江岸寺

|2013年1月16日|

 

 義母が暮らす埼玉の特養ホームのユニットに、90代半ばを過ぎているとは思えない元気な絶叫型おばあさん、愛称ばかやろーおばばがいる。ばかやろーおばば得意のセリフに
「てめぇーばかやろー!ほーじょーの連中の思い通りにはさせねー!」
があり、そのセリフが飛び出すたびに「ほーじょーの連中」って誰だろうというのが話題になっている。

 我が家に一番近い寺、本駒込二丁目にある江岸寺参道も昨夜の雪で真っ白になっていた。数年前まで江岸寺を検索するとこの江岸寺、高岩寺と変換されるととげぬき地蔵尊の高岩寺がヒットしたが、今では先の大震災で被災した大槌町の江岸寺に関する記事が上位に並ぶ。

|江岸寺参道(2013年1月15日)|


 本駒込の江岸寺は家康の家臣鳥居元忠の菩提を弔うため息子忠政が建立した寺で、以後鳥居家の菩提寺となっている。鳥居元忠というのは確か家康がまんまと罠にはまったと見せかけるため上杉討伐に向かい、その隙に伏見城明け渡しを迫った石田三成方の攻撃を留守居役の元忠が受けて立ち、孤軍奮闘、獅子奮迅の戦いの末に討ち死にし、家康が関ヶ原の戦いをする動機付けに役立った人で、この辺りはずいぶん小説になっている。

 話はとんで埼玉の特養近くにあった城といえば岩槻城。岩槻城は太田道灌に繋がる太田氏の居城だったとき、当時伊豆から相模までを統治していた北条氏に侵略され政略的に制圧されている。この話でばかやろーおばばの
「てめぇーばかやろー!ほーじょーの連中の思い通りにはさせねー!」
という絶叫を思い出す。その後岩槻城は北条の支配下になっていたが、天正18(1590)年の小田原征伐に参加した鳥居元忠らによって攻められ陥落している。
 ということで特養ホームのばかやろーおばばと岩槻城と北条の連中と江岸寺と鳥居元忠が強引に結びつくことになるが、この呆けたおばあさんから
「てめぇーばかやろー!とくがわの連中にも思い通りにはさせねー!」
が飛び出すと史実は裏付けられる。


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