弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

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2048-07-08 00:00:00 | Weblog
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杉並世田谷散歩徒然

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箱根2019年7月

2019-08-03 14:48:37 | Weblog
7月20(土)~21(日)に、箱根を訪れました。
天気はさほど良くなかったのですが、大きく崩れることもなく、車を利用して回ってくることができました。

20日に箱根に到着するとまず、駒ヶ岳へ向かいました。駒ヶ岳ロープウェイで頂上まで上がると、青空は見えないものの、富士山を含めて遠くまで見晴らすことができました。

南は三浦半島、その左が相模湾で、相模湾の彼方には転々と島が見えます。スマホの地図と照らし合わせてみたら、以下の通り、初島、大島、利島、新島、神津島、三宅島が該当するようです。伊豆七島の島々がこれだけ一望できるとは思ってもいませんでした。

                           三宅島      神津島
                              利島 新島
             大島                             伊豆半島
             初島                             芦ノ湖


            大島                         三宅島     利島    新島
          初島




東へ目を転じると、小田原市と相模湾が一望できます(下写真)。
                        小田原市              相模湾


伊豆半島の右側(西側)には相模湾が見えています(下写真)。
   伊豆半島                 駿河湾
          芦ノ湖


さらにその右側(西側)には富士山です(下写真)。中央の山は愛鷹山でしょうか。


駒ヶ岳から北方向(神山方向)に向けて、ハイキング道路がはったはずです。ロープウェイの山頂駅の駅員(日本語ネイティブではない)に聞いてみたところ、そちら方向のハイキングコースは、(火山活動との関係で)すべて閉鎖されているといいます。本当だろうか。
そこで、行ってみました。
確かに、下写真のように、「神山ハイキングコース」との標識がある登山道は、ロープで閉鎖されていました。道は草が生い茂っており、利用されていないことが明らかです。山の周囲を散策しようと考えていたのですが、不可能でした。


ロープウェイを降りました。
ロープウェイには女性の乗務員が同乗しているのですが、日本語非ネイティブでした。登りのロープウェイでは、日本人はわれわれぐらいで、ほとんどが中国人のようでした。せっかく日本語非ネイティブ(多分中国語ネイティブ)の乗務員が乗っているのに、説明はすべて日本語でなされていました。もったいないことです。
乗務員と駅員との間の無線連絡は、英語でなされていました。航空機なみです。

本日の宿は湖尻です。まっすぐ向かうのではなく、芦ノ湖スカイラインを利用して芦ノ湖を一周することとしました。
途中、三国峠で一休みしました。

三国峠の近くには三国山があり、ここが3つの国の境になっていたことからこの名前がつけられているはずです。調べたら、相模、伊豆、駿河の3つの国のようです。しかし、所有している地図で調べたら、3つの国の境は三国山よりも南、山伏峠あたりにあったようです。どうなっているのでしょうか。
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免許証更新 高齢者講習

2019-05-12 20:28:16 | Weblog
本年7月は運転免許証更新の時期です。現在私は70歳です。
本年1月末、1通の葉書が届きました。
以下のような内容が記載されています。
◆免許証更新のための講習のお知らせ◆
あなたは今回免許更新手続を行う前に、「高齢者講習」を受講する必要がありますので、お知らせします。
■免許証更新のための講習
(更新時に)70歳以上の人は、免許証の更新手続き前に、高齢者講習を、掲載の教習所・試験場で受講して下さい。
 ◎高齢者講習を受けないと免許証の更新はできません。
 ◎講習は予約制です。混み合いますので、早めの講習をお願い致します。

葉書には、都内の教習所の一覧が掲載されています。わが家の最寄りということで、井の頭線久我山駅近くの「日通」を選びました。
ネットで調べると、「電話で予約」と書かれています。電話したのは2月はじめと記憶しています。受付の人は、「今から最短で受講可能日は5月9日」とのことです。これは本当に、早めに予約しなかったら更新可能時期(私の場合は8月初めまで)を過ぎてしまいますね。

さて、当日が到来しました。
勤務を午後半日休とし、指定時刻の午後3時20分の前に教習所に行きました。時刻になると名前を呼ばれ、1室に通されました。受講生の席が6席用意されています。1回の受講生は6人と言うことです。
まず座学(ビデオ視聴)があり、そのあと、視野角度の計測、視力、動体視力の計測、夜間視力の計測があります。
視野角度の計測で、私の結果は両目で150度でした。渡された結果票によると、150度は70歳の平均値でした。年齢相応に視野角度が狭くなっている、ということがわかりました。
動体視力計測では、目標が動いていることによる見えづらさよりも、目標がにじんで見えることによる見えづらさが大きく、やや劣った結果に終わりました。なぜにじんでいたのかは不明です。
夜間視力は、視野の左右両側に明るい光源が見え、その中間に視力検査用目標が位置しています。私の結果は、普通の視力検査よりやや低い程度であり、年齢にしてはやや優れている、との評価でした。

最後は実車指導です。
受講生3人ずつが一組となり、指導員一名(助手席)とともに一台の車に乗ります。一人が運転席、残り二人が後部座席で、年齢の高い順に運転していきます。私は2番目でした。
一人目はやはり緊張しています。
指導員の指示、例えば「15番(道路標識)の手前を右に曲がって」に従って運転します。一番面倒なのは、「T字の横棒左から進入し、縦棒の位置でバックして方向転換し、横棒左に出て行く」という方向転換でしょうか。事前にビデオで説明を受けているのですが、実際にT字路へ行ってみると、車の大きさに比較したT字路の大きさが、ビデオよりも小さく見えます。
受講生は皆同じような年齢であり、私以外はこの教習所で免許を取ったということもあり、受講生が運転しているにも関わらず、指導員と受講生は車内和気藹々でしゃべっています。私は「普段運転している車はウィンカーが左手だから、間違えないのが大変だ」といったことをつぶやきました。

さて、自分の順番が回ってきました。
まず運転席の位置決めですが、はじめて乗る車ですから、あっちこっちいじりながらのセッティングです。バックミラーの調整まで完了したところで、指導員から「シートベルトを締めて下さい」と言われてしまいました。これも歳の影響ですが、一度に2つのことをやろうとして始めると、2つ目のことを忘れてしまうのです。
準備を完了し、出発しました。回るコースは今見たところですから、緊張感はありません。最初のウィンカーの操作は間違いなく右手で行いました。
T字コースを使った方向転換も、手際よく行いましたが、最後に内周の後輪を縁石に上げてしまいました。切り返し無しで操作したので、これはやむを得ないでしょう。
運転を修了したところで、指導員から「1回しか間違えなかったですね」と褒められたので、てっきり運転技術を褒められたのかと思ったら、「ウィンカー時にワイパーを動かす間違いが1回だった」という意味でした。

指導員から受けた注意の中に、はじめて聞いたことが2点ありました。
1点目
「交差点で左折するとき、左折の直前で車を道路の左端に寄せる」
左折直前で左後方からの自転車進入を阻止するため、車を左に寄せるのだそうです。私などは、後輪の内輪差を気にして、逆に左折直前に左をあけてしまいます。
2点目
「交差点で右折するとき、右折直前に右後方を確認する」
右折時、道路の右端を後方から自転車が直進していないか、確認するためです。交差点での右折時には、まず対向車の直進を確認し、次に横断歩道の歩行者を確認することが必須です。これらに加えて、右後方も確認必須とすると、最重要ポイントへの注意が散漫になってしまいそうです。
1点目も2点目も、自車の後方から進入してくる自転車への対策です。現代の自動車運転で、自転車対策が重要視されていることを痛感しました。

こうして、無事に「高齢者講習修了証明書」を受領することができました。あとは、更新手続の葉書が到着するのを待つばかりです。
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スイス氷河で75年ぶりに発見

2017-07-23 13:27:10 | Weblog
スイスの氷河で75年前の行方不明夫婦を発見
『融解が進むスイスの氷河で、75年前に行方不明になった夫婦のものとみられる遺体が凍った状態で発見された。地元メディアが報じた。(靴底の写真)』

氷河で発見の遺体、75年前に行方不明となった夫婦と特定 スイス
『【7月19日 AFP】スイスのアルプス(Alps)山脈で、解けて後退した氷河から発見された男女の遺体について、スイスの警察当局は19日、DNA検査により2人が75年前に行方不明となった夫婦であると特定したと発表した(靴底の写真)。』

私は中学時代(1961~1963年)、学校の山岳部に所属していました。当時、中学校の図書室で山岳関係の書籍を読んだ記憶から、今回の上記報道に接して2つの事柄で昔を思い出しました。

第1は、遺留品の靴底の写真です。
この写真に掲載されている靴は、ご夫婦のうちの奥様の靴のようです。そして、靴底の出っ張りは、すべて鋲が打ってあるように見えます。
私の中学時代、すでに鋲靴は姿を消していたはずです。私が中学時代に履いていた登山靴はキャラバンシューズですし、先輩方が履いていたのはビブラム底の登山靴だったはずです。
一方、中学時代に図書室で読んだ書籍の記憶として、以前は登山靴の靴底として鋲を打ったものが使われていたことを知っていました。鋲にはその形状によって名前が付いていました。一生懸命記憶をたどったのですが、どうしても名称が思い出せません。そこで、ネットで調べてみました。
岳さんの「登山用具の歴史 前編」のページに、西岡一雄、海野冶良、諏訪多栄蔵著の「登山技術と用具」の内容が掲載されています。その中に靴底のパターンの図面に、鋲の打ち方、鋲の名前が書かれていました。ムガー、クリンカー、トリコニー、そうそう、そんな名前でした。私が中学校の図書室で読んだ本も、同じ「登山技術と用具」だったかもしれません。

今回発見された遺留品の靴底写真を見ると、鋲の形状は半球状であって、ムガー、クリンカー、トリコニーのどれでもないかもしれません。あるいは、ムガーが摩耗して半球状になったものでしょうか。

記憶の第2は、何十年も経ってから氷河の末端でご遺体が当時の姿のままに発見されることに関してです。
中学校の図書室で読んだ山岳小説の一つに、「青春の氷河」がありました。アマゾンで検索すると、青春の氷河 (1956年)ザイルの三人―海外山岳小説短篇集 (1959年)の2種類がヒットします。中学でどちらの本を読んだかは定かではありませんが。

「青春の氷河」のあらすじはというと・・・。
アルプスの氷河で命を落とした若い男性がいました。その男性の若い奥さんが未亡人として残されます。
未亡人に心を寄せる男性がおり、未亡人に求婚したのですが、未亡人は結婚を断りました。死亡した男性を呑み込んだ氷河は、一定速度で下流に下降しており、24年後には氷河の末端に辿り着くということを、未亡人は専門家から聞いて知っていたのです。
24年が過ぎました。二人とも結婚せずに独身のままです。
未亡人と男性は、連れだって氷河の末端を訪れました。そして、24年前の予測通り、氷の中に遺体を発見することができたのです。
男性が遺体を掘り出す作業を行っているとき、遺体の首にロケットを見つけました。ロケットを開けてみると、そこには未亡人とは別人の女性の写真が入っていたのです。

以上が私の記憶です。今回、ネット検索した所、青春の氷河のテキストを閲覧することができました。私の記憶はほぼそのとおりの内容となっていました。

テキストの最終章を拾うと・・・
『ふと、女がうつむいて足元をみると、そこに、ガラスにとじこめられたような、フロビッシャーの屍体があるのだった。すぐそこにひざまずいて、かの女は声をあげて泣きだした。
氷にとじこめられた青年は、二十四年の歳月がたっても、眼元口元に一すじのしわもよらず、すやすや静かに眠っているかのよう。冷たい氷は、金時計以上に彼を大切にいたわったらしい。元気に満ちた風貌は、登山にでかけた朝そのままだった、そして、その氷の上にひざまずくしわだらけのとしとった女は、わが子のような青年の姿をみながら、さめざめとすすり泣く――
みていたチャロナーは、今さらのように、自分の青春がとうの昔に過ぎさったことをしみじみと感じた。かの女の青春も過ぎ去った。「私もだんだん齢をとります」口でもしじゅういっていたが、それは本当の言葉の意味を知らずにいっていたのだ。が、いまや本当にその言葉の意味を痛切に知った。氷の中の子供のような若々しい青年にくらべれば、彼も女もともに老人で、その青春はもう掴もうとしても手のとどかぬ、遠いはるかな国へ飛びさってしまったのだ。
やさしく女を立ち上らせて、
「氷を掘らせますから、ちょっとのいてください。掘れたら呼んであげます。」
云われるままに、女は五、六歩そこをしりぞいた。チャロナーは人夫を呼んで氷をわらせ、屍体発掘がすむと女を呼んだ。
かの女と屍体とのあいだには、もうガラス板ほどのへだたりもない。青年とやつれた女は、こうして二十四年ぶりの対面をした。
だがこの時、ちゃりんと音を立てて、青年の体から妙なものがおちた。そばでみていたチャロナーが、急いで拾い上げてみると、それは糸のように細い金鎖のさきについたロケットなのであった。青年の頸にかけてあったのが切れたのであろう。チャロナーがそのロケットの蓋を開けてみると、なんと、美しい、がどこか俗悪な、見知らぬ女の写真が、大胆にこちらをむいてにっと笑っているのだ。とっさに彼はリフェルアルプ・ホテルの女支配人の言葉、「わたしだったら、自分の娘をあんな男のところへ嫁にやらぬ」といったのを思い出した。
ふと気がついてみると、白蝋のように蒼ざめた女が、いぶかしげに彼をあおいでいる。
「なんです、それは」とかの女がきいた。
いそいでチャロナーは蓋をしめて、
「あなたの写真です。」
「あら! あの人が、わたしの写真のはいったロケットをもっているはずはありませんわ!」
おりから、山のはに七月の太陽がのぼって、断崖や氷河を金色にそめるのだった。』(青空文庫

今回の新聞記事を読むと、75年ぶりに遺体が発見された理由は、「氷河が融けて後退したため」とされています。一方、「青春の氷河」において24年ぶりに発見されたのは、「氷河が下流に流れて末端に到達したため」ということで、理由が全く異なります。
75年ぶりの今回について、「氷河が下流に流れる」ことによる影響は一部でもあったのかなかったのか、気になる所です。
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2017初詣

2017-01-08 00:15:17 | Weblog
今年も、元旦の初詣に出かけました。
今年元旦に参拝した神社は、渋谷の金王八幡宮です。渋谷駅から徒歩で向かいます。
神社に着いてみると、初詣の長い行列ができています。それも、なかなか進みません。ずいぶん行列で待たされて、参拝できたのは暗くなりかける時刻でした。われわれが到着したのも遅かったのですが・・・。行列のすぐ近くにポケモンGOのジムが2カ所建っていたので、待っている間はジムでの戦いに明け暮れました。
そんなことで、残念ながら神社の写真がありません。

7日(土曜)、散歩がてら、というかポケモンGOがてら、自宅近くの神社での初詣をしてきました。まずは、世田谷松原の菅原神社です(下写真)。
 
菅原神社まで来て、思い出したことがあります。去年の正月に購入した破魔矢を、神社のお焚き上げに奉納する役目を仰せつかっていたのでした。そこで、菅原神社から一度自宅に戻り、破魔矢を持ってあらためて和泉熊野神社へ出かけることにしました。
和泉熊野神社はわが家の氏神様です(下写真)。


なお、私のポケモンGOトレーナーレベルは現時点で30です。
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ダイソンDC12新聞記事

2016-10-26 21:35:28 | Weblog
このブログでは、2009年から2010年にかけて、ダイソンのDC12について3回にわたって記事にしてきました。
ダイソンの掃除機(2009-11-17)
ダイソンのDC12が大変なことに(2010-05-28)
ダイソンDC12~最終章(2010-08-10)

この中で、「ダイソンのDC12が大変なことに」では、2010年5月26日の朝日新聞記事を取り上げました。
ダイソン掃除機やけど続発 電源コード交換9万4千台
2010年5月26日16時21分 asahi.com
『英国メーカーのダイソンのサイクロン式掃除機「DC12」でやけど事故が多発している問題で、同社が販売台数の約1割にあたる9万4千台について、原因の電源コードを無償交換していることがわかった。コードの異常の訴えがあった1万6千台に加え、別のパーツの修理依頼があったものも含んでいる。』
記事によると、この掃除機は2004年6月に販売が始まり、これまでに約95万台売れています。コードの差し込みプラグ付近が断線して火花や煙が出たり、プラグが過熱したりする事故が07年6月以降に26件起き、24人が指などに軽いやけどをしたとのことです。
同社はこれまでにコードの異常の訴えがあった1万6700台についてコードの無償交換に応じたほか、別のパーツの修理依頼があった7万7800台についてもコードの無償交換を同時に実施しているのですね。
この機種の実に1割が何らかの故障でメーカーに送り返されている、というのもすごいです。
『ただ、全使用者を対象としたリコールは実施していない。「コードを無理に引っ張ったりねじ曲げたりしたためで、正しく使えば事故は防げる」とし、「あえて混乱させないように、使用者に対して事前の交換の呼びかけはしない」としている。』
『経済産業省によると、サイクロン式などの大出力掃除機で、配電電圧を海外仕様(230ボルト)から日本仕様(100ボルト)に変更した製品は、コードに流れる電流が約2倍、発熱量は約5倍になり、被覆が熱で軟らかくなりやすく、断線しやすいという。』

その後、新聞記事を朝日新聞サイトで確認することができず、上記記事が本当に新聞に掲載されたのか、確認の手段がなくなりました。ネット上では、私の上記ブログ記事が捏造ではないか、との意見さえ出ているようです。

私の職場の近所には杉並区立中央図書館があります。そこである日の昼休み、中央図書館へ出かけ、この新聞記事が入手できるか調べてみました。
縮刷を簡単に見つけることができました。

文章に一部不一致がありますが、基本的には私のブログで抜粋した記事がそのまま新聞記事であることを確認できました。
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大岡山の桜

2016-03-27 13:13:17 | Weblog
3月26日、目黒線の大岡山駅(目黒区大岡山)の近くで、大学の学科(機械物理工学科)のクラス会があり、参加しました。
大岡山駅の地下ホームから地上に上がると、駅前の広場は大変な人だかりで、催しが開かれていました。桜祭りということです。
なんとか人混みをかき分けて、駅のすぐ近くにある東工大のキャンパスに向かいました。先日の新聞で、大学の桜並木についてランキング特集が組まれていました。その中で東工大大岡山キャンパスの桜並木は、確か5位ぐらいに付けていたと思います。
しかし行ってみると、並木のソメイヨシノはまだ開花したばかりで、お花見ができる状況ではありません。
まずは、昔からある本館の写真を挙げておきます。

本館
本館に向かって右側はスロープになっています。スロープの下の方に、満開の桜の木がありました。その桜をメインに、スロープの上方に向かって写真を1枚撮りました。背景にあるのは、これも昔からある講堂です。本館や講堂を含めた一部の建物を除くと、最近になって建築され、あるいは建て替えられたビルばかりでした。

スロープの下から

駅前で桜祭りが催されているからでしょう、大学の構内も、家族ずれの人たちで大賑わいでした。多分1年のうちでもこの時期だけだと思うのですが、実際はどうなんでしょう。
クラス会には22人の仲間が集まりました。存命の34人中22人です。私が参加する他のクラス会に比べると、高い出席率でした。
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2016年初詣・大國魂神社

2016-01-03 11:41:41 | Weblog
本年の初詣は、府中の大国魂神社でした。1月2日に詣でました。この神社について、以下のように解説されています。
大國魂神社
『大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]は、出雲の大国主神と御同神で、大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、又、医療法やまじないの術も授けられた神様』
ウィキ
『大國魂神社は府中市中心部に鎮座するが、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はそのうちの武蔵国の総社にあたる。
当社の創建は景行天皇41年と伝えられ、源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなどの伝承がある。』

府中駅から参道に向かいます。
 
参道

2日とはいえ、すごい人出です。隨神門の前ではすでに参拝の行列ができており、時間をかけて、中雀門を経て、拝殿に向かいます。

  
隨神門                           中雀門

 
拝 殿

どこも、群衆の頭の上からの写真撮影です。

参道の両側は、立派なけやき並木が並んでいます。
参道の途中に、八幡太郎義家の銅像が立っていました。
 
源義家公の像

説明によると、このけやき並木は、源頼義・義家父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大国魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の1062年、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる、ということです。
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百草園

2015-07-11 10:34:29 | Weblog
梅雨の合間を縫って、百草園を訪れました。妻と二人、6月27日のことです。
最寄り駅は京王線の百草園駅ですが、今回はウォーキングをかねて、聖蹟桜ヶ丘駅から歩くことにしました。聖蹟桜ヶ丘駅からのルートにあるように、広い自動車道路を800mほど進んで、そこから田舎道に入ります。広い自動車道路からの入り口を間違えてしまい、スマホのGPSをオンにして何とか正常ルートに戻りました。
下の写真のような山間の道路を歩いて行くと、

百草園の正門に到着です。

百草園入口


入口を入った登り道


百草園のホームページには以下のように紹介されています。
『江戸時代の享保年間(1716 年~)、小田原城主大久保候の室であった寿昌院慈岳元長尼が徳川家康の長男・信康追悼のため当地に松連寺を再建しました。その後、時代を経て作られたのが京王百草園です。園内の有名な「寿昌梅(じゅしょうばい)」は寿昌院自ら植樹したと伝えられています。
梅の開花の季節には約50 種500 本の梅たちが咲き競い、園の華やかさも最高潮に達します。』

地図によると、下の写真が寿昌梅のようです。


寿昌梅の奥に松連庵(しょうれんあん)があります。

上の写真の入口を入ると、食べ物を注文できます。おそばは、冷やしきつねと冷やしたぬきでした。われわれは冷やしたぬきを注文しました。

上の写真に見えるお座敷で、庭の景色を見ながらいただくことができます(下の写真)。


松連庵の向かいには、「三檪庵(さんれきあん)」が見えます。下の写真です。


松連庵での食事も終わり、園内を散策します。
池には、蓮の花がちらほら咲いていました。


池から登りはじめに建っている句碑は、松尾芭蕉句碑とありました。「志ばらくは 花の上なる 月夜かな」


一番高いところには見晴台があります。東方向に、新宿の高層ビル群が見えました。その向こうにスカイツリーがあるようなのですが、あいにくの曇天で見ることはできませんでした。

一番奥まったところに「芭蕉天神」があるということで、細い上り下りをたどって行ってみました。裏から見たときは「まさかこれじゃないだろう」と思ったのですが、回ってみたらまさにこれでした(下写真)。

「当園の北部、旧三沢下郷の篤学農民・土方誠助(文政7年~大正3年)が学問の大切さを子孫達に知らしめるために祀ったという。そのお陰か、子孫・龍之介は昭和26年旧七生村(現在日野市の一部)の村長となった。
以前、北方40mにあったものを平成2年2月吉日、現在地に遷祀した。」
松尾芭蕉との関係は不明のままです。

あじさいの季節ということで、あじさいの花を見ることができます。


帰りも、来た道をそのままたどり、聖蹟桜ヶ丘駅に出ました。
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探検バクモン・君津製鉄所

2015-01-18 15:24:03 | Weblog
NHK番組探検バクモン、1月7日と14日の2週連続で、お笑いの爆笑問題の二人が新日鐵住金の君津製鉄所を訪問していました。
第1回は主に高炉工場、第2回は転炉工場と熱間圧延工場の探訪記でした。

私は以前、新日鐵(現在の新日鐵住金)君津製鉄所に勤務し、転炉をテリトリーとするエンジニアをしていました。従いまして、今回番組で登場した転炉工場は、昔の私の職場だったところです。
鉄の王国を追撃せよ!
放送:2015年1月14日

転炉とは、大きな釜(大きな壺)のような形状をした精錬炉で、てっぺんに炉口が開口しており、水平軸の回りをくるくる回転します。この炉の中に溶銑(溶けた銑鉄)を装入し、上から高速の純酸素ガスジェットを噴射して不純物を燃焼除去し、精錬を行うのです。1回当たりの溶銑量は、君津の場合250~300トンです。
高炉から運ばれた溶銑は、約300トンを溶銑鍋に収容します。転炉を炉前側に45度程度傾けると、炉口がこちらに向きます。クレーンで溶銑鍋をつり上げ、傾いた転炉の炉口に向かって溶銑鍋を傾け、溶銑鍋中の溶銑を転炉内に装入するのです。「溶銑装入」といいます。
上のNHKのホームページで、「探検内容」にある上下2群の写真のうち、下の写真群の中の上・中央の写真が、溶銑装入中の写真です。
300トンの溶銑を収容した溶銑鍋は巨大です。その巨大な溶銑鍋がクレーンでつり上げられ、さらにそれを傾けて転炉の炉口に溶銑を注ぎ込む光景は壮観です。溶銑装入の写真の右側の写真、爆笑問題の二人が口をあんぐり開けて見入っていますが、まさに溶銑装入時でしょう。

約40年前に私が新入社員として君津製鉄所に配置され、新入社員研修で転炉工場を一般見学したとき、爆笑問題と同じ場所から溶銑装入を眺めました。一緒に見学していた文系の同僚は、「男の職場だ!」と感嘆していました。製鉄所のダイナミズムを体感する最も強烈な場面でしょう。

しかし、転炉への溶銑装入時はトラブルが発生する可能性が皆無ではないので、その後、一般見学で溶銑装入を見ることはできなくなりました。製鉄所の職員でも、転炉溶銑装入時にその様子を見ることのできる場所でうろちょろしていると怒られますから、私も一時期以降は溶銑装入を見なくなりました。
従って、今回のNHK番組では、久方ぶりで転炉への溶銑装入を(テレビ画面を通じて)間近に見ることができたのです。特別な許可がおりたのでしょうね。

番組では、君津製鉄所に勤務するレゴのプロが登場しました。東大のレゴ部長、日本人初のレゴ認定プロビルダーで、東大卒業後に新日鐵住金に就職した三井淳平さんでしょうね。君津製鉄所勤務でしたか。

探検バクモン
『国宝の修復現場、刑務所から夜の動物園まで、普段は入れないところに潜入し、外からはうかがい知れないディープな裏側を探り出せ! 宇宙人から究極のアンチエイジングまで未解決の謎の数々を、あらゆる分野の英知を結集して解き明かせ! 既成概念を打ち壊す「天才」の脳空間を探検せよ! “お笑い知識人”爆笑問題が知の大活劇を繰り広げる! 世界のフシギを笑いのうちに解明していく、教養エンターテインメント番組。』
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