弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「恐るべきさぬきうどん」その後

2008-12-31 15:08:53 | 趣味・読書
前報に書いたように、香川県下でご近所の人と一部マニアにしか知られていなかった怪しいうどん屋の数々は、T尾氏による連載ルポルタージュによって広く知られることになりました。2000年以降、「恐るべきさぬきうどん―麺地創造の巻 (新潮文庫)」「恐るべきさぬきうどん―麺地巡礼の巻 (新潮文庫)」の影響もあって県外からうどんツアーに訪れる人が増え、田んぼの真ん中の民家の納屋のようなところで営業するうどん屋に、客がどっと押し寄せてきたようです。

「恐るべきさぬきうどん」には以下のような探訪記が載っています。

琴南町の「谷川米穀店」
団長がバイクで林道ツーリングに出かけたおり、「琴南の方にすごいうどん屋があるらしいぞ」という噂を思い出し、通りかかった郵便配達のにいちゃんに聞いたら、目の前の納屋のようなところがうどん屋でした。「まさに感動もののうどん。素朴で、生き生きしてて、こんなうどんが食べられることを讃岐人として誇りに思いたい。」

坂出の「がもううどん」
T尾団長のレポートでは、「まったく感動的なロケーションでありました。文字では説明できませんと逃げておく、と。」とあり、よくわからないのですが、正面に田んぼが広がるとのことです。
店内には椅子が数個しかなく、客はみんな外で食べるとのこと。

綾上町の「山越」
ご主人、奥さん、近所の手伝いの人とおばあちゃんとでやっています。生地を練るところから、足で丹念に踏む、延ばす、切る、ゆでるという工程です。
D々「団長、これは香川一のさぬきうどんですよ」
団長「いや、日本一のさぬきうどんや。ひょっとしたら東洋一、いや、世界一のさぬきうどんかも知れんぞ」さぬきうどんに東洋一も世界一もあるかい。

以上が1990年頃の、怪しいうどん店の様子です。


それが2006年にはどうなっていたか。
「麺通団」というのは、タウン情報かがわの連載「ゲリラうどん通ごっこ」のためのチーム名からスタートしたのですが、現在は実際に「麺通団」という団体が活動しているのですね(こちら)。団長はあのT尾氏(田尾和俊氏)のようです。
そのサイトに、《◎麺通50人が白状した2006年「私の好きなうどん屋」ランキング、131位までを紹介!》という記事が載っています(pdf)。その3ページ目に、小さな写真が3枚掲載されています。あの「がもううどん」「谷川米穀店」「山越」のうどんを食べようと、ものすごく長い行列ができている写真です。
これですか!さぬきうどんブームというのは。

普通、こんなブームが到来したら、それまではいい味を出していた老舗店であっても、味が落ちるのではないかと気にかかるところです。
ところがこの記事のランキングでは、2006年の段階で、山越、がもううどん、谷川米穀店のいずれも、ベスト5の中に全部入っているのです。これだけのブームが押し寄せても、味を維持しているということですか。

ところで、記事の写真の説明をよくよく見ると、「2006年5月3日」とあります。ゴールデンウィークの真っ最中でした。だからあの行列ですか。
平日は、昔ながらの怪しいうどん屋を続けているのでしょうか。
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杉並の火消しの頭

2008-12-29 10:15:54 | 杉並世田谷散歩
杉並の私の通勤ルートに、鳶(とび)の頭の家があります。玄関が開いているときに、中に火消しの纏(まとい)が置いてあるのが見えるのでそれとわかります。

先日12月27日に通りかかったら、職人さんたちが玄関に松飾りを取り付け終わってくつろいでいるところでした。「写真いいですか」と聞いたら、玄関も開けて中の纏を見せてくれました。
  
職人さんが教えてくれるには、ここの頭は4代目で、鳶としては江戸時代から続いているそうです。火消しとしては、江戸時代には(四谷)大木戸より都心側にしか配置されていませんでしたが、明治以降、範囲が広がり、ここ杉並でも鳶職が火消しに任命されたとのことです。
八番組ですか。
玄関の上がりかまちに立てられたものを見ると、「江戸消防記念会第九区」とあります。第九区の八番組ということですね。主の内山さんは、第九区の総代だったのですね。玄関の表札とはお名前が違います。総代と記されているのは先代でしょうか。
  
職人さんたちもかっこよかったので写真を撮らせてもらいました。

江戸消防記念会のページの第九区で確かめると、
「第9区(10)中野・杉並両区全部、新宿区の1部」
となっており、江戸消防記念会に加入してからまだ50年くらいしか経過していないようです。
しかし、江戸消防記念会に加入する前から、火消しとしては活動していたはずなのですが、その点については確認できませんでした。

私が写真を撮った八番組の纏は、多分江戸消防記念会で作ったものだと思います。明治時代に実際に火消しで使ったものではなさそうです。
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ガソリン価格

2008-12-28 00:26:36 | Weblog
昨日、近所の甲州街道沿いを歩いていたら、ガソリンスタンドの価格表示が目に留まりました。

レギュラーでリッター97円ですか。100円を切っているのですね。
ついポケットからカメラを取り出してシャッターを切りました。
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平成20年改正特許法の施行日決定

2008-12-27 09:49:06 | 知的財産権
平成20年改正特許法は、今年平成20年4月18日に公布になり、改正項目毎に順次施行されてきました。

○特許・商標関係料金の引下げ
→ 平成20年6月1日施行

○料金納付の口座振替制度の導入
→ 平成21年1月1日施行

ところが、以下の改正項目については、いまだに施行日が決まっていませんでした。特許庁からは「平成21年4月1日の予定」というアナウンスはありましたが。
○通常実施権等登録制度の見直し
○不服審判請求期間の見直し
○優先権書類の電子的交換の対象国の拡大

この度やっと、施行日が決まりました。
特許法等の一部を改正する法律の一部の施行期日を定める政令
(平成20年12月26日政令第403号)
「平成20年4月18日に公布された「特許法等の一部を改正する法律」(平成20年法律第16号)附則第1条において、公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日とされている改正項目(通常実施権等の登録制度の見直し、拒絶査定不服審判請求期間の拡大、優先権書類の電子的交換の対象国の拡大に係るもの)の施行期日を平成21年4月1日と定める。」

来年4月1日から施行される3つの改正項目のうち、我々実務家にとってさしあたり重要なのは「不服審判請求期間の見直し」です。
現在、拒絶査定不服審判は、拒絶査定から30日以内に請求可能です。それが来年4月1日以降は、拒絶査定から3月以内と請求可能期間が延びます。
これに併せ、審判請求時に行う明細書類の補正書提出については、現在は審判請求から30日以内に可能ですが、改正法施行後は審判請求と同時にしか明細書類の補正書提出できなくなります。


話は変わりますが、特許出願明細書類の書式が来年1月1日から変更になります(こちら)。
取り敢えず、明細書を執筆するためのMS Wordのテンプレートは修正を完了しました。年明けに出願予定の明細書については、新しいテンプレートで執筆を行っているところです。

ワードで明細書執筆を完了したら、段落番号を付与したりHTMLに変換したりする作業が必要です。この作業を行うのが「支援ソフト」です。
私は、西岡先生作のJPWORDのお世話になっています。昨日連絡があり、1月からの新書式に対応するソフトバージョンアップが、当初予定の12月25日から12月30日に変更になるということです。
1月早々の特許出願の予定は今のところありませんので、新年の執務を開始したら、まずは新しい支援ソフトの動作確認から入ることとなります。

なお私の場合、図面や表のイメージタグ挿入については、支援ソフトのお世話にはならず、支援ソフトでHTML変換が終わった後、秀丸エディターの自作マクロによって行っています。この自作マクロについては、書式変更に伴う改良は必要なさそうです。
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麺通団「恐るべきさぬきうどん」

2008-12-25 21:55:10 | 趣味・読書
11月に1泊2日で高松に滞在し、高松市内の一般うどん店(さぬき麺業)でさぬきうどんを2回、食しました。こちらで報告したとおりです。そこでも書いたように、何だかさぬきうどんは奥が深そうだ、という印象を受けて帰って来ました。

調べてみると、香川県内の各地には多くの小さなうどん屋が散在し(全部で700軒ほどだとか)、その土地の人たちが日常に利用しているようです。そしてその中には、香川のうどん好きの人たちがうなるようなおいしいうどん屋が存在し、それがまた近くを通ってもうどん屋だとわからないようなへんてこな店が多いといいます。
それがここ10年ほど、そのような怪しいうどん屋の存在が全国的に知れ渡り、一大さぬきうどんブームが巻き起こったというのです。私は全然知りませんでしたが。
そのブームの起爆点になったのが、書籍「恐るべきさぬきうどん」「恐るべきさぬきうどん〈第2巻〉」「恐るべきさぬきうどん〈第3巻〉最後の聖麺」「恐るべきさぬきうどん〈第4巻〉―誰も出るとは思っていなかった」だといいます。これらをまとめて文庫本としたのが以下の書物です。
恐るべきさぬきうどん―麺地創造の巻 (新潮文庫)
麺通団
新潮社

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恐るべきさぬきうどん―麺地巡礼の巻 (新潮文庫)
麺通団
新潮社

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香川には、「タウン情報かがわ(TJ Kagawa)」というタウン誌があり、1989年当時、そこの前編集長でそのとき連載執筆担当をしていたのがT尾氏です。
T尾氏は当時30代で、ごく普通の善良なうどん好きをやっていました。それがあるとき、A藤氏に「中北」といううどん屋に連れて行かれ、すべてが始まったのです。その店は、高松市の郊外の田んぼと民家の中、偶然には絶対発見できないような場所にあって、しかも民家の納屋みたいなところでうどんを食べさせるのです。民家のような母屋で卸し用のうどんを製麺しており、納屋のようなところで客にうどんを出します。
「製麺屋なんである。客は基本的に“間に合わせ”なんである。しかもこのできたてのうどんが、何とも香ばしくてうまいうまい。ついでに天ぷらも揚げてくれて、これがうまいうまい。近所のおっちゃんやおばちゃんがワンサカ来て食べよる。何なんだここは。」

香川県下には、このような怪しいうどんやが各所に散在しているのですが、香川でタウン誌の編集をしているT尾氏のような人でも知らなかったぐらいですから、今から十数年前には本当にマイナーだったのでしょう。

編集屋の血が騒いだT尾氏は、さっそく「タウン情報かがわ」で怪しいうどん屋の探訪記連載を始めることにします。1989年、題して「ゲリラうどん通ごっこ」

1993年、この「ゲリラうどん通ごっこ」をまとめた「恐るべきさぬきうどん」第1巻が発売になり、1999年の第4巻に至ります。

タウン誌での「ゲリラうどん通ごっこ」と単行本「恐るべきさぬきうどん」の情報は次第に全国に知れ渡るに至り、各種雑誌での紹介があり、テレビに取り上げられ、1999年頃から「香川の怪しいうどん屋」が大ブレークするようになったようです。

今回私が読んだ文庫本は、単行本1~4巻を加筆・再構成して2000年に新潮OH!文庫で発売され、その後新潮文庫から発売されたものです。「麺通団」という団名も文庫本のときにできたのかも知れません。団長はT尾氏です。

さて、「恐るべきさぬきうどん」の本に戻りましょう。
「怪しくてうまいうどん屋があるらしい」という情報が入ると、団長はだれか団員を連れて、車で探訪にでかけます。だいたいが道に迷い、あるいは偶然にその店を見つけます。この類の怪しい店は、昼前に行けば打ちたてゆでたてのうどんにありつけますが、その時間を過ぎると作り置きの玉を湯がいて食すことになります。さぬきうどんというのは、茹でてからの時間経過とともに急速に特質が失われるらしいのです。ところが団長は、だいたいが2時前後に店に到着するという体たらくぶりです。

記事は、通をてらうことなく、団長が感じたままを文章にしているようです。随所で団長がぼけ、団員がつっこみます。団員がいないときは団長が自分でつっこんでいます。このようなノリで、香川県下の田園地帯を西に走りまた南に走り、うどんやのおばちゃん、常連客のおっちゃん、それに麺通団の面々の掛け合いを描いていきます。
「ゲリラうどん通ごっこ」というネーミングの由来は本の中で語られていませんが、「ゲリラ」であるからには名の知れたうまい店にはあまり興味を示さず、「穴場中の穴場(彼等のいう「針の穴場」)」を追い求めます。「ごっこ」としたのは、自分たちは決して「通」ではない、という謙遜の意味を込めているように思います。


香川県に、このようなうどん文化が連綿と続いていたとは。そしてT尾団長によるこのような抱腹絶倒のうどん探訪記が編まれていたとは。この11月の高松訪問のあと、私は初めて知ることになりました。

そして、それまで地元の人とごく僅かなマニアしか知らなかったこれら怪しいうどん店は、「恐るべきさぬきうどん」刊行を契機に全国に知れ渡り、2000年以降、大変なことになっているようです。次回に続く。
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自宅に25.5インチディスプレイ

2008-12-23 18:52:40 | サイエンス・パソコン
我が事務所で私が使うパソコンディスプレイについては、1年半前に25.5インチワイドに大型化していました。こちらで報告したとおりです。
事務所にもう1台あるパソコンについては、9年前に開業して以来、17インチCRTを使い続けています。このパソコンもそろそろ19インチ液晶に替えてもいいでしょう。CRTから液晶に変更すれば、デスクスペースも広がります。
そのように考えて機種選びに入ったところ、最近は25.5インチワイドの大型液晶もずいぶんと値段が下がっていることに気付きました。私が事務所で使っている三菱のRDT261WHは、1年半前に購入したときには14万円でしたが、今では9万円台になっています。さらに、iiyamaのPLE2607WSに至っては、アマゾンで38800円で売っていました。
iiyama 26インチワイド液晶ディスプレイ アスペクト比固定拡大機能搭載 ホワイト PLE2607WS-W1

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iiyama 26インチワイド液晶ディスプレイ アスペクト比固定拡大機能搭載 ブラック PLE2607WS-B1

マウスコンピューター

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現在、自宅ではずいぶん昔に購入した19インチ液晶をそのまま使っています。そこで、事務所用に新規の19インチ液晶を購入するのではなく、自宅用に25.5インチワイド液晶を購入し、自宅の古い19インチを事務所で使うという作戦に変更しました。
液晶の色彩などを含めた画像品質を、本来であるならばよく確認してから機種選定すべきなのでしょうが、今回は年末のうちに購入を完了したいという希望があるので、iiyamaのこの機種を購入することにしました。一応、アマゾンの「売れている順」でも上位にありますし。

ということで、アマゾンに発注したらその翌日には自宅に配達されました。
事務所に25.5インチを導入したときのレポートでは、従来のディスプレイを一緒に撮った写真がなかったので、大きさの実感をお伝えできませんでした。今回は、今まで使っていた19インチと並べて写真を撮りました。
  
値段が安かったこともあり、画像の品質はどうだろうかとこわごわ立ち上げてみました。

使っていて一番気になるところは・・・
画面を下から見上げる角度では色が暗くなり、上から見下ろす角度では色が薄くなります。その結果、画面の上方は色が暗く、画面の下方は色が薄くなって見えます。右上の写真に見られるとおりです。
白と黒は問題ありません。普段白地に黒文字で表示されるデータしか扱いませんから、その点では不自由しません。しかし、ブログなどでちょっと薄めの青文字を使っている場合には、画面の下の方に位置する文字がかすれて見えづらくなってしまいます。

よくよくネットで調べてみると、24インチクラスの液晶ディスプレイにはハイエンドクラスとローエンドクラスがあり、今回購入したものはローエンドに属します。そしてローエンドクラスの液晶はTN方式なるものを用いており、これは視野範囲が狭いらしいのです。そうだとしたら、我慢して使うしかないですね。

画面の明るさとコントラストの調整、それに液晶の角度をいろいろといじり、気にならない最適ポイントを探っているところです。慣れるまでは気になりますね。
画質表示を気にするユーザーにはこの機種はお勧めできません。ご注意ください。
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カラダはどこまで絞られたか

2008-12-21 13:31:14 | Weblog
毎年1回、今は年末に健康診断を受けており、このときに自分の健康状態を知ることができます。
2004年末に受けた結果が最悪でした。
それ以前から、γ-GTPが上限外れ、総コレステロールが上限外れ、超音波検査で「脂肪肝」の判定、を受けていました。それに加え、この年は中性脂肪が上限を外れ、とうとう「高脂血症」の烙印を押されてしまったのです。体重も67.6kgまで上昇していました。なお身長は165cm程度です。

それ以前から、通勤の行き帰りで片道20分の距離を早足で歩いていたのですが、なかなか効果が出ませんでした。
2005年の秋に「パワーウォーキング」を新聞記事で知り、さっそく朝夕の通勤ウォーキングに取り入れました。カバンも普通のショルダーからリュック形式に変更です。こちらにその詳細を紹介しました。
その2005年末に受けた健康診断でさっそく効果が現れ、中性脂肪は正常値に戻りました。
2006年末の健康診断では体重も62.7kgまで落ち、脂肪肝の所見が消え、γ-GTPも正常値になりました。1年間のパワーウォーキングの成果です。

2007年初夏、突然食が細くなり、その状態はずっと続きました。当時ほどではありませんが、今でも食事の量は以前よりだいぶ少ないです。食事が少なくても空腹に悩まされないという状況は、健康には本当に効果的です。
2007年末の健康診断、体重は59.0kgまで落ちました。パワーウォーキング継続と摂取カロリーの減少効果ですね。ただし総コレステロールと、この年から表示された悪玉コレステロールは上限外れです。

2008年春、筋トレとしてスロトレを始めました。はじめたときのいきさつためしてガッテンでの紹介実際にどうしているかについて、今まで紹介してきたとおりです。
スロトレを始めてから、体重は1kgほど低下しました。筋肉は目に見えて増強しているので、筋肉増加分+1kgは脂肪が減っているはずです。

そして先日、2008年末の健康診断を受けてきました。
体重は58.kgで1年前に対して0.8kg減、自宅での測定結果と一致しています。そして嬉しいことに、総コレステロールと悪玉コレステロールが大幅に低下し、両方とも正常値に入ったのです!
筋トレの効果というのは確実に得られることを確認しました。

そして今回の注目点は、腹部断面のCT評価です。お臍の部分の腹部断面CT写真を撮影し、内臓脂肪と皮下脂肪の面積が数値で表れるのです。
去年も測定しているので、1年間の変化を比較できるというわけです。下の写真、左が1年前、右が今回です。写真の上が腹部、下が背中です。腹部のお臍がわかりますね。

赤の内臓脂肪、48.8から43.1平方センチと約1割減です。青の皮下脂肪も、109.から99.5平方センチと同じく1割ほど減少しました。脂肪の削減を数値で確認することができ、実に満足です。

もうひとつの注目点は腹筋の厚さです。お臍のすぐ下、青の皮下脂肪と赤の内臓脂肪で挟まれた灰色部分が、腹筋であるはずです。去年の写真では、腹筋の厚さがほとんど存在していないことにショックを受けました。それがどうでしょう。今年は腹筋が厚くなっているのです。これぞスロトレの効果です。この数ヶ月、腹筋はシェイプアップローラーで鍛えています。この道具の効果は絶大でした。
シェイプアップローラー

リージェント・ファーイースト

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脇腹の部分の赤と青で挟まれた灰色部分、ここはあばら骨と筋肉なのでしょうか。ここも厚くなっています。
それと、白い脊髄の両側にある灰色の塊、おそらく大腰筋だと思うのですが、ここも若干太くなっている気がします。スロトレで大腰筋も鍛えていますからね。

皮下脂肪、1年間で1割減少していることはわかりましたが、やはり微々たる進歩ですね。なかなかおなか周りの脂肪が減っている自覚症状を得ることができません。取り敢えず、増えたはずの筋肉による基礎代謝の増加で、毎日僅かずつでも脂肪が減ってくれることを願っています。
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吉井義明「草の根のファシズム」

2008-12-19 19:33:46 | 歴史・社会
最近、加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ―シリーズ日本近現代史〈5〉 (岩波新書)」を読んだのですが、その中で以下の書物が参照されていました。
草の根のファシズム―日本民衆の戦争体験 (新しい世界史)
吉見 義明
東京大学出版会

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はじめて知った書物です。
単行本のようなので、図書館から借りてみることにしました。私は基本的に文庫と新書しか購入しないものですから。

日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本民衆が戦争をどのようにとらえ、自分の戦争体験をどのように認識していたか、それを、一人一人の民衆の声を収録することによって明らかにしようとするものです。出版物や私家本として、多数の従軍記や回顧録、日記が世の中に出ています。著者の吉見氏は、実に丹念にこれらの書物を紐解き、その中から真実を語っていると思われるものをピックアップしました。

著者は、これら民衆の体験記を通して、日本民衆が戦争に組み込まれ、天皇制ファシズムの担い手になっていく様子をあぶり出そうとします。しかし作者のそのような意図を取り敢えずは無視してかまいません。この本に掲載されている日本民衆の戦争体験記を丹念に追っていくことで、読者は戦争の実態を直視することができるのです。その点にこそ、この本の存在価値があります。多くの戦争体験記著書の中から、真実を語っていると思われる著書をピックアップし、よくぞ1冊の本に著してもらえたとその点に感謝します。

戦争の極限状況の中で、戦争に投入された兵隊たちは異常な心理状況に置かれます。そのような中、憲兵の監視が行き届かず、罰則が存在しないような場合には、兵隊はいくらでも残虐になり得るのです。そのような事実がこれでもかこれでもかと語られます。

そしてその残虐行為の犠牲になったのが、日中戦争であれば中国人民であり、太平洋戦争であればフィリピン、インドネシア、シンガポールその他の国々の人民でした。

ついこの間も、田母神氏は「日本は侵略国家であったのか」と題する論文で最優秀賞を取りました。おそらく田母神氏は、日中戦争と太平洋戦争において日本軍が行った残虐行為については、知らないかあるいは見て見ぬふりをしているものと思われます。この点をしっかり見据えて論考しない限り、侵略云々について語ることはできないと断言できます。

先日の日経新聞で「村山談話」の成立の経緯について記事がありました。若干の政治家による村山談話賛否が掲載されていましたが、いずれも賛否の根拠については全く触れられず、先の戦争の実相をどれだけ精査した上での意見なのか、疑問に感じざるを得ませんでした。

日中戦争と太平洋戦争において、現地人に対して日本軍がどのような行動を取っていたか。今まで以下のような本から情報を得ていました。
保坂正康「昭和陸軍の研究 上 (朝日文庫)」(上・下)この本についてはこちらで記事にしました。
秦郁彦著「南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)
小松真一著「虜人日記 (ちくま学芸文庫)
石川達三「生きている兵隊 (中公文庫)
五味川純平「人間の条件〈上〉 (岩波現代文庫)

これらの書物に、今回「草の根のファシズム」が加わりました。
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丸島儀一「知財、この人にきく 」

2008-12-17 19:25:57 | 知的財産権
知財、この人にきく (Vol.1)
丸島 儀一
発明協会

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月刊誌「発明」による企画で、富岡康充氏がインタビューする形で、丸島義一氏が語った内容を本にしたものです。

丸島さんは、キャノンがまだ単なるカメラメーカーだった頃に入社して特許に配属され、キャノンの成長とともにその知財部門を支え、全体を統括した人です。その丸島さんがご自分の経験に即して語られています。
私は、企業知財部門の経験がそれほど長くないので、丸島さんがこの本の中で語る内容は、企業における知財活動のあり方を教えてくれる良き教材となりました。
以下に印象に残った部分を控えておき、今後の役に立てようと思います。


《知財は知的創造サイクルの中核》
会社が事業部やカンパニーに別れている場合であっても、全社的な戦略が絶対に必要。カンパニーのことしか知らない人が、にわか勉強で交渉に行ったとしても、にわか勉強ほど交渉において弱いものはない。
普段から相手の弱み(自社特許の侵害事実など)をつかまえておき、それを蓄積し、いざというときに自分の弱み(他社特許の侵害事実など)を消すために活用する。それが事業を強くするということであって、相手の弱みにすぐ付け込んでお金だけ稼いでこいというのでは、事業の強みにはならない。

《中小企業の強み》
中小企業は、小さいからみんな大会社にやられると思ってしまう。なぜやられてしまうのかを考えると、本質的なところをちゃんと理解してそれを守ろうとしないから。
中小企業でいい技術を持っていながら負ける、とられてしまう、と思っている人は、知財の本質への理解と智恵が足りないといわざるを得ない。
大企業の場合、大きな事業を抱えているので、訴訟で解決するという戦略を採った場合、ひとたび負けたときの被害が大きい。しかも訴訟ほど予見性がないものはない。
だから、知財面では事業が大きいというのは弱いのです。

《交渉力と契約力》
普通の知財の交渉というのは、相手の狙っているものがわからない。そして、自分の狙っているものも相手に判らせてはいけない。ところが、交渉テクニックがまずいと、狙っているものが相手に判ってしまう。
契約力と交渉力が大事。
会社によっては、交渉は知財がやって、契約は別の部署がやるという場合がある。こういう会社との交渉だったら「しめた!」と思う。交渉で負けても契約で挽回できるから。だから、交渉と契約というのは、連繋していないとダメ。
知財部門というのは、権利化業務だけではなくて、契約、交渉まで一緒にやった方がいいと思う。

《戦略的クロスライセンス》
周辺技術の変化、すなわち半導体とソフトウェアによって状況がガラッと変わった。この2つを組み合わせることによって、それまではメカでできなかったことがやたらにできるようになった。
この辺の理解が、契約の善し悪しに影響する。例えば、商品のトレンドを見て許諾製品の定義をつくるという場合、見通しができる人、わかっている人かどうかで、契約の善し悪しが決まってしまう。先を読んで許諾製品の定義のしかたが変わる。ここができているか否かで契約の善し悪しがもろに出る。
包括的クロスライセンスにおいては、競争力のある技術はクロスから外す。
訴訟をやるのは、お金を取るときではなく、自分がライセンスしてはいけない技術を侵害されたとき。
私は、お金で解決するのだったらほとんど訴訟しないで、みんな交渉でもらってきましたよ。

《ノウハウ化による技術保護》
特許化せずにノウハウとして守るというが、本当に守りきれるか。
いま、元従業員に対して企業はほとんど無防備である。在籍中に正当に入手した技術を、辞めた後に使うことは一切抑えられない。
社内管理を徹底してやった場合には、開発の効率が下がってしまう。
ノウハウを開示しなくても特許は取れる。本当にほしいノウハウは明細書に書かないで、それを権利として抑えるような出願のしかたもある。
米国で訴訟を起こされた場合、ディスカバリーで技術開示が求められ、すべて分かってしまう。
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WiLL「田母神論文、どこが悪い!」

2008-12-15 20:21:38 | 歴史・社会
例の田母神論文は、アパグループ「真の近現代史観」懸賞論文において最優秀藤誠志賞を受賞しました。審査委員長は渡部昇一氏です。渡部氏がなぜ田母神論文を最優秀賞に選出したのか、私はこちらに疑問を書きました。
WiLL (マンスリーウィル) 2009年 01月号 [雑誌]

ワック

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WiLL1月号は総力特集「田母神論文、どこが悪い!」とあります。目次を見ると、渡部昇一氏も何やら寄稿しているようです。私は今までWiLL誌を買ったことがありませんでしたが、今回は購入して読んでみるしかありません。

以下のような寄稿記事が並んでいます。
中西輝政・京都大学教授「田母神論文の歴史的意義」
渡部昇一・上智大学名誉教授「『村山談話』は『外務相談話』だ」
西村眞吾・衆議院議員「『村山談話』こそ更迭せよ!」
西尾幹二・評論家「何に怯えて『正論』を封じたか」

読んでみましたが、どれもこれも、正面から論評しようという気が起こらないものばかりです。
何でなのか。
まず、田母神論文の表題である「日本は侵略国家であったのか」という命題に対し、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本軍が現地でいかなる行動を取っていたのか、という点については、上記どの寄稿文も、一切口をつぐんでいることです。

私の記事「田母神論文」でまず取り上げたのは、
《日本は中国・朝鮮を侵略しなかったといえるか》
日本政府に侵略の意図がなかったことについては私も了解します。ところが、現地に派遣された日本軍が、「これを侵略といわなくて何が侵略なんだ」といっていいような残虐な行為を広範に行ってしまったのでした。この一点のみをとって、「あの戦争は侵略戦争ではなかった」とは決していえないと考えています。---
という点です。

この点を抜きにして、日本軍が戦争中に侵略的であったか否かを論じることはできません。
この点を論じていない論文に関しては、「一体あなたは、この点についてどう考えているのか」と問いただして意見を聞いてからでないと、こちらも反論のしようがないではないか、といか言えません。

次に、どの寄稿文も、田母神論文を擁護しているようでありながら、実態は、対立陣営である秦郁彦氏に対する攻撃にすり替わってしまっていることです。
どうも、中西輝政・渡部昇一陣営と、秦郁彦陣営とは、犬猿の仲となっているようですね。田母神論文をそっちのけにして、相手陣営の発言に対する揚げ足取りに終始している、そのような印象を受けました。

また、田母神論文を批判する相手に対しては、すぐに「東京裁判史観」だとか「自虐史観」だとかいったレッテルを貼って済ませようとするところがあります。
先日、真珠湾攻撃に関して、秦郁彦編集の「検証・真珠湾の謎と真実―ルーズベルトは知っていたか」を読み、こちらでも記事にしました。この本の中では、「ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていたのではないか」と論ずる人たちを「修正主義(リビジョニズム)」として切り捨てようとしています。両陣営とも、本当にどっちもどっちですね。自分の主張に反対する主張に対しては「レッテル」を張って糾弾し、正面からの論争を避けようとしています。

月刊誌に著者としてよく顔を出す常連の人たちが、こんなことでは困るではないですか。


そうそう、私が「WiLL」を購入したのは、渡部昇一氏が一体どうなっているのかを確認するのが目的でした。
渡部氏の「『村山談話』は『外務相談話』だ」の内容はというと・・・
まず、渡部氏が審査委員長として今回の懸賞論文を評価した経緯が述べられます。
次いで、論文の評価については、渡部氏の意見ではなく、小堀桂一郎氏が産経新聞で述べたという田母神賛成意見を紹介し、「私は、小堀氏のこの評価で十分だと思います」としています。
さらに、週刊新潮の秦郁彦氏のコメントを挙げ、「最近の秦氏は問題だ」という投げかけです。
結局、ここまでの4ページ、田母神論文の中身について渡部氏自身の見解は出てきません。
ここから後の7ページは、「村山談話」に対する渡部氏の意見が続き、寄稿文はそれで終わります。
つまり、田母神論文に対して私が感じている違和感について、渡部氏の文章はかすりもしていないのです。


以上のとおり、雑誌「WiLL」の特集内容は、私にとって不完全燃焼に終わりました。報告だけしておきます。
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