弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

日本にドゴールは生まれるか

2012-09-26 21:55:40 | 歴史・社会
今の日本の政治指導者は、民主党も自民党も、選挙にばかり目がいき、国民の顔色ばかり窺っています。その結果、国境・領土問題が勃発すると、国民から非難されるのを怖がっているのでしょう、威勢の良い話ばかり出てきます。
現在の尖閣問題では、国民受けのする威勢の良い政策に傾くと、下手をすれば日中の武力衝突にまでエスカレートする危険を抱えています。ここは、国民受けしないことを覚悟の上で、中国に対して思い切った譲歩をする程度のことをし、未来に向けた歩みを始めるべきではないかと、私は思います。

そしてそのためには、日本の政治指導者として、強い指導者が必要なのではないかと思っているのです。
「強い指導者」というと、「威勢の良い指導者」「右傾指導者」を思い浮かべてしまうのですがそうではありません。日本と世界のためとあらば、国民の期待を裏切ってでも、他国と妥協できる指導者です。

昔、アルジェリアはフランスの植民地でした。1958年前後、フランスはアルジェリアの独立運動に悩まされていました。独立派の反乱に対して有効な手を打てず、アルジェリアのフランス植民者はアルジェリア駐留軍と結託してフランスに反旗を翻す始末です。フランス植民者は、このとき引退していたドゴールを担ごうとし、フランス首相もドゴール登場を望みました。
あの強いドゴールなら、アルジェリアの独立運動を解決してくれるだろう。

ところが、政界に再登場し、憲法改正を成し遂げて大統領の権限を強化し、初代大統領に就任したドゴールはアルジェリアについて何をしたか。
大方が予想するようにアルジェリア独立運動を弾圧したのでしょうか。そうではありません。ドゴール大統領は、アルジェリアの独立を認めてしまったのです。ドゴール自身が、植民地における民族自決の流れを理解していたのです。
フランスの植民地派はこの決定に反乱を起こしますが、ドゴールはこれを鎮圧しました。その後も植民地派はテロ活動を活発化し、ドゴール自身がテロや暗殺の標的となりました。(上記記事はウィキペディアを参考にしました)

こうしてドゴールの仕事を振り返ると、“強い政治家、未来を見通せる政治家”がこの国の指導者として出現することを望んで止みません。

さて、安倍晋三新総裁はどうでしょうか。
“一見右傾指導者のように見えるが、実はドゴールのように強く、かつ未来を見通した政策を実現できる政治家だ”ということだとありがたいのですが・・・。
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ピアノ発表会2012秋

2012-09-23 00:30:42 | 趣味・読書
先生についてピアノを習い始めて2年になります。家内と二人で、西荻窪にお住まいの先生のご自宅に習いに行っています。
教材はトンプソン現代ピアノ教本(2) からスタートしました。
私たちが習っている大城先生の教室では、発表会が年に2回あります。春の発表会は、大城先生に習っている大人の生徒さんのみが集まり、フィガロ音楽院の小ホールでアットホームに行っています。秋の発表会はフィガロ音楽院全体の発表会で、3日間にかけて行われる大規模な発表会です。
発表会で演奏するとなるといい加減な練習では済まされません。また、発表会が励みとなり、練習にも熱が入りますから、ピアノの腕も上がるというわけです。
私は今まで、以下の曲を発表会で弾きました。
2011年春 ドン・ジョバンニより「メヌエット」、黒いひとみ
2011年秋 パッヘルベルのカノン
2012年春 ロンドンデリーの歌、シューベルトのセレナーデ

そして2012年秋の発表会、私が演奏するのは9月22日、会場は葛西区民館でした。開演前の音合わせのときに撮った写真を1枚だけ上げておきます。

観客席の多い普通の大ホールですが、私が演奏したときの観客の数は、10人いるかいないか、といった人数でした。子どもが出演する時間帯は大勢の観客が集まるのですが、今回のように大人が演奏する時間帯はほとんど演奏者+α程度の人数しか聞いていないのです。

今回の私の演奏曲は2曲です。
  シューベルトのセレナーデ Op.134
  ベートーベンの「さらばピアノよ」

シューベルトのセレナーデは、春の発表会と同じ曲です。この曲の演奏については、何とか無事にこなしました。舞台の袖に帰ったとき、大城先生が指で○を作ってくれました。
問題は2曲目のベートーベンです。練習時の傾向では、こちらの曲の方が途中の破綻が少ないと予測していたのですが、途中のある段階で指が次に弾くキーを突然忘れてしまったのです。繰り返しを含めて同じ場所を3回弾きましたが、3回とも指は思い出しませんでした。
今回私がつっかえた箇所というのが、練習では一度も破綻したことのない箇所でした。こういうことがあるから、発表会というのは恐ろしいです。

まあ、そんなこともありましたが、その2曲目も最後まで弾き終わり、今年の発表会は終了したのでした。

今回も含めてですが、大人の発表者が少ないのが気になります。リタイアした団塊世代が世の中には溢れているはずなのに、ピアノでも習ってみようか、という人はあまりいないのでしょうか。
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尖閣と日中関係

2012-09-19 11:50:05 | 歴史・社会
尖閣問題で、日中関係は大変なことになっています。
きっかけは、日本政府による尖閣の国有化閣議決定だということです。

9月18日プライムニュース『金箔の日中関係を問う 尖閣国有化と反日デモ』(前編後編)では、ゲストに宮本雄二前駐中国大使、朱建榮東洋学園大学教授を迎え、議論がされていました。
○ 中国からは外交ルートを通じて、「東京都所有でもなく、国有でもない、第3の道を選べないか」という問い掛けがあったそうですが、日本政府はそれを無視し、国有化に踏み切りました。
○ 9月9日のAPECでの立ち話で、胡錦涛国家主席は野田総理に国有化を止めるように強く迫ったのに、そのたった2日後に野田政権は尖閣国有化を閣議決定しました。
○ 9月18日の満州事変国辱の日、中国最高指導部の政権交代などの直前を選んで、国有化は閣議決定されました。

以上のような議論がありました。

従来の報道では、野田政権は「東京都所有よりも穏やかな道として、国有化を選択した。国有化の方が、中国との関係では好ましい」と説明していたようです。ところが蓋を開けてみたら、尖閣国有化が騒動のきっかけだったというのです。

日本政府は、中国とどのような水面下の交渉をしているのか、あるいはできていないのか。
中国の共産党政権は、例えば中国海軍を完全に掌握しているわけではありません。2年前の尖閣騒動に際しても、中国海軍が中央政府の制止を振り切って独断専行し、尖閣に武力上陸する可能性すらあったといいます。今回は、前回以上に中国国民が激昂していますので、その世論を背景として、中国海軍が独断専行して軍艦で武力上陸する可能性も捨てきれません。そのような事態を未然に防ぐことこそ、日本政府の対中国外交の筈です。

プライムニュースで宮本氏(前駐中国大使)は以下のようにも発言していました。
○ 中国が“こういうモード”に入ってしまうと、もう日本がどのように理を尽くして説明しても全く中国の耳に入らない。こうなったら、次に中国が冷静になるまで待つしかない。その間、ひょんなことで事態がさらに悪化することのないよう、注意するしかない。

ところで、自民党の総裁選立候補者の発言を聞いていると、争うようにして対中国強硬主張を展開しています。総裁選で勝つためには、この際、対中国で強硬な姿勢を見せざるを得ないのでしょうか。
今回野田政権はなぜ国有化の閣議決定を急いだのか。自分の政権が長くないことを見越し、対中国外交よりも国内受けを狙ったためでしょうか。
中国も政権交代直前にあり、激烈な権力闘争を行っているさなかと思われます。当然、日本に対して弱腰を見せることは厳禁です。
こうして日本の政局と中国の政局を眺めてみると、一触即発の事態が弾け、とんでもない悪いことが起きる環境は十分にそろっているように思われます。

ここで、2年前からの尖閣を巡る推移を私のブログから拾ってみました。

2010年12月『尖閣“衝突”と日中関係
「世界」12月号『特集 尖閣“衝突”と日中関係』
《莫邦富(ジャーナリスト) 日中衝突の余波を拡大させてはならない》
当時の前原外相は、管直人首相が求めている日中首脳会談に対して「焦らなくていい」と外務省幹部に指示し、中国の対応を「極めてヒステリック」と罵倒しました。
『「ヒステリック」という、外務大臣としては最もふさわしくない言葉まで口にしてしまった前原外相の頭は、ショートを起こしてしまったようだ。
あまりに幼稚すぎる発言を繰り返して、口先の瞬間的な快感を安易に求めた一部の民主党政治家の精神的な幼稚さが、今度の事件の余波を人為的に拡大させてしまった。管首相と温家宝首相の「廊下会談」でようやく事件の解決に向けて歩み出した日中両国の足取りが、よりによって日本の外相に妨害され、攪乱されてしまったのである。』

《岡田充(共同通信)  「ボタンの掛け違え」はなぜ起こったか》
中国外務省の胡正曜次官補は9月21日の記者会見で、前原外相を「毎日のように中国を攻撃する発言をし、口にすべきでない極端なことも言っている」と名指しで非難していました。前原外相のどのような発言かというと、18日国会答弁での上記「極めてヒステリック」との発言の他、21日には小平が提唱した「争い(領有権)の棚上げ」について「日本が合意した事実ではない」と述べたこと、またグーグルに対して地図上の尖閣諸島の中国名併記を削除するよう要求したことを指しています。


2011年12月『尖閣に自衛隊を駐留させてはいけない
伊勢崎賢治著『紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略 (NHK出版新書 344)』には、伊勢崎賢治氏と宮台真司氏との特別対談が掲載されています。
2年前の尖閣騒動において、中国共産党は、勾留期間の最初の10日延長までは静観していました。ここで強制送還になることを想定していたようです。この間中国共産党は、日本政府に対して「今までの“事実上の協定”の線で行動してくれ」とのシグナルを出し続けたといいます。日本はこのシグナルを受けとり損ねました。

胡錦涛国家主席は、現在の中国首脳の中では比較的親日だといいます。一方中国では、海軍は反日で知られる江沢民ラインですから危なかった。2年前の尖閣騒動でも、中国海軍が共産党の支配から離れて尖閣諸島に強硬上陸する危険性もありました。胡錦涛がよく抑えた。
ですから日本としては、胡錦涛主席を立てるように外交しなければなりません。
ところが日本政府は、前原国交大臣が「国内法に従って手続きを粛々と進める」と発言したりして、胡錦涛主席のメンツを潰すような行動に終始しました。これにより胡錦涛の立場は弱くなり、日本の国益が損なわれました。
胡錦涛主席としても、中国国内の強硬派を抑えこむためには、日本に対して強硬路線をとらざるを得なかったのです。

小平路線に沿った“事実上の協定”に従えば、「(1) 主権棚上げ、(2) 実効支配は日本(パトロールは今までどおり日本がやる)」であって、それは軍隊ではなく警察に準じるコーストガード(海上保安庁)がパトロールするという意味です。自衛隊という軍隊が出てきたら大変なことになってしまいます。

2012年4月『石原都知事「尖閣を都が買う」
『今回、「東京都が尖閣の地主になる」という、中国にとって聞き捨てならない話題が提供されました。今後、中国を過度に刺激して前回の轍を踏まないよう、しかし過度に遠慮して日本の国益を損なわないよう、絶妙の外交バランスで事を運ぶ必要があります。そしてそのためには、日本政府での官邸と外務省官僚との強い信頼関係が不可欠です。
私が危惧するのはその一点です。』

私はこのとき、東京都が買い取ることも対中外交で好ましくないことが起きるのではないかと危惧したのですが、東京都を出し抜いて国が買い取ることに決着した結果、事態は好転するどころか最悪の方向に向かいつつあるようです。
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安倍晋三氏総裁選出馬をどう受け止める

2012-09-11 21:48:29 | 歴史・社会
安倍改革支持者として言う、安倍再登板は死ぬほどみっともない
宮島理 12012年09月07日
『保守派の中で安倍再登板論が盛り上がっているようだ。私は小泉改革を発展継承した安倍改革を強く支持してきたが、そんな私でも安倍再登板はみっともないと思う。仮に総裁選に出馬したところで、橋本元首相のようになるのがオチだろう。』

私も同意見です。
小泉長期政権終了後の日本政府を概観してみると、安倍政権が一番まともであったように思います。
安倍政権の末期、マスコミはこれでもかと安倍政権をこき下ろしました。最後は、大臣が顔に絆創膏を貼っているという理由でバッシングし(ほかにも理由はありましたが)、農水大臣が辞任に追い込まれています。
当時は、“稚拙な政権だ”“お友達内閣”などと揶揄されました。しかし、その後の福田政権、麻生政権、鳩山政権、管政権、野田政権と比較してみてどうでしょうか。当時あれほどバッシングされなければならないほど酷かったとは、今となっては思えません。

そして、安倍政権が目指していたもの、そして一部実現した政策を見ると、よくやっていることがわかります。上記「安倍改革支持者として言う、安倍再登板は死ぬほどみっともない 」に列記されているとおりです。
この中でも、渡辺喜美大臣が担当した公務員制度改革の一歩前進は特筆していました。

しかし1年後、安倍氏は内閣を投げ出しました。
それまでに、閣僚の不祥事問題、消えた年金問題でぼろぼろにされていました。最後の決め手は、直前の参院選で惨敗したこと、健康を害していたことが挙げられています。私は、自民党に後から鉄砲を撃たれたことも大きいと思っています。もっとも、このときの“麻生クーデター説”は真実ではないといわれていますが。インド洋での給油活動を継続することについてアメリカと民主党の板挟みにあい、自分が辞めることで解決を図ろうとした気配もあります。

私は、あのとき安倍総理が政権を投げ出さなければ、日本の政治はずいぶん違った景色になっていたのではないか、ととても残念に思っています。福田、麻生、鳩山、管政権に比べればずっとまともな政治が行われていたでしょう。

その安倍さんが再登板ですか。
私は宮島さんと同様、どうしても抵抗を感じてしまいます。安倍さんの顔を見ると、あの“政権投げだし”をどうしても思い出してしまのです。

でも、自民党の総裁立候補者5人を比較し、消去法で消していくと、・・・安倍さんしか残りませんね。

ところで、安倍政権は閣僚不祥事でなぜあれほどのマスコミバッシングを受けたのか。
財務省の陰謀があったのでしょうか。

まず、政府税制調査会の本間正明会長が、公務員官舎に愛人と同棲していることが判明し、税調会長を辞任しました。ウィキによると、『本間の愛人問題は、同内閣の改革路線(具体的には財務省の増税路線批判と政府資産の売却)を快く思わない財務省のリーク説もあり、同内閣のブレーンだったジャーナリストの長谷川幸洋は、当時の財務省・理財局長・丹呉泰健のリ-クであると明言している。』とあります。
そのほかにも、規制改革担当の佐田玄一郎大臣の事務所経費問題、、伊吹文明文科大臣の事務所経費問題、松岡利勝農水大臣の“なんとか水”問題、赤城徳彦農水大臣の事務所経費問題などについては、マスコミがよくもこれだけ調べたなと当時は思っていましたが、ひょっとして財務省~国税庁からのリーク情報ではないかと、今では思います。
もしそうだとしたら、恐ろしいことです。

橋下徹氏も、橋下徹 vs 財務省帝国に書いたように財務省から狙われているらしいですから、くれぐれも気をつけてください。
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日ロ首脳交渉の進展

2012-09-09 18:49:58 | 歴史・社会
APECにおける日ロ首脳会談の結果、12月にロシアでの日ロ首脳会談の開催が約束されました。これは日ロ関係にとってどのような意味を持っているのだろうと興味を持っていたのですが、佐藤優氏が極めてポジティブな解説をしています。

成功したウラジオストク日露首脳会談。解散を先延ばしした12月の野田首相訪露が「北方領土交渉」の歴史的転換点になる
2012年09月09日(日) 佐藤 優
『領土問題をめぐる日韓・日中関係の悪果という情況でロシアは、日本に対して好意的中立の立場をとるというシグナルを今回の首脳会談でプーチンは出した。』
『ロシアは・・・、野田政権の権力基盤が盤石でない・・・ことを十分に認識した上で、野田首相の12月訪露に合意したのだ。そのような形で、プーチン大統領は野田首相を支援している。』
『野田政権の利益を超えて、日本の国益にとっても、今年12月の野田訪露は大きな意味を持つ。これは公式訪問になるので、その際には日露間の合意文書が発表される。この合意文書で、北方領土に関する何等かの新合意がなされる。
首脳会談の日程が決まると、両国の外交官は必死になって双方を満足させることができるような文書の作成に努力する。ここで北方領土で野田首相を満足させるような成果が得られないと、外務省の欧州局長やロシア課長は出世できなくなる。それだから、外務官僚は必死になって、事務レベルでの交渉を行う。』
『歯舞群島、色丹島の2島の近未来の現実的引き渡しに関する外交交渉が活性化すると思う。
その過程で、国後島、択捉島の帰属をめぐる交渉について、過去と異なる独創的なアプローチがとられるかもしれない。』

それはすごいことですね。
もし佐藤優氏の見立て通りだとしたら、野田内閣は日ロ外交で大きな一歩を踏み出しつつあるということです。


8月24日プライムニュース(竹島・尖閣・北方領土)で紹介したように、8月24日に東郷和彦氏は番組で、プーチン氏は3月1日、「私が大統領になったら交渉を始めましょう。結果は「引き分け」です。」「私が大統領になったら「はじめ」といいます」とせっかくシグナルを発したのに、野田政権は6月の首脳会談まで何も始めず、日本は大失敗した、とコメントしました。そしてAPECの場などを利用しないといけないと提言しました。
6月18日の佐藤優氏コメントによると、朝日新聞土佐茂夫記者の記事(6月18日)に登場する匿名の外務官僚は、野田首相が北方領土問題と本格的に取り組む準備ができていないというメッセージをロシア側に送ろうとしているといいます。
『野田首相は、北方領土問題の解決に意欲を持っている。首相を支えるのが仕事のはずの外務官僚が、朝日新聞を通じて、北方領土交渉の「中身まで、とても議論できるような状況にない」と日本政府内部が混乱しているというような情報操作を日露首脳会談の直前に行うのは、尋常な事態でない。
首相官邸の意向を実現すべく、首脳会談の準備を行うのが外務官僚の仕事だ。それをせずに、野田首相の足を引くような外務官僚は更迭するのが筋だ。』
北方領土交渉が進展することを好ましくないと考えている外務省幹部が存在するということでしょう。

しかし日本政府は、6月以降、東郷氏が指摘した方向で積極的に動いてきたということでしょうか。その結果として6月段階の遅れを挽回できたのだとしたら、それは日本にとってありがたいことです。
佐藤優氏によると、今回APECでの日露首脳会談の前にロシアはさまざまなルートを用いて、野田政権の安定性について調査していたそうです。そのようなロシア側と水面下で良好な対話ができていたのでしょうか。
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鳥人間コンテスト2012

2012-09-07 19:23:52 | 趣味・読書
今年の鳥人間コンテストの様子が8月27日にテレビで放映されました。私はビデオに収録して後日観戦しました。
結果はこちらのサイトに掲載されています。

《人力プロプラ機ディスタンス部門 今年の上位順位》
優勝 東北大学Windnauts 14,129m
2位 日本大学理工学部航空研究会 12,342m
3位 芝浦工大+ガールズケイリン(石井寛子/明珍裕子)840m
4位 京都大学ShootingStars 835m
5位 東京工業大学Meister 587m

[人力ディスタンス 過去の優勝履歴]
開催年 回 優勝距離 優勝チーム
        m
1986  10   512 チームエアロセプシー
1987  11   436 日本大学
1990  14  1,810 日本大学
1991  15   500 日本大学
1992  16  2,020 チームエアロセプシー
1993  17  2,181 日本大学
1994  18  2,372 日本大学
1995  19  8,764 チームエアロセプシー
1996  20  9,762 大阪府立大学
1998  22 23,688 チームエアロセプシー
1999  23  4,913 大阪府立大学
2000  24  7,946 大阪府立大学
2001  25  3,824 東京工業大学
2002  26  6,201 東京工業大学
2003  27 34,654 日本大学
2005  29 22,813 日本大学
2006  30 28,628 東北大学
2007  31  3,998 東京工業大学
2008  32 36,000 東北大学
2009 中止
2010  33 18,556 東京工業大学
2011  34 18,687 東北大学
2012  35 14,129 東北大学

過去、優勝したチーム数は5チームしかありません。そのうちチームエアロセプシーは現在参加しておらず、大阪府立大学は人力タイムトライアル部門に移ってしまったので、過去優勝経験があるチームとしては日大、東北大、東工大の3チームのみです。

その3チームの中でも、最近の成績では東北大が頭ひとつ抜け出している感じですね。
今年は、日大も久々の優勝を狙って闘志満々でした。そして12,342mというすばらしい飛翔を見せたのですが、その後に飛んだ東北大は、日大の記録を上回る14,129mで優勝をかっさらいました。

我らが東工大マイスターは、順調にスタートしたのですが、その後すぐに他チームの観戦者が「あれ、機首が下がってるぞ、下がってるぞ」と騒然とする中、高度を下げ、最後は左旋回しながら左翼から着水してしまいました。記録は587mです。何が何だかわかりません。番組では「風の影響だろうか」というコメントもありましたが、それだけでは納得できない飛行でした。

3位の芝浦工大は、以前から2人乗りで出場しています。2人乗りですから当然、他のチームに比べて機体が大きく、翼幅も全然違います。
今年は、搭乗者として女子競輪の2名の選手が選ばれました。おそらく、テレビ局が客寄せの一環として企画したものでしょう。それでも、「番組もマンネリ化したから鳥コンは打ち切り」とされるよりもましです。
今回は、滑空機部門で間寛平が出場しました。これも番組の話題造りの一環でしょう。

《滑空機部門》
優勝:みたかもばら×神奈川工科大学
   大木祥資 記録:501m

優勝した大木氏は、出場すれば必ず優勝をかっさらっています。特に今年は、大会記録でかつ初の500m超えを成し遂げました。この実力は何でしょうか。
今回もそうでしたが、大木氏はじめ上位入賞者の飛行では、10メートルのスタート台から飛び出したあと、急速に降下しています。そしてあっという間に水面1メートル程度まで舞い降り、その後水平飛行に移っているのです。ですから、例えば距離100メートルで水平飛行に移ったとしたら、その後の400メートルはずっと水平飛行です。
動力を持たない滑空機の場合、その性能は滑空比(=水平距離/降下距離)で表され、最優秀な滑空機でも滑空比は40程度のようです。一方で鳥コンの優勝者は、1メートルの降下で400メートル飛んでいるとしたら、計算上滑空比は400になってしまいます。なぜこのような飛行が可能なのかわかりません。また、私の知識では、スタートから着水まで一定の速度、一定の滑空比で飛行した方が距離が稼げると思われるのですが、スタート直後に高度を落としてしまうという鳥コンの飛行方法の方が距離が稼げるのだとしたら、その理由も不明です。

《人力プロペラ機タイムトライアル部門》
優勝 ドボン会 2'08"50
2位 東京大学F-tec 2'40"25
3位 首都大学東京鳥人間部T-MIT 2'44"90
4位 大阪府立大学堺・風車の会 2'46"48

2~4位がほぼ同タイムであるのに対し、1位のドボン会は圧倒的高速で優勝しています。ドボン会とはどのようなチームなのでしょうか。調べたところ、ドボン会名古屋大学Aircraftのコラボチームのようでした。

数年前、人力タイムトライアルでは大阪府立大学、チームエアロセプシー、チームFなどが優勝していましたが、最近は優秀なチームが増えてきているようです。東京大学F-tecもじわじわと順位を上げていますね。
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碓氷のめがね橋

2012-09-04 01:06:10 | Weblog
先日、家族で軽井沢に行く機会がありました。足は自家用車です。
以前、イニシャルDと碓氷峠めがね橋でご紹介したように、横川から碓氷峠を超えて軽井沢に至る山道の途中に、“めがね橋”と呼ばれるレンガ造りのアーチ橋があると聞いています。今回、軽井沢へ向かう途中でこのめがね橋を見ていくことにしました。

自動車で軽井沢へ行く場合、上の地図にあるように、ルートは3つあります。第1は、上信越自動車道で碓井軽井沢ICまで走り、そこから一般道を北上して軽井沢に至る道です。第2は上信越自動車道を松井田妙義ICで下り、横川を経由し、碓氷バイパスを使って碓氷峠を越えるルートです。そして第3は、横川の先で右に折れ、碓氷バイパスではなく旧道を使って碓氷峠を越えるルートです。
地図によると、めがね橋は上の地図の中央の「+」印の位置にあるようです。つまり、旧道の途中です。ということで、今回は旧道を用いて軽井沢に向かうことにしました。

旧道とバイパスの分岐点で間違えてしまったのですが、すぐに間違いに気付き、一度戻って旧道に入りました。
めがね橋は、突然視界に飛び込んできました(下の写真)。

以下、いくつかの視点から橋をカメラに収めました。






めがね橋は正式名称を碓氷第3橋梁と呼ばれています。現地に設けられた説明板では、「旧信越本線の碓氷第三アーチ」と表示されていました。碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、アプト式鉄道時代に使われた鉄道橋です。明治25年(1893)12月竣工です。
同じ説明板では『碓氷の峻険をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。そのこう配は1000分の66,7という国鉄最急こう配です。』『昭和38年(1963)9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。』と記述されています。
ところでアプト式とは、急勾配の上り下りをするための鉄道の駆動方式であり、レール側にぎざぎざのついたラックレールを配置し、機関車にピニオンギアを配置して両者をかみ合わせ、駆動力を得るという方式です(ウィキ)。

めがね橋は重要文化財に指定されており、世界遺産の暫定リスト入りもしています。

私がめがね橋についてはじめて知ったのは、アニマックスで放映された連続アニメ「イニシャルD(頭文字D)」シリーズでした。その中で、「頭文字D Extra Stage 2」は、主に碓氷峠を根拠地とする佐藤真子と沙雪を主役とした番外編です。青のシルエイティ(ウィキ)に乗る真子と沙雪は、碓氷最速を誇り、インパクトブルーと呼ばれています。アニメを見ていると、碓氷の峠道の場面で頻繁に、古代ローマ水道のようなアーチ橋が背景に現れます。現実にアーチ橋があるに違いないと思って調べたら、このめがね橋に到達したわけです。

めがね橋の写真撮影の後、旧道を車で上り詰めましたが、ただのくねくねした山道でした。この道の下りをドリフト全開で走り抜けるなど、想像もできません。

帰りは軽井沢から南下して、碓井軽井沢ICで上信越自動車道に入るルートを選択しました。
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従軍慰安婦~質問主意書と答弁書

2012-09-03 19:50:56 | 歴史・社会
従軍慰安婦問題についての政府の公式見解であるいわゆる「河野談話」(平成5年8月4日)と、その根拠となった「いわゆる従軍慰安婦問題について」(平成五年八月四日内閣官房内閣外政審議室)のいずれにも、以下の文言があります。
『慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。』
このうち、『官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。』の意味内容が問題になります。
「官憲等」とは何を指すだろうか。朝鮮半島から連れてこられた慰安婦が対象であれば、「官憲等」として「日本政府、朝鮮総督府、日本帝国陸海軍」が思い浮かびます。
次に「これ」とは何を指すだろうか。前後の文脈からは「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集めること」であると、普通なら考えるでしょう。
そうすると、上記文章は、“日本政府や日本軍が直接、本人たちの意思に反して慰安婦を集めることに加担したこともあったことが明らかになった”と解釈せざるを得ません。

最近、「従軍慰安婦問題~2007年閣議決定とは」で話題にしたように、大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長が、慰安婦の募集や移送などに強制性があったことを認めた93年の「河野談話」を「日韓関係をこじらせている元凶」と痛烈に批判するとともに、07年に安倍晋三内閣が「強制連行を直接示す資料は見当たらない」と閣議決定をしたことを評価し、「河野談話は見直すべきだ」と述べたそうです。これに呼応し、安倍晋三元総理なども同調する発言をしていると報道され、韓国からはこれら発言に対する強烈な反発が出始めているようです。
ここでいう「閣議決定」とは、当時の社民党の辻元清美衆院議員の質問主意書に対する答弁書に関するもののようです。そこで、当時の質問主意書と答弁書について調べてみました。
衆議院の質問答弁一覧から、166回国会 質問の一覧を選択し、標題に“慰安婦”という文言が入った質問主意書をピックアップすると以下のものが抽出されました。
110 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書(質問本文答弁本文
168 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する再質問主意書(質問本文答弁本文
169 安倍首相の「慰安婦」問題についての発言の「真意」に関する質問主意書(質問本文答弁本文
265 安倍首相の「慰安婦」問題についての発言に関する質問主意書(質問本文答弁本文
266 バタビア臨時軍法会議の証拠資料と安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書(質問本文答弁本文
267 極東国際軍事裁判の証拠資料と安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書(質問本文答弁本文
428 米下院外交委員会で可決された従軍慰安婦問題への決議案に対する日本政府の対応に関する質問主意書(質問本文答弁本文

この中から、110号(質問本文答弁本文)、168号(質問本文答弁本文)について内容を紐解いてみます。

安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
平成十九年三月八日提出 質問第一一〇号 提出者  辻元清美
『米国議会下院で、「慰安婦」問題に関して日本政府に謝罪を求める決議案(以下決議案)が準備されている。これに対し安倍首相が総裁を務める自民党内部から「河野官房長官談話」見直しの動きがあり、また首相自ら「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と述べ、談話見直しの必要性については「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことから、米国内やアジア各国首脳から不快感を示す声があがっている。・・・
 従って、以下、質問する。』
とし、
「一 《安倍首相の発言》について」において、
1~3で「強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と安倍首相が発言している点についてただしています。

これに対し、政府が閣議決定した「答弁書」(平成十九年三月十六日)では以下のように答弁しています。
『一の1から3までについて
お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。
 調査結果の詳細については、「いわゆる従軍慰安婦問題について」(平成五年八月四日内閣官房内閣外政審議室)において既に公表しているところであるが、調査に関する予算の執行に関する資料については、その保存期間が経過していることから保存されておらず、これについてお答えすることは困難である。』

また、質問主意書では、《「河野官房長官談話」の閣議決定》について、として、「河野官房長官談話」が閣議決定されていないのは事実か。安倍首相は「河野官房長官談話」を閣議決定する意思はあるか。についてただしています。
これに対して答弁書では、
『官房長官談話は、閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである。
政府の基本的立場は、官房長官談話を継承しているというものであり、その内容を閣議決定することは考えていない。』
と答弁しています。

答弁書では、『政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった』と述べていますが、だからといって「河野談話」と「いわゆる従軍慰安婦問題について」の内容を否定したり解釈を修正したりしてはいません。従って、これらに記載された
『官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。』
はそのまま生きており、ここでいう「官憲等」や「これ」が何を意味しているのかについて全く釈明がなされていません。

ところで、「従軍慰安婦問題~2007年閣議決定とは」にも書いたように、西岡力東京基督教大学教授が、外政審議室の人に「『河野談話』の官憲等という記述は何なのか」と質したところ、「これはインドネシアにおけるオランダ人を慰安婦にした事例だ」と答えたそうです。インドネシアにおけるオランダ人を慰安婦にした事例は、これはこれでとても痛ましい事件なのですが(白馬事件(ウィキ)、米国国会でのオランダ人証言)、朝鮮半島からの募集とは全く異なる事案です。

2007年の質問者である辻元議員は、上記知見をベースにしたのでしょう。次に以下の168号の質問をしています。

安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する再質問主意書
平成十九年四月十日提出 質問第一六八号 提出者  辻元清美
『辻元清美提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」に対し、政府は二〇〇七年三月一六日、「同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」と答弁した。
それに対し、韓国政府が遺憾の意を示し、米国内でも主要紙が「九三年の河野官房長官談話を弱めるもの」「民主主義大国の指導者として不名誉」と指摘するなど、波紋が広がっている。
一方、一九九四年一月二四日に公表されたオランダ政府の公文書「旧オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春」と題する報告書には、軍・官憲による暴力的拉致のケースが数多く記録されている。:(A)一九四三年三月にジャワ島ブロラで二〇人のヨーロッパ人女性を日本軍が監禁・レイプしたケース(B)一九四四年一月、抑留所からマゲランの慰安所に女性たちを暴力的に拉致したケース(C)一九四四年二月、抑留所からスマランの慰安所に女性たちを暴力的に拉致したケース(D)一九四四年四月、スマランで女性たちを逮捕し、スラバヤやフローレス島の慰安所に移送したケース
・・・
二 《オランダ政府公文書「旧オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春」》について
・・・
 8 河野官房長官談話は「(慰安婦の募集については)官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」としているが、(A)~(D)それぞれのケースはそれに相当するか。安倍首相の認識を示されたい。』

これに対し、政府の答弁書(平成十九年四月二十日)では、
『二の1から10までについて
オランダ出身の慰安婦を含め、慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成五年八月四日の内閣官房長官談話のとおりである。
御指摘のオランダ政府の報告書の内容は承知しているが、同報告書はオランダ政府が作成したものであり、これに基づいて、お尋ねの個々の事例についてお答えすることは差し控えたい。』

結局、110号の質問に対する答弁では、『政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった』と述べているのに対し、168号の質問で『オランダ人女性の問題は「官憲等による加担」に入るのではないか』と質されると、答弁では『河野談話どおり』としか答えていません。

政府は、110号の答弁では
『政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった』
と述べました。次いで168号の質問で、インドネシアでのオランダ人女性に対する問題を提起されました。これが軍による強制連行とみなされるなら、上記110号の答弁が否定されてしまいます。しかし168号の答弁では、「110号の答弁を修正する」ともいわず、「オランダ人女性に対する問題は軍による強制連行に当たらない」ともいっていません。そして『河野談話どおり』と答弁しているのです。

結局、2007年の一連の質問主意書に対する答弁書が閣議決定されているとはいっても、それら答弁書では、河野談話の修正は何ら行われていないと言わざるを得ません。
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釜石再訪(2)

2012-09-01 09:53:49 | 歴史・社会
前回に続いて、釜石再訪の記録です。

町の中心街に桑畑書店の廃墟が建っています。小さな建物ながら印象に残りました。やはり町の文化の中心だったようです。周囲の建物が撤去される中、桑畑書店の建物のみが津波来襲時の姿のままでポツンと残っていました。
⑦の桑畑書店
 
      2012年8月                      2011年7月
 
      2012年8月                      2011年7月

去年の7月には、魚河岸の岸壁に大型船が乗り上げていました(右下写真)。その後この船はサルベージ会社によって撤去されました(左下写真)。
④の大型船乗り上げの跡地
 
      2012年8月                      2011年7月
左上写真、左下写真で道路脇のコンクリート壁の一部が破壊されています。この部分に、船首の船底部分が食いこんでいたと思われます(右下写真)。想像するに、まずコンクリート壁を破壊し、その後船底の破損部分を修復し、次いで船を吊り上げて海に浮かべたのでしょう。
 
      2012年8月                      2011年7月

魚河岸の岸壁に建っていた平屋のコンクリート建物(右下写真)は撤去済みでした。さらに西端に設けられた4階建てのビルを撤去している真っ最中でした(左下写真)。現在、釜石市内で一番活動している土木作業が、このビルの撤去作業でした。まだ復興にはほど遠いことがこれからも明らかです。
魚河岸
 
      2012年8月                      2011年7月

動画2012年 動画2011年 破壊された市街と魚河岸および鎮座した船
動画2011年 動画2011年 魚河岸付近の破壊された市街

下の写真は、その位置から、フラワー釜石只越ビルと思われます。何ら復旧の様子がありませんが、今後解体される予定なのでしょうか。
 
2012年8月

NSオカムラの工場は、1年前はその外壁と内部が完全に津波に蹂躙されていました。今回、工場東端の破壊部分には壁が設けられ、外壁部分も復旧が完了していました。
震災前にこの工場で行われていた家具の製造は、新日鐵釜石製鐵所構内に場所を移して再開されています。この旧工場は、倉庫などとして再利用されているようです。
⑧オ社旧工場
 
      2012年8月                      2011年7月

②薬師公園から

     2011年7月
1年前、②位置の薬師公園に登ると、市内全体を見渡すことができました(上写真)。そこで今回も登ってみたのですが、展望台の前に夏草が生い茂り、市内全体を見渡すことができませんでした(下写真)。
  
2012年8月                
なお、右上写真で白い煙を出しているのは、新日鐵釜石製鐵所構内の石炭火力発電所です。この工場も現量搬入経路が津波で損傷しましたが、懸命の努力で早期に復旧しました。東北電力に電気を供給しています。
現在では釜石の復興のシンボルになっているようです。
たまたま定期補修で煙突の白い煙が出ない日があると、市民の方から「どうしたのか」と心配の電話がかかってくるそうです。

⑨釜石駅前広場

2012年8月       
駅前広場には、復興の鐘が設置されていました。案内板には以下のように記されています。
『この復興の鐘は、2011年3月11日の東日本大震災の犠牲者を慰霊し、被災された多くの方々の希望の鐘となることを願いここに建立しました。
全国1万人もの方々に1枚300円の「釜石復興の風うちわ」を購入して戴きその支援資金と寄付金により完成しました。
鐘の測範には、4つの文字が刻まれています。
大震災でなくなった多くの方々への「鎮魂の鐘」被災した郷土の復興を願う「復興の鐘」この震災を忘れず後世に伝える「記憶の鐘」そしてだれもが持ち続けなければならない「希望の鐘」です。
鐘を囲むモニュメントは、合掌をデザインしています。
平成23年12月31日 釜石復興の風プロジェクト』
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