の中では一番新しい、
今のところ最後に増改築した部分にあたる、食堂に居ることが多いのだが、
ここのインターホンが、音は鳴るのにモニター画面に何も映らず、
こちらが応答しても外には通じなくなっていることに、数週間前に気付いた。
それ以前には、まだちゃんと使えていたのに。
それで昨日、地元の○○電機のご主人に見て戴いたら、
「こりゃ完全に死んどるわ」と判明した。

しかし、これまで♪ピンポーン♪は聞こえていた筈??と思ったら、
なんと、玄関子機がどういう訳が2種類、存在していたのだった。
新しそうな大きめなのと、それより古そうな小さいのとが、
上下に並んで、玄関の柱に取り付けられていた。
私本人は、表玄関を使うことはほとんどなく、
ガレージのシャッターを開けて通用口のひとつから出入りしていたので、
まさかこういうことになっていようとは、気がついていなかったのだ。

そして、壊れていないほうの玄関子機の親機が、
食堂のテーブルに近い、食器棚の側面に取り付けられていた。
私はこれが鳴っているとは知らず、
音がすると食堂の壁のモニター画面を覗き、
真っ暗なままなので「あれ?」と不審に思っていたのだった。
故障しているのだから、こちらの受話器を取って話しても外には通じないが、
食器棚の側面のほうの親機からは、外の呼び出しに応じることができた。

一体全体、どうしてこんな奇妙なことに?
こんなもんに予備を最初から考えていたとは思えないし、
来客の方は今までこの状況をどう思い、
どのように選択して呼び鈴を押されていたのか??
なんらかの経緯や理由があったに違いないのだが、結果だけ見ると、
何かにつけて意味のわからないことの多い実家なのであったorz
「なんで二つあるんかわからんけど、一つが生きとるんなら、
壊れとるほうを撤去、でええね?」
と○○電機のご主人に言われ、同意した。
厳密に言うと生きているほうの親機にはモニター画面がないが、
食堂に陣取っていれば、外に来た人の姿は掃き出し窓から見えるので、
一応問題ないだろうと判断した。

次に○○電機のご主人に相談したのは、洗濯機+洗面台のある部屋のことで、
ここの天井に取り付けられている昇降式物干しが動かなくなっていた。
「ワイヤーが切れとるね。落下したら危険なけえ、これも撤去しようね」
とご主人は言われた。
「これはねぇ、昔の高級品よ(^_^;」
とも。ここが増改築されるとき、母の希望で取り付けたのだろう。
しかし、この場所のすぐ隣は風呂場で、そこには浴室乾燥機があるのだ。
私ならこういうところに物干し場を設けるのは無駄ではないかと思うが、
母には母の考えがあったのだろうかな(汗)。
だいたいにおいて、私は「無しで我慢できるものは極力、置かない」主義だが、
母は、「より便利になるように、行く先々になんでも揃えておく」のが好きだ。

それから、洗濯機と洗面台のある場所の床が、まだらに濡れていた(写真)。
最初、洗濯機の水漏れ?と思ったが、
長らく洗濯をここでやっていないのだから、そんな筈はなかった。
おそらくは、これは雨漏りの跡であるようだった。
先週、数日続けてかなり激しく降ったので、こうなったのだろう。
しかし天井のどこから漏っているのか、晴れてしまうとわかりづらかった。
○○電機のご主人は、「天窓じゃろう」と仰った。
誰の発案か不明だが、実家の増改築部分には何カ所か天窓があり、
この洗濯機置き場の頭上もそうなっていた。

私自身は天窓は全く趣味ではない。
採光の面で優れていることは認めるが、屋根なみに高い位置の窓など、
日常、思うように掃除ができないし、カーテンの楽しみも制限される。
また、ガラスがむき出しで屋根に穴を空けているのも同然なので、破損しやすい。
現に、台所の天窓は以前の台風で割れて、不細工に補修された姿だし、
今また、洗濯機と洗面台の置き場に雨漏りが起こっている。
それと個人的に、今の私は白内障の初めなのか?眩しいのが嫌いで、
「日当たり良好!」的なのは、照りつけられているみたいで消耗する。
私の好みに合うのは、むしろ、ほの暗さの確保されている空間だ。
明かりについては、必要に応じて照明を選ぶほうが、私の感覚に合っている。
自然光とは異なり、照明ならこちらの感覚ひとつで加減できるのが良い。

そもそも玄関の屋根も直さなければならないし、
どうせ屋根をいじるなら、この天窓も閉じてしまいたいが、
そういうことは技術的に難しいのだろうか。
いろいろと、課題の多い実家だ……orz

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午後、実家に行き、土蔵整理の業者さんに支払いを済ませ、
私は引き続き、家の中の各所の清掃。
旧台所の異臭の原因は、床下収納に入っていた古い調味料だとわかった。
いつから、この床下収納を開けていなかったのだろう。
黒い何かが漏れたようになって収納の底にこびりつき、
ラベルもよく読めない瓶が残っていた。
もしかして、30年くらい前のものではなかろうかorz
収納容器を外へ持って出て、庭の水まき用のホースを引っ張り出して、
デッキブラシでこすってカビだらけの内部を洗い流し、
ガレージの前に干して乾かした。

行ったついでに、地元で親の代からお世話になっている○○電機のご主人に、
玄関のひさしが剥がれかけて、玄関灯の手前部分まで脱落しかかっているのを
修理することが可能かどうかと見て戴いたら、
なんと、ひさしの経年劣化ではなく、もっと上の、
屋根の一部が腐りかけているのがそもそもの原因だとわかった。
言われて玄関を正面から見たら、瓦が部分的に陥没しかけていて、
その下から雨とい部分にかけて、砂や石のようなものがたまっており、
そこから腐食が進んで、ひさしの裏側が剥がれ始めていた。

「こりゃあ、おおごとかもしれんね。瓦屋に言うてみるわ。
雪止めのあたりまでは瓦をはぐって直さにゃ。大工も頼まにゃいけんかも。
昨日今日じゃないで、こりゃ。何年も前からなっとったんじゃと思うよ。
あとで、ちょっといっぺん上がって見とくけえね。費用のこともあるけ、また電話する」
と、有能極まる○○電機のご主人は言われた。
よ、よろしくお願い致します(汗)。
玄関だし、これから季節は梅雨に入るので、これはもう、カウントダウンに近い状況だ。

午後からは、縁側のカメムシ駆除のため、ダ○キンさんに見積もりに来て戴いた。
縁側の端から端までカメムシの死体か生体かわらぬものが随所にいて、
白っぽい何か(汗)も堆積していて、自分でどうこうできそうな気がしなかったが、
ダス○ンさんが見られたところ、「掃除だけで行けます」とのことだった。
カメムシは家の中で営巣するわけではなく、
寒い時期に外から侵入してきて冬眠し、春になると活動を再開して出て行くのだが、
両親宅の現状は留守がちで窓などがあまり開いていないので、
ここで生まれた子供らが、成虫になっても出られずに溜まっている、らしい(大汗)。
見積もりでは、この縁側の掃除と座敷の掃除機かけ・拭き掃除、
それに長らく使っていなかった洗面所の掃除もついでに合わせて、
全部で3万円台とのことだったので、もう、一も二もなくお願いすることにした。

そのときに、見積もり担当の方が、縁側と玄関の境目にあたる柱に
かなり目立つ亀裂がいくつも入っているのに目をとめられ、
「キクイムシがいるんじゃないでしょうかね」
と指摘された(汗)。
キクイムシ本体は亀裂や穴の中にいるのではないのだが、
もっと奥に幼虫がいるものだそうで、完全な駆除はかなり難しいとのことだった。
人体には無害で、家全体がすぐにどうこうなるわけではないが、
年月の経過とともに木部が弱るので、最後はこの柱の耐久性が落ちて、
最悪、建物の倒壊に発展する可能性がなくもないそうだ。
更に、玄関の続きの間から座敷に至るところの障子に
無数の小さな穴が空いており、紙を食べるシバンムシも居るだろう、
とのことであったorz
座敷のなげしのところに飾ってある額装の絵も、
よく見たら縁がギザギザになっていたorz

これから、この家を維持するためには、玄関の屋根をなおし、柱をなおし、
各種害虫を駆除し、……おそらくは、その作業はエンドレスだ。
築100年の家の、問題の箇所がここだけである筈がないのだ。
こうなると、両親には気の毒だが、そろそろ諦めて貰わないと。
母屋を維持したまま、悪いところだけ補強するとなると、
安いとは言えない金額で、これから補修工事を繰り返すことになるだろう。
やはり、私の構想、……家屋の大半を更地にして、
一角に小さい平屋を残して、そこで生活することを、実行に移すべきではないか。
玄関とその続きの間を新しくして、父が最後にやった増築部分とつなげれば、
狭いながらも一応の住居としての機能は果たせるものができる筈だ。
土地自体を手放すのは将来でも良いが、家屋は早い時期に手を打たないと、
これで母屋にシロアリでもついたら、増築部分にまで累が及ぶだろう。

90歳超の親は、しかし、抵抗しそうだな(^_^;。
理屈ではなくイヤだろうよ、帰る家がなくなる気がして。
母屋の座敷なんて、両親が結婚式をして記念写真を撮影した日のままだもんな。
母屋には手を付けず、玄関とそれに続く二部屋をとりあえず改築するか。
将来的には母屋は切り離して解体……、などということが可能??
これは一体、親に言うのが先か、
業者さんにリフォーム相談して見積もり取るのが先?
それとも、税理士さんに最初に相談するべき??

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