偏差値や学歴、学校の勉強だけが全てではないし、
子供にもいろんな個性があるし、
知識をいたずらに詰め込むことよりも、
自分で考えて表現する本質的な学びこそが大事。
子供が自分の足で立ち、生き抜く力を身につけるためにも、
大人が過度に干渉するのはよくない。
どんな子供も得手不得手、長短両所があるので、
成績だけじゃなく長い目で見ましょうよ。
…というのは17年間この世界でメシ喰ってきた僕の、
多くの生徒や卒業生のその後を見てきた上での偽らざる本音。
実感に満ち満ちた、本音中の本音。
実感に満ち満ちた、本音中の本音。
こう言うと、不特定多数への一般論としては、
ほとんどの親御さんに賛成してもらえるんだけど、
それでも我が子のこととなると難しいようで、
よほど聡明な保護者でも、どうしても近視眼的になってしまいがち。
言葉の上ではオブラートに包んでいても、
とにかくひとつでも「上」の学校に入れてくれ、
いますぐ成績を上げてくれ、なんていうのもヒシヒシと感じる。
親というのはそういうもの、かもしれないが、そればかりとも言えず。
親たちがかつてそういう価値観の下に育ってきたからでもあるだろう。
自分の経験を完全に離れて価値判断することは至難の業だ。
いよいよ切羽詰まってくると、
「理想論はいいから」
「目の前の結果に繋がる話を」
ということにもなる。
んで、満足のいく回答(即効性のあるドーピング)が得られないと、
じゃあよそへ行きますねということにも。
こういうとき僕は、過剰なサービスやナイショの特約を提示してまで、
顧客を引き留めるべきかということをいつも考える。
営業優先・売上維持なら、一も二もなくそうすべきなんだろう。
でも僕は、これまでずっと正論を歪めずに、阿ることもせず、
去る者は追わずでやって来た。
それでも何とか喰ってこられてるところを見ると、
間違った判断でもなかったようだ。
そりゃあもちろん学力向上を請け負う学習塾として、
顧客の期待、即ち成績を上げて志望校に受かるように持っていくべきなのは、
ゴマカしようのないところだ。
でもねえ…。
大人の都合や損得勘定だけで、一度しかない子供の大事な時期を、
不毛な点とり競争だけに費やさせていいものかどうか。
どうしても僕はここが引っかかってしまう。
まあ、こういう蒼臭いこと言ってると、大きくはなれないかもね。
ビジネスとしては甘いとか言われるんだろうな。
でも、あんまりそこには価値を置いてないんだよね…。
僕らは僕らで矜持を持ってベストの仕事をしてるんで、
見る人が見ていてくれて、共感した人が来てくれて、
生徒たちが明るい表情で教室に通ってくれて、
それでいて職員みんながちゃんとメシ食える程度にやれてれば、
それでいいんだよね。
人はパンのみにて生くるものに非ず。
雇ってもらいさえすればどこでもできる塾屋商売を、
敢えて自分で旗揚げしたんだから、
創業当時の理想とか理念というのは色あせないよう大事にもっていたいよな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます