ホットポカリ

|2013年1月15日|

 冬は老人にホットポカリを飲ませようという張り紙を老人ホームで見た。粉末のポカリスエットを使って 2倍濃縮液を作り、熱いお湯で倍に薄めて飲ませるわけで、水分補給を兼ねて体が温まるのでとても良い。もう少し熱めでも良いと思うので、350ml のペットボトルを使い 74g 1袋を溶かして 3倍濃縮液を作っている。カップ 3分目まで濃縮液を注ぎ、倍の量のお湯で 3倍に薄めるのでかなり温かい。


  週末から苦しい今回の風邪はおかしな風邪で、鼻の奥がムズムズしてサラサラの鼻水とともに激しい発熱があり、悪寒を伴う初期症状が継続し、ネバネバの鼻水になって痰が切れるという病状進化を辿らない。風邪をひきそうでひかない初期のせめぎ合いを繰り返している感じで、インフルエンザの予防接種を受けていることとは無関係と思うが、結局土・日・月の三連休を寝て過ごした。
 ようやく風邪が末期症状に近づき、鼻水が濃くなり、痰も切れるようになって起きられるようになったので、トイレに行った帰りに台所へ寄り、ホットポカリ 3倍濃縮液を作っておいた。お湯で薄めて飲むと
「あ~~あったまる~」
と声が出る。

 

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風邪

|2013年1月14日|

 子どもの頃からひと冬に一度は大きな風邪をひく。発熱と悪寒で震えが止まらなくなり、このまま止まらないと死んでしまうのではないかと思うし、いっそ死んでしまった方が楽になるかなと弱気になるほど、ひどい風邪のひきかたをする。
 そういう風邪をひくと、布団をかぶってじっと耐えて汗だくになるのが一番よい気がし、子どもながらに発汗療法を実践していたことになる。そうやって発汗療法を実践していると、身体が温まり楽になってうとうとする瞬間があり、その時の自我の境界がぼんやりして世界と一体になっているように感じる瞬間が好きだ。

|なんと「呆」の字はおむつにくるまれた赤ん坊から来ていると知ってびっくり(『漢字源』より)|


 生きているとも死んでいるともつかない、この曖昧で茫洋とした状態こそが、人間とは何かの確証に近いのではないかと思っていた。清水の寺で法事をすると坊さんが般若心経をよく読み、何が書かれているのだろうと気になるので解説書を読み始めたら、さっそく我が意を得たりと思うようなことが書かれていた。

 

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カレー南蛮百連発:041

 東京都渋谷区千駄ヶ谷、通称、鳩森八幡神社(はとのもりはちまんじんじゃ)近くまでリコーダー二本による小さな室内楽のコンサートを聴きに行き、終わって外に出たら凍えるほど寒いので近所にある蕎麦屋で一杯飲んだ。
 カレー南蛮コレクションを始めて栃木を屋号にした蕎麦屋に入るのは二度目で、一度目はお花茶屋にある「栃木屋」だったがこちらはひらがなで「とちぎ屋」と書く。


 焼酎のボトルを1本空にして、最後にカレー南蛮蕎麦を頼んだら、タマネギと豚肉のカレー南蛮が出てきた。九条葱とカシワ肉を使った焦げ茶色のカレー南蛮目当てなのでがっかりしたが、凍える冬の夜などこれはこれで暖まる。

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目と耳の位置

|2013年1月13日|

 千駄ヶ谷まで本村睦幸さんの「小さな室内楽 第10回 2本のリコーダーによる小さな室内楽 」を聴きに行った。

リコーダー:本村睦幸,太田光子
「モンセラートの朱い本」より〈輝ける星〉
「ファエンツァ写本」より〈アヴェ・マリス・ステラ〉
ラッソ:「2声のモテットとリチェルカーレ集」より
モーリー:「2声のカンツォネット集第1巻」より
グアーミ:「2声のリチェルカーレ集」より
ファン・エイク:「笛の楽園」より2重奏曲
ヴィヴィアーニ:「ソルフェッジァメント集」より
ブラヴェ:2重奏ソナタ第3番
テレマン:「9つの2重奏ソナタ集」より ソナタ第1番  ほか
小さな室内楽第10回は、太田光子さんをお迎えしてリコーダーデュオをお聴きいただきます。ルネサンスから初期バロックにかけて、ビチニウムと呼ばれる2重奏曲が非常に沢山作曲されています。今回は、ルネサンスリコーダーを用いて2声対位法の粋ともいえる様々な作曲家のビチニウムを取り上げるほか、更に古い中世の2声の器楽曲、加えてテレマンなど、後期バロックのデュオも演奏します。広い時代に渡るいろいろなタイプの2重奏曲をお楽しみください。(本村さんのサイトより)


 一番前の席が空いていたので躊躇なく座ったが、二人の指使いや息つぎまで、演奏の様子が細部まで見えて面白い。細部まで見えるのは良いのだけれど、見えすぎると視覚的な情報にひかれて耳の方がおろそかになるので目を閉じて聞いていたら、
「目を閉じていたらどちらがどういうパートをひいてどう受け渡しが行われているかわからないでしょう」
と家内が言う。小さな音楽会では目と耳の位置を総合的に考慮してバランスの良い席を決めなくてはだめだと思った。

 

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巨大照準器

|2013年1月12日|

 

 郷里静岡県清水の友だちからメールが来て、住所を書き間違えたので年賀状が戻ってきてしまったという。戻った年賀状の写真が添付されていたので見たら、部屋番号の「4」を「8」と書き間違えただけで届かなかったらしい。同じ階なので玄関脇に並んだ郵便箱も4つ隣であり、それくらい見つけて届けてくれてもいいのにと思う。的の中心を矢は外したけれど、すぐ横に図星は見えていたはずなのだ。

   ***

 配達不能で戻ったハガキと一緒に自宅から写した富士山の写真が添えられていて手前に浜石岳らしき山がが写っていた。浜石岳は清水で生まれ育った子どもたちが遠足などで登る眺望の良い手軽な山だが、小学生時代を東京で過ごしたので登ったことがない。浜石岳にいちど登って見たいと思っているが、実は清水で一番登って見たい山は他にあって標高836.2mの高山だ。
 静岡鉄道桜橋駅近くにある文殊稲荷神社は、拝殿から参道と鳥居をつなぐと照準がぴったり高山に合っている。文殊稲荷神社なのだから西にある龍爪の双子山、文殊岳に合っていてもよさそうなのになぜか高山に合っている。
 この文殊稲荷神社を作ったのは武田の陰陽師だと言われている。入江あたりは甲斐の人たちがたくさん住んでいた。文殊稲荷神社の拝殿から鳥居に向かって鏡面状の物で光を反射させれば高山山頂から見えるはずで、高山は武田の家来が常駐したという駿河への侵略路樽峠へ、太平洋岸の情勢を光通信するための中継点だったのではないかと勝手に想像している。神社は巨大照準器であると思って目と足と地図で確かめると建立の意図がわかることが多い。


 誰か地元で高山ハイキングをネット記事にしている人はいないかと思ったらちゃんとおられた(吉原から高山)。添えられた写真を見たが、日本の里山は人の手入れが絶えて木々が生い茂りすぎ、昔の眺望を得ることが難しそうに見える。山は平地からはよく見えるけれど、山側に身を置いてみると、ちっぽけな人間では往事の眺望など得られないのかもしれないなぁと思うと登山欲が萎える。
 だが人の登山欲は萎えても情報中継点としての山の機能はまだかくしゃくたるものがあるようで、高山は三角点であると同時に、美しい姿をぶちこわして高圧送電線中継用の巨大鉄塔が建てられている。

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床屋と茶摘み

|2013年1月11日|

 

 義父と一緒に通った近所の床屋さんが廃業されたので新しい床屋に行ってみたのがちょうど一ヶ月前になる。また髪が伸びたので今年初めての散髪に出かけた。
 床屋というのは店ごとに作法が違っていて面白い。前の床屋はまず髪に霧吹きで霧を吹いた。ちょうど山の斜面の茶畑に霧がおりたような状態にしてからおもむろに刈り始めるのだけれど、新しい床屋ではシャワーの雨を降らせて山ごと洗い、ドライヤーの日差しを当てて湯気が立ち上る雨上がり状態にしてから刈り始める。
 目を閉じて耳を澄ますと、同じハサミを使っての茶刈りでも音色やリズムにはっきり違いがあるのが面白い。新しい床屋では刈り終えた茶の樹勢を整えるのに時間をかけるようで、切り終えた茶葉も細かいだろうなと思う。
 顔そりの剃刀を顔に当てるやり方も違い、前者が枝まで深く剪定するのに対し、後者は表面をさっと撫でるように刈る。前者は剃刀負けした皮膚に養生用クリームを塗って仕上げに天花粉をはたくが、後者はクレンジングクリームのようなものを塗って毛穴掃除やマッサージをして丹念に土壌の手入れをする。

 思えば前者の床屋と後者では親子ほど歳の開きがあり、作法の違いは理容技術を学んだ時代の違いなのだろうなと思う。看板に1930(昭和5)年創業とあるので、
「三代目?」
と聞いたら、
「はい、おじいちゃんが始めて、今はお父さんと僕がやってます」
とのことだった。新しい床屋では三代目が店を継ぎ、廃業された店の息子さんは理容師修行を経て犬のトリマーになったと聞いた。

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苦味

|2013年1月10日| 

 

 清水の櫻珈琲にメールで注文したイタリアンブレンド 300 グラム × 3 袋が翌 9 日朝に宅急便で届いた。昨秋からコーヒーはこの深煎りばかりを飲んでいる。今年の冬はひどく寒い気がし、コーヒーというのは焙煎が深いほど「温」の食物の側に傾くのか、飲んでいて体が温まるからだ。

   ***

 痛みと痒みは生理的に似た現象かもしれなくて、痒い場所を掻くと気持ちいいので掻いているうちに血が出たりし、痒いんだか痛いんだか気持ちいいんだかわからなったりする。いわゆる「恍惚として痛がゆい」状態だ。
 じょうずに深煎りされたコーヒーというのは苦いだけでなく酸っぱ味が抑えられたかわりに微かに甘い。「ああ温まるなぁ」と飲んでいると苦味と渋みと甘みが渾然一体となって旨い。大の魚好きだった母親は、鮎や鰯や秋刀魚などを焼くと、はらわたさえ食べれば身はどうでも良くて、はらわたは苦くて甘くて旨いから大好きだと言っていた。触覚でも味覚でも、相反する刺激が一体になると人は快感と感じることがあるのだろう。

 子どもの頃、たいへんな山奥にある義理の叔母の実家を訪ねたら、同い年くらいの子どもたちがおり、チョコレートというものを食べたことがないという。食べてみたいというので分配したら「苦い」と吐き出してしまい、「これは苦くてアンコじゃない」と言っていた。確かにチョコレートは苦味と甘味が渾然一体となって旨いわけで、それを旨味と感じるのは学習によるものなのだろうか。子育てをしたことがないのでわからないけれど、子どもというものは初めて食べる苦甘い食べ物には最初拒否反応を示すものなのだろうか。
 ちなみに深煎りコーヒーの甘みは、上手に焙煎することで豆に含まれるわずかなカラメル分が表面に出てくるからだという解説がネット上にあった。

 

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毛埃

|2013年1月9日|

 

 病院付き添いと老人ホーム食事介助に出かけた妻が鍵束を落としたとしょんぼりして帰ってきたが、昨日大宮駅近くの中華食堂に寄ったらちゃんと拾われていて手元に戻った。良かったよかった。

   ***

 床をすべてフローリングにしたので自宅も仕事場も毛埃(けぼこり)が目立つ。晩秋の牧場では枯れ草が転がったように牧草ロールが作られているが、あれと同じように風で飛ばされた埃が床を転がって毛埃ロールになっている。家の特定箇所に毛埃ロールが吹きだまる場所があり、それらに脅されるようにして掃除機掛けをするのが冬の風物詩なのだけれど、今年は妙に毛埃が目立つ年で、気にし出すとむきになるタイプなので年が明けてからは毎朝掃除機をかけている。
 今年は寒いと言う人が多く、確かに寒いし空気が乾燥して皮膚も痒い。そういう気候の冬なのでいっそう毛埃が発生しやすいのではないかと思う。あるいは年末年始にかけてシーツや、布団カバー、毛布などの寝具を新しくしたので、そのせいで毛埃発生量が変わったのかもしれない。布団カバーひとつ取っても、布地の織り密度が違うだけで毛埃を放出する量が違うのだという。

 むきになってやっているとはいえ毎朝掃除機をかけるのも大儀ではあるので、ネットで
「家で一日中ごろごろしていて床の毛埃をすべて吸着してくれる猫型お掃除ロボットがあったら飼いたい」
とつぶやいたら友人が私も飼いたいという。部屋の中を歩き回りゴロゴロ転がっては静電気で毛埃を吸着する猫型掃除機を作るのは簡単そうに思えるし、一日かかって毛埃吸着を終えた姿はかわいいのでペットにもいいと思うのだけれど、体中に付着して帯電した毛埃をどう始末するかが問題で、結局人間が手を煩わせられるのなら嫌だなと思う。
 藁を編んで作った猫用のペットハウスの一種に猫つぐらというものがある。その猫つぐらに充電を兼ねて掃除猫が入ると体中の毛埃を吸い取ってゴミ袋にまとめてくれる機能があれば解決するわけで、どこかのメーカーがセットで作らないかと思ったりしている。

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饂飩

|2013年1月8日|

 

 正月になってから書いた年賀状の返事が何通か戻り、年上の人たちが確実に年を取ってしんどそうな気配を感じたので、戸田書店発行の雑誌『季刊清水』に一筆箋を添えて郵送した。

   ***

 結婚して三鷹市のアパートで暮らし始めた頃から、東京も西に行って山に近づくにしたがって麦文化の国になるのだなと実感しつつ、素朴で美味しい饂飩を食べさせる店を何軒か見つけた。小麦粉を練って延ばしたものの本当の美味しさに目覚め、各駅停車の電車を西へ乗り継いで山あいを抜け、甲府までほうとうを食べにいったこともある。やがて車を運転するようになったら、埼玉という土地もまた美味しい饂飩を食べる地域であることに気づき、さらに足をのばせば群馬もまた美味しい饂飩の国であることに気づいて現在に至る。

 義父母がさいたま市の老人ホームで暮らすようになり、義父が他界した後も面会のためさいたま通いが続いている。帰りは大宮駅前で食事をしたり買い物して帰ることが多いけれど、美味しい蕎麦の店より美味しい饂飩の店を探す方がたやすく、自宅で鍋をする時などは手打ちのゆで饂飩を買って帰ることが多い。
 都区内でもスーパーマーケットの麺類売り場を見ると饂飩文化圏の影響を受けてか、埼玉や群馬にある聞き慣れない製麺所の饂飩を売っていることが多い。国産小麦100%使用をうたい、かすかに黄ばんで純白ではなく、太い細いがあって持ってみると弾力がある。昨日もそういう群馬の饂飩を見つけ、年末年始で売れ残ったのか三割引になっていたので買ってきたがとてもおいしかった。

 ネットで注文した古書、雄山閣『やくざの生活』田村栄太郎が届いた。田村栄太郎は1893(明治26)年、群馬県高崎市の出身で Wikipedia をひくと「反骨・在野の民間史学者だった」とある。読み始める前にパラパラとめくったら博徒・テキ屋の隠語紹介に数ページが割かれていて面白い。「ナガシャリ」は饂飩のこととあり、確かに米の貴重な山間地域で饂飩というのは、麦を挽いて捏ねて打って延ばして食べる「長いご飯」だったのだろうとしみじみ納得した。警察や刑務所などでは今でも麺類すべてを「ナガシャリ」と隠語で呼ぶことがあるらしいが、群馬生まれの明治人が「うどん」とだけ書いているのも微笑ましい。


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関係だけ

|2013年1月7日|

 

 今日は今年初めての病院付き添い日。仕事始めということもあって忙しいので、家内が介護タクシーを使って一人で付き添う。雪国富山で生まれ育った親子で寒さには我慢強いとはいえ、朝の冷え込みが少しは和らいでいるのがせめてもの救いになった。

   ***

 冬山遭難をあつかったドラマなどを見ると「眠っちゃだめだ!眠ると凍えて死んでしまうぞ!」などと声をかけ手をかけ、心と体を揺すって励ますシーンをよく見る。その逆というのはとんと見かけないけれど、寝苦しい夏の夜、蚊の大群にまとわりつかれ「眠りたい、眠らなきゃだめだ!眠っておかないと明日外に出て熱中症で死んでしまうぞ!」などと自分を励まして耐えたことはある。寒さが苦手なので前者には耐えられなくて眠りの誘惑にすぐ負けそうな気がするけれど、雪国育ちの家内は後者が耐えがたくて間違いなく熱帯夜の不眠を選ぶという。
 暑さ寒さに耐えられるか耐えられないかは、体力の問題でもあるし気力の問題でもある。気力が横溢している時は暑さ寒さなどに負ける気がしないけれど、気力が萎えている時に暑さ寒さがきわまると「死んじゃう」などという本音に近い弱音をすぐに吐いてしまう。気力と体力は個別に存在するのではなく相互の関係でしかない気もする。


 先週の金曜日に寒気がして謎の発熱をしたので毎日こんなことを日記に書いていたら、ネットで注文した本『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』と『現代語訳 般若心経』の2冊が同時に届いたので、完全同期読書という方式で読み始めてみた。それぞれが同じ箇所を解説している部分ごとに読み進めるのだけれど、「えてこでもわかる…」の方はサルにもわかるようにということで極力簡潔に書かれているのに対して、後者は僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久なので落ち着いて懇切丁寧に書かれており、ちょっと読んでぐーんと引っかかる、ちょっと読んでぐーんと引っかかるの繰り返しになっている。そうだよなぁ、すべては関係性で成り立っていて、ほかに何もなくて関係性こそがすべてなんだよなぁと頷くことが多い。そんなことをしながらちょっとつまみ読みするベイトソンの、関係という現象こそが精神であるという話しにも、そうだよなぁとやはり頷く。


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視覚と寒気

|2013年1月6日|

 

 昨日は風邪の引きかけのような状態で、夕方になって寒気がしたので早々に自宅に戻った。暖房を入れてテレビをつけたら霞ヶ浦あたりの新春レポートが放送されており、腰まで水に浸かって収穫するレンコン農家や、早朝の霞ヶ浦にこぎ出してワカサギや白魚漁をする漁師さんが紹介されていた。自由業なので風邪で寒気がすればさっさと早引きして布団に入れる自分に比べて、こういう職業の人はそうもいかないのだろうなと思って映像を見ていたら、寒くて寒くて正視にたえなかった。実際の温度ではなく見た目の寒さを感じて震え上がるということが人間にはあるようで、寒さは見た目に対する反応の影響をかなり受けているのではないかと思う。

 じっくり寝たおかげで今日の朝には体力を持ち直し、暑くて布団をはねのけるくらいになっていた。朝食を食べながらテレビをつけたら、海から北海道余別川に登ってくる魚たちを撮影した自然ドキュメンタリーが放送されており、清冽な水の流れが刻んだ小さな滝壺にカメラマンが潜って、産卵をする魚たちを撮影していた。昨夕なら震え上がって正視にたえられなかったような映像を平気で見ているわけで、見た目から感じる寒さは体調の善し悪しという影響をかなり受けているのだろうとも思う。というわけで、昨夕の体験とあわせてまとめるならば、見た目の寒々しさが寒さの感覚を強化する場合もあれば、体調の良さが見た目から実際の寒さを想像することを難しくしていたりするわけで、視覚と体感は相互に影響しあってて寒さを人に感じさせている、ということになるのだろう。

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寒気と発熱

|2013年1月5日|

 

  今日は日本じゅうがとてつもなく冷え込んだ朝らしいけれど、目が覚めたら身体の芯まで冷え切ったような感覚があり、熱を測ったら微熱があるので午前中寝ていた。

 人間の体の中にも発熱する炉があるような気がして、身体の芯まで冷え切ったような感覚があったら、炉の出力が上がって皮膚表面まで熱が行き渡るような感覚が戻るまで、暖かくして寝ているのが一番だと思う。
 とはいうものの仕事があるので我慢して午後から起き、夕方まで頑張ったところで身体が冷え始め、体内の炉が停止しそうなので自宅に戻り、作ってもらった温かいものを食べて炉が動いているうちに布団に入って就寝した。

 「身体の芯まで冷えた」と言ってもたぶん人体の中心部が冷えたわけではないし、「身体の中心に発熱炉がある」と言っても人体の中心部に本当に炉があるわけではない。けれど、芯から温まったり冷えたりしているように感じる心の仕組みが不思議で、高熱を発しながら悪寒に震えるという矛盾した現象の不思議さを身にしみて思う寒い冬の日だった。とは言ってもこれもまた本当に身体にしみてるわけじゃないらしいのだけれど。


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恥ずかしさと電子読書

|2013年1月4日|

  未明に目を覚ましたら、新潟の友だちが外に出て車に積もった雪除けをするとネットでつぶやいているので、どこかに遊びに行くのかと思ったら残念ながら今日が仕事始めだという。

 そんなわけで早朝から気合が入ったので、いつも通りの朝食当番を再開し、電子書籍リーダーを脇において本を読みながらのんびり仕事を始めた。

   ***

 電子書籍といえば、紙の本があるのになぜタブレット端末を持って電子読書をするかというそもそもの動機が希薄なので、いかにも「わたしはわざわざ電子読書をしています」といった姿を人前にさらすのが恥ずかしい。スマートホンでそれをやっても恥ずかしくないのは小さいからで、自分にとって恥ずかしくない道具の大きさはせいぜい文庫本程度までだと思う。

 そういう恥ずかしがり屋向け e-ink ブックリーダーがあってもいいんじゃないかと思って検索したらちゃんとあった。楽天が販売しているkobo miniがそれで、なんと寸法が文庫本よりひとまわり小さく、デザインもメカメカしていなくて存在感が小さく、値段もまた 6,980 円とかなり小さい。

 電子ブックリーダーというと機械よりコンテンツが重要で、商品である電子書籍の量、その多寡が比較の基準になっているようだけれど、自分にとっての電子ブックリーダーはまず「青空文庫リーダー」であり、青空文庫を読むのに都合の良いハードであればそれでいい。青空文庫になくて読みたい本は紙に印刷して製本されたものを買うことにしており、無料の青空文庫を上手に利用する層はかえって本を「買う」層に重なるのではないかと思う。

 ネットで注文したら翌々日に届いたので、さっそく気になっている本を入れて読み始めたが、文庫本のようにポケットにさっと突っ込んで外出できるのがとても良い。持っていて生活が楽しくなる姿かたち寸法が製品の基本であり、そのうちどうしても買ってまでしてこの道具で読みたいコンテンツが現れたら購入もあるかもしれない。横並びコンテンツ競争、価格競争でなく、魅力的な物づくり競争も大切だと、kobo miniをポケットに突っ込みながら思う。


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遠州土産

|2013年1月3日|

 昨日に続いて仕事場にこもり年賀状書きをした。
 箱根駅伝は日本体育大学が往路に続いて復路も制して総合優勝で終わり、参加全チームがゴールしたのを見届けて落ち着いたところで、書き上げた年賀状をポストに投函しに出たが、駅伝が終わったとたんにぐっと冷え込みを感じるのを毎年面白く思う。ポストから帰ると郵便配達が来ていて、また年賀状が届いていたので返事を書き、結局夕方までに100枚弱を書いた。

 朝一番で清水の後輩から荷物が届いており、隙間なく詰められた温州ミカンの緩衝材に護られ、毎年恒例、法多山(はったさん)尊永寺名物厄除け団子が入っていた。静岡県西部に住む友人たちは正月になると法多山に出かけていたようだけれど、中部地方では遠いせいかそれほどでもないようで、実は一度も行ったことがない。一度行ってみたいと思っていたけれど、親たちが次々に他界してしまうと、あえて出かけてみたいと思う気持ちが萎えてしまうのが不思議で、関東厄除け三大大師もそうだけれど、厄除け観音などへの信仰心は家族を思う心に支えられているのかもしれない。郷里清水で毎年法多山詣でをする友人は珍しく、ああ今年も遠路はるばる親孝行の観音様詣でをしたのかと感心し、貰うたびにありがたくいただいている。

 法多山尊永寺は遠州三山のひとつで医王山油山寺、萬松山可睡斎とともに静岡県袋井市にある。遠州で思い出したけれど、歴史の本を読んでいたら駿州に「しゅんしゅう」というルビが振られており、漢音でも呉音でも「しゅん」の読みしかなく「駿(しゅん)なる川」という意味で駿州と名づけられたのだから「しゅんしゅう」と読むのかと納得したことがある。ところがさまざまな資料を読むと「すんしゅう」と読むのが当たり前のようで、静岡では駿東郡とか駿豆線とか駿府城とか「すん」でなければ困る名前が溢れている。

 

 「しゅん」を「すん」と読むのは拗音簡略化による慣用音であり辞書にも「すん」(慣)と読みがあるのでまあいいとして、駿河の駿を「する」と読むのが釈然としない。「駿なる川」→「駿河(しゅんが)」→「駿河(すんが)」までは筋立てが成り立つので、律令制時代の名前である珠流河国造(するがのくにみやつこ)とくっついて「駿河(するが)」となったということだろうか。慣用音のさらなる慣用化とも言えるけれど辞書に「する」(慣)という読みは見あたらない。

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大菩薩峠

|2013年1月2日|

 大晦日、元旦と二日続けて老人ホーム通いしたので、今日は終日仕事場で年賀状書きをした。親たちの介護が始まって丸十年が経過し、賀状書きは三箇日が終わってようやくとりかかるという習慣になって久しい。宛名書きは手書きと決め、元旦に届いた賀状の返事書きから始めるので、すべて書き終えるのに何日もかかってしまう。

 世界一長い小説をめざして書き続けられた中里介山『大菩薩峠』、その8巻「白根山の巻」に甲駿国境清水区の徳間峠が登場すると聞いたので青空文庫で読んだらなかなかおもしろい。十数巻まで仇討ちものだった時代は民俗的記述が面白いそうで、そういう観点で読むと確かに興味深い。どうせ読むなら最初からということで、第一巻「甲源一刀流の巻」から読みなおしている。

 中里介山は1885年、明治18年生まれの明治人なので、話の本筋とは別に、生活者である筆者が知っている過去の時代、描かれている今すなわち筆者が生きる時代の背景を想像して重ねてみると面白く、古い時代の古い人が書いたものはそれだけで面白みを帯びている。そんなわけで元日に続き、二日未明も布団の中で『大菩薩峠』を読んでいる。

2013年1月2日の夕暮れ。正面がサンシャイン60、その右にある煙突が豊島清掃工場。
その奥に見える山塊に大菩薩峠から連なる大菩薩嶺がある。

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