除夜の鐘を響かせる

2012-01-02 00:00:01 | 市民A
12月31日、夜11時過ぎ、除夜の鐘を撞くために出発する。徒歩30分のところにある天台宗の寺院に向かう。天台宗は宗派違いなのだが、特に大震災で亡くなった2万数千人の方々の無念を思いながら年を越えようと、あえて宗派を超えて祈念に向かうことにした。思えば3月11日の日に、あえて都心から30キロ歩いたことも、被害者への心のアプローチであったのだが、さらにその続きでもある。

とはいえ、夜道は冷たく、さらに犬の落し物などあって歩くのはつらい。コンビニにはマユゲの欠落したオニイチャンたちがタムロしていて目を合わさないように歩く。

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そして、やっと目的の寺院に到着した11時半から鐘撞きが始まった。既に人の列は長い。墓地の中に列を作り順番を待つ。しかし、鐘は煩悩の数と言われる108回だけ撞かれるのではなかっただろうか。どうみてももっと大勢が並んでいる。みるみるうちに後ろにも人が繋がる。立ち話が耳に入ってきたが、「YOKOHAMA WALKER」誌に鐘の撞ける寺、と紹介されていたそうだ。(翌日の町の噂では600人、朝の3時まで続いたそうだ)

ところで、煩悩だが108というのは、煩悩の種類だそうで、すべての人がそれだけの俗っぽい悩みに取り憑かれているわけじゃない。逆に煩悩から解放されるために仏門の修行があるのではないだろうか。

自分の場合、概ね10個程度の煩悩があるように思うが、実のところつきつめればもっと少ないのかもしれない。5個位か。さらに、いくら鐘を撞いても解決できないだろうとも思うわけで、自分のことはさておき、東北の犠牲者の無念に心を集中させることにする。

そして、お約束は、鐘1個と決まっている。一人で5つとかいうわけにはいかない。となると、鐘撞きの瞬間に気を集中させなければならないのだが、これが各人各様の撞き方なので結構個性的に難しい。鐘木(鐘突き棒)と鐘の振り子運動のタイミングを間違えて、かすったような小さな音しか出ない人や、明らかに自分の私欲を叶えようと意地汚く鐘が割れるように力いっぱい撞く人もいる。

なんとなく、ゴルフのスイングのタイミングと同じだなあ、ということに気付いて、自分の番になりバックスイングを大きくとって、最後は鐘木を放り出すようにして、ぶつけると音は高からず低からず大きからず小さからず。予想していたよりも上手に鳴り響いてくれる。すかざず、わずか数秒の祈念ではあるが、犠牲者の心に一歩だけ近づけたのではないかと感じた。

こうして、暗闇の中で2012年が始まった。


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