江戸の水・東京の水

2005-07-15 20:14:01 | 市民A
7db9edfc.jpg「江戸っ子」と自称するには三代にわたって江戸に住まないといけないそうだ。私は、約2年間だけ住んだことがあるだけで、今は神奈川。親の代は千葉だし、祖父の代は西日本だ。だから、まったく江戸っ子無資格だ。

しかし、江戸と東京というのも微妙にずれていて、東京都民だからといって、江戸っ子資格に参入できるかというと、違う。三多摩はだめだ。実は西の境界は、「新宿」というのが一つのポイントである。江戸払いだとここから先に出て行かなければならない。

ところが、実際には中野あたりまでは江戸という認識があったようだ。綱吉の建てた広大な犬御殿は中野駅の場所なのだ。つまり、新宿から中野のあたりは「あいまいな場所」ということになっていた。純日本的だ。

そして東に行くと隅田川より東側に広がる下町地区(正式には東京低地というらしい)は、「川向こう」と呼ばれ、言葉の上では江戸外であっても実際には江戸内であったわけだ。そして、正式に「下町も東京(江戸)」と認識するようになったのは、なんと昭和のはじめに人工の「荒川放水路」を「荒川」と河川として認知した時だそうだ。

つまり、東京の東境界が隅田川から荒川になったわけだ。とすると、実際には荒川より東に江戸川があって、そこまでが東京都なのだが、江戸川区の住民はまだ東京人ではないのだろうか。もっともその先の千葉県浦安市には東京ディズニーランドがあったりするので、やはり純日本的だ。

というような、水に関するよもやま話を、教えていただいたのは、葛飾区の学芸員である谷口榮さんである。新橋にある学習センターで行われた「江戸の水・東京の水」という講義だ。

教室には約20名。年齢は30歳から80歳までと超幅広だ。そして、地元港区民が多そうだ。非江戸っ子は肩幅を狭くして座る。都内の学芸員の方はなにしろ詳しい。江戸は長い時間、有機的に発展してきた町なので、調べ始めると興味がつきないらしい。そして、資料や遺跡はあちこちから無数に出てくるので、研究に追われているようだ。

特に、意外な話だったのは、上水の話だ。以前、聞いた話では、「江戸は上水を引いたことでその100万人都市を維持していた」というのは「ウソ」だということだそうだ。

上水による飲料水確保という政策は江戸初期の話で、一時、六大上水という形で、玉川、神田、本所、三田、青山、千川と完成したそうだが、このうち玉川と神田を除く四上水は享保7年に吉宗が廃止してしまったそうだ。要するにコストが高いということだ。

そして、民間事業として井戸堀が奨励されるようになったそうだ。

つまり吉宗と小泉首相とは政策的に類似している。吉宗は、驚異的な読書家で、江戸城内の紅葉山文庫(図書館)に膨大な閲覧記録を残して、後代の将軍の不勉強さに恥をかかせている。もしかしたら、小泉回想録でも読んで勉強したのかもしれない。

講義でつかわれたコピーの中に、東京水道橋の文字通り水道橋の図があったので、ネット上で探すと見つかった。「江戸名所図絵」からだ。そして、まったく同じ場所で先日、撮影していた(東京は狭いのかな?)。そして、この水系は川ではなく、江戸城の外堀なのだ。

江戸の画図で現代に残るものはたくさんあるのだが、その中に登場する「水」は遊びに関するものが多いそうだ。「釣り」や「花火見物」や「酒や弁当を持ち込む舟遊び」など。まあ、世界の大都市の中でもっともふざけた町は東京だと思うので(もちろん二番目は大阪)、その精神は過去から現代につながっているのだろう。

講義は来週も行われるのだが、それは江戸でのリサイクルについての話。なんかクサイ話になりそうな予感もあるが、どうなのだろう・・


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