御一新から国会開設へ

2008-01-27 00:00:28 | 美術館・博物館・工芸品
05aedac3.jpg 東京竹橋の国立公文書館で行われている「御一新から国会開設へ」展を覗いてみる。何しろ無料である。そして、日本が今日にいたった様々なエポックの文書的裏付けが展示されている。多くは本物である。しかもガイドフォンを借りれば、解説を聞くこともできる(が、その解説が正しいという保証はないことは忘れてはいけない。あくまでも、誰かによる歴史解釈の「見解」ということ。)

今回(~3月21日)の展示は明治維新について、慶応3年(1867)年の王政復古の大号令から帝国議会開設までのあゆみを資料で追ったものである。現代から見れば、明治初期に行われた近代社会への出発は、ビッグバンとかアダムとイブのように渾然一体とした世界だが、それなりに実行された順序があって、その順番の前後が歴史の綾をなしているともいえる。何しろ、原典というのは、様々なイメージが湧き出す泉みたいなものである。原典を歴史学者や歴史家、ご都合主義の政治家が勝手に解釈したものしか、普段の我々は見ることができないわけだからだ。

では、具体的にエポックを追ってみる。

王政復古の大号令(慶応3年12月9日)、戊辰戦争(慶応4年1月から明治2年5月)、五箇条の御誓文(慶応4年3月)

版籍奉還(明治2年1月)
 ここから、実質的に新政府の行政が始まるのだろう。長州・薩摩・肥前・土佐の四藩主の名で「版籍奉還」の上表が提出される。奇妙なのは、俗に薩長土肥と四藩を称するのだが、この時、四藩連名は長、薩、肥、土の順になっている。この長薩肥土と薩長土肥の差はなぜだろうと、いくら考えてもわからない。

平民に苗字を許可(明治3年9月)
 いわゆる四民平等だが、四民に入らない人の人権について、新政府がどう考えていたのか。よくわからない。また、主に旧大名対策には公伯子男という貴族制度を導入したのだが、欧州の貴族と決定的に違うのは、その経済的基礎。安定的な領地を認めなかったため、空気の補給のないダイバーみたいなもので、酸素ボンベと肺活量が品切れとなった今日、枕を並べて没落した。

廃藩置県(明治4年7月14日)
 強権発動である。全国の藩主を全員クビにして、藩のかわりに3府302県を設置し、政府が県知事を任命。その後、県は50弱に行政統合され、せっかく県知事ないなった者も、ほとんどがクビになる。この辺りまでが、西郷、大久保の共同作業だった。

05aedac3.jpg岩倉使節団明治4年11月~明治6年9月
 問題の1年10ヶ月の岩倉使節団である。米国、欧州に視察に行ったのが問題ではなく、視察に行った大久保と国内に残った西郷が仲たがいをすることになる。出発に際して、使節団(大使)が帰国するまで重要案件は決めないことになっていたのにかかわらず、西郷はどんどん、改革を進めてしまう。その時、使節団と留守番組との間に12条の約定が結ばれるのだが、その問題の部分は第六款である。

内地の事務は、大使(使節団)帰国の上、大に改正する目的なれば、その間、なるだけ新規の改正を要すべからず。
万一、これを得ずして改正することあれば、派出の大使に照会をなすべし。

結局、日本的あいまいさが残る文章である。要するに重要事項は2年間、棚晒しにしておくように、ということだが、何をもって重要なのか、また「使節団に照会する」というのが、事前了解なのか事後了解なのか判然としない。まあ、実際には、使節団側も何が重要案件なのかわからなかったのだからしかたないと言えばそれまでである。しかし、西郷は、改革に驀進するのである。

学制明治5年8月
 学制が決まる。小学校から大学まで制度ができる。全国を8つの大学区に分割してしまったのもこの時。帝大支配は長く続く。

徴兵令明治5年11月
 いずれ、国軍が整備されるのは時間の問題だっただろうが、西郷の改革は突き進んでいく。

地租改正明治6年7月
 今まで、税(年貢)は石高制だったのだが、その土地の有む産出額に応じて徴税することになる。まったく近代的な税制が導入される。よく考えると、現代より先進的なのかもしれない。こうして見ると、西郷は、使節団がいない間にずいぶん大仕事をしている。それらはすべて重要事項なのだから、使節団には、内緒か事後報告かいずれかだったのだろうと思われる。

そして、西郷は征韓論を用意して使節団の帰国を待ち、政権は分裂し、中央集権国家を目指すもの、議会制度を目指すもの、そしてなぜか下野した西郷は担がれて、不平士族と一緒に雪隠詰めにされる。


これらの資料は、公文書館のすばらしいホームページで見ることができる。もちろん、画像ではなく本物の方が感動するのは無論のことであるが、展示物はゆっくりみることもできないし、歴史じっくり感動派にはホームページは便利である。

ところで、ホームページの一番上に、「非常勤講師の募集」という不粋な記事が掲載されていた。ちなみに3月1ヶ月間(20日間)1日7,390円でホームページの製作作業をするようだ。一ヶ月で14万7800円になる。安過ぎるのではないだろうか。時給7,390円かと思ってアルバイトに行こうかと思ったが、勘違いだ。

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