転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、両親が、これまでお世話になった某老人ホームから
系列会社の某サ高住へと、『住み替え』をする日であった。
朝9時にホームに行き、これまでお世話になったフロアのスタッフさんや、
ケアマネさん、相談員さん、受付スタッフさん等々に、
ささやかではあるがお礼のお菓子をお渡ししてご挨拶をし、
それから居住フロアまで上がってみると、
既に、ふたりとも着替えができており、車椅子に座っていた。

荷物は前日のうちに、サ高住のほうに業者さんが運んでくださっていたが、
身の回りで使っていたものだけ残っていたので、台車を借りてそれを運び出し、
1階の駐車場で待機してくれていたサ高住の送迎車に乗せた。
それから、両親もサ高住のほうの車椅子に乗り換え、
送迎車に乗せて貰って、私も同乗し、ホームを出発した。
スタッフさん方が出てきてくださり、手を振って見送ってくださった。
実に、良いホームだった。母はよく食事に文句を言っていたが。
母の我が儘に忍耐強く付き合って下さったし、
父の骨折騒動や、先日の脳神経外科受診などにも迅速に対応して戴けた。
本当にお世話になりました。ありがとうございました!

行き先のサ高住は、同じグループの会社で目と鼻の先にあるので、
すぐ到着し、先日来、お世話になっている相談員さんが出迎えて下さった。
申込の段階では、到着したらまず病院のほうの外来を通って、
……と聞いていたのだが、行ってみたらその必要はなく、
あとで主治医の先生が居室をお訪ね下さることになっており、
有り難いことにふたりはすぐに部屋に上がることができた。
荷物その他と一緒に私が相談員さんと一緒に上がった頃には、
ふたりは居室でテレビを眺めていた。

やがて看護師さんが来られて、体温や血圧を測定したところ、
母が体温37度2分だったほかは、ふたりとも何も異常はなかった。
ややあって、「体操」があると言って呼ばれると、とくに逆らわず出て行き、
そのまま昼食時間になったようで、しばらく戻って来なかった。
それで私はふたりの留守間に、作業に集中することができるようになり、
次々と荷物を開封し、中身を仕分けし、チェストや洗面台に要るものをセットし、
不要品と思われるものは実家送りにするために再度、箱に詰め直し、
3時間ほど作業し続けて、かなりの部分、片付けることができた。
途中で覗いてくださったスタッフさん方が、
「わ、すごーい!」「もうこんなに!」
と部屋の片付き具合に感心してくださり、励まされた(^_^;。
転勤族時代を思い出すよね、こういうの。

昼食のあと部屋に戻ってくると、ふたりともベッドに寝かせて貰い、
さすがに疲れていたとみえ、すぐにお昼寝に入った。スタッフさんが私に、
「『娘さんがお昼御飯がまだで、お気の毒ですよね』とお母様に申しましたら
『そんなことはないんよ』と仰ってました(^_^;」
と報告(笑)してくださった。
私が食事抜きで作業していることなど、二人は気付いていないのだろう(^_^;。
『住み替え』をふたりはどう思っているのか、見たところ不明だったが、
父のほうは、やや興奮状態かなという印象はあった。
寝たと思ったらすぐ目を開けて、普段ないようなハッキリした口調で、
「最近は、世の中では本の扱いかたが酷いと思うね」
と唐突に(汗)言ったりした。

そのあと、施設内で担当者会議があり、ケアマネさんのほか、
訪問看護、訪問リハビリの担当の方や、理学療法士さん、
介護スタッフさん、等々が集まってくださって、
両親について、確認や情報交換があった。
老人ホームのときもだったが、チームとなったスタッフさん方が、
ふたりの状況を把握してくださり、ケアプランに沿って意識統一をし、
このように手厚く看てくださる制度が整っているなんて、
なんと、二人にとって幸せなことかと思った。家族としては、
「積極的な治療等は望まないので、ただ、苦痛無く穏やかに過ごして欲しい」
という希望を、再度、お話し、受け入れて戴いた。
皆様、お世話をおかけしますが、どうかよろしくお願い致します<(_ _)>!!

これで2時頃になったので、私は残りの作業はまた今度にすることにして、
昨日は夕方前にサ高住を後にした。
次回、行ったら荷物のうち不要物をまとめなおし、業者さんに連絡を取り、
実家への配送の手配をしようと思っている。
よけいなものが無くなれば、部屋は十分、スペースがありそうだった。
ここに入る直前に某ホームセンターで調達したチェスト2つも、
部屋で見るとまことに具合がよく、良い品々であることがわかった。
片付けが終わったら、ナイトテーブルなども買って来ようと思った。

……ということで昨夜、私は、寝る頃になって軽く腰痛が出てきた。
筋肉痛の感じで、昼間の労働がキいているのは明らかだった。
最近は引越をしていなかったので、ああいう作業は久しぶりであった。

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足の痛みは無くなった
私の、左足の外くるぶし剥離骨折の跡が痛むのは、26日土曜日になおった。
土曜日は、神社仕事からホームセンターのいろいろで、
かなり足を酷使したのだが、結局のところ、
動かしたら痛みが悪化する、というものでもなさそうだった。
何をしたら・何があったら痛みが出るのか、相変わらず不明で、
湿布をしているうちに、数日で改善したのも以前と同様だった。
できない動作は何もなく、傍目には完全に普段どおりだった筈だが、
自覚としては、痛い間は結構、何かにつけて不快だった。
これのためにロキソニンを飲もうかと思ったくらいだった。
来年の夏はどうなるだろうか……。

母94歳またしても発熱
母がまた発熱した由、さきほどいつもの病院から電話があった。
検査したところコロナではなく、発熱の原因はつきとめられていないが、
先月から肺炎を繰り返しているし、CTで食道裂孔ヘルニアも観察されるので、
やはり誤嚥があるのだろうと言われた。
とにかく明日の朝、その病院の上階にあるサ高住への住み替えのため、
引越することになっており、やはり良いタイミングだったという気がした。
今後は外来と点滴で様子を見ると、電話でお医者さまが仰っていたが、
そういうケアを受けやすくすることこそが、今回の住み替えの目的なのだ。
これからは、もし毎日のように注射や点滴などが必要になったとしても、
病院まで出かけるという負担なしに、自室で受けることができるし、
入院となっても、上のフロアから下のフロアに移るだけだ。
目下、熱のわりに本人はケロっとしていて、
特につらそうな様子は無いとのことで、何よりであった(^_^;。

お礼の品、発注
秋祭のときに助勤で来て戴く、近隣の神社の神主さん2名と笛太鼓さんに
それぞれお礼をお渡ししないといけないので、お酒と和菓子を発注した。
一旦は私が立て替えて、領収証を神社会計に後で提出して、清算して貰う。
去年もそうしたので、今年もそれで大丈夫だろう。
暑くて外に出るのがイヤで、楽天で手配したのだが、
考えてみると、購入したぶんのポイントが私個人のアカウントにつくので、
厳密に言って、これって不正なんだろうか(汗)。
あとで何か神社のものを買うときにポイントを使って相殺すれば、良い?
この考えで、合ってる(^_^;?

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午前中は神社業務があり、草抜きしたり、大幣をこしらえたり、
社務所であれこれ片付けたりして、だいたい終わったので、
帰ろうとしたところで、「御守ください」と授与所に参拝客の訪いがあった。
それで、求められるまま厄除開運御守をお授けして、
一旦、実家に帰り、洗濯と片付けをやっていたら、
スマホが鳴り、社務所に残っていた副総代長さんから呼び戻された。
用件は、「御朱印帳、書いて欲しい人が来られているので」。

書道有段者の巫女さんがきょうは居ないので、
私が書いても副総代長が書いても変わらないのでは、
……と思ったが、私が書いたほうがいいと思ってくださったのなら、
光栄なことであった。
書き置きも常に用意はしてあるのだが、直書きのほうが好まれるので、
今日はお役に立てて良かった。

尤も、御朱印をお授けするときに、文字は本来どうでもいいのだ。
結構多くの方が誤解されているようなのだが、御朱印で大事なのは
名前の通り「印」であって、書き文字の巧拙に意味はない。
金釘(かなくぎ)流よりは、読める文字のほうが良い、という程度だ。
どころか、文字なんかそもそも無くても構わないのだ。
伊勢神宮の御朱印を見よ。
内宮に行っても外宮に行っても、
文字通り印ひとつがド真ん中にあり、あとは日付しか書いてない。
あれこそが本来の「御朱印」というものだ。

さて、ということで神社仕事が全部終わったのが、午後2時前であった。
そこで私はおもむろにタクシーを呼び
(いつも書いていることだが、実家界隈は鉄道は来ていないし、
最寄りバス停まで徒歩20分はかかる。炎天下に歩きたい距離ではない)、
某ホームセンターまで、両親用のチェスト兼テレビ台を買いに出かけた。
某老人ホームから、系列病院の上階にある某サ高住に住み替えする件で、
今度の行き先には家具類のレンタルがないので、
最低限、テレビ置き場と、肌着等の衣類の収納場所となる、
チェストというかタンス的なものを調達する必要があったのだ。

何しろ急に入居の日取りが決まったので、
お取り寄せしたり、ゆっくり組み立てたりしている暇はなく、
すぐ配達して貰える完成品の中から選ぶことにした。
そうしたら、店頭展示品でも構わないかと尋ねられたので、
私としては全く異存なく、ほぼ処分価格の品を手に入れることができた。
それでも、ウォールナット色のチェストふたつを
父親用と母親用と揃えることができたし、
それらは同シリーズなので規格も揃っており、
ふたつ並べてもスッキリしていて、なかなか良かった。

配送は、両親入居の日の午前中ということで、
サ高住に念のため電話をかけて、家具の搬入のとき私が立ち会えなくても
受け取っておいて貰えるだろうかと尋ねたら、
ふたつ返事で引き受けて下さり、これまた大変有り難いことだった。
これで、両親が入居する日には、家具も揃うことになった。
私が二人に付き添って、病院外来でうろうろしている時間帯でも、
サ高住のほうで受け取りは完了して貰える。

このチェストの一方をテレビ置き場にして、
両方の引きだしに衣類その他を、入りきる程度に厳選して片付け、
残りは箱に詰め直して実家に……、というのが私の計画だ。
ものごとは往々にして、頭で思い描くより実際には大変なので、
両親の部屋も片付くまで私にとって難行苦行のような日々になるのでは、
と今から頭が痛いが、やらない訳にはいかない(汗)。
9月前半でこれに決着をつけなければ。
9月後半は巫女舞稽古が始まってしまうよ(大汗)。

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きょうは一日確保した安息日(^^)。
この自由時間を利用して金融機関に行こうかと思ったが、
一昨日から、なぜか左足の外くるぶし剥離骨折の跡が痛むので、
足を休ませるほうが良いかと考えて、きょうは、やめた。
2年ほど前にもあったしもっと前にも同様の経験はしていて
私はどうも、夏の暑い時期にこの箇所に神経痛が出やすいようだ。
毎回、特に何をしたからという原因は思い当たらず、
シップを貼って休ませる、程度の対処をしてやり過ごしている。

そもそも、この左足を傷めたのは2005年12月で、
受診したら剥離骨折とわかり、一ヶ月ほどバンドで固定して治療したのだが、
当時の主治医によると、なおりはしたが、骨のつきかたが若干、
正しい位置より内側に寄ってしまった
、とのことだった。
そのせいなのかどうか定かでないが、この箇所は私の古傷になった。
しょっちゅう痛い訳ではないから、許容範囲ではあるのだが、
痛いときは、そこをかばって歩き方全体がやはりいびつになるので、
脚のほかの部位の筋肉痛や、腰痛なども出てきて、地味に不快だ。
トシとともに悪化しそうで、ヤな感じですね(^_^;。

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両親が、これまでの某有料老人ホームから、
同系列の病院の上階にある某サ高住に住み替えをすることになり、
私のやる書類手続のほうはほぼ完了したのだが、
本日、引越業者さんからお電話があり、
端的に言って「荷物が多すぎる」旨、お話があった(汗)。

もちろん、言い方にはもっと配慮がなされていて、
十分に丁寧な言葉で仰ってくださったのだが、
詰まるところ、両親の現在の居室には荷物があふれており、
行った先では今のように家具のレンタルが無いとなると入れるところがなく、
つくりつけクローゼットに入れるだけ入れたとしても、
残りはいかが致しましょうか、とのことであった。

こういうことに関して、私は決断が早いのが取り柄である(大汗)。
「段ボールのまま、新しい部屋に入れて、積み上げておいてください」
と即答して終わらせた。
だって、ほかにどうしようもないではないか。
今居る老人ホームの部屋は期日までに空けなくてはならないのだから、
ゆっくり仕分けしている暇はない。移動することが先決だ。
新住居で入れ場所がなさそうなら、箱で積み上げておくまでだ。
あとのことは、行ってから決める。
私の本音としては、この際、よけいなものは全部捨ててからホームを出たいが、
「よけい」だと思うのは私であって、必ずしも両親はそう思わないだろうから、
今は、一切合切持って出るほかあるまい。

そもそも、5年前に某老人ホームに入居するとき、
「こんなに持って行かなくてもいいのに」
と私は二人の荷造りの様子を見ながら思っていたが、
一切さからわず、二人の望む通りにした。
ホームに入居してからも、幾度か実家にふたりはタクシーで帰り、
「必要なもの」を箱に入れてホームに持ち帰ったりしていたものだった。
実際に何をどういう頻度で使うか使わないかより、何でも目の前に置いて
すべて抱えておくことで安心しようとしていたのだろうから、
私はそれを止め立てすることは、しなかった。

幸いというか、今は、ふたりとも5年前よりずっと老いて、
最近はいろいろなことが判断できなくなり、記憶も定かでなくなり、
生活全般の意欲も減退している。
私は今回の荷物搬入が終わったら、二人の部屋に行き、
サ高住の職員さんともお話したうえで、
段ボールを点検し、今要るものと要らないものを分けて、
できるだけ大量の不要品を実家に送り返そうと思っている。
そのほうの運搬は、引越より遙かに安い値段でやってくださると
今回の業者さんが仰っていたので、お願いするつもりだ。

「今、とりあえず使うとらんけ、家に持って帰っとくけえね」
と言えば、今の両親ならば強く反対する気力までは、ないのではないか。
捨てるのではないのだし、この際、少々ごまかしてでも(汗)、
室内のモノを減らす方向で動こう。
9月から秋祭シーズンが始まるので、私の自由時間の残りもカウントダウンだ。
ふたりの移動と入居が済んだら、即、私はこの作業をやるべきだ。

理想としては、テレビ台を兼ねたローチェスト2つに肌着や小物を、
部屋のつくりつけクローゼットのほうには、外出等で着る洋服、
ほか、本や日用雑貨を入れるボックス等がひとりひとつずつ、
……程度で十分なのではないかと思っている。
傘や雨靴はもう要らないし、カバン類もひとり一つで足りる。
車椅子生活になった今、実家から持ち込んだ安楽椅子も、
もう無くても良いかも(汗)。……気持ちの面で執着があるかな?
しかしある程度広くしておかないと、今後、処置や手当を受けるにも、
人の通り道が制限されるし、車椅子でも動きにくいだろう。

捨てないで何でも溜めておくのが、戦中派である二人の性癖であった。
私は、ごちゃごちゃしたものを一掃すると気分が安定するが、二人は違う。
むしろ、何も捨ててない、全部ある、ということが安心感に繋がるのだ。
それゆえに、実家は積年のゴミの山と成り果てていたのであったが、
老人ホームでもまた、同じことになってしまったのよね……(^_^;。

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本日は、サ高住に正式に住み替えの申込をしてきた。
有料老人ホームと異なり、こちらは位置づけが「住居」であるため、
ホーム勤務のケアマネさんのような方はいらっしゃらないのだそうで、
外部の会社の方と新たに契約することになり、
相談員さんのお計らいで、その方も今日は同席してくださった。
改めて説明を聞き、契約書に署名し、このあとの日取り等を決めた。

引越は8月29日にすることになった。
前日のうちに、主な荷物は某ホームからこちらのサ高住に移しておいて、
当日は、身の回りのものだけ持って、2人に私が付き添って、
移動をするという予定が決まった。
カーテンと、衣類用の収納引き出し兼テレビ台にするチェストを
それまでに私は買うか、実家で調達するかせねばならなくなった。
ホームにはなんでも最初から揃っていたし、レンタル品も豊富だったが、
サ高住のほうで借りられるのは、ベッド・車椅子・テレビ・冷蔵庫、程度で、
あとは作り付けのクローゼットがあるだけだった。

帰り道に、至近距離の老人ホームのほうにも寄り、
正式な日時が決まった由、ホームのケアマネさん・相談員さんに報告し、
こちらでの引越作業の段取りをして頂いた。
母はきょうも元気そうで、私が、
「近々、むこうの病院の上にあるお部屋に引越するからね。
お父さんと2人で一緒の部屋や。何も心配要らんからね」
と言ったら、どの程度わかったかはともかく、
「そら、ええ!やっぱり身内で一緒におるんがええよね」
と笑顔で賛成していた。

父のほうは、最初は昼寝をしていたが、私が母と喋っていたら目が覚めて、
スタッフさんから飲み物を渡されると、自分でコップを持って飲み、
「ああ~、美味い!」
と満足そうに言った。
なんか知らんが、良かった良かった(^_^;。

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昨日は神社作業で半日ほど冷房のない場所に居たので、クタクタになった。
地鎮祭の手伝いと、社務所での神饌品の在庫管理などの仕事があったのだ。
途中で適宜、日陰に入って休んだり、持参していたOS-1を飲んだりもしたが、
空気そのものが熱風で、どこにいても涼しい場所がなく、キツかった。
気分が悪くなったりはしなかったので、単に暑かっただけだが、
全身大汗で、昼に実家に戻って上から下まで全部洗濯した。
実家にも私の衣類は、下着や寝間着のほか、普段着程度のものまでは
ひととおり揃えてあるので、こういうときの着替えは自由自在だ。

このとき、古びた実家の洗濯機のふたが割れて、
折りたたみラインから手前が完全に取れてしまった(汗)。
げげっと思ったが、「ロックする」などという機能のない機種で、
ふたが半壊でも問題なく作動することがまもなく判明し、助かった(爆)。
疲れていたので製造年などを確認することはしなかったが、
もしかしたら40年くらい前の、昭和の品かもしれなかった。
洗濯や脱水で回しているとき、中身や洗剤等の水分が
飛び散るといけないと思い、とれたふたを乗せてみたら、
一応、落ちては来ず、特にトラブルもなかった。
洗い終わったものは、ビニールハウスの如き高温になった縁側
(雨戸の内側の「くれ縁」なので風雨にさらされることはない)
に吊してきた。
次に来る頃には完全に乾いているだろう。

実は、私にとって有り難いことに、昨日朝から転夫ころもん氏は、
二泊三日の東京出張に出ていて、自宅は完全に留守だった。
夕方、ホテルにチェックインしたころもん氏から、
早速ひと風呂浴びて、冷房した自室で和んでいる由、
幸せそうな内容のLINEが来ていた。良かった良かった(^^)。
それで、私もまた昨夕、帰るや否や、風呂を沸かして入り、
夕食は宅配を取って早めに終わらせ、午後9時には布団に入った。
ゆるく除湿をかけた部屋で、寝転んで本を読み、
眠くなったらいつ寝てもいいという極楽を満喫した。
ひとりって本当にいいわね(殴)。

きょうは仕事のない日だったので、目覚ましをかけておらず、
自然に目覚めたら7時10分で、素晴らしく熟睡感があった。
コーヒーを淹れ、スペイン語とフランス語のラジオ講座を聴いたあと、
毎朝のルーティーンである血圧測定をしたら110/74で、
静かで何の気兼ねもなければ私は全く高血圧ではないのだと
幾度も思ったことをまた思い、確信を深めた。
ソラナックスを服用しても血圧が見事に下がるし、
私の高血圧は精神的な圧迫が大きな原因となっているのだ。
健康のためにも、できるだけ早く隠居したいものだ。

こうしているとまた気怠く眠い感じがしている。
昨日の暑さアタリがやはり多少はあったはずだし、
心身ともに緩んでいるのもあって、まだいくらでも寝られそうだ。
寝ても良いのだ。きょうも、今夜も、ひとりなのだから。

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ファイザー、コロナ新派生型「EG.5」にワクチン効果確認(Reuters 8/18(金)6:00)
『[17日 ロイター] 米ファイザーは17日、新型コロナウイルスの新たな派生型に対応するよう開発しているワクチンについて、オミクロン型から派生した変異株「EG.5」(通称エリス)に対する効果がマウスを利用した実験で確認されたと明らかにした。』

モデルナのコロナ新派生型「EG.5」対応ワクチン、ヒトへの効果確認(Reuters 8/18(金) 13:22)
『[17日 ロイター] 米バイオ医薬品会社モデルナは17日、新型コロナウイルスのオミクロン型から派生した変異ウイルス「EG.5」(通称エリス)と「FL1.5.1」(通称フォルナックス)向けに開発しているワクチンについて、初期の研究データでヒトへの有効性が示されたと発表した。』『モデルナのほか、米ノババックス、独ビオンテックと提携するファイザーなどがオミクロン変異株「XBB1.5」に対応するワクチンを既に開発している。EG.5はXBB1.5に類似しているとされる。』

ファイザー、モデルナともにXBB1.5対応の1価ワクチンを開発し、
EG.5(とFL1.5.1)に効果のあることが確認された。
これらのほか、組換タンパクワクチンのノババックスも
これまでのデータを見るところ、結構内容が良くて、
私はこれを打ってもいいとずっと思っているのだが、
どうも我が国ではこの会社は冷遇されているという印象がある。
この先、承認されるのかどうか?
ともあれ、ファイザーもしくはモデルナの1価ワクチンが
日本では9月20日より、初回接種を完了しているすべての年齢の人に
無料で供給される予定となっている。

一方、7月24日に世界で初めて抗体記録されたBA.2.86が、
Sタンパクに30箇所以上の変異を持っていることがわかっており、
変異箇所の数だけで言えば、オミクロンが初登場したとき以来の多さなので、
WHOはこれを、8月17日に『監視下の変異株』に指定したと発表した。
変異がこれまでになく多数であることから、BA.2.86は今後、
「オミクロン」でなく「パイ(Π)」と位置づけられる可能性も出てきている。
18日時点で世界の4カ国で6例確認されただけではあるが
(英国、米国、イスラエルで1例ずつ、デンマークで3例)、
地理的な相関関係の無さから見るに、既に各地に拡大しているのかもしれない。
XBBと比べて免疫回避能がどれくらい上がっているか、
XBB対応のワクチンでどこまで対応可能かが、今後の焦点となる。


ここからあとは、完全な一般人である私の、単なる体感の話になるが、
オミクロンが最初に南アフリカから報告されてから、
私の身辺で感染拡大を実感するようになるまで1ヶ月半、
一方、報道されたXBB1.5の話に私が最初に注目してから、
実際に日本で流行中と認識されるようになるまで半年余り、
という時間が、それぞれ経過している。
BA.2.86は果たしてどれくらいの速度でやって来るだろうか。
日本では拡大するだろうか。
幻のザコΠで終わってくれることを心から願っている(大汗)。
秋祭→七五三→年末年始、と続く私の神社奉仕の繁忙期、
どのタイミングで次のワクチンを打つかも含めて
このあと、なかなか悩ましいことだ。

私がコロナ脳を積極的に自称し、こうまでCOVIDを恐れる理由は、
この感染症が人類全体にとっての災禍であると思うからだ。
2020年以降、世界各地の平均寿命を一斉に引き下げている感染症が
少なくとも「ただの風邪」である訳がなかろう。
Life expectancy, 1770 to 2021(Our World in Data)
また、死亡せずとも一定の割合で残るLong Covidの懸念や、
二度、三度と反復感染するたびに蓄積される、全身的なリスクの問題等、
この感染症には一筋縄で行かないものを私は感じている。
報道の中にしばしば見られる、「5類になった!もう大丈夫!」的な
手放しの安心感はどこから来ているのか、私には相変わらず疑問だ。
5類感染症は、HIVや破傷風、梅毒などが該当するのであって、
決して、「寝てればなおる」病気のグループではない。

マスク着用・ワクチン接種・手洗い励行・三密回避、
を、自分個人に関しては今後も可能な限り、継続するつもりだ。
それ以外にできることが、今の私には、無い。
単独で万事OKという対策はひとつもないが、
スイスチーズモデルの発想で、できることを重ねて行くほかないだろう。
0か100かではないので、どんな手段を講じても罹ることはあると思うし、
前も書いた通り、ワクチンに全くリスクがないと考えているのでもない。
しかし、ノーガードかそれに近い状態でウイルス吸い込み放題になるのが、
最も危険で有害な状況だと私は考えているので、それは全力で回避したい。

余談だが、コロナは罹って免疫をつければ安心、ではない。
感染症がすべて、麻疹の終生免疫のように行く訳ではない。
HIV(5類)が心配だから罹って免疫をつけておこう、とは誰も思わないだろう。
麻疹も既感染者の一部は、5~10年後に亜急性硬化性全脳炎を発症するが、
HIVもまた、感染初期には風邪同様の症状が出て、一旦、消えたあと、
何年もの無症状期間をかけて、体内でHIVウイルスが増殖し、
数年から十年後にエイズとして発症する。
コロナ(SARS-COV-2)がこれと同類の経過を「取らない」という保証は、
現時点では「無い」のだ。

感染で得られるN抗体と、ワクチンで得られるS抗体の性質の違いについては
大阪大学微生物病研究所の中山英美准教授が
X(Twitter)で活発に発信されており、これまた大変勉強になっている。
Emi E. Nakayama MD, PhD on X)
↑一般人でも、こういう話が趣味に合う(逃)方には強力にお勧めです(^_^;。
これが誰でもタダで読めるX(Twitter)は素晴らしいツールである。

毎度言うことだが、この件について私は意見の異なる人とは議論しない。
大丈夫だと考える人のことは一切とやかく言わないし、
罹ったけど全然たいしたことなかった、
と主張する人には、「それはそれは良かったですね」と思うだけだ。
私は今、とにかく自分は罹りたくないので抵抗を続ける、という話をしている。

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住み替えの件で某サ高住の相談員さんから連絡があったので、
午前中、現地まで行って来た。
入居予定の部屋が決まったので見せて戴き、申込書類を作成した。
結局、両親には私からは何も説明していないのだが、
トシもトシだし、二人とも理解力のほうは心許ないので
もう良かろうということで、入居申込の書類を作成し、
このあとは、次回私が時間を取って、通帳と銀行員とを持参して出向き、
契約書に署名捺印し、入居予定等を決定することになった。
都合がつく限り、サ高住さんのほうのケアマネさんも同席して下さるそうだ。

帰りに、徒歩圏内にある某老人ホームに寄ったら、
午前11時過ぎになっていたので、両親とも昼食時間で、
ふたりとも車椅子で食堂に出てきて、テーブルについていた。
父のほうはとても眠そうで、私に挨拶だけはしたが、
すぐにうなだれてウトウトしており、
「もうすぐご飯ですよ~」
とスタッフさんが呼びかけると、
「(目の前に食事が)出てきたら、食べる」
と目を閉じたまま、返事だけをしていた。

母もさきほど起きたばかりだと言いつつ、機嫌も体調も良さそうで、
まずはお茶を淹れて貰って、美味しそうに飲んでいた。
飲みながら少し咳をしていたので、やはり誤嚥はありそうだったが、
きょうのところは元気そうで、最近では最も爽やかな顔つきをしていた。

昼食メニューは「サラダうどん」がメインで、
母は、スプーンを手に取り、フォークでパスタを食べるように、
スプーンをくるくると動かしていたが、めんが巧く巻き付いて来ないので
「えらい食べにくいね」
と言い、何度か同じことを試したあと、
「お兄さん、お箸かフォーク、貰えへん?」
とスタッフさんに声をかけた。
スプーンの使い方としてはおかしいが、箸かフォークでもあれば…、
と私も見ながら感じていたので、
母の言うことは、解決の方向性として完全に妥当であると思った。

実は、黒っぽいお箸がスプーンと一緒に最初からあったのだが、
お盆もまた黒だったので、よく見えておらず、
母も私もお箸の存在に気付いていなかっただけだった。
スタッフさんに教えて頂いて、お箸に持ち替えたら、
途端に食べやすくなり、母の機嫌はなおった。
そして私を見て、にっこりと笑い、
「あんた、なかなか、ボインやね
と言った(爆)。
あまりにも、唐突だった。

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前に書いた、缶クッキー独り占めの夢をついに叶えた。
子供の頃、心から憧れていたのに買って貰えなかった、
泉屋スペシャルクッキーズの、いちばん大きなヤツ(笑)。
今週、4日連続の、遅まきながらの盆休みを手に入れたので、
今だ、今こそ自分をねぎらう機会だと見極め、とうとう買った。
見たまえ、一缶全部、ワタシのものだ(^^)!!
(↑転夫ころもん氏は、こんなものは全く趣味ではない。)

 

さきほどたまたま読んだ記事に、独居老人の残置物処理の話が出ていて、
縁者の人が冷凍冷蔵庫(←有り難いことに通電していた)を開けたら、
好物だったらしい「白くまアイス」がいくつも、霜をかぶって残っていた、
という切ない描写があり、私なら何を残すであろうかと考えたりしたのだが、
とりあえず現時点の自分にできるのは、正気のうちに、
泉屋スペシャルクッキーズに決着をつけておくことであると思った(^_^;。
欲しいと思ったものを、自分で買って、自分で食べるのだ。
昔の夢を、取り戻すというか「食い」戻すというか(笑)。

小学生の私が頼んでも、母はこんなもの買ってくれる訳がなかった。
「こないな大きなもの、あんた一人で、どないすんの」
「どうせ食べきれへんのに。買いなさんな」
嗚呼、50年前の自分に言いたいよ、
「トシを取るって、いいよ!思いのままだよ!」
誰にも叱られない、一存で買えるのよ、これが!

将来、惚けたワタシが、クッキー何缶も買い込んで積み上げてたら御免ね(爆)。


追記:満を持してコーヒーを淹れ、3時のオヤツに食べたのだが、
いや~、これ、どの種類も全部美味いんだけど!?最高だね!
これから私個人宛てに何かくれようという人は(そんな人は居ないが)、
①切り花のブーケ ②泉屋スペシャルクッキーズ
の二択にしてください(殴蹴吊)。

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