お寺さんぽ Ver.03

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北条早雲 <後編> (神奈川県・小田原城)

2006年04月09日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も関東地方は小田原の大スター、北条早雲こと「伊勢新九郎長氏」
についてお送り致します。(以下は早雲で統一)
前編では、ふらりと東国へ現われた素浪人「北条早雲」が混乱していた
伊豆を横からちゃっかり奪ったところまででした。


さて、伊豆に入った早雲はすかさず領国の支配固めをします。豪族(武士)への方針は簡潔に、
逆らったら厳罰。従えば本領安堵(要するにそのままってこと)です。
領民に対しては、これまで六公四民だった税率を四公六民としました。
(60%から40%と大幅に引き下げたのね)
また、領内に病人がいればわざわざ医者を手配させるなど、どこかいやらしいほど人心掌握に
努めます。
彼の支配以前は税率の点からも分かるように苛酷な政策であったため、早雲は「よき殿様」と
隣国から領民が移住するほどの大変な人気を博したといいます。

ついでに細かいところまで書きますと、早雲は職人衆を重用しました。
それは、腕のある者をわざわざ遠隔地から呼び寄せるなど、彼らの能力を高く評価していました。
(まだ身分で分けられた社会ではないですが、職人の地位は当時決して高くなかったようです)
後に彼らは政治・軍事の両面で欠かせない存在となるのです。

こうして伊豆を完全な支配下とすると、目は自然広大な関東平野へと向きました。そこへ進出して
行くには、小田原城の大森氏が邪魔な存在です。
当時の小田原城は南関東に勢力を伸ばす「大森氏頼」の居城でした。氏頼は文武に通じた名将と
して知られ、さすがの早雲も彼の存在中は手を出すことなく誼を通じていました。なにせ合戦時には
援軍を送っていますので、両家は親しい間柄だったんですね。

しかし、その氏頼が亡くなり子の「大森藤頼」が継ぐと、早雲はここぞとばかりに行動を起こします。

「鹿狩りをしていたら鹿があなたの領国の山(箱根ね)に入ってしまったので、追い返すため勢子を
いれさせてほしい」

早雲は頭を下げ、そんなことを申し入れます。
父の代から面識ある早雲の申し出に、藤頼は「ああどうぞ、お構いなく」とかなんとか言って許可を
してしまうんですね。
おそらく疑いはなかったでしょう。…そこが命取りになります。

勢子に扮していた早雲の手勢は夜になると一斉に鬨の声を上げ、小田原城に攻め掛かりました。
この時、彼は「木曾義仲」が「倶利伽羅峠の合戦」で用いた「火牛の計(※)」を実施したようです。
この不意な急襲で小田原はあっさり陥落、早雲の大勝利となるのでした。

前編の伊豆への攻撃は「叛乱を起こした賊を討伐する」と、どうにか理由付けもできますが、この
小田原出兵は完全に領土拡大目的以外ありません。
間違いなく私利私欲です。
藤頼くんも味方、とまではないにしろ、少なくとも敵と思っていなかった相手から一夜で攻め滅ぼ
されるんだから、実に気の毒な話なんですよ。

戦国三梟雄中で、そんな風に結構ひどいことしている割に地元の方以外にも愛されたり、評価さ
れたりしている北条早雲。
彼に暗いイメージが薄いのは、暗殺など裏工作中心でなくちゃんと合戦して勝利してる点と、まっ
たくの新天地を自らの実力のみで獲得しているところでしょう。
(※他の二名は(斎藤道三、松永久秀)暗殺・謀略のかぎりを尽くし、恩人や主家を打ち倒して、
自ら戦国大名に取って代わっているのでした)

また、上にも書きましたが、領国経営についても当時の領民からすれば画期的なまでに優しく、
従いたくなる殿様だったんですね。

以後、北条家は早雲の築いた地盤を侵されることなく、関東で覇を唱えることとなるのでした。


(※)田単火牛の計(でんたんかぎゅうのけい)
   数頭の牛の角に松明をくくりつけ、敵中に放つ荒業。火に驚いた牛が敵中へ突進していき、
   混乱させる。(こちらの兵数を多く見せる効果もありそうです)
   中国は「史記」に登場する将軍「田単」が発案したようですが、火をつけたのは角でなく尻尾
   らしいです。…まぁ、どちらにしろ牛にとっては大迷惑な話でした。


[住所] 小田原城 神奈川県小田原市城内6-1


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (makoto-jin-rei)
2006-04-09 17:19:04
「歴史 Ranking」からお邪魔します。

私も北条早雲は司馬遼太郎の「箱根の坂」をきっかけに好きになりました。

私もお寺めぐりから始めたブログなんですが、現在はネタが続かずに「なんでもあり」の内容に なってしまいました。ひでるさんのサイトはスゴイですねぇ。勉強になります。ランキングの差をつくづく思いしらされますよ。
返信する
わーい (ひでる)
2006-04-10 01:45:14
makoto-jin-reiさんコメントありがとうございます。

お褒めの言葉ありがとうございます。素直にうれしいです。

早雲は氏政時代に当主でいてほしかったですよ。

しかしネタ出しは大変ですよねー…実は近々またくだらんネタを出す予定。

うふふふ…。

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