酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「雲をつかむ話」~雲の彼方に多和田葉子の幻を見た

2019-10-02 00:09:17 | 読書
 永瀬拓矢叡王(27)が奨励会同期の斎藤慎太郎王座を3連勝で下し、2冠を達成した。叡王位も4連勝で奪取したから、タイトル戦7連勝と破竹の勢いだ。キャッチフレーズは根性と努力。〝昭和の薫り〟が漂う若手棋士が棋界をもり立てていくはずだ。

 この2年(一昨年10月以降)、ブログで紹介した日本人の女性作家を以下に挙げる。石牟礼道子(「苦海浄土」)、多和田葉子(「尼僧とキュービッドの弓」)、高村薫(「空海」)、桐野夏生(「ナニカアル」、「柔らかな頬」)、川上弘美(「夜の公園」、「大きな鳥にさらわれないよう」)、川上未映子(「ウィステリアと三人の女たち」)、小川洋子(「ことり」、「琥珀のまたたき」)、そして村田沙耶香(「地球星人」)だ。

 作品を通して魅力的な彼女たちと語らうことが出来るのは幸いだ。今回紹介するのは、ノーベル文学賞候補と目される多和田の「雲をつかむ話」(12年、講談社)だ。「容疑者の夜行列車」(2002年)では、主人公の<あなた>がコンパートメントで怪しい人、犯罪者と思しき人たちと交流する。ともに<旅と罪>がキーワードだ。

 <人は一生のうち何度くらい犯人と出逢うのだろう。犯罪人と言えば、罪という字が入ってしまうが、わたしの言うのは、ある事件の犯人だと決まった人間のことで、本当に罪があるのかそれともないのかは最終的にはわたしには分からないわけだからそれは保留ということにしておく>……

 主人公のわたしは冒頭でこう述懐する。わたしはベルリン在住の日本人作家で、1987年に遡行し、殺人、傷害、政治犯、窃盗常習犯、文書偽造、無賃乗車……と、様々な犯罪人との出会いを回想する。現実と混濁する形で織り込まれるのはわたしの夢だ。

 多和田の魅力は二重性だ。物語を書き進めつつ、俯瞰で眺めている。ドイツ語と日本語で小説を著す多和田は、二つの目線で言葉を紡いでいる。多和田の作品に精通した与那嶺恵子氏は、<多和田の小説では、言語は伝達の手段であるだけではなく、ものの本質として屹立する空間を形成している>と評している。奇跡の多和田ワールドはいかに醸成されたのか。

 ドイツに渡った多和田の葛藤は初期の「ペルソナ」に描かれている。主人公の道子(≒多和田)は<東アジア人は表情がないから何を考えているかわからない>という偏見に追い詰められ、被るべきペルソナを探し続けた。ドイツと日本の境界に佇み、アイデンティティーを追求した経験は、「雲をつかむ話」の後半に生かされている。

 「雲をつかむ話」も他の作品同様、全体像に近づくための糸くずがちりばめられている。遊び心も満載で、わたしが関わった芝居のタイトルは「雲と蜘蛛」で、「容疑者との夜行列車」のタイトルに込められた作者の遊び心の一端かと勘繰ったが、<ドイツ語の芝居なので、「雲」と「蜘蛛」は洒落になっていない>とあえて記していた。

 何の脈絡もなく進展していくかに思われた本作の様相が一変するのが11章だ。飛行機の中(恐らくわたしの夢)で、東ドイツ生まれの双子、刃傷沙汰を起こした二人の女性、政治犯、牧師夫妻ら登場する。犯罪人が一堂に会し、私の周りに座っているのだ。最初に出会った犯罪人であるフライムートは、わたしと小道具を交換する形で隣に座っている。

 所作が怪しくなったわたしは、ついに自分の番が来て、犯罪人の側になったことを直感する。乗務員に呼び止められたわたしは、身分詐称の容疑で連行されるのだ。そして、わたしは無実ではない。<他人の経験や記憶を盗む泥棒>は、作家として当然の罪状だ。ベルリンで知り合った女医の最後の言葉に、読了の満足を吹っ飛ぶ衝撃を受けた。

 <作品を通して魅力的な彼女たちと語らうことが出来る>と上記したが、俺と多和田が席を同じくしても、通じる言葉はない。住む次元が違うからだ。今後も遥か彼方を眺めるように、多和田の作品を読んでいきたい。

 これから5時間ほど眠って、起きたら岩手、青森に向かう。次回のアップは週末になりそうだ。
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