お寺さんぽ Ver.03

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西教寺 (滋賀)

2007年12月03日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は滋賀は大津市坂本、天台宗真盛宗総本山の「西教寺」です。

またまた出ました、総本山シリーズ(そんなのない)
いきなり関係ないですが、「西教寺」って音「さいきょうじ」だけ聞くと、最強なお寺みたいに聞こえますよね。
ほら、「埼京線」と同じで。
…………。
……。
くだんないですね、ごめんなさい。

こちら「西教寺」は研修道場や収蔵庫、果ては老人ホームまである、大寺院なのでした。
所在の「坂本」という地名でピンときた歴史好きな貴方は大当たり。
ここ、「明智光秀」とも大変に縁深いお寺なのです。

「西教寺」正確には「 天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺 (てんだい・しんせいしゅう・そうほんざん・かいこうさんけんほっしょう・さいきょうじ)」と言います。なんのこっちゃわかりませんが、なんだか凄そうなお名前です。

時は飛鳥時代。
あるいは架空の人物かもしれない「聖徳太子」が恩師である高麗の僧「慧慈」・「慧聡」のため、創建されました。
不確かなようですが、これが本当ならば”歴史もやったら古いお寺”ということになりますね。
その後は荒廃しますが、平安時代に再興。
十八代天台座主、元三大師(がんさんだいし)の名前でも知られる「慈恵大師良源上人(じえだいし・りょうげんしょうにん)」が復興して、念仏の道場とするのでした。
(※ちなみに…良源上人はおみくじの創始者と言われているんだって)
七高僧(しちこうそう)の一人でもあります高僧「源信(恵心僧都)」も入寺してこちらで修業すると、次第に栄えるようになるのです。

時代は進んで鎌倉時代末期。
正中二年(1325)
「後醍醐天皇」が倒幕計画が露見し、処罰された「正中の変」が起こり、にわかに日本が騒がしくなってきた頃。
「恵鎮上人(円観)」、さらにその百年後文明十八年(1486)には中興の祖と言われる「真盛上人(しんせいしょうにん)」入寺。
堂塔・教法を再興、不断念仏の道場としました。
戦国時代には「織田信長」の比叡山焼き討ちに際して、こちらも戦火に遭います。
その復興に手助けした人こそが坂本城主としてこの地に入った「明智光秀」その人なのでした。
光秀は「西教寺」の檀徒となり、ここを自らの菩提寺としました。
以来、全国に末寺を有する総本山、戒律と念仏の道場となるのです。

そんな訳で「明智光秀」、その妻「煕子」、さらには明智一族の墓が存在する、歴史ファンも満足なお寺になっています。
かぁんという、一定間隔で鳴る鉦(かね:打楽器のタイプ)の音が楽しいですよ。


[住所] 西教寺 滋賀県大津市坂本5-13-1

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※そんな訳で「明智光秀」です。
 坂本城跡も見てきましたよー。


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