酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

クッツェー著「マイケル・K」~自由への限りない逃走

2024-06-30 21:38:29 | 読書
 ガザに住む50万人近くのパレスチナ人が「壊滅的レベル」の飢餓に直面していると、国連支援機関の報告書が警告している。イスラエルが国際人道法に違反して封鎖してきたガザは<天井のない監獄>と呼ばれ、ツツ大主教が<現在のアパルトヘイト>と断罪してきた。そのツツの祖国である南アフリカの小説「マイケル・K」(J.M.クッツェー著、くぼたのぞみ訳/岩波文庫)を読了した。

 <マイケル・Kは口唇裂だった>から、本作は始まる。Kがどの人種に属するか記されていないが、黒人であることは推察される。時代背景は20世紀半ばと考えていたが、実は1980年前後で、アパルトヘイトを維持しようとする政府側と反対派との武力衝突が激化していた時期だった。Kは病んだ母を車椅子に載せ、内戦で疲弊したケープタウンから、母が少女時代を過ごしたプリンスアルバートの農場を目指す。母が途中で死に、遺灰を手に目的地に向かう。

 解説によると、本作は検閲を逃れるため、細部にまで精緻に表現に留意していた。弾圧下の表現といえば、思い浮かぶのがイラン映画で、作品の数々は神秘性を纏い、神々しい寓話に飛翔している。内戦下、Kは政治信条を表明することなく、行く先々で暴力と管理の鞭を震われるが、行間には痛みを緩和する奇跡の癒やしがちりばめられている。

 本作のキーワードは<暴力>と<自由>だ。<暴力>は軍隊、監獄、キャンプで蔓延し、Kは無気力に服従を拒む。寡黙であることで知的障害を疑われたKは第2部で病院に収容され、医師たちの手厚い看護を受ける。病院でKはなぜか〝マイケルズ〟と呼ばれた。Kにとって多少なりの束縛をもたらす保護、善意、慈善でさえ<暴力>であり、身を固くして拒絶する。

 他の作品は読んでいないので、クッツェーが志向することを理解したとは言い難い。ノーベル文学賞授賞理由のひとつに<西欧文明が掲げる残酷な合理性と見せかけのモラリティーを容赦なく批判した>ことが挙げられていた。〝残酷な合理性〟とは、国家による管理=<暴力>で、対置されたのが<自由>だ。だが、Kは原理としての<自由・民主主義>を唱えることはしない。ステレオタイプの言葉に背を向けているのだ。

 降りかかる理不尽や不条理に耐えながら、否定し、振り払うこともなく、ひたすら受け入れ歩んでいく。そして、Kは自分が庭師であることを実感する。太陽の動きを察知し、動植物に親しむ。荒野にカボチャの種を撒き、栽培して食べる場面は至福に満ちていた。種は環境が整った時に実を結び、自他の多数の種へと繋がって、他者の飢えを癒やす。Kのことを石に例える描写があった。「土のように優しくなればいい」とモノローグする場面もある。第3部で出会うボヘミアン風の若者が何のメタファーなのかわからなかったが、読み終えた時に充足感と希望を覚えた。

 内戦が終わった後、Kは恐らく庭師、農夫として自然と交感し、カボチャやその他の種子をまき、水やりを心掛け、ささやかな生活の糧にする。山羊や鳥、そして昆虫とも共存して生きていくのだろう。ヘンリー・ソローや老荘思想とも異なる自由の果てを、自然体で進んでいくのだ。
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