弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

6月18日東電報告書(3)3号機

2011-06-29 23:04:13 | サイエンス・パソコン
東電が6月18日に公表した「地震発生当初の福島第一原子力発電所における対応状況について」のうち、今回は3号機について読み込んでみます。報告書の29ページから37ページまでです。

3号機は、地震発生直後から、交流電源を喪失しても圧力容器を冷却し続けることのできる機能(隔離時冷却系(RCIC))が作動し、津波来襲後もその機能が継続して生きていました。その後、12日11時36分に何らかの理由で隔離時冷却系がストップし、替わりに高圧注水系(HPIC)が起動しました。そして13日2時42分にこの高圧注水系がストップするまで、圧力容器内には十分な水が供給され続け、圧力容器内水位は常に燃料棒頂部よりも上にあったと評価されています(5月23日東電報告書(5)3号機)。
問題はその後です。
消火系ラインから消防車によって圧力容器内に淡水注入を開始したのは、13日9時25分です。2時42分から9時25分まで、実に6時間以上、圧力容器には冷却水が注入されないまま放置されました。この間に、圧力容器内の水位は急速に下がり、ついには燃料棒が全露出するに至りました。図3.3.1.1(5月23日東電報告書)から明らかです。
なぜ、淡水注入開始がこんなに遅れたのでしょうか。

地震発生以降、圧力容器内の圧力は主蒸気逃し安全弁(SRV)によって圧力調整され、7MPa(70気圧)程度に調整されています。消防車やディーゼル駆動消火ポンプは吐出圧力が低いので、このような高圧の容器内に冷却水を注入することができません。そのため、消防車などで冷却水を注入する際にはその前に、主蒸気逃がし安全弁を「開放」として圧力を1気圧近くまで下げる必要があります。
ところが、主蒸気逃がし安全弁を動作させるためには電源が必要ですが、既に1、2号機の計器復旧のために所内のバッテリーを集めた後であり、バッテリーの予備がなくなっていました。そこで発電所対策本部にいる社員の通勤用自動車のバッテリーを取り外して集め、中央制御室に運んで計器盤につなぎ込み、9時8分に主蒸気逃がし弁を開けて圧力容器の急速減圧を実施したというのです。図3.3.1.10(5月23日東電報告書)に圧力容器圧力の推移が記録されています。
6時間以上も3号機圧力容器に冷却水が供給されなかった最大の原因は、この主蒸気逃がし弁を開くことができなかった点にあるようです。
さらに、1~4号機側で使用できる消防車は1台しかなく、その1台はすでに1号機で使用中です。3号機では、5/6号機側との連絡通路について、土嚢の設置やガラ除去によって復旧に努め、やっとのことで5/6号機側にあった消防車を3号機まで運びました。また、福島第二で待機していた消防車1台を福島第一に移動して使用可能としました。
3号機はディーゼル駆動消火ポンプも保有していましたので、もし主蒸気逃がし弁の作動が消防車の到着よりも早かったとしたら、消防車到着までの間はディーゼル駆動消火ポンプで淡水を注入したことでしょう。
ホウ酸水注入系は高圧注水が可能であり、地震後に到着した電源車からホウ酸水注入系までの電源つなぎ込みが完成すれば注水は可能でしたが、度々の余震による作業中断・避難や劣悪な作業環境のため、復旧は間に合いませんでした。

13日9時25分に消防車による淡水注入を開始して以降、12時20分に防火水槽の淡水が枯渇し、13時12分に海水注入を開始しました。また、14日1時10分に海水源の逆洗ピット内の海水が枯渇したため消防車を停止、3時20分に再開しました。
14日11時1分に3号機原子炉建屋が水素爆発して海水注入中止。16時30分に海水注入を再開しました。

3号機の隔離時冷却系と高圧注水系がともにダウンしたのは13日2時42分です。このときまでに、主蒸気逃がし弁を作動させるためのバッテリーの収集が間に合っていれば、即座にディーゼル駆動消火ポンプを用いて淡水注入を開始することができたでしょう。それができず、6時間以上も冷却水が供給されず、燃料棒は全露出の状況にまでなりました。誰かがもっと早く気づいてバッテリー収集を開始するという機転を機転を利かせていたらなあ、と悔やまれます。
それがあって、さらに「十分な量の海水が注入される」という条件さえあれば、ひょっとしたら、3号機の建屋水素爆発も起こさずに済んだかも知れません。
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6月18日東電報告書(2)1号機

2011-06-27 21:41:06 | サイエンス・パソコン
東電が6月18日に公表した「地震発生当初の福島第一原子力発電所における対応状況について」に関しては、まず6月19日に、最初の5ページ(「被災直後の対応状況について」)の内容から、印象に残った部分を紹介しました

今回は1号機について報告書を読み込みます。報告書の6ページから17ページまでの部分です。

1号機の圧力容器に海水注入を開始したのは、3月12日の19時4分でした。その直後、管首相の指示で海水注入を中断したのしないのというすったもんだがありましたが、中断しなかったことが判明しています。
問題はそんなことではありません。1号機については、3月11日の津波来襲直後に、交流電源を喪失しても圧力容器を冷却し続けることのできる機能(非常用復水器)が作動不能に陥っており、それ以降は圧力容器に冷却水が供給されなかった、という結論が、5月23日の報告書で明らかになっています(5月23日東電報告書(2)1号機)。そして、地震発生後3時間には炉心が露出し、4時間後には炉心損傷が開始し、15時間後の12日朝6時頃には圧力容器が破損していた、というのです。
ですから、海水注入開始が12日の19時であったということが既に圧倒的に手遅れであったことになります。問題は、「なぜ海水注入をもっと早く開始できなかったのか」ということです。

地震発生直後から、海水注入を開始した12日19時まで、圧力容器冷却の進捗経緯を追っていくと以下のようになります。
11日17時12分には、発電所長が消火系ラインと消防車を使用した原子炉への注水方法の検討開始を指示しました。
上記指示を受けて、ディーゼル駆動ポンプを用いて注水する代替注水ラインを構成するため、暗闇の中、原子炉建屋にて弁を手動で開けました。ディーゼル駆動消火ポンプは17時30分に起動しました。しかし、翌12日1時48分にディーゼル駆動消防ポンプ停止を確認。修理を試みましたが再起動できませんでした。やむを得ず、消防車を用いた送水の検討を開始しました。

まずは淡水を消防車で注入する準備です。
水源としてのろ過水は、消火栓から水が噴き出して使用できない状況でした。他の水源として防火水槽を見つけました。
発電所内に消防車が3台配備されていましたが、1台は津波で故障、1台は5/6号機側に配置され、1号機との間の道路が分断されて使用不可でした。利用可能な1台を1号機近くに配備するにも、多くの障害がありました。津波で流されたタンクが道をふさいでおり、ゲートは電気がなく開けられません。通行可能な場所を探し回り、2~3号機の間のゲートの鍵を壊してゲートを開け、通行ルートを確保しました。

12日2時45分、圧力容器圧力が0.8MPa(8気圧)であることが判明しました。前日の20時7分には6.9MPa(69気圧)でしたから、知らないうちに圧力容器の圧が抜けていたことになります。後から考えれば、これは圧力容器の損傷を示す事象でした。一方では、消防車での注水がほぼ可能な圧に自然に下がっていたことになります。

12日5時46分、原子炉内に消火系ラインから消防車による淡水注入を開始しました。最初のうちは、防火水槽から消防車に水を汲み上げ、消防車を建屋よりに移動し、消防車を送水口に接続して圧力容器に注水し、消防車が空になったらまた防火水槽に汲み上げに行く、という作業を繰り返していました。おそらく、単位時間注水量は少なかったことでしょう。試行錯誤の上、防火水槽から原子炉までの連続注水ラインを構成して継続注水を開始しました。
14時53分に累計80トンの淡水注入を完了しました。
14時54分に原子炉への海水注入を実施するよう発電所長指示がありました。引き続き淡水を注入し続けながら、海水注入の準備を進め、15時30分頃、消防車を3台直列につなぐ注水ラインが完了しました。

その直後、15時36分、1号機原子炉建屋で水素爆発です。準備していた海水注入のためのホースが損傷しました。
建屋爆発後、現場待避、安否確認を実施し、さらに爆発で散乱した線量の高い瓦礫の片付け、損傷したホースの再敷設が行われました。
そして19時4分、消火系ラインと消防車を用いた原子炉への海水注入が開始したのです。

非常用復水器のみに頼るのではなく、別ルートで冷却水を圧力容器に注入しよう、という準備開始は11日17時の発電所長指示で始まりました。それ以降、12日19時に海水注入を開始するまでの作業経緯をたどってみると、交通が途絶した第1原発に配置されていた従業員でできる努力を尽くした、と言えるように思います。しかし、結果的には海水注入の開始が遅すぎました。
もっと迅速に、十分な量の海水注入を行うことはできなかったのでしょうか。

後からの解析では、1号機の非常用復水器は津波来襲時に機能を失っていたとされました。しかし当時は、その点は不明のままです。そして最大のポイントは圧力容器水位計の表示でしょう。
11日21時19分に水位計が復旧し、水位は燃料棒頂部より200mm上にあるという数値でした。こちらの図3.1.1(5月23日東電報告書)に1号機水位計の推移がグラフ化されています。オレンジ○と緑○が実測値です。12日6時頃まで、水位計のデータでは、燃料棒の頂部より上まで水があることになっています。東電の当事者にしてみれば、圧力容器内に十分な水が満たされている時点で淡水注入を開始したのですから、淡水注入開始時期としては決して遅くない、という実感だったことでしょう。それに対し、赤と黒の実線がシミュレーション結果であり、12日6時には水位が下がり、燃料棒の全体が露出していたというのです。
水位計実測値は、12日6時頃から下がり始めます。グラフ中に「注入開始(15時間後)」とあり、まさに消防車で淡水注入を開始したとたんに、水位計実測値では水位が下がり始めたというのです。どういうことでしょうか。
想像するに、淡水注入開始前において圧力容器内はほとんど空だき状態になっており、水位計は何らかの原因で機能せず、「燃料棒頂部よりも上に水位がある」という表示になっていたのでしょう。そして淡水が注入されて圧力容器内の環境が変化し、逆に水位が下がり始めた、という計測値になって現れたものと思われます。
そしてシミュレーションの前提においては、淡水注入を開始しても実際の水位は上昇しなかった、という想定になっています。さらに15時36分の建屋水素爆発の影響で、この時刻から海水注入を開始する19時まで、淡水も海水も注入されない状況となっていたことでしょう。

水位計の誤表示によって判断を狂わされたこと、そして12日15時36分に水素爆発が起こったことが、1号機の状況をここまで悪化させた主原因であるように思います。もちろん、消防車を1号機に配置して注水態勢を確立するのには種々の困難が伴っていましたから、これらの影響も考慮する必要があります。

ところで、やっとの思いで圧力容器海水注入を開始した12日17時の直後、官邸と東電本店との間では想像もできないやりとりがなされていたようです。その結果を受けて、東電本店はテレビ会議で現地に対し「海水注入を中断するように」との指示を出します。官邸と東電本店の間のやりとりは闇の中ですが、首相が「海水注入で再臨界が起きる心配がないかよく詰めろ」と激しく指示したのを側聞して独自に中断を指示したのか、それとも管首相が東電の連絡員を直接叱責したのか、どちらかでしょう。
しかし、今回の報告書で現地の活動推移を追っていくと、官邸と東電本店の動きがいかにバカげているかが良く分かります。現地の吉田所長が、本店の指示を無言で受け流して実際には無視する、という態度にもうなずけます。
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各地の放射能汚染の現状

2011-06-24 23:24:46 | サイエンス・パソコン
ダイヤモンドオンラインで坪井賢一氏の特別レポート「実態がわかってきた関東平野の放射能汚染 各地で空間放射線量の測定進む」を読みました。

まずは、群馬大学教育学部地学教室の早川由紀夫教授が、東北・関東の各自治体が観測した数値を集めたデータをもとにして地図上に表し、ブログで発表した放射能汚染図拡大図)を見てください。

現在の東北・関東地方における放射能汚染がどのように分布しているか、定量的かつ一目瞭然に整理されています。
テレビや新聞を見ているだけでは、このような情報にはなかなか接することができません。放射能汚染状況に関して、政府は「見える化」に逆行した対応で極力全体が見通せないような公表を行っており、テレビや新聞はその政府の姿勢を追認しているだけ、というのが現状なのでしょう。政府が率先して、群馬大早川教授が行ったような「放射能汚染地域の見える化」に取り組むべきでしょう。

首都圏について見ると、放射線量の地域的な頂点は千葉県柏市、流山市あたりで、ついで松戸市、茨城県守谷市です。東京都東部や茨城県南西部、千葉県北西部の数値が高くなっています。
テレビ番組で、千葉県の特定地域に在住の母親たちが神経質になっている映像を見ましたが、理由がわかりました。実際に放射線量が高いのですね。

それでは、地図に示された放射線量の地域に住んでいる場合、どのような生活をしたらいいのでしょうか。

年間20mSvという目標があり、ICRP(国際放射線防護委員会)が「2007年勧告」で緊急時の一般公衆の許容量下限(上限100mSv)として決めた数値であり、事故収束時の上限だそうです。そして、1日のうち屋内に16時間、屋外で8時間の生活パターンの場合、年間20mSvをクリアーしようとすると、屋外の放射線量が3.8μSv/h以下でなければならない、という計算結果があります。
しかし、年間1mSvというのが、ICRPが勧告して日本を含む各国が法制度化している「一般公衆の年間被曝許容量」だそうです。年間20mSvではなく、年間1mSvを目指すならば、3.8μSv/hも20で割らなければなりません。すると、0.19μSv/hという値になります。取り敢えず、放射能汚染図の薄緑部分は0.25μSv/h以上ですから、この領域に入っていたら、「年間1mSvを超えるかもしれない」との注意信号が発せられている、と理解すべきなのでしょう。
『このラインを超えているからといってあわてても仕方がない。今後、地域の局所的な汚染スポット(側溝、水溜り、雑草が繁茂している場所など)を集中的に計測して発見し、除染の方法を考えるとか、子どもの屋外時間を減らすなど、年間積算量を減少させることはできる。まずは地域のデータをつかんで、できることからはじめて今後の被曝量を減らそう。』
川口市においては、
『(1)0.31マイクロシーベルト/hを超えた場合、保育所・幼稚園・小中学校の屋外の保育、授業時間を3時間以内とする。(家庭生活も含め、屋外での活動を6時間以内とする)
(2)0.38マイクロシーベルト/hを超えた場合、屋外の保育、授業時間を2時間以内とする。(同様に屋外での活動を4時間以内とする)』
という基準を作成して公表しているそうです。

そして目を福島県内に向けると、福島市は2μSv/hを超える領域にすっぽりと覆われ、東側は4μSv/h以上にかかっています。この地域にお住まいの方々のご心配がよくわかります。
一方で、福島第一原発から20km以内の避難地域であっても、4μSv/h以下であって福島市よりも放射線量が少ない地域がずいぶんとあります。これらの地域については、避難指示を解除していいはずです。放射線量が低くても一律半径20キロで定めている理由について、以前官邸は、「いつまた原子炉からの放射能大量放散が発生するかわからないから」と述べていましたが、現時点ではそのような危険時期は過ぎ去った、と見て良いはずです。

管直人首相を頂点とする官邸と政府は、まず現実をしっかりと見極め、生活の指針を提示していくべきです。その際、いたずらに安全サイドに偏るのではなく、「東日本のわれわれは今後数十年、この放射能とつき合って行かざるを得ない」という覚悟を見せるべきです。自分の人気にしか興味のない現首相には無理かもしれませんが・・・。
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大前研一氏の提言

2011-06-23 21:18:35 | サイエンス・パソコン
週刊ポスト2011年6月24日号で、大前研一氏が貴重な発言をしています。

5月23日の衆議院委員会で自民党の谷垣総裁が「55分間の注入中断」について管首相の責任を追求したことに触れ、「果たして、今そんなことを論じている場合なのか?」として、現在の最重要課題2点について主張されています。

原発避難者の帰宅認めぬと毎月1兆円の賠償金発生
『今、政府が判断を迫られている問題は、原発周辺で暮らしていた避難者の帰宅可能エリアとタイミングを見極め、避難の必要性の乏しい住民の帰宅を認めることである。惰性で何となく避難生活を強い続けた場合、毎月約1兆円もの賠償金が積み上がっていくと思っていたほうがよい。そしてそれは結局、東電に賠償能力がない以上、納税者の負担として重くのしかかるのだ。』
大前氏は、避難者を帰宅される放射線量の基準について、上限を200ミリシーベルトに設定することが妥当だと考えています。
『その上で政府がやるべきは、各地の放射線量を正確に測って安全な場 所を見つけることだ。そして帰宅する住民に蓄積線量計を配り、目安の 半分の100ミリシーベルトに達したら報告してもらい、再び避難を希望 する人には援助の手を差し伸べる。そういうガイドラインを周知徹底すればよいのである。』

政府がこの決定をすれば、国民から非難囂々が発せられるでしょう。「それでも断行すべき責任が、政府にはあるのだ」というのが大前氏の主張と思われます。
今の官邸のやり方は、原発から20キロで機械的に円を描き、その内側については、福島市よりも放射線量が少ない地域であっても立ち入り禁止にしています。一方で、健康被害が懸念される飯舘村について避難が始まったのはつい最近ですし、飯舘村の周辺にあるホットスポットに対する対応がやっと始まろうとしているばかりです。

そして大前氏は、もはや福島第一原発で起きてしまったことをほじくり返しているときではなく、原子炉のことは吉田所長に任せて、首相としては二つの仕事に専念すべきだ、としています。

『第一は、前述したとおり、これ以上、無意味に納税者の負担を増やさないために、一刻も早く避難者を安全に帰宅させるための行動を起こす。そして彼らに万全のアフターケアをすること。』

『第二に、13ヶ月毎に定期点検で停止される原子炉が住民感情などで再起動できなくなっている問題を解決することだ。・・・たとえ政府が安全だ、と宣言しても信頼性がない。いかに国民の納得を得ながらストレステストに合格したものについては再起動するか』『今やこの二つが最優先で取り組むべき刻下の喫緊時であるということを、政治家もマスコミも理解しなければならない。』


全くその通りです。
大前氏が重要だとする上記2点については、どちらも、国民からの非難を覚悟しなければなりません。首相たるもの、日本国の将来のためには人気を落としてでもやらなければならないことがある。
現在の管首相は、自分の人気が上がりそうな政策にしか興味を示していません。われわれが最も問題視しているところはそこです。

まずはマスコミが、大前氏の意見に沿ったキャンペーンを実施しなければならないでしょう。
また、自民党も、たとえ人気が落ちると懸念されるとしても、上記2点については政府に要求すべきです。
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6月18日東電報告書(1)

2011-06-19 13:45:21 | サイエンス・パソコン
東電が、6月18日に「地震発生当初の福島第一原子力発電所における対応状況について」を公表しましたね。
この公表、朝日新聞6月16日夕刊の1面トップで『ベント・注水難航~水素爆発で設備破損/弁開放に1時間~福島第一 東電資料に詳細』としてスクープした記事が直接的な契機になっているのでしょうね。朝日記事については6月17日に「朝日新聞が入手した東電資料(ベント・注水難航)」として紹介したとおりです。

東電が今回公表した資料は41ページというボリュームです(福島第一原子力発電所 被災直後の対応状況について(PDF 661KB))。印刷して読み始めました。

まずは最初の5ページ(「被災直後の対応状況について」)の内容から、印象に残った部分を紹介します。

《電源車の手配》
津波でディーゼル発電機を含めて「全交流電源喪失」に陥った後、近隣から電源車を調達する努力をしましたが、交通渋滞などで現地に到着するのが遅れました。このとき、「なぜ東電は自衛隊のヘリコプターでの運搬をしなかったのか」という指摘がマスコミでなされていました。
この点について、今回資料の3ページ<電源車の確保>に「自衛隊による高・低圧電源車の空輸を検討するも、重量オーバーにより自衛隊・米軍による空輸を断念。」との記述が見つかりました。
初期の段階で自衛隊・米軍による電源車空輸を検討していたことが分かりました。
一方、自衛隊・米軍のヘリコプターでは重量オーバー、という点は理解できません。戦車も運べるヘリコプターが存在する中、電源車を空輸できないとはどういうことでしょうか。

《2号機への電源車のつなぎ込み努力》
タービン建屋に電源盤(M/C、P/C)というのがあるようです。津波の結果、1、3号機はM/C、P/Cともに全滅、2号機はM/Cは使用不可で一部のP/Cが使用可能であることが分かりました。そこで、2号機P/Cに電源車をつないで動力を確保する努力を開始しました。
電源車を2号機タービン建屋脇に配置し、タービン建屋大物搬入口から同建屋1階北側にあるP/Cまでケーブル200メートルを敷設することとしました。
建屋内のケーブルは太さ十数センチ、長さ200メートルで重量は1トン以上。通常なら機械を使用して相当の日数をかけて敷設するものを、社員約40名の人力にて急ピッチで敷設作業を4、5時間で実施した、とあります。
12日の15時30分頃、ケーブルのつなぎ込みと高圧電源車の接続が完了し、ホウ酸水注水系SLCポンプ手前まで送電したのですが、15時36分、1号機の水素爆発が起こりました。爆発による飛散物により敷設したケーブルが損傷、高圧電源車は自動停止です。

4、5時間の人海戦術による努力が無駄に終わったとわかったとき、社員たちの落胆はいかばかりだったでしょう。
この間の東電社員の奮闘努力、読んでいて感動しました。私も製鐵所現場の技術部門に長いこと勤務していましたから、事故対応時の現場の努力にはいつも頭が下がる思いでした。今回、昔経験した現場を思い出しました。

《1号機の圧力容器注水状況》
津波直後、直流電源で操作可能である非常用復水器について、弁開閉表示が確認できない状況がわかりました。15時50分には計装用電源が喪失し、原子炉水位が不明となります。
その後、一時的に直流電源が復活したためか、非常用復水器の弁開閉を示すランプが点灯し、MO-3A・MO-2Aが「閉」であることがわかったので、11日18時18分「開」操作を実施し、ランプが閉から開となるのを確認するとともに、蒸気発生を確認しました。
さらに18時25分に弁MO-3Aを閉とし、21時30分に弁MO-3Aを開とし、蒸気発生を確認しました。
東電が5月23日に公表したシミュレーション(5月23日東電報告書(2)1号機)では、11日18時過ぎにおける非常用復水器の上記弁操作については、「状況が定かではない」として採用されず、津波到達以降は非常用復水器が全く機能していなかったという前提で解析を行っています。
しかし、今回の報告によれば、一時的に弁開閉ランプが点灯し、弁操作を行ったらランプが「開」に変わった、というのですから、結構信頼のおける情報であるようにも思われます。

《2号機の隔離時冷却系(RCIC)作動状況》
津波直後、2号機隔離時冷却系の起動状況が不明となりました。
12日未明、当直院が運転状況について現場確認を実施しました。空気ボンベを含む完全装備のために手間がかかり、通常10分程度のところを1時間要しました。
隔離時冷却系の部屋は水が溜まり、長靴に水が入るので進めません。その結果、運転状態を確認できませんでしたが、計器ラックで原子炉圧力と隔離時冷却系吐出圧力を確認し、ポンプ吐出圧力が高かったことから隔離時冷却系は運転していると判断しました。
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循環冷却で水の放射能除去は必要か

2011-06-18 09:34:22 | サイエンス・パソコン
福島第一原発、高濃度汚染水の処理始まる
読売新聞 6月17日(金)20時22分配信
『福島第一原子力発電所で17日夜、汚染水の浄化処理システムが本格稼働した。
東京電力が発表した。敷地内に約11万トンたまった高濃度汚染水を処理し、放射性物質の濃度を10万分の1以下に下げる。1日1200トン、年内に20万トンの汚染水を処理する。細野豪志首相補佐官は記者会見で「(原子炉の)冷却機能が安定化する可能性がぐっと高まる、大きな一歩だ」と語った。
東電は18日、処理した水を原子炉に送る配管の水漏れなどを確認し、問題がなければ処理水を原子炉への注水に使い始める。原子炉から漏れ出た汚染水を浄化して原子炉に戻す、世界でも例のない「循環注水冷却」が実現する。
一方、処理の過程では、通常の原子炉水の100万倍の放射能を含む汚泥が約2000トン発生し、新たな課題を抱える。』

「溜まった汚染水の量は6万トン」といっていたのが4月はじめ(福島第一原発の現状は?)、それから2ヶ月が経過して現在は11万トンに増えたということになります。
そしてやっとのことで、循環冷却を始めることができるというわけです。本当に待たされました。

ところで、今回完成した浄化装置は、汚染水から放射性物質と塩分と油分を除去するといいます。上記記事のように、もっぱら放射能の除去能力が話題になっています。
しかし、放射能を除去する結果として、上記の記事にあるように、超高濃度の放射能を含む汚泥が2000トン発生するということです。
なぜ、放射能を除去してから原子炉に循環するのでしょうか。
4月17日原発事故最近の推移で私は
『「溜まっている汚染水は塩水だから戻せない」という理屈はわかります。しかしそれを言うなら、現在溜まっている汚染水の塩分濃度実績を公表して欲しいです。そして、「汚染水から塩分を除去する外付けの設備を3月○日にスタートして建造中であり、4月□日に設置予定である」というアナウンスをするべきです。今のニュースを見る限り、現在進行形で準備が進んでいるとはとても思えません。
「汚染水は放射能を持っているから循環できない」という理屈には承伏しかねます。もともと圧力容器から漏れ出た放射性物質なのですから、圧力容器に戻すことに何で問題があるのでしょうか。』
と書きました。

高濃度汚染水を循環冷却水として圧力容器に注入するに際し、高濃度汚染水が含有する塩分と油分のみを除去し、放射能は積極的には除去しない、という方法が正しいように思いますがどうでしょうか。
そうでないと、せっかく浄化装置で放射性物質濃度を10万分の1に下げても、圧力容器に注入してそこから排出されたとたんに元の高濃度汚染水に戻ってしまうのでは、まったく意味がないでしょう。

そして、循環冷却開始によって高濃度汚染水の増大を防ぐことができますが、減らすことはできません。そこで、今回完成した浄化装置で浄化した水については、循環冷却に用いるのではなく、低濃度汚染水タンクに貯蔵すべきでしょう。
塩分と油分を除去する浄化装置のみを通過した高濃度汚染水を圧力容器循環冷却に使用し、塩分と油分のみではなく放射性物質も除去する浄化装置を通過して放射性物質の低減した汚染水を低濃度汚染水タンクに移すことにより、高濃度汚染水貯留量が減少に転じます。

今までは、高濃度汚染水貯留量の増大を抑えるため、圧力容器への水注入量を合計で1日500トンに抑えていました。循環冷却が開始すると、注入量を増大することができます。その結果圧力容器温度が100℃以下に下がれば、「冷温停止」です。管首相退任の花道ができあがりますね。
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朝日新聞が入手した東電資料(ベント・注水難航)

2011-06-17 21:18:42 | サイエンス・パソコン
朝日新聞6月16日夕刊の1面トップに、
『ベント・注水難航~水素爆発で設備破損/弁開放に1時間~福島第一 東電資料に詳細』
という記事が載りました。asahi.comにも以下の記事があります。
ベント・注水に難航…福島第一の経過、東電資料に詳細
2011年6月16日15時0分 asahi.com
『東日本大震災で被災した東京電力福島第一原発で、全電源が失われた後に実施された原子炉格納容器のベント(排気)と、原子炉への注水をめぐる詳細な経緯が、朝日新聞が入手した東電の内部資料で明らかになった。原発を統括する吉田昌郎所長が、全電源喪失から1時間半後、炉心損傷などの過酷事故に至る恐れありと判断して指示を出したが、作業は思うように進まなかった様子が浮かび上がった。
 ・・・・・
東電は中央制御室に残っていたデータを分析し5月に結果を公表したが、ベントと注水の経過については、経済産業省原子力安全・保安院に報告したうえで、6月15日の会見で公表する予定としていた。しかし、複数の関係者によると、公表について官邸側の了承が得られず、会見直前になって見送られたという。
今回の資料は今後、福島第一原発事故の原因究明や事故対応を検証する「事故調査・検証委員会」にも提出される見通し。(板橋洋佳、西川迅) 』

記事の書きぶりからすると、朝日新聞が独自に入手した東電資料に基づいているようです。記者の署名には、6月4日に「水素爆発とベントの関係」で話題にした記事と同様、板橋洋佳記者の名前が挙がっています。

上記asahi.comの記事にはさわりの部分しか記述されていませんが、朝日の紙面では、1~3号機それぞれについて、東電資料を読み解いて細かく時系列で「そのとき何が起きていたか」を述べてくれています。

例えば1号機。
震災当日である11日午後4時半ごろには原子炉の水位など内部の様子が確認できない状況に陥り、福島第一原発の吉田昌郎所長は、過酷事故に至る恐れがあると判断。午後5時12分、過酷事故対策として設置した消火系配管や消防車を使った注水方法の検討開始を指示しました。
しかし、その夜には放射線量が上昇して原子炉建屋への立ち入りが禁止に。実際に消火系配管から淡水注入を始めたのは半日後の翌12日5時46分。淡水が底をつくと、午後2時54分には海水注入に切り換えるよう所長が指示しました。
しかし、午後3時半過ぎに1号機原子炉建屋で爆発が発生。爆発の影響で準備していた電源設備や海水注入用のホースなどが破損して使えない状態になりました。残念なことです。

2号機、3号機についても、上記1号機同様、福島第一原発の現場でどんな検討がなされ、どのように準備し、実際にはどのように経過したか、という点について時系列で記述されています。

気になるのは、朝日新聞の記事で述べているように、今回の記事で公表されたベントと注水の経過については、6月15日の会見で公表する予定としていたにもかかわらず、公表について官邸側の了承が得られず、会見直前になって見送られたということです。
官邸はなぜ待ったをかけたのでしょうか。
われわれは震災直後、「東電が海水注入やベントを渋る中、管総理の力で対策を推し進め、そのおかげで大惨事に至らなかった」という報道を耳にしていました。そのイメージと反する実態が明らかになるのを嫌ったからか、とうがった見方をしてしまいます。

また、朝日の板橋洋佳記者は、どのような取材ソースを持っているのでしょうか。
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5月23日東電報告書(5)3号機

2011-06-13 21:10:34 | サイエンス・パソコン
東電が5月23日に公表した「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所運転記録及び事故記録の分析と影響評価について」を読み解いています。

今回は3号機です。

主蒸気逃し安全弁(SRV = Safety Relief Valve)
原子炉隔離時冷却系(RCIC = Reactor Core Isolation Cooling system)
高圧注水系(HPCI)

原子炉で発生する崩壊熱を全電源喪失後でも冷却するシステムとして、福島第1の3号機では、2号機と同様、隔離時冷却系と高圧注水系が設けられていました。隔離時冷却系と高圧注水系はいずれも、圧力容器内の高圧蒸気の力によってタービンを駆動し、タービンに接続されたポンプによって圧力容器内に水を供給します。水源は復水貯蔵タンクまたは圧力抑制室内の水です。

《地震直後の3号機でわかっている事実》
地震発生の14時48分、主蒸気隔離弁が閉となって原子炉が隔離され、隔離時冷却系が手動起動されました。隔離時冷却系作動により圧力容器内の水位が上昇するため、水位を所定のレベルに維持する目的で、隔離時冷却系は何度か手動オン/自動オフを繰り返しました。
3月12日11時36分、隔離時冷却系が何らかの原因で停止します。これにより圧力容器水位が低下し、同日12時35分、高圧注水系が水位低下により起動しました。
高圧注水系も13日2時42分に停止しました。
同日9時8分に主蒸気逃がし安全弁を「開放」とし、圧力容器圧力を1気圧近くまで下げました。そして同日9時25分に消火系ラインからホウ酸を含む淡水注入を開始しました。13時12分に淡水注入から海水注入に切り換えました。
同日9時20分から格納容器ベントを開始し、3月20日まで断続的にベント実施の記録がされています。
3月14日11時1分、原子炉建屋が水素爆発しました。

この間、不思議な現象が起きています。
圧力容器圧力は、隔離時冷却系が動いている間、7MPa[abs]程度を維持しています。燃料棒の発熱で蒸気が発生するのに対し、主蒸気逃がし安全弁を圧力調整弁として働かせ、蒸気を圧力抑制室に逃がすことによって圧力を一定に保持しているのです。ところが、隔離時冷却系が停止して高圧注水系がスタートした直後、圧力容器圧力は急減して1MPa[abs](10気圧程度)に急減します。そして高圧注水系が停止したらまた、圧力は急上昇して元の圧力に戻るのです(図3.3.1.2.)。その同じとき、格納容器圧力は上昇するどころかこちらも圧力が低下しています(図3.3.1.3.)。
この不思議な現象を説明するため、東電報告書では、「高圧注水系(HPCI)の蒸気配管に漏洩があり、圧力容器内の蒸気が格納容器外へリークしたと仮定すると実績と良く一致する」と述べています。このような仮定を置いたシミュレーション結果が、図3.3.1.10、図3.3.1.11に示されています。圧力容器圧力(シミュレーション)は、高圧注水系作動中に急減少しており、一方で格納容器圧力はこの期間中は増加せずに一定値を維持しています。

この不思議な現象とそれを説明するための上記仮説については、以前新聞の一面記事にもなりました。
圧力容器の蒸気が格納容器外にリークしていたとされる時期は、3月12日12時半から13日2時42分までです。ちょうど1号機の建屋水素爆発が起きた時期ですね。われわれが1号機の水素爆発に目を奪われていたそのとき、実は3号機の圧力容器から発生する蒸気の全量が外に漏れだしていたというのです。半日以上にわたって。
しかしそうだとしたら、3号機建屋から蒸気の白い煙が舞い上がっているのが発見されて良さそうですが、そのような情報はあったのでしょうか。特に、70気圧以上の高圧蒸気が一気に抜けたとされるのは12日12時半、真昼です。(この段落 6/14 23:30追加)
この蒸気漏出は、放射能の放出を伴ったのでしょうか、それとも放射能放出は非常に少なかったのでしょうか。今回のシミュレーションにおいて、3号機の燃料棒露出が始まるのは、高圧注水系が停止した3月13日以降です。それまでは燃料棒は水中に浸漬していたという前提です。そのような状況であれば、圧力容器から漏出する蒸気には放射能はほとんど含まれていない、と仮定してよろしいのでしょうか。
たしか3月13日頃、双葉町から避難してきた人たちが放射能に汚染されているというニュースがありました。今までは、1号機水素爆発による放射能であろうと推定していたのですが、本当にそうなのか、3号機高圧注水系からの蒸気漏出も放射能汚染原因の一部になったのかどうか、その点が気になるところです。

高圧注水系が作動していた期間、本当に圧力容器内の水位は燃料棒上端より上にあったのでしょうか。図3.3.1.1によると、この期間は水位のデータがほとんど記録されていません。唯一、12日20時頃にデータがあるのみです。このデータは水位が高かったことを示していますが、本当にこのデータを信用して良いのかどうか。

高圧注水系が3月13日2時42分に停止して炉心冷却機能を喪失し、同日9時25分に消火系ラインから淡水注入を開始し、13時12分に淡水注入から海水注入に切り換えましたが、注入量は燃料棒を水で浸すには足りず、すぐに炉心損傷が始まりました。
そして、「注水量は、燃料棒の下端以下の水位が維持できる程度でしかなかった」とする【その2】の仮定のもとでは、「地震発生後66時間で圧力容器破損」という結論に至っており、この点では2号機と同様です。

「主蒸気逃がし安全弁を開放にして圧力容器内圧力を1気圧程度まで下げていたにもかかわらず、なぜ消防ポンプによる海水注入で十分な量の水を注入できなかったのか」という点については、2号機と同様、謎のままです。

1号機では、地震後18時間に格納容器にφ3cm相当の穴が開いての漏洩を仮定し、50時間後にφ7cmの穴が開いての漏洩を仮定することにより、格納容器圧力についてシミュレーション結果と実測値を一致させました。また2号機では、圧力抑制室付近で爆発音が聞こえて圧力が急減した時点で格納容器に穴が開いたこととしています。
それに対し3号機では、格納容器の破損は仮定の中に入っていません。そのことは、実際に3号機の格納容器が、少なくともシミュレーションの終期である3月18日までは、破損していなかったことの証左になるのでしょうか。図3.3.1.11にあるように、3号機は13日から15日にかけて何回もベントを行い、それが成功して格納容器圧力が都度低下したことになっています。それぞれのベント時の弁開度を、格納容器圧力実測値に合致するように決めているとしたら、実は格納容器に穴が開いていたかどうかをシミュレーション結果から推定することは困難と言うことになります。
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非常用復水器の動作メカニズム

2011-06-11 18:06:49 | サイエンス・パソコン
原子炉は、燃料棒の間に制御棒を挿入して核分裂を停止した後も、崩壊熱が発生し続けるので、水冷却を継続する必要があります。そして、全電源喪失時であっても冷却を継続できるようにする設備を備えています。
福島第一原発の場合、1号機は「非常用復水器(Isolation Condenser)」を用いています(こちらの図面)。圧力容器内の蒸気が非常用復水器に配管で導かれ、非常用復水器に溜まった水で冷やされて液化し、その水が圧力容器に戻る、という仕組みです。
福島第一原発2~6号機から撤去されたという「蒸気凝縮系」も、同じ原理であるようです。

最初に抱いた疑問は、「圧力容器内の蒸気を非常用復水器に導き、復水した水を圧力容器に戻すためには、循環ポンプが必要なのではないか」という点です。電源喪失時に作動するのですから当然電動の循環ポンプをおけないことはわかります。それではどのような駆動力で水が強制循環されるのか。

しばらくして気づきました。「非常用復水器の高さを圧力容器の水位よりも高い位置とすれば、自然と循環が始まる。」

① 圧力容器と非常用復水器とを遮断するバルブが開かれると、高圧の蒸気が非常用復水器に導かれる。
② 非常用復水器の配管内で高温の蒸気は周囲の水で冷やされ、凝縮して水になる。
③ 水が非常用復水器の配管内に溜まると、この配管内の水位は圧力容器内の水位よりも高い位置となるので、圧力のバランスが崩れ、非常用復水器の配管内の水が圧力容器に導かれる。
④ 非常用復水器の配管内の水が流下するので、また高温の蒸気が非常用復水器の配管内に導かれる。

多分、このような考え方でいいのでしょう。循環ポンプは不要で、ポンプ作動のための電源も不要です。

ただし、非常用復水器に溜まっている蒸気冷却用の水はどんどん加熱され、蒸発して失われます。この水がすべて蒸発した時点で、非常用復水器は機能を喪失します。福島第1の1号機で、燃料棒挿入直後からの崩壊熱を冷却し続けた場合、はたして何時間で非常用復水器の水が消滅するのか。

ところで、非常用復水器の図面によると、非常用復水器には「消火系より」という配管が用意されています。この配管が、「消防ポンプと接続することが可能であり、消防ポンプによって水を供給すれば常に非常用復水器内の水を補給することができる」という機能を持っているのであれば、何時間であっても圧力容器で発生する崩壊熱を冷却し続けられることとなります。
格納容器のベント弁や圧力容器に消防ポンプで注水する設備などは、過酷事故に備える「アクシデントマネジメント」の一環として、1990年代後半に追加した設備だそうです。この設備のおかげで、今回はどんなに助かったことか。
非常用復水器の図面に描かれている「消火系より」という配管も、ひょっとすると1990年代に追加された配管系かもしれません。
今回は、この配管系が活躍するチャンスはありませんでした。1号機の非常用復水器は、「溜まった水がすべて蒸発する」というタイミングの以前に、津波来襲直後に「弁が開かない」というアクシデントによって機能を停止していたらしいからです。

2、3号機の非常用冷却設備である隔離時冷却系は、津波後も3月14、13日まで機能を維持していました。バルブ操作電源が確保されていたものと推測されます。
それに比較して、1号機の非常用復水器のみが、なぜバルブ操作用電源を津波来襲時に喪失してしまったのでしょうか。バルブ操作用非常電源はバッテリーだと思われますが、1号機は建屋の地下にでも配置されていたのでしょうか。津波で水没してしまったのでしょう。そのため、バルブさえ操作可能であれば消防ポンプで海水を供給して永続冷却が可能である能力を有していながら、津波直後から冷却不能に陥ってしまったのでしょう。

1号機が消防ポンプによって圧力容器への淡水注入を開始したのは、12日朝の5時46分でした。しかしこのときすでに、炉心溶融を起こしていたのみならず、圧力容器の破損も起きていたというのです。海水注入の時期が遅かったのみではなく、淡水注入の時期も遅かったことになります。
誰も、津波襲来と同時に非常用復水器が機能を停止していたと気づけた人がいなかったのでしょう。
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特許法改正・みんなの党柿澤未途議員の国会質疑

2011-06-09 19:59:27 | 知的財産権
このブログ6月1日記事「特許法改正案 国会で可決」において、通りすがりさんから以下のコメントをいただきました。

《改正の審議とこのブログ (通りすがり) 》2011-06-02 00:57:45
『審議の過程を追っていましたら、2011年 5月27日経済産業委員会の柿澤未途議員の質疑内容の「シフト補正」の部分は、このブログの「特許法の改正の進捗状況」を種本に作られたようですね。衆議院TVを見て、びっくりしました・・・』

私は衆議院TVでもその発言をフォローしましたが、以下のように会議録も公表されました。

衆議院経済産業委員会の会議録議事情報一覧
第12号 平成23年5月27日(金曜日)
平成二十三年五月二十七日(金曜日)午前九時開議
 出席委員
  委員長 田中けいしゅう君
  相原史乃君 ・・・ 柿澤未途君 ・・・
    …………………………………
 経済産業大臣       海江田万里君
 政府参考人(特許庁長官) 岩井 良行君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 特許法等の一部を改正する法律案(内閣提出第四五号)(参議院送付)
 不正競争防止法の一部を改正する法律案(内閣提出第四六号)(参議院送付)

柿澤委員 ・・・
先ほど来、ダブルトラックですとか、さまざまな専門用語が飛び交っていて、私は通常、経済産業委員会を担当していませんので、本当にこの間、特許法を勉強するのが大変だったんですけれども、二〇〇六年の特許法改正で、シフト補正の禁止というのが導入されています。この特許法、本当に専門用語が多くて往生するんですけれども、このシフト補正というのは何かといえば、これは特許請求の範囲に記載された発明のポイントを変えてしまうというものであります。
現行の法律の条文を素直に解釈すると、これはいわゆる単一性の問題で、場合によっては、どんな補正を行ってもシフト補正に該当してしまうのではないか、こういう話もある。審査基準で法を緩く解釈して、ここはいいですよという、ある種のお目こぼしでしのいでいるなんという話もあるんですけれども、本来でいえば、こういう裁量的なやり方でシフト補正に該当するかどうかが決められるような実態があるとすれば、これは余り好ましいことではない、こういうふうにも思います。
 ・・・
特許庁としては、シフト補正と単一性について再検討を始められるというようなことも少し動きとしてあるやに聞いておりますけれども、二〇〇六年にこのシフト補正の禁止というのが行われて、それがもたらした影響についてどう見ているのかということをお伺いしたいと思います。

岩井政府参考人 お答え申し上げます。
  ・・・
一方で、御指摘がございましたように、このシフト補正の禁止につきましては、ユーザー側から、どの程度の補正であれば発明の内容を大きく変更しないものとして許されるのかという判断が難しいのではないかという御懸念や、厳格に運用されると発明を適切に権利化することが困難になってくるのではないかという懸念が今も示されておるということは、私どもも承知をしてございます。
  ・・・
しかしながら、今のような問題がございますので、具体的な事案の蓄積をしていくにつれ、特許庁といたしまして、効果と懸念の部分をよく調査いたしまして、まず実態の把握をした上で、必要があれば必要な対応をしていくというふうに考えている次第でございます。
----------------------

次に、このブログでの議論の経緯は以下の通りです。4月18日「特許法改正の進捗状況」に対して、同じ4月18日に通りすがりさんと私との間でコメントやり取りがありました(下記)。

《次の法改正は? (通りすがり) 》2011-04-18 01:17:09
『特許庁は、シフト補正と単一性の再検討を始めるようですね。(もっとも報告書が来年2月だと、審議会開催や、審査基準や法の改正は、いつになることやら・・・。奇しくも同じ3月11日に行われた、弁理士会特許委員会の審査基準改訂の要望もきっかけの一つ???)
次の法改正は、これなのでしょうか?
2011.4.15
発明の特別な技術的特徴を変更する補正及び発明の単一性の要件に関する調査研究についての一般競争入札公告

《シフト補正と単一性の法改正 (ボンゴレ) 》2011-04-18 21:44:50
『通りすがりさん、情報ありがとうございます。
次の法改正に向けて動き出しているのですね。
シフト補正と単一性の現行法については、条文に欠陥があると思っています。
請求項1に特別な技術的特徴がないと認定された場合、法律を素直に解釈すると、どんな補正を行ってもシフト補正になってしまいます。審査基準では法律を緩く解釈する「お目こぼし」で凌いでいますが、それは異常事態です。
お目こぼしと言うことは、「これでも大目に見てあげているのだ」ということで、ユーザーから見たら厳しすぎる運用でもそれを改善することができません。

ぜひ法改正して欲しいところです。』

太字のところを比較してみると、たしかに柿澤議員はこのブログのコメントをご参照いただいたように見えますね。取り上げていただき、ありがたい限りです。

私がコメントで述べた『請求項1に特別な技術的特徴がないと認定された場合、法律を素直に解釈すると、どんな補正を行ってもシフト補正になってしまいます』に関しては、このブログの「平成18年法改正説明会」(2006-07-23)で述べています。
『[特許請求の範囲]
請求項1:発明A
[明細書]
発明A
発明A’(Aを減縮した発明)
発明A+B(構成Aに構成Bを付加した発明)
(知りたい点)
請求項1の発明に新規性なし、との拒絶理由通知を受け、その拒絶理由については承服する場合に、①発明A’に訂正する補正は認められるのか、②発明A+Bに訂正する補正は認められるのか、という点です。

改正特許法17条の2第4項によると、
「補正前に受けた拒絶理由通知において特許をすることができないものか否かについての判断が示された発明と、その補正後の特許請求の範囲に記載される事項により特定される発明とが、第三十七条の発明の単一性の要件を満たす一群の発明に該当するものとなるようにしなければならない。」
とあります。
特許法37条と特施規25条の8によると、
37条の発明の単一性の要件を満たすためには、「二以上の発明が同一の又は対応する特別な技術的特徴を有している」ことが必要であり、「特別な技術的特徴」とは「発明の先行技術に対する貢献を明示する技術的特徴をいう」と規定しています。

上記の例で、発明Aは新規性が否定され、この点について承服しているのですから、発明Aには特別な技術的特徴がないことになります。
そうとすると、厳密に考えると、どんな補正をしても補正前の発明と補正後の発明とが37条の単一性の要件を満たすことはあり得ないではないか、ということになってしまうのです。

上記のような質問をした人がおられまして、それに対する特許庁の回答は、「シフト補正禁止の運用はあまり厳密にしないように」との方向付けもされているので、そのような方向で審査基準を作成していくことになる」というような回答でした。要するに現在のところはまだ何ともいえません。』

そしてその後、審査基準の案が2007年1月に発表になり、3月に審査基準が確定し、4月の出願からシフト補正禁止の適用を受けることとなりました。
請求項1の発明が特別の技術的特徴を有していない場合の取り扱いとしては、「請求項1に直列につながる下位の請求項については審査してあげる。ただし、補正ができるのは、『下位の請求項のうちで特別な技術的特徴が発見された最初の請求項、特別な技術的特徴が発見されなかった場合には最後の請求項に記載した事項をすべて含み、それにさらに限定を付加する場合のみに認められる』ということになりました。
これが「お目こぼし」です。昨日「お目こぼし」についてで記事にした、江戸時代のお代官様の裁量権が有する絶大な権力を思い浮かべてしまいます。

しかし、これでは窮屈すぎます。そこで、「これこれのような場合には上記のお目こぼしから外れるけれど補正を認めてほしい」という事例についてパブコメで意見を出したり特許庁説明会で質問したりしましたが、認めてもらえませんでした。
これが「これでも大目に見てあげているのだ」ということで、ユーザーから見たら厳しすぎる運用でもそれを改善することができなかった事例です。

その間のこのブログでの記事を以下にまとめておきます。
シフト補正禁止の審査基準案 2007-01-04
シフト補正禁止の運用 2007-01-06
シフト補正禁止の運用(2) 2007-01-08
審査基準案に意見提出 2007-01-23
新審査基準発表 2007-03-25
特別な技術的特徴 2007-03-27
審査ハンドブック 2007-03-29
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