弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

弱虫ペダル

2015-04-29 11:36:16 | 趣味・読書
最近、わが家ではケーブルテレビのディズニーXDチャンネルでアニメの「弱虫ペダル」を見ています。
昨日はそのライド4(4回目)ぐらいだったでしょうか。くわしくはこちら

主人公の小野田君が自宅のある佐倉から秋葉原までママチャリで出かけ、そこで鳴子君に出会う回です。
その前の回まで、小野田君のママチャリはリア、フロントのいずれも、変速ギアはついていませんでした。リアの内装3段もついていない模様です。
ところがこの回で、フロントが2段ギアになり、フロントディレーラーが装着されていることがわかりました。同級生でサイクルショップ店長妹の寒咲さんが、メンテのついでに装着させたようなのです。
私があれっと思ったのは、フロントディレーラーだけではなく、リアディレーラーも装着されていたことです。寒咲さんと今泉君の会話では、寒咲さんはフロントディレーラーの話しかしていません。
おかしいではないか。ということでネットで調べたら、すぐに謎が解けました。
フロントを2段ギアにするということは、チェーンの長さ調整が必須になります。そして、リアディレーラーの役割は、本来のディレーラー(脱線器)としての機能とともに、ガイドプーリーとテンションプーリーとによってチェーンテンション調整を行う機能を有しています。従って、たとえリアはギア1枚のままであったとしても、フロントを2枚ギアにする限りはリアディレーラー装着が必須であったということです。

ところで、フロントもリアもギア1枚であるママチャリを改造して、フロントを2枚にするためには、ただフロントギアを2枚にしてフロントとリアのディレーラーを装着するだけでは足りません。
私は50年ほど前、高校時代にいわゆる「軽快車」を購入しました。内装3段変速です。しかしすぐに飽き足らなくなり、改造を始めました。外装ギアのハブは内装ギアのハブよりも幅が広いので、普通に改造しようとするとリアフォークのハブ部間隔が狭くて改造不可能です。そこは、自転車屋に探してもらって適合するハブを見つけました。
さらに、外装用ギアはチェーンも異なりますので、チェーン交換です。チェーンが変わると、前後ともギアは変更後のチェーンに適合するギアである必要があります。

従って、小野田君のママチャリ改造に際しては、チェーンを交換しているはずです。それに対応してリアギアも交換しているでしょう。
また、フロントについても、アウターギアを1枚追加すれば良いというものではなく、インナーギアとクランクも交換しているはずです。インナーギアを交換するのであれば、インナーギアとして最適な歯数に変更することも可能ですが、そこはどうしたのでしょうか。

小野田君のママチャリには他にも謎があります。
リアの泥よけについているステッカーです。
「王立軍」
王立軍というと、最近聞いた記憶があります。調べてみたらわかりました。中国で、アメリカ領事館に飛び込んで亡命を求めた中国官僚でした。この事件を契機として薄熙来失脚事件に発展しました。
しかし、弱虫ペダルが漫画として登場したのは王立軍亡命事件(2012)よりも前のようですから、ステッカーの「王立軍」の意味が結局はよくわかりません。ネットでは、「王立軍人型兵器2号機」との記述がありますが、これは弱虫ペダルにしか登場しないアニメキャラなのでしょうか。
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岩瀬達哉著「パナソニック人事抗争史」

2015-04-26 11:46:25 | 趣味・読書
わが家には「松下神話」というのがありました。
「家電製品は、松下製を購入しておけば間違いない」という神話です。
松下電器(ナショナル、現パナソニック)製以外の家電製品を買うと、ある頻度で「外れ」をつかまされる可能性があるのですが、松下製だとなぜか「外れ」が少ない、という実感があったのです。
しかし最近は、わが家にはもはや松下神話はありません。最近は、パナソニック製といえども、ある頻度で「外れ」をつかまされた経験が出てきたからです。
ドキュメント パナソニック人事抗争史
岩瀬達哉
講談社

読んでいて恐ろしくなる本でした。
松下幸之助が一代で築き上げた、あの優良企業であった松下電器(今のパナソニック)が、社長・会長に人材を得なかったことが原因で、何十年にもわたって迷走を続け、今日の凋落を招いたというのです。その詳細がこの本の中に克明に記されていました。

あとがきによると、松下電器の役員OBに話を聞き、それまでの取材結果をもとに議論すると、かれらは「そういうことだったのか・・・」と幾度となくつぶやいたそうです。中枢にいた役員自身も、松下人事抗争史の全貌はつかめていませんでした。今回、著者の岩瀬氏が広汎に取材をすることにより、はじめて松下の経営実態が明らかになったようです。
今までは、役員OBたちは、組織を離れても守秘義務を守っていました。しかし、パナソニックがこれだけ経営危機に陥った現在、その真因を明らかにすべきだと考えて、岩瀬氏の取材に口を開き始めたのです。

長きにわたる迷走の種をまいたのは、あの松下幸之助その人でした。
松下幸之助氏の後、二代目社長は松下正治氏です。幸之助氏の娘婿でした。旧伯爵平田栄二の次男で東京帝大法学部卒といいますから、毛並みは最高です。
ところが、三代目社長山下俊彦氏となり、松下正治氏が会長の職に就くと、幸之助氏は正治氏の経営手腕を見限るようになりました。しかし幸之助氏は、娘婿である正治氏を自分では切れません。山下社長に「正治会長を引退させるように」と指示するのですが、山下社長はそれを四代目社長の谷井昭雄氏に申し送ってしまいました。
その谷井社長が正治会長に引退を勧告したのですが、その勧告の仕方が下手だったようです。正治氏は激怒し、その後は正治会長と谷井社長との抗争劇となりました。結局谷井社長が負け、さらに谷井社長の下で松下の将来を担うべく働いていた人材がことごとく退職していきました。その後長らく、正治会長と、正治会長に媚びを売る小物社長との組み合わせ経営陣が続くことになるのです。

5代目社長の森下洋一氏、6代目社長の中村邦夫氏、7代目社長の大坪文雄氏が、社長の器でないのに社長に就任した人たちでした。
本命の社長候補が他にいながら、森下氏が社長に選ばれたのは、おそらく正治会長の思惑からでしょう。そこから先は、松下(パナソニック)が経営危機に落ち込むまで、最適なトップ人事は結局なされずじまいでした。

4代目の谷井社長は、これからの松下が成長するための路線をいろいろと準備していました。ところが、谷井氏が社長を放り出して森下社長にバトンタッチすると、正治会長と会長に絶対服従の森下社長は、もっぱら谷井路線を全否定する政策のみに邁進しました。成長の種をことごとく潰してしまったのです。
テレビが液晶にとってかわろうとしていた時期、森下社長は「ブラウン管の時代だ」と叫んでブラウン管に経営資源を注ぎ込んだといいますから、あきれてしまいます。液晶の開発は減退し、優秀な技術者ほど、韓国企業に引き抜かれていきました。

6代目の中村社長は、上司に仕えることが上手で昇進した人で、「プロのサラリーマン」と揶揄されていたそうです。アメリカ時代に評価を落としてイギリスに左遷されていましたが、谷井社長が失脚すると、正治会長と森下社長のの引きで入れ替わりに取締役に就任しました。それからは黙々と森下社長に仕え、その苦労が報われて5代目社長となりました。
中村社長は、液晶とプラズマのうち、プラズマに賭けることにしました。中村社長は、量産によってコスト競争力をつければ、いまは負けていても、やがて液晶に勝てる日がやってくる、という考えでした。尼崎の第1から第3までの工場建設を続けました。中村社長は役員や社員に対しても恐怖政治をしき、都市伝説まで語り継がれたようです。「中村さんに嫌われたら会社人生は終わり」。そんな言葉が、標語のように伝搬していきました。

7代目社長に真面目でおとなしい大坪文雄氏が選ばれたのは、中村氏が院政を敷いて引き続き経営に君臨しようとしたからだろう、と言われています。大坪社長は、プラズマの投資戦略の失敗が明らかになった後も、何の見直しもしませんでした。大坪社長が尼崎第3工場建設を発表したのは、中村氏が社長時代に決裁したものでした。

中村氏は会長に退いた後も厳然とした影響力を発揮しましたが、その中村氏に対し、唯一、ずけずけものを言いながら排除されなかったのが、8代目の社長に就任した津賀一宏氏でした。
津賀氏は、55歳でAVCネットワークス社の社長に就任しました。同社は、テレビ、オーディオなど看板製品を製造する、ドメイン・カンパニーの中核企業でした。当時、すでに大敗を喫していたプラズマテレビは、限界利益を割って叩き売られていました。津賀氏は、中村会長と大坪社長にプラズマ工場の稼働停止を進言しました。それに対し、拍子抜けするほどあっさりとふたりは了承したのです。中村氏も、もはやプラズマは逆立ちしても液晶に勝てないことを理解していたのです。しかし「津賀君にしても、半年前に同じことを言ってれば、飛ばされていたはずです」と中村氏の元側近はいいました。

森下社長時代、あるいは中村社長時代、社長と差し違えるような実力と胆力を持った役員は存在しなかったのでしょうか。松下正治会長の影響力があまりにも大きかったのでしょうか。

松下電器(ナショナル、現パナソニック)ほどの超優良大会社が、トップ人事でこのような抗争を繰り広げ、それが20年以上も続くことになろうとは・・・。
そして、経営の神様と言われた松下幸之助氏が、後継者選びについてはこのように目が曇り、そして同族(娘婿)に対して甘くなり、会社を傾ける原因を作るに至るとは・・・。
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ピケティ氏と日本の格差

2015-04-12 21:09:54 | 歴史・社会
トマ・ピケティ氏が日本を訪れていた期間、日本はすごいピケティ・フィーバーでしたね。
私は経済の素養はないし、ピケティ本を読んでもいないのでよくわからないのですが、日経新聞の2月11日、12日の「経済教室」に掲載された記事は理解することができました。この記事に紹介された内容が、ピケティ理論の実像ではなかろうかと感じました。
記事を読んでから2ヶ月が経過してしまいましたが、やっと書く余裕が出てきたので、ここに記録します。

《格差を考える(上)  戦後日本、富の集中度低く》
森口千晶 一橋大学教授・スタンフォード大学客員教授
2015/2/11付 日本経済新聞
『「成長と格差」の問題は経済学の重要なテーマだ。成長は貧富の差を生み出すのか。持続的な成長はやがて格差を縮小させるのか。富の蓄積は革新の推進力か。それとも富の偏在は逆に成長を阻むのか。研究上の困難は理論を検証するための長期的データがないことだった。例えば、所得の不平等を示すジニ係数の算出に必要な大規模家計調査が始まったのは、先進国でも1960年代にすぎない。
そこに新風を吹き込んだのがトマ・ピケティ氏(パリ経済学校教授)である。彼は理論家でありながら、税務統計と国民所得計算から所得占有率という格差の指標を推計する方法を編み出し、自らフランスの歴史統計を駆使して新たな事実を明らかにした。
この方法は瞬く間に世界の研究者に広がり、現在では新興国を含む30カ国について同様の指標が推計されデータベースとして公開されている。同氏の革新的な手法によって富裕層に初めて分析の光が当たり「成長と格差」の研究は各国の長期統計を基礎とする実証研究へと大きく展開した。』

記事の中では、成人人口の上位0.1%の高額所得者を「超富裕層」と呼び、彼らの所得が総個人所得の何%を占めるかを示す「上位0.1%シェア」について、日本とアメリカの1890年から2012年までの推移をグラフで示しています。
記事とグラフはこちらのサイトで見ることができます。
第2次大戦前は、日本もアメリカも、超富裕層の所得が8%前後を占めており、「超富裕層の時代」でした。ところが、大変終了とともに上位0.1%のシェアは大幅に下がり、日本もアメリカも2%程度となりました。
アメリカはその後、1980年頃から上位0.1%シェアが増大しはじめ、現在は8%に至っています。従って、アメリカについては、「現在は超富裕層の時代だ」といって間違いありません。
一方日本は、最近じわじわと増大しているとはいえ、上位0.1%シェアは3%程度であり、アメリカの現実とは大きく乖離しています。従って日本については、高度成長期、低成長期、デフレ時代を通じて、超富裕層は生まれなかったと言っていいでしょう。
従って日本では、「格差」の問題は、超富裕層とそれ以外との間の格差ではありません。

《格差を考える(下)  対立避け社会の連帯を》
阿部彩 国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長
2015/2/12付 日本経済新聞
『日本でピケティ・ブームが巻き起こっている。1月末にはピケティ氏(パリ経済学校教授)本人の来日もあって、主要な新聞や経済週刊誌が軒並み「ピケティ特集」を組み、教授の顔写真がカバーを飾った。日ごろから格差や貧困を研究している筆者にとって、この降ってわいたようなブームには、喜ばしい半面、懸念される面も存在する。
まず喜ばしいこととしては「格差」が再度、是正しなければいけない社会問題として認識され始めたことである。かつて、日本でも格差の拡大が論争となったことがあった。1990年代後半から2000年代にかけてである。
・・・
そんななかで、ピケティ氏の著書は、消え入りそうな日本の格差論争を再び燃え上がらせる油の役割を果たしている。』
『そもそも、日本の富裕層への所得の偏りは、先進諸国の中では小さい方である。ピケティ氏自身のデータによると、日本のトップ0.1%の所得シェアは、確かに00年代以降は上昇傾向にあるものの、他国に比べると戦後ほぼ横ばいといってよいほどその上昇の度合いは小さい。
多くの論者が指摘するように、日本の所得格差の拡大は、富裕層の拡大というよりも、貧困層の拡大によるところが大きい。
所得が中央値の半分に満たない人の割合である相対的貧困率でみると、日本は1985年の12.0%から2012年の16.1%まで上昇した。』
記事とグラフはこちらのサイトで見ることができます。

日本における格差問題は、富裕層が儲けすぎているという問題ではなく、中間層から貧困層に落ち込む人たちが増えているという問題のようです。
この問題にどう取り組むのか。
阿部彩先生は記事の中で
『日本の財政の悪化や社会保障費の今後の増大を考えると、16%の貧困層への給付を拡大するには、富裕層からだけの再分配では十分ではない。富裕層や資産保有者の負担は、もちろん増加すべきであるが、ごく一部の人の負担増だけで貧困層への投資を充実させ、将来の世代への社会保障給付を維持することは不可能である。貧困の連鎖を止め、かつ社会保障制度の機能を維持するためには、中間層の人々を含めた負担増が欠かせないからである。』
と述べています。その通りでしょう。
その財源をどのように捻出するのか。「中間層による負担」とは、中間層からの税金をもっと増やす、ということに他なりません。私が思いつく唯一の方策は、「経済成長」です。成長によって余録を増やし、増えた余録を所得再配分の財源とする、それ以外には有効な方策は思いつきません。

私は3年前、『高橋洋一著「この経済政策が日本を殺す 日銀と財務省の罠」』の記事で「成長は百難隠す」の格言を挙げました。正しくは「成長は七難隠す」ですね。

また2009年11月には、相対的貧困率について相当に突っ込んで検討したことがあります(相対的貧困率データが意味するものは日本での相対的貧困率推移)。約5年前のことですが、今読み返してみると、我ながらよくこんなに突っ込んで検討したものだと感心します。次回は、この記事を再現してみようと思います。
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