電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼柊鰯
「小言念仏」という落語があって三代目三遊亭金馬が演ずるのを何度か聞いたことがある。その最後の所で「鰯のあたまも信心から」という言葉が出てきて「(ああ、あれはやっぱり信心のためのものか)」と幼心に合点がいった記憶がある。それほど昭和三十年代東京下町では節分の風習「柊鰯」がごく普通に見られた。
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2010年4月24日、文京区小石川にて。
「柊鰯」とは棘がある柊(ヒイラギ)の葉と、小骨や臭みのある鰯(イワシ)を玄関先に置いて、これらが嫌いな鬼の侵入を防ごうという風習だ。天気がよいので小石川植物園まで散歩で出掛けた帰り道、懐かしい「柊鰯」を見つけた。さまざまな宗教的意味合いを付与されてきた鰯の頭。こういう光景を見かける機会が減ると、「鰯のあたまも信心から」などと落語で聞いてもピンと来なくなるのかもしれない。
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