三つの妙な話

2007-06-14 00:00:44 | 市民A
ブログを書き続けると、奇妙な感じになることがある。妙な符合だ。


最近、大西さん貞子さんのところで、「六本木ヒルズは不吉だ!」、という話がある。少年が回転ドアに首をはさまれたり、ライブドアに続き、グッドウィルもということで、風水だとかなんだとか・・(グッドウィルにとって不吉かどうかよくわからない。たぶん幸運なのかもしれない)

かなり前に、ある調べものをしていて、この六本木ヒルズに隣接する毛利庭園は、このあたりの広域が毛利家の屋敷であったことを示しているのだが、かつて、この地で惨劇が起きたことを知り、ブログの片隅に書いた記憶がある。

それは忠臣蔵で討ち入りをした赤穂浪人の何人かが、この毛利藩預かりになっていて、結局、この場所で腹を切り、介錯人が首を落とした。少年がエレベーターに挟まれたのは頭である。

その時に、なぜ京都では長州屋敷というのに江戸では毛利屋敷と呼ぶのか、と疑問を書いていたのだが、妙なところでわかった。六本木ヒルズの位置は長州藩の支藩である長府藩の屋敷だった。だから長州とは言い切れないわけだ。(長府は今の下関である。)

しかし、その情報を知ったのは、ヒルズから10分ほど離れた場所乃木坂にある乃木将軍の住居である。そこに記載されているプロフィールを見ると、乃木将軍は長府藩江戸屋敷、つまり六本木ヒルズで生まれたことがわかった。そして、日露戦争で一時大苦戦に陥り、責任をとって自殺しようとしたところを明治天皇に止められ、後日、天皇の葬式のあと、夫妻で腹を切った。彼が死んだことは、その後の日本陸軍史上、「失敗したら自決→特攻攻撃」という概念に結びついていった可能性があるのだが、案外、幼年期には毛利庭園で、切腹ごっこでもして遊んでいたのかもしれない。


次に、最近、ある若い女性の手とも思えるブログを読んでいた。そこに、6月8日号として田中角栄の言が紹介されていた。ところで、私は、翌日号のブログ(つまり前日8日の夜にアップ)では「将棋紳士録」という本を紹介し、その中に田中角栄が書いた色紙のことばを紹介している。「静観自得」。別に、どちらのブログでも「突然、田中角栄」なのが奇妙だ。将棋関係のエントリは毎週土曜日としているので、その数日前にだいたい完成していて、パソコンの中にあるだけなのに。


6f80519e.jpg三番目が、一昨日の富岡多恵子の新刊評の中で、作者が若い頃に書いた「詩集」の代表作として「カリスマのカシの木」を一行だけで書いたのだが、アップ寸前に、「樫の木」だったか「カシの木」だったか思い出せない。書棚の奥の方には詩集があるのだが、いかにも読むのは大変だ。

そのために「富岡多恵子 カリスマの樫の木」で検索してみた。googleではヒットなし。ところがYahoo!で検索すると、・・一番上に出てくるのが、おおた葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい2006年7月分であった。これは驚く。例えば、既にエントリをアップしているなら考えられなくもないのだが、まだ原稿を書いている段だ。自分のパソコンの中にテキスト形式で制作中なのだ。

気持ちが悪いので、よく観察してみると、富岡=富岡八幡宮(薩摩藩お抱え横綱がここに横綱の碑を立て、芭蕉もここに住んでいた)、多恵子=富岡多恵子(伊藤たかみと角田光代の夫婦の関連記事)、カリスマ=カリスマトレーダー、樫の木=刀のつかの話(藤堂高虎の家訓中に登場)


ブログと離れた話だが、最近、旧友とふとしたことで再会し、大昔に人生の謎として終わっていたことに解決がつくことが続いている。

人生の予定調和論などまったく信じないのだが、仮に、すべての中途半端な事象が突然割り切れてしまうと、予定調和論的に言うと、そこで人生が終わることになってしまう。

もっと大量に不条理をばらまかなければならないのだろう。

blog改善のため、再チャレンジ始めました。

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