地蔵を掘る

|2013年1月28日|

 

 沢ガニ取りをして川底を掘っていたらお地蔵様が出てきてびっくりしたことがある。素朴な石の彫像とはいえ人体に似たものがひょっこり地中から顔を出すと、幼い子どもでも霊気に打たれるということがある。思わず手を合わせたというほどではないけれど、これは大変な物を見つけてしまったと思えて放っておけず、幼い従弟と必死に石をかき分け、丸くなりすぎて表情のわからなくなったお地蔵様を掘り出した。
 おそらく上流のどこかにあったものが、大雨か何かで路肩が崩れて谷底に転落し、ここまで流されてきて川底に埋まったのだろう。掘り出したまま河原に放っておくわけにもいかず、幼い子どもふたりでかかえて運ぶには重すぎるので、あたりを見回したらミカン農家の作業小屋にロープがあった。そいつでお地蔵様をぐるぐる巻きに縛り上げ、小一時間大汗をかいて引っ張り上げたら夕暮れ間近になっていた。

 ふたたび転落したら気の毒なので、道沿いの木の根方に穴を掘って立たせ、さっと手をあわせて帰ってきた。善行を施したという若干恩着せがましい高揚感もあって、夕食時に 
「今日ね、川底を掘ってたらお地蔵様が出てきたから、ふたりで助けてあげたんだよ」
と興奮して話すと、
「危ない場所に行くんじゃないよ」
とおとな達がお地蔵様のような顔をして言うので不満に思った記憶がある。
 お地蔵様というのは弱い者、小さい者の味方で、田舎や古い町はずれのそこここにあるので誰にでもなじみ深く、奇妙な思い出のひとつやふたつあるものらしい。

 中年の友人が酔っ払ってお地蔵様に賽銭を上げているので、珍しいことをすると笑ったら
「子どもの頃、お地蔵さんの供え物を盗んで食ったことがあるからいまだに頭が上がらない」
と言う。

「そんな昔のことは覚えてないだろう」
と言ったら
「いや、お地蔵さんは覚えてる」
とろれつの回らない声で笑って言う。そういう細かいことまでちゃんと覚えていて、六道輪廻、すべての命が六種類の世界に生まれ変わっていくとき、ちゃんとふだんの行いを見ていて救ってくださるのだという。
「お地蔵さんはちゃんと見てるぞ」
とおとな達に言われて、そうかもしれないなあと思えた時代の暮らしが懐かしい。

 

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