弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

原発事故・政府事故調・中間報告

2011-12-31 00:47:08 | サイエンス・パソコン
福島原発事故について、12月26日に政府の事故調査・検証委員会が中間報告を発表しました。
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会のページの「2011.12.26 中間報告」に掲載されています。

内容は以下の《報告書》と《報告書資料編》によって構成され、報告書だけで507ページまであります。

《報告書》
概要
表紙・目次・凡例
Ⅰ はじめに
Ⅱ 福島原子力発電所における事故の概要
Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況
Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処
Ⅴ 福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処
Ⅵ 事故の未然防止、被害の拡大防止に関連して検討する必要がある事項
Ⅶ これまでの調査・検証から判明した問題点の考察と提言
《報告書資料編》
表紙・目次
 第Ⅱ章資料
 第Ⅳ章資料
 第Ⅴ章資料
 第Ⅵ章資料
 参考資料
 略語表・英略語表

これらのうち、以下の2編についてまず読み終わりました。
概要(1~16ページ)
Ⅳ 東京電力福島第一原子力発電所における事故対処(77~246ページ)
 1 地震発生後、津波到達までの状況及びこれに対する対処(3月11日14時46分頃から同日15時35分頃までの間)
 2 津波到達後、原子力災害対策特別措置法第15 条第1 項の規定に基づく特定事象発生報告までの状況及びこれに対する対応(3月11日15時35分頃から同日17時12分頃までの間)
 3 原災法第15 条第1 項の規定に基づく特定事象発生報告後、1 号機R/B 爆発までの状況及びこれに対する対応(3月11日17時12分頃から同月12日15時36分頃までの間)
 4 1号機R/B爆発後、3号機R/B爆発まで(3月12日15時36分頃から同月14日11時1分頃までの間)
 5 3号機R/B爆発後、2号機S/C圧力低下及び4号機R/B爆発まで(3月14日11時1分頃から同月15日6時10分頃までの間)
 6 2号機S/C圧力低下及び4号機R/B爆発後(3月15日6時10分頃以降)
 7 R/B(原子炉格納容器外)における水素爆発

事故発生以来現在まで、東電が何回か報告書を発表してきました。
5月24日東電報告書の中の「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について
6月18日東電報告書の中の「福島第一原子力発電所 被災直後の対応状況について
11月30日発表の「福島第一原子力発電所 1~3 号機の炉心状態について
上記東電報告書はいずれも、日本語の文章がわかりづらく、論理が不明確であり、きわめて読みづらい文書でした。事実を隠蔽する意図があって読みづらかったのかもしれませんが・・・。

それに対して今回の政府の中間報告は、とてもわかりやすく書かれています。すらすらと読み進めることができます。政府委員会に隠蔽の意図が一部でもあるのかどうかは不明ですが、素直に読めば、今回の原発事故の実態について、現時点で判明している事項をもっとも詳細にかつ明確に説明した資料といえそうです。

全体として言うと、今まで断片的に判明していた事実から、「多分こんな状況だったのだろう」と推定していた事故の推移が、ほぼそのまま「やっばりそうだったのか」と検証される結果となっていました。

3月11日から15日にかけての推移が、その後の原発被害をほぼ決定づける事象でした。そして中間報告も、この期間に何が起こったのか、そして、各時点において、もっと良好な選択があり得たのではないか、ということが検証されています。
この期間、実際に作業や判断に携わった当事者から詳細にヒアリングし、検証がなされています。事後的に検証し判断するわけですから、「何であのとき、このような判断ではなく別の判断ができなかったのか」という話が次から次へと登場します。「別の判断をすればもっと良好な結果になり得た。そして、その別の判断を行うことは当事者にとって不可能ではなかったはずだ」という事実を「ミス」と名付けるのであれば、11日から15日にかけてはミスの連続でした。当時現場で作業や指揮に携わった人たちにしてみれば、
「もう一度3月11日に戻れるのであれば、ああもできた、こうもできた」
という痛恨の記憶であるに違いありません。

しかし、3月11日に戻ったとしても、「6基すべての全交流電源喪失」「直流電源までも喪失」という想定のもとでの訓練や対応はまったくなされていなかったのですから、誰がその場に居合わせたとしても、多分今回の判断以上に良好な判断を下すことはできなかったでしょう。
例えば、1号機の冷却は「非常用復水器(IC)」のみが頼りでした。政府報告書においては、その非常用復水器が、津波来襲時に直流電源を喪失した結果として、計装システムに組み込まれたフェールセーフ機能によってバルブがすべて「閉」となって機能を喪失した、という前提に立っています。それに対し、1号機の中央制御室で指揮していた当直長以下の当直員たちも、免震重要棟で指揮していた吉田所長以下の発電所対策本部も、そして発電所対策本部とテレビ会議システムで常時つながっていた本店対策本部も、一人として「非常用復水器が機能停止しているのではないか」ということに思いが及ばなかったのです。
1号機に消防車で淡水注入を開始したのは翌12日の5時半頃でした。今にして思えば、淡水注入を開始したときにすでに1号機の内部では完全に炉心が溶融し、圧力容器の底部をも溶かして燃料の大部分は格納容器に落下していたのでした。

吉田所長が指揮していた免震重要棟では、1号機から6号機までの情報が錯綜し、各号機との連絡には固定電話とホットラインしか使えず、1号機のみに構っていられる状況ではありませんでした。ですから、あの場に誰が執務していたとしても、今回の対応以上の良好な対応ができた可能性は少ないでしょう。そういう意味では決して特別に職務怠慢だったわけではありませんが、しかし、結果がすべてです。「より良い対応」が執れなかった結果責任は、本人たちが負うしかないのでしょう。

今回の中間報告は、何というか、一つの「悲劇」が叙述されていると感じました。すべてが悪い方に悪い方に推移することを、だれも止めることができず、報告を読み進めるわれわれもただ推移を見守るのみです。

なお、今回の報告書のうち、「概要」についてはこちらのページSummary of Interim Reportとして英語翻訳文が掲載されています。他の文書については“The full version is now being translated into English”とあり、今後英文が掲載されていくのでしょう。
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商店街の抽選で大当たり

2011-12-30 12:14:14 | Weblog
いつも行っている地元明大前のクリーニング屋さん(明大前ハイクリーナー)に行ったところ、抽選引換券をもらいました。京王線の明大前駅前で抽選をやっています。
私は、こういう抽選では外れか5等賞ぐらいしか当たったことがなく、全く期待していませんでした。
ところが、2枚のスクラッチカードをこすったところ、1枚は外れでしたが、もう1枚はなんと一等賞だったのです。一等賞は商品券1万円分です。
  
引換券                    一等賞の商品券

もらった商品券は「せたがやギフトカード」という名称の商品券です。「世田谷区内で使える」という説明を受けました。
ネットで調べたところ、ウキウキ世田谷どっと混む(世田谷区商店街振興組合連合会/世田谷区商店街連合会)に説明がありました。「商品券について」を読む限りは、対象となる商店街で使えそうです。
ただし、私の行動範囲は、世田谷区の北の端をかするように位置しており、主に買い物をする笹塚は渋谷区です。明大前商店街ではあまり買い物をしないのですが、何とか有効に利用することにしましょう。ピッツァ サルヴァトーレ クオモ 明大前店あたりで使うのが良さそうです。

ps ピッツァ サルヴァトーレ クオモ 明大前店にデリバリーを頼んだので、さっそくこのカードが使えるかどうか聞いてみたところ、このお店では使えないことが判明しました。
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震災復興に官僚の能力を活かす方法

2011-12-27 20:42:22 | 歴史・社会
池上彰の「学問のススメ」「野田首相は化けるかもしれない?~御厨貴・東京大学先端科学技術研究センター教授に聞く【最終回】
池上 彰  2011年12月15日(木)
3ページ目
『池上:御厨先生のお話をお伺いしていると、官僚たちだけじゃなく、将来の首相なり、政治家になる人も東北の復興現場で武者修業するのが、日本にとっても当人にとっても、非常に大切な感じがいたします。

御厨:僕が議長代理を務める復興会議では、若手官僚を1~2年間、復興現場にレンタルしたらどうかと提案しているんです。震災直後、若手官僚を20日間くらい各県庁に派遣していたのだけど、そんなにすぐに戻すのではなくて長期間の派遣をすべきだと。さらに、各県庁ではなく、市町村に出すべきだと主張しています。
復興の現場でもニーズがあるんですよ。復興会議が市町村に対して実施したアンケートで「1番ほしい人材は?」と聞いたら、「中央の行政がよくわかっている人が欲しい」というんです。地方自治体では、国の補正予算と自分たち予算をつなぐ仕組みがわからないんですね。一方、官僚たちは若くても仕組みを知っている。市町村は助かるし、復興現場でしごかれた若手官僚は必ず育ちます。レンタル期間が終わっても東京に戻らず現地に残っても良いし、政治家に転身しても良い。と復興会議で主張すると「そういう仕組みは今はありません」という意見が出る。だから、これからつくってほしい。』

この意見、以前にも聞いたことがあります。探したら見つかりました。

財部誠一の現代日本私観【第6回】「復興停滞の裏に「菅直人の暴走」と「官僚の脱力感」~いまこそ“官僚主導”に舵を切れ
2011年6月28日 財部誠一
『「総理からは以前にも増していろいろな課題の検討指示等が出されますが、復興基本法以外のものは菅総理の下では決められないか、又は決めても総理が変わったら反故になるおそれがあるとの認識が広がっており、重要な意志決定はほとんど行われる雰囲気がありません」
霞が関の官僚たちが脱力感に苛まれている。』
『では、被災地の復興はどうしたらいいのか。
いまこそやるべきは三流総理の“政治主導”から“官僚主導”へともう一度、舵を切ることだ。霞が関は問題山積だが、ヤル気と能力のある官僚が少なからずいることも事実だ。各省庁縦割りや現場がまるで見えていない視野狭窄の弊害を取り払ってやりさえすれば、霞が関は被災地の復旧・復興にどれだけ役立つかわからない。官邸が乱立させた多くの会議に官僚を事務局として張り付けておくくらいなら、中央省庁の官僚を被災地の市町村に送り込むべきだ。それだけで劇的な前進が期待できる。
「たとえば10名くらいの各省官僚のチームをいくつか編成して被災地の市町村に送り込み、地元の自治体の職員や住民、有識者と一緒になってそれぞれの地域に合った復興計画の青写真を一刻も早く作成する。そして共に、それを実行するために国として講ずべき施策が何であるかを彼らが国に持ち帰る。地方と国をつなぐコーディネーターの役割を官僚にやらせばいいのです」
中堅官僚による苦肉のアイデアだ。』
『そこで問われるのは被災地の市町村の自律性だ。「どんな姿を希求するのか」、それを霞が関の混成チームにバックアップさせるのだ。市町村の地方公務員だけでは、復旧、復興のためにどんな制度が使えるのか、何ができて何ができないのか、制度や法律をどう変えたら地元自治体の意向を実現できるのか、がわからない。しかも現実的に国の縦割り行政が大きな壁になることがしばしばあるだろう。
復興の青写真作成とその実行を確実にするために霞が関混成チームを送り込む――。せいぜい10チーム100人くらいを編成すればいい。それだけでは10市町村しかカバーできないではないかと批判されそうだが、心配無用だ。状況の異なる10市町村をカバーすれば、10パターンの復旧・復興モデルができる。その他市町村は希望に近い基本モデルを軸に調整を加えることで対応は可能になる。』

6月には財部誠一氏が提案していた方策、御厨教授が12月に述べたところでは、何ら実現の方向には向かっていません。そして、御厨教授が復興会議の議長代理として提案しても、「そういう仕組みは今はありません」ということで一蹴されているようです。

残念なことです。
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NHKスペシャル「メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が」

2011-12-25 11:41:03 | サイエンス・パソコン
12月18日のNHKスペシャル「シリーズ原発危機 メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が~」を見ました。
たまたまこの放送の直前、ブログで「1号機非常用復水器の構造を幹部は知らなかった」を記事にしたばかりでした。この日の朝日朝刊には負けましたが、NHKの放送には何とか先んじて記事にできた、というところです。

朝日新聞の記事も私のブログ記事も、そしてこのNHKスペシャルも、福島第一原発のうちでも対象は1号機です。1号機で、3月11日~12日にいったい何が起きていたのか、ということがテーマです。
私がブログ記事のネタとした知識に、さらにNHK番組で付け加わった知識をメモしておきます。

1号機の操作室を、NHK番組では「中央制御室」と呼んでいます。私の記事では「中央操作室」としました。略称で「ちゅうそう」と呼ばれていたことからです。
番組は、中央制御室をセットとして再現していました。これによって随分と視覚イメージを強くすることができました。
壁際に並ぶ制御卓には、一番手前の腰の高さに手すりが設置されています。地震発生と同時に、それまではデスクワークをしていたオペレータたちが、立ち上がって持ち場の制御卓前に行き、この手すりをつかんで待機の姿勢を取りました。このような動作が地震マニュアルで定められているのでしょうか。

来襲した津波がどのように建屋内に侵入したのかもCGで再現されていました。まずは建屋のシャッターが津波の圧力に耐えられずに変形し、ここから水が建屋内に浸入しました。そして、地下に設置されたバッテリー室を水が襲う様子も、CGで再現されています。

番組では、津波到来以降の1号機圧力容器内部の状況をシミュレーションで検討しています。時間経過とともに進行する圧力容器内の水位低下状況、メルトダウンやメルトスルーの発生状況については、5月23日に東電が報告書で開示している解析結果とさほど変わりません(5月23日東電報告書(2)1号機参照)。ただし、圧力容器損傷発生時期が、東電報告書では15時間後であるのに対してNHK解析では10時間半後であり、また損傷の状況も、5月段階で東電は大部分の核燃料が圧力容器内に留まっていたと推定しているのに対し、NHK解析では大部分が格納容器に漏れ出たことになっています。

非常用復水器(Isolation Condenser:IC)を、現場では「イソコン」と呼んでいたのですね。オペレータ談話として、「過去にイソコンが動いているところを見たことがない」という発言がありました。
アメリカの原子力発電所(ICを装備)では、ICは非常に重要視されています。ICを機能させるためのバルブは手動でも動くようになっており、手動操作の訓練が行われています。
ところで、福島第一の1号機のICは、圧力容器との循環経路にバルブが4つあります。A系であれば、1Aから4Aまでです。このうち、1Aと4Aのバルブは圧力容器内に配置されています。従って、1Aと4Aは手動操作できないはずです。アメリカの原発ではどのような構造になっているのでしょうか。

さて、3月11日当日、17時19分にイソコンの動作状況を現場確認するチャンスがありました。このときに現場でバルブ(2Aと3A)が「閉」となっていることが確認できれば、その後の経過が大きく好転していた可能性があります。しかし、このときは平服で現場に出かけていました。現場の扉を開けた途端、放射線量が跳ね上がり、この服装では中に入れないということで引き返しました。残念なことです。

それまでイソコンのバルブ開閉状況を示すランプが非点灯でしたが、18時18分、そのランプが点灯し、「閉」であることが判明しました。この場面で、もちろんスタジオセットですが、イソコンバルブ操作のためのハンドルや動作状況を示すランプがどのようなものであるかを視認することができました。
オペレータがバルブ開のためのハンドル操作をすると、ランプは「開」に変化しました。当直長の指示で操作員が部屋から出て行きました。イソコンからの蒸気発生を確認するためです。「蒸気発生」との報告がありました。

ところがその直後の18時25分、「蒸気発生が停止した」との報告です。このとき、イソコンが破損して放射能が漏れ出ることを懸念し、イソコンを停止する操作を行ったことが知られています。
このときの中央制御室でのやりとりが番組で再現されていました。
この部屋で一番偉いのが「当直長」、その下の人をここでは「次席」と呼びましょう。
次席が当直長に「どうします」と判断を促します。当直長は「止めよう」と答え、次席が大声で「イソコン停止」と命じました。
このときの当直長と次席の方が現在どのような心境でおられるのか、お察し申し上げます。
このときは、圧力容器の水位計が「正常水位」を指し示していたので、やはりこの計測結果に惑わされてしまったのです。水位計が正しく働いていなかったことについても、番組で解説されていました。
この水位計ですが、津波後は動作を停止していました。イソコン操作前ですが、作業員が一抱えほどあるバッテリーをどこからか調達してきました。「このバッテリーをどこに繋ぎましょうか」との問いかけに当直長は「水位計」と指示します。操作卓の手前バネルを取り外し、バッテリーを接続する様子が映し出されました。こうして、ウソを表示する水位計が動作を開始したのです。

当直長は、イソコン停止を命じた直後、電話の受話器を取って「イソコン停止」と報告していました。これは免震重要棟への連絡と思われます。しかし免震重要棟にいた幹部たちは、1号機のイソコン停止を認識していませんでした。どこで連絡が途切れたのか、その点は不明のままです。
それと、現在のわれわれは、当時の1号機にとって非常用復水器は唯一の冷却手段であり、これの機能が失われるということはメルトダウンへ向かって一直線であることを知っています。ですから、このときなぜ当直長が免震重要棟に「大変です。このままではメルトダウンです!!」という電話連絡をせず、一言「イソコン停止」で済ませてしまったのか、そこが何とも不可解です。1号機の当直長も次席も、“非常用復水器を止めたら数時間後にはメルトダウンに至る”という認識を持っていなかったとしか思えません。
最近になって、3号機についても『福島第1原発3号機の原子炉を冷やす高圧注水系(HPCI)を運転員が停止させた理由について、振動が大きくなり損傷が懸念されたためと発表した。HPCIを停止し代替注水に切り替えられると判断したという。所長には停止後に報告された。だが実際には注水のために原子炉圧力を低下させる弁が、電源喪失で開けず、代替注水ができず、炉心溶融を招いた。HPCIをめぐっては、政府の事故調査・検証委員会の調べで、現場が独断で止めたことが分かっている。』と報告されています(毎日新聞 12月22日)。
1号機は“非常冷却装置が止まったらすぐにメルトダウンがはじまる”という意識が現場に希薄であり、3号機は“炉内圧力を下げる手立てがまだ準備できていない”ことを認識できていなかったということでしょうか。

今回のNHKスペシャル、今まで報道で得られていた情報の集積に対して新たな知見が増えたわけではありませんが、少なくとも1号機で起きた事象をまとめ上げ、視覚に訴える形で世の中に明らかにしたことは重要な意味を持つだろうと思います。
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従軍慰安婦問題と韓国

2011-12-23 11:21:43 | 歴史・社会
<日韓首脳会談>野田首相、慰安婦問題は「決着済み」
毎日新聞 12月18日(日)19時28分配信
『野田佳彦首相は18日、韓国の(李明博、イ、ミョン、バク)大統領と京都迎賓館(京都市)で約1時間会談した。大統領は旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権問題について「両国関係の障害物となっており優先的に解決しなければならない」と解決に向けた首相の政治決断を強く求めた。これに対し、首相は「我が国の法的立場はすでに決まっており決着済みだ」としたうえで、韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に設置した元慰安婦を象徴する少女のブロンズ像の撤去を要請した。
李大統領が日本の首相との会談で、慰安婦問題解決を具体的に迫ったのは初めて。韓国国内で元慰安婦の賠償請求問題が再燃していることが背景にある。韓国側の説明によると、会談のうち約40分が慰安婦問題に割かれた。』

4年前の米国での慰安婦問題もそうでしたが、私にとっては、今回もまた“降って湧いたような慰安婦問題”でした。
韓国大統領と日本の首相が首脳会談を行うに際し、私(を含め多分日本人全体)が意表を突かれたように、韓国から突然慰安婦問題が噴出した背景にいったい何があるのでしょうか。

ネットで調べてみると、佐藤優氏は10月はじめからこの問題について危機意識を抱いて発言していたことが分かりました。
【佐藤優の眼光紙背】韓国による慰安婦問題の国際化を阻止することが玄葉光一郎外相の焦眉の課題だ
2011年10月03日 08:08
『韓国が、慰安婦に対する日本政府の補償を人権問題を担当する国連総会第3委員会に提起しようとしている。・・・・・
これ(9月30日asahi.com記事)は9月24日、ニューヨークで行われた日韓外相会談で、韓国政府による元慰安婦の請求権を認めよと要請したのに対して、玄葉外相が日韓基本条約で請求権の問題は解決済みであるという立場を伝えたことに対する韓国の反応だ。慰安婦に対する日本の政府保障を国際圧力によって実現するという韓国の国家意思の表れである。過去にもこのような事例があったが、今月の国連総会第3委員会に慰安婦問題を韓国が提起すれば、日本はかつてなく厳しい状況に追い込まれることになると筆者は見ている。・・・・・
韓国に対して、「死活的利益を共有している」などという過剰なレトリックは避けるべきだ。韓国との関係で、焦眉の課題は、慰安婦問題の国際化を韓国が行わないようにするための方策を考えることだ。なぜなら、慰安婦問題が国連総会第3委員会に提起されると、それがわが国にとって死活的に重要である日米関係に悪影響を与えるからだ。』

『筆者が外務省にいたならば、外相に宛てて以下の意見書を書く。
《日韓外相会談では、先方は元慰安婦に対する日本の政府補償の問題について必ず提起してくる。その場合、当方の発言ポイントは次の通り。
1.貴国の憲法裁判所の決定については承知している。補償問題に関するわが国の基本的立場については貴長官も熟知されていることと思うので、この場では繰り返さない。貴長官の発言については、注意深くお聞きした。その上で、東京に持ち帰り、わが方の条約や法律の専門家と協議した上で然るべきお答えする。
2.本件に関し、マスメディアや記者会見を通じた外交は行わない。お互いの国内的発言で二国間関係に否定的影響を与えることを防ぐために全力を尽くす。
3.本件を国際化(註*韓国側は10月にも慰安婦問題を国連総会第3委員会に提起する動きを見せている)は、問題の解決に資しないということにつき、貴長官と合意したい。》
こうして、まず韓国による慰安婦問題の国連総会第3理事会への提起を断念させることが玄葉外相にとっての焦眉の課題だ。(2011年10月1日脱稿)』

しかし佐藤優氏の危機意識を日本の外務省と官邸とが共有することはできず、日韓首脳会談は最悪の結果を招来することとなりました。この点について佐藤優氏は以下のように述べています。

【佐藤優の眼光紙背】慰安婦問題の国際化を前提に外務省は至急戦略を 構築せよ
2011年12月19日 09:55
『慰安婦問題が日韓関係の「爆弾」になることは、外交専門家にとっては自明のことだった。それにもかかわらず玄葉光一郎外相は、事態を深刻視していなかった。・・・・・
既に韓国は国連総会第3委員会(人権担当)に慰安婦問題を提起した。さらに今回の日韓首脳会談の結果について、韓国政府は第三国メディア(特に欧米)に対して日本を激しく批判するプロパガンダを展開している。このままの流れが続くと、慰安婦問題で日本に対する包囲網が敷かれ、日本の国益を著しく毀損するような状態になる。・・・・・
最も重要なのは、玄葉外相が当事者意識を持つことだ。慰安婦問題に関し、日本政府の基本的立場を毀損せず、知恵を出さなくてはならないという強い要請が首相官邸、民主党政務調査会から外務省に寄せられていた。外務省の事務当局も、腹案を作成したはずだ。その腹案に対して、玄葉外相が「拒否権」を発動した結果、今回の深刻な事態に至ったと筆者は見ている。』

佐藤氏の見立てでは、玄葉外務大臣がこの問題について当事者意識を持たず、対応を誤ったことが最大の要因としています。
いずれにしろ、私の目には「突然降って湧いたような問題」でしたが、佐藤氏の目にはすでに10月はじめから重要な外交課題として認識されていたのです。それでは、日本の外交当局はどうだったのでしょうか。佐藤氏によると、外務官僚は問題を把握していたのに対し、玄葉外相が官僚からの問題提起を握りつぶした、ということです。


しかし、問題はすでにこじれてしまいました。佐藤氏によると、「既に韓国は国連総会第3委員会(人権担当)に慰安婦問題を提起した」ということです。

従軍慰安婦問題では、被害当事国が攻勢に出たら、日本がこれを反撃阻止することはとうてい不可能でしょう。話を聞けば聞くほど、被害を受けた方々があまりにも悲劇的で、加害側である日本国が何を言っても言い逃れにしか聞こえないからです。

4年前にアメリカで慰安婦問題が噴出した際に、私もいろいろ調べてここで記事にしました。
従軍慰安婦問題
河野談話
慰安婦問題とアメリカ
従軍慰安婦問題

4年前のアメリカでの問題は、静観して問題が沈静化するのを待つのが正しい対応だったのですが、ときの安倍首相が「日本の軍部が強制徴用した証拠はない」と発言したことで、アメリカ議会が激昂し、さらには日本の超党派国会議員らが米紙に「旧日本軍が強制的に慰安婦にさせたとする歴史的文書は見つかっていない」との全面広告を出したことで火に油を注ぎ、最終的にはホンダ議員の決議案が可決されるに至ってしまいました。

今回は、第三者であるアメリカでの問題ではなく、被害当事国である韓国からの攻勢ですから、問題はより深刻です。

従軍慰安婦という問題そのものが、現代の感覚で考えたら許すことのできないおぞましい事実であることは間違いありません。ですから、まずそのような事実があり、多くの女性、それも他国(植民地)の女性を犠牲にしたことについて、真摯な態度を表明することは絶対に必要です。

朝鮮の地から連れてこられて従軍慰安婦にさせられた女性の中に、正式の軍命令による強制徴用ではなかったにしても、騙されたりして無理矢理連れてこられた人が多かっただろうことは理解できます。
軍医として従軍慰安婦の健康を管理していた医師の記録が、「昭和陸軍の研究」にも登場します。日本人9人、朝鮮人4人、中国人2人の女性を診た医師によると、女性の大半は仕事の内容を承知しているが、朝鮮人2人は、このような仕事とは思わずに連れてこられたと話しています。そうしたケースは、軍による強制連行か、女衒によるものかははっきりとはわかりません。また、中国に送られた婦女子百余名(朝鮮人女性と日本人女性)の健康診断を行った別の軍医によると、朝鮮や北九州で募集された女性であり、日本人女性はその筋の職業に従事した者が多かったのに対し、朝鮮人女性には肉体的には無垢を思わせる者がたくさんいた、ということです。
たとえ日本軍の軍命令で強制連行されたものではないとしても、騙されて連れてこられた朝鮮人女性が多いことを、現地日本軍は把握していたはずです。知っていながら続けたという点では、責任を逃れることはできません。そこは日本政府としてしっかりと受け止めるべきでしょう。

問題が顕在化した以上、今後、日本にとって良好な着地点など存在しないと覚悟すべきでしょう。できるかぎり日本の不利益を軽減することに努力するのみです。

とりあえずは、日韓首脳会談の直後に金正日死去のビッグニュースが飛び出し、この問題は一時休戦の状況ではありますが。

なお、以下の記事も参照しました。
「従軍慰安婦問題で日本が政治的に勝利することはない」マイケル・グリーン氏の4年前の忠告
慰安婦問題が迫る我が国の戦後体制の総決算
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塩野七生「ローマ人の物語~キリストの勝利」

2011-12-21 22:14:21 | 歴史・社会
塩野七生著「ローマ人の物語」(文庫版)は、毎年秋に数冊ずつ刊行され、とうとう今年の秋に最後の43巻が刊行されてすべて出揃いました。
私は、24巻以降についてこのブログにレジュメを書いてきました。こちらから追いかけることができます。
2年前に37巻までを書き終わっています。その最後が塩野七生「ローマ人の物語~最後の努力」(2)でした。

その後、去年の秋に「ローマ人の物語~キリストの勝利」(38~40巻)が発行され、読んだのですが、結局レビューを書く余裕がなく、現在に至ってしまいました。そして今年の秋に「ローマ人の物語~ローマ世界の終焉」(41~43巻)が刊行されてすべてが完結したのです。

41~43巻のレビューを書くにあたって、38~40巻をすっ飛ばすわけにも行かないので、ここにまとめておきます。
ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉 (新潮文庫)
といっても、読んだのは1年前でもう内容も忘れてしまったので、各巻の表紙裏と帯に書かれている内容をここに記すのみとします。

《第一部 皇帝コンスタンティウス》(在位紀元337年~361年)
「期限337年、大帝コンスタンティヌスがついに没する。死後は帝国を五分し、3人の息子と2人の甥に分割統治させると公表していた。だがすぐさま甥たちが粛正され、息子たちも内戦に突入する。最後に一人残り、大帝のキリスト教振興の遺志を引き継いだのは、次男コンスタンティウス。そして副帝として登場したのが、後に背教者と呼ばれる、ユリアヌスであった。」

《第二部 皇帝ユリアヌス》(在位紀元361年~363年)
「若き副帝ユリアヌスは、前線での活躍で将兵や民衆の心を掴んでゆく。コンスタンティウスは討伐に向かうが突然病に倒れ、紀元361年、ユリアヌスはついに皇帝となる。登位の後は先帝たちの定めたキリスト教会優遇策を全廃。ローマ帝国をかつて支えた精神の再興を目指し、伝統的な多神教を擁護した。この改革は既得権層から強硬な反対に遭うが、ユリアヌスは改革を次々と断行していくのだった・・。
「ユリアヌス」が「背教者」と呼ばれるようになったのは、キリスト教の側からは、「裏切り者」と断罪されたからである。親キリスト教のコンスタンティヌスの血縁者であるからこそ皇帝になれた身でありながら、反キリスト教的な政策を行った者という、怒りと侮蔑をこめた蔑称が、「背教者」なのであった。」

《第三部 司教アンブロシウス》(在位紀元374年~397年)
「ユリアヌスは数々の改革を実行したが、その生涯は短く終わる。政策の多くが後継の皇帝たちから無効とされ、ローマのキリスト教化は一層進んだ。そして皇帝テオドシウスがキリスト教を国教と定めるに至り、キリスト教の覇権は決定的となる。ついにローマ帝国はキリスト教に呑み込まれたのだ。その大逆転の背後には、権謀術数に長けたミラノ司教、アンブロシウスの存在があった。」
「アンブロシウスは、20年の高級官僚の経験から、権力者のどこを突けば、彼らをより強い影響下に置くことができるかを熟知していたのである。それは、彼らが何を最も必要としているかを見出すことであり、そしてそのことを、他の誰にも、同輩である司教たちにも、不可能なほどに巧みにやって示すことであった。」

[東西分割]
紀元395年に大帝テオドシウスは、息子2人に帝国を二分して与えた後で死にました。これまでの皇帝たちは、統治は分担してもあくまで分担であって、ローマ帝国は一つであったのですが、しかし紀元395年を境にして、その以後は「東ローマ皇帝」や「西ローマ皇帝」と書くだけで良くなり、実質的にも独立した国に変わったのでした。そして東西に分裂したこの形のままで、ローマ帝国にとっては最後の世紀となる、紀元5世紀に入っていきます。
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1号機非常用復水器の構造を幹部は知らなかった

2011-12-18 17:37:09 | サイエンス・パソコン
原発幹部、非常用冷却装置作動と誤解 福島第一1号機(12月18日朝日朝刊)
『東京電力福島第一原発の事故で最初に炉心溶融した1号機の冷却装置「非常用復水器」について、電源が失われると弁が閉じて機能しなくなる構造を原発幹部らが知らなかったことが、政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)の調べで分かった。委員会は、機能していると思い込んでいた幹部らの認識不足を問題視している。また、その結果、炉心溶融を早めた可能性があるとみて調べている。 』

うわっ! 朝日新聞に先を越されてしまった。
私も今までの報道を総合して、1号機の非常用復水器についてはきっと上記のような状況だったに違いないと想像しており、このブログにアップしようと考えていた矢先だったのです。

原子炉が全交流電源を喪失した場合でも、発生し続ける崩壊熱を除去するための冷却を続けなければなりません。福島第一の2~6号機では、その役割を隔離時冷却系が担っています。原子炉が有している蒸気圧力でタービンを回転させ、主に圧力抑制室に溜まった水を循環して燃料を冷却する構造です。
それに対して1号機は、全く異なった「非常用復水器」によって冷却する構造です。圧力容器との間のバルブが開いており、非常用復水器内の冷却水が供給され続けている限り、自然に冷却がなされる仕組みとなっています(非常用復水器の動作メカニズム)。

3月11日の地震発生と津波来襲以降に1号機の非常用復水器がどのような動作実態だったのかについて、以下のようにレビューしていました。
14:52 非常用復水器(IC)自動起動
15:03頃 ICによる原子炉圧力制御を行うため、手動停止。その後、ICによる原子炉圧力制御開始。
15:37 全交流電源喪失
18:18 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)、供給配管隔離弁(MO-2A)の開操作実施、蒸気発生を確認。
18:25 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)閉操作。
21:30 ICの戻り配管隔離弁(MO-3A)開操作実施、蒸気発生を確認。
(例えば1号機の非常用復水器稼働状況

15時37分(津波来襲)から18時18分までの非常用復水器作動状況については、当初は種々の説がありましたが、現時点では上記朝日新聞記事にあるように「電源が失われると弁が閉じて機能しなくなる構造」に起因し、「津波来襲直後から動作していなかった」という認識に立っているのでしょう。
18時18分頃にたまたま計装用バッテリーが一時的に復旧して「非常用復水器が停止状態にある」ことが判明し、A系の3A弁と2A弁を開きました。オペレータはこのときに「蒸気発生」を確認しています。
さらにその後、今度はオペレータが自分の意思で、18時25分に弁を閉として休止し、21時30分に再度開きました。

このような経過をたどった1号機について、最近になって東電は、11月30日東電報告書・1号機で記事にしたとおり、燃料棒の大部分は溶融した上で圧力容器から抜け落ち、格納容器の底部に落下しているという見立てをしました。1号機がこのようにひどい状況に陥ったのは、津波来襲直後から燃料棒の冷却機能を失っていたことに起因しています。

この当時、発電所の現場ではどのような認識に立っていたのでしょうか。
津波来襲直後、1号機は圧力容器内の水位計が表示されず、非常事態との認識に立ちました。そころがその後、水位計が復旧して正常水位であると表示されたため、それ以降はこの水位情報を信頼しきってしまったのです。後から考えたら、この水位計の表示が誤りだったのでした。1号機の圧力容器内では、11日の夜も早い段階で、すでに水位が下がって燃料棒がむき出しになり、何千℃もの温度に到達して燃料棒は溶融崩壊していたのです。

原子炉は、核分裂反応を停止した直後であり、崩壊熱の発生量は膨大です。発生する熱を冷却する唯一の手段が非常用復水器なのですから、津波来襲で全交流電源を喪失した直後、何はさておき「非常用復水器は正常に作動しているか」を確認する必要があったことになります。
しかし1号機の中央操作室では、津波来襲の3時間後、たまたま計装電源が一時的に復旧してランプが点いたので、はじめて非常用復水器が休止していたことに気づいたのです。これがまず呑気すぎます。非常用復水器の動作状況が不明なのであれば、所内からバッテリーをかき集めてでも計装電源を復旧して作動状況を確認し、停止状態にあるのであれば弁を開いて動作させるべきでした。
また、津波後3時間で非常用復水器を開にしたときに蒸気発生を確認しています。非常用復水器が動作していれば蒸気が発生するということは、津波来襲後に蒸気が発生していないことを確認するだけで、「非常用復水器が動作していない」ことに気付けたはずです。

また、発電所長が詰める免震重要棟においては、1号機の非常用復水器の動作状況について関心を示していませんでした。おそらく、津波後3時間経過後に非常用復水器停止に気付いて弁を開にしたことも、その15分後に意図的に閉としてさらに3時間にわたって停止し続けたことも、免震重要棟にいる幹部は知らなかったのでしょう。「中央操作室から何の報告もないということは、正常に動いているのだろう」と勝手に想像していたものと思われます。

これら開示された情報を通じて私は以下のように想像しました。
福島第1原発で最初に建設された1号機と、それ以降の2~6号機とでは構造に相違があります。非常用冷却装置についていえば、1号機が非常用復水器であるのに対し、2号機以降は隔離時冷却系です。
当時発電所に詰めていたエンジニアの大部分は、2号機以降の構造については熟知していても、1号機に関しては「あれだけは古いタイプだから」ということで熟知には至っていなかった可能性が高いです。それは、私がエンジニアとして工場に勤務していたときの経験からしても、よくあることであり、責められることではないと思います。
特に、「計装電源をすべて喪失した場合、制御系はフェールセーフによって非常用復水器の弁を閉にするシーケンスが組まれている」などという制御ロジックについて、頭に入っている人がいなくてもおかしなことではありません。
このとき、免震重要棟に詰める幹部は、1~6号機の6機について目を配るのですから、1号機への配慮がおろそかになることはあり得るでしょう。しかし、1~3号機は直前まで発電を行っていたので、崩壊熱除去のための冷却が命であることは熟知していたはずです。

問題は1号機の中央操作室です。何で交流電源喪失直後、「非常用復水器は動作しているか?」という点について注意を払わなかったのでしょう。計装盤の表示が消えているのですから、動作確認ができません。非常用復水器が命綱であることを認識していれば、まずは万難を排して動作確認をするはずです。
さらに、非常用復水器が動作していれば、冷却水が蒸発して蒸気が発生するといいます。実際、18時18分に非常用復水器を作動させた際には蒸気発生が確認できています。だとしたら、計装盤が表示されていないのであれば、「蒸気は出ているか?」に注意を払うべきでした。
また、せっかく再開した非常用復水器の動作を、再開の7分後には再度「閉」としています。蒸気発生が確認できなくなったので、非常用復水器の破損を懸念したためといいます。またこの動作を免震重要棟には連絡しませんでした。ということは、1号機のオペレータは「非常用復水器が動作しない限り圧力容器内では大変なことが起こる」という認識を持っていなかったことになります。これはたいへんなことです。

免震重要棟に詰める幹部は、非常用復水器が死活的に重要であることは認識していたが、非常用復水器が動作しているものと信じ込み、「非常用復水器の動作を確認せよ」との指示は出していません。1号機のオペレータは、当初は非常用復水器の動作状況を確認できず、3時間後に「閉」を確認して「開」動作を行ったものの、15分後には「閉」にしてしまった。そして1号機のオペレータは、免震重要棟の幹部に対して「津波来襲後3時間にわたって非常用復水器の動作が確認できない」「3時間後に、それまで非作動であったことが確認できた」「さらにその15分後に意図的に停止した」という事実を報告していなかったことになります。
その結果、1号機に消防車で淡水注入を始めたのが12日5時46分ですから、もうどうしようもなく手遅れだったのです。

1号機で核燃料が溶融して圧力容器の底を破り、格納容器底部に落下したということは、落下の際に格納容器底部の溜まり水に落下し、水蒸気爆発を起こしてもしょうがない状況でした。もし水蒸気爆発を起こしていれば、1号機の格納容器が破裂し、今の日本はもっともっと破滅的な状況に陥っていたでしょう。そうならなかったのは単に運が良かっただけです。
12日の午後に1号機建屋の水素爆発がありました。これにより、その直前に準備が完了した電源車による電力の供給ラインが使えなくなり、また1号機への消防車による注水もやり直しとなりました。また、飛び散った放射性の瓦礫により、それ以降の復旧作業を大幅に阻害することとなりました。

このように考えると、1号機の非常用復水器について、もっと早く気づいてくれていれば、事故の実態はずいぶんと違ったものになっていたのではないかと悔やまれます。誤表示であることが後から分かった水位計が、むしろ回復しない方が良い結果を導いたことでしょう。

新聞報道にある『委員会は、(非常用復水器が)機能していると思い込んでいた幹部らの認識不足を問題視している。また、その結果、炉心溶融を早めた可能性があるとみて調べている。』のうち、後半はその通りではあるものの、前半については酷であるようにも思いますが、結果責任ということであればやむを得ないかもしれません。
工場を預かる責任者が常に肝に銘じなければならないことでしょう。
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由良秀之著「司法記者」

2011-12-15 21:06:03 | 趣味・読書
司法記者
クリエーター情報なし
講談社

この本がおもしろいとの評判を聞き、読み終わったところです。
著者の由良秀之氏について調べたら、なんと本名は郷原信郎氏だというではないですか。読み終わってからびっくりです。

郷原信郎著「検察が危ない」と「著者来歴」を比較してみました。

[司法記者]由良秀之 1977年東京大学卒業、民間会社勤務を経て、1983年検事任官。東京地検特捜部、法務省法務総合研究所等に勤務。2006年に退官、弁理士登録、東京都内で法律事務所開設。大学教授として研究・教育にも従事。

[検察が危ない]郷原信郎 1955年島根県生まれ。東京大学理学部卒業。1983年検事任官の後、公正取引委員会事務局審査部付検事、東京地検検事、広島地検特別刑事部長、法務省法務総合研究所研究員、長崎地検検事などを経て、2006年弁護士登録。現在、名城大学教授・コンプライアンス研究センター長、総務省顧問・コンプライアンス室長。

小説「司法記者」を読んでいると、“これは最近聞いた記憶がある”という場面が次々と出てきます。
自宅マンションで女性記者の死体が見つかり、殺人容疑で逮捕される岡野泰之。地方紙の記者から3年前に全国紙記者に中途入社した経歴で、主人公の特捜検事である織田俊哉の共感を得て情報を入手する展開となります。
ここまできたら、朝日新聞・板橋洋佳記者その人です。大阪特捜の村木厚子さん冤罪事件で、フロッピー改ざんをキャッチして大スクープした記者です。
『一連の問題の端緒となる話を検察関係者から聞いたのは、7月のある夜だった。
上村元係長の自宅から押収されたフロッピーディスク(FD)のデータを、捜査の主任である前田恒彦検事(当時、11日付けで懲戒免職)が改ざんし、偽の証明書の最終更新日時を捜査の見立てに合うように変えた-。疑惑は検察内の一部で今年1月に把握されたが、公表が抑えられていた疑いもあった。』
『「立場が違っても『不正の構造』を暴く到達点は同じ」と意気投合した検事たちがいる。記事にすれば、彼らを追い込むことにならないか。検察組織の反発も予想した。』
『取材で得た証言を検察側にぶつけても、証拠がなければ否定される可能性もある。司法担当キャップの村上英樹記者と話し合い、FDの入手を最優先とし、改ざんの痕跡を見つけるため専門機関に鑑定を依頼する方向で動くことにした。』

小説において、東京特捜が捜査する建設汚職事件で、建設会社部長の谷山静雄が、元建設大臣に1千万円の賄賂を渡したと自供します。その後の展開を読むと、これは小沢一郎事件で水谷建設がヤミ献金した話と重なります(陸山会事件判決)。陸山会事件公判で水谷建設元社長は「秘書に5千万円を渡した」と証言しましたが、実は元社長が猫ばばしたのではないかとの噂があったからです。
調べてみたら、もっと小説とうり二つの事件がありました
『18年前のゼネコン汚職で特捜部は自民党の梶山静六・元幹事長を逮捕しようとしたことがある。ゼネコン幹部が「1千万円を渡した」と供述したからだ。だが強制捜査は直前になって中止された。ゼネコン幹部がそのカネを自分の懐に入れていたことが判明したためだ。』

特捜の検事が参考人や被疑者を取り調べる様子は、今までに特捜の取り調べについて見聞した内容そのままでした。村木厚子さん事件、佐藤栄佐久元知事事件、などなど。

主人公である特捜検事・織田俊哉のモデルは誰だろうか。著者の由良秀之氏なのかな、と想像していたのですが、ペンネーム由良秀之が実名郷原信郎氏だと判明した現在、ちょっと違うようです。郷原氏の「検察が危ない」によると、郷原氏は1993年頃に応援を含めて1年半ほど東京地検特捜部に勤務していました。
『特捜部ほど人間をスポイルしてしまう組織はない。
そこには人間が本来持っている“世の中に対しての鋭敏な感受性”を失わせてしまう思考停止の構図そのものがある。』
しかし郷原氏が経験した勤務形態は、小説中の織田検事とはやや異なります。特捜部に配属になり、共同捜査に組み込まれた時点で休日はなくなります。土日祭日すべて出勤で、さらに主任検事または副部長から指示があるまで帰宅は許されません。仕事があろうとなかろうとです。捜査の状況によっては、ほとんど何もやることがないので、昼間はゲーム「上海」で時間を潰し、夜は終電帰りです。
『このような劣悪な職務環境で事実上自由を奪われた形での勤務が続くと、人間の健全な思考力と感性は失われる。』

郷原さんは、九電の第三者委員会で忙しかっただけではなく、作家として小説執筆にも忙しかったのですね。
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尖閣に自衛隊を駐留させてはいけない

2011-12-13 22:03:22 | 歴史・社会
自民党の石原幹事長が、「尖閣諸島に自衛隊を常駐させるべき」と発言しました。
「尖閣諸島、買い上げて公的所有を」石原幹事長
読売新聞 12月13日(火)10時33分配信
『【ワシントン=鈴木雄一】自民党の石原幹事長は12日午後(日本時間13日未明)、ワシントン市の政策研究機関で講演し、沖縄県の尖閣諸島を公的所有として、港湾施設を整備するなどして実効支配をより強化するべきだとの考えを示した。
石原氏は昨年、尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件に言及したうえで、「尖閣諸島は個人所有から速やかに公的な所有にすべきだ」と述べ、国による民有地買い上げが望ましいとの考えを表明し、「漁船の避難港を整備し、自衛隊員の常駐も考えなければならない」とも訴えた。石原氏はまた、「中国の軍拡の動きを受け、わが国も防衛費を増やす努力をしなければならない」と強調した。』

私は、「尖閣諸島に自衛隊を常駐させてはいけない」という意見です。
紛争屋の外交論―ニッポンの出口戦略 (NHK出版新書 344)
クリエーター情報なし
NHK出版
この本のレビューを書かなければと思いながらなかなか進みません。
この本には、伊勢崎賢治氏と宮台真司氏との特別対談が掲載されています。上記石原幹事長の発言とのからみで一部を紹介します。

中国国内は尖閣諸島について、小平の1978年発言をベースにして収まっています。「主権問題は棚上げして共同開発しよう。次の世代にはわれわれよりももっといい知恵があるに違いない。」
(1) 主権棚上げ、(2) 実効支配は日本(パトロールは今までどおり日本がやる)、(3) 共同開発、の3本柱です。
それ以降の日本の対応も、小平発言を尊重してきました。2004年に尖閣諸島に中国の民間人が上陸したときも、小泉首相は事実上法務大臣に指揮権を発動させて強制送還をしたのです。

今回の尖閣騒動において、中国共産党は、勾留期間の最初の10日延長までは静観していました。ここで強制送還になることを想定していたようです。この間中国共産党は、日本政府に対して「今までの“事実上の協定”の線で行動してくれ」とのシグナルを出し続けたといいます。日本はこのシグナルを受けとり損ねました。

胡錦涛国家主席は、現在の中国首脳の中では比較的親日だといいます。一方中国では、海軍は反日で知られる江沢民ラインですから危なかった。今回の尖閣騒動でも、中国海軍が共産党の支配から離れて尖閣諸島に強硬上陸する危険性もありました。胡錦涛がよく抑えた。
ですから日本としては、胡錦涛主席を立てるように外交しなければなりません。
ところが日本政府は、前原国交大臣が「国内法に従って手続きを粛々と進める」と発言したりして、胡錦涛主席のメンツを潰すような行動に終始しました。これにより胡錦涛の立場は弱くなり、日本の国益が損なわれました。
胡錦涛主席としても、中国国内の強硬派を抑えこむためには、日本に対して強硬路線をとらざるを得なかったのです。

小平路線に沿った“事実上の協定”に従えば、「(1) 主権棚上げ、(2) 実効支配は日本(パトロールは今までどおり日本がやる)」であって、それは軍隊ではなく警察に準じるコーストガード(海上保安庁)がパトロールするという意味です。自衛隊という軍隊が出てきたら大変なことになってしまいます。

以上は、「紛争屋の外交論」の特別対談で宮台氏が述べていることを私なりに解釈した内容です。

中国国内の胡錦涛派(親日派)と江沢民派(反日派)の対立軸の中で、日本は胡錦涛を援護していかなければなりません。その胡錦涛も、日本が尖閣に自衛隊を駐留させたら、「もうこれ以上はムリ」ということになるでしょう。去年の尖閣問題で日本がさらに追加の10日勾留を認めたときと同じ対応が見られるはずです。

というのが、宮台発言を読んだ上での私の意見です。
自民党の石原伸晃幹事長は、この問題をどのようにとらえているのでしょうか。宮台氏が述べているような意見を理解した上で、「それでも自衛隊を尖閣に駐留すべき」と発言しているのでしょうか。自民党なんですから、外務省のチャイナスクールをはじめとする識者の意見を十分に聞いた上で発言してほしいです。
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アフガニスタン奮闘記(2)

2011-12-12 21:02:50 | 歴史・社会
前回に続き、折笠弘維、今井千尋、宮澤治郎、石崎妃早子著「アフガニスタン奮闘記」の2回目です。

アフガニスタンでのPRT活動については、いろいろな批判がされてきました。「アフガニスタンにおける日本の活動が、軍隊とともに行動する今回のPRTのような形態で本当にいいのだろうか」という疑問です。
2008年11月に参議院外交防衛委員会で中村哲氏が主張した点()もそこにあります。
また、伊勢崎賢治氏も同様の意見です(4年前国会での参考人発言「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」 )。
中村医師のペシャワール会における活動、伊勢崎氏の武装解除における活動で、日本が軍隊を派遣しないことが、アフガニスタン復興支援を行う上で大きなプラスになっていました。
一方で、米軍をはじめとする外国軍がある地域に進出すると、その地域はそれまでよりも治安が悪化する、という現実があるようです。

今井千尋さん自身も、チャグチャランへの派遣前、朝日新聞の記事に「『軍と行動をともにする人道支援には批判もある。だけど、批判で止まったら実態がわからない』と今井さん。自分の目で見た現実を日本に伝えたいと思っている。」と記しています。

その答えが今回の著書ということでしょう。
日本国が公に文民を派遣する以上、安全について万全を期すことは必須です。著書を読む限り、現在のアフガニスタンの地方において、軍隊の護衛なしに文民が活動することは不可能に近い、ということのようです。

私人による支援活動であれば、ペシャワール会の中村哲医師のように、軍隊の力を借りず、地域住民の自衛組織に守られて活動することも可能でしょう。また、日本国が関与しない国連派遣の支援活動に参加するのであれば、その支援活動が提供する自衛力に守られることになります。そしてそのような活動と並立して、日本国がアフガニスタンの地方において有効な支援活動を行う手段として、他国の軍隊によるPRTに日本人文民を派遣するという姿が成り立つのでしょう。

日本が自衛隊をPRTとしてアフガニスタンに派遣することはどうでしょうか。
チャグチャランにおいても、リトアニア軍はあくまで軍隊です。危機発生時には軍隊として武力行使します。だからこそ、日本の文民も守られているのです。それに対して日本の自衛隊は武器使用基準が厳しすぎます。これではPRTとして活動することは不可能でしょう。南スーダン派遣にしても、治安が安定している、だから自衛隊である必要がないような地域にしか派遣されません(自衛隊施設部隊が南スーダンPKO派遣)。
また、日本は「アフガニスタンに軍隊を派遣していない平和国」というイメージによってプレゼンスを発揮しています。むしろ現在は、このイメージを大事にして有効に活動すべきでしょう。
そうであれば、そのイメージを大事にして、中村哲医師が推進するペシャワール会活動を民間として支援する、各国が軍隊を派遣して行っているPRTに文民参加して復興支援する、伊勢崎賢治氏が推奨するように、停戦監視のための軍事監視団に自衛隊高級将校が丸腰で参加する、などが好適であるように思います。

もう1点。
日本がせっかく文民活動によってアフガニスタン復興を支援するにしても、ゴール県だけというのはいかにも寂しすぎます。民主党政権はアフガニスタンに合計で5千億円も援助をしておきながら、その実態は、おカネを出しっぱなしで実際にどのように使われたのか気フォローアップを全くしていないようです。政府高官が着服しているだろうことはもちろんのこと、おカネがタリバンに渡っている可能性すらあります。
今回のチャグチャランでの活動成果を踏まえ、やるのであればもっと多くの地域に活動を拡大してはどうなのでしょうか。

また、今井千尋さんの能力、キャリアから考えたら、ゴール県の復興支援のみを活動範囲とするのはいかにももったいないです。今井さんにはもっと大きなところで活動して欲しいものです。

最後に、チャグチャランでの日本文民の活動が日本でほとんど報道されていないことを、とても残念に思います。
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