酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

十回忌に「ルード・ボーイ」~ジョー・ストラマーの清冽さと真摯さ

2011-12-22 22:30:06 | 音楽
 森田芳光さん、上田馬之助さんが相次いで亡くなった。個性と存在感で多くの人を魅了した二人の冥福を心から祈りたい。

 森田作品は80年代に数本見た程度だが、脚本を担当した「ウホッホ探検隊」を含めスクリーンから才気が零れ落ちていた。「それから」や「(ハル)」など見逃した映画も多いが、オンエアされた機会に楽しむつもりだ。

 プロレスの魅力は村松友視風にいえば<虚実ないまぜ>だが、俺は上田さんを<虚実とも悪>と決めつけていた。偏見が砕けたのは学生時代、上田さんと家族ぐるみで付き合いがあったサークルの先輩に、その穏やかな素顔を聞かされたからだ。当時は意外だったが、俺ぐらいの年になると、善と悪が見せかけと反比例することを理解している。

 さて、本題。きょう22日は、クラッシュのリーダーとしてロックに革命を起こしたジョー・ストラマーの十回忌に当たる。先日、「ルード・ボーイ」(80年)をDVDで再見し、清冽で真摯な姿勢に胸を打たれた。 

 「ルード・ボーイ」はドキュメンタリーとフィクションで構成されている。クラッシュのライブ映像、「ロンドン・コーリング」のセッション、人種差別反対集会でのパフォーマンスに、バンドのルーディーであるレイの行動が重なる。酒浸りのレイは自分を律することが出来ない自堕落な青年だ。メンバーやマネジャーは自然体で演じているが、肝といえるのはレイとジョーの会話である。

 クラッシュは<初期衝動>を体現するパンクバンドと評されているが、実像は異なるのではないか。ジョーは外交官の息子で、全寮制のパブリックスクールに通っていた。下降する過程でロックと出合い、<衝動>ではなく<知性と理性>に基づいてメッセージを発信した。ラディカルな姿勢に異議を唱えるレイに、ジョーは左翼である理由を説明していた。

 バンドは数々の警察沙汰を抱えていた。中には明らかな弾圧もあり、本作でメンバーは、留置場で受けた暴行を生々しく証言している。冒頭で暗示されていた通り、パンク隆盛は労働者階級にとって〝悪夢のサッチャー時代〟の幕開けと軌を一にしていた。

 日本でも大々的に紹介されていたクラッシュだが、アンプが壊れても新品を購入する金はなく、ライブ会場の規模も小さい。ツアーで泊まるホテルも並以下で、移動も車で相乗りだ。環境が劣悪だからこそ、時にロックは輝きを増す。屁理屈は抜きにして、渋谷陽一氏が繰り返し語っていたように、クラッシュほどフォトジェニックな(見栄えのいい)バンドはない。本作でも、メンバーの立ち位置とステージで織り成す角度、所作と表情の格好良さに感嘆するしかなかった。

 本作はジャマイカ系移民の困難な状況をサイドストーリーで描いていた。レゲエの形式だけでなく精神まで取り込んだクラッシュは、ジャマイカ人が認めた唯一の白人バンドだ。ニカラグア革命をテーマに据えた「サンディニスタ」では、あらゆる民族音楽を取り入れた<境界線の音>で評価を高め、その実験性と志向は多くのフォロワーを生む。

 公開当時と現在のロンドンに、相通じる空気がある。この30年、新自由主義とグローバリズムが世界を席巻したが、遂に今年、破綻を迎え、貧困と格差が再び最大のテーマになる。世界で叛乱の連鎖が起きているが、旗幟鮮明に立ち向かうことの意義を、ジョーは身をもって示してくれた。

 フジロックでジョーは関係者、ボランティアとともにゴミを拾っていたという。ジョーは生き様でも尊敬に値する稀有なロッカーだったのだ。


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