お寺さんぽ Ver.03

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義仲寺 (滋賀)

2008年01月10日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は滋賀は大津の「義仲寺」です。

きました、源氏ファン憧れの「義仲寺」
ひでるさんはずっと「よしなかでら」と読んでいましたが、正確には「ぎちゅうじ」だそうです。
毎度のことですが、むやみやたら人に喋らなくて良かったですね(笑)

さて、歴史にまっったく興味ない方でもおそらく名前は知っている(たぶん)だろう、「木曾義仲(きそ・よしなか)」さま。
いわゆる判官びいきというのも手伝って、現代では「源義経」の名前のが知られていますが、実際に平家の大軍に真っ向から立ち向かい、撃退・勝利したのはこの「木曾義仲」さま率いる軍勢なのでした。

一時期は「征夷大将軍」に任命され、「旭将軍」と呼ばれた清和源氏の「木曾義仲」さま。
しかし、後に色々あって衰退。
「源頼朝」勢に追われた「木曾義仲」は「宇治川の戦い」に敗北。
粟津原(あわづはら)と言われたこの地で、壮絶な討死をするのでした。

さて、その後粟津原に一人の尼層が訪れ、「木曾義仲」ほか戦死者を供養したのだそうです。
…この尼こそ、「木曾義仲」と共に戦地に立った愛妾「巴御前」だったのでした。
ああ、ラブラブですね~いい話です。
と、これが「巴寺」、あるいは「巴御前」が自分のを名乗らなかったことから「無名庵」などと呼ばれる由来なのだそうです。
そこから察するに、庵みたいなものは昔からあったようですね。

そんな「木曾義仲」さまを葬った塚、庵のあった場所に、近江を支配していた六角氏が修復拡大し、「義仲寺」を建立したと伝えられています。
室町時代末期といいますから、戦国時代初期頃なのかな。
六角氏、グッジョブです。

なお、その頃の境内は今と違ってかなり広大だったみたいなのです。
「義仲」とこの周辺の景色を愛した「松尾芭蕉」はこちらに度々訪れ滞在すること多く、大坂にて亡くなった後は生前の遺言によってこちらに墓が建てられたのでした。
木曾殿と背中合わせの寒さかな
…という有名な句ですが、これ「松尾芭蕉」のものでなく、門人「又玄(ゆうげん)」のものなんだって。
へー。

現在の境内には、「木曾義仲」の墓、「巴塚」、「義仲」の妻と妾とも言われる「山吹御前」の供養塚(※義仲戦死の報を聞き、自害したそうです。モテモテですねー)、そして「松尾芭蕉」の墓などがごっちゃりとありました。
お寺好き、というよりも歴史ファン向けなお寺ですね。

なお、結構な歴史施設・お寺であるというのに、駐車場もない・ごくごくこぢんまりとした小さなお寺です。
一応、お寺の前にぎりぎり一台駐車ができますが、前の道もやたら狭いので大変でした。
はっきり言って、歩いてった方がいいかもしれません。
JR膳所駅、京阪電鉄膳所駅が近いようです。


[関連記事]  【 源氏祭り 】
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[住所]
 義仲寺 滋賀県大津市馬場1-5-12

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※そんな訳で、本日は「木曾義仲」さま。
  昔木曾にも行ったことありますが、ものすごい山中でしたよー。自然児で当然。


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