酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

妹不在の亀岡で~絆に思いを巡らせる

2012-10-16 14:06:48 | 戯れ言
 丸谷才一氏が亡くなった。小説は「たった一人の反乱」と「裏声で歌へ君が代」しか読んでいないが、氏との出会いは翻訳家としてだった。河野一郎氏との共訳「長距離走者の孤独」は俺にとって文学事始めで、アラン・シリトーの作品を読み耽るきっかけになった。シリトーは英国労働者階級のシニカルさ、閉塞感、反骨精神を表現した作家で、ザ・フーやブラーなどUKロックバンドの心情に重なる部分が大きい。ともあれ、作家、翻訳家だけでなく、正しい日本語を追究した老大家の冥福を心から祈りたい。

 本稿は亀岡のネットカフェから更新している。妹亡き後、法事以外で初めての帰省となった。俺が妹と接するのは、多くて年に15日ほどだった。メールや電話のやりとりは頻繁だったにせよ、不在を肌で感じるのは今回が初めてで、母や義弟の喪失感の大きさとは比べるべくもない。

 妹は京大病院に入院中、「わたしはまるでモルモット」とこぼしていた。検査の連続も病状悪化の原因がつかめず、生死の境をさ迷ったことは以前、当ブログに記した通りだ。山中伸弥教授のノーベル賞受賞の報に接した時、最初に思ったのは、妹のデータを研究に生かし、難病治癒に繋げてほしいということ。同じ京大なら、俺の希望も的外れといえないのではないか。

 俺が最近、口ずさんでいるのは猫の「僕のエピローグ」(1975年)と、斉藤和義の「雨宿り」(2011年)だ。「僕のエピローグ」の<白い雲がポッカリ、心の中に浮かんでる>、「雨宿り」の<神様は忙しくて、連れてく人を間違えている>の歌詞は、母、義弟、俺の心情と重なっている。上記2曲と併せ、俺の脳裏でマニック・ストリート・プリーチャーズの「エヴリシング・マスト・ゴー」が鳴り響いている。学校英語的にいうと前向きなタイトルに思えるが、改めて歌詞を読むと、〝すべては消え去ってしまう〟という感傷の方が濃い。

 一本の梁を抜くと崩壊する巨大な建造物が、かつて存在したという。妹の死はまさにその梁で、周りに変化の兆しが現れている。母は孤独がつらく、ポン太を義弟に託し、ケアハウスに入るプランを練っている。帰る場所がなくなる俺は母の翻意を望んでいるが、流れには逆らえない。<晩年は京都で>が既成事実になっていたが、東京砂漠にうずもれる可能性も出てきた。だが、築30年であちこちガタがきた実家は老いた母に広すぎる。今さら新築も難しく、ケアハウス入りは妥当な結論かもしれない。

 帰省中、母が入居を希望しているケアハウスを見学した。そこは特養ホームを併せ持つ規模が大きい施設だった。担当者に説明を聞き、申込書や自己診断書を渡される。そこで三流の校閲者である俺は、間違いを発見した。他者に対して<①拒否的、②普通、③強調的>の選択肢があったが、③は明らかに協調的が正解だ。仕事で見落としたら笑われるが、その施設では十数年、誤ったまま記載されていたという。指摘すると、妙に尊敬された。

 京都で昨日、56歳の誕生日を迎えた。<ヒエラルヒーや秩序と遠いところで、ひっそり自由に生きる>という、20代前半に立てた人生の目標を、俺は達成したようだ。俺は善根と縁がなく、自分勝手で組織と折り合えないタイプだ。得意なのは空想や屁理屈で、通常の社会生活さえ心もとなく、たびたび齟齬を来す。偏差値が50近くなのは現在の仕事だけである。

 世知辛い世の中、能力や人格は俺より遥かに秀でているのに、辛酸を舐めている知人が多い。俺は周囲の恩情、寛容によって生かされている。父が付けた俺の名前は、姓名判断では理想形だという。父は生前、俺が示した悲惨な結果に愕然としていた。俺は鼻で嗤っていたが、今では心から父に感謝している。

 過去、そして現在と未来……。帰省中、絆について思いを巡らせた。老い、孤独、死は俺にも確実に迫っている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ザ・セカンド・ロウ」~ミ... | トップ | 「忌中」~車谷長吉が描く破... »

コメントを投稿

戯れ言」カテゴリの最新記事