お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

美濃の蝮 「斎藤道三」 (3)道三、武士になる

2006年06月17日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も戦国三梟雄の一人、斎藤道三です。第三回です。
やっぱり長くなってしまいましたが、さっそく行ってみましょう。


前回のあらすじ。
僧から商人へ転職した、”人生ロールプレイングゲーム”な「斎藤道三」は、うまいこと美濃国主の弟「土岐頼芸」に気に入られ、城の出入りができるようになりました。
ははー…まさに人生はロールプレイング、ドラクエですよ。
そんなん。


斎藤道三―兵は詭道なり (3)

学研

このアイテムの詳細を見る

※ようやく道三っぽい絵柄になりました。いいイラストですね。


さて、取り立てられた道三は巧みに立ち回り、頼芸の信任を得ることに成功します。
頼芸はどちらかというと文化人的な色が強く、現存する「土岐の鷹」など、素晴らしい絵を描いていることで有名なんですね。
豊富な知識と教養、さらには面白おかしく聞かせる巧みな話術をもった道三ですから、遊び好きな若い主君の御機嫌を取るのは容易いことだったのでしょう。

すっかりお気に入りとなっていた道三は死去した重臣「西村正元」に後継ぎがいなかったため、その名跡を継ぎます。

大永五年(1525)
名を「西村勘九郎正利」と改めた道三は、正式に知行をもらい武士となりました。
この人、名を改める度に偉くなっていくという、おそろしく特殊なスキルを持った人なんですね。出世魚みたいに。
ちなみにその後、美貌で知られる頼芸の側室「深芳野」を貰い受けています。
この人が後に嫡男となる「義龍」を生むのですが、時期が合わないこともあって頼芸の子ではないか?という疑念が生まれることとなります。
(※ちなみにこれは当時からそう言われていました。道三としてはその噂を逆利用する心があったのか、さして反論などはしておりません)

さて、道三が目につけたのは現在当主の「土岐盛頼」です。
なにしろ、彼が健在であるうちは、主君土岐頼芸は血縁であるだけで、単なる配下の一人に過ぎないのです。

「どうやら盛頼さまは当主としての器量に欠けるので、家のためにも国のためにも聡明な殿が当主となるべきだったんです。これは皆のために仕方ないこと、決して反乱ではありません。そう、殿は黙認さえしてくれればそれでいい…」

そんなことを言ったか、言わなかったか。
事実はどうであれ、そんな悪魔の囁きは諦めていた美濃国主の座が転がり込んでくるかもしれない、実に魅力的な提案だったのです。

これにはもともと多少の不満があった頼芸(※兄弟不仲だったらしい)、さらには彼に仕える重臣たちの賛同も得て、道三は突如盛頼を急襲。
これを追い落とすことに成功しました。道三はとりあえずの博打に勝ちました。

この働きによって、頼芸は念願の当主となりました。
加増を受け、その地位をぐんと伸ばした道三に対して、当然ながら不信感と警戒心を抱くものが現われます。
その筆頭は召し抱えてくれた恩人、長井一族の長弘でした。こうなってしまうと、過去の恩人も単なる邪魔者に過ぎません。

享禄三年(1530)
反対派勢力が大きくなる前に先手を打つこととした道三は刺客を放ち、長井長弘の暗殺に成功します。
さらに自らその名跡をちゃっかり継ぎ、「長井新九郎規秀」と名を改めました。

これだけのいい思いをして、そのままという訳にはいきません。
一連の行動に対してついに不満を爆発させた長井一族は道三に報復攻撃を仕掛けます。驚いた道三は主君頼芸の居城、大桑城へ逃げ込みました。

さあ、ここが運命の分かれ目です。

ここで頼芸は逃げてきた道三を受け入れず、追い出すことができたのです。
明らかに危険な存在となった彼を始末してくれる連中は城外にわんさかいたのですから。
しかし、頼芸はこの有能な家臣を放逐することをしませんでした。
結局、頼芸に匿われた道三は常在寺の住職「日運」らの仲介で和解に至ります。
これによって、人生でも最大といえる危機を凌ぎました。

天文七年(1538)
子の無かった守護代斎藤氏の名跡を継ぎ、その名を「斎藤山城守秀竜」と名を改めます。
この頃に、居城を天嶮の要害「稲葉山城」(※今の岐阜城)としています。ちなみに、守護代斎藤氏は応仁の乱付近で大いに権勢を振るった家柄でした。
そして、守護代の地位を手に入れた道三も同様に、すっかり国政から遠ざかって酒色にふけっていた頼芸をよそに権勢を振るっていました。
もう道三を邪魔する者は誰もおりません。
唯一、主君である土岐頼芸を除いては……。

天文十一年(1542)
天文十に入道して名を「道三」と改めていた彼は、遂に大桑城の土岐頼芸を急襲してこれを追放すると、完全に美濃を手中におさめるのでした。

ふらりと美濃国に来てから、わずか二十年目のことでした。
ああ、やっちゃった。
こうして、道三はなんと僧侶・商人・武士を経て、美濃一国を支配する大名となったのです。


[関連記事]
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 北条早雲 <前編> <後編>
⇒ 松永久秀 (1) (2) (3) (4)
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度(歴史さんぽ)



 ★ランキング参加しております。応援お願いします★
⇒ 人気blogランキングへ
⇒ ブログランキング (マイプロフ

仏像が気になりだしたら… 自宅で選べる美術品 掛軸、絵画、美術工芸品のトップアート
ちょっと旅へ出たいと思ったら… 旅の総合サイト『BON VOYAGE!』 温泉宿予約は「楽天トラベル(旅の窓口)」

最新の画像もっと見る