弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

徳大寺有恒氏未亡人杉江悠子さん

2014-11-29 20:32:46 | 趣味・読書
先日、徳大寺有恒さん逝くで述べたように、『NAVI CARS』 VOL.10発売! 巻頭特集は「徳大寺有恒、という生き方。」の中で、『素顔の“杉江博愛”を支え続けた奥さま、杉江悠子さんにもお話を伺っています。』との記載があることを知りました。しかしすでに絶版で、アマゾンの古書は3500円の値がついています。
一方で、キンドルであれば741円で購入できることもわかりました。

私はキンドルを持っていません。最近、楽天のコボを購入したのですが、上記の本はコボの電子書籍が出ていないようです。

スマホやタブレットにキンドルアプリを組み込めば、キンドル電子書籍が読めることがわかりました。そこでさっそく、我が家のiPadにキンドルアプリの導入すべくトライしました。
我が家のiPadは初代iPadです。初代iPadはiOS7に対応していません。そして何ということでしょう。iPad用のキンドルアプリはiOS7以上にしか対応していないのです。iPadでのキンドル本閲読は断念せざるを得ませんでした。

しょうがないからiPhoneです。私のiPhoneにキンドルアプリをインストールし、キンドル版「NAVI CARS (ナビカーズ) 10 2014年 3月号」をゲットしました。
購入した雑誌のページ配置は4段組であり、キンドル閲覧も同じ4段組のままなので、iPhoneでの閲覧は快適ではありません。

ざっと読んだ内容はというと・・・・。まるで「徳大寺有恒逝く。追悼特集」のようでした。まさか半年後のご逝去を予感していたわけではないでしょうが。

『徳大寺有恒氏夫人、杉江悠子さんに聞く
「オレからクルマをとったら何もない」主人の言葉、その通りだと思います。』
有恒氏と悠子氏のなれそめから結婚に至るいきさつが知りたかったのですが、そのような内容はありませんでした。
『3歳年上の主人と出会ってから10年と少し、結婚してからは5年ほど経ったころでしたか、友人の方々と経営していたカー用品会社・レーシングメイトが倒産して、大きな借金をつくることになりました。』
『多くの皆さんの協力のおかげで、1976年に「間違いだらけのクルマ選び」が、幸運にも受け入れてもらえました。ことあるごとに主人は、当時出たばかりのゴルフの所有が、自分の自動車に対する視点を変え、「間違いだらけのクルマ選び」執筆のきっかけになったとお話ししていますね。
購入に際して、私が背中を押したと本人も言っています。「買えば?」と言ったのは私ですから。予感があったのか、とたまに聞かれますけれど、そんな力が私にあるわけもなく、私は、単純に、しょんぼりしているあの人を見ているよりは、生き生きしていてほしいと思ったからなんですね。』
『欲しいなぁと思ったクルマは、まぁ、だいたい買えちゃう。・・・
ここにきて、お世話になった方には、「老後のことも考えて、奥さんが管理して貯めておくべきだったんだ」と言われましたけれど、私は「いや、よかったな」って。主人もたぶん満足なんじゃないかな。』
『レーシングメイトのときには少しいい生活をして、倒産してダメになって、それが結構長く続いて、「間違いだらけのクルマ選び」以降、また生活が戻って、体調が悪くなるにつれて少しずつ下がって、今は静かに暮らしている。私は主人に引きずられた感じかしら(笑)。
でも半世紀以上、主人と一緒にいて私もおもしろかったですね。本当に波瀾万丈でしたから。あ、これからもまだ続きますね。
ついこの間もね、主人に、「もうひと花咲かせるんだよ」って言ったら、「ふふん」なんて笑っていましたけど(笑)。』(終わり)

奥様ご本人は意識していませんでしたが、奥様がVWゴルフの購入を勧め、奥様と奥様の弟さんの援助で有恒氏がゴルフを所有できたことで、あの「間違いだらけのクルマ選び」が誕生したことには間違いありません。奥様との良き二人三脚があって、杉江博愛氏からあの「徳大寺有恒」が生まれたということでしょう。

NAVI CARS 10 2014年 3月号の古書がもう少し安く購入できるようになったら、一冊購入して手元に置いておきたいものです。
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衆議院解散の意味合い

2014-11-24 11:57:34 | 歴史・社会
新聞を見ると、世論の多数意見として「なぜ解散するのか理解できない」とされているようてす。

私の意見は明確です。

《解散したから、消費再増税が延期できることになった。》

解散風が吹き始める直前まで、自民党と民主党は消費再増税賛成であり、国会議員の半数以上は消費再増税賛成でした。
新聞も消費再増税賛成、経団連も賛成、連合も賛成、内閣が意見を聞いた有識者も半数以上が賛成です。
たとえ安倍内閣が消費再増税延期法案を国会に提出しても、否決されていたであろう、というのが現実でした。

それがどうでしょう。
解散風が吹き始めるととたんに、民主党が消費再増税延期派に転じてしまいました。そして実際に解散が決まると、もはや消費再増税延期に反対する候補者は一人もいない状況です。
結果として、消費再増税の是非は総選挙の争点から消えてしまいました。

私は、消費再増税反対の意見でした。
日本は、15年以上もデフレと円高で苦しんできました。何はともあれ、デフレ脱却と円高是正が最優先課題でした。しかし民主党政権は何も具体策をとらず、デフレと円高が放置されていました。
安倍政権になってやっと、デフレ脱却の方向に向けて具体策がとられました。日銀による金融緩和がそれです。その結果、まずは円安と株高が進行しました。時間遅れでデフレから適正なインフレに移行しつつあり、雇用状況にも改善の兆しが見えるようになりました。
しかしそれにしても、やっとよちよち歩きが始まったばかりです。ここで寒風を浴びせたら、いつまたバッタリいってもおかしくありません。
それにもかかわらず、民主党野田政権は、有効な経済政策を全く打たないまま、3党合意の元に消費増税を法制化しました。

自民党安倍政権になって、金融緩和を中心とする経済政策を実行しつつ、しかし消費増税については見直しをしていませんでした。5%から8%への増税は、何とか乗り切れると踏んだのでしょう。しかし、今年4月からの経済は悪い方向にどんどん傾いていきました。エコノミストは「想定範囲内」としていましたが、1年前の想定と比較したらずっと悪い状況です。
こんな状況で来年の秋に消費再増税を行ったら、それこそデフレ脱却は完全に頓挫して日本経済が奈落に落ちる可能性もあります。

私は、消費再増税は延期し、再増税時期は経済の体力が確固としてから、と考えていたのですが、政治状況はほとんど不可能と思われました。
それが、解散風が吹いただけで、国会議員は全員が「消費再増税を延期すべき」に変節してしまったのです。
今回解散する最大の目的は消費再増税延期でした。しかし、解散風が吹いただけでその目的は達しました。ですから、安倍首相が「私は解散など一言も言っていません」として解散しない選択肢もいいかな、と思ったのですが、これだけ風が吹くと首相といえども解散にせざるを得なかったのでしょうね。

消費再増税を延期すると、社会保障改革が頓挫する、という議論があります。しかし、消費増税の結果として経済が落ち込み、「増税したのに税収が増えない」ということになったらどうするつもりだったのでしょうか。おそらく、「増税によって財務省は歳出権が増えた。だから、たとえ税収が増えなくても、歳出を増大したであろう。税収が増えずに足りない分は国債を増発すればいい」と言うことだったのではないでしょうか。そうだとしたら、ここは消費再増税を延期し、「社会保障改革はどうするのだ」という点を国会で審議した上で必要な措置を執る、という方が明らかに健全です。

先日、テレビで「総選挙の争点は? アベノミクスの成果は?」という放送をしていました。市井の人たちが登場し、「景気が落ち込んでアベノミクスの恩恵はない」と発言していましたが、よくよく聞くとそれは「4月からの消費増税が悪さしている」ということでした。現在世の中では、「消費増税の悪影響」は「アベノミクスの失敗」に一括りされています。議論が混迷していますね。

国民の7割は消費再増税に反対だといいます。しかし解散風が吹かなかったら、国会議員の過半数が消費再増税に賛成でしたから、再増税は断行されていたでしょう。
解散総選挙があったからこそ、国民の希望である消費再増税延期が実現するのです。にもかかわらず、世の中では「何のための解散・総選挙か訳わからん」との意見が主流ですね。

総選挙の行方は混沌としています。
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朝日「吉田調書」報道と第三者委員会見解

2014-11-16 18:37:09 | サイエンス・パソコン
朝日新聞が、入手した「吉田調書」に基づいて1面記事を最初に出したのが5月20日朝刊、「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割」でした。
私はこの記事に対し、5月26日のブログ記事『「吉田調書」と福島第2原発への退避』で意見を述べ、8月24日ブログ記事『「吉田調書」問題の推移』でも再コメントしました。

その朝日新聞社は9月11日19時半から記者会見を開き、5月20日の吉田調書をめぐる記事が誤っており、記事を撤回するとしました。同じ日、政府は吉田調書の全文をネットで公開しました。
私はブログ記事『「吉田調書」抜粋』で吉田調書の関連部分を抜粋するとともに、9月15日、『朝日5月20日記事顛末』で、5月20日記事と吉田調書を対比しました。その中で、5月20日記事のうち、私が「何を根拠にして記載したのだろう?」と疑問に思う部分を列挙しました。下記のうちで太線の部分です。

福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明~木村英昭 宮崎知己2014年5月20日03時00分
『吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。
とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。
午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」
』【第1部分】

葬られた命令違反 吉田調書から当時を再現
『そして、午前6時すぎ。衝撃音が緊急時対策室に響いた。吉田氏は白い防災ヘルメットをかぶった。
2号機の格納容器下部の圧力抑制室の圧力が「ゼロになったという情報」と「ぽんと音がしたという情報」が、中央制御室からほぼ同時に入ってきた。
2号機格納容器の爆発が疑われる事態だった。
計器を確認させると、格納容器の上部側の圧力は残っていた。吉田氏は「(格納容器が)爆発したということはないだろうな」と思ったが、圧力計が壊れている可能性は残るため、「より安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い」と考えた。
吉田氏は一方で、構内や緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していないという事実を重くみた。様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。
朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。吉田調書と同じ内容だ。命令の少し前に「6:34 TSC(緊急時対策室)内線量変化なし」と報告があったとの記載もあった。
』【第2部分】

私が接した情報の範囲内では、朝日5月20日記事中の上記【第1部分】【第2部分】を含め、
『様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。』
なる文章はとても生まれてきません。

朝日新聞は、単に謝罪して5月20日記事を取り消すだけではなく、取材陣はどのような証拠と判断に基づいてこのような記載に至ったのか、その点を詳細に調査し、われわれにわかるように明確に説明してほしいものだとして、9月15日ブログ記事を結びました。
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11月13日、朝日新聞は朝刊で、第三者委員会の見解を公表しました。ネットでは、朝日新聞社「吉田調書」報道 報道と人権委員会(PRC)の見解全文(1)~(3)として見ることができます。
私が疑問とした【第1部分】【第2部分】について、取材陣はどのような証拠と判断に基づいてこのような記載に至ったのか、委員会は解明したのでしょうか。以下に見解全文から拾います。
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上記【第1部分】について
《取材記者の弁明》
吉田氏は3月15日午前6時42分、緊急時は第二原発に退避するとの前夜からの計画を変えて、第一原発近辺にとどまるように所長としてテレビ会議で指示した。
これは、東電の内部資料や広報文書と合致している。第一原発の最高責任者としての発言であり、「命令」にあたる。
〈1〉時系列メモ(柏崎刈羽メモ)が、6時42分の欄に「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との吉田氏の発言を記録していること〈2〉東電本店が午前8時35分の記者会見で「一時的に福島第一原子力発電所の安全な場所などへ移動開始しました」と発表していることなどから、「近辺」か「構内」かの相違はあるが、裏付けられる。

《委員会の見解》
吉田調書を検討すると、〈1〉吉田氏の指示は所員に的確に伝わっていなかったのではないか、そもそも「第一原発近辺にとどまれ」との指示を発した態様には問題があるのではないか、さらには〈2〉そうした指示が妥当であったのか、という疑問が生ずる。
この時点(6時33分頃)までは、吉田氏は最低限必要な人員以外は第二原発に退避させることを考えており、それに基づいていくつもの指示を重ねていたとみることができる。ところが、6時42分、吉田氏はテレビ会議で、これまでと異なる内容の指示を発した。その時点では、すでに退避に向けた行動が始まっており、免震重要棟の緊急時対策室は騒然としていたと見られる一方、吉田氏は、周囲に対し、これまでの命令を撤回し、新たな指示に従うようにとの言動をした形跡は認められない。
鉄筋コンクリート造で気密性があり、高性能フィルター付きの換気装置を装備している免震重要棟以外に、より安全な場所を見いだすことは不可能だった。そして、さらに高い放射線を警戒して、「2Fまで退避させようとバスを手配した」状況なのに、第一原発構内やその近辺で、免震重要棟以外に、多くの所員が退避できるような「比較的線量の低い場所」があった可能性は低い。
合理性に乏しい指示だったともいえ、少なくとも極めてあいまいな指示が出たことになる。

上記【第2部分】について
《取材記者の弁明》
取材記者たちは、上記の記事について、吉田調書のほか、構内や緊急時対策室内の放射線量は爆発音の後でもほとんど上昇していないという事実、東電本店が2号機の格納容器が壊れていないと判断したことを主な根拠として、記事のように記述したと述べている。

《委員会の見解》
2面における吉田氏の判断過程に関する記述は、吉田氏の「第一原発の所内かその近辺にとどまれ」という「命令」から逆算した記者の推測にとどまるものと考えられる。
むしろ、吉田氏の語ったことと相違している。

【5月20日報道に至る経緯】
取材チームは、特別報道部に設けられ、1人の次長と2人の取材記者がチームを組んだ。
取材記者の1人(当時経済部所属)は、吉田調書全文の写しを昨年、独自に入手した。
別の取材記者(朝日新聞デジタルの専門記者であるデジタル委員で、報道局員を兼ねていた)とともに、分析を進めた。2人は事故発生直後から一緒に取材にあたり、連載記事のほか、東京電力のテレビ会議映像記録に関する複数の共同著作物などもあった。
吉田調書を入手した取材記者は今年1月に特報部に異動した。これを受けて特報部長は3月ごろ、次長の1人を吉田調書に関する取材・報道の担当デスクに指名した。
担当次長は吉田調書を瞥見したが、精読はせず、・・・
5月14日ごろ、記事を紙面に組み込む日が同19日とほぼ固まった。GE(編集部門の出稿責任者)は担当次長に吉田調書の閲覧を求めたが、担当次長は情報源が明らかになるので避けたいと述べたため、それ以上要求しなかった。
5月19日、その日の紙面の責任者である当番編集長のほか、出稿各部の次長、編集センターの各面担当次長らが出席した。テレビ回線をつなぎ大阪、西部、名古屋の各本社の当番編集長らも参加した。
東京の当番編集長はデスク会後、「調書を見せてほしい」と担当次長に要請した。しかし、秘密保持や調書自体が多量であることなどを理由に断られた。
《各関係部署からの疑問》
「『命令』ではなく、『指示』ではないか」
「『命令』より『指示』という表現が適切ではないか」「命令を無視して逃げたというより、命令の内容が十分伝わらなかったのでは」「待機命令を聞いていることの裏はとれているのか」「吉田氏は『命令』『撤退』という言葉は使っていないが、大丈夫か」
「現場は混乱していたのでは。現場の声を入れた方がいいのでは」
「命令違反」の横見出しが、所員を責めているように読めるので「書き換えるべきではないか」
これらの意見はすべて無視された。

《問題点》
第1に、秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのは2人の取材記者にとどまり、社内でその内容が共有されることがなかった。
第2に、19日時点でも、見出しや記事内容について多くの疑義が社内の各方面から出されていた。しかし、これらの問題提起はほとんど取り上げられることなく終わった。
第3に、自信と過度の信頼も影響している。吉田調書を入手し検討した取材記者たちは福島原発事故の取材に関しては自負があり、2人だけでの仕事にこだわり、他からの意見を受け付けない姿勢がみられた。その結果、専門性の陥穽(かんせい)にはまった。担当次長も局内で高い評価を受けていた。GE、部長らは、そうした取材記者2人と担当次長の3人のチームを過度に信頼し、任せきりの状態だった。部長とGEがその役割を的確に果たさなかったというほかない。
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私が問題とした【第1部分】【第2部分】について、取材記者たちの言い分は第三者委員会を納得させることができなかったことはわかります。
しかし、報告書から見る限り、取材記者たちの言い分は弱いですね。本当にこの程度の根拠で記事を書いたのでしょうか。もうちょっとしっかりした根拠を主張するものと思っていました。
ここは、第三者委員会の見解のみを公表するのではなく、取材記者たちの言い分をもっとしっかりと聞きたかったです。
もし取材記者たちが解雇されることにでもなったら、そのあとで本人たちが詳細を述べることになるのかもしれません。
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徳大寺有恒さん逝く

2014-11-08 23:37:28 | 趣味・読書
自動車評論家、徳大寺有恒さん死去 辛口の新車批評
朝日新聞デジタル 11月8日(土)11時20分配信
『「間違いだらけのクルマ選び」などの著書で知られる自動車評論家の徳大寺有恒(とくだいじ・ありつね、本名杉江博愛〈すぎえ・ひろよし〉)さんが7日、急性硬膜下血腫で死去した。74歳だった。葬儀は親族だけで行う。喪主は妻悠子さん。後日、しのぶ会を開く予定。』

1976年に刊行された徳大寺有恒著「間違いだらけのクルマ選び」は、私にとってクルマを見る目を大きく変えさせる契機となった著書でした。このブログでも、間違いだらけのクルマ選び間違いだらけのクルマ選び(2)として記事にしてきました。エッセンスを再掲します。
  
1976年当時、日本の乗用車は、外からの見てくれとアクセサリーの豪華さばかりを競い合い、クルマの基本性能がなおざりにされる状況でした。徳大寺氏はこの本の中で、そのような現状をめった切りにし、国産の主立った乗用車を個別に徹底的に批評したのです。

日本の自動車産業は大いに発展していましたが、その内実は、チャラチャラしたつまらない方向に向かっていました。
ヨーロッパではすでにフォルクスワーゲンのゴルフが登場しており、実用車というのは、外観は小さく、内部空間は広いことが必要であり、FFとすることでその要件を実現していました。
日本はというと、見てくれは大きくかつ格好良く、逆に内部空間は決して広くなく、ドライバーからの視界は最悪であり、くだらないアクセサリーだけが満載です。ラジアルタイヤは装着されておらず、オートマも普及していません。

そのような時代に徳大寺氏のこの本が発売されました。一大センセーションを巻き起こしたと私は理解しています。
私自身は、その後の自分のクルマ選びにおいて、常にその時点で発売されている最新の「間違いだらけ・・・」を購入し、徳大寺氏が及第点をつけた車種を選ぶように心がけました。

そして日本の乗用車の開発動向はその後大きく転換します。ファミリーカーはFFが当たり前、ラジアルタイヤ標準装備、外観は小さく内部空間は広くドライバー視界も広く、4輪独立懸架と、徳大寺氏が指し示した方向に収斂していくのです。
私は、日本自動車業界のこの方向転換は、徳大寺氏の影響が極めて大きかったと推理しています。まさに「社会現象」です。

ところがその影響で、日本のクルマはどれを見ても(私には)同じクルマに見えるようになってしまいました。私から見れば没個性ですね。


その徳大寺さんが、終戦直後から1976年まで(つまり最初の「間違いだらけ・・・」を出版するまで)の間、次々と登場した国産車のほとんどにご自身が乗りまくった経験に基づいて書かれた本が「ぼくの日本自動車史」です。つい最近、この本を読んだばかりで、徳大寺有恒著「ぼくの日本自動車史」として記事にしました。

徳大寺さんは昭和14(1936)年生まれです。徳大寺氏が中学生になる頃、父親は水戸でタクシー会社をはじめていました。そしてそのころ、徳大寺氏は実際にクルマを運転し始めるのです。中学2、3年の頃には、町中で普通にクルマを運転していたというから驚きます。アニメ「イニシャルD」の藤原匠君が実在していたかのようです。

クルマ好きの徳大寺氏は、以後ずっと、その時代に登場する車種に必ず搭乗し、そのクルマの性格を自分で確認してきました。父親のタクシー会社が所有するクルマはもちろん、あらゆるツテをたどって、全車種を経験しようとする執念です。そしてこの経験が、徳大寺氏のクルマ批評の根幹となっています。

大学を卒業した徳大寺氏は本流書店に勤務しますが、この会社を1年で辞め、カー用品の会社を始めました。会社は急成長し、徳大寺氏の金回りも良くなりました。
しかし、徳大寺さんが始めた会社は、連鎖倒産のような形でつぶれてしまいました。その心労がたたってか、徳大寺さんは糖尿病性の高血圧症状で倒れてしまいます。その病気での入院中、ヒマなので原稿を書きはじめました。それが、「間違いだらけのクルマ選び」のもととなった原稿でした。ツテを頼って原稿を読んでもらった草思社の社長、加瀬昌男さんは、「書き直してくだされば出版しましょう」といいました。

原稿書き直しの直前、徳大寺さんはフォルクスワーゲンのゴルフを購入しました。
会社を潰した徳大寺さんは貧乏でした。徳大寺さんの経済状態はゴルフを買える状況ではありませんでしたが、奥さんの協力もあり、何とか購入しました。
『このゴルフはすごかった。ぼくは人生であんなにすごいクルマを経験したことはそれまでなかったし、おそらく、もう将来もないんじゃないかと思う。・・・ブレーキもよく効くし、ハンドリングも素晴らしい。そいつは当時の国産車など問題としていなかった。』
『このゴルフの体験をベースにぼくは最初の原稿をすべて書き直した。』

「間違いだらけのクルマ選び」は1976年11月に刊行されました。年が明けて、本は爆発的に売れていきました。ある新聞記者が当時のトヨタ社長の豊田英二氏に「読みましたか」と質問したところ、英二氏は「読んでいる。社内にも読めといった」と答えたそうです。結局、正・続あわせて104万冊が売れました。

徳大寺さんは、それ以前から本名の杉江博愛で自動車雑誌に記事を書いていました。本名でAJAJ(自動車ジャーナリスト協会)にも加入しています。協会は徳大寺有恒が杉江さんであることを嗅ぎつけ、退会を勧告してきました。協会の査問会に呼び出されたとき、ある理事が「われわれはメーカーと仲良く、協調関係でいきたいのだ」とついホンネを漏らしたので、「じゃあ、AJAJという団体はメーカーが大事なのか、読者が大事なのか」と聞き返したところ、「もちろんメーカーだ」という答えでした。徳大寺さんはその場で、「本日限り、私から辞めさせていただく」と絶縁状を叩きつけました。
その後はじめて、徳大寺氏は出版社の社長と記者会見を行い、覆面を脱いだのです。

「ぼくの日本自動車史」を読んで、私は徳大寺さんの奥様にとても興味を持ちました。

徳大寺氏は大学2年のとき、中古のヒルマンを買いました。ヒルマンを得た当時、氏はあるパーティーで今の奥様と知り合いました。当時、彼女はなかなかの美人でした。氏はたちまち夢中になってしまいましたが、彼女の方は全然相手にしてくれません。ある日ようやくデートの誘いに応じてくれたのですが、それも銀座に用があるから、あなたのクルマの横に乗ってあげましょう、というものです。ところが彼女を乗せたヒルマン、渋谷でエンストしてしまうのです。彼女は「あたし急ぎますから」と行ってしまいました。あとで聞けば、銀座で他の男とデートの約束をしていたのです。

この彼女と、徳大寺氏はカー用品の会社を立ち上げる直前に結婚しました。どのような紆余曲折で結婚にこぎ着けたかは書かれていません。

会社がつぶれ、病気になり、やっと回復して東京に舞い戻った頃、徳大寺氏に「VWゴルフを買わないか」という話が来ました。会社を潰したあとでとても買える状況ではありません。そのとき奥様が「私の給料を足したら買えるかもしれないから、買ってみようよ」と言ってくれたのです。奥様の弟から頭金を20万円借りてです。
このゴルフを買ったからこそ、あの「間違いだらけのクルマ選び」が誕生したわけです。

今回、ネット検索したところ、『NAVI CARS』 VOL.10発売! 巻頭特集は「徳大寺有恒、という生き方。」の中で、『素顔の“杉江博愛”を支え続けた奥さま、杉江悠子さんにもお話を伺っています。』とあります。しかし残念ながら、現時点でこの書物をゲットすることはできなさそうです。

徳大寺さんのご冥福をお祈りいたします。
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第5版鉄鋼便覧

2014-11-01 22:55:24 | 弁理士
弁理士としての私の一番大きな技術分野は製鉄関係です。製鉄分野を網羅する便覧として、「鉄鋼便覧」が知られています。その鉄鋼便覧、第4版から約10年ぶりで第5版の刊行が計画されていました。
その第5版鉄鋼便覧が、8月31日に発刊になりました。
わが事務所でも全巻の購買を予約していたのですが、届きました。
 

第5版鉄鋼便覧は、こちらの案内に記載の通り、「2014年春刊行予定」というアナウンスで、2013年3月下旬予約受付開始したものです。
この案内には、以下のように説明されています。
『日本鉄鋼協会は、創立100周年記念事業として、第5版鉄鋼便覧を刊行いたします。
前回の第4版(2002年刊行)は、1979~1982年にかけて出版された第3版の完全復刻に加え、第3版刊行時から2000年までの約20年間の鉄鋼技術の進歩・発展を追補した内容で、「計測・制御・システム」と「環境」の新巻を新規執筆して加えた、CD-ROM版として出版されました。
第5版鉄鋼便覧は、第4版を全面改訂し、最も要望の多かった書籍版にて刊行いたします。本便覧は、わが国が築き上げてきた鉄鋼の学術・技術を体系化し、関連する分野も含めた鉄鋼技術を全てカバーしています。本便覧の刊行により、わが国鉄鋼業の国際競争力の強化と世界の鉄鋼技術への貢献が期待されます。
予約割引期間
2013年3月春季講演大会開催初日~2013年9月30日までを予定』

私もこの案内に従い、予約期間中に予約しました。
全6巻で、一般価格での予約販売価格は合計で18万6千円です。日本鉄鋼協会の個人会員だとセット価格が9万円になるということで、私はそのために会員登録しました。日本鉄鋼協会の会員になるのは多分30年ぶりです。

しかし、予定の14年春になっても刊行されず、この8月末にやっと刊行になりました(案内はこちら)。
 

私は、第3版の全巻と第4版をいずれも所持しています。

第3版(合計7分冊)は、2000年に事務所を開設するときに古書で購入しました。神田の古書店では4分冊ぐらいしか購入できなかったのですが、その後ネットで検索したら残りも入手することができました。上の案内にあるように、1980年前後に発行されたものです。
  
第3版は、日本鉄鋼界各社が競って最新の技術を開示した渾身の作です。今でも輝きを失っていません。

第3版から20年経過後、2002年に第4版ができましたが、こちらは書籍ではなくCD-ROM板です。
 
第4版には、第3版の全部が電子化されて収納されるとともに、第3版発行以来20年間の新技術が掲載される、はずでした。
しかし、日本鉄鋼界はその20年間にスタンスを大きく変えました。各社は、技術を競って開示するのではなく、非開示の方向に転じたのです。考えれば当たり前で、各社の最新技術を開示したら、その開示は中国をはじめとする海外の競争相手を利するだけで、日本鉄鋼界には何ら利益を生まない、ということになったためでしょう。
従って第4版で新たに追加記載された部分は残念な内容でした。

さらに第4版は、ブラウザーとしてネットスケープを採用したのです。そのネットスケープ、Windows7では動作しないこととなりました。従って、WindowsXPの終焉とともに、第4版鉄鋼便覧は本来の姿では再生することが不可能となってしまいました。

さて、新発売の第5版鉄鋼便覧の内容はいかがでしょうか。
私はまだ読み始めていません。現在の世界情勢を考えれば、日本鉄鋼界が再度情報開示の方向に舵を切ったとは思えないので、第3版のような開示はなされていないでしょうが、追々内容を確認していきたいです。

以下に、事務所の便覧書棚(金属関係)を紹介します。
 
書棚には第3版鉄鋼便覧が収納されており、まだ第5版の居所は定まっていません。
このほかに、機械工学便覧が収納されています。
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