お寺さんぽ Ver.03

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おみくじを引く人間心理 (明智光秀・月輪寺)

2006年04月30日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
えっといきなりですが、皆さんは何か物事を決するとき、どうしていますか?
自らの考えのみに従いますか?他人の判断を聞きますか?それとも、また何か別のものに委ねますか?


丁寧に挨拶をしたその男は不意に見た御神籤(おみくじ)につられ、一つ所望した。
表情はさして変わらないが、顔色は透き通るように白く見えた。
ゆったりと御籤を眺めていた男はその結果が不満であったのか、再び籤に手を伸ばした。やはりまた結果が望まないものであったのか、さらに手を伸ばして本日三度目となる御神籤を引いた。
三枚のそれに何が書かれていたか、どんな内容であったのかは分からない。
御神籤をじっと見つめていた男はやがて軽く微笑むと、三枚の御神籤を手にしたままその場を去っていった。


ぎこちないので「なにコレ?」なんて疑念を持った人も多いことでしょう。そうです、上の文はひでるさんオリジナルです。
ひでるさん、歴史小説家になれるでしょうか?(←なれない)
余談ですが、たかだかその六行程度に一時間近くかかっておりました。もし文庫本出すなら一生かかってしまいそうですね(笑)

さて、冗談はそれくらいにして明智光秀です。
彼は本能寺襲撃の前日、おみくじを三度引いたそうです。ただ、実に有名なこの話ですが、「信長公記」に書かれてたエピソードであるので実際のところはどうか微妙だと思います。ただ、当ブログは真実かどうかの検証ブログではないので、「明智光秀は本能寺の変の前日三回おみくじを引いた」という、面白そうな方で気にせず行きますね。

一介の素浪人から大名に取り立てられ、惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)という役職まで与えられた大出世の光秀くん。信長に大変恩義を感じている、と書かれた文献も残ってたりします。
そんな彼が恩人「織田信長」殺害の首謀者となってしまいました。
迷う光秀の最後の一押しをしたであろう三回の御神籤にはどんな意味があったのでしょう?

●おみくじと人間心理●

と、言う訳でひでるさん得意(うそ)の人間心理です。
おみくじには、「何が書かれているか読む時の楽しみ」と「的中した時(良い・悪いどちらにしろ)の楽しみ」があります。
偶然に巡り合わされたその御神籤に書かれている事柄が肯定なのか、はたまた否定なのか。
そして、何か物事が起こった際には「そう言えばおみくじで…」とか思い出しますよね。

上で「偶然」と単語を使いましたが、人はそれを大切にしています。目に見えない「偶然」を掴めるのか、逃してしまうのか。それはそのまま、自分の「運」がどのようなものであるのか、となります。
このランダムに良し悪しを引き当てる行いこそが、自らの「運」を知る判断材料となるのです。

また、書かれている肯定・否定の事項により、”現在思い悩んでいる迷い”に対しての指針を示してくれる、という側面もあります。
当然、最終判断は自分自身なんですが、おそらく自らの心ではどちらか既に決しているんですよ。でね、それに対しての肯定意見を一つでも多く聞きたいんです。裏付けが欲しいんです。
多数の友人に意見を求めるのと同じで、肯定されれば満足しますが、否定されるとその意見は切り捨ててしまうはずです。
同調してほしいんですよ、おみくじにも。たぶん。

ちなみに、占いというのは膨大な分析を基にした「統計学」ですが、その点「おみくじ」というものは完全に「運」そのものですから、今流行のパチンコと同様にその結果がどうであれ、都合が悪い時の責任を「運」に押し付けることもできます。パチンコは良い例ですね。もし勝てば天才だ、台を見る目が備わったなどと自らの才を自負しますが、負けた際には今日の運は悪かった、と運に責任転嫁することができるのですから。


さて、書かれていた内容に後押しされた明智光秀は本能寺襲撃には成功しますが、最も欲していた信長の首は炎と共に消えてしまいました。信長が「完全に死者となった」という証拠を失ってしまったのです。(本来なら六条河原にさらしたかったはず)
それもあり、親交の深かった筒井家は態度を不鮮明のままとし、姻戚関係もあり、最も頼りとしていた盟友細川家は剃髪して出家してしまうのです。
さらに、毛利への密使は秀吉の陣へ誤って入り、中国大返しという計算外の驚異的なスピードで進軍してきた秀吉勢の勢いに押され、山崎合戦で敗北となるのです。
実に運がないですね。
おみくじの内容はどんなんだったのでしょう?

ちなみに、秀吉は山崎合戦へ挑む際、「明日は日が悪く、戻ってこられない」と言われたのに対して、「それは逆に運がいい。明日の合戦に勝利すればこちらまで戻ってくる必要はないのだから。それは吉報じゃ」とかなんとか言ったそうです。
光秀が決行したのは大博打でしたが、この時の秀吉も間違いなく大博打なんです。
大勝負を目前にし、のるかそるかの選択肢に直面した際の両者はまっったく違った反応をしているところが楽しいですね。

…しっかし、秀吉って人は物凄いポジティブな方ですねぇ。


[住所] 月輪寺 京都市右京区嵯峨清滝 月輪町7

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※このシリーズは詳しくていいですよね。持ってないですが「明智光秀」本です。

俊英明智光秀―才気迸る霹靂の智将

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