のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は軍神「上杉謙信」の父、見事下克上に成功した越後の傑物「長尾為景(ながお・ためかげ)」さまです。
ここで「上杉謙信」をやらずにそのお父さんをやるってーのが、いかにもひでるさんらしいでしょ?どうすか?
(※実は謙信もやろうと思って、一応準備はしているんですけど…)
実際、タイトルそのまま、ひでるさん自身が「長尾為景」って人のことをよく知らなかったので、調べてみることとしたのでした。
越後の有力国人、長尾家。
関東管領として世襲を続ける山内上杉氏の一族、越後上杉氏は「上杉房能」が守護で、本編主人公「長尾為景」はその守護代として仕えておりました。
父「長尾能景(ながお・よしかげ)」は越中一向一揆勢を破り、瑞泉寺にまで追い込みます。
しかし、越中守護代の神保氏と結んだ一揆勢が攻勢に出ると、般若野合戦に敗北、その中で「長尾能景」は命を落としてしまいます。
こうして為景は突如、その後を継ぐこととなったのです。
これが永正三年(1506)のこと。
余談ですが、この四年後には「織田信長」の父、「織田信秀」や乱世の梟雄「松永久秀」が生まれています。
それっくらい昔のことなんですね。
時代の変革者が各地で続々と誕生していた頃ですよ。
さて、この長尾氏は桓武平氏の流れを汲む「坂東八平氏」の一派で、そこそこ名門な家柄です。
血筋としては、ちゃんとした平氏の出なんですね。
(※ちなみにライバルの甲斐・武田氏は清和源氏であるというこの偶然…)
祖先が相模国の長尾荘を本拠地としたところから、「長尾」を名乗るようになったようです。
鎌倉時代では平氏に従ったため、没落。
鎌倉末期あたりからは上杉氏に従い、室町時代には山内上杉氏の家宰、あるいは守護代として、その勢力と共に各地へと分布していきました。
数ある長尾氏のうち、”越後府中”の長尾氏。
こちらが、代々越後守護上杉氏の守護代として各地の合戦から領内統治にまで功があったのです。
さて、為景の継いだ当時の越後は、各地にて諸豪族が勢力を競っている戦国初期な様相でした。
その中で、代々実力をもち、守護代として勢力を持っていたのがこちらの長尾氏。
上には当然ながら守護の上杉氏がいるんですが、この両者が対立関係にあったのです。
着々と実力を蓄えつつある「長尾為景」ら国人衆の存在を次第に警戒するようになった守護上杉氏は、支配力強化のため国人領主の権限を制約するようになりました。
これに反発した国人衆は長尾氏を筆頭として、守護・上杉氏に反発するようになるのです。
こうして、両者の間にできた決定的な溝は、越後に緊張感を漂わせるのでした。
⇒つづく。
次回は「越後を狙う切れ者の執念」
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⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
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※そう、為景さんの資料が少なかったんですよ。
こういった本があれば良かったんですけどねぇ…。
本日は軍神「上杉謙信」の父、見事下克上に成功した越後の傑物「長尾為景(ながお・ためかげ)」さまです。
ここで「上杉謙信」をやらずにそのお父さんをやるってーのが、いかにもひでるさんらしいでしょ?どうすか?
(※実は謙信もやろうと思って、一応準備はしているんですけど…)
実際、タイトルそのまま、ひでるさん自身が「長尾為景」って人のことをよく知らなかったので、調べてみることとしたのでした。
越後の有力国人、長尾家。
関東管領として世襲を続ける山内上杉氏の一族、越後上杉氏は「上杉房能」が守護で、本編主人公「長尾為景」はその守護代として仕えておりました。
父「長尾能景(ながお・よしかげ)」は越中一向一揆勢を破り、瑞泉寺にまで追い込みます。
しかし、越中守護代の神保氏と結んだ一揆勢が攻勢に出ると、般若野合戦に敗北、その中で「長尾能景」は命を落としてしまいます。
こうして為景は突如、その後を継ぐこととなったのです。
これが永正三年(1506)のこと。
余談ですが、この四年後には「織田信長」の父、「織田信秀」や乱世の梟雄「松永久秀」が生まれています。
それっくらい昔のことなんですね。
時代の変革者が各地で続々と誕生していた頃ですよ。
さて、この長尾氏は桓武平氏の流れを汲む「坂東八平氏」の一派で、そこそこ名門な家柄です。
血筋としては、ちゃんとした平氏の出なんですね。
(※ちなみにライバルの甲斐・武田氏は清和源氏であるというこの偶然…)
祖先が相模国の長尾荘を本拠地としたところから、「長尾」を名乗るようになったようです。
鎌倉時代では平氏に従ったため、没落。
鎌倉末期あたりからは上杉氏に従い、室町時代には山内上杉氏の家宰、あるいは守護代として、その勢力と共に各地へと分布していきました。
数ある長尾氏のうち、”越後府中”の長尾氏。
こちらが、代々越後守護上杉氏の守護代として各地の合戦から領内統治にまで功があったのです。
さて、為景の継いだ当時の越後は、各地にて諸豪族が勢力を競っている戦国初期な様相でした。
その中で、代々実力をもち、守護代として勢力を持っていたのがこちらの長尾氏。
上には当然ながら守護の上杉氏がいるんですが、この両者が対立関係にあったのです。
着々と実力を蓄えつつある「長尾為景」ら国人衆の存在を次第に警戒するようになった守護上杉氏は、支配力強化のため国人領主の権限を制約するようになりました。
これに反発した国人衆は長尾氏を筆頭として、守護・上杉氏に反発するようになるのです。
こうして、両者の間にできた決定的な溝は、越後に緊張感を漂わせるのでした。
⇒つづく。
次回は「越後を狙う切れ者の執念」
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※そう、為景さんの資料が少なかったんですよ。
こういった本があれば良かったんですけどねぇ…。