▼染井銀座の三角ちまきと霜降銀座のタケノコ

 


染井銀座に昔からある和菓子屋櫻井本店。母親がこの店の赤飯を好きで、僕が小学生の頃から前を通るたびに買っていた。

4月17日、店の前を通りかかったらなんと新潟名物三角ちまきが売られていた。どうして櫻井本店に新潟の三角ちまきがあるのだろうと驚いて、まず頭に浮かんだのがNHKの桜井洋子アナが新潟県出身であること。もしかしたら櫻井本店も新潟に縁があるのではないかと一瞬思ったのだけれど、
「新潟の三角ちまきを売られていますが、ひょっとして櫻井さんはもともと新潟出身じゃないですか?」
などとはちょっと聞けない。




染井銀座商店街の櫻井本店。



かつて新潟県小出町の友人宅を訪ねたら、帰りがけにお母さんが手作りされたという三角ちまきをおみやげに貰ったことがある。三角ちまきは初めてで、笹だんごのようにアンコの入った甘い食べ物かと思ったら、中味は味のない真っ白なうるち米のご飯だった。きっとご飯がわりに食べるものと思い、蒸し器で温め笹の皮をむいて茶碗に入れ、おかずと一緒にいただいた。



櫻井本店店頭の三角ちまき。



なんと櫻井本店の三角ちまきの後ろにきなこがあるので
「(えっ、きなこをつけて食べるの?)」
と驚いてネット検索したら、三角ちまきはきなこをまぶして食べるものらしい。櫻井本店できなこと一緒に置かれている三角ちまきを見かけなかったら今でも知らずにいるところだった。

桜井洋子アナは上越市出身なのだけれど、かつて郷里静岡県清水とは中学生の交歓会を通じて自治体同士の縁が深かった時代がある。そんなこともあって新潟県人がちょっと気になるのだけれど、桜井アナも、同じ新潟出身の女優大桃美代子も、どちらも新潟帰省中に中越地震に遭遇したと聞いて驚いた。新潟の友人は長岡の実家に帰省していて地震に遭遇し、僕は介護帰省中の清水で速報を聞いた。



霜降銀座細野商店の両河内産タケノコ。



新潟の友人にも届けられたという静岡県清水両河内のタケノコが霜降銀座細野商店店頭に並んでいた。郷里への贔屓もあるけれど、両河内のタケノコは日本一美味しいと思っているので、ふるさとを褒められたようで嬉しい。

 
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▼飛鳥山のアスカルゴ

 


ひとりの昼食のため、小学生時代に通ったラーメン屋、王子「かいらく」まで出掛けた帰りに、飛鳥パークレール・アスカルゴに乗ってみた。




左:飛鳥山公園入口駅、右:福岡県飯塚市にある嘉穂製作所が製造。



「飛鳥山公園入り口」と「飛鳥山山頂」、総延長48メートル斜度24度を2分間でつなぐ小型モノレールで、無料のバリアフリー設備として助かる人も多いと思う。




左:発車直後、右:次第に高度が上がる。



マンション10階に事務所と住まいを2区画借りて暮らしていたことがあり、暮らし始めた当初は目が眩むかと思ったけれどいつの間にか感覚が麻痺し、数十階もある高層ビルに登らないと高いところに登った気がしない。



飛鳥山山頂駅到着。



その反面、自宅でひょいとどこかに置いたものが見つからなくて困った時は、椅子の上に立って高い視点から探すと、冷静になって見つけられることが多い。たかが50センチほど視点を高くして住まいを見下ろしただけで、目眩がするくらい新鮮に見えるのが不思議で、人間の感覚は面白い。



飛鳥山山頂駅。



たかが18メートルの高低差だからたいした感動もないだろうと思っていたけれど、高度が上がって王子駅前がだんだん眼下に遠ざかっていくのが面白く、思わず声をあげたいところを堪えていたら、お母さんと初めて乗ったらしい幼児が
「わぁ~すごいすごい、高いね~」
と歓声を上げてくれて、我が意を得たようで嬉しい。


 
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▼病院の春

 


文京区の健康診断を久しぶりに受けたらあちこち怪しい部分が見つかり、再検査になったので自宅に最も近い都立駒込病院に紹介状を書いて貰った。

大腸内視鏡検査を受けることになっていたのだけれど、4月6日午前8時半の予約を1時間遅く思い違いしており、20分前に気づいて慌てて走った。病院の近所を選んで住まいを決めたわけではないけれど、大きな病院が近くにあるおかげで家族にかける負担が少なくて良かったと思う。

生まれた時から腸が弱くて、いずれ大病をするなら腸だろうなという予感があった。
検査の結果、少し大きめのポリープがひとつ見つかったので取ったとのことだった。他に心配するような部位は見つかりませんでした、と若い医師は言っていたけれど、担当医による16日の検査結果を聞くまで詳細はわからない。




都立駒込病院の桜。上富士方面からはこの先の通用門が近道になっている。



生まれたときからヘルニアで、小学校四年生になったら手術をしようと幼い頃から言われていた。北区王子から京浜東北線に乗り、埼玉県の済生会川口総合病院に入院して手術を受けたが、母ひとり子ひとりで付き添ってくれる人がいないため、郷里静岡県清水から祖母が上京して付き添ってくれた。

術後、普通食が食べられるようになったら、祖母が病院近くの魚屋で茹でたての毛ガニを買ってきて食べさせてくれ、その美味しさを忘れないので季節は今ごろ、春休みを利用した入院だったのだろうと思う。

検査を終えて外に出たら駒込病院脇の桜も満開になっており、ふと小学校4年の春を思い出した。



2010年4月7日
◆消費カロリー:594kcal
◆歩行移動距離:5.0km
◆歩数:7228歩
◆脂肪燃焼量:79.2g

 
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▼桜と早春賦

 


 義父母が15年間暮らしたマンション9階の住まいから、毎年この季節になるとひとかたまりの桜が咲く寺が遠くに見える。
 散歩に出たついでに行ってみたその寺は臨済宗東福寺派天澤山龍光寺といい、境内に立派な歌碑があって大好きな唱歌「早春賦」の歌詞が刻まれている。この寺には作詞者吉丸一昌の墓があるという。




龍光寺は寛永9年(1632)に創建され、大火後の明暦2年(1656)現在地の文京区本駒込1-5-22に移った。



 明治6年~大正5年(1873~1916)国文学者・作詞家。
 現大分県臼杵市で生まれ、苦学して東京帝国大学国文科を卒業した。上京時の一時期、この龍光寺に身を寄せた。
 明治42年(1909)東京音楽校の教授として招かれ、唱歌の編集に携わったが、徳育的な文部省唱歌に飽きたらず、言文一致の子どもの目線にたった『新作唱歌』全10集を明治45年から大正3年にわたり発表した。
 作曲は、東京音楽校を卒業した若い作曲家を起用し、「おたまじゃくし」「蛍狩」「早春賦」などを作った。これらは、後の童謡運動のさきがけとなるものであった。
 その代表作「早春賦」は『新作唱歌』第3集に収録され、中田章作曲による美しいメロディにのり、大正2年に発表された当時から女学生を中心に歓迎され、今も親しまれている。
 大正5年(1916)3月7日、心臓発作のため、駒込動坂町(現千駄木四丁目)の自宅において、43歳の若さで急逝した。今は縁のあった龍光寺に眠っている。
(文京区教育委員会の解説板より)


春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か




吉丸一昌作詞「早春賦」の碑。
 
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▼正洞院の桜

春日通り(都道453号線)新御徒町駅前から清洲橋通りまで、春日通りと並行する全長330メートルの全蓋式アーケードの商店街があって佐竹商店街といい、金沢片町商店街に次いで日本で2番目に古い商店街なのだという。佐竹商店街という名の由来は秋田佐竹藩の屋敷があったことに由来し、その辺りを散歩して見つける歴史解説板を読むと、佐竹家由来の旧跡であることが多い。

 




台東区下谷2-6-2、曹洞宗正洞院。



4月4日、入谷長国寺で開かれる宝井琴梅さんの辻講釈を聞くために言問通りを歩き、下谷2丁目辺りで誘われるように脇道にそれたら桜の美しい寺があり、曹洞宗正洞院という。帰宅してからふと調べてみたら、秋田藩初代佐竹義宣が、正室正洞院のために建立した寺なのだという。ああこんな場所にも佐竹家所縁の史跡が、とちょっと驚いた。

 
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▼下四桁

 


東京下町の木造賃貸アパートで暮らした小学生時代は部屋に電話など引けるはずもなく、アパートと路地を挟んで隣り合っていた大家が呼び出しをしてくれた。
「○○さん、お電話ですよ」
と大家が呼びに来てくれ
「はーい、今行きます」
などと下駄を突っかけて電話を借りに行ったのだから、なんとものんびりした時代だった。




1929(昭和4)年築の入谷金美館通り商店街『水上(みずかみ)酒本店』。



小学校を卒業し、郷里静岡県清水に戻り、母親が飲み屋を始めて嬉しかったことの一つは、店舗兼用住宅に電話が引かれたことで、その電話番号下四桁「1516」は今でも忘れない。そして入江南町にあった僕の生家を伯父から買い取り、母が引いた電話の下四桁が「1461」で、母が年老いてからは毎朝夕安否確認の電話をしていたので、やはり今も忘れないし一生忘れないと思う。




『水上酒本店』の軒先にて。



現在の住まいに引っ越した際に引いて、今も使っている電話の下四桁は「7930」で、携帯電話を購入する際に選んだ番号下四桁も「7930」なので、これもまた一生忘れることのない番号だと思う。

それ以外に、母が開いていた藍染工房の下四桁が「3838」だったこともいまだに覚えているけれど、学生時代の北区西ヶ原、卒業後の杉並区高円寺、結婚してからの三鷹市上連雀、文京区向丘、文京区千駄木と、移り住む度に変わっていった電話番号はすべて思い出せないので、その他の番号は早晩忘れてしまうのかもしれない。


 
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▼桜とイナバウアー

万歩計を持つことにしたので張り切って歩き始めたけれど、4月5日は終日雨で、雨の日に長い距離を歩く気になれないので仕方なく運動不足になる。結局一日の歩数は2976歩だった。


連日の風雨で六義園のしだれ桜も足早に散り始めている。散り終えて葉桜になるまで定点観測しようと決めたので、昼食後に多少の運動も兼ねて入園してみた。




桜の下のレイバック



しだれ桜は散り始めたけれどソメイヨシノはこれからで、傘をさしたご婦人が携帯電話のカメラで熱心に撮影されていた。

背中に重そうなリュックを背負い、傘をさし、携帯電話を掲げ、仰角撮影のためウンッ!と後ろ反りのまま静止している姿を見て、これでつま先を横に180度開いたら荒川静香のレイバック・イナバウアーになってかなり得点が高いのに、と思う。

帰宅してご婦人を見習いウンッ!とレイバックして体操をした。



2010年4月5日
◆消費カロリー:558kcal
◆歩行移動距離:2.0km
◆歩数:2976歩
◆脂肪燃焼量:74.4g

 
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▼万歩漫歩散歩 東京スカイツリー



台東区浅草。墨田区押上に建設中の電波塔、東京スカイツリーが間近に見える街で暮らす人々は、生活に直結した風景の中に巨大な塔が現れることで、さぞや驚いていることと思うけれど、見慣れるうちに驚きの感覚も日常性の中に溶融しつつ麻痺していくのかもしれない。



4月1日、浅草の街と東京スカイツリー。



郷里静岡県清水から上京した友人一家が浅草ビューホテルに宿泊するというので客室から夜景を見せてもらったらその巨大さに驚いた。けれど、実はひさご通りから偶然花やしき方向を見て東京スカイツリーが見えたときはもっと驚いた。



4月1日、ひさご通りから花やしき越しに眺める東京スカイツリー。



学生時代、浅草で家庭教師のアルバイトをしていたので、ひさご通りをよく歩いていた。そういう平凡な日々の暮らしにかかわる記憶の風景に、とつぜん巨大建造物が現れると誰でも驚くに違いなくて、大げさな言い方をすれば腰を抜かすほどに驚いた。


2010年4月4日
◆消費カロリー:991kcal
◆歩行移動距離:9.8km
◆歩数:14077歩
◆脂肪燃焼量:132.1g


 
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▼万歩漫歩散歩 新交通システム



荒川区西日暮里。放射第11号線尾久橋通り。
日暮里駅を発車した日暮里舎人ライナーの車両が尾久橋通り上の高架へとカープして出てくる。
4月1日、郷里静岡県清水から親子三人で上京した友人と浅草に向かうためこの道を通った。大宮の鉄道博物館に行ってきたというのでどうやって行ったのかと聞いたら埼玉新都市交通伊奈線・ニューシャトルに乗って行ったのだという。



日暮里・舎人ライナー。



大宮に新交通システムがあることを知らなかったので、この上を走っている日暮里・舎人ライナーのように無人運転なのかと聞いたら、運転手がいてワンマン運転だったという。たとえ自動列車制御装置や自動列車運転装置がついていたとしても運転手はいた方がいいと思う。笑い話ではなく、子ども時代に乗った遊園地の小型電車も、お猿の運転手がいるいないでは安心感というものが違い、それは大事なことだと思うからだ。


2010年4月4日
◆消費カロリー:991kcal
◆歩行移動距離:9.8km
◆歩数:14077歩
◆脂肪燃焼量:132.1g

 
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▼万歩漫歩散歩 実用車のある風景



荒川区西日暮里。放射第11号線尾久橋通り。
子どもの頃、自転車はとても高価なもので、今のように放置自転車の処分に苦労する時代など想像もつかなかった。トイレも台所も共用で風呂もない六畳一間の木賃アパート暮らしで、しかも母ひとり子ひとり母子家庭なのに、自転車が欲しいと泣いて母親を困らせた痛恨の小学生時代がある。

結局買って貰えなかったのだけれど、母親が都電荒川線沿い梶原にあったガソリンスタンドに勤めたおかげで、毎土曜になると黒塗りの実用車に乗って帰ってきており、日曜日は自由に乗ることができた。



労働用自転車が並んだ歩道。



尾久橋通り沿いに実用車がたくさん置かれていた。
母親が乗って帰ってきたのは男乗りの実用車で、まだ子どもだったので三角乗りから始めたけれど、足がつかなくても怖がらずに済むくらい上達してからは、交通量の少ない日曜早朝に早起きして荒川沿いの工場地帯まで一人で出掛けたものだった。こういう男女兼用型の実用車なら、小学生でも乗り降りが楽だっただろうなと懐かしく見入ってしまう実用車のある風景。



2010年4月4日
◆消費カロリー:991kcal
◆歩行移動距離:9.8km
◆歩数:14077歩
◆脂肪燃焼量:132.1g

 
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▼万歩漫歩散歩 尾久橋通り



荒川区西日暮里。放射第11号線尾久橋通り。
放射第11号線架道橋を日暮里駅を発車した京成本線の列車が渡っていき、次の駅は三河島になる。その上にある尾久橋道路に沿った真新しい高架が日暮里舎人ライナー、尾久橋通り奥手にある緑の架道橋は常磐線のもの。



辻講釈のポスター。



常磐線の架道橋は何故か低くて、尾久橋通りが少し地中に潜るようになっていることで自動車が通行できるようになっている。六義園正門前辺りからタクシーに乗り、「浅草まで」と言って気のきいた運転手だと、不忍通り道灌山下を左折して西日暮里のガードをくぐり、尾久橋通りを右折してこの道を通る。


2010年4月4日
◆消費カロリー:991kcal
◆歩行移動距離:9.8km
◆歩数:14077歩
◆脂肪燃焼量:132.1g

 
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▼宝井琴梅さんの辻講釈



4月1日、郷里静岡県清水から花見を兼ねて上京した友人と浅草ではしご酒をし、牛にこみで有名な店のトイレに貼られていたポスターで、講談の宝井琴梅さんが開かれている辻講釈の会を知った。



辻講釈のポスター。



「講談は、1.俗談平和に語り 2.座興の笑いを結ぶ 3.猛勇の知弁をふるう、というから難解な話を分かり易く、面白楽しく、そして最後に一番自分の言いたいことを言えば良いのだが、いざ聴衆の前に立つと思うように語れない。しかし高座百遍(同じ話を繰り返せと、場数を踏めという意味)。めげず、へこまず、あきずにやり続けることだ。」(宝井琴梅『辻講釈のすすめ』より)



長国寺。



川越・蓮馨寺(れんけいじ)境内と鎌倉・安国論寺境内で開かれている辻講釈を、酉の寺で名高い長国寺境内で聴けるというので早速出掛けてみた。毎月の第一日曜日開催で、聴講無料但し投銭大歓迎だという。



辻講釈会場。



入門からほどないのにめきめき上達して周囲を驚かせているというお弟子さんの上達ぶり披露、可愛い宝井梅星さんの『秋色桜の由来』、中入り後宝井琴梅さんの吉原屈指の花魁玉菊の悲恋を描いた古典「玉菊灯籠」の熱演を聴かせていただいた。

辻講釈なのでジーンズの平服姿で立ったまま漫談風に始まるわけで、上質のスタンダップ・コメディとして素晴らしいと感動した。講談はもちろん良いけれど辻講釈というのはまた別のジャンルの芸能としてもおもしろいと思う。



2010年4月4日
◆消費カロリー:991kcal
◆歩行移動距離:9.8km
◆歩数:14077歩
◆脂肪燃焼量:132.1g


 
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▼桜散歩



都内各所で桜が満開になった。家人が義母の面会に出掛けて一人になったので、昼前に家を出て近所を散歩してみた。桜開花に誘われたかのように、不忍通り沿いは高齢者を中心にした集団ウォーキングの人で溢れていた。




神田川の桜。江戸川橋にて。



郷里静岡県清水で一人暮らしをしていた母の親友が亡くなられたと便りが届いた。2月19日に亡くなられ先月末に四十九日も終わったという。母とは桜の季節になると花見を口実に泊まりがけの旅に出たりする遊び友だちで、年上であることは知っていたけれど享年94歳だという。ということは母より干支で一回り以上、14歳も年上の友だちだったことになる。




神田川の桜。江戸川橋にて。



末期ガンとわかった母と二人、老健施設に訪ねたときも
「やい、あの世にも一緒に行かざあ」
などと母に言い、
「何言ってるの、あんたはもっと長生きしなくちゃだめ」
と笑顔で励ましていたが、母より5年遅れてお迎えが来たことになる。




写研のある南大塚三丁目桜並木通りにて。



倒れてから七年余り、寝たきりになって三年と少し、老健施設、老人病院と居場所をつないで生きておられたので、やっと楽にならったなと安心する思いも強い。
「我がままバーバが行きますが又面倒を見て下さい」
と母に伝えて欲しいと手紙にあった。




文京区千石にて。



仲良しコンビがまた再会したわけで、こんな花見日和はおそらく手に手を取って外出しているんだろうなと思う。


◆消費カロリー:1026kcal
◆歩行移動距離:11.3km
◆歩数:16245歩
◆脂肪燃焼量:136.8g

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▼桜と万歩計



万歩計を持ってみようと思い、最近の新しいものを秋葉原まで買いにでた。インターネットでおおよそ目当ての機種を頭に入れて店頭に行ったら、予備知識より遙かにたくさんの機種があって役にたたない。


陳列棚のうたい文句や動画デモを見ていると、最近の機種は3軸加速度センサーとやらが使用されていて、ポケットや鞄の中に入れておいても歩数をカウントできるらしい。それだけでなく、机仕事や家事などにおける全身の運動量を関知してダイエットに役立つ情報も管理できるらしく、万歩計ではなく活動量計などという名前がついている。おおよその傾向はわかったけれど、機種ごと、メーカーごとの微妙な優劣を比較する気もないので、もっとも小さく洗練されたデザインと思える物を購入した。

支払いを済ませて店頭に出て、バスターミナルのベンチに座って初期設定をすませ、落とさないよう胸ポケットにクリップでとめて歩き始めた。昔のように腰ベルトに装着すると中の機械的振動が感じられる形式の物と比べ、身体に固定装着してロボットになったような精神的束縛感がなくて良いと思う。



不忍池の柳と桜




不忍通りを歩き、上野池之端に出たら桜が満開になっていた。芽吹いた柳と桜がひとつの景色の中で重なって風で揺れるようすを見ていると、春は別れと出会いが交錯する季節であることをしみじみと感じる。人は柳の下で過去と別れ、桜の下でふたたび新たな希望と出会うのだ、と思いたい。

根津神社でひと休みしたら境内の小さな桜も満開だった。六義園内のサツキも花芽をつけ始めているので根津神社も同じような状況に違いなく、毎年恒例行事になっている文京つつじ祭りの季節も近い。

日本医大脇から藪下通りを辿って緩やかな坂をのぼったら区立汐見小学校の桜も満開になっていた。満開の桜越しに見おろす校庭で児童が数人遊んでおり、安全な春休みの校庭を子どもたちのために開放しているのかもしれない。

たくさんの桜に囲まれ守られるようにして遊ぶ子どもたちのいる風景が美しいので、満開の桜越しにのぞき込むように写真を撮っていたら、買い物帰りのご婦人に声をかけられ
「すばらしいでしょう!この学校の子どもたちは幸せよ」
と笑う。柵の間にカメラを突っ込んで児童の写真を盗撮する不振者に思われたかなとも思ったけれど、そういう地域住民の監視の目に守られているなら子どもたちはもっと幸せなので
「ほんとにそうですね」
と笑顔で答えておいた。



校庭を走る子どもたち。



◆消費カロリー:546kcal
◆歩行移動距離:6.5km
◆歩数:9414歩
◆脂肪燃焼量:72.8g

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▼飛鳥山とカトリックと渋沢栄一



当時飛鳥山公園に隣接した場所は野球に格好の空き地になっており、塀を乗り越えてこっそり侵入すると人っ子ひとりいない広大な空き地の真ん中に子どもの試合が出来るような広場があった。王子小学校に通う子どもたちはその場所を「カトリック」と呼んで…(電脳六義園通信所2007年4月の日記より)




3月31日、北とぴあ17階から望む東京スカイツリー(左)と六義園(右)。



国鉄の線路側に面した斜面は芝生が生えており野球に飽きるとごろごろ転がって遊んだ。よく見ると建物の基礎の跡があり、おそらくカトリック教会があり、関東大震災とか、第二次大戦の空襲とか、不慮の火災とかで教会は消滅してしまい「カトリック」と……(電脳六義園通信所2007年4月の日記より)




3月31日、北とぴあ17階から望む飛鳥山全景。



後にその場所には幕末から明治を生きた実業家であり晩年を社会事業のために尽くした渋沢栄一の記念館が建てられたので、第二次大戦の空襲で焼けた渋沢栄一邸「曖依村荘(あいいそんそう)」の跡だったとわかったのだが、どうして王子の子どもたちが………(電脳六義園通信所2007年4月の日記より)




3月31日、飛鳥山モノレール愛称「アスカルゴ」。



あの「カトリック」とは何だったんだろうと謎のままになっている王子飛鳥山を北とぴあ17階にある展望台から見下ろしてみた。毎日のようにあそこで遊んだな、と懐かしい桜の名所を眺めても、桜の季節の思い出が王子にはなく、春休みになると静岡に預けられていたのでこの春には幼い日の自分がいない。

 
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