楽しく和やかな年越しもあっという間。
新年3日からの「正月特訓」に合わせ、帰路につこうかというその直前のこと。
読んだ本を棚にしまおうとガラス戸を開けたところに、
一冊の古いアルバムが目の前にとん、と落ちて来た。
果たしてそれは、生まれてすぐに亡くなった姉の、
たった2年間の生涯を綴ったアルバムだった。
先天性の病気で、2年どころか1日でさえも危ういと言われていたのが、
奇跡的に小さな命を繋いだ姉。
小さな小さな身体に何度も大きな手術をして、
その都度父母は身を削られるような思いでいただろう。
僕に姉がいたことはもちろん知っていた。
わずかな間だけれど、僕は弟として一緒に過ごしてもいる。
でも、僕の知る姉は父母の話の中だけにいる、黒く縁取られた写真の赤ちゃんだ。
僕が生後9ヶ月の頃に亡くなったのだから無理もないけれど、
悲しいくらい記憶には残っていない。
少しでも姉のいた跡を、証を残そうとしたかのように、
父母は何度となく問わず語りに姉の話をしてくれた。
姉弟で収まった貴重な写真も残してくれた。
間違いなく僕には姉がいた。でも記憶にはない。
幼い頃はそれがとても不思議で仕方なかった。
お墓参りでも法要でも、もちろん厳粛な気持ちではいたけれど、
悲しいとか寂しいとかそういう感情は抱きようがなかった。
僕もあまりに幼かった。
でも、いまならわかる。
父母の気持ちが、痛いほどわかる。
姉の想いまでもが、わかる気がする。
アルバムにはあちらこちらに、
娘の延命をひたすらに願う父母の精一杯の笑顔と前向きなメッセージが綴られていて、
もう堪らなかった。
僕だったら、娘だったら。そう思わずにはいられない。
気がつくと不覚にも涙がこぼれた。
アルバムの最後は姉の遺影の前に母と座る僕と、痛々しいほどに真新しい仏壇の写真。
そこで終わっていた。
あとは巻末まで数ページ、何もない。
姉と僕の写真で埋め尽くされるはずだったページ。
姉は一冊のアルバムさえ埋められずに逝ってしまった。
初めての子供で、初めての孫で、どれほど辛かったろうかと思う。
その中で僕が生まれて来て、どれほど希望になっただろうか。
姉の「代わり」は誰にもできないけれど、赤ん坊は眩しいくらいの希望の塊だ。
僕がそこに一人いるだけで、深い悲しみの闇に飲みこまれそうな家の中を、
父母の心を、一筋の光で照らしていたのではなかったか。
本当に幸いなことに、ここまで僕の子供たちは大禍なく過ごせている。
きっと姉が見守ってくれているのだろうと思うことにする。
神も仏も信じない僕だけれど、家族や親族の想いは信じる。
本当に図ったように目の前に落ちて来たアルバム。
あんたもちょっと自分の身体をいたわんなさい、
もうパパなんだからね、あんた一人の体じゃないんだからね、
と姉に諭されたような気さえする。
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