弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

PCT出願でのイメージデータの取り扱い

2015-10-17 10:57:15 | 知的財産権
PCT出願を電子出願で行う場合、表や図面をイメージとして取り込みます。このとき、どのようなルールが適用されるのか、よくわからないところがあります。そこで、わかる範囲で調べてみました。
PCT-RO・XMLコンバータ操作マニュアル 2.2.1 書類で使用できるイメージには以下のような記載があります。
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使用できるイメージファイルの規定
200dpi、300dpi、400dpi
mm換算・・・・・・・170×255mm
400dpi時・・・・・・2677×4015ドット
(横:2007ドット、縦:3011ドットを超えると400dpiであると認識される)

イメージ形式
PNG、GIF、BMP (モノクロ2値)
JPEG(JFIFのみ)(グレースケール)

PNG、GIFがモノクロ2値でない場合は、PCT-RO・XMLコンバータで警告され、モノクロ2値に変換されます。
BMPの場合、モノクロ2値でない場合は、エラーになります。
図面と要約書にJPEGが含まれていると警告が表示されます。これは、国際公開時にイメージがJPEGのグレースケールからTIFFの2値へ変換され、イメージが不鮮明になることに対する警告です。明細書・請求の範囲・要約書・図面の写真などのイメージは、PNG、BMPまたはGIF形式のモノクロ2値で作成した上で、確認することをお勧めします。(モノクロ2値でもディザをかけることで、擬似階調表現が行えます)。
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ほぼ、国内出願と同じ要領で、イメージファイルを使用できることがわかります。イメージの最大寸法は、幅が170mm、高さが255mmです。

ところが、電子出願ソフトでイメージを読み込み、PCT明細書としてpdfファイルを作成し印刷してみると、イメージの大きさが種々の縮尺率で縮小されることがわかりました。そこで、どのようなルールでイメージの縮小がなされるのか、実際に種々の寸法のイメージを用いてテストしてみました。
横:2007ドットを超えるイメージのみを用いることにより、400dpiであると認識させました。
pdf明細書として印刷してみると、以下のようなルールで縮小されているようです。

(1)図も表も、まずは一律に約95%の大きさに縮小される。
(2)表については、上記縮小後の幅が約140mmを超える場合、幅がさらに約140mmになるように縮小される。

従って、表について、幅を限度ぎりぎりの170mmで作成すると、それが140mmまで縮小されるのですから、縮小率は82%となります。大量のデータを盛り込んで、比較的小さなフォント(例えば9ポ程度)を用いていたとすると、さらに縮小されるので読みづらくなってしまいます。

以上のようにだいたいの動きがわかってきたので、最後の詰めとして、正確にはどのようなルールでイメージの縮小が行われているのか、特許庁に電話で確認してみました。そうしたところ、「PCT電子出願ソフトのこの部分については、WIPOから提供されたソフト部品をそのまま用いているので、実はどのような動作をしているのか日本特許庁でも正確には把握できていない」との回答でした。

私は、国内出願のデータを用いてPCT出願を行う場合、以下のように気をつけています。
(1)図面については、国内出願の場合は公報段階で約50%まで縮小されることから、もともと大きなフォント(14ポ)を用いています。従って、PCT公報で95%に縮小されても問題ありません。つまり、国内出願用図面がそのまま使えます。
(2)表については、国内出願の場合は公報段階で(ほとんど?)縮小されません。そのため、国内出願用の表については、データが盛りだくさんの場合には小さなフォントを使うことがあります。従って、PCT出願時にさらに縮小されると公報で読みづらくなります。国内出願の表で幅が147mmを超える場合には、さらなる縮小を防ぐため、表をさらに分割して幅が147mm以内に収まるように作り直しています。
(3)国内出願用にJPEGグレースケールで作成したイメージについては、フォトショップを用いて、ティザ処理によってBMPの白黒2値イメージに変換し、用いています。
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平成27年度弁理士論文試験合格発表

2015-10-10 09:50:59 | 弁理士
平成27年度弁理士論文試験合格発表は9月30日でしたから、ずいぶん古新聞になってしまいました。
このブログでの前回の報告は平成23年度でしたから、しばらく記事作成から遠ざかっていました。その間に、論文合格者数は、つるべ落としで減少していたのですね。
論文合格者数が一途減少をたどる一方、最終合格者数については、平成25年度まで700人台を維持していました。それも平成26年度は一気に300人台です。今年、最終合格者数はどうなるのでしょうか。

最近の弁理士試験を取り巻く情勢については何もフォローしていないので、まずは数字をアップするにとどめておきます。

     受験者数 論文 最終
            合格 合格
平成03年度 3217     96
平成07年度 4177    116
平成10年度 4362    146
平成11年度 4700 223 211
平成12年度 5166 250 255
平成13年度 5599 306 315
平成14年度 6714 470 466
平成15年度 7953 551 550
平成16年度 8883 634 633
平成17年度 9115 738 711
平成18年度 9298 655 635
平成19年度 9077 589 613
平成20年度 9679 601 574
平成21年度 7354 944 813
平成22年度 6582 822 756
平成23年度 6377 715 721
平成24年度 5255 837 773
平成25年度 4734 490 715
平成26年度 4674 358 385
平成27年度 4278 248
     (短答受験者)
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大川翔著「ザ・ギフティッド」

2015-10-03 12:50:09 | 趣味・読書
ザ・ギフティッド 14歳でカナダのトップ大学に合格した天才児の勉強法
大川翔
扶桑社
私は楽天コボの電子ブックで購入しました。

著者紹介には以下のように記載されています。
『1999年生まれ。5歳のときに両親の仕事の関係でカナダへ。9歳でカナダ政府のギフティッド(天才児)認定され、12歳で中学を飛び級して高校に入学。2014年春、カナダの名門大学5校に奨学金付きで合格し、話題となる。同年6月、14歳でトーマス・ヘイニー高校を卒業。9月にブリティッシュコロンビア大学サイエンス学部に入学予定。』
14歳で大学に入学する直前の大川君本人が執筆した書籍です。

14歳で大学入学を許可されるに至る過程をこの本でたどると、もちろん本人の才能が抜きんでていたことが第一ですが、加えて、ご両親の影響、0歳から5歳までの日本の保育園での影響、5歳でカナダに渡ってからのカナダの制度とカナダ人の人たちの影響がとても大きいと感じました。それと、12歳のとき、日本の渋谷教育学園幕張中学校を受験し合格したことが大きな転機になっています。
以下にかいつまんで記します。

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《日本での生活(5歳まで)》
母親の産休明けから、4月に保育園の0歳児クラスに入園するまで、父親が育休を取って育児した。
父親は、「とにかく話しかける」ことで翔君の脳を鍛えた。
父親が本人を連れて保育園めぐりをし、気に入った保育園を見つけた。良かった点は、0歳児から絵本の読み聞かせをしてくれるところ。室内では裸足ですごす。
3歳からピアノをはじめた。

《カナダでの生活(5歳から)》
5歳のときにカナダに渡った。カナダでは、5歳のキンダーガーテンは義務教育。教室は小学校の中にある。そのキンダーガーテンに入学した。
母親は、近所の12歳の小学生を何人かベビーシッターとして雇った。この州では、11歳でベビーシッター養成コースを受け、12歳からベビーシッターのアルバイトをする。母親は、時給をやや上乗せして、英語の絵本の読み聞かせをしてもらった。毎週60冊以上読み聞かせた。その結果、キンダーガーテンのESLクラス(英語が母国語でない生徒のクラス)から「もうその必要はない」と追い出されそうになった。

小学校のリーディングの授業では、4~5人の5つのグループに分けられる。リーディング能力別のグループだ。翔君は最低グレードのグループに振り分けられた。
家では、近所のお姉さんや図書館ボランティアのお姉さんたちに本を読んでもらい、1文ずつ交代で読んだり、大量の本を読んだり、を続けた。その結果、リーディングのグループがどんどん変化し、1年の終わり頃には最上位のグループまで上り詰めてしまった。
カナダの小学校には毎日、自習時間があり、与えられたワークが終わったら自由にしていい。翔君はすぐにワークが終わってしまうので、宿題や本読みをしていた。

キンダーガーテンや小学校低学年のころから、
(1)みんなの前で注目を浴びながら発言する練習
(2)とにかく人をホメる練習
をたくさんする。
キンダーガーテンや小学校低学年には、Show & Tellという授業がある。順番に、家から好きなものを持ってきて、それについて語る。発表者は持ってきたものを見せず、3つのヒントを出して聞く人たちに当てさせる。びっくりしたのは、当てる方がトンチンカンな答えを平気ですること。カナダでは、積極的なことは良い、うまく答えられなくてもかまわない、手を挙げて発言したってこと自体が立派だ、てことらしい。
Show & Tellで、持ってきたものがわかったあと、聞き手がコメントする。手を挙げた人のうち、持ってきた人が3名を指名する。ここでとても大事なルールがあり、とにかく「ホメ言葉を言わなくちゃいけない!」絶対に、ネガティブなことや悪口を言ってはいけない。
高学年でも、誰かが質問した場合、その質問が優れていてもトンチンカンでも、先生の最初の言葉は"Oh, that's a good question!"
そして最後にまたホメる。

小学校3年のとき、Poetry Recitalがある。詩を1つ選んで、みんなの前で発表する。各クラスから3人の代表が選ばれ、小1~3年の300人の前で話す。翔君はクラス代表に選ばれて皆の前で話した。すると翌日、校長先生から、小1~6の全校生徒600人の前で発表するように言われ、うまくできた。みんな、大爆笑して、盛大な拍手をしてくれた。その後1週間くらい、たくさんの先生、生徒たちが、翔君に廊下や校庭ですれ違うたびに、声をかけてホメてくれた。

小学校4年になると、スピーチコンテストがある。まず、クラスで自分のスピーチ原稿を書く。グループでスピーチ練習。その次にクラス発表。各クラスから先生が1~2名の代表を選ぶ。そして学校全体での発表。4年生のとき、翔君は4、5年混合クラスだった。その中でクラス代表に選ばれた。そして全校生徒の前で発表し、学校代表を選出する。4年生は合計7人、その中で翔君は2位になった。翔君は1位になれずに悔しく、「来年こそは!」と心に誓った。
5年生のスピーチコンテスト。観客に受けるためには「笑い」を取ることが大事。皆は、自分か自分の家族を悪くいって笑いを取っている。翔君はミスター・ビーンを題材とし、「笑いそのもの」をスピーチのテーマにすることとした。クラス代表に選ばれ、学校代表選出の日。見事1位を獲得した。
翔君がカナダ人で立派だと思うことは、みんな、自分のクラスを応援しているけれど、終わったあとはほかのクラスの子に対しても、口々に「良かったよ」とホメることだ。
こうして5年のとき、学校代表に選ばれて地区大会に出場した。翔君は、5年生のブルーリボンを獲得した。
6年生のとき、翔君のクラスは6、7年混合クラス。この中で上位2名に入らないとクラス代表になれない。翔君は研究に研究を重ねた。トピックはエジプトのミイラに決めた。クラス代表決戦の日。クラスには3名のすばらしい強敵がいる。翔君は1位になった。3年連続で学年代表のジーナは3位となり、本当にショックを受けていた。しかし素直に、翔君と2位の生徒を祝福してくれた。そして地区大会。翔君はまたもブルーリボンを獲得した。

《日本の渋谷教育学園幕張(渋幕)中学校の「帰国生」入学受験》
日本の中学入学の年齢で、渋幕の帰国生を受験した。渋幕(帰国生)の英語の過去問をカナダの先生に見せたら、皆、高校1年から高校2年のレベルだ、と答えた。そこで、渋幕受験対策として、高校レベルの英語の勉強をした。エッセイは週に2~3本は書いていた。
渋幕中(帰国生)入試には、筆記試験と、面接が2種類(日本語、英語)ある。面接では、コミュニケーション能力を見られている。

《ギフティッド(Gifted)》
神あるいは天から与えられた贈り物という感じで、「その才能を社会のために還元しなさい」という意味を含んでいる。
翔君は小学校3年のとき、担任の先生から、この子はギフティッドかもしれないから、試験を受けるように言われた。種々のテストと面接テストを受けた。英語力については、少なくとも3学年以上上の読解力と判断された。そのころ、翔君は1日に400~500ページの本を読んでいた。
翔君の感想では、ギフティッドに認定されるためには、学力のみならず、「発想力」とか「創造力」とかを見て判定しているようだ。
9歳のときにギフティッドに認定された。
ギフティッドは、週に数時間、特別なカリキュラムで教育を行う。学校内と教育委員会主催のものがある。
ギフティッドだから飛び級するわけではない。翔君のまわりには、学年飛び級した人は翔君以外にはいない。科目飛び級している人はまれにいる。

『僕は日本の中学を受験し、合格後、家族会議で徹底的に話し合った。だから、飛び級のメリット、デメリットは理解しているつもり。もちろん、渋幕に通っていたら、楽しい学園生活を送れたんじゃないかって、想像することはある。
でも、結局僕は、同世代の3年間の学園生活を捨てて、早く大学へ行く道を選んだ。理由は、失敗しても良いから、チャレンジしようと思ったから。じゃあ、このチャレンジする姿勢っていうのはどこで学んだのかってことなんだけど、それは僕のまわりにチャレンジすることは良いことだっていう雰囲気があるってことなんだ。たぶん、これは、カナダで学んだことが大きく影響していると思う。』
『失敗を恐れず挑戦するのが良いことだっていう雰囲気が、ここ(カナダ)にはある。僕も、知らず知らずのうちに、このチャレンジ精神を学べたような気がする。』
『この先、この飛び級の決断を、後悔することがあるかもしれない。それでも、僕はチャレンジしたいって思ったんだ。何もしないで後悔するより、チャレンジして後悔しようと思ったんだよ。』

《学年飛び級》
カナダでも、学年飛び級はまずいない。「学年は英語力で決まる」ようだ。まずは、英語が「飛び級後の学年の生徒と比べても、かなり良くできる生徒」でないと「学年全部の飛び級」はさせてもらえない。
翔君は、12歳(グレード6)のとき、英語力がグレード10(高校1年)以上で、グレード10の英語をやらせてもトップクラスと判断された。これは、渋幕の受験対策をしていたからともいえる。

《科目飛び級》
グレード6(小学校6年)のとき、数学のコンテストを受け、満点で1番だった。渋幕中学受験勉強が効いた。先生から、「君はもうグレード8はやらなくていい。グレード9の最終テストだけ受けてくれ。その結果が良ければ、すぐグレード10に入ってもらう。」と言われた。翔君はグレード10からスタートし、13歳のときにはグレード12まで終了してしまった。14歳には大学1年用のコースも終了した。

《その他》
5歳からカナダで空手(国際明武館剛柔流空手道連盟)に入門した。
翔君の母親は弁護士で、旧司法試験時代、とある大学の法学部(それまで司法試験合格者皆無)から依頼を受けて教鞭をとり、本当に合格者を出してしまった。
小学校のとき、家での勉強場所はダイニングキッチンかリビングルームだった。ただし、学校の宿題は学校でやってきてしまい、家では日本の中学受験勉強をしていた。
カナダでは、上級生が下級生の勉強を指導する制度がある。学校で1対1で指導し、上級生は下級生をよくほめる。
高校時代、同じクラスの優秀な生徒とテストの点数を競い、それによって伸びた。
高校時代(といっても年齢は中学生相当)、市の図書館でボランティアをしていた。小学生に読解指導をする仕事。

トーマス・ヘイニー高校で翔君は、2014年度、数学、物理、科学、生物でそれぞれ最優秀者賞を受賞し、学校長学業賞メダルも受賞した。そして2013年秋から2014年の春にかけて、マギル大学、ブリティッシュコロンビア大学、トロント大学、サイモンフレーザー大学、ビクトリア大学のサイエンス部門に、奨学金やアウォード付きで合格した。

ナショナル・ブック・アウォード、ロアン・プロビンシャル・アウォード
どちらも、高校での勉学に加え、幅広い活動、とりわけ学校や地域社会でのリーダーシップ力に重点を置いて受賞者をセレクトする賞。翔君はどちらも受賞した。
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翔君の生い立ちについて、翔君自身が語ってくれました。
「14歳で大学入学」と聞くと、まずは、「学校の勉強だけが飛び抜けてできる。頭でっかち。変人。本当に社会生活になじんでいけるのか?」といった疑問がわいてきます。しかし、この本で読む限り、翔君の場合にはそのようなイメージから大きく乖離していることがわかります。
そして、飛び級を選択することのリスクを認識した上で、チャレンジすることに本人が決断したのです。12歳のときです。小学校卒業後、中学をすっ飛ばして高校に進学した、といったイメージでしょうか。そして、普通の高校生と一緒に高校生活を送り、高校卒業後に14歳で大学に入学したとのコースをたどっています。

カナダの「ギフティッド」制度がおもしろいですね。「神から才能を与えられた者は、その才能を社会に還元しなければならない。」
日本の「いかに才能に優れていようと、横並びで同じ期間、学業につかなければならない」という考え方と対極です。
ギフティッド制度があるカナダで、優秀な成果を皆で褒め称えるカナダの人たちに囲まれていたからこそ、翔君の才能は花開いたというべきでしょう。
ギフティッドに認定される子どもは結構大勢いるようです。一つの学校でも、ギフティッドが集められて特別授業が成立するぐらいですから。その中でも、翔君の歩みはダントツでした。ギフティッド制度を作ったカナダの人たちも、この制度がこのような結果を生むことになるとは想定していなかったかもしれません。

翔君が中学の過程をすっ飛ばす飛び級ができたのは、渋幕中学受験が貢献しているようです。小学校の勉強は学校で済ましてしまい、家に帰って渋幕の受験勉強をしたのですが、その受験勉強で、カナダの中学の過程をカバーしてしまったのでしょう。
本人も両親も、渋幕中学で日本の中学生生活を送る予定にしていたのでしょうが、思わぬ選択肢が開けたことになります。

カナダの高校で、3~4年も年上の学友と暮らす生活はどうだったのか。おそらく、ほとんど問題のない楽しい生活を送ったのでしょう。翔君のまわりには、お互いの才能を認め合い、ホメあう人たちばかりだったようです。これもカナダの特質かと思います。
「同じ年代の友達に囲まれているべきだ」という意見もあるかと思います。しかし考えてみたら日本でも、山村の分校で同学年は自分一人で年の離れた上級生と一緒に勉強している、という境遇は昔からあったわけで、それをもって「かたわの人間が生まれる」などと非難することはありませんでした。もちろん、同年代の友達が少ないことによるデメリットはゼロではないでしょうが、そこは本人の選択に任せてよろしいように思います。

この本を読む限り、翔君は頭でっかちの子どもではなく、分別とコミュニケーション能力を人並み以上に備えた立派な大学生です。恐らく、会って話しても同じ印象を受けるのではないでしょうか。名探偵コナンを思い出しました。翔君もコナンの大ファンだそうです。

翔君のますますの活躍を祈っています。
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