転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



……ということで、昨日は到着して小樽のホテルにチェックイン、
主人は早速大浴場へ、娘は小樽の街を散策、私は部屋で休息。
夕食付きではないプランだったので、夜は3人で居酒屋へ。

そして今朝もまた、天候に恵まれたので、3人揃ってバスに乗り、
娘の主目的である、余市のニッカウヰスキーへと出かけた。
4年前の夏にも来ているので見学は二度目なのだが、
何しろ今回は娘がウィスキーに目覚めていたので、
展示されている各年代の商品や、醸造の過程の展示などを
大変興味深く眺めている様子だった。
そして、最後は念願の(!)試飲コーナーへと。
有料つまみを購入してまで、主人と娘は
オンザロックやハイボールを存分に楽しんだ。
私は、例によってアップルジュースでお相伴(^_^;。

      

3人とも、ホテルの朝食ビュッフェで食べ過ぎていたので、
昼食は要らないということになり、余市から小樽に戻って
そのまま市内観光。
前に来たときには無かった「小樽芸術村」というのが出来ていて、
似鳥美術館、アールヌーヴォー・アールデコ グラスギャラリー、
ミュージアムショップなどのある複合施設になっていたが、
私はその中のステンドグラス美術館に特に心惹かれたので、
そういうものに感心のない主人と娘とは別に単独行動を取り、
しばし、中世ヨーロッパの世界に遊んだ。



お土産品として、チョーサーの『カンタベリー物語』のステンドグラスが
3万円超で売られていたが、さすがに買う気には、なれず(^_^;。

その後はまた3人で、小樽運河を眺め、堺町筋商店街を冷やかし、
北一硝子では主人と娘がまたしても日本酒とワインの試飲をした。

夕方には今夜の宿泊地・札幌へとJRで移動。
午後から結局、観光しつつソフトクリームを楽しんだり、
小樽「かま栄」でパンロールを食べたりしたので、
夜もさほど空腹でなく、主人と私はラーメン屋へ行き、
娘はひとりで狸小路を歩いて、目に付いた居酒屋に入り、飲んで帰って来た。
全然知らない街で、ひとりで店を物色し、一杯やって来るとは、
我が娘ながら天晴れ、漫画『ワカコ酒』状態だな(汗)。


これが、我々一家の、平成最後の一日であった(笑)。

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昨夕、東京に来て娘も交えて夕食をし、
改めて本日朝、羽田に集合し、家族旅行の始まり!
今回は、小樽と札幌。

北海道旅行はいつ行っても楽しいものではあるが、
今回なぜ、特に小樽方面を優先したかというと、
前回2015年に余市のニッカウヰスキーまで行ったのに、
娘は当時はまだ飲み方がよくわかっていなかったために、
せっかくのハイボールを味わう機会を逃した、
……と最近になってさんざん悔やんでいたので、
主人がリベンジを計画したのだ(笑)。

天候に恵まれ、快適なフライトだった。
羽田のチェックインも思ったほどの混雑は無かったが、
新千歳のバゲージ・クレームだけはかなり待たされた。
やっと荷物を受け取り、JRで一路、小樽まで。
途中の駅で桜の咲いている風景を見て、北海道に来たことを実感した。
季節が一ヶ月違う!

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この1年で実家両親が某ホームに落ち着き、もはや今後は、
もとの家に戻って再度生活を始めることはないと思われるので、
私はこのあたりで、実家のダイニングキッチンと父の寝室とトイレ、
ガレージとそれに繋がる土間、とを清掃することにした。
これらが、勝手口から入ってすぐの部屋とその両側の部分にあたり、
古い実家の中では、一番新しく増築した箇所でもある。
最低限、このあたりを人が居住できる程度に清潔にすれば、
これから、神社のご奉仕で夜中になったときでも、
私が両親の家に寝泊まりすることが可能になるだろう。

両親は若い頃はそれなりに整理整頓して生活していたと思うのだが、
それでも二人は基本的に、ものを捨てるということをせず、
「まだ使える」「いつか役に立つかもしれん」
と服でも道具でもとりあえず取っておき、それらを収納するために、
キャビネットを買ったり棚を作ったりすることが多かった。
私の記憶にある我が家は、規格の揃っていない家具が詰め込まれ、
猫が出入りしていたので床は常にざらざらで、
食卓にはいつも、新聞や文具、父の仕事道具などが乗っており、
食事のときには、各自、目の前のものを除けてスペースを作り、
どうにか皿を並べて、食べていたものだった。
……現在の私の感覚では、不潔・窮屈すぎて目眩がしそうだ(^_^;。

その二人がトシを取って、80代の後半まで暮らした自宅は、
だから、もう、凄惨と言って良い散らかり具合だった。
ダイニングキッチンもガレージも、
「捨て損ないの山が経年劣化したもの」
としか表現できないシロモノで満たされており、
私は先日、半日かけてそれらを点検し、要るものだけを選り分けた。
そして、広島市のサイトに、『市の収集では間に合わない、
条件が合わない場合』の依頼先として掲載されていた、
『広島市固形状一般廃棄物収集運搬業の許可業者』さんのうちの一社に、
処分のための見積もりに、22日(月)の朝、来て戴いた。
ダイニングキッチン、父の寝室、トイレ、ガレージ、
の不要家具・不要品、それに何年前のものか不明な食品の数々、
これらを一掃して貰いたいと頼んだら、
処分費用は9万円、とのことだった。

即決した

正直なところ、過去の引越の経験から、これだと10万は超えるだろう、
と踏んでいたのが、予想外の良心価格であった。
それなら、予算のうち余った金額で、ダ○キンさんをお願いしよう(^^)v。
これで、すっきり広くなった部屋をぴかぴかにすることができる!!

実際の作業は、今は予約が詰まっているとのことで、
5月の後半の某日・朝イチでやって戴くことになり、私には全く異存なく、
処分終了後の同日昼に、ダス○ンさんに見積もりに来て戴く段取りもし、
私は帰りに、意気揚々と某ホームに両親の顔を見に寄った。
父は機嫌良くベッドに寝転んで、テレビを観ていた。
用事が無いとキモちよく昼寝してばかりいるので、
本人は極楽だそうだが、体力気力が衰えるし、
何よりこのままでは足腰が萎える一方なので、
少しは神社の仕事など父にも言いつけたほうが(爆)良さそうだと思った。
また声を掛けることにしよう。

一方、母は、車椅子に座ってテレビを観ていたが、
来月ちょっと家の整頓と掃除をするから云々、
という私の報告を聞き流したあと、おもむろに、
「そういや、ここに居ったら、段ボールが簡単に手に入らへんねん」
と言い出した。

 私「この部屋で、段ボールを何にすんねん」
 母「そのへんのものでも、段ボールに入れておけたら便利やん」
 私「何を入れんねん(^_^;」
 母「洗濯の出来た服とか、ちょっと買うて来たもんとか」
 私「…………(^_^;」
 母「私ら、まず『便利』いうことを第一に考えとぉから」

母の言う『便利』とは、その都度片付けたり処分したりする手間をかけず、
『とりあえず』目の前から除けて入れておく場所があることを意味する。
かつて実家で、新しい棚を付けたり、チェストを買ったりして、
それまで散らかっていたものが収納できるようになるとそのたびに、
母は「これで『便利』になった」と言ったものだった。
あの家のああしたものどもは、つまり、こういう考えのもとに、
果てしなく蓄積されていったのだなと、今回の供述に私は深く納得した。


それにしても、恐ろしいのは、
今回私が計画している処分・清掃作業は、
文字通り氷山の一角である、ということだ。
築100年のド田舎の家屋を舐めてはいけません。
まだ母屋と土蔵2つがまるまる手つかずなのだ。
つまり、座敷8畳(床の間+神棚つき)に中の間6畳、玄関つづきの間6畳、
奥の和室10畳と納戸3畳☓2、母の寝室8畳、母屋の台所+パントリーもどき、
昭和50年代に旧・納屋を改築して住居の一部とした、納屋+二階3部屋、
そして二階建て土蔵がふたつ。
古いほうの土蔵の2階部分なんて、この半世紀ほどは、
誰も入ったことがないのでは。
少なくとも私は生まれてこのかた、一度もないぞ(^_^;。
何があるのだろうか、あそこには。

また、母屋に土間があるのは承知していたのだが、
先日、上記のゴミ処分を頼むために家を点検したとき、
自分がこれまで少なくとも20年くらいは入ったこともなかった場所に、
更に土間がもうひとつあることを発見した。
ここには、いつのものか不明な、見るからに古い、
「取り外した流し台と調理台」が、ぽつんと並べて置かれてあった。
一体、どこから持って来たものなのか、なぜ今まで捨てなかったのか???
何かの記念?もしかして呪いのナントカ!??

まあ、先ず隗(カイ)より始めよ、ということで、
とにかく私の寝泊まりスペースの確保から、着手することにします(泣)。

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「そんなに毎年優勝せんでもええ」
と私は一度ならず言った。
それは本心だ。今も。
過去3年、いずれも夏前にして優勝を逃すなど許されない独走体勢に入り、
こちとらは、ひとつ負けただけで「終わりの始まりか」と心が騒ぎ、
残りのシーズンを観ているのが、本当にしんどかった。
これは15年連続Bクラスだった頃には、想像もしていなかった心境だ。
だから、私は四連覇など、積極的には望んでいない。嘘ではない。
しかし、言った途端に、カープがズンドコ最下位定着するとは、
さすがに、思わなんだ(^_^;。

マツコこと松山竜平は打撃の調子が上がらず、
彼の打順になるたびにチャンスが潰され、
更に日々、守備でもエラーの山を築いていたので、
「松山さえ居なけりゃ」
と4月になって以来、私は5回は言った。
「九州場所(=巨人戦@鹿児島、熊本)が済んだら幕下(=二軍)行っとけ(--#)」
とも、大きな声で、言った。
しかし、よもや、マツコが頭部死球で救急搬送→登録抹消、になるとは、
わたしゃ予想だにせんかったんだよ(T_T)。


ごめんなさい(T_T)。
もう言いません(T_T)。
私が悪ぅございました(T_T)。

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春の健康診断の季節になった。
日頃から血圧を診て頂いているかかりつけ内科で、
過去数年、5月に検査されることが続いていたのだが、
今年は先生がなぜか、4月の今、
「そろそろ採血しときましょうか」
と仰り、特に反対する理由もないので同意した。

ということで昨日朝、食事前に出かけて採血し、
結果は翌日午後には出ていると言われていたので、
きょうの会社帰りに寄って、結果表を貰って来たのだが、
例によって特記事項は無かった。良かった(汗)。
GOT22、GPT13、γ-GTP15、血糖87、HbA1c5.3、中性脂肪95等、
肥満体ゆえに引っ掛かりそうな箇所が、案外問題なかった。
勿論、それだからと言って、痩せなくてよいという話ではないが(汗)。

総コレステロール226に↑がついていたが、
HDL-Cが74あるのでこの値はこれでよろしい、
と先生は仰った。ホントですか。善玉でも70台って多くないスか。
腎機能に関しては、6年前に尿路結石をやったときに、
右腎盂が後遺症で若干開いてしまったので、
それ以来、いつも気に掛けながら過ごしているのだが、
今回のクレアチニンは0.66で、昨年秋より数字的には改善しており、
誤差範囲だとしても、嬉しいことだった。
ヘモグロビン13.5で、2008年に筋腫の手術を受けて以来、
貧血の問題からも解放され、これまた有り難く思った。

この血液検査に先立ち、先週は乳がん検診にも行った。
市の受診券が送付されて来たので、
前の検診から2年経ったことを知り、仕事の合間に出かけたのだ。
マンモ、視触診、エコー、何も異常は認められなかった。
ちなみに、いつものことだがマンモは全然痛くなかった。
挟まれた贅肉が多少つっぱる感じはしたが、
胸本体はノされても特にどうということはなかった。
もはや私の胸は、ただの脂肪の塊同然になっているのだろう(爆)。

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昨夜は、カープがまたしても大記録を打ち立てた。
延長戦1イニング最多失点記録 12点』(対ヤクルトスワローズ)!
日本新記録だそうだ。何をやってもカープは半端ないね(爆)。
2009年『1イニング最多失点 15点』(対ロッテマリーンズ)のプロ野球記録、及び
2011年『50イニング連続無得点』の金字塔的セ・リーグ記録とともに、
後世に長く語り継ぎたい
と昨日は思った。

マツダの惨劇…広島、V率0% 延長で1イニング12失点のワースト(SANSPO)
『(セ・リーグ、広島3-15ヤクルト=延長十回、2回戦、ヤクルト2勝、10日、マツダ)優勝確率0%。4連覇を目指す広島が、屈辱的な数字を突きつけられる大敗で、12年ぶりの開幕から4カード連続の負け越しとなった。』『延長十回表に3失策が絡んで、ヤクルトに一挙12点を勝ち越された。延長での1イニング12失点はプロ野球ワースト記録。』

昨夜のTwitterでは、長くカープを観ているファンたちが、
「懐かしい」
「昔のカープに戻った」
「前は、こんなんしょっちゅうあった」
等と書いていたが、いやいや、さすがに
『3-3で延長戦突入、10回表だけで12失点』
というのは完全に新しい負けパやで(^_^;?

春先からいきなりコケ続けていること自体は十分に既視感があるし、
そもそも「カープは鯉のぼりまで」というのもイメージ先行に過ぎず、
データの裏付けとしては弱い話だ。
むしろ、「4月の借金は結局シーズンの最後まで祟る」
と言ったほうが、私にとっては近年の印象としてピッタリ来る。

なので、勝敗や順位のことは「そりゃ残念やったね」程度にしか思わないが、
今季は失策が多すぎ、どういうチーム状況なのかとその点は心配だ。
「野手が打たん上にエラーしやがる」
というのはマエケンが投げていた頃によく見たパターンだが、
現状は、失策の内容やタイミングが無様過ぎるぢゃないの(^_^;。
打撃だけなら「丸が居ないから」で説明できるかもしれないが、
守備の駄目さ加減は、何が理由なのだろう?
「新井さんが退めてしまったから」?

まあ、シーズンは長いので、どこかで立て直せれば良いなと思っている。
このところ、優勝!優勝!という熱い応援が地元で3年も続いて、
正直に言うと、私は少しシンドくなって来ていたのだが、
今は、追いかけるしかない展開になった御蔭で力が抜け、
それはそれで、ラクになった。
何より、この3年間、かなり良い思いもしたことだしねぇ(^_^;、
カープが何年でもリーグ優勝を独り占めし続けていれば満足か、
と言われると、やっぱりそれは違うよと思うワケで。


……などと鷹揚に言えるようになったのも、ひとえに3連覇したからこそだ。
さすがに3年連続で優勝すると、「金持ち喧嘩せず」的な余裕が(違)
こちらの心にも生まれたわけですよ。
『喧嘩』って他球団とではないよ、球団フロントとだよ念のため。
15年連続Bクラスをやっている最中に、今みたいなカープを見せられたら、
「はよ死んで」と(誰にとは敢えて言わんが)思っただろうけども(逃)
今年に関しては、そういうところまでは行かない。
地元で見ていて、昨今のファンの暴走には如何なものかと思うところがあるし、
球団の運営方針では、それをさばききれないのだなと呆れることも多々あった。
やはり、Aクラスの年もBクラスの年もいろいろなくては、
チームの周辺全体がおかしくなって来るものなのだ。

ただし!
これだけは言いたい!!
またしても25年間一度も優勝しないとか、15年連続Bクラスとか、
そういうのだけは、二度とご免だ。
Aクラスに入ることは、今後も普通に、起こって欲しいし、
それなりに優勝だって、して貰わなくては困る。
1992年に、10年ぶりにBクラスに沈んだとき、
「でもまあ、またそのうち優勝するだろう」
と広島の誰もが軽く思った筈だが、よもやそれが、
25年も先の話になるなんて、あんまりにも、あんまりだったよ(--#)!!
このあいだナベツネ氏が、
「もういっぺん優勝するまで死ぬわけにはいかない」
と発言されていたが、カープなんて、一世紀の四分の一もの間、優勝せず、
その期間に、どれほど大勢のファンが、無念と失望のうちに死んだことか。
可哀想過ぎただろうが!!

飽くまでも、「いろんな年」があってくれ、と私は言っているのだからね?
そうでないと、再び真剣にDEATH NOTEが欲しいという話になるんだからね!?
そこんとこ、ヨロシク。


ちなみに、『18年間 連続Bクラス』(1950年~1967年)というセ・リーグ記録も、
カープが持ってんのよねぇ(^_^;。

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ポゴレリチが、米Sony Classicalと新たに長期契約し、秋に新譜を出す、
という話になっている。
曲目は、ラフマニノフのソナタ2番と、ベートーヴェンのソナタ22番・24番。

Ivo Pogorelich joins the Sony Classical roster(4th April 2019)

ポゴ氏が言うには、
「昔、ソニー創業者の盛田昭夫氏から、当時のソニーの技術により実現した、
ラフマニノフ本人の音源のリマスターのセットを貰ったことがある。
今回のソニーへの最初の録音として、私はラフマニノフのソナタ第2番作品36を
弾くことになっており、この繋がりを大変嬉しく思っている。」

以前、ポゴ氏は、
「私は、録音は演奏家の義務であると考えている」
と発言していたが、インタビューで計画が語られても、
実際に80~90年代のような録音活動が再開されることは無かった。
ラフマニノフもベートーヴェンも、彼が長年、
自分のレコーディングの候補曲として挙げてきたものだったが、
なかなか具体的なかたちにならなかった。

そのような中で2016年に一度、Idagioから
ベートーヴェンの22番と24番の2曲がネット配信されたのだが、
これまた、以後の録音が続くことはなく、それどころかIdagio自体、
いつの間にか日本からアクセスできなくなってしまった。
やはりデジタル配信なんか駄目だ、と年寄りの私は恨めしく思った。
いくらアナクロと誹られようとも、私は、
「ただのデータ」ではなく「ジャケットのついたCD」こそが欲しい。
こんな細切れの曲単位の配信では、「アルバム」としての妙味が全然無いし、
そもそもアナタ、ネット配信がいくら貯まったところで、カタチが無いんだから、
演奏会後のサイン会で彼にサインを貰うことができないじゃないの(違)!

しかし、ソニークラシカルの御蔭で、ああ、とうとう、
彼の新譜が日の目を見るのか!!98年以来、初めての!!
カップリングがベートーヴェン2曲というのも私には大変有り難い。
大空に飛翔するソナタ22番、幽霊による癒やしの歌(爆)24番『テレーゼ』、
……いいじゃないか~~。


実現するよね!?



追記:CDジャーナルに上記内容の日本語記事もUPされた。
ピアノ界の異才イーヴォ・ポゴレリチがソニー・クラシカルと専属契約締結 21年ぶりの新録音発売
(2019/04/08 12:41掲載)

ベートーヴェンのほうはエルマウ城で収録した、とあるので、
Idagioから配信されていたものと同一であるようだ。
これでやっと、CDとして手に入れることができる!!

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今年は夜桜を見に行く時間が取れなかったが、
昼に、仕事の合間に縮景園の桜を見ることが叶った。
満開を僅かに過ぎた状態だったが、
まだ、園内のあちこちに桜が残っていた。

  
   

ひとり花見の最中、庭園内の石ころのある道で、左足を捻ってしまった。
転ぶほどではなかったが、左足の外くるぶしに鈍痛が残った。
ここは14歳のときに平均台から落ちて捻挫をした箇所で、
41歳のときにも段差のある道で転んで剥離骨折してしまい、
以来、ハッキリと自分の弱点になった部分だった。
無傷の右足なら踏みとどまれるような、道のちょっとした凸凹で、
左足のほうは外くるぶしのところが簡単にぐるんと回ってしまい、
酷ければ転倒するし、そうでなくても捻ってしまうことが最近は多い。
「捻挫はクセになる」というのはこれのことだなと、
昼下がりの縮景園で、思った(汗)。

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午前11時40分、菅官房長官が会見し、新・元号は「令和」と発表された。
第一印象として私は、「響きが綺麗で、良いな」と思った。
どーでもええことに関しては、私は概して寛大で肯定的である。まず褒める(逃)

「令」は漢文では使役なので、「和せしむ」と読めるが、
官房長官の説明によると、万葉集の巻五、梅花の歌三十二首の序文
「初春の令月(=めでたい月)にして、気淑く風和らぎ」
に拠った、とのことだった。
その後の安倍首相の会見では、
「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」
という意味を込めたとの談話があった。

Twitterでは早速、
「これから生年月日を書くのに、R12やR18の人が出現するのか」
「R-1ヨーグルトの特売は無いのか」
等の発言があった(笑)。
私のタイムラインでは、多くの人が新・元号に好意的で、
イベント的に大いに楽しんでいる様子だった。
「令和○年に『018(レイワ)』を足すと西暦になる」
との指摘もあった。

私が幼かった頃、自分ちでも世の中でも、
じーさんばーさんたちは皆、明治生まれだったものだが、
これからの、令和世代の子供たちにしてみれば、
両親が平成生まれ、祖父母は昭和生まれ、ということになるか。

*************

新しい元号は何になるかと、発表までに様々な予想がなされ、
ここ数日、テレビでも各種記事でもネタになっていたが、
その中に「永明(えいめい)」というのがあり、
「ええ字やが、それは和歌山の雄パンダの名前や(^_^;」
と私はひとりでウケていた。
エイメイは15頭の繁殖を成し遂げた、床上手で有名なヤツである(逃)。
アドベンチャーワールドのパンダは、カンカンランラン方式でなく、
皆、異なる漢字二文字を組み合わせた、中国語の名前を持っており、
うっかりすると元号とカブりそうであった。

*************

今朝のワイドショーの中で、
「平成」発表時の官房長官秘書官だった方が当時を回想して、
「(発表用の額の)上下を間違えたらいけないと。
私のミスで逆になっていたら切腹モノだから」
と語っていらして、「切腹」という時代錯誤な用語に笑ったが、
確かに新・元号の初めての御披露目が「逆さごと」では縁起でもない。
あの一瞬のために、それはそれは凄いプレッシャーだったことだろう、
と今更ながら、関係各位の御苦労がしのばれた。

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