▼時の器

義父母の介護が在宅から入所になり、無人となった住まいにマンション大規模修繕の工事が入るので片づけをした。


義父母が同時に錯乱したのが8年前で、二人の寝室を別々に分ける必要があって和室に義母のベッドを移したのが7年前だった。そのベッドを元の洋間に移し、ツインのベッドルームに戻したのだが、母のベッドのあった場所だけ畳の色が若々しい。そうか7年前の畳はこんなに青かったのかと眺めていたら、在宅介護の重圧から解放されたことも手伝ってか、7年間があっという間に過ぎ去ったように感じられた。



義父が8年間デイサービスに通った高齢者在宅サービスセンターの玄関前に咲いた花。



けれどその7年間の中に、末期ガンの母親に付き添った地獄の責め苦のように長い2年間があり、母が他界して無人になった家の後始末をするという、無限とも思えるほどに長い5年間の片付け帰省があった。大変だったと思い出すそれらの長い時間が、あっけなく過ぎたように感じる時間の中にそっくりおさまってしまっていることを不思議に思う。

長さとして感じる時間的な記憶というのは楽しいにつけ苦しいにつけ、入りそうにないほど儚く小さな時の器の中に詰まっているものかもしれない。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« ▼小石川植物園 ▼胸突坂 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。