自分って何だ

 |2013年1月30日| 

 子どもの頃、考えていると夜眠れなくなるほどの疑問があり、それらの中で一番大きなものは、人はなぜ死ぬのか、死んだあと自分はどうなるのかということだった。ひとりぼっちの夜、明かりを消した部屋で布団に潜り込んでそんなことを考えていると、無限の虚空に吸い込まれてしまいそうな気がしたものだった。
 吸い込まれて行くのに身を任せていたらそのまま発狂してしまいそうなので、問題を発狂しない程度の大きさに切り分けた。たとえば「死んだあとの自分はどうなるかと考えている自分」って何だろうという疑問を取り出し、そもそも自分で自分がいなくなったあとのことを心配して気も狂わんばかりになっている事自体がおかしいのではないかと、幼ごころに考えた。


 おかしいと思う大問題を小さく切り分けていくと実験可能な事があり、お布団の中は小さな心の実験室になった。
 人には二本の手があるが、右手で左手を触りながら、「左手に触っている右手の自分」と「右手に触られている左手の自分」の両方を同時に感じることができるだろうかという実験をした。触ったり、抓(つね)ったり、引っ掻いたりしながら、手だけでなく顔やお腹などと場所を変えながら、どこに触り触られても同時に二つの自分にはなれないことを確かめ、死んでいる自分を気遣うもう一つの自分を心の中で創り上げてくよくよ考えること自体がそもそもおかしいのだと結論づけ、眠くなってきた自分の中に潜り込み、自分と自分を一つに重ね合わせて眠ったものだった。 

 

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