大阪の、北の外れ。
「奥座敷」とも呼ばれる緑豊かなその土地は、
僕が不遇な小学生時代を過ごしたところだ。
かといって僕はこの土地を忌み嫌っているわけでもなく、
むしろ少年時代をああいう環境で過ごせたのは幸せだと思っている。
この「不遇」の2文字は結局、学校と父親によるものだ。
とにかく学校が僕に押しつけるものは平等という名の不公平、
秩序という名の思考停止であって、
父親は僕にとっては権威と暴力の権化だった。
そんな中で自分なりの在り方を求めて、
何を言ってもやっても否定され続ける毎日が、僕を押しこめていた。
実際は違ったのかもしれない。
僕の主観による回想と総括であって、
傍目から見ればもっと違う風に見えているのかもしれない。
ただ自分の中でもうまく消化できない思いやわだかまりがあって、
それを上手に自制の利いた形で表現する巧さも持っていないから、
公立小学校教師や教師の忠実なるしもべであるところの生徒達には、
とにかく厄介な、秩序を乱す異端者であったには違いない。
先生にはとにかく嫌われたし、「先生支配」の王国の中では、
僕はまさに「非国民」であり、石をぶつけて蔑むべき存在だった。
「友達の友達がアルカイダ」じゃないけれど、
「非国民」の友達になろうなんて物好きがいるはずもなかったし、
「孤独」以外に自分自身を形容する言葉を、当時の僕は知らなかった。
いまなら、「孤高」と言い切る図々しさがあるけどね(笑)。
まあ、よくある話という風に片づけて貰って構わない。
父親は僕の心を感じようとはせず、
いつも上から目線で自分の主観をぶつけ、
ただ僕の未熟さを指摘し、怒鳴り、殴った。
そういう問答無用の厳しさが愛情であるとカンチガイしていたのか、
それとも彼自身もまた親の愛情に飢えて育ったがゆえに、
「親子」という経験値が乏く、拙かったのか。
はたまた「厳しい父親」を演ずる自己満足だけだったのか。
今となってはもうわからないし、
問うて語り合ったところで、
もっともらしい後付しかもたらされないかもしれない。
そんなわけで当時の僕には、学校も父親も監獄でしかなかった。
だから僕の悲願は「脱出」。
そう、僕の中学受験は決死の脱出劇だったのだ。
窮鼠猫を噛むのことわざ通り、追い込まれた人間は信じられない爆発力を生む。
それ以外にあの難関突破を可能にした理由が見当たらない。
今、自分の受験した年の入試問題見ても、なんで受かったのかよくわかんないしね(笑)。
だから、普通受験突破は人が過去の栄光として語る部分だが、
僕にとっては、今ある自分の全てのルーツ=「脱獄」なのだ。
いぶろぐの感想と思われる他のブログ記事で、
高学歴ゆえの低人格(笑)みたいな斬って捨てられ方をすることも少なくないのだが、
この点、よく知りもしない人に、
学歴社会の序列の中だけで価値を論じられるのは非常に不愉快だね。
さておき。
脱獄囚が自分の囚われていた牢獄を外から振り返りたくなることはあるだろうか。
僕はそんな心境でかつての土地を眺めに行くことがある。
むしろ、人よりもその傾向が強いかもしれない。
なんて言うんだろう、自分がかつて苦しんだ環境を、
余裕が持てる様になってから眺める爽快感というのか。
レベルが50越えてからスライムとか滅多切りにするのに似ているかな(笑)。
暗いなあ、オレ。
で、夢をよく見るのだ。
当時の夢だったり、大人になってから向こうを訪ねる夢だったり。
昨日は丘の上に立つ一軒家を訪ねる夢だった。
明らかにその土地の一角であることは判るのだが、
その丘と一軒家は架空だ。
そして僕は誰の家なのか知ってるはずもないのに、
なぜかためらうこともなく、インタホンを押す。
果たして出てきたのは小学校の隣のクラスの担任。
・・・なぜ(笑)。
もし、僕の通った小学校の6年2組出身の人がここを見ていたら、
大爆笑しているはずだ。
そう、あの女教師。
専制君主、独裁者の称号がぴったりくる、
それでいておそらく彼女自身の自認としては人情の、
典型的80年代地方公務員型公立学校教員。
全てが意のままに管理できないと気が済まない彼女は、
自分の構築する秩序を蝕む中学受験というシステムを毛嫌いし、
一方的な偏見と先入観とで僕や彼女のクラスの受験生を圧迫した。
僕はまだ顔を合わせたらイヤミを言われる程度で済んだが、
悲惨なのは隣のクラスにいた同じ塾のKだ。
彼は当時の僕の数少ない貴重な友人で、
幸い彼女の妨害にもめげず、その後灘中に進み、
今では世界を舞台に色んなことをやっている、実に愉快なヤツだ。
ヤツとは2年ほど前、実に15年ぶりくらいで会ったのだが、
その時にも話題に上るほど、僕らの間ではトラウマになっている存在だ。
そんな彼女が、出てきた。
年老いた容貌で、あのときの威圧感は失われていたが、
それでも往時をしのばせる乱暴な口調で、上から目線で話しかけるのだ。
「おう、なんや、イブキやんか。なんや、いまも東京でエラそうにしてるんか」
うーん。言うかなこんなこと。でも言っても不思議じゃないか(笑)。
そしてこのあと、問わず語りに彼女は言うのだ。
「昔は色々あったけどな、すべてはアンタらのことを考えた上でのことやで」
「アタシにも色々言い過ぎたとこあったけどな」
「世の中自分の都合だけで回れへんよ、っていうとこを教えたかったんや」
「せやからアンタらもなにくそ、と思うて結果出せたやろ?」
「別にアタシのこと嫌うのはかめへんけどな」
架空だよ、虚構だよ、夢の話だ。
でも、ありそうですっごくいや~な話だ。
全部、あとづけ。言い訳。正当化。自己弁護。
そういうことは教え子の方が自発的に悟ることであって、
教師がだらだら説明するようなことじゃない。
伝えることも教師の仕事。
伝わらなければいかなる思いの元になされた教育も意味がない。
まあ、僕はそんな風に後付で言い訳しなきゃいけないような教師にはなりたくないな、
そう思って目が覚めたわけです。
後味が非情に悪かったので、これから口直しにうまいもんでも喰って来ようと思います。
「奥座敷」とも呼ばれる緑豊かなその土地は、
僕が不遇な小学生時代を過ごしたところだ。
かといって僕はこの土地を忌み嫌っているわけでもなく、
むしろ少年時代をああいう環境で過ごせたのは幸せだと思っている。
この「不遇」の2文字は結局、学校と父親によるものだ。
とにかく学校が僕に押しつけるものは平等という名の不公平、
秩序という名の思考停止であって、
父親は僕にとっては権威と暴力の権化だった。
そんな中で自分なりの在り方を求めて、
何を言ってもやっても否定され続ける毎日が、僕を押しこめていた。
実際は違ったのかもしれない。
僕の主観による回想と総括であって、
傍目から見ればもっと違う風に見えているのかもしれない。
ただ自分の中でもうまく消化できない思いやわだかまりがあって、
それを上手に自制の利いた形で表現する巧さも持っていないから、
公立小学校教師や教師の忠実なるしもべであるところの生徒達には、
とにかく厄介な、秩序を乱す異端者であったには違いない。
先生にはとにかく嫌われたし、「先生支配」の王国の中では、
僕はまさに「非国民」であり、石をぶつけて蔑むべき存在だった。
「友達の友達がアルカイダ」じゃないけれど、
「非国民」の友達になろうなんて物好きがいるはずもなかったし、
「孤独」以外に自分自身を形容する言葉を、当時の僕は知らなかった。
いまなら、「孤高」と言い切る図々しさがあるけどね(笑)。
まあ、よくある話という風に片づけて貰って構わない。
父親は僕の心を感じようとはせず、
いつも上から目線で自分の主観をぶつけ、
ただ僕の未熟さを指摘し、怒鳴り、殴った。
そういう問答無用の厳しさが愛情であるとカンチガイしていたのか、
それとも彼自身もまた親の愛情に飢えて育ったがゆえに、
「親子」という経験値が乏く、拙かったのか。
はたまた「厳しい父親」を演ずる自己満足だけだったのか。
今となってはもうわからないし、
問うて語り合ったところで、
もっともらしい後付しかもたらされないかもしれない。
そんなわけで当時の僕には、学校も父親も監獄でしかなかった。
だから僕の悲願は「脱出」。
そう、僕の中学受験は決死の脱出劇だったのだ。
窮鼠猫を噛むのことわざ通り、追い込まれた人間は信じられない爆発力を生む。
それ以外にあの難関突破を可能にした理由が見当たらない。
今、自分の受験した年の入試問題見ても、なんで受かったのかよくわかんないしね(笑)。
だから、普通受験突破は人が過去の栄光として語る部分だが、
僕にとっては、今ある自分の全てのルーツ=「脱獄」なのだ。
いぶろぐの感想と思われる他のブログ記事で、
高学歴ゆえの低人格(笑)みたいな斬って捨てられ方をすることも少なくないのだが、
この点、よく知りもしない人に、
学歴社会の序列の中だけで価値を論じられるのは非常に不愉快だね。
さておき。
脱獄囚が自分の囚われていた牢獄を外から振り返りたくなることはあるだろうか。
僕はそんな心境でかつての土地を眺めに行くことがある。
むしろ、人よりもその傾向が強いかもしれない。
なんて言うんだろう、自分がかつて苦しんだ環境を、
余裕が持てる様になってから眺める爽快感というのか。
レベルが50越えてからスライムとか滅多切りにするのに似ているかな(笑)。
暗いなあ、オレ。
で、夢をよく見るのだ。
当時の夢だったり、大人になってから向こうを訪ねる夢だったり。
昨日は丘の上に立つ一軒家を訪ねる夢だった。
明らかにその土地の一角であることは判るのだが、
その丘と一軒家は架空だ。
そして僕は誰の家なのか知ってるはずもないのに、
なぜかためらうこともなく、インタホンを押す。
果たして出てきたのは小学校の隣のクラスの担任。
・・・なぜ(笑)。
もし、僕の通った小学校の6年2組出身の人がここを見ていたら、
大爆笑しているはずだ。
そう、あの女教師。
専制君主、独裁者の称号がぴったりくる、
それでいておそらく彼女自身の自認としては人情の、
典型的80年代地方公務員型公立学校教員。
全てが意のままに管理できないと気が済まない彼女は、
自分の構築する秩序を蝕む中学受験というシステムを毛嫌いし、
一方的な偏見と先入観とで僕や彼女のクラスの受験生を圧迫した。
僕はまだ顔を合わせたらイヤミを言われる程度で済んだが、
悲惨なのは隣のクラスにいた同じ塾のKだ。
彼は当時の僕の数少ない貴重な友人で、
幸い彼女の妨害にもめげず、その後灘中に進み、
今では世界を舞台に色んなことをやっている、実に愉快なヤツだ。
ヤツとは2年ほど前、実に15年ぶりくらいで会ったのだが、
その時にも話題に上るほど、僕らの間ではトラウマになっている存在だ。
そんな彼女が、出てきた。
年老いた容貌で、あのときの威圧感は失われていたが、
それでも往時をしのばせる乱暴な口調で、上から目線で話しかけるのだ。
「おう、なんや、イブキやんか。なんや、いまも東京でエラそうにしてるんか」
うーん。言うかなこんなこと。でも言っても不思議じゃないか(笑)。
そしてこのあと、問わず語りに彼女は言うのだ。
「昔は色々あったけどな、すべてはアンタらのことを考えた上でのことやで」
「アタシにも色々言い過ぎたとこあったけどな」
「世の中自分の都合だけで回れへんよ、っていうとこを教えたかったんや」
「せやからアンタらもなにくそ、と思うて結果出せたやろ?」
「別にアタシのこと嫌うのはかめへんけどな」
架空だよ、虚構だよ、夢の話だ。
でも、ありそうですっごくいや~な話だ。
全部、あとづけ。言い訳。正当化。自己弁護。
そういうことは教え子の方が自発的に悟ることであって、
教師がだらだら説明するようなことじゃない。
伝えることも教師の仕事。
伝わらなければいかなる思いの元になされた教育も意味がない。
まあ、僕はそんな風に後付で言い訳しなきゃいけないような教師にはなりたくないな、
そう思って目が覚めたわけです。
後味が非情に悪かったので、これから口直しにうまいもんでも喰って来ようと思います。
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