お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

美濃の蝮 「斎藤道三」 (2)道三、商人になる

2006年06月16日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も戦国三梟雄の一人、斎藤道三です。第二回です。
えっと、さっそく行ってみましょう。


前回のあらすじ。
武士の生まれだった「斎藤道三」は寺に入れられて僧となりますが、脂性の娘…じゃなくて油商の娘を射止め、商人「山崎屋庄五郎」となるのでした。
そんなん。
おしまい。


兵は詭道なり 斎藤道三〈2〉

学習研究社

このアイテムの詳細を見る


士農工商の身分制度が確立していない当時は、道三のように職をがらりと変えることに何の問題もありませんでした。官兵衛で知られる黒田孝高のおじいさんも元々は商人でして、金貸しを経て武士となっています。
さて、油商となった道三は店を構えた山城国(京都)を中心に周辺の国々へ行商に出掛けていたようです。当然、美濃へも何度か足を運んだのでしょう。


当時の美濃は土岐氏が守護大名として支配していました。
摂津源氏の流れを汲む名門土岐氏は足利将軍家を助けて信任を得た家柄で、管領家、四職家に次ぐ家柄とされていました。一族は美濃国内の各地へ土着しており、有事の際には続々と集合して一大勢力となるのです。
その一致団結した様は「桔梗一揆(※)」と称され、大いに恐れられていました。
美濃に道三が訪れた当時は当主が「土岐盛頼」、後に彼が仕官することとなる「土岐頼芸」は彼の弟でした。

珍妙な芸を見せる油売りがいる

そんな評判が美濃にて立ちました。
余談ですが、”油売る”という、現在でも使用されている言葉。流す油が落ちるのにとろーっと時間がかかるため、油商たちは間の場つなぎとして面白おかしい口上を聞かせるのが常でありました。そんな状況を例えているんですね。
以上、余談おしまい。

道三はここで「永楽通宝」の一文銭の穴から、それを一切汚すことなく油を入れるという芸を披露して見せていました。寺社で身につけた弁舌も大いに役に立ったことでしょう。
彼の売る油はたちまち評判となり、やがて噂を聞きつけた土岐氏の家臣「長井利隆」が尋ねてきました。
その長井の推挙で入城した道三は当主盛頼の弟、「土岐頼芸」に気に入られてお抱えとなるのです。

…これらが計算づくであったかどうか定かではないですが、ともかく彼は頼芸へ面会というチャンスを逃しませんでした。
主人の退屈しのぎに、と城内へ導かれた道三はここで芸だけでなく、話術や学識・行儀作法や諸国情勢などを巧みに披露し、頼芸へ取り入ることに成功したのでしょう。このあたりは、毛利家に取り入った外交僧「安国寺恵瓊」と似ているケースだと思います。

ちなみに、道三と共に妙覚寺で修行した常在寺の住職「日運」はその長井利隆の実弟でして、実際のところは油売りの芸うんぬんよりも、そちらの縁を頼って仕官したのが実際ではないかと思われます。金を積んだらしいという現実的な話もあったりしますしね。
芸の話が事実であれば本当に楽しいんですが…。

さぁ、商人となった道三はそんなこんなで遂に城への出入りができるようになりました!
ついに蝮の本領発揮となります。請うご期待!



(※)桔梗一揆
 えっと、土岐家の家紋が桔梗なんですね。
 一族郎党が主家のため、桔梗の旗のもと一致団結して迫る様は物凄い迫力で、追い詰められた民衆の反乱(一揆ね)を連想させたことから「桔梗一揆」と呼ばれたのでしょう。この激烈な主家に対する忠誠心が最後の最後で道三に牙を剥くこととなるのです。
   

[関連記事]
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 北条早雲 <前編> <後編>
⇒ 松永久秀 (1) (2) (3) (4)
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 「両・分・朱」の貨幣制度(歴史さんぽ)


 ★ランキング参加しております。応援お願いします★
⇒ 人気blogランキングへ
⇒ ブログランキング (マイプロフ


仏像が気になりだしたら… 自宅で選べる美術品 掛軸、絵画、美術工芸品のトップアート
ちょっと旅へ出たいと思ったら… 旅の総合サイト『BON VOYAGE!』 「楽天トラベル(旅の窓口)」

最新の画像もっと見る