弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

郵政民営化見直し

2009-12-30 20:51:42 | 歴史・社会
12月29日の日経朝刊によると、日本郵政の斉藤次郎社長は28日の定例記者会見で、郵便貯金の預入限度額(1千万円)について、政府に見直しを求める考えを示しました。

郵政民営化見直しがどのような方向に向かうのか、現在のところ、まだ明らかになっていません。取り敢えず、郵政民営化法で株式の売却(民営化)期限が法定化されていたのに対し、日本郵政株式売却凍結法によって売却を凍結することまで決まりました。
凍結したまま国有状態としておくのか、所定の割合を国有化したままで残りを売却するのか、時期は遅れるけれども結局は全株売却して民営化するのか、闇の中です。

国有状態におかれるのであれば、株式会社とはいえ国民は「潰れない会社」と信頼するでしょう。破綻しそうになったら税金を投入するであろうことは容易に予想できます。新銀行東京のようなものです。
通常の銀行であれば、破綻したら預金のうち1千万円以上の部分はペイオフで戻ってきません。1行あたりの預金残高を何とか1千万円以下に抑えようと努力します。それに対しゆうちょ銀行が国有のままで預入限度額が1千万円以上になるのだったら、預金者は当然ながらゆうちょ銀行に1千万円以上のお金を預けることになるでしょう。

そのような論理で銀行界から反論が出ることがわかっている中、斉藤社長はなぜ上記のような発言を記者会見でしたのでしょうか。

比較的最近、新聞のインタビュー記事で斉藤社長は、「民営化しないわけではない」というような発言をしていました。その記事を読んだ限りでは、今回の株式売却凍結法成立で一時凍結はしたが、時期を遅らせるだけでいずれ株式を売却して民営化する、というように読み取れました。

しかし、郵政民営化見直しは、決して日本郵政社長が行うものではありません。あくまで政府が計画を作り、法律改正によって実現するものです。一番の旗振りは言わずと知れた亀井静香郵政担当大臣です。
斉藤社長の思惑と、政府・特に亀井静香大臣の思惑とはどのように一致しているのでしょうか。
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普天間問題

2009-12-29 21:38:53 | 歴史・社会
普天間、国外移設を否定=「抑止力の点でグアム無理」-鳩山首相
12月26日15時7分配信 時事通信
『鳩山由紀夫首相は26日午後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「現実の中で考えれば、抑止力の観点からみて、グアムにすべて普天間を移設させることは無理があるのではないか」と述べ、米領グアムなど国外移設の可能性を事実上否定した。アール・エフ・ラジオ日本の番組収録で語った。』

普天間、米国無視あり得ぬ=同盟尊重し結論-鳩山首相
12月28日22時17分配信 時事通信
『【ニューデリー時事】インド訪問中の鳩山由紀夫首相は28日午後(日本時間同日夜)、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先選定をめぐりスタートした政府・与党の沖縄基地問題検討委員会での協議について「米国の意向を無視した与党合意はあり得ない」と述べ、米側の立場を尊重せざるを得ないとの認識を明らかにした。ニューデリー市内のホテルで同行記者団に語った。』

普天間検討委、1月中に候補地案持ち寄り協議へ
12月28日21時35分配信 読売新聞
『政府・与党は28日、沖縄の米軍普天間飛行場の新たな移設先を検討する「沖縄基地問題検討委員会」の初会合を首相官邸で開き、来年1月中に移設候補地の案を持ち寄って検討を本格化させることで一致した。
5月をメドに結論を目指す方針も確認した。しかし、現行案の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部以外の移設先を探すのは困難だとの見方がなお強く、調整は難航が予想される。
委員会は平野官房長官が主宰し、政府側は武正公一外務副大臣と榛葉賀津也防衛副大臣、与党側は社民党の阿部知子政審会長と国民新党の下地幹郎政調会長らが出席。今後、1週間から10日間に1回程度のペースで開き、必要に応じ有識者らを加えることも確認した。
これに関連し、民主党の小沢幹事長は28日、国会内で新党大地の鈴木宗男衆院議員との会談で、「首相官邸の判断を待つが、沖縄の声はちゃんと聞かないとダメだ。あの美しい海に基地を造ることはやめた方がいい」と述べた。』


鳩山首相が「普天間の移設先は政府与党で決定する」「県外・国外への移設を検討する」と表明したのはついこの間です。その後現在まで、政府内で検討が深化した形跡はありません。従って、何らかの検討結果として首相の方針が変更されたということはあり得ないはずです。

私は、首相が国外への移設を望ましいと考えている以上、「沖縄駐留の海兵隊の全部を国外に移転することは本当に不可能なのか」という点を検討課題としているに違いないと思っていました。こちらでも書いたとおりです。それが26日の発言で、「現実の中で考えれば、抑止力の観点からみて、グアムにすべて普天間を移設させることは無理があるのではないか」と述べているわけです。何を根拠に考え方を変えたのでしょうか。
これでは「発言のブレ」と言われても致し方ないですね。

また、「普天間の移設先は政府与党で決定する」と鳩山首相が表明したとき、違和感を感じました。極東米軍の中の海兵隊をどのように配置するか、という点については、極東の安全保障の観点から考えるべき問題であって、当然ながら米国が持っている戦略を理解する必要があり、もし米国の方針と異なる案を提案するのであれば米国を説得する必要があるわけです。そのような問題について「政府与党で決定する」という言い方はとても不自然です。
それが28日になって「米国の意向を無視した与党合意はあり得ない」と言い出すわけですから、これについても「発言のブレ」としか言いようがありません。

しかし民主党連立政権の今までの対応の結果として、沖縄の人たちは「県外移転」で結束するものと思われます。今から元の案(辺野古移転)に戻すことは至難の業となるでしょう。パンドラの箱を開けてしまったわけで、鳩山首相はどのように収束するつもりでしょうか。

ところで、「嘉手納への移転」は、「有事の際に問題がある」というのが最大の障壁のようです。普天間の滑走路を残したままで嘉手納に移転し、有事の際は普天間を用いる、という案もあるようです。
辺野古移転を考えるのであれば、埋め立てではなく、浮き桟橋方式などを再検討してはどうでしょうか。
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塩野七生「ローマ人の物語~最後の努力」(2)

2009-12-28 20:19:20 | 歴史・社会
前回からだいぶ空いてしまいましたが、塩野七生「ローマ人の物語~最後の努力」の2回目です。
ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)

ローマ帝国は、建国以来ずっと多神教です。ローマが国家として敬う神々が存在する一方、ローマに属する国々の国民が別の神を敬うことも許容します。ただし、ローマ皇帝を頂点とするローマの施政には従ってもらわなければなりません。

ところが3世紀ごろには、ローマ帝国の域内においてもキリスト教が次第に広がってきていました。キリスト教徒は、キリスト教の神以外の権威を認めません。即ち、ローマ皇帝の権威を認めないのです。これでは、外敵の侵入にさらされる危機の時代に帝国の結束を保つことができません。
そのため、ローマ帝国では断続的にキリスト教に対する迫害が行われました。この時代であると、4頭制をはじめたディオクレティアヌスによるキリスト教迫害が大きかったようです。

ところが、4頭制の最後、コンスタンティヌスが324年に勝利してたった一人の専制君主として君臨したところで、コンスタンティヌスはキリスト教に対するスタンスを180度変更します。

まずは324年に先立つ313年、コンスタンティヌスとリキニウス両帝により、「ミラノ勅令」が公布されます。
「今日以降、信ずる宗教がキリスト教であろうと他のどの宗教であろうと変わりなく、各人は自身が良しとする宗教を信じ、それにともなう祭儀に参加する完全な自由を認められる。」
この勅令は、決して「キリスト教公認」ではなく、「信教の自由の公認」ですね。

ところが、リキニウスをも倒してコンスタンティヌスがただ一人の皇帝となって以降、ローマ帝国をそれまでのものから全く別の姿に変貌させてしまいます。その中で宗教政策も変化していきます。

(国)ローマは、ロムルスによる建国以来ずっと、このときに至るまで1千年間、(都市)ローマを首都としてきました。コンスタンティヌスは、首都をそれまでのビザンティウム(現在のイスタンブール)に移してしまうのです。新帝都は「コンスタンティノポリス」と呼ばれます。
コンスタンティノポリスの工事着工は紀元324年、完成を祝う式典は330年に行われました。

コンスタンティヌスは、このコンスタンティノポリスにローマなどの神々に捧げる神殿を設けませんでした。コンスタンティヌスのこの時点での本音は、キリスト教の振興にありました。
コンスタンティノポリスにキリスト教会を建て、教会に領地を寄進し、キリスト教の聖職者が軍務や公務に就かなくてもいいという特権を与えます。

当時のキリスト教は、教理の解釈を巡って分裂の危機にありました。神とその子イエスと聖霊は同位であるがゆえに一体でもあるとする「三位一体」説と、「一体ではない」と説くアリウス派の争いが中心でした。コンスタンティヌスはニケーア公会議を招聘してこの教理論争に決着を付けます。「三位一体」に統一です。

「それにしてもコンスタンティヌスは、なぜこれほどもキリスト教会の振興に熱心であったのか。」
当時、ローマ帝国の全人口に占めるキリスト教徒の数は5%前後だったようです。

ローマ帝国の皇帝は、建前としてはローマ市民によって選ばれます。皇帝として不適切とみなされれば、暗殺という形でリコールされます。
これに対し、もし「皇帝は神が選んだ」ということになれば、神を信ずる民はそれを受け入れざるを得ません。
塩野氏の推理によると、コンスタンティヌスはキリスト教を振興したうえで、神の言葉を伝える司教を味方に付け、王権を神が付与したというお墨付きを得ようとしたのではないか、ということです。
そしてこの考えは、キリスト教がヨーロッパ社会で広がるとともに受け入れられ、17世紀に「王権神授説」となって継続されることとなります。
「戴冠式」というのが、その実態をよく表しています。王がひざまずくのは、神の意を伝える役とされている司教の前です。そして神の代理人である司教は、ひざまずく王の頭上に、神によって正当化された支配権の象徴としての王冠を載せます。

研究者は「もしもコンスタンティヌスが存在しなかったとしたら、キリスト教会は、教理の解釈をめぐってのたび重なる論争とその結果である分裂に次ぐ分裂によって、古代の他の多くの宗教同様に消え失せていただろう」と言います。
そうとすると、西欧社会においてキリスト教が絶対的権力を獲得し、そのために「中世」という暗黒ともいえる時代の到来を導いたのは、コンスタンティヌス一人がその原因を作ったのだということになります。

しかし、こうまでしてローマ帝国の延命を図ったにも関わらず、帝国をひとまずにしてもたたせておけた歳月は、この後百年足らずにすぎなかったのです。
別の研究者は「これほどまでして、ローマ帝国は生き延びねばならなかったのか」と言います。ローマ帝国滅亡後に訪れる中世が、どのような時代になったのかを知ればなおのことです。
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足利事件再審公判での科警研所長証言

2009-12-25 23:25:29 | 歴史・社会
菅家利和さんの再審第3回公判が24日、宇都宮地裁で開かれ、警察庁科学警察研究所(科警研)の福島弘文所長が証人として出廷しました。証人尋問は5時間半にも及んだようです。
捜査段階の鑑定手法や判定内容については「特別に否定できる事情はなく、大きなミスは見当たらない」と証言し、当時のDNA型鑑定の評価については妥当性を主張しました。
捜査段階で行われた科警研のDNA型鑑定について、「後の研究で識別能力が低いことが分かった」と精度の低さを認める証言をしましたが、これはあくまで、「当時の方法では、たとえ同じDNA型と判定されても、300人に一人を割り出す判別能力しかなかった」ということを言っているにすぎません。

弁護側推薦で再鑑定を行った本田克也筑波大教授の鑑定を、再審請求即時抗告審で提出した意見書の中で批判したことについては、「世界的に標準化されたキットを使っておらず、信頼できない」と改めて批判しました。

今年6月2日にこのブログの足利事件のDNA鑑定(2)でも書いたように、本田教授の見解によると、足利事件のDNA鑑定は複合的な問題をかかえています。

(1) 事件当時の科警研が行ったDNA型鑑定は、「MCT118」という方法を用い、犯人と菅家さんがともに「16-26」という型であると判定した。
(2) 科警研も当時の判定が間違っていたことを認めたが、間違いには規則性があり、「16-26」は正しくは「18-30」であると主張した。
(3) 弁護側が推薦した鑑定人の本田克也・筑波大教授(法医学)が、同じ「MCT118」法を用いて鑑定したところ、菅家さんは「18-29」、犯人は「18-24」であって、いずれも科警研が出した結論「18-30」とは相違していた。
(4) 弁護団が菅家さんの毛髪を用いて行った鑑定(2002年)も、「18-29」であって本田教授の鑑定結果と一致している。

上記の(1) に(2)の修正を行うと、当時の科警研は、犯人と菅家さんは同じ「18-30」と鑑定されたことになります。
ところが本田教授によると、菅家さんは「18-29」、犯人は「18-24」でした。

今回の再審公判においては、犯人のDNA鑑定について、科警研所長は「間違っていなかった」と証言しています。「犯人のDNA型は鑑定通り「18-30」であり、本田教授の出した「18-24」が間違いだ」という意味だと思われます。
その点は議論を続けてもらうこととして、もう一方の菅家さんのDNA型はどうなのでしょうか。
本田教授は「菅家さんは18-29である」としています。2002年の弁護団鑑定でも、菅家さんは「18-29」です。

科警研所長が「当時の鑑定はミスではなく、犯人と菅家さんは同一の型と鑑定されてもやむを得ない」というのであれば、犯人の型と菅家さんの型の両方について「ミスではない」ということを説得的に説明する必要があります。
菅家弁護団も当然その点について追求したと思われます(5時間半も尋問が続いたのですから)。ただし新聞報道からは見えてきません。

どうもフラストレーションが溜まる報道です。
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つくばエクスプレスの車中で

2009-12-24 22:18:18 | Weblog
つくばエクスプレスを利用してつくばへ行くことがあります。
つくばエクスプレスの車内に中吊り広告がかかっています。

「夫の浮・・・・橋???」ああびっくりした。

違いました。「天の浮橋(あめのうきはし)」でした。

古事記によると、いざなぎ、いざなみの二柱の神が、天上と地上をつなぐ天の浮橋にたって、玉で飾った天の沼矛(ぬぼこ)を下ろしてかき回したところ、その矛の先からしたたり落ちた塩がかさなって島となります。

その後、いざなぎ、いざなみはその島に降り立ち、夫婦となって多くの島を生み、日本が形成されます。いざなみの命(みこと)は最後に火之神を生んだときの火傷がもとで亡くなりました。(梅原猛著「古事記 」(学研M文庫)

いざなぎの命は、妻のいざなみの命にもう一度会いたいと思って黄泉の国に妻を追っていきました。そこでの出来事は壮絶ですが、ここでは省略します。

上の話に出てきた天の浮橋が、筑波山にあるというのです。筑波山もみじまつりのサイトに紹介されています。
つくばエクスプレスの中吊り広告には「2009年4月に架け替えられた」とあり、こちらの紹介では「50年ぶりに新装された天の浮橋。老朽化が激しく、30年ほど前から立ち入り禁止となっていた。」とあります。

ところでつくばエクスプレスですが、座席シートの質が悪いです。固くて、秋葉原からつくばまで乗っている間にお尻が痛くなります。噂では、経費節約のために品質をケチっているそうです。
「そんなことなら、他の鉄道のお古をもらってくる方がましだ」と思うのですが、つくばエクスプレスは直流区間と交流区間が存在するため、専用の直交両用車両でないと使えないのです。
なぜ直流交流併存なのか。
ウィキペディアによると、「茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所での地磁気観測への影響が懸念されたため」だそうで、こんなことのためにつくばエクスプレスは重い十字架を背負わされました。
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良い族議員・悪い族議員

2009-12-22 20:54:58 | 歴史・社会
私は「族議員」という単語を初めて聞いたとき、以下のようなイメージが湧きました。
「国会議員が、特定の、例えば防衛関係について深い知識を蓄え、その知識を用いて日本の防衛方針の策定と推進に役立てることはきわめて有益である。そのような能力を有し、国民のために働く国会議員を“防衛族”と呼ぶのだろうか。」(以下“良い族議員”)

ところが実態は大違いでした。
族議員とは「ある特定の官庁と結託し、その官庁の利益と自分の利益を誘導するように画策する国会議員」のことを指すようです。(以下“悪い族議員”)

手許に「丸三レポート 2009年11月」という冊子があり、その巻末に「縦横無尽」という記事が載っています。金子太郎さんという経済評論家が執筆しているものです。もと大蔵官僚だったようです。
「昭和30年代は、今から思えば役人天国であった。絶対的権力を行使していた占領軍は去り、国会議員は田中角栄さんのような異能者を除けば、役人の保有する権限を予算編成に結びつける道を、ほとんど知らなかった。
・・
だから国の予算編成に従事した人間は、国益を重視し、日本が欧米の先進国に1日でも早く追いつくように、必死になって働いた。
昭和30年代の初めに、予算総額を3年間も1兆円以内にすることができたなんて、今から考えると奇跡に近い。
それが東京オリンピックの頃から一変した。いわゆる族議員の誕生であり、族議員を動かすことのできる利益団体の続出だ。こんな予算の編成をやらされるなら、役人を辞めようかと思ったことが何回もあった。
その体制が今夏の総選挙で自民党が惨敗した結果、多くの族議員が落選して一挙に崩壊した。経済団体も自民党や族議員への献金や自民党のための票集めをやめる気配だ。
いま半世紀振りに経済界と政界・官界との癒着を一掃するチャンスが到来した。民主党は、経済団体、なかでも利益・圧力票集め団体が民主党や民主党議員に食いこもうとしているのを、何としても防いでほしい。
・・・
族議員の圧力で無理矢理成立させた予算の総額は、数兆円にとどまらないだろう。」

今までは「悪い族議員」が跋扈していたのですね。政権交代で、その弊害を一掃するチャンスが生まれました。
先日の「事業仕分け」など、自民党政権だったら族議員がよってたかって押しつぶし、実現不可能だったでしょう。


ところで、「悪い族議員」を一掃すべきことはわかりますが、本来国会議員は「良い族議員」となって国政を推進すべきものと考えます。
ところが民主党連立政権は、「悪い族議員」を撲滅することに急であるあまり、「良い族議員」まで殺してしまってはいないでしょうか。

12月7日に東京でアフガン国際会議で紹介したように、アフガニスタンにおける国民和解と和平の道筋を探る国際会議(主催・世界宗教者平和会議、協力・外務省)が23日から3日間の日程で東京で開かれました。そして25日、「アフガン和平構築で日本は中心的役割を果たすべきだ」などとする提言書をまとめ、岡田克也外相に手渡しました。

このような会議が日本で開催されたのは、犬塚直史参院議員(民主党国際局次長)、伊勢崎賢治東京外大大学院教授(元アフガン武装解除日本政府特別代表)の力に依るようです。お二人は今年の8月から、この会議開催に尽力していました。実に政権交代前からです。
この意味で、民主党の犬塚議員は、“良い外交族議員”ということになると思います。
アフガニスタンでの日本の活動を本格化させるため、犬塚議員が岡田外相と結束して強力に活動すべき時期に来ています。

ところが、民主党あるいは鳩山連立政権の方から眺めると、犬塚議員の働きがまったく顕在化しません。
ひょっとすると、「各官庁の大臣以下三役を除いて、議員は官庁に接触してはならない」との禁則が成り立っているのでしょうか。そうとすると、“良い族議員”が国政のために働く場がきわめて制約されてしまうこととなります。
せっかく東京で開催された「アフガン国際会議」で日本が果たすべき役割が明らかになったのに、その中心となるべき犬塚議員に足かせがはめられているようなものです。

犬塚議員のサイトには以下の記事が掲載されています。

アフガン国際円卓会議が閉幕:日本が果たすべき役割を再確認
共同が第二次アフガン調査について記事を掲載
コメント (6)
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普天間問題の行方

2009-12-20 18:30:47 | 歴史・社会
ネットニュースを見ていると、産経新聞は鳩山政権を批判する急先鋒になっているようです。従って、産経新聞ニュースを読むときは注意が必要と思っているのですが、以下の報道はなるほどなと思いました。
本心見えぬ鳩山首相 普天間“先送り”の意味は
12月20日9時21分配信 産経新聞

以下は抜粋です。抜粋で抽出した箇所以外についても、なるほどと思う意見が述べられていました。
『米軍普天間飛行場移設問題などをめぐり、日米関係の混迷が深まっている。日米関係に詳しいジェラルド・カーティス米コロンビア大教授に、問題の背景と展望について聞いた。(聞き手 松尾理也)
「普天間基地問題は重要だが、日米関係全体を危険にさらすほど重要ではない。日米関係が危機を迎えるとすれば、それは日米双方の取り組みのまずさによるものだ。どちらの政府にも、この問題を扱う上で不手際が見られる」
「より深刻な問題は日本側にある。なによりも、鳩山政権はなぜ辺野古への移転を拒否するのか、なぜ移転合意の受け入れに難色を示すのか、その理由を明らかにしていない。環境問題への懸念なのか? それとも沖縄県外への移設が望ましいと考えているのか? 連立を組む社民党へのご機嫌うかがいなのか? 米国がもっともいらいらするのは、鳩山首相の本心がわからない点だ」

「事ここに至っては、普天間問題を包括的かつ組織的なやりかたで早急に見直し、主要閣僚と一線の専門家による作業部会を立ち上げ、米国と緊密な協議を行い、あらゆる意見に耳を傾けた上で、彼自身の決断を下すよう要望したい」
「鳩山首相は、例えば、テレビの15分の枠をもらい、なぜ普天間についての決断を数カ月伸ばすと決断したのかを、国民に向かって演説を行ってはどうか。もしそうした演説が実現すれば、今度は米国でも報道されるだろうし、それは鳩山首相が何を考えているかを明らかにすることにもつながる。」

「彼(鳩山総理)は長く政治に携わり、米国にも詳しいし、日米同盟の重要性についてもよく理解している。普天間問題がこれほど大きな問題になってしまって残念なのは、ひとつには、実は鳩山首相とオバマ大統領は多くの共通点を持つ指導者だという事実を見えにくくさせていることだ。日米は本来、新たな安全保障の脅威に対処すべく同盟を強化していかなければならないのに、実際には全精力が沖縄の基地問題にささげられている」』

私も、鳩山首相が何を考えているのかが見えません。米国から見てもやはり同じなのですね。鳩山首相はアメリカ留学経験もあり、欧米人に対してははっきりと意見を主張しなければならないことは重々承知しているはずです。ぜひ行動に移してください。

一方、この問題を解決する上で最も責任ある閣僚は外務大臣でしょう。その岡田外相が、ぶれています。
岡田外相「海兵隊は必要」 普天間のグアム移設に難色
2009/12/19 00:36更新 産経新聞
『岡田克也外相は18日の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関し、「日本には海兵隊が必要だ」と述べ、社民党が主張する同飛行場のグアム移設などに伴う海兵隊の全面的な国外移転は受け入れられないとの考えを示した。
岡田氏は「機動力がある海兵隊の存在が紛争発生を抑止し、有事には日本の安全に有用となる」と指摘した。』

雑誌類を読むと、『岡田外相は「第二の田中真紀子」になった』というような言われ方がされています。外務官僚の言うことに耳を貸さないそうです。これでは正しい判断を下すことが難しくなるでしょう。
鳩山首相が要検討課題としている中に「沖縄駐留の米海兵隊は、本当に沖縄に駐留する必要があるのか」という点があるのだとしたら、岡田外相は現時点で上記のような発言をすべきではありません。
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日銀が新方針発表

2009-12-19 18:52:52 | 歴史・社会
この9月以降ですが、私は日銀のデフレ対応についての新聞報道を見てきました。
9月1日消費者物価2.2%低下
『日銀、追加緩和圧力を警戒
日銀が消費者物価の下落に頭を痛めている。
「政策金利はすでにゼロに近く「短期的に物価を押し上げる政策は持っていない」(水野温氏審議委員)。現行の企業金融支援などを続けつつ内需が回復に転じるのを待つしかない状況だ。』

11月20日デフレ克服のためにどうすべきか
『日銀は19・20日開催の金融政策決定会合で、政策金利である無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.1%前後に据え置くことを全員一致で決定した。
マイナス圏内で推移している消費者物価(除く生鮮食品)に関しては「中長期的な予想物価上昇率が安定的に推移する想定のもと、石油製品価格などの影響が薄れていくため、下落幅が縮小していく」との見通しを変えなかった。
 ただ、物価をめぐっては、経済閣僚が相次いでデフレに対して懸念を表明するなど、政府と日銀とで認識にズレが生じているとの見方も出ている。
 経済協力開発機構(OECD)は19日、物価上昇率が確実にプラスになるまで、日銀は現行の超低金利を維持しつつ、量的緩和措置を効果的に実施するという強いコミットメントを通じ、デフレと闘うべきであると提言した。』

11月21日再びデフレについて
『日銀の白川方明総裁は20日記者会見し、設備投資や個人消費などの最終需要が大きく不足した状態では「流動性を供給するだけでは物価は上がらない」と指摘。デフレ克服に向けた資金供給の拡大に否定的な考えをにじませた。米連邦準備理事会(FRB)は現在、日銀のかつての量的緩和政策に匹敵する規模の資金を供給しているが「物価を押し上げる力は乏しい」とも語った。』
『総裁が追加融資の効果に懐疑的なのは、需要の弱さという「根本的な原因に働きかける」ことが今の局面では重要と考えているためだ。「家計の将来への安心感や企業の成長期待を確保することがもっとも大事」と述べ、現在の超低金利政策や潤沢な資金供給で「粘り強く支援していく」姿勢を改めて強調した。』

11月24日デフレ対策・もう一つ

従来の日銀は、「日銀としてやるべきことは既にやっている。デフレ対策で日銀が追加でできる政策はない」というスタンスのようでした。

ところが、日銀「新型オペ」の評価で紹介したように、日銀は12月1日に新たな金融政策(新型オペ)を発表します。金利は政策金利と同じ0.1%で、期間は3カ月。国債や社債、コマーシャルペーパー(CP)、証貸債権など「全ての日銀適格担保」を裏づけに資金を貸し出す。供給額は10兆円程度を予定しているというものでした。

そしてさらに12月18日に日銀は、日本のデフレについて日銀の金融政策方針を発表しました。
日銀が政策金利を現状維持、物価「ゼロ%以下は許容せず」
12月18日13時19分配信 ロイター
『日銀は17・18日開催の金融政策決定会合で、金融政策運営にあたり、各政策委員が、中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率について「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」と表現を変更した。
 これまでは「0─2%程度の範囲内にあり、委員毎の中心値は大勢として、1%程度になっている」だった。
 日銀は声明で、物価安定の理解の表現を変更したことについて「委員会としてゼロ%以下のマイナスの値は許容していないこと、および委員の大勢は1%程度を中心と考えていることをより明確に表現することにより、物価の安定に関する日本銀行の考え方の一層の浸透を図ることが適当との結論に至った」と説明している。』
『<緩和的な金融環境維持>
 日銀は「日本経済がデフレから脱却し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰することが極めて重要な課題であると認識している」と指摘。金融政策運営に当たっては「きわめて緩和的な金融環境を維持していく」との方針を確認した。』

9月以降新聞でフォローしてきた日銀の姿勢からは、一歩踏み込んだように思われます。
もちろん、デフレに対する日銀の基本スタンスを示しただけで、具体的な政策については何も語っていません。しかし、私は日銀が「日銀はデフレと闘い、デフレを克服する決意である」ということを国民と市場にアナウンスすることそのものが、今は必要なのではないかと思います。その意味では、「日銀はやっと腰をを上げてくれたか」とほっとする想いです。
やはり、「政府と日銀の連繋で、デフレは克服される」という安心感を国民が持たない限り、国民は物を買おうという気持ちになりません。

ここに至るまでの表面的な動きを追ってみると、
11月5日 勝間和代氏が「マーケット・アイ・ミーティング」で菅直人国家戦略担当相に対し、雇用改善のために、大胆なデフレ克服策を訴えました。日銀が大量の国債を買い取ることで、通貨発行量を大幅に増やしてインフレを呼び込むというものです(勝間和代「リフレ論」が大反響 ネットで賛否両論が渦巻く)
11月20日 菅直人大臣がデフレを宣言し、藤井財務大臣もデフレ懸念に危機感を表明しました。
11月19日 経済協力開発機構(OECD)は、物価上昇率が確実にプラスになるまで、日銀は現行の超低金利を維持しつつ、量的緩和措置を効果的に実施するという強いコミットメントを通じ、デフレと闘うべきであると提言しました。

勝間和代氏が菅直人大臣を動かし、OECDも助け船を出し、その結果として日銀のスタンスが変わった、という時系列になります。
さて、本当のところはどうだったのでしょうか。
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民主党税調・普天間問題

2009-12-17 21:04:58 | 歴史・社会
《民主党が政府に要望》
暫定税率、実質維持へ=党要望受け方針転換-環境税導入は見送り・政府
12月16日21時31分配信 時事通信
「政府は16日、2010年度税制改正に向け最大の焦点だったガソリン税などの暫定税率について、実質的に維持する方向で調整に入った。民主党が同日、鳩山由紀夫首相に提出した予算・税制に関する「重要要点」で、「ガソリンなどの暫定税率は現在の租税水準を維持する」と要望したのを踏まえ、来年度廃止としてきた従来方針を大きく転換する。
 政府はこれまで、暫定税率廃止に伴う約2.5兆円の税収減を補うため、「環境税」の同時導入も検討してきた。しかし、党要望で「環境税は今後の検討課題」とされたのを受け、来年度からの導入は見送る方向となった。」

自民党政権時代、税制の検討については「政府税調」と「党税調」が並立し、むしろ党税調の力の方が大きいという問題を有していました。それに対し民主党連立政権は、「党税調を置かない」という方針を採り、税制の検討を政府に一元化したはずでした。

その政府において、一度は首相を除く閣僚間で「ガソリン暫定税率を廃止し、同時に環境税を導入し、ガソリンにかかる税金は現状を維持する」方向でまとまりかけていたのを、鳩山首相がひっくり返し、暫定税率廃止のみを実施する方向で進んでいました。
その鳩山首相のやり方も「マニフェストを墨守するのみで現実離れしている」と思っていました。
それが今回の民主党の要請です。
いきなり結論を突きつけて政府の方針をねじ曲げようとしています。党方針の議論の過程が全く開示されていません。これでは、自民党政権時代の「党税調」よりもたちが悪そうです。

結局、「来年4月には取り敢えずガソリンを安くしよう」と考えていたのは鳩山首相一人であり、小沢幹事長もそれに反対だったことが明らかになりました。何で鳩山首相はそのことに気付かず、一度は閣僚間で合意に達した「暫定税率を環境税に置き換える」という方針を蹴飛ばしたのでしょうか。


《普天間問題》
私は軍事問題に詳しくないので、沖縄に駐留している米国海兵隊が、グアム移転予定の8千人を除いて沖縄に駐留し続ける必要があるのか否か、判断がつきません。
中国が軍事力を伸張し、北朝鮮が核開発とミサイル開発を進めている中、東アジアで同盟関係・友好関係にある日本・米国・韓国・台湾の安全保障をどのように保持していくのか、その議論が不可欠であることはわかります。
今ここで日米同盟関係に亀裂が入り、その結果として沖縄駐留米軍が撤退するような事態となったら、それは真の軍事力の低減ということよりも、中国や北朝鮮に対して悪いアナウンスになることは間違いないでしょう。中国と対峙する台湾、北朝鮮と対峙する韓国のいずれも、固唾を呑んで日米の交渉を見守っていると思われます。

しかし、民主党連立政権の「県外、国外移設」議論において、「東アジアにおいて米国と同盟関係・友好関係にある国々の安全保障の観点から、沖縄の米軍軍事力はいかにあるべきか」という議論がなされている形跡がありません。

それにしても、民主党連立政権発足以来、この問題について首相がどのような方向で米国と同意に達しようとしているのか、全く見えません。見えているところから推測する限り、米国に提示する対案を全く持っておらず、その日暮らしをしているように見受けられます。

米国は表向き日本政府の置かれている立場を考慮し、静観する姿勢を示しています。しかし米国政府内の一人一人は、はらわたが煮えくりかえっているのではないでしょうか。
アメリカ人を怒らせると恐い、という実感を私は持っています。
日本がバブル景気の頃、アメリカ経済は疲弊していました。そのとき日本人は、「東京の地価でアメリカ全体が買える」だとか、「アメリカ人は勤勉でないから米国は停滞している」といった発言をしていました。アメリカ人は怒っていたと思います。日本のバブル崩壊後の停滞は、その怒れるアメリカ人にしてやられたのではないか、と勘ぐっているのです。
今後、日本と日本人は、今回の件によってアメリカとアメリカ人から手痛いしっぺ返しを受けるのではないか。それが恐いです。
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アントラーズの強さの源泉は

2009-12-15 22:01:44 | サッカー
鹿島アントラーズがJ1で3連覇を成し遂げました。
私は、2006年にジーコのことで書いたとおり、Jリーグ発足当時からジーコとアントラーズのファンであり、今でもやはりアントラーズを応援してしまいます。そのアントラーズが3連覇したのですから、私としては嬉しいです。

アントラーズは、茨城県鹿嶋市という、大都市から遙か離れた地方の小都市を根拠地とし、ファンの大量動員が困難なチームです。従って、チームの財政規模も決して大きくないだろうと推察します。これが、大都市とその近郊に立地する人気チーム、例えば浦和レッズやガンバ大阪だったら、チームの莫大な収入をもとに高給の選手を集めることも可能でしょうが。

そのように、決して有利とは言えない立地であるにもかかわらず、なぜ鹿島アントラーズは強いのでしょうか。

12月11日の日経新聞に三浦知良氏が記事を載せています。
『イタリアの名選手、R・バッジョはACミランに加入してクラブハウスに来るや「ここが世界一である理由が分かった」と語ったという。練習場やクラブがまとう空気が、そこが名門かどうかを物語る。11月に練習試合で鹿島に出向いたとき、僕もそんなことを感じた。スタメンから外れた選手による試合でも、鹿島の面々の「試合に出たい」というハングリーさは、同じ練習試合をした浦和とは違っていた。
リラックスゲームでも遊びでもじゃんけんでも、「勝負がかかれば何であれ負けるな」というジーコの精神が見て取れる。偉大な選手が何かをもたらしても、本人が去れば一緒になくなることは多いもの。鹿島だけは継承し、ぶれず、ブラジルのスタイルを貫いている。いま日本で名門と呼べるのは鹿島だけだろう。』

鹿島の継続の秘密は何なのか、知りたいところです。もちろん、最近の3連覇についてはオリヴェイラ監督の功績が大きいでしょうが。

一方の浦和、2007年に浦和にてで書いたように、埼玉スタジアムで行われる試合には首都圏の全域からファンが駆けつけます。そのもたらす財務体質はきわめて裕福でしょう。それを生かせない最近の浦和レッズは、一時期の読売巨人軍のようです。頑張ってください。
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