転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今年前半はとにかくTOEICをやる、と年頭に決めたので、
きょうも公開テストを受けに行ってきた。
2ヶ月連続のTOEIC受験は、私にとって初めてだった。

……しかし(汗)。
きょうは、とてもとても、リスニングができなかった(爆)。
過去三回は某女子大で、今回久々に、それとは違う会場だったのだが、
かつてなく音量が大きく感じられ、やたらと響いて音と音が重なり、
細かいところを聞き取るのに非常に難儀した。
TOEICは、必ず試験開始前にサンプル問題を使っての音テストがあり、
その段階で、気になる点は申し出るように指示されることになっており、
きょうは、正直なところ最初からイヤな感じはしたのだが、
私は今まで実際にクレームをつけた受験生を見たことがなかったし、
慣れればなんとかなるだろうと考えて、結局、何も申告しなかった。
しかし始まってみたら、やはり非常に聞きづらかった。
どういう音量だ、プロレスのリングアナかっ、と内心思った(--#)。
Part1で、やっぱりこの音はマズい(大汗)、と思い、
Part2は、聴き取れなかった箇所をTOEIC的な常識でなんとかしたが数題失敗、
Part3は、動揺もあり、かなり何題か道に迷って選択肢を見ても全くわからず、
Part4でようやく立ち直り、心の中でシャドウイングして乗り切った。
これほど、ちゃんと聴けないまま解答したのは初めてだったorz。

私は、家で練習するときは、意図的にCDプレイヤーを小さめの音に絞り、
さらに再生速度を+3(って何%速いのだろうか??)に設定したりして、
聞き取りにくい状況を作って自分に負荷をかけていたのだが、
きょう、遅まきながら、それはいささか見当違いであったことを知った。
速さはともかく、音量はむしろ、必要以上の大きさに設定し、
割れる寸前の、ビシビシ響く音に耐える練習をするべきだった(爆)。
考えてみれば、試験はいつだって広い教室で行われるのだから、
そのほうがよほど、起こり得る事態だったのだ。
それに冗談ではなく、こういうのもまた必要な訓練かもしれない。
駅やデパートなどの、騒音の中での大きな音のアナウンスだって、
実生活上は当然、あるのだから。

ちなみに、先だって私は聴力検査を受けたので、
耳鼻科的な意味で聴力に全く問題がないことは、既にわかっている。
きょうのリスニングがさんざんにできなかった理由は、
やはり、音響か、さもなくば私の英語力に問題があったから、だった。
少なくとも、私の英語の聴解力は、
些細な悪条件で簡単に崩壊する程度のものだ、ということは言える。
これは潔く認めなくてはならない。
こんな脆弱なものは、本来、聴解力と呼ぶべきではないだろう。
オージオメーターによる聴力検査ではあるまいし、
精神統一して耳を澄まして聴いたもの以外、よく理解できていない、
などというのは、普通の会話では、あるまじきことだ(爆)。

一方、きょうのリーディングは
特に困るというほどのことはなかったつもりだったが、
余った時間でPart5とPart6の見直しをしていたら、
なんとマークミスを三箇所も発見してしまった。
いつもは一つ見つけるかどうかなので、これもか!これもか!と焦った。
文法的に当然わかっているところで、違う記号をマークしているのだから、
きょうの私のボケ方は半端ではなかったのだと思う。
リスニングで失敗し、心理状態が良くなかったことも影響したかもしれない。
このぶんでは、Part7でもいろいろとやらかしているだろうから、
リーディングのスコアも期待できないだろう。
ちなみに、『particularies』に『詳細』という意味があったなんて、
私はきょうまで全然知らなかった。
ここはケアレスミスでもなんでもなく、完全に落とした(^_^;。

帰宅してからネットで検索したら、
今回のTOEIC(特にマイナーフォーム。TOEICのフォームは2種類ある
は希にみる簡単さ、歴史的に平易な回、などと出ており、
それが本当なら、そういうときに普段以上にミスしている私のスコアは、
かなりひどいと思われる。
ひじょーに気分悪いが、仕方が無い(^_^;。
別にTOEICがドツボだろうがなんだろうが、
私の命どころか(爆)仕事さえ、全く何の影響も受けないのだから、
客観的には、実に些細な問題だ。
ただ、これだけ失敗するとさすがに不本意で、
いくら趣味とはいえ、こういう終わり方は嬉しくないので、
9月のTOEICも続けて受けに行こうかと、今、真面目に思案している。

リスニング100問を気絶しないでやれただけで御の字
と思えた2009年当時からすれば、私も随分遠くへ来たもんだと思うが、
しかしだからこそ、ここで撤退するのはいささか残念でもあるのだ。
これほどにTOEICに「馴染んだ」状態まで持って来ることは、
私のような者にとっては、決して容易ではなかった。
ここで一旦離れて、何年かして再度この状態まで持って来ることは、
50歳過ぎの私には、ちょっともう、出来ないかもしれないと思っている(^_^;。


*********

<付:7月21日正午Web結果発表>(7月29日スコアシート着)
L480 R475  Total 955

Listeningは覚悟したほど壊れてはいなかった。助かった。
しかしトータルスコアとしては、このへんをうろうろと……。

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・3日くらい日記を書いていなかったっけな、
と思って来てみたら、既に一週間以上、更新していなかった。
やはり、私は時間の経過を正しく把握できていないようだ。
私の感覚以上に、実際の時間は早く進んでしまっている
本当に日々の過ぎるのはあっという間だ。
この調子だと、数年後には還暦だ、くらいに覚悟しておいてちょうどだろう。

・NHKラジオ講座『まいにちフランス語』『まいにちスペイン語』、
文字通りほそぼそとしか聴いていない。
語学講座に関する記録も、以前は毎月一度はUPしていたのに、
先月あたりは書けなかったなと思って遡ってみたら、
なんと4月から一度も書いていなかった(驚)。
スペイン語は先日、『英語で学ぶスペイン語』の単発レッスンを受け、
非常に刺激になったので、今もまだまだやる気は持続しているのだが、
今季のフランス語初級編は私の趣味に合っていないので、途切れがちだ。
逆に、フランス語の中級編は難し過ぎてついて行くのが大変で、
これはこれで、シンドさゆえにサボり気味になっている。
更にいけないのは、NHKのネットラジオ「らじる★らじる」が、
リニューアル以来、なぜか頻回に接続不良に陥るようになったことで、
パソコンで聴けない不自由さもまた、私が番組から遠ざかる原因となった。
今はエアコンの要らない季節なので、
放送時間になったらリビングのラジオの前に行くようにしているが、
あまり暑くなると、こういうことを続けるのは難しいかもしれない(汗)。

・きょうは、娘の大学の学生家族地域連絡会というのか、
留守宅の保護者対象の懇談会が某ホテルの宴会場で行われた。
個別の話はなく、全体的な報告と資料配布が主な内容だったが、
開催は隔年だし、娘が来年卒業するならこれが最後の機会だ、
と思って出席した。
かつての就職協定が倫理憲章に変わり、それが今年また改定されたので、
大学生にとって何月に内定を貰うのが平均的なのか、
今のところ、はっきりしているとは言い難いようだ。
原則的には来年(4年生)の8月からになりそうなのだが、
そもそも倫理憲章は経団連の提唱しているガイドラインであり、
強制力のあるものではないので、最終的には企業の判断次第ということだ。
……既に娘が何をやっていてどうなっているのか、皆目わかりません(爆)。
今年の夏は何だか忙しいというようなことを言っていた記憶があるが、
就職に関して本人が動いているのか、いないのか、謎だ。
一昨年に娘が横浜でアパート暮らしを始めて以来、
私は娘に電話をしたこともないし(私は電話というものが大嫌いだ)、
うちのパソコンは古くてカメラがないからスカイプもやっておらず、
たまにガラケーからメールで「荷物送った」的な連絡をするだけだ。
だってもう、大学生にもなった娘なんて、
傍からどうしようもないではありませんか。
よくわからんが、ちゃんとやっていてくれることを祈るのみ(大汗)。

・ここ数日、鼻炎気味で、咽頭後壁に一点ひりひりしたところがあり、
咽喉が発作的に痒くなって咳がとまらなくなる、
ということを繰り返したので、夕方いつもの耳鼻咽喉科に行った。
型どおり、鼻と咽喉を診察されたあと、先生が長い綿棒のようなものを持って、
私の咽頭壁を何カ所か触れ、「ここ痒いですか」「ここひりひりしますか」
と調べて下さっていたら、ある箇所に来て「~!!!」と痒くなった。
先生のご意見では、特に強い炎症が起きているという所見はなく、
おそらく咽頭が乾燥しているのだろう、とのことだった。
部分的に乾燥の強いところがあって、会話や食事などで動きが始まると、
その箇所が急にうまく動かせず、引き攣れたようになって、
それが痛みや痒みとして感じられるのだと先生は仰った。
確かに、ひりひりの発作が起きたときには、水を飲んだり、
のど飴をなめたりすると速やかに症状が治まるので、
乾燥→引き攣れ、という診断には説得力があった。
内服薬も出せるが、この程度なら様子を見て良いのでは、
……と言われ、私としては理屈が理解できたので安心した。

・今度の日曜日はまたTOEICがある。性懲りも無く。
今年度前半は受けられるだけ受けると決めたのだから、
デキがどうだろうととにかく受験しに行くのだ(^_^;。
先日、語彙を勉強していてつくづく思ったのだが、
私の脳内辞書は、ある種の流れの中で特有の誤作動を起こすようだ。
その仕組みとは、こうだ。
例えば、まず『invaluable』という語に出会ったとして、
この語は、notを意味する接頭辞『in-』がついているのに、
『valuable』(=「価値のある」)の反意語にならず、
むしろ、「評価できないほど価値が高い」という強調の肯定になる。
『priceless』が「値段(price)がない(-less)」ではなく
「値段がつけられないほど値打ちがある」の意味になるのと似ている。
私はこれらのニュアンスについては一応、理解しているつもりなのだが、
TOEICの問題を解いているときに起こりがちなのは、
こうした形容詞を続けて見たあと、間なしに『worthless』に出会ったりすると、
うっかり、『価値が決められないほど貴重な』的な意味として読んでしまう、
ということだ。
勿論、この語にそんな意味は無いから、正反対の方向の誤読になる(^_^;。
『worthless』単独で先に出会っていたら迷わないのだが、
直前に見た語の影響を受けると、私の思考回路はある種のトラップにハマるのだ。
私の、本番ならではのTOEIC失点の理由は、
おそらくこのあたりにあると、最近わかってきた(汗)。

・先々週、ついに通訳案内士の登録をしに県庁観光課に出かけ、
本日、無事に登録証を受け取ってきた。
別に、観光ガイドとして活動を開始しようと一念発起したわけではないのだが、
国家資格をかたちにしないまま、合格証だけ保持して5年目に突入し、
この先、何かで制度が変わってせっかくの合格が無駄になったらイヤだな(爆)、
などと気の小さいことを考えるようになり、とりあえず免許は受けることにしたのだ。
しかし、どんな仕事もそうだが、資格を取っただけの段階では、
「勉強したシロウト」に過ぎず、
今の私は全くもって、通訳ガイドが務まる人間ではない。
いつか本当にこの資格を使おうという決心をしたら、
私はまず、一から修行してからでなければお客様の前になど出られない。

・このところ、舅姑の墓掃除・墓参りには月1回か2回、行っているのだが、
梅雨時は私の休みの日に天気が良いとは限らず、タイミングが難しい。
夏に向かい、花がモたなくなって来たこともあって、最近は気が揉める。
昨日は午前中に墓掃除、午後からは実家訪問と、両家じー&ばーの日だった。
実家関連は目下、大きな変化はないが、母は週一回デイサービスに行き、
父は引き続き、オヤツを減らして血糖管理に努めているようだった。
また近いうちに様子を見に行かなくては。


……ということで、一気に箇条書き(^_^;。
もう寝なくては。明日も忙しい。

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15日に、国立劇場で『壺坂霊験記』を観た。
『第87回 歌舞伎鑑賞教室』ということで、
私の観た回には首都圏の私立高校二校が鑑賞に来ていた。

前半は、坂東亀寿による『解説 歌舞伎のみかた』。
亀寿の声と滑舌は素晴らしい上、
喋りすぎず飽きさせず、客席の空気を丁寧に捉えていて、
実に聞きやすくわかりやすい導入になっていた。
片岡當史弥による化粧や着付けの実演も見事だったし、
音楽や道具の仕事についての説明、
かつら・衣装担当スタッフの紹介もあり、
また、実際に高校生の男の子2人・女の子2人に舞台に上がって貰って、
女形の歩き方や衣装さばきなど体験して貰うという趣向も面白かった。

これが全体で40分ほどあり、そのあと一旦20分の休憩が入って、
後半が『壺坂霊験記』一幕三場。
派手な時代もののようなインパクトは無かったと思うが、
作品的に、起承転結のわかりやすい内容だったし、
役者の台詞と竹本とが融合して物語が進行するところなど、
いかにも古典芸能らしい趣があり、
初観劇の生徒さん達にとって、なかなか良かったのではないだろうか。

配役は、女房お里が片岡孝太郎。
壺坂は仁左衛門の家の芸だと私は思っていたが、
意外にも孝太郎にとっては初役だった。
慎ましやかだが芯が強く、夫の沢市を心から大切に思っている、
行き届いた女性であることがよく伝わって来た。
対する沢市が、坂東亀三郎。
自分の不甲斐なさを痛感していながらも、
卑屈になっているところがなく、まっすぐな人柄がしのばれて、
私にとっては大変好感の持てる沢市だった。
今回の国立劇場に来たのは、亀三郎の美声を聴きたかったから、
というのが私にとっての大きな理由のひとつだったのだが、
台詞の切れ味は言うに及ばず、地歌まで披露してくれて、
まったく眼福・耳福だった。

ただ、観ていて、ひとつわからなかったのは、
沢市が死を決意したのはどの瞬間だったのだろうか、
という点だった。
最初に、沢市がお里の不実を疑い、お里のクドキがあって、
誤解が解け、二人で壺坂に参ろうという話になるわけだが、
沢市はこのとき既に命を絶つつもりになっていたのだろうか?
それとも、実際に観音堂に詣でたあと、
祈っても目は治らないと嘆き、そこから気持ちが固まったのか?

壺坂詣でが決まったときに、沢市が家で袴をつける場面があり、
あれは死に装束としての着替えを暗示していたのかなと
今になってみると思わないではないのだが、
実際に観劇していたときには、普通に晴れ着のように見えた。
お里は勿論、参詣のために、夫に改まった服装を用意したわけだが、
沢市のほうは果たして、どういう気持ちでそれを身につけたのか。
私は『壺坂霊験記』そのものをよく知っているとは言い難いので、
いろいろと見逃したり聞き逃したりした箇所があったのかもしれない。

結末は、物語として若干うまく行き過ぎるところもあるが、
急に目の見えるようになった沢市の戸惑いや、
お里との喜び合い、『万歳』の踊りなど、
孝太郎・亀三郎の息の合ったところが堪能できて、
とても後味の良い場面になっていたと思った。

私は以前、実際に奈良の壷阪寺に行ったことがあるのだが、
この話に描かれている壺坂の観音堂は、もっとずっと寂しい場所だったことだろうと、
観ながら時々、風景を想像したりした。
女の身で、来る日も来る日も、真っ暗な山道を登って、
夫の病気が癒えるようにと祈願し続けたお里は、
本当に心優しく、そして逞しい女性だったということだなと思った。
なるほど、これなら沢市の目も開くはずだ。
まさに良い意味で、「女の一念、岩をも通す」(笑)。

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孝太郎と亀亀brothersの出る壺坂霊験記を観ようと
国立劇場に来たのだが
さすがに鑑賞教室だけあって客席は学生さんばかり。
まわりじゅうJKなんだが……、
あの、ここから後ろの一般(多分)の皆様、
私は断じて、この大はしゃぎな若い子たちの引率者じゃないからねっ(--#)

**********

芝居は素晴らしかったし、学生さんも一生懸命観劇されていたことがよくわかり、
こういう催しが積極的に行われるのは本当に良いことだなあと感じたのだが、
たったひとつ、
「前のめりに座るのは、後ろの人に対して大変迷惑なことだ」
という点を、観劇初心者の方々には是非、覚えておいて頂きたいと思った。

きょうの私は、ほぼてっぺんの席にいたし、国立劇場の三階は傾斜も急なので
実際に迷惑を被ったというほどのことはなかったのだが、
一般的な劇場では「前のめり」は、間違いなくワースト行為のひとつだ。
極端に身を乗り出すとか、伸び上がって観ているというレベルの話ではなく、
浅く腰掛けたり、背もたれから背中が浮いていたりするだけで、
もう、後ろの人の視界を著しく遮っているのだ。
『舞台観劇での基本的なマナーまとめ』より図解

夢中になっているからこそ、ふんぞり返って観てなどいられない、
というのは本当に本当によくわかるのだが、それでもやはりお願いしたい。
劇場内では、幕が上がったら、必ず、
座席に深く腰掛け、背もたれに背中をつけて座るように、
しっかりと意識をして頂きたい。
浅く座ったり、背もたれを使用しない姿勢で観たりするというのは、
自分の後ろ周辺のお客さんに舞台を見せてあげないことと、イコールだ。
それくらい、邪魔になっているのだ。

逆に、背もたれに背中の全面をぴったりとつけてさえいれば、
背筋や首そのものは伸ばして座っても、
決して、背後の人の迷惑にはならない。
劇場の座席設計自体が、そうなっている(人並み外れて高身長の場合を除く)。
前のめりこそが自分にとって自然な観劇体勢である、とか、
ちょっと背中が浮いたくらいでいちいち煩く言うな、
等々と主張する人は、最後列の席を買うべきである。
そもそも、自宅でテレビを独占して観ているのとは違うのだから、
劇場に来たら、見方や姿勢にある程度制限が設けられる、
――つまり、マナーだなんだと窮屈なことを言われる――のは当然なのだ。

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菊五郎・仁左衛門・幸四郎・吉右衛門、
この顔合わせが観られる機会は、私の今後の人生で、もう多くない、
と思い、始発で広島を出て、歌舞伎座昼夜通し。

妻平に民部、それに『夕顔棚』の婆さん、
1日で音羽屋の魅力を様々な角度から見せて貰えた。
いやぁ、つくづく、私は幸せなファンだなあ(^_^)。
やっぱりどんなときも、結局は私は菊五郎を愛してるんだなぁ♪

************

昼の部の最初が、『天保遊侠録』。
実は私は今回、とにかく『新薄雪』を観る!ということしか眼中になく、
始発で歌舞伎座に駆けつけて、予習も何もなく幕が上がり、
見始めて「これ、知っとぅ。宴会やって暴れる話や(^_^;」(爆)。
記憶を辿って見ると、ちょうど一年前、大阪松竹座で観たばかりだった。
それも、同じ橋之助の小吉で。
わかりやすい新歌舞伎だし、階級社会の悲しさ、子を思う親の情など、
泣ける要素がふんだんにあって、改めて良い演目だなと思った。
小吉と八重次(芝雀)の、大人の男女としての心の通わせ方も、
観る者の胸に静かに染み通るような良さがあるなと感じ入った。
……が、終わって隣のお客さんたちが、
「えっ。『りんたろう』って、森 林太郎じゃなかったの!?」
と会話していたのにはウケた。それじゃ森鴎外の話になってしまうぞ。
とーちゃん(橋之助)が「勝 小吉」と名乗っておったじゃろ。
あの聡明な息子は、勝 麟太郎、のちの勝海舟だぞよ(^_^;。


『新薄雪物語』の通しを私は今回初めて観たのだが、
単純に物語として眺めるなら、荒唐無稽だったという印象だ。
「なんでそうなる(^_^;」な展開が幾度かあり、
観ながら内心でツッコミを入れつつ耐えたところも結構あった。
しかしそれらを超えて、この公演は、あり得ないほど配役が良かった。
私がダレそうになると、それぞれの役者さんによる「燃料投下」があり、
そのお蔭で、私は最後まで集中力を保って観ることができたのだと思う。
作品よりも、役者の力業の凄さを堪能させて貰った舞台だった。

花見の、錦之助(左衛門)と梅枝(薄雪姫)が、まず鮮やかで良かったし、
吉右衛門(団九郎)と仁左衛門(大膳)の顔合わせは特に豪華だった。
妻平(菊五郎)と水奴たちの立ち回りも、実に明るく楽しく見せて貰った。
また、詮議の場で、幸四郎(伊賀守)と仁左衛門(兵衛)が相対し、
舞台正面に菊五郎(民部)・彦三郎(大学)が並んだ姿には、
「まさにこれが現在の歌舞伎界の頂点…!」
と圧倒された(もうひとり、吉右衛門が一緒には出ていなかったけど)。
ここでは何より、菊五郎の声を堪能できたことが、
ファンとして最高に幸せだった。
扇の下で、若い二人に手を取らせて諭すところも良かったし、
大学に向かって「お控え召され」と言ったときなどはもう、
目の覚めるような深々とした、音羽屋ならではの声音だった(感涙)。


昼夜にまたがっての通し上演なので、このあとからが夜の部。
昼を観ていない人のために、入場のときに登場人物相関図が配布されていた。
園部邸は、ほかの場より役者さんたちには「しどころ」が多い、
ということはわかったが、やはり感覚的に俄に納得できない展開で、
子らの行く末を思い、命を賭ける親としての苦悩と決断が、
大きなドラマとして感じられたのは、
仁左衛門の呼吸の巧みさとスケール感、
そして幸四郎の技巧のひとつひとつがあればこそだった。
更に、そこに女形として主張のある魁春(梅の方)が加わったことで、
三人笑いの場面が台詞にない部分まで立体的になり、
あの場の長さを、ひとつの味わいとして感じることができたのだと思う。

最後の正宗内も、ストーリーとして共感できないという点では同様で、
通しだというのに、ここまでの逸話を回収して行く快感が無かったし、
結局は団九郎の改心で…というのは、
少なくとも21世紀の観客である私には、かなりガッカリ感があった(殴)。
ここまで頑張って観て来たのに、最後はそこ!?という……。
吉右衛門の団九郎の結末を観るためだけにあった幕だった。
この団九郎が、単独で見るなら、なんとも快演で、良かった(汗)。
花見の場面の出来事とか、大膳(仁左衛門)に肝っ玉を褒められたこととか、
いっそ、無かったことにして観れば問題ないんじゃないか、と思った。
「すし屋」の権太みたいな役に書き換えれば……(逃!!!)。

ともあれ、私のように浅学な者にとっては、
『新薄雪物語』はかなり理解に無理のある演目だったが、
今回の配役ゆえに、どうにか最後まで脱落せずに見せて貰えたことを
大変嬉しく有り難く思っている。
通し上演自体が希であり、私が地方在住であることを考えるなら、
おそらく今後二度と、この配役で観ることは叶わないだろう。
貴重な上演を逃さずに済んで、観客として本当に幸運だった。


最後の『夕顔棚』、これは素晴らしかった。
待って待って実現した音羽屋の旦那さん久々の女形は、「婆さん」(笑)。
ついにここまで「兼ネル」役者になり、もう怖いもの無しの旦那さんであった。
……は冗談にしても、この婆さん、正真正銘、垂れパイ(爆)の婆さんなのに、
愛嬌があり、馥郁とした女らしさもあって、実に魅力的だった。
こんな華やかで笑顔の素敵な婆さんが最後に舞台を占領して、
午前中からの全部を吹っ飛ばしてしまうなんて(爆)反則だろう。
爺さん(左團次)のほうもまた、剽軽でイイ男で、
婆さんに酌をしてやるときの、
「よしよし♪」
という声の響きには私はシビれた。
そして、盆踊りに行こうよと、この老夫婦を誘いに来る、
「里の男」「里の女」として巳之助と梅枝が出ていた。
巳之助の立ち姿には、これから駆け上って行く人の覇気があった。
この二人に導かれて、更に何組もの若い人がやって来て賑やかになり、
村の若者世代が、この愛すべき爺さん婆さんを
皆でいつも心にかけ、大切にしていることが、よく伝わってきた。
田舎の、名も無い爺さん婆さんの、暢気で楽しい夕べ、
……こういう幸せなものを見て、歌舞伎座を後にするのは、
本当に良いものだなと、満たされた夜だった。
今月は、もし近所に住んでいたら、幕見で『夕顔棚』だけ通いたいかも(笑)。

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「英語で学ぶ スペイン語入門」という単発レッスンが
某英会話スクールでイベント的に開催されたので、行ってみた。
木曜日は私は会社に行かなくて良いことが多く、
きょうもたまたま、空いていたのだ。
……ら、私の申し込んだ時間は、生徒が私ひとりだった(汗)。
夜のクラスなら、もっと賑やかだったのだろうが、
平日の昼間に動けるのは主婦や学生で、実質的に対象者が限られ、
更に、きょうは大雨だったせいか客の出足が悪かったようだった(^_^;。

また運の悪いことに、私は『まいにちスペイン語』のお蔭で、
最初の挨拶だけは、うっかりテンポよくこなしてしまった(爆)。
それで、ラテンなノリの先生はもう全く容赦がなくなった(汗)。
「オーケー、ペルフェクト(perfet)。できますね!
この時間はおひとりだし、入門講座じゃなくても大丈夫ですね!」
「では、アエロプエルトの待合で隣同士になった、
という設定で挨拶と自己紹介をしてみましょう!」
(『英語で学ぶ…』なので、こういう↑説明や指示の部分は英語。)

このアエロプエルトが「空港」だと頭の中で繋がるまでに、
さっそく私は5秒くらい考えなくてはならなかった。
以後は、ペルドン(すみません)を連発し、
ケ シグニフィカ(どういう意味ですか)と訊きたくて
「け、け、ケ…」
ジョ・タンビエン(私もです)が思い出せずに
「ジョジョ、あー、ジョー…?」
………orz。

オラ!ブエナス・タルデス!
ケタル?
ムイビエン、グラシアス。
メジャモ、ヨシコ。イ、トゥ?コモ・テ・ジャマス?
オー、エンカンターダ。
ア・ケ・テ・デディカース?
オー、ベルダ?ソイ・オフィシニスタ。
ブエノ、ブエノ。
ソイ・デ・ハポン。デ・ドンデ・エレス?
イ、ア・ドンデ・バス?ポル・バカシオネス?
ドンデ・ビベス?

……矢継ぎ早で、もう、シぬかと思った。
50分間、かたときもサボれず、キツかった(泣)。
挨拶ほか、スモール・トーク未満のことしか要求されていないとは言え、
スペイン語話者との生の会話は、私は生まれて初めてだったのだぞ?
どこそこに住んでいます、何々が好きです、的な、
超基本の現在時制の活用すら、私のは大嘘で、ほぼ全部なおされた。
一体全体、今までラジオで何を勉強していたんですかね!?
線過去・点過去の使い方がわかったなどと、どの口が言った(涙)。

たったひとつ良かったことは、
不自由の極みであるスペイン語で話を続けようと苦心惨憺していると、
英語って、なんてラクな言語だったのだろう!と思えたことだ。
しかし、勿論わかっている。これは完全な錯覚だ。
私の英語は、依然として何一つ上達していない。
スペイン語がそれほどに、どうにもならなかったというだけだ。

ともあれ、楽しかった、……は語弊があるような気がするが、
非常にやり甲斐はあった。
実は最近、ラジオのスペイン語(フランス語も)を結構サボっていたのだが、
一対一の生のレッスンで50分間絞られると、
「これはいかん。もうちょっとなんとかせねば」
という気分になることができた。
そういえば、ポゴレリチはかなりスペイン語が出来ると言っていたっけな(^_^;。

それともうひとつ、私は言葉の勉強が根本的に好きなのだな、
ということも、実感できた。
私の第一の趣味は、やはり外国語学習だと言うべきだろう。
たとえモノになっていなくても、道楽かそれ以下であろうとも、
私は、言葉をいじっているとき、
最も生き生きと、目が覚めたような気分になることができる。
ごく一般的な概念でも、日頃使っていない言語で表現するというのは、
なんと新鮮で心躍る体験なのだろうか!


ということで、明日から、また真面目にラジオを聴くことにします(^_^;。

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アクセス解析を見ると、『TOEIC 200回 結果 いつ』という検索語で
このブログに来て下さっている方がこのところ続いているのだが、
成績のWeb発表は、毎回、原則的に、
「公開試験の日から3週間+1日経った月曜日の正午」
にTOEIC SQUAREの自分のページで見られるようになっている。

第200回TOEICの場合、公開試験が5月24日(日)だったのだから、
結果が閲覧可能になるのは6月15日(月)正午だろう、と予想できる。
しかしこれは飽くまで、過去の経験に基づいた推測でしかない。
様々な事情で発表が遅れることはよくある。
国際ビジネスコミュニケーション協会なら、
正確な予定を答えてくれるだろうと思うが、私は問い合わせたことはない。

それともうひとつ注意すべきなのは、このWebでの成績閲覧は、
TOEIC受験をネットで申し込み、かつ、申し込み時に
『「テスト結果インターネット表示」を「利用する」』
にチェックを入れている場合のみ、利用可能なサービスだ、
ということだ。
上記に該当する人には、成績開示の当日メールが来るし
(メールの到着は、発表時刻より遅い。大抵、午後になってからだ)、
自分から上記月曜日の正午に見に行っても良い。
申込手続のページTOEIC SQUAREにログインして、
『テスト結果の確認』をクリックすると、
結果のスコアがいきなり出てきてビックリする(爆)。
このページは、ちゃんとガラケーにも対応している。

また、書面でのテスト結果『公式認定証』は、
私のこれまでの経験では、Web発表のぴったり一週間後に到着する。
ゆえに、第200回に関しては、広島市の我が家には、
6月22日(月)に届くだろうと思われる。
どの分野の得点率がどのくらいだった、という成績内容のわかる、
Abilities Measuredのグラフは、書面の認定証でないと見ることができない。

後日記(2015年6月20日):
今回の『公式認定証』は我が家には6月20日に到着した。
Webでの結果表示の出たその週のうちに、公式認定証が来たのは
私にとっては初めてだったかもしれない。
勿論、早いのは良いことだ(笑)。

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『腕時計詐欺』が話題 「高価な時計貰って下さい」にご用心(おたくま経済新聞)
『『腕時計詐欺』に遭いかけた。という話題が、Twitterまとめサービス『togetter』にまとめられ今ネット上で注目を集めています。』『体験談によると、道を歩いていたところ突然目の前で車が止まり、感じの良い老紳士から「ちょっといいですか?」と声をかけられたそうです。老紳士は「時計宝石をとりあつかっているサラリーマン」だと自分を名乗り、「今から会社に戻るところだが余ってしまったからこの時計いらないか?」ともちかけ、「持ち帰ると怒られる」「余ると私の首が飛ぶ」「(時計は)48万もする」という話をしてきたのだそう。』『実はこれ、冒頭でも触れましたが、割と昔からある詐欺の一つで『腕時計詐欺』といわれるもの。「高価な時計をいらないか?」ともちかけ、相手が受け取ると「今手持ちがないから飲み代ぐらいちょうだい」と、最終的に現金をたかるという手口です。そして肝心の時計の価値はというと、実際は二束三文。』『ターゲットにされるのは、新社会人や学生など比較的若い人が多いようす。犯人は2人1組で車にのって行動している事が特徴です。』

今でもあったんだ!と私は逆に懐かしくて感激(爆)した。
1980年代初頭、私は東京都小平市学園西町の住宅街で、
このテの人たちに遭遇したことがあった。
ある日の夕方、道を歩いていたら乗用車が横に止まり、見たら、
オッサンが二人乗っていて、私に向かってアタッシュケースを開き、
記事の通り、無理に時計をくれようとした。彼らも、
「余っちゃって、このまま会社に持ち帰れないから、貰ってほしい」
というようなことを、確かに言っていた。

しかし、いかに山奥の田舎から出てきたばかりの私でも、
こういう意味のわからない話に乗るほど素直ではなかった。
「そんなこと言われても困りますよ。要りません」
と私はすげなく断った。
うちの村だと、道で出会う人は大抵どこかで繋がっている親戚なので、
たとえ相手が理不尽であっても、うっかり尊大な態度を取ると、
その日から村じゅうで悪口を言われて大変なことになるのだが、
東京では全然しがらみがないので、私は不愉快そうな顔を
あからさまに見せることにも躊躇がなかった。

オッサンらは笑顔で、
「なんで困るんですか。あげるのに。このままじゃボクらが困るんですよ~」
となおも食い下がってきたが、
「いいえ、お断りします」
と私は無愛想にその場を立ち去った。
それ余らしたんは、お前らの不始末なんやろ、ほなら勝手に困っとき、
と私は内心で思っていた。
ただ、むこうは車だし、追いかけて来たらどうしよう、とちょっと怖かったが、
幸い、彼らはそれであきらめたようで、私と同じ方向には来たりせず、
また、私の下宿で待ち伏せしているというようなことも起こらなかった。
段取りも決着も、まったくもって、記事に出ている通りだった。
30年前から十年一日のごとく、この詐欺マニュアルは遵守されていると見える。

それにしても、
『ターゲットにされるのは、新社会人や学生など比較的若い人が多い』
と記事にあるが、ヤツらは開口一番、私に向かって、
「ねえ!奥さん奥さん!」
と言いやがった。これは今でも覚えている。
私はそのとき、芳紀まさに18歳であった。
オバさん呼ばわりされた挙げ句に人助けをする気には、
ゼッタイに、なりませんでしたね(--#)。

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今夜は主人がテレビ観戦をしていて、私も家事をしつつ、
カープ×日本ハムを横目で観ていたのだが、最後があんまりだった。
いやはや、もう、監督采配に呆れたし腹も立ったので、
詳しく書いて再現する気には到底なれないが、
防御率1.76、奪三振数リーグ1位のマエケンが、
未だにたった四勝しかできていないのは、
毎度毎度こういうやり方で、勝ちを消され続けて来たからだ、
と、大変よくわかった。

先発100球超えたし、9回だしクローザーを出すことに決まっているので、
……てな采配をやっている場合じゃないだろう、緒方っっ(T_T)。
あの展開だったら、尊重すべきなのは定石ではなく、
積極的に勝ちに行くことではないか!
これまでもう、性懲りも無くなんべんも同じテツを踏んでおいて、
またしても、同一のテツを自ら選んでまで踏み直しに行くとはっっ(--#)!
若い投手たちの経験と勉強の場になったから良い、
と言える良い試合と、そうでない試合があるだろう。
今夜の流れなら、もうマエケンで勝たなくてはならなかったし、
もし仮に負けるにしても、マエケンと心中すべきだった。
緒方には試合試合に合わせた采配をする感覚が全く無いのかorz。

8回6安打2失点と好投し、10三振を奪い、セーフティスクイズで自援護もし、
勝ち投手の権利を得ていたマエケンの、試合後のコメント↓
『(9回で代わった22歳の中崎、21歳の戸田に対して)終盤になるほど雨が強くなったし、難しい場面でプレッシャーもかかる。仕方ない。失敗して、糧にしていかないといけない』
(スポーツ報知)

気の毒過ぎて、やってられないわぁ。
エースは、すべての面で限りなく強くないといけないのだね(T_T)。
内心はどうあれ、こういう台詞を言わなくてはならないとは……。
(采配の)具合の悪い監督を収容するファームがあればいいのに(爆)。

**************

追記:6月3日
下の記事、↓『まさか』のじゃない、完全に『案の定』の炎上じゃ(--#)。
観ていたこっちは意外でもなんでもなかった。
9回でマエケンが出ないとわかった段階で、
「あほかーーーーー!!!」
「終わったーーーーorz!!!」
等々と叫んだカープファンが、昨夜は大半だった筈だ。
私は単純に9回で炎上して負けたことを「非道い」と言っているのではない。
苦労して作り上げてきた試合が、最終回でひっくり返されること自体は、
どこの球団でもあることだし、マエケンだって過去に経験している。
そうではなく、幾度も試みて駄目だとハッキリ判明している方法を、
またしてもまたしても監督が選んだ、ということを怒っているのだ(--#)。

マエケン涙雨 8回2失点も9回救援陣まさかの炎上(日刊スポーツ)
『<広島4-7日本ハム>◇2日◇マツダスタジアム
まさしく涙雨だった。広島前田健太投手(27)は8回6安打2失点の力投も、救援陣が炎上し5勝目を逃した。』『前田は最後までベンチの最前列で、タオルにくるまって見つめていた。ロッカー室に消えることなく、長い守備が終わるとベンチから出て戸田を出迎えた。「2人とも厳しい場面だったし仕方ない。失敗しないと成長はない。これからいい場面で投げていく2人。悔しい気持ちを残りの試合にぶつけてくれれば、それはチームのためになる」』『消えた白星に恨み節はまったくない。それどころか、チームを、若手投手を思って言葉を紡いだ。』

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