弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ピロリ菌退治

2010-03-30 22:28:52 | Weblog
2年前の定期健康診断で胃カメラ検診を受けたとき、胃炎が観察される場所の生体検査の結果で「ピロリ菌がいます」との診断を受けました。

胃の内部は強酸性なので、従来は最近が棲息できない環境だと考えられていました。ところが1983年、胃の内部で棲息するピロリ菌が発見され、この常識が覆されました。ピロリ菌=ヘリコバクター・ピロリはウレアーゼと呼ばれる酵素を産生しており、この酵素で胃粘液中の尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解し、生じたアンモニアで、局所的に胃酸を中和することによって胃へ定着(感染)している、とのことです。
日本人の感染率は、20歳台は25%程度と低率ですが、40歳以上では7割を超えており発展途上国並に高いという特異性を持っています(1992年時点)。当時の40歳以上は現時点では58歳以上に対応し、ちょうど私の年代を含めてその上の年代です。戦後の衛生環境が悪かった時期に幼少期を過ごしたためでしょう。
ですから、私がピロリ菌に感染していてもおかしくありません。

2年前にはドクターから「除菌は必須ではないがした方が良いでしょう」と言われていたのですが、それっきりにしていました。
最近になって、NHKのためしてガッテンでピロリ菌が取り上げられ、その放送を見ました。「ピロリ菌は胃潰瘍や胃がんの原因となるので、特に胃の中に潰瘍痕が見つかった人でピロリ菌を持っている人は、ぜひ除菌するように」との結論でした。私は潰瘍痕を持っているので、ぜひ除菌すべき対象者です。

さらに今年になってからの健康診断で胃カメラ検診を受けたとき、「潰瘍痕から採取した生体の検査を行ったが、種類が判別できなかった。ピロリ菌を持っているのならその除菌を行った上で、6ヶ月後に再度胃カメラ検診を受けるように」との診断がなされました。
もう猶予はできません。
ということで、かかりつけのお医者さまを訪問し、ピロリ菌除菌を行いました。
私のように潰瘍痕を持っている場合、ピロリ菌除菌は健康保険で行うことができます。まずは2種類の抗生物質を1週間飲み続けます。これで70%程度の確率でピロリ菌除菌がされるようです。3ヶ月後にピロリ菌残存の有無を確認します。残念ながら除菌できなかった場合、別の抗生物質に変えて同じように除菌を行います。これで90%以上が除菌されるようです。

処方箋をもらって薬局で手に入れた薬は以下のようなものでした。
 
毎日、朝夕2回、3種類5錠を飲まなければなりません。薬の包装は、間違いなく飲めるように、1日2回分が一つのパッケージに収まっています。私はさらに、「今朝はもう飲んだっけ?」と迷わないように日付も記入しておきました。
薬摂取中の注意事項としては、「お酒を飲まないように」ということです。人によっては下痢を起こしたりするようですが、私の場合には特に異常は発生しませんでした。

無事に1週間の薬摂取が終わりました。3ヶ月後の検査でピロリ菌がいなくなっているとうれしいのですが。
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郵便不正事件の謎(3)

2010-03-28 10:22:26 | 歴史・社会
厚労省の元局長である村木厚子氏を被告とする「郵便不正事件」については、このブログでも郵便不正事件の謎郵便不正事件の謎(2)で話題にしてきました。
いままでの公判に関するニュースを総合すると、検察側のストーリーが証人の証言によってほぼ全面的に否定されています。今までの公判で判明した事実をまとめてみたいと思います。

《登場人物》(肩書は事件当時)
村木厚子氏(この裁判の被告人):厚生労働省障害保健福祉部企画課長
上村勉氏:同課社会参加推進室係長
塩田幸雄氏:厚生労働省障害保健福祉部長
石井一氏:民主党議員
河野克史氏:「凛の会」発起人
倉沢邦夫氏:「凛の会」会長(元石井議員秘書)
木村英雄氏:「凛の会」(元新聞記者)

【郵便不正事件】検察側冒頭陳述要旨》(2010/01/28 産経新聞)を底本とし、その後の法廷における証人の証言をもとに、実際にあったらしいことを再現してみます。供述調書と法廷証言が食い違っているときは、法廷証言が正しいとしました。検察側冒頭陳述部分を〈 〉でくくり、その中で、法廷証言に基づいて修正した部分を“ ”でくくって示しました。

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〈河野氏は低料第三種郵便を悪用する目的で、平成16年2月下旬、倉沢氏に石井国会議員へ口添えを依頼するよう指示“していない”。〉
凛の会の木村氏は倉沢被告と共に石井一・民主党参院議員(75)に口添えを頼んだとされるが「会った記憶がない。検事にもそう言ったが聞き入れられなかった」と法廷で証言した。

倉沢氏は、「国会議員の事務所から来た」と(役所に)陳情すると、ていねいに応接していただいた経験を持っていた。そういう意味で、『石井議員の事務所のものだ』と名乗る許可を求めて石井議員の事務所を訪ねた。それ以外に期待したことはなかった。
倉沢氏が石井事務所を訪問した当日、石井議員本人はゴルフに出かけていて留守だった。
〈石井議員は当時の塩田障害保健福祉部長に電話を“かけなかった”。当然、証明書の発行を要請“しなかった”。〉

〈塩田部長は村木課長に便宜を図るよう指示“しなかった”。村木課長は企画課長補佐に担当者を紹介するよう指示“しなかった”。〉
元課長補佐が証人出廷し、捜査段階で村木被告から「担当者を紹介してあげてください」などと指示されたとの供述調書に署名していることについて「わたしはずっと『記憶にない』と話した」と述べた。

2月下旬、倉沢氏は、凛の会に認可をもらう手続きのために、厚労省の係長(上田被告の前任係長)を訪問した。このとき、倉沢氏は村木被告に会い、『石井一事務所の倉沢と申します。障害者支援団体の件で相談に上がりました』と述べた。村木被告はそれに対し『ああ、そうですか』と言った程度であり、名刺交換はしていない。
村木被告は、このときのやりとりを記憶していないと証言している。何年も前に行われたこの程度のやりとりを記憶していなくても、何ら不自然ではない。

〈村木氏は上記のように倉沢氏と会話しただけで、説明を受け“ていない”。従って、倉沢氏を塩田部長に会わせ“ていない”。以後、村木課長ら担当者間では、実体がどうあれ発行が決まっている「議員案件」と位置づけ“ていない”。〉
倉田氏から話を聞いた元係長は法廷で、村木被告に報告したかは「覚えていない。おそらく報告もしていないし、まったく指示も受けていない」と話した。

元係長は、16年4月に自身が異動する際、後任の上村被告に「石井議員がらみで、障害者団体としての実態はよく分からないから慎重にやるように、と引き継いだ」とも証言した。
上村氏は4月1日付で係長となったが、凛の会から審査資料はまったく提出されていなかった。

〈日本郵政公社に実体がないことを気づかれると危惧した河野氏は、厚労省から近く証明書を発行する予定だと伝えてもらおうと考えた?が、その話を受けた倉沢氏は、5月中旬、企画課に赴“いていない”。従って、村木課長は面前で公社東京支社に電話し“ていない”。〉
被告側冒頭陳述によると、村木被告が企画課から日本郵政公社東京支社に電話をかけたとの検察官の主張についても、通信記録は存在しないし、支社長も電話を受けたと述べていない。

〈6月上旬、上村係長は村木課長に問題点を伝え“なかっ”た。それでも発行していいか指示を仰“がなかった”。村木課長は「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げ“なかっ”た。〉
上村被告は検察側の質問に対し、村木被告を含む上司には「まったく報告していない。一刻も早くこの雑事を片付けたかった」と証言。証明書は6月1日ごろに自分で作成した、と証言した。

〈村木課長は部長に発行を伝え“なかった”。部長は国会議員に電話で報告し“なかっ”た。〉
元部長(塩田氏)は、検察側の尋問に対し、村木被告から「証明書を渡した」と報告を受けた後に石井議員に連絡したという内容の供述調書についても、「電話の交信記録があると検事に言われたので論理的に判断したが、書かれてあることは事実ではない」と証言した。公判で一転させた理由として、最近になり、検事から交信記録はないと聞かされた▽倉沢被告が公判で「(私と)会ったことがない」と証言した▽上村被告が「村木被告の指示を受けていない」と供述を翻していると報道された-ことなどを挙げ、「この話が壮大な虚構ではないかと思った」と述べた。

〈上村係長は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えた?が、村木課長は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げ“なかっ”た。〉
---ここまでは、法廷での証人の証言の間に矛盾が見られません。---

ところが1点だけ、「出来上がった報告書は、誰が誰にどこで手渡したのか」という点において、証人間の証言が食い違っています。

《検察側冒頭陳述》
〈上村係長は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、村木課長に手渡した。
村木課長は証明書を受け取りにきた倉沢に証明書を交付した。〉
《上村被告の公判での証言》
上村被告は、報告書を作成した直後に厚労省の隣の建物の喫茶店で、自称障害者団体「凛(りん)の会」発起人河野克史被告(69)に渡したと述べた。 
《河野被告の証言》
上村被告から受け取ったことは100%ない。
《倉沢被告の証言》
課長(村木被告)が厚労省の封筒の上に、2行ぐらいの短い書類を載せて『ご苦労さまです』と手渡してくれた。私はお礼を言って帰った。
ただし、6月上旬のいずれの日についても「(その日には)行っていない」と証言した。
《村木被告の主張》
省内で課長から報告書を手交した記憶はないし、そのようなことは(事務慣行上)あり得ない。


検察側証人と弁護側証人の法廷証言で、食い違っているのは報告書の交付の場面のみであり、それ以外については証人間の証言に食い違いが見られず、検察側冒頭陳述がことごとく覆されている状況です。
一方で、これら証人たちは、捜査段階では検察側が構築するストーリーに準拠した供述調書に署名しているわけで、その点にも唖然とするばかりです。

ps 4/10 凛の会の河野氏と木村氏を混同していましたが、記事を修正しました。
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「はやぶさ」が目指している軌道

2010-03-25 21:32:37 | サイエンス・パソコン
3月12日に「はやぶさ」最後の正念場が近づくを記事にしたところですが、3月23日に次の発表がありました。今週のはやぶさ君で見ることができます。

記事の中にあるこの画像で説明がされています。それからさらに私が作成したのが以下の図面です。

図1は、地球の北極の遙か上空から眺めた図で、地球に固定しています。3本の曲線は、はやぶさの軌道を表します。曲線に付けられた日付は、「その日にイオンエンジンが止まったら、その後はこの曲線のように飛行する」という意味のものです。
図2は、はやぶさの進行方向から地球を眺めた図で、上が北極、左が太陽方向です。日付と□印は、「その日にイオンエンジンが止まったら、はやぶさが地球に最接近する場所はここである」という位置を示します。

それでは記事を追っていきましょう。
『「はやぶさ」のイオンエンジンは順調に運転されています。』

『「はやぶさ」のカプセルを地球の大気に突入させるためには、突入速度を低減させるために、地球の自転方向に、つまり北極方向から見ると、反時計まわりに進入させる必要があります。』
図1で、3月17日日付の軌道は、地球の自転方向(地球の側の矢印)と逆方向ですから、地球接近時の対地速度が増大してしまいます。それに対して3月28日日付の軌道は、地球の自転方向と順方向であり、地球接近時の対地速度がそれだけ緩和されるというわけです。

『このとき(地球自転の逆方向位置から順方向位置に移動するとき)、万一イオンエンジンが途中で停止することも考えると、一瞬でも地球に衝突させる軌道を通過させることはできないため、通過する軌道が南極のはるか上空を通るよう計画されています。』
なるほど。細かい芸当ですね。図2を見ると、はやぶさの地球通過軌道が南極上空を移動していく状況が分かります。

『イオンエンジンの運転は3月の末まで継続しますが、運転を終了した時点では、誘導誤差が残ることが避けられないため、いきなり地球表面すれすれをねらうことは難しく、このため意図的に大きく離れた地点を通過するように、仮の目標を定めています。』
上の図で3月28日?と示した図1の曲線と図2の□が、その「仮の目標」に当たるのでしょうか。

『「はやぶさ」の軌道修正では、化学エンジンを運転できず、太陽方向や反太陽方向への加減速を自由に行うことができないため、4月以降の軌道修正が容易に実施できるよう、また正確に実施できるように、この仮の目標点を設定しています。「はやぶさ」は、当面は、この仮の目標点に向かって誘導されていくことになります。』
「仮の目標」に到達した3月末のさらにその後に、難しい軌道修正が待っているのですね。

『3月20日現在、地球への瞬時再接近距離は、約4.6万kmです。まもなく、静止軌道の内側を通過することが確実になります。』

とにかく、着々と歩を進めていますね。この調子で最終目標まで到達するよう、念願しています。

ps 2/26 新しい発表がありました。その中で掲載されている図面に、3月23日と3月25日の軌道が載っていたので、上の図2に追加記載しました。はやぶさは無事に地球の昼側を通過する軌道から夜側を通過する軌道に移動できたみたいですね。
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審査基準改定案に対する意見募集

2010-03-23 20:50:10 | 知的財産権
特許庁ホームページに3月17日、「明細書、特許請求の範囲又は図面の補正(新規事項)」の審査基準改訂案に対する意見募集 が掲載されました。
『知的財産高等裁判所特別部において平成20年5月30日に言い渡された平成18年(行ケ)第10563号事件の判決において、補正が許される範囲について一般的な定義が示され、その後の知的財産高等裁判所の判決でも一貫してその定義が引用され判示がなされております。
そこで、本年1月28日、産業構造審議会知的財産政策部会 特許制度小委員会 審査基準専門委員会の第4回会合において、大合議判決や後続判決を受け、現行の「明細書、特許請求の範囲又は図面の補正(新規事項)」の審査基準を改訂すべきか否かが検討されました。その結果、審査基準専門委員会は、「現行の審査基準に基づく審査実務を変更せず、大合議判決との整合性をとる」との観点から審査基準を改訂することを了承し、その骨子を示しました。
今般、骨子に沿って、審査基準改訂案を作成いたしました。
つきましては、広く国民の皆様からのご意見をいただきたく、下記の要領で意見募集をいたします
2.資料入手方法
「特許・実用新案 審査基準」の変更点(案)(PDF)より閲覧・ダウンロードできます。 』

審査基準変更点のうち「除くクレーム」に関する部分を確認してみました(pdfの4ページ参照)。
従来審査基準の『なお、次の()、()の「除くクレーム」とする補正は、例外的に、当初明細書等に記載した事項の範囲内でするものと取扱う。』との記載が削除されました。
それにかわって、
『上記()の「除くクレーム」とする補正は、引用発明の内容となっている特定の事項を除外することによって、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえない。したがって、このような補正は、当業者によって明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかであるということができる。よって、上記()の「除くクレーム」とする補正は許される。』
との文章が挿入されています。

本件についてはこのブログでも、特許の補正要件・審査基準の改訂について(2)審査基準専門委員会の議事録公表で話題にしてきたとおりです。
そこで早速、特許庁に対してパブリックコメントを送信しました。以下に示します。

------パブリックコメント-------
「特許・実用新案 審査基準」の変更点(案)<PDF 243KB>の4ページ「4.2 各論」「(4) 除くクレーム」について意見を申し述べます。

 審査基準案の(4) 除くクレームの()(説明)において、
『上記()の「除くクレーム」とする補正は、引用発明の内容となっている特定の事項を除外することによって、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえない。』
と記載されています。

 ここで、「除くクレーム」によって除外する特定の事項が、引用発明の内容となっている場合には、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえない、としています。
 それでは、「除くクレーム」によって除外する特定の事項が、引用発明の内容となって“いない”場合には、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものになるのでしょうか。

 「除くクレーム」のように、明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を補正事項とする場合,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する補正であるというべきです。(知財高判平20.5.30(平成18年(行ケ)第10563号審決取消請求事件「ソルダーレジスト」大合議判決)43ページ8行参照)

 従って、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせるか否か、という点については、明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入“しない”ものであるか否か、という観点から判断されるべきです。そして、新たな技術的事項を導入するか否か、という点では、除外する特定の事項が引用発明の内容であるか否かに影響を受けない性格のものです。
 そうすると、「除くクレーム」によって除外する特定の事項が、引用発明の内容となっているか否かに関係なく、判断がなされるべきと考えます。
 例えば引用発明が特許法39条の先願、あるいは特許法29条の2の先願である場合には、本願出願時に公知ではありません。そのような引用発明との対比においてはなおのこと、除外する特定事項が引用発明の内容となっているか否か、ということは、「明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであるか否か」の判断に影響を及ぼさないものと思料します。

 以上のように推考すると、今回の審査基準の改訂において、「除くクレーム」に関する審査基準で「“例外的に”、当初明細書等に記載した事項の範囲内でするものと取り扱う」との考え方を排除したことによる当然の帰結として、「除くクレーム」によって除外する特定の事項が引用発明の内容となっているか否かに関係なく、明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであるか否か、という点のみを基準として、補正の可否が決まるのではないでしょうか。

 そして、「除くクレーム」によって除外する特定の事項が引用発明の内容となっている場合には、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえない、と判断する以上、除外する特定事項が引用発明の内容となっていない場合にも同様、明細書に記載された補正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえない、と判断すべきものと考えます。
-----3月22日21時25分送信--------
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太陽まもなく「冬眠」

2010-03-21 21:48:56 | サイエンス・パソコン
去年のシルバーウィーク、私は家内とオーロラを見にアラスカに出かけました。そのときの記録は、赤祖父俊一「オーロラ―その謎と魅力」オーロラ観察の前準備オーロラ観察と写真撮影としてここでも記事にしました。
オーロラは、太陽から地球に到来する荷電粒子(太陽風)が地磁気の影響で特定の地域上空に降り注ぎ、地球高層のガス分子を励起して蛍光を発することによって作られます。
太陽風が強いほどオーロラも激しく乱舞します。太陽の黒点活動が活発であるほど、太陽風は強くなります。そして太陽の黒点活動は11年周期で強弱を繰り返します。
去年2009年は、本来であれば、黒点活動の最少期を脱して活発になりつつあるべき年でした。
ところが、宇宙天気予報によると、黒点活動はちっとも活発にならず、去年の秋の段階では無黒点の状態が続いていたのです。このまま、太陽に黒点が現れなかったらどうなるのか。最近の地球の歴史を紐解くと、黒点活動が弱い時期が継続したときがあり、そのときは地球が冷えて氷河期になっていたという記録があります。このまま黒点が現れなかったら、地球は氷河期に突入するのではないか。

3月19日の朝日新聞朝刊に、最近の黒点活動の記事が載っていました。
『太陽まもなく「冬眠」 国立天文台 複数の徴候を観察』
 
まず、去年の秋までずっと「無黒点」状態が続いていたのに対し、昨年末から今年にかけて、太陽に久しぶりに黒点が現れ、研究者らの話題がこれで持ちきりになったようです。取り敢えずは黒点が現れたのですね。
今までずっと、黒点活動の周期は11年だったのに、その周期が今回は12年7ヶ月と長くなりました。

「周期が延びるのは、太陽が冬眠の時期に入る前の特徴とされる。」

太陽活動は11年周期に加え、ほぼ100年ごとに活動が弱まる大きな波があります。特に1700年前後の冬眠はマウンダー極少期と呼ばれ、ほぼ70年間にわたってほとんど黒点が現れませんでした。そのときはテムズ川が凍るなど寒冷化の現象が起きました。

最近の地球の気温については、人間活動で増えた温暖化ガスの影響による温度上昇と、自然に増加した温度上昇との相乗効果が見られていました。ここに来て太陽活動に起因して地球の気温が低下傾向に転じるとしたら、取り敢えずは温暖化ガスの影響を相殺してくれる可能性があり、その点では有り難いことです。
ただし、太陽の冬眠によって地球が寒冷化するのもせいぜい数十年でしょうから、その間に温暖化ガスの影響を抑えるための対策をうち立てる必要はありますが。
もっとも、地球の化石燃料資源が枯渇する時期が近々到来するかもしれません。そうしたら、温暖化ガス対策どころの話ではなくなります。

ps 3/23 朝日新聞の記事全体がこちらに掲載されています。
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大空に描かれた五輪のマーク

2010-03-18 21:29:05 | 歴史・社会
東京オリンピックが開かれたのは1964年、今から46年前です。開会式は10月10日でした。
当時私は高校1年生、オリンピックの開会式を観るための国立競技場の入場券など、入手しているわけはありません。サッカーの部活に明け暮れていました。

しかし私の心の中には、東京オリンピックの開会式をこの目で見たという確かな記憶があるのです。
それは何故か。東京の上空3000メートル、紺碧の空にくっきりと描かれた五輪のマークを、肉眼で見ることができたからです。

確か、部活か何かを終わって学校からの帰り道、茗荷谷の近くを歩いているときでした。ふっと空を見上げると、今まさに、空に誰かが五輪のマークを描いている最中でした。見ている間に五輪が描ききられます。その誰かとは、航空自衛隊の5機のジェット戦闘機であることを後から知りました。
例えばこちらのサイトの写真にあるとおりです。
そのときは思わず、そばを歩いている人を呼び止めて「ほらあれ」と指さして教えてあげたものです。

あの日にたまたま東京に居合わせた人であれば、見ようと思えば空に描かれた五輪のマークをきっと見ることができたはずです。

遙か昔の記憶の断片ですが、以下の雑誌にこのイベントの顛末が記事として載っていました。
新潮45 2010年 03月号 [雑誌]

新潮社

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「昭和の特別な一日」「上空1万5000フィートの東京五輪(中編)」(杉山隆男)という記事で、中編というからには、2月号に前編が載っていたはずで、4月号に後編が載るのでしょう。

記事によると、東京オリンピック組織委員会は当初、全く別のイベントを計画したそうです。5機のジェット戦闘機が並走して、5色のスモークを直線状に引きながら国立競技場の上を飛ぶ、というイベントでした。フライバイというそうです。
そのような計画から始まったのになぜ、どのようないきさつで、最終的には空に五輪のマークを描くイベントに変化したのか、というのが記事の主題です。

「どうせやるんなら、国立競技場の上に五色のスモークで五輪のマークをかいてみせようじゃないか」と発案したのは、航空自衛隊のトップ、空幕長である松田武氏という人だったようです。
「オリンピック事務局がオーダーした、成功率はほぼ百パーセントに近い、フライバイという出し物とは違い、空幕長の松田武が部下にやらせようとした、空に五輪のマークを描いてみせることが前人未踏と言われるほど技術的に至難のもので、ましてその技を失敗の許されない世紀の舞台で試すことが危険な賭けであることに変わりはなかった。松田とてその点は十分承知していたはずである。」
そんなに難しい技だったのですか。

松田氏の前任の空幕長は、あの源田実氏です。源田実、若い頃は戦闘機乗りとして「源田サーカス」と呼ばれる技を披露し、連合艦隊航空参謀として真珠湾攻撃を立案し、戦争末期には松山の防空司令として名機“紫電改”を擁してB29と切り結んだ伝説の人です。
それに対し今回の主役の松田武氏は、陸軍士官学校から東京帝大工学部に進み、軍需省産業機械課長、航空兵器総局付といった技術官僚の道を歩んだ人でした。
また、自衛官退官後も、源田氏が国会議員となって自民党国防族の重鎮に祭り上げられました。それに対し松田氏は、宇部興産に身を投じて副社長まで務め、倒れかかっていた関連会社を再建に導いたそうです。

オリンピック開会式の空に五輪のマークを描くというアイデアについて、言い出しっぺは松田氏であるか源田氏であるか、両説があるそうですが、今となっては確かめようがありません。

空に五色のスモークで五輪のマークを描くことに挑戦した空軍は未だかつて(空自を除いて)どこにもなく、世界最強の米空軍といえども試みてはいないそうです。そのような難しい技だったのですね。

それとは別に東京オリンピック当時、航空自衛隊は誕生して10年を迎えるところでした。そして10年で90数人、それは航空自衛隊が空の上で失った命です。当時のジェット戦闘機であるF86セイバーは、安全対策については太平洋戦争の頃と大差がなく、パイロットの勘と運が生死を分けていたということです。
一方では自衛隊は、創設から10年を経てもなお、「戦後日本の落とし子」とも「日陰者」とも呼ばれていました。
そのような時代に、航空自衛隊は“オリンピック開会式の空に五輪のマークを描く”という壮挙を企画したのでした。

この後は後編に続くようです。
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「軍事研究」3月号

2010-03-16 23:10:53 | 歴史・社会
軍事研究 2010年 03月号 [雑誌]

ジャパンミリタリーレビュー

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瀬谷ルミ子さんの2月20日のブログ記事で、
「先週書店に行って、気がついたら手に入れていたもの2つ。
軍事研究はアフガニスタン特集だったので。
学生時代は実は定期購読してました。懐かしい。」
と紹介があり、そんな雑誌があったことも知りませんでしたが、一応アフガニスタンウォッチを少しはしているつもりなので、購入してみました。

「特集 自衛隊が戦うアフガンの危険、実戦装備」という特集です。
「自衛隊ヘリ部隊のアフガン空輸支援」という記事は、江畑謙介さん執筆で、この方は昨年10月に亡くなられているので、生前の記事を再掲したようです。
自衛隊とアフガンの関係では、「アフガンで活躍する攻撃ヘリ&輸送ヘリ」「欧州共同開発のA400M大型四発輸送機」「自衛隊に提案、アフガン派遣で役立つ装備」などの記事が掲載され、江畑さんの記事と併せ、兵器や装備の記事が多いという印象を受けました。

一方、以下の記事は、自衛隊とアフガンの関係からは外れますが、私にとっては有益な情報でした。
「ISAF、国際治安支援部隊のすべて」(村上和巳)
 アフガン戦争が終了してスタートしたISAF(国際治安支援部隊)は、現在参加国43ヶ国、兵員数84150人と発足当初から兵員が17倍にまで拡大しています。記事では、参加国毎にどのような規模でどのような活動を行っているかを追っています。
リトアニア軍がチャグチャランでPRTを率いていることは述べられていますが、ここでリトアニア軍とともに日本の文民が活動していることは記載されていませんでした。
9年間で多国籍軍の1194人が敵対行為で死亡しています。

「全データ:タリバン・テロの犠牲者」(村上和巳)
タリバンによるアフガンでの敵対行為の状況を、データに基づいて解説しています。
日本が主導した武装解除については、「日本を始めとする各国の資金協力のもと国連が主導したプログラム」と書かれており、日本が主導したことが書かれていません。

「米軍、ビンラディン捕殺作戦に三度失敗」(鈴木基也)
米軍を始めとする多国籍軍の執拗な追求にもかかわらず、ビンラディンが未だに捕殺されていない状況について説明しています。

以上がアフガニスタン関連の特集記事です。

その他、例えば「ミリタリー・ニュース」という定期記事のような欄があるのですが、トピックスとして上がっている話題の大部分は兵器関連ニュースですね。各国軍隊や自衛隊の運用、組織、構造上の問題、といったソフト的な話題がほとんど見られません。
上記アフガン特集でも自衛隊関連では兵器の話題ばかりでした。
この雑誌、「(株)ジャパン・ミリタリー・レビュー」という会社が発行しているのですが、兵器関係の軍事オタクっぽい読者を対象としているのでしょうか。

北郷源太郎という人が書いている「市ヶ谷レーダーサイト」という1ページコラムがあります。今月は「再び、普天間基地問題にもの申す」という表題で、何だか茶化したような文章で書かれてはいるのですが、最後に「支出を最小限に抑えると同時に、普天間飛行場の即時移転と海兵隊一個遠征隊の存続を同時に適えようとするならば、嘉手納統合案かシュワブ陸上案かの、三方一両損案を採らざるを得ないのではなかろうか。」と結んでいました。読んだときはただ「へぇー」と思っただけでしたが、その後、民主党案がシュワブ陸上案に傾きつつあるのを新聞で読んで、北郷氏がこのような結論を提示した根拠を確認したくなりました。「軍事研究」誌と民主党案という、両極端と思われる陣営が同じ結論に達しているわけですから。

裏表紙は双日株式会社の広告で、ボーイングのアパッチヘリコプターのCMになっています。この広告を見て購買を検討する人など皆無と思うのですが、どんな意図があるのでしょうか。
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親指シフトが技術遺産になってしまった

2010-03-14 10:44:56 | サイエンス・パソコン
情報処理技術遺産に一太郎やOASYSなど11件を認定
 ~東大・小柴ホールで認定証授与式を開催
「社団法人情報処理学会は9日、東京・本郷の東京大学本郷キャンパス小柴ホールにおいて、情報処理技術遺産および分散コンピュータ博物館の認定式を行なった。
前年に続き、2回目となる今回は、11件の情報処理技術遺産と2件の分散コンピュータ博物館を認定し、資料および施設の所有者に認定証を授与した。」

「技術遺産」11件の中に、親指シフトキーボードが含まれているというのです。

「会場にはOASYSの生みの親である神田泰典氏も駆けつけた」

「今回、認定された情報処理技術遺産および分散コンピュータ博物館は以下の通り。
●情報処理技術遺産 11件」

《10番目》
「OASYS 100 及び 親指シフトキーボード試作機
製造者:富士通
製造年:1983年
独自の日本語入力方式を採用したワープロとそのキーボード」

OASYS 100はワープロ専用機であり、OASYS 100に限らずすべてのOASYSワープロ専用機は生産終了してずいぶん経ちますから、「技術遺産」の資格は十分にあります。
それに対して親指シフトキーボードは現役ばりばりのキーボードです。少なくとも私にとっては。親指シフトまでもが「技術遺産」の仲間入りをさせられるとは。
まあ、正確に言うと、技術遺産に選ばれたのは親指シフトキーボード「試作機」であって、現役親指シフトキーボードではないので、良しとしましょうか。
同時に選ばれた「一太郎」も、正確にいうと「初代」一太郎です。

ところで、「情報処理技術遺産 11件」にはどんなものが選ばれたのでしょうか。
1.微分解析機
製造者:昭和航空計器など
製造年:1940年代前半
黎明期の機械式コンピュータで当時の最高水準の技術を用いて実現された精巧な歯車機構を有する

2.HITAC 201
製造者:日立製作所
製造年:1961年
初期のトランジスタ式コンピュータで装置全体が現存するものとしては最も古いものの1つ

3.NEAC-2203 NARC
製造者:日本電気
製造年:1961年
わが国初の科学計算用コンパイラ

4.MARS-101
製造者:日立製作所
製造年:1963年
MARS-1の後継として、全国の列車の予約関連業務全般を扱う日本初の本格的なオンラインリアルタイムシステム

5.NEAC-1210
製造者:日本電気
製造年:1966年
当時ベストセラーのパラメトロン式オフィス用小型コンピュータ

6.MELCOM81
製造者:三菱電機
製造年:1968年
オフィスコンピュータと称した初のコンピュータ

7.SCK-201形漢字鍵盤さん孔機
製造者:新興製作所
製造年:1968年
漢字入力に用いられた漢字鍵盤さん孔機

8.2400B型ラインプリンタ
製造者:沖電気工業
製造年:1973年
2400ボー活字ベルト式ラインプリンタ

9.FACOM 603F磁気テープ装置
製造者:富士通
製造年:1973年
わが国初のシングルキャプスタン方式磁気テープ装置

10.OASYS 100及び親指シフトキーボード試作機
製造者:富士通
製造年:1983年
独自の日本語入力方式を採用したワープロとそのキーボード

11.初代「一太郎」
製造者:ジャストシステム
製造年:1985年
パソコン用日本語ワープロソフトとして一世を風靡した
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「はやぶさ」最後の正念場が近づく

2010-03-11 22:06:10 | サイエンス・パソコン
小惑星探査機「はやぶさ」の軌道修正は順調に進み、3月5日のニュース「「はやぶさ」、月までの半分以内を通過へ」によると、「いよいよ,月への半分の距離,約16万kmを通過する軌道に到達しました.3月5日からは一旦イオンエンジンの運転を止め,精密に現在位置,速度を計測します.残りの期間は,単純に距離だけではなく,微調整を含んできます.」ということです。
イオンエンジンを噴射するのは3月中までです。3月の残りの期間で、はやぶさが地球の縁のピンポイントの回廊を通過するように軌道修正を行うのでしょうか。

さらに3月9日には「「はやぶさ」の帰還とカプセルの再突入・回収にむけて」とのニュースがリリースされています。

地球への帰還と再突入は6月です。
『この帰還・再突入にむけて大変心配しているのは,
1.ホイールの寿命,
2.イオンエンジンの運転性,
3.漏洩燃料の再ガス化,
4.イオンエンジン運転中の軌道決定,
5.耐熱材の状態,火工品の環境,分離バネの経年変化です.

ホイールは,ほかの同一設計・製造の2つのホイールが4年前に故障していて,現在残っている1つが稼働できていることは奇跡的なことです.
2005年から2006年にかけて探査機を襲った燃料の漏洩についても,これまで何度か残存ガスの排気を行うべくベーキングを行ってきましたが,5月以降は,地球公転軌道よりも内側に入るため,探査機上面の温度がどんどん上昇して,再びガスが噴出しないか心配なところです.
カプセルの耐熱材は,探査機の飛行が7年間に延びたことから,性能への影響などやや心配な点があります.火薬類を用いる機械的なデバイス(火工品)やカプセルを分離する高分子材料製のバネの経年劣化など,分離の機能が発揮できるかも大いに心配なところです。』

帰還と再突入のイベントは、やり直しのきかない一発勝負です。

満身創痍で地球の近くまでたどり着いた「はやぶさ」が、この一発勝負に挑むわけです。いざ突入の時になって、こわれかけた「はやぶさ」のどの部分が不調になってもおかしくありません。
ただただ頼りになるのは、今まで何回となく見せてきたはやぶさの不死鳥伝説と、運用チームの力量です。

『6月は,サッカーのワールドカップの月ですね.でも,「はやぶさ」も精一杯がんばります.みなさんの声援を期待しています.』

もちろんです。応援していますよ。


提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
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郵便不正事件の謎(2)

2010-03-09 20:57:25 | 歴史・社会
2月27日の記事で、厚労省の局長であった村木厚子氏を被告とする「郵便不正事件」について2月中の公判の様子を記事にしました。
3月3、4日に公判が開かれ、民主党の石井議員、事件当時に村木課長の部下だった課長補佐(当時)らの証人尋問が行われたようです。

厚労元局長の指示「記憶ない」=元部下が供述翻す-大阪地裁
3月3日20時19分配信 時事通信
第10回公判が3日、大阪地裁であった。当時、課長の村木被告の部下だった元課長補佐(61)=退職=が証人出廷し、捜査段階で村木被告の関与を認めたことについて「わたしはずっと『記憶にない』と話した」と述べた。
元課長補佐は2004年2月下旬、村木被告から自称障害者団体元代表倉沢邦夫被告(74)が訪ねて来ると教えられ、「担当者を紹介してあげてください」などと指示されたとの供述調書に署名している。 

証人の石井一議員「国会行かずゴルフ」 アリバイで口利き否定 郵便不正公判
3月4日12時7分配信 産経新聞
第11回公判が4日開かれた。石井一参院議員(75)が証人として出廷し、証明書発行をめぐる口利きを「まったくありません」と全面否定した。
倉沢被告は公判で、自身の手帳の記載をもとに、平成16年2月に議員会館内の事務所を訪ねて石井議員と面会した際、「厚労省に知り合いがいるから、電話してやっていいぞ」と言われた-と証言したが、石井議員はその日の面会そのものについて「絶対ありえない」と反論した。
 その根拠として「自分も手帳をきっちりつけているが、そこに名前がない」と説明。「当日、事務所には行っていない。国会は集中審議が行われていたが、予算委のメンバーではなかったので出席せず、千葉県でゴルフをしていた。東京に戻ってからも議員との懇親会に出席している」と“アリバイ”を示した。

石井議員への口利き依頼については、2月公判で木村氏も否定しています。『7回公判が17日「凜の会」を設立した元新聞記者(木村氏)(67)が証人出廷した。木村氏は倉沢被告と共に石井一・民主党参院議員(75)に口添えを頼んだとされるが「会った記憶がない。検事にもそう言ったが聞き入れられなかった」と証言した。』


2月中の公判における倉沢被告の証言についても、ここで補足しておきます。
村木被告第3回公判詳報 郵便不正事件郵便不正第4回公判 倉沢被告への質問詳報(いずれも産経新聞)によります。
 《検察側が冒頭陳述で明らかにした村木被告と倉沢被告との接点は計4回あった。(1)証明書発行に向け便宜を求めた(2)日本郵政公社(当時)に手続きが進んでいると電話で伝えてもらった(3)日付をさかのぼった証明書を発行するよう求めた(4)証明書を受け取った-で、いずれも村木被告が当時課長を務めていた企画課内で行われたとされる》

これに対し、村木被告の公判において倉沢被告は、(1)と(4)は認めたものの(2)(3)については「村木被告と会っていない」と証言を翻しています。
(1)についても以下のような内容だったと証言します。
 検察官「村木被告とはどんなやりとりを?」
 倉沢被告「『石井一事務所の倉沢と申します。障害者支援団体の件で相談に上がりました』と」
 検察官「村木被告は何と言ったか」
 倉沢被告「『ああ、そうですか』と言った程度と記憶している」
 検察官「それだけ? 名刺交換は?」
 倉沢被告「していません」

(4)について
 《検察側が冒頭陳述で明らかにした偽造証明書の受け渡し時期は、16年6月上旬ごろ。厚労省において、村木被告から倉沢被告が直接受け取ったことになっています。》
公判の証言では、
 倉沢被告「課長(村木被告)が厚労省の封筒の上に、2行ぐらいの短い書類を載せて『ご苦労さまです』と手渡してくれた。私はお礼を言って帰った」
 検察官「それ以上の詳しいやりとりは?」
 倉沢被告「ありません」

ところが、弁護人が倉沢被告の手帳を示しながら質問すると、結局、6月1日~10日のいずれの日についても、「行っていない」と答えるのです。裁判官が再度質問しても同じでした。

ところで、『第8回公判24日で上村勉被告は証明書発行について「自分で勝手に決めて、自分一人で実行した」と述べ、村木被告の指示を否定した。
上村被告は検察側の質問に対し、村木被告を含む上司には「まったく報告していない。一刻も早くこの雑事を片付けたかった」と証言。証明書は6月1日ごろに自分で作成し、その直後に厚労省の隣の建物の喫茶店で、自称障害者団体「凛(りん)の会」発起人河野克史被告(69)に渡したと述べた。』という証言があります。
上村被告の証言によると、証明書は上村被告から河野被告に渡されたのであって、村木被告から倉沢被告に渡されたのではありません。
この点について河野被告がなんと証言しているのか、その点が気になります。ネットニュースでは見つからなかったのですが、3月8日の日経夕刊に記事が載っていました。
河野氏は、「上村被告から受け取ったことは100%ない」と否定しているそうです。


2月公判における証人の証言と3月公判における証人の証言の全体を俯瞰すると、検察が描くストーリーが正しいとする証言がほとんど存在しません。
しかしいずれの証人も、捜査段階では検察の取り調べに対して、検察の描くストーリー通りの調書に署名しているのです。

裁判所は、調書記載内容と公判での証言のどちらを真実として認めるのでしょうか。
従来は、一度調書に署名してしまうと、公判で「それは間違いだ」と証言してもなかなか認めてもらえないようです。自白調書の扱いがまさにそれでしょう。
もし裁判所に「自分に不利な事実について書かれた調書に署名したら、後から撤回することは困難」「撤回を認めさせるためには、撤回で利益を得る側に証拠に基づいての立証責任がある」という考え方があるとしたら、今回も村木被告が有利とは必ずしも言えないかもしれません。

それにしても、厚労省の元部長、元課長補佐らを含め、公判段階で「それは間違いだ」と証言するような内容についてよくも調書に署名をしたものです。検察に取り調べられたら、人間とはかくも弱くなるのでしょうか。そうとしたら、5ヶ月間の拘留中に完全否認を貫いた村木氏は立派です。

p.s. 3/10 以下の産経新聞記事も挙げておきます。
郵便不正公判 村木被告の指示否定 元部下証言 凛の会元会長と省内で面会
2月16日16時5分配信 産経新聞
「第6回公判が16日午前、始まった。当時部下だった元係長、上村勉被告(40)=起訴=の前任係長が証人として出廷し、証明書発行に関する村木被告からの指示について、「まったく受けていない」と明確に否定した。
この日の尋問では「報告は記憶にない」と説明し、調書の内容を否定。そのうえで、「上村被告の前任の私が指示を受けた事実はないから、おそらく村木被告は冤罪(えんざい)ではないかと思う」と述べた。
一方、障害者団体「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告(74)=公判中=と平成16年2月に省内で会った際に「村木被告もいた」と証言。村木被告が証明書発行に関与しなかった根拠のひとつとして、倉沢被告と一度も面会しておらず働きかけもなかったとする弁護側の主張と食い違いもみられた。
このほか、16年4月に自身が異動する際、後任の上村被告に「石井議員がらみで、障害者団体としての実態はよく分からないから慎重にやるように、と引き継いだ」とも証言した。」
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