明治百話(下)篠田鉱造著

2013-03-28 00:00:27 | 書評
meiji100ge『明治百話』の後半。前半の冒頭は、首切り役人の話だったが、後半スタートは、同じ斬るでも、髪の毛のこと。断髪令によって神風が吹いたのが、髪切屋である。

何しろ、ちょんまげやら、なにまげやら、日本人は、一番偉い人から底辺の人まで、みんな髪を結っていた。だいたい床屋というのは、「髪結い」だったわけだ。それが髪切りに名称変更になる。首は斬るものから縛るものに変わり、髪は縛ることから斬ることになった。

といっても、西洋風の鋏があったわけではなく、長い髪を切り落とすにはずいぶん器用が必要だっただろう。最初はいさぎよくなく解いた髪を下の方だけ切りそろえて帽子のようにする人が多かったようだ。

それと、現代の床屋は、客が店を訪れるのだが、明治の初めは、床屋が、客の家に行って切ることもあったようだ。

それとサムライ。旧殿様が元家来に髪を切れといっても、なかなか言うことを聞かなかったそうだ。特に官軍側の藩が抵抗したらしい。(その気持ちは、よくわかる。負けた方は、さっさと過去を捨て去って新生活にむかいたいものだ)

そして、旧大名屋敷に招かれると、集団断髪式みたいなことをやっていたそうだ。まるで忠臣蔵の集団切腹みたいなものだ。チョキチョキチョキチョキ。


三越の話も面白く、「小僧心得」といって、店員教育の小冊子があるそうだ。要は客の見極め方。感心するのは、「買いそうもないお客を大切にする」という精神。今でも同じなのだろうか。「釣った魚にえさは要らない」と心得る。


ところで、岩波文庫で上下巻で600ページにわたるのだが、特に明治の文章が読みにくいということではないのだが、どうしてなのだろう。あまりコトバは変っていないのか、古いものばかり読んでいるうちに明治語も苦もなく読めるようになったのか、あるいは、加齢によって頭が硬化してきて、明治的思想になってしまったのか。それでも昭和主義者よりはましだろうか。真相はつきつめないことにする。