転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・介護保険の認定はまだだが、要支援以上は確実との見通しのもとに、
居宅支援サービス某事業所から、本日午後、担当の方に実家まで来て頂き、
介護保険の範囲内で、できるだけヘルパー派遣を受けられるよう、
手続き内容の説明を聞き、書類提出等をすることになっている。
役所の担当者が、前倒しで良いと言い、それに従っているのだから、
多分、この手続きに関しては、問題なく進む筈だ。

・併せて、本日午後より、当面は週2回のペースの個人契約のままで、
介護と家事支援のため、ヘルパーさんに来て頂くことが決まっている。
母のヘルニア悪化が突然だったため、実家は全然片付いておらず、
台所も冷蔵庫も、本当なら全く人様にお見せできる状態ではないが、
このような緊急事態にあっては、もう、
「他人が入るのはイヤ」「家の中を見られると困る」
などという次元は、軽く超越できている。
そんな余裕カマしていられる間は、まだまだ家族内で苦労したらいいのだ。
舅姑のときも痛感したが、もう、行くところまで行くと、
平時に大切だった見栄とか恥とか外聞などは全部、吹っ飛ぶものだ。

・母は、介護認定されたら歩行器をレンタルしたい、と言ったが、
ヘルパーさんによると、半月もろくに歩いていないなら、
歩行器より先に、まず、ベッド上でのリハビリから始めたほうが良い、
とのことだった。
若い人でも半月も安静にした後だったら、突然動くのは無理だ、と。
言われてみれば、全くもっともな話だった。
そのリハビリのための指導員さんも、介護保険の範囲で、
派遣が受けられるとのことだった。

・母の話によると、なんと昨日、父が、
「魚、さばいて焼いてみようか」
と言ったそうだ(O_O)。
料理などしたことのない男性が、あるとき必要に迫られてやると、
それまで全く知らなかった世界に目覚め、夢中になるものなのか!?
母は、いくらなんでも魚は無理やろ……と困惑したそうだが、
結局、父はとりあえず切り身を買って来て、それをオーブンで、
うまい具合に塩味にして焼いてくれたということだった。
凄いな~、80歳超にしてこの成長ぶり!
若いのに家事能力皆無を自慢にしている世の男性たちは、
うちのじーさんに劣るとも勝らない(笑)、ということだな。

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・昨日は実家に、役所から調査員の方が来られて、
介護度認定のために、母や家族との面接をして下さった。
しかし、認定会議は限られた回数しか持たれないので、
母の申請がどう評価されるかの決定には、まだ時間がかかり、
実際に介護保険の範囲のサービスが受けられるのは、
来月の終わり頃からだそうだ。
つまり、正式な手続きを踏むとなると、申請して1ヶ月半は、
たとえ寝たきりでも、認定がおりるのを待たなくてはならない、
というのが現状だと私は改めて知った。
しかし母の状態では、急性期でもあり、
「要支援」程度は確実に認定される、という見通しなので、
前倒しで週2回のヘルパー派遣は受けて良い、とも言われた。
これは大変に有り難いことだった。

・併せて、昨日は舅姑がお世話になった居宅支援サービスの事業所に
個人契約でもいいからとお願いをして、ヘルパーさんに来て頂いた。
昨日は面談と打ち合わせだけだったが、とりあえず明後日から、
母の清拭や家事支援の範囲で、訪問をして頂けることになった。
前述の、介護保険サービス前倒しの件もあるので、
母の生活面での支援に関する部分は、介護保険を使えそうだった。
ヘルパーさんには、築100年のお化け屋敷実家の迷路の仕組みを
昨日、私があらかたご案内した。
実家は増築を繰り返した平屋で、天井が低く、柱だらけで、
迷い込んだら出られない構造になり果てているので、
昔から、遊びに来た友人なども、トイレに行ったら最後、
一人ではなかなか元の部屋に戻って来られなかったし、
帰るときに、「お邪魔しました~」と挨拶しながら
押し入れのふすまを全開にしてくれたりしたことが、よくあった。
ヘルパーさんも、しばらくは道に迷われるのではないかと思う(^_^;。

・この忙しいときに(というのは完全に私の側の、勝手な事情だが)、
今朝からマンションの避難設備点検があり(こんな感じの)、
入居から6年以上を経過した今になって、
「上の階のハシゴを降ろすと、お宅のベランダの室外機に当たって困る」
と指摘され、私はキレそうになった。
それは全然、我が家のせいではないし、うちには選択の余地すらない話だ。
エアコン設置用の穴のある真下しか、室外機を設置する場所は設けられておらず、
その真上に、上の階の避難梯子が垂れて来る構造になっているのだから。
入居前、もしくは直後に指摘されたなら、我が家はエアコンをつけないとか、
もしくはできるだけ小さい室外機のエアコンにする、ということも、
考慮できたかもしれないが、今更言われたってどうしようもないではないか。
そうでなくても、うちから下の階に向かって降ろすほうの避難梯子は、
我が家のベランダの物干し竿の真ん前に設置されていて、
普段の収納時、そこは踏むなと書いてあるため、
私は入居以来ずっと、大股開き(爆)で洗濯ものを干して来たのだ
(うちのマンションの避難器具は、奇数階と偶数階で、
互い違いになるような位置に取り付けられている)。
この物干し竿の場所だって、私が勝手に設置したのではなく、
最初からここに設定されているからその通りに使っているのに、この有様だ。
我が家は洗濯ものも満足に干せず、上の階のためにエアコンも持つなと?
こういう場所に避難梯子を設置するなんて、
そもそもの設計のほうに問題があるじゃないですか!そう思いませんか!
……と、点検業者を虐めそうになって、私は途中で思いとどまった。
別にこの方には、設計や設置場所に関する責任は無いのだった(^_^;。

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先週は、実家に通い詰めで、語学どころではなかった。
ラジオは一応、つけてはいたが、勝手に鳴っていただけで、
私はほぼ聴いていなかった(汗)。
今週もまだまだ実家通いは続いていて、早くもくたびれているうえ、
先週日曜に仏検2級二次試験が終わってしまい、
更に動機付けのなくなった、今日この頃である(殴)。
それでも昨日、テキスト2月号は書店で買ってきた。
本人の学習は挫折寸前だが、テキストだけはどうにか繋いだ。

しかし、前に誰かも言っていたが、特別なことの無い平凡な日が続くと、
「このまま済む筈がない。何かとんでもない事態がきっと近々起こる」
という荒唐無稽な考えに捕らわれるのは、私も同様だ。
だから、語学講座なんかどうでもよくなるくらいに、
片付けなくてはならないことが山積みになったり、
困ったことが矢継ぎ早に起こるようになると、逆に安心するというか、
よし、ほどほど来たな、これで後々の面倒をいくらかでも減らせるだろう、
という、『塞翁が馬』系の納得感があるのも本当だ。

とりあえず今日、実家母の介護認定の調査がある予定で、
更に午後からは、ヘルパーさんの訪問も始まることになっているので、
今後は、多少なりとも事態が落ち着いてくれることを願っている。
そうしたら、またラジオももう少しまともに聴く気分になるだろう。
多分(笑)。

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・昨日から突然、雪が降って、今朝は市街地でも真っ白になった。
ということは、実家のほうは言うに及ばず(汗)、と思われた。
今朝、とりあえずの食料など買い物をして、
途中からタクシーに乗って、行き先として実家住所を言ったら、
「それはちょっと、行けないかもしれない」
と運転手さんが弱気になった(^_^;。
「○号線の奥の、北側のほう、きょう、通れるかね?」
と運転手さんは会社に問い合わせもして下さったが、
『きょうはまだ、そっち方面まで行った人が居ない』
という心許ない返答が来たのみだった。
高速に乗って、最後のトンネルを抜けると、突然雪国になるので、
チェーンも巻いていない車では、請け負えないのは無理もなかったが、
「トンネル出たところまででもいいから、行けるだけ行って下さい」
と私は強引に頼み込んで、出発して貰った。
トンネルの向こうまで行っても、まだ、実家には徒歩で行ける距離ではないのだが、
最悪、そこで降ろされたら、地元のタクシー会社に電話し直そうと思っていた(^_^;。
しかし案ずるよりナントカで、昼に向かって天気そのものは回復してきたので、
道路の通行止めにも引っかからず、なんとか実家に辿り着くことができた。
実家界隈はどこを歩いて良いか不明なほどの積雪だったが、
とにかく、タクシーも私も無事だった。
良かった(^_^;。

・ブロック注射をしてから、母の痛みは軽快してきて、
少なくともベッドの上で体を動かしたり、
起き上がったり、手を上に上げたり、という動作は、
さほど苦痛なく、自由にできるようになってきた。
しかしまだ、脚の痛みそのものは消えたにはほど遠く、
ベッドに座って足を下に降ろすと、響くような重苦しさが募って、
長時間座っていることは、しんどいので出来ない、と言っていた。
勿論、家の中を歩くことも、ほとんど出来ておらず、
着替えとか、ポータブルトイレを使う等々の、限られた動作のみを
かろうじて行っている、という状態だ。

・介護保険の認定のため、役所の人が明日、
実家のほうに様子を見に来られるそうだ。
要支援か介護度1くらいでも認定されれば、
母は歩行器をレンタルできないだろうかと言っていた。
私は、うちのばーちゃんの介護度5か4のあたりしか経験がないが、
下のほうの介護度だと、どの程度のことが可能なのだろうか。

・ヘルパーさんは、明日の午後からサービスに入れる予定、
との連絡が、きょうあった。
介護保険の認定がまだで、個人契約で自費になってしまうが、
母の腰痛・脚痛がなおらないことには、ろくに動けないので、
とりあえず助けて頂けるならばお願いしたいと思っている。

・私はずっと先週日曜日から母のことにばかりかまけていて、
合間に自分の仏検二次試験があったわけだが、
娘のほうは一体どうなっているんだろうか(爆)。
受験生としての彼女が、果たして大丈夫なのかどうか、
センター試験からこのかた、全然私は把握できていない(殴)。

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娘のセンター試験に引き続いての、母のヘルニア騒動で、
もはや家族の誰も覚えていなかった・問題にもしていなかった、
私のフランス語検定2級の二次試験が、本日、あった。
さすがに私は、行くのを忘れていたわけではなかったが(^_^;、
何かもう、「今それどころじゃないんだ!」みたいな気分が
先週からずっとあって、しかし欠席するのも勿体なく、
中途半端な準備と気構えのまま、出かけることになった。

ええい、いいんだ、きっといくら時間があったって、
私の仏語力が無いことにはかわりは無いのだ。
いつどんな具合に受けたって、同じことさ(T_T)、
と私は朝から幾度も自分に言い聞かせた。

今回の会場は、広島テレビの建物内にある、日仏学院で、
試験場は12階の、会議室みたいなところだった。
朝、指定の時間前に行くと、待合場所に10名くらいの人が
既に受付を済ませて座っていて、試験会場は、
向かって右手が準2級、左手が準1級・2級、と表示されており、
二部屋が同時進行のようだった。

やがて私の番になり、呼ばれて部屋に入ると、
奥の真正面に、フランス人男性と日本人男性がいて、
最初にフランス語で名前を確認され、受験票を渡すよう言われ、
着席の指示があった。
この二次試験は、5分間、フランス語で会話をする、
ということしか決まっていなくて、日常的な話題について、
訊かれたことに対してフランス語で返答ができれば良いのだが、
きょうの私の面接は、「家族と何について話をするか」に終始した。
質問はほぼ全部、フランス人の試験官のほうから、された。

試験官「家族はいますか」
 転妻「はい。夫と娘がいます」
試験官「家族と何について話をしますか」
 転妻「(勘違いして)家族は、夫の名前は……」
試験官「いや、家族について、ではなくて、家族と何について、話すか」
 転妻「何について……」
試験官「そう」
 転妻「すみません。アガリ過ぎてました(笑)。はい。
  理解しました。家族と、え~、テレビ番組について話をします」
試験官「そうそう、そういうこと。で、それだけ?」
 転妻「それから、…娘の将来について夫とよく話します。
  娘は今、大学入学試験のために勉強しているので、彼女の将来について」
試験官「娘さんは、いくつ?」
 転妻「17歳。高校生です」
試験官「娘さんの将来について、旦那さんとだけ話すの?」
 転妻「あ、いえ、娘とも話します」
試験官「ほかには」
 転妻「ほかに……。私はピアノを弾くのが好きなので、
  クラシック音楽のことも、よく話題にしています」
試験官「好きな音楽家がいますか」
 転妻「作曲家のベートーヴェンが好きです」
試験官「あなたはピアノの先生なの?」
 転妻「いいえ、違います」
試験官「趣味で弾くんだね。ふむ。で、ほかには?」
 転妻「ほ、ほかに(^_^;。え~と、娘の好きな歌手のことを話題にします」
試験官「どういう名前の人ですか?」
 転妻「西川貴教という人です」
試験官「知らないなあ」
 転妻「はい(笑)。ロック歌手で、40歳で、エネルギッシュな人です」
試験官「あなたもファンなの?」
 転妻「はい、好きです」
試験官「そう。テレビ番組のこと、娘さんの将来、音楽のこと、歌手のこと、
  ……これで全部ですか?ほかのことをまだ家族と話したりしますか?」
 転妻「ほかのこと、ですか」
試験官「そう」
 転妻「私の、母のことを夫とよく話します。
  彼女は病気で、脚が痛いと言っていますので」
試験官「わかりました。(日本人試験官に)いいですか?」

……こうして再現してみると、かなり内容の無い(爆)会話だ。
私のとんちんかんなフランス語には、とても呆れられたことと思うが、
この試験の、合格最低ラインがどのあたりかわからないので、
とりあえず今回は、二次試験及び、生のフランス語会話を経験した、
ということで、ヨシとしようと思っている(^_^;。
良かったのは、とにかく止まらず、フランス語で何か言い続けたこと、
悪かったのは、フランス語の聴取能力が低く話が混線しかかったこと(大汗)。

再挑戦は、7月の春季検定二次試験ということで(涙)。

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前の日曜から昨日まで、ほぼ毎日、
あの大田舎(笑)の実家まで遠征し、さすがに疲れて、
きょうは朝、家族が出て行ったあと、
ネットを見ていて寝落ちしてしまった。
土曜だが主人は仕事があり、娘も小論文を見て貰うと言って
学校に出かけ、家の中が不意に静かになったので、
私の意識も途切れてしまったのだ。

夢の中で私は、娘を叱っていた。
なぜなら娘は、この入試前の大事な時期だというのに、
きょうからクラリネットを習いに行く、と言ったからだ。
そんなことより今は受験勉強だ!と怒る私に、夢の中の娘は、
「だって、クラリネットだって、入試に役立つもん!」
と頑固に言った。
……なんじゃそりゃ(^_^;。
娘がよりによってクラリネットとは。美術関係ならともかく。

目覚めて私は、転姑ばーちゃんが、よく傑作なことを言って、
私達を爆笑させたことを思い出した。
ばーちゃんは入院中、看護師さんに向かって、
「馬に乗って来たんかね?ぱからん、ぱからん」
と唐突に尋ねたり、家でヘルパーさんに、
「あんたとは以前、会うたことがある。雨の降る峠で」
と演歌か怪談かわからない設定のことを
臆面もなく言ったりしていたものだったが、
私が夢と現実の区別をつけずにものを言うようになったら、
ばーちゃんの話と実によく似たことになると思われた。
なんだかとてもよく納得できた(^_^;。

さきほど帰宅し、私から夢の話を聞いた主人は、大笑いした挙げ句、
「おまえ、バカじゃないの!?何を考えとるん!?」
と、私でなく娘をたしなめていた(爆)。

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・きょうは、実家母は一応落ち着いていた。
昨日ブロック注射をしたあと、脚の痛みは和らいだそうだが、
きょうは、これまでとは違う痛み方になった箇所もあり、
全体として、改善したとまでは言い難い状況だそうだ。
しかしヘルニアと診断がつき、いくつかの保存的治療を
これから試してみるという方針も見えて来たので、
気持ちの面ではこれまでより安定し、昨夜もよく眠れたそうだ。
また介護ベッドの使い方にも慣れて来たし、
ベッドまわりも自分の使いやすいように整理できて、
体は不自由なりに、生活が改善されてきたと言って居た。

・介護保険の認定はまだ降りていないそうなのだが、
役所から、とりあえず仮認定みたいなものが出たのだそうで、
介護保険のサービスの一部は使えるようになったと言っていた。
また、これまでも取っていた食材宅配サービスの会社が、
一週間単位で夕食宅配もやっていることがわかり、
それも利用してみることになった。

・このあたりで、姑もお世話になった訪問美容サービスの人に
実家まで来て頂けないか、電話で尋ねてみようと思っている。
早急にというほどではないが、母のシャンプーとカットを
家でお願いしたいと思うのだ。
母はこれまで、長くした髪を自分でまとめて結っていたのだが、
今は、ベッドにいることが多くなったので、長い髪は乱れやすいし、
脚の痛みがひどいと、手を上にあげるだけでも体側全体に響いて
髪を結う作業もしにくいと言っている。
ある程度、短く切ることは母本人の希望でもあるので、
体調やほかの予定を見ながら、来週にでも、
カットに来て頂けると良いなと思っている。

・きょうも、私から、おかずやオヤツなど差し入れしたのだが、
父のほうも、家事には結構、慣れてきたようだった(^_^;。
八十過ぎのおじーさんなのに、柔軟性が随分あるものだな、
とちょっと見直した(殴)。
おかゆを用意したり、うどんを煮たりできるようになったし、
総菜や冷凍食品を買ってきて、電子レンジで調理する程度のことは
ほぼ自由になり、献立も考えられるようになったそうだ。
冷蔵庫や冷凍庫の中の、消費期限の切れたようなものは、
ゴミの日に合わせてまとめ、処分するようにしている、とも言っていた。
これまで、タテのものをヨコにもしなかったのは、
する必要がなかったからであって、
その方面の能力が欠如していたからではなかった。らしい(笑)。

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朝から、実家母の整形外科病院受診があった。
舟入の○○整形外科というのを、かかりつけ医から紹介され、
市街地の病院なので、両親には介護タクシーで来て貰うことにし、
私はマンションから直接、病院に行き、現地で落ち合う、
という段取りになっていた。

のだが(^_^;。

朝、私の乗ったタクシーの運転手さんが、
○○整形外科病院は、舟入ではなく大手町だ、
と仰ったので、私は慌ててしまった。
確か、昨日、両親は舟入だと言っていた筈だが、
あれは何かの間違いだったか!?
舟入には同名の病院は無いのかと運転手さんに尋ねたら、
そっちは病院ではなくリハビリセンターがある、との返答だった。

私が、「リハビリをするのではなく、診察を受ける」と言ったので、
その運転手さんは私を、大手町の○○整形外科病院で降ろした。
しかし、案の定というか、そこには両親は来ていなかった。
私の記憶の通り、ふたりはやはり舟入に行っているに違いなかった。
父の携帯も母の携帯も、いくら鳴らしても一向に応答がなく
(なんのための携帯なんだっっ)、
仕方なく、介護タクシーに電話をしたら、
果たして、もう舟入で二人を降ろしたあとだ、との返答だった。

それから私は、あっちこっち訊いてまわって、ひと騒動したのだが、
結論は、私の乗ってきたタクシーの運転手さんの情報には誤りは無く、
確かに病院は大手町で、リハビリは舟入だった。
しかし、両親の話もまた全く勘違いではなく、
この○○整形外科病院というところは、とても規模の大きな病院で、
『外来受付はすべてリハビリセンターのほうで行っている』
ということが、病院で尋ねて、判明したのであった。
どんだけ紛らわしいハナシなんだ!
病院受診を希望する際の初診受付が、『病院』ではなく、
『リハビリセンター』のほうだなんて!!
知らんかったぞ、そんなこと!!

ともあれタクシーを拾い直して私は改めて舟入に向かい、
朝っぱらからヘトヘトになって○○整形外科リハビリセンターに到着し、
外来受付で、両親をようやく見つけた。
「あんた、えらい遅かったんやね。忙しいのに悪いね」
と母が初診票を書きながら、のどかに言った。
こちとら、今まで無駄にヒドいメにあっとったんじゃっ(T_T)!!

************

ということで、その、○○整形外科リハビリセンター(--#)で、
母は診察と精密検査を受け、結局のところ、ヘルニアと判明した。
3番4番の小さいヘルニアが痛みの原因だ、
と主治医の先生はMRIの画像を見ながら仰った。
3年前と全く同様の箇所だった。
更に、血流の検査や、上肢・下肢それぞれの血圧測定などから、
母の血管年齢は120歳であることも突き止められた(爆)。
運動して体重制限し、塩分を控えて血圧を下げるように、
と、近所の内科の先生とあまりにも同じことをここでも言われ、
母は不本意このうえなく、
「痛いのさえ止まったら、そりゃ何でもやりますけど」
と、ムッとして言い返していた。

処置としては、きょうはブロック注射を受けることになり、
その反応を見て、2週間後に再度、受診するようにと言われた。
注射をしても、別に痛みが楽になったようではない、
と母は帰りの支払いの段階ではまだ不満そうだったが、
私は、悪性疾患等でなくヘルニアだったことに、一応満足していた(笑)。
ヘルニアとなると、ブロック注射が効けば見通しが明るいが、
なかなか、そう簡単ではないかもしれない。
当面、ヘルパーさんをお願いして、治療のほうは痛みの管理に努め、
どこまで日常生活が改善できるか、やってみるしかないだろう。

ともあれ、また介護タクシーを呼んで、両親をそれに乗せ、
私はきょうは、実家には行かずにマンションに戻った。
実家のほうの手伝いをしてあげたいのはヤマヤマだが、
うちにも受験生がいるし、そうそう生活を変えることも出来ないのだ。
それに何より、私もきょうは非常に疲れたので、早く帰りたかった。
帰宅してみると、果たして娘が、
「どうも咽喉痛い。ワタシ風邪ひいたかも」
と言ったorz。

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・朝8時に舅宅に行き、姑愛用だった介護ベッドを
実家あてに発送するため、片付けと掃除をした。
業者さんは2人組で、約束通り9時過ぎに来てくれて、
大きな介護ベッドを丁寧に梱包し、
居間の掃き出し窓のサッシを外して、庭に運び出し、
道路に停めてあったトラックに積み込んだ。
その業者さんは、来られてわかったのだが、偶然にも、
過去の引越のピアノ運送でよくお世話になった会社だった(笑)。
その作業の終わる頃を見計らって、タクシーを呼んでおいたので、
私もまた、ベッドを出したあと、舅宅を戸締まりしてすぐ乗ったら、
途中でトラックに追いつき、道中延々と、
前後して実家まで一緒に走る格好になった。
うまく行った(笑)。

・実家では、父がもう、すっかり準備を整えて待っていた。
父は、私からの連絡を待たずに母を車椅子に移乗させたあと、
もとのベッドを片付け、解体まで済ませていて(爆)、
到着した介護ベッドは運び入れて設置するだけで、すぐ終わった。
本当は、使用中だったベッドをほかの部屋に移す作業も、
業者さんに頼んであって、「配送・家具移動・設置」で
見積もりを貰ったと、父にも母にも説明しておいた筈なのだが、
短気な父は、手をこまねいて待っていることができなかったようだった。
いや勿論、こういう面では父は非常に有能で、見事な仕事ぶりだと思った。
御蔭で「家具移動」の分は要らなくなり、2000円、安くなった(^_^;。

・母の病院受診&精密検査は、急遽、明日ということに決まった。
当初、明後日の予定だったのだが、かかりつけ医から紹介された病院では、
脊椎の専門の先生は金曜がお休みとのことで、
木曜受診が良いと先方から電話がかかってきて、繰り上がった。
そのための介護タクシーの手配も、きょうの午後、した。
結構、予約がいっぱいで最初すぐには来てくれる会社が見つからず、
焦ったが、ネットで検索して台数の多そうなところに電話をしたら、
明日の朝の予約が取れた。
病院からの帰宅の便も、そのときになって電話で頼めば配車可能で、
待ち時間は最大でも20分くらいだろう、と言われ、一応、安心できた。
8時半に受付開始とのことで、明日は朝から通院介助~(^_^;。

・ヘルパーさん派遣について、舅姑がお世話になった会社に頼んだら、
当時来て下さっていた方のおひとりから、昨日、お電話があった。
私のほうの実家はとにかく田舎なので、近い事業所も支店も無く、
その遠さのために、現実に、どの程度の訪問が可能かは、
目下、検討して下さっているところなので、
うまく実現するかどうか、まだはっきりとはしていないのだが、
それにしても、久しぶりにお電話で、懐かしいヘルパーさんとお話し、
昨日は盛り上がった(爆)。
『おばあちゃん亡くなられて何年になりますか?』
『○○さん覚えてます?』
『●●さんもまだ居ますよ』
『◎◎さんは今月ママになるんですよ~(^^)』
などと、ヘルパーさん方のその後の出来事を少し聞かせて頂き、
何か、同窓会で近況を聞くような嬉しさがあった(^_^;。

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・舅宅からの介護ベッドの発送作業は、明日9~10時より開始、
当日午前中のうちに実家到着、設置完了となる予定。
待つ間に母は車椅子に移乗、父はベッドまわりの片付け、
という段取りなのだが、果たして上手く行くだろうか(^_^;。
舅宅からベッドが出たら、私は戸締まりして、
すぐにタクシーで実家に向かうつもりだが、
私のほうが、荷物より先回りして着くことができるかどうかは、
道路事情にもよるが、やや不安かもしれない(^_^;。
まあ、なんとかなるだろう。と思っておこう(爆)。

・母が診て貰っている整形外科に、きょうは私が朝から行って、
先生にご挨拶をし、現状や今後についてのご意見を伺ったあと、
市街地の某整形外科病院への紹介状を書いて頂くことになった。
そこで詳しい検査を受け、場合によっては入院をして、
必要な治療を受けるということになりそうだ。
病状の緊急性よりも、先生がご心配になっているのは、
痛いから歩かない・歩けない、という状態が長く続くと、
高齢でもあるので筋肉が落ちてしまって、本当に立てなくなる、
ということのほうだと仰った。もっともだ(汗)。
明日のベッド配送が片付いたら、そのあと近日中に、
紹介して頂いた病院へ行くことにしようと思っている。
ちなみにきょうは、往診が続いてたまっていた支払いも、
私が、した(爆)。

・ヘルパーさんに関しては、舅姑がお世話になった事業所に、
とりあえず昨夜、事情を書いたメールを送ったら、
きょう早速、先方から電話があった。
しかし私はそのとき実家に行っていたので、留守電になっており、
さきほど改めて、こちらから連絡をした、
そうしたら今度は、先方の担当者が不在で、詳細が決められなかった。
私のほうが長い時間、家をあけていたので、申し訳ないことだった。
しかし応対して下さった方との間で、
依頼内容の説明と住所の確認は、することができた。
母の今後の状態と、介護認定の進行状況にもよるが、
しばらくの間は、ヘルパーさんに助けて頂けることを願っている。

・その他、きょうは両親に昼食を出し、母の清拭と口腔ケアを手伝い、
皿洗いをして冷蔵庫を片付け、車椅子の座布団と膝掛けを用意した。
姑の介護をしていた頃のことを思えば、
ベッド生活とはいえ、母はずっと体がきくし、
何より、あっちの世界を浮遊しているわけではないので(爆)
何をするにも、とても介助がしやすかった。
つまるところ、私に、こういうスキルがまがりなりにも備わったのは、
舅姑を自宅介護した日々の御蔭だったわけで(^_^;、
改めて、じーちゃん・ばーちゃんに感謝せねばならないと思った。
まったく、ここに来て活かされるとはな(汗)。

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