酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ありがとう、トニ・エルドマン」はキュアーファンへの贈り物?

2017-07-08 07:45:10 | 戯れ言
 記録的な集中豪雨が福岡、大分両県に深甚な被害をもたらした。亡くなった方の冥福を祈る同時に、被災地の一日も早い復興を待ちたい。自然の猛威の前になす術がないが、嘉田由紀子氏(前滋賀県知事)は3年前、仕事先の夕刊紙のインタビューで、<水害は人災(社会現象)の側面もある>と指摘する。

 欧米では「ハザードマップ」を基に水害保険を設定し、不動産取引を行っているが、日本では地価下落に繋がることを懸念する地主層の意を受け、自民党は導入に消極的だった。嘉田氏は人命軽視の防災政策を取る歴代政権を批判していた。

 終活の一環としてCDを整理している。聴かなくなったアルバムはブックオフにまとめて売るつもりだ。「A」から始めて、ようやく「C」に辿り着いたが。キュアーの「ディスインテグレーション」(89年)に、ロバート・スミスの才能を再認識する。

 新宿武蔵野館で「ありがとう、トニ・エルドマン」(16年、マーレン・アデ監督)を見た。ヴィンフリート(ペーター・ジモニシェック)とイネス(サンドラ・ヒュラー)の父娘の物語で、ジャック・ニコルソンが引退を撤回し、ハリウッドでのリメーク版でヴィンフリートを演じるという。

 世界中で喝采を浴びたが、日本人向きではないかもしれない。長尺(160分超)でもあり、途中で退席する人もいた。俺が作品に入り込めたのには理由がある。ヴィンフリートが別キャラのトニ・エルドマンに変身する際の白塗りのメークと黒っぽい服装が、ロバート・スミスを彷彿させたこと。さらにサンドラ・ヒュラーが好みのタイプだったからだ。

 実のヴィンフリートは、リタイアした音楽教師といったところか。イネスはコンサルタンティング会社の幹部候補で、ブカレストに赴任し、石油関連の業務を担当している。高級ホテルで暮らすイネスの元に突如、ヴィンフリートが現れた。

 忙しい娘に邪険にされる父親……。これが予告編を見て予想した展開だったが、本編ではイネスの気遣いを感じた。父を交渉相手に紹介するし、お歴々が集うパーティーにも連れていく。イネスはヴィンフリートの変人ぶりだけでなく、知性をも知り尽くしていたのだろう。「おまえが心配になった」というヴィンフリートの直感は当たっていた。葛藤を抱えたイネスの憂さ晴らしは、滑稽なセックス、クラブ通い、そして薬物だった。

 去ったはずのヴィンフリートが再びイネスの前に登場する。虚のトニ・エルドマンとして……。口から出任せでサービス精神旺盛のトニに、イネスは辟易するが、知人――とりわけ女性たち――はユーモアと謎めいた雰囲気に魅了される。

 森友、加計問題で明らかになったのはエリートたちの不自由さだが、イネスも例外ではない。プレゼンテーションでもっともらしい理屈を並べても、仕事の中身はコストカット、人員整理に過ぎない。父、いやトニと訪ねた油田で、グローバル企業の冷酷な論理を目の当たりにする。鋭く、かつ柔らかく場を繕うトニの姿に、イネスは自身の無力さを悟る。

 ささやかな集いに父娘は闖入し、イネスはトニの伴奏でホイットニー・ヒューストンのヒット曲「グレイテスト・ラブ・オール」を熱唱した。主催するパーティーは想定外の展開でオールヌード限定になり、イネスは率先してスレンダーなボディーを晒す。

 そこにクケリ(幸せを呼ぶとされるブルガリアの精霊)の着ぐるみを纏った男が登場する。正体はもちろんトニで、父娘のわだかまりも消えていく。トニは媒体として、変化、進化、深化をもたらす希有な存在で、イネスにも自身を解き放つチャンスを与えたのだ。

 ラストシーンは祖母の葬儀で。遺品の帽子を被ったイネスのストップモーションで映画は終わる。エンディングテーマは上記した「ディスインテグレーション」のオープニング曲「プレインソング」だった。歌詞に出てくる<世界の端で生きているからこそ笑うことが出来る私>、意訳すれば<境界から俯瞰の目で眺めているから世界を理解出来る私>となるが、まさにトニに他ならない。本作は監督からのキュアーファンへの贈り物のように感じた。

 これから函館に向かう。旅の供は佐藤泰志の遺作「海砂市叙景」だ。小説を辿り、映画を思い出しながら、函館の街を散策したい。
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