昨夜(6日)は渋谷AXで、SHERBETSの追加公演を見た。ソールドアウトの盛況で、若者に交じって浅井健一(ベンジー)の世界を満喫した。3カ月前のJUDEでは、ベンジーのボーカリストとしての力量とバンドアンサンブルの妙を再認識させられた。SHERBETSはベンジーが「私小説」を描くためのプロジェクトで、内向きの尖ったベクトルに心の襞をヒリヒリ抉られた。
JUDEとは微妙に客層が違っていた。SHERBETSはブランキー・ジェット・シティと並行して立ち上げられたバンドゆえ、暴走族OB風やガテン系といった、往時のファンらしきアンちゃんも会場に足を運んでいた。開演待ちの1階フロアがざわめいていたのは、多くのファンが2階席に中村達也を発見したからだ。終わった後、打ち上げに合流したりするのだろうか。
オープニングの「並木道」には驚いた。静謐で沈んだ新作「フクロウ」のエンディングで、「終わり」が似合う曲だからだ。新作以外では「シベリア」と「オーロラ」から数曲ずつラインアップされていた。楽しみにしていた「ブラック・バタフライ」をはじめ、1st「セキララ」から選曲されなかったのは残念だった。印象に残った曲を挙げれば、「シベリア」、「グレープジュース」、「サリー」、「タクシードライバー」、「君の肩にふれて」辺りか。「ハイスクール」や「ジョーンジェットの犬」などノリのいい曲も演奏されたが、全体としては「弾ける」より「浸る」ライブだった。SHERBETSを色に喩えれば、赤でも黒でも黄でもなく、「透明に近いブルー」だと思う。
俺がベンジーファンである最大の理由は「ノスタルジー」である。聴き込んだ80年代UKニューウェーヴの中でも、とりわけサイケ色が濃い音をベンジーは志向している。バンド名を挙げればキュアー、スージー&バンシーズ、エコー&バニーメンか。ラストに演奏された「メリー・ルー」など、キュアーを彷彿させるサイケデリアに仕上がっていた。SHERBETSが表現するのは「純水の狂おしさ」だ。情念や感情を濾過させ、ヒタヒタと底を打つような冷ややさが心地良い。イメージの連なりを追求する詩も音にフィットしている。
齢を重ねるにつれ、塵芥を纏って汚れていくのは、逃れられない人の定めである。だが、ベンジーは違う。四十を超えて瞳が澄み、中性的な妖しいフェロモンが零れ落ちている。ひょっとしたら悪魔かもしれない。「誰も知らない」を見て、ベンジーとYOUは顔つきや雰囲気が似ていると思った。YOUも40代だが、年齢不詳、正体不明で魔女っぽい。
部屋にチューナーがないので聞けなかったが、ベンジーはFM番組でUAと共演したらしい。AJICO復活も十分ありうる。JUDE、SHERBETSと並行してアルバムを作り、ツアーに出ても驚きはしない。無尽の才能は想定内なのだ。
ライブが終わって4時間がたった。俺はこの瞬間も、冴え冴えとした余韻に浸っている。
聴いてみたいですね~♪ゴスっぽいと言う訳ではないのですね?
ちょうどライブ当日にファンクラブ会報が届き、そこにこんなベンジーの言葉が載っていました。
『今年は珍しく、というか、SEXY STONESが始まって以来初めて、何も決まっていない状態です。3月以降のシャーベッツのアルバム発売以外、どうなるのか自分でもよくわからない状態なので、不安と希望が入り交じっています。』
これを読み、UAとのラジオを聴き、ライブの感想を読ませていただくと、やはりAJICO再開を予\感してしまいます。
ラジオではベンジー選曲でトム・ヨークとPJハーヴェイのデュエット曲なんかをかけていました。
ベンジーとYOUが似た雰囲気、とは『なるほど!』と思いました。
やはり同会報の中でインタヴュアーの〔バンドを長くやり続けてく上で警戒すべきは“貫禄\”だよね。〕との言葉に、
『貫禄\なんて、嫌な言葉だよね。』『貫禄\のあるバンドって、そんなにカッコイイとは思わんもんな。』と答えるベンジー。
そういう意識が、彼のあの年齢不詳で不思議な佇まいを醸し出しているのかも知れませんね。
アウトプット過剰だし、力をためるのも必要でしょうね。
mixiのアシアトからうかがいました。
SHERBETS、6日は諸事情で諦めたのですが、
そうですかー、よかったですか!
12月のリキッドも、
ベンジーの声が澄み渡り、
迷いのないライブだと思いました。
YOUとベンジーの雰囲気の“相似形”には、
私も、ナルホド!
二人とも、「今」の瞬間の切なさ、みたいなものを感じます。
YOUとベンジーが似てるっていう「発見」、予想以上に反響があって驚きました。
UAとのラジオはテープに録音しました。まだ聴いてないのですが。