弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

脳内物質の特性と日本人の気質

2016-11-13 11:48:36 | サイエンス・パソコン
11月12日の日経新聞に気になる記事が載りました。
「憲法と私 公布から70年」という連続もの?に脳科学者の中野信子さん(41)が「日本人気質、理解し議論を」という記事を載せています。

「脳内物質の特性からみると、日本には共同体意識が強く、よそ者や逸脱者を排除しようと攻撃する傾向の強い人が他国より多くいます。前例を覆したり、自ら意思決定したりすることを好まない遺伝的資質の人も多数派です。
集団になると、他人の顔色をうかがうあまり異論を言えなくなったり、逆に主張の強い人に引きずられて極端に過激になったりする現象が知られています。」

言われてみれば、「日本人の傾向」としては、確かにそのような傾向が感じられます。
そして中野氏によれば、そのような「日本人の傾向」は、脳内物質の特性によるというのです。そのような話を始めて聞いたので、びっくりしてしまいました。日本人に特有の脳内物質の特性とはどんなことなのでしょうか。

ネットで検索すると、主に中野氏の発言として引っかかってきました。
日本人はサッカーに向いてない?脳科学が解明する驚きの特性に原因が! 09/29/2014
(27日放送のテレビ東京『FOOT×BRAIN』「脳科学から看るサッカー上達法」脳科学者・中野信子氏が語る)
以下のような話が載っています。
《セロトニンの量と心配性》
セロトニンは、安心感をもたらし心身の安定に関与する神経伝達物質であり、将来の心配をしないで楽観的に物事をみたり挑戦していくという精神性の人、本番に強い人の脳の中でよく出ているといいます。
セロトニントランスポーターは、セロトニンの量を調節するタンパク質ですが、日本人はセロトニントランスポーターの機能が低く、セロトニン自体も少ない民族のため、心配性の人の割合が高いです。
心配性の人の割合は、欧米で45%以下、南アフリカは約28%なのに比べ、東アジアは約70%以上。特に日本は、約8割の人が心配性という”心配性大国”。

中野氏によると「人間の意思決定システムは、反射的に意思決定するXシステム(reflex)と、正確に計算して意思決定するCシステム(calculate)の2通りありますが、心配性な日本人は反射的に判断することにブレーキをかけ、正確性を最優先したCシステムに従おうとする。」といいます。

「世界で一番、準備や努力をする民族で、予測能力が高い」のも、日本人が一番貯蓄額が多いというのも、心配性によるものなのだそうです。
日本の鉄道が時刻表通りに運行されるのも同じです。

《ドーパミンと失敗を嫌う傾向》
日本人が失敗を嫌う理由は、「ドーパミンレセプターの機能が高いことにある」そうです。ドーパミンレセプター(受容体)は、神経細胞にありドーパミンと結合することによって情報を伝達します。受容体の機能が高いと満足しやすく(日本人)、低いと満足を感じにくく次々と刺激やリスクを求める(欧米人)ようになるといいます。
満足を感じにくい人の割合が、特に高い南米で40%、アジアは数パーセントで、日本人は1%未満なのだとか。そのため、チャレンジすることを嫌う、回避するという特性となり「日本人は、成功することが満足でなく、失敗しないことが満足」だそうです。
会議などで発言するチャンスを逃したり、自己主張出来ない人は典型的な日本人の脳で、南米の人は逆に「チャレンジしないことがストレス」になるのだとか。
---以上------

セレトニンと日本人の心配性、ドーパミンと日本人が失敗を嫌う傾向についてはわかりました。しかしこれでは、日経新聞の
「脳内物質の特性からみると、日本には共同体意識が強く、よそ者や逸脱者を排除しようと攻撃する傾向の強い人が他国より多くいます。前例を覆したり、自ら意思決定したりすることを好まない遺伝的資質の人も多数派です。
集団になると、他人の顔色を窺うあまり異論を言えなくなったり、逆に主張の強い人に引きずられて極端に過激になったりする現象が知られています。」
の説明にはなっていないように思われます。

また、「日本人はセロトニンが少ない民族」「日本人は心配性の割合が高い」というのは事実なのだと思いますが、ここでいう「心配性」というのはどのような評価なのか、セロトニンの多寡と直接関係している評価パラメーターなのか、という点が不明でした。

ネットで検索しても、中野信子氏の発言しか出てきません。まだ、中野氏のみが唱える少数意見に止まっているのでしょうか。

「本番に弱い」という点はうなずけます。私は、ピアノ発表会で演奏すると、普段の演奏の半分ぐらいの力しか発揮できません。「本番に弱い」です。恐らく、セロトニンの量が少ないのでしょうね。

ps 11/12 以下の記事を見つけました。やはり中野信子さんです。
◯脳のはなし#88 中野信子 #45 「インターネットの悪いところと、脳に与える影響」 #tbsradio #中野信子 2016年11月12日10:06
『オキシトシンの良い面と悪い面
日本人のマインドは、郷土意識が強い。「みんなと一緒」だということを心地よく感じる民族。共同体意識がとても強い。これはオキシトシンの良い面の表れ。オキシトシンの良い面は、仲間意識を強める効果。
逆に「炎上」は悪い面の表れ。オキシトシンの悪い面は、仲間ではない人を排除することを強める作用。
ネットはその両面が顕著に見える。』
コメント

「炉心溶融、使うな」東電社長が指示

2016-06-17 21:26:18 | サイエンス・パソコン
<福島原発事故>「炉心溶融、使うな」東電社長が指示 ◇第三者委が報告書
毎日新聞 6月16日(木)20時33分配信
『東京電力福島第1原発事故で、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の公表が遅れた問題で、東電の第三者検証委員会(委員長・田中康久弁護士)は16日、清水正孝社長(当時)が「炉心溶融」の言葉を使わないよう指示したとする報告書をまとめ、東電に提出した。指示は電話などで広く社内で共有していたと認定。首相官邸の関与については「炉心溶融に慎重な対応をするように要請を受けたと(清水氏が)理解していたと推定される」と指摘した。
・・・
清水氏の記憶はあいまいで、第三者委は当時の官邸にいた政治家には聞き取りを実施しておらず、「官邸の誰から具体的にどんな指示、要請を受けたかを解明するに至らなかった」としている。
東電は今年3月に弁護士3人による第三者委を設置し、経緯や原因を調査。事故対応に関わった社員約60人からヒアリングした。』

報告書の内容を、当時の時系列で並べ直すと以下のとおりです。
------------------------
2011年3月13日午後2時ごろ、清水氏らは官邸で菅直人首相、枝野幸男官房長官(ともに当時)らと会談。清水氏がその後、報道発表については事前に官邸の了解を得るように幹部に指示していた経緯があった。

14日午後8時40分ごろ、清水氏は記者会見していた武藤栄副社長(当時)に対し、社員を経由して「炉心溶融」などと記載された手書きのメモを渡し、「官邸からの指示により、これとこの言葉は使わないように」と耳打ちした。
------------------------

この内容は、当時、原子力安全保安院の記者会見をずっとフォローしてきた私の印象と合致しています。

このブログで今年2月、「炉心溶融の判定基準発見」として記事にしました。以下のとおりです。
2011年3月12日午後2時、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は、福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と会見で発表しました。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたことによります。
ところが、同じ12日、17時から始まった会見で、官邸との協議を終えた中村審議官の口ぶりは重かったのです。
「詳しいことについて、東京電力に確認できていないので何も申し上げられない」「(炉心溶融が起きているか)予断をもったことを申し上げるのは適当ではない」
ある記者は「これまでは今後の可能性も含めて詳しく説明してくれていたのに、まるで別人のようだ。何か官邸に言われたのか」といぶかしんでいました。

以上から、早くも3月12日の14時から17時の間に、原子力安全・保安院に対して官邸は、「炉心溶融とはいうな」ときつく言い渡していたことが目に見えるようです。
ですから、その翌日の13日午後2時に、東電の清水社長(当時)が官邸で会談すれば、官邸から同じことを言われていて当然です。

東電第三者委員会の今回報告を聞いて、当時の菅直人首相、枝野幸男官房長官はともに、「そんなこと言っていない」と憤激しているようですが、すべての証拠は、「そう言っていた」ことを物語っております。
コメント

炉心溶融の判定基準発見

2016-02-25 20:35:46 | サイエンス・パソコン
久方ぶりに福島原発事故関連です。

炉心溶融の判定基準発見 東電、3日後に公表可能だった
朝日新聞デジタル 2月24日(水)21時21分配信
『東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたが、その存在に5年間気付かなかったと発表し、謝罪した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。』

考えれば考えるほどアホらしい話です。
福島原発事故が発生した直後、日本中の原子力の叡知が注目していたはずです。そのような状況下、『社内マニュアルに気づいていれば「炉心溶融」と発表できた。気づかなかったので発表が遅れた。』との言い訳には唖然とします。叡知が結集しても出せなかった結論が、誰が書いたか解らないような一編のマニュアルの記述のみで出せるなんて。

当時、官邸・保安院・東電による言論統制は酷いものでした。「間接証拠に基づいて推論するとこのようになっている蓋然性が高い」といった議論は御法度です。「直接証拠が現れない限り、その事象は発生していない」という態度で終始していました。東電社員の誰かが今回見つかったマニュアルをその当時に引っ張り出したとしても、「そのマニュアルは根拠が不明確である」として一蹴されたでしょう。

事故発生直後の私のブログ記事を読み返してみました。

2011年3月12日福ちゃん!がんばれ!!
『昨日(地震発生日)の夜から、東京電力福島第1原子力発電所でトラブルが発生しているらしい情報が入ってきました。それも、付帯設備の火災などではなく、炉心に関連しているらしく、嫌な予感はしていました。
それが本日の午後3時、「爆発音が聞こえた。原発の1号機建家が鉄骨を残して外壁がなくなっている。」という報道です。またそれ以前から、冷却不足で燃料棒の溶融があったらしく、それが「炉心溶融」という不吉な言葉で報道されていました。
これは大変なことになった。スリーマイル、チェルノブイリ、チャイナシンドロームなどの映像が浮かびます。
何とか、最悪の事態を避けて解決して欲しい。
現地では、多くの専門家たちが叡智を傾け、不眠不休の努力をしているはずです。私にできることといったら声援を送るぐらいです。』

2011年3月23日原子力安全保安院はどうなっているのか
こちらの記事によると、地震発生翌日の12日、経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎・審議官が、「(1号機の)炉心の中の燃料が溶けているとみてよい」と記者会見で明らかにしたところが、菅首相が中村幸一郎審議官の“更迭”を命じたというのです。
「菅首相と枝野官房長官は、中村審議官が国民に不安を与えたと問題視し、もう会見させるなといってきた」(経産省幹部)
たしかに、福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」 保安院
『2011/3/12 15:30
 経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。』
という記事がありました。写真には『記者会見する経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(12日午後)』となっています。
しかし12日のこの発言、今になってみれば全然違和感がなく、だれもが「うん、その通り」と認める内容です。
どうもこのときから、官邸の圧力により、原子力安全保安院は真実をフランクに語ることをやめてしまったようです。
この点については、NB-OnLineの記事原子力保安院密着ルポ 「伝言ゲームの参加者が多すぎる」からも読み取れます。
『3月12日、17時から始まった会見で、官邸との協議を終えた中村幸一郎審議官の口ぶりは重かった。
「詳しいことについて、東京電力に確認できていないので何も申し上げられない」「(炉心溶融が起きているか)予断をもったことを申し上げるのは適当ではない」
結局、再度会見を設けることで記者側と合意。ある記者は「これまでは今後の可能性も含めて詳しく説明してくれていたのに、まるで別人のようだ。何か官邸に言われたのか」といぶかしんでいた。』
3月12日、14時の記者会見では「炉心溶融が進んでいる可能性」と率直に述べたのに対し、17時までの間に官邸から強い圧力がかかったのでしょうね。
そして中村審議官は更迭され、西山審議官が後を継ぎ、現在に至っているというわけです。』

原発事故発生の翌日である3月12日、保安院の中村幸一郎審議官はしっかりと炉心溶融の発生を確信し、その点を記者会見で述べていたのです。しかし、当時の管政権はこのような見解を押し潰してしまいました。

本日の新聞記事もどうかしています。5年前のことを忘れてしまったのでしょうか。よくも新聞1面でしゃあしゃあと、「マニュアルの存在に気づかなかったことが問題だ」などと述べられるものです。

《原発事故関連ブログ記事の目録》
xls-hashimotoさんが、東電福島原発事故調査 私説集の中で、私説0007 ブログ「弁理士の日々」の東電福島原発事故まとめとして私のブログにおける福島原発事故記事の目録を作成してくださっています。
コメント

Dropboxで問題発生

2014-12-31 18:11:33 | サイエンス・パソコン
私は、2010年頃からドロップボックス(dropbox)を使っています。
ウェブサイトからダウンロードしたDropboxをパソコンにインストールすると、「ドキュメント」の中に「My Dropbox」というフォルダができます。このフォルダにファイルを入れたりファイルを作成すると、ファイルはパソコン内のDropboxフォルダに移動し、Dropboxのサーバーにコピーされます。
別のパソコンで、同じDropboxのIDを設定すると、同じDropboxサーバーにあるファイルにアクセスして同期してくれます。そのため、同期したパソコンでは、いつも最新のファイルが表示されるという仕組みです。
このDropboxを使って、自宅と職場でファイル共有を実現しています。

最近、自宅のパソコンに入れたDropboxの動きが変です。
あるとき、Dropbox共有ファイルの一つを自宅パソコンで修正していたのですが、ふっとタスクトレイを見るとDropboxアイコンがありません。Dropboxが常駐していないのです。あわててDropboxを立ち上げました。
そのあとに気づいたのですが、まずいことが起きているかも知れません。そのファイルは期限管理のための大事なファイルなのですが、その日の昼間に職場で更新を行っています。ところが自宅では、その日の職場での更新を反映していない古いファイルを開き、自宅で更新してしまったのです。そこでDropboxが常駐していないことに気づいてDropboxを立ち上げたのですが、はたしてどのような「同期」が行われたでしょうか。最新のタイムスタンプは自宅のファイルですから、職場でその日に更新した内容が反映されずに同期した危険性があります。
どういうわけか、自宅のパソコンで再度同じファイルを開いてみたら、職場で更新した内容が表示され、何とか被害が出ずに済みました。

しかし、パソコン立ち上げ時にDropboxが立ち上がらないのは大問題です。そのことに気づかずに大事な共有ファイルを更新してしまうことが十分に考えられます。
その後の自宅パソコンの動きを見ていると、パソコン立ち上げ時にDropboxが立ち上がることと立ち上がらないことがあるようです。立ち上がらない場合の方が多いです。

そこで調査を開始しました。
タスクトレイのDropbox基本設定において、「システム起動時にDropboxを開始」にはチェックが入っています。
スタートアップフォルダーである
C:\Users\UserName\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\Startup
にも、Dropboxのショートカットがちゃんと入っていました。

次にネット検索してみました。私と同じ悩みを抱えている人は見つかったのですが、その人の質問に対して役に立つ回答はなされていませんでした。

仕方ないので、Dropboxのヘルプセンターで質問してみました。


ほどなくして、ヘンテコな日本語の返答メールが届きました。
応答者はVincentという人で、当方の日本語質問を機械翻訳し、それに英語で応答し、その英語の機械翻訳日本語でメールが来ているのです。日本語はわけがわからないので、英語版の要約を以下に示します。
Thanks for contacting Dropbox!
I've taken a look at your account, and there appear to be some issues with the Dropbox software currently installed on your computer. To ensure that the software is working correctly, I'd like you to do a complete reinstall to try to fix the problem. This will not affect or remove the files in your Dropbox folder.
Please save and quit all programs accessing files in the Dropbox folder, and then follow these instructions:

Windows:
1) Download the newest version of Dropbox by visiting the Dropbox website:
https://www.dropbox.com/install
2) Quit Dropbox:
3) Uninstall Dropbox:
4) When the uninstall finishes, please reboot your computer to ensure that the reinstall is complete.
5) Delete the Dropbox metadata folder:
- Open a Windows File Explorer (not Internet Explorer).
- Type %APPDATA% into the address bar (include the % percent signs).
- Delete the folder "Dropbox" from the results.
- Delete the folder "DropboxMaster" if you can find it in the results.
6) Start the installer downloaded from step #1.
7) When Dropbox has finished installing, please sign in and apply any Selective Sync settings you may have had prior to the reinstall during the sign in process. Your account will take a few moments to reindex the files and sync any pending changes.
If you have any additional questions, please let me know, and I’ll be happy to assist!
Regards,
Vincent

これって、最初にDropboxでトラブったときの解決策と同じです。
そこで、上記に従って実行してみました。
0)ドロップボックスフォルダー内ファイルを別のフォルダーにバックアップ
1)最新Dropboxをダウンロード
2)Dropboxを終了し、3)アンインストール
5)%APPDATA%\Dropboxフォルダーを削除
6)Dropboxをインストールし、7)サインイン

早速、問題が解決しているかどうか、確認のため「再起動」を何回も繰り返しました。最初の4、5回は問題なくDropboxが常駐したのですが、そのあと突然、再起動時にDropboxが立ち上がらなくなりました。問題再発です。その後も、再起動時にDropboxが立ち上がるとき、立ち上がらないときがあります。

そこで、
C:\Users\UserName\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\Startup
にDropboxショートカットが入っているかどうか確認したところ、何と、入っていないではないですか。
次に、手動でDropboxショートカット(Dropboxという名前)をスタートアップフォルダーにコピーしました。
しかし、問題は解決しません。スタートアップフォルダーを見に行ったら、手動で入れたはずのDropboxショートカットのアイコンが消滅しています。

考え込みました。ふっと思いついて、
C:\Users\UserName\AppData\Roaming\Dropbox\bin\Dropbox.exe
をドラッグ・ドロップして直接ショートカットを作成し、スタートアップフォルダーに収納してみました。名前は「Dropbox.exe - ショートカット」です。
するとどうでしょう。それ以降、100%確実に再起動時のDropbox立ち上げに成功するようになりました。
再起動のたびに、スタートアップフォルダーを確認しに行きます。するとあるとき、スタートアップフォルダー中にDropboxショートカットが2つできていることがありました。名前が違います。一つは「Dropbox.exe - ショートカット」で、私が作ったものです。もう一つは「Dropbox」という名前で、私が作ったものではありません。「なんだろう」と考えていたら、突然、その「Dropbox」という名前のショートカットが私の眼前で消滅しました。
「これか!」
今私が使っているDropboxは、スタートアップフォルダー中の「Dropbox」ショートカットを削除してしまうという問題をはらんでいるのかも知れません。そして、同じスタートアップフォルダー中であっても、名前の異なるショートカットであれば、削除を免れているということです。

さて、私の推理が正しいかどうか。しばらく使ってみて、問題が再現しなければ正解である可能性が高いといえるでしょう。
コメント

朝日「吉田調書」報道と第三者委員会見解

2014-11-16 18:37:09 | サイエンス・パソコン
朝日新聞が、入手した「吉田調書」に基づいて1面記事を最初に出したのが5月20日朝刊、「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割」でした。
私はこの記事に対し、5月26日のブログ記事『「吉田調書」と福島第2原発への退避』で意見を述べ、8月24日ブログ記事『「吉田調書」問題の推移』でも再コメントしました。

その朝日新聞社は9月11日19時半から記者会見を開き、5月20日の吉田調書をめぐる記事が誤っており、記事を撤回するとしました。同じ日、政府は吉田調書の全文をネットで公開しました。
私はブログ記事『「吉田調書」抜粋』で吉田調書の関連部分を抜粋するとともに、9月15日、『朝日5月20日記事顛末』で、5月20日記事と吉田調書を対比しました。その中で、5月20日記事のうち、私が「何を根拠にして記載したのだろう?」と疑問に思う部分を列挙しました。下記のうちで太線の部分です。

福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明~木村英昭 宮崎知己2014年5月20日03時00分
『吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。
とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。
午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」
』【第1部分】

葬られた命令違反 吉田調書から当時を再現
『そして、午前6時すぎ。衝撃音が緊急時対策室に響いた。吉田氏は白い防災ヘルメットをかぶった。
2号機の格納容器下部の圧力抑制室の圧力が「ゼロになったという情報」と「ぽんと音がしたという情報」が、中央制御室からほぼ同時に入ってきた。
2号機格納容器の爆発が疑われる事態だった。
計器を確認させると、格納容器の上部側の圧力は残っていた。吉田氏は「(格納容器が)爆発したということはないだろうな」と思ったが、圧力計が壊れている可能性は残るため、「より安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い」と考えた。
吉田氏は一方で、構内や緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していないという事実を重くみた。様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。
朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。吉田調書と同じ内容だ。命令の少し前に「6:34 TSC(緊急時対策室)内線量変化なし」と報告があったとの記載もあった。
』【第2部分】

私が接した情報の範囲内では、朝日5月20日記事中の上記【第1部分】【第2部分】を含め、
『様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。』
なる文章はとても生まれてきません。

朝日新聞は、単に謝罪して5月20日記事を取り消すだけではなく、取材陣はどのような証拠と判断に基づいてこのような記載に至ったのか、その点を詳細に調査し、われわれにわかるように明確に説明してほしいものだとして、9月15日ブログ記事を結びました。
---------------------------------
11月13日、朝日新聞は朝刊で、第三者委員会の見解を公表しました。ネットでは、朝日新聞社「吉田調書」報道 報道と人権委員会(PRC)の見解全文(1)~(3)として見ることができます。
私が疑問とした【第1部分】【第2部分】について、取材陣はどのような証拠と判断に基づいてこのような記載に至ったのか、委員会は解明したのでしょうか。以下に見解全文から拾います。
---------------------------------
上記【第1部分】について
《取材記者の弁明》
吉田氏は3月15日午前6時42分、緊急時は第二原発に退避するとの前夜からの計画を変えて、第一原発近辺にとどまるように所長としてテレビ会議で指示した。
これは、東電の内部資料や広報文書と合致している。第一原発の最高責任者としての発言であり、「命令」にあたる。
〈1〉時系列メモ(柏崎刈羽メモ)が、6時42分の欄に「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との吉田氏の発言を記録していること〈2〉東電本店が午前8時35分の記者会見で「一時的に福島第一原子力発電所の安全な場所などへ移動開始しました」と発表していることなどから、「近辺」か「構内」かの相違はあるが、裏付けられる。

《委員会の見解》
吉田調書を検討すると、〈1〉吉田氏の指示は所員に的確に伝わっていなかったのではないか、そもそも「第一原発近辺にとどまれ」との指示を発した態様には問題があるのではないか、さらには〈2〉そうした指示が妥当であったのか、という疑問が生ずる。
この時点(6時33分頃)までは、吉田氏は最低限必要な人員以外は第二原発に退避させることを考えており、それに基づいていくつもの指示を重ねていたとみることができる。ところが、6時42分、吉田氏はテレビ会議で、これまでと異なる内容の指示を発した。その時点では、すでに退避に向けた行動が始まっており、免震重要棟の緊急時対策室は騒然としていたと見られる一方、吉田氏は、周囲に対し、これまでの命令を撤回し、新たな指示に従うようにとの言動をした形跡は認められない。
鉄筋コンクリート造で気密性があり、高性能フィルター付きの換気装置を装備している免震重要棟以外に、より安全な場所を見いだすことは不可能だった。そして、さらに高い放射線を警戒して、「2Fまで退避させようとバスを手配した」状況なのに、第一原発構内やその近辺で、免震重要棟以外に、多くの所員が退避できるような「比較的線量の低い場所」があった可能性は低い。
合理性に乏しい指示だったともいえ、少なくとも極めてあいまいな指示が出たことになる。

上記【第2部分】について
《取材記者の弁明》
取材記者たちは、上記の記事について、吉田調書のほか、構内や緊急時対策室内の放射線量は爆発音の後でもほとんど上昇していないという事実、東電本店が2号機の格納容器が壊れていないと判断したことを主な根拠として、記事のように記述したと述べている。

《委員会の見解》
2面における吉田氏の判断過程に関する記述は、吉田氏の「第一原発の所内かその近辺にとどまれ」という「命令」から逆算した記者の推測にとどまるものと考えられる。
むしろ、吉田氏の語ったことと相違している。

【5月20日報道に至る経緯】
取材チームは、特別報道部に設けられ、1人の次長と2人の取材記者がチームを組んだ。
取材記者の1人(当時経済部所属)は、吉田調書全文の写しを昨年、独自に入手した。
別の取材記者(朝日新聞デジタルの専門記者であるデジタル委員で、報道局員を兼ねていた)とともに、分析を進めた。2人は事故発生直後から一緒に取材にあたり、連載記事のほか、東京電力のテレビ会議映像記録に関する複数の共同著作物などもあった。
吉田調書を入手した取材記者は今年1月に特報部に異動した。これを受けて特報部長は3月ごろ、次長の1人を吉田調書に関する取材・報道の担当デスクに指名した。
担当次長は吉田調書を瞥見したが、精読はせず、・・・
5月14日ごろ、記事を紙面に組み込む日が同19日とほぼ固まった。GE(編集部門の出稿責任者)は担当次長に吉田調書の閲覧を求めたが、担当次長は情報源が明らかになるので避けたいと述べたため、それ以上要求しなかった。
5月19日、その日の紙面の責任者である当番編集長のほか、出稿各部の次長、編集センターの各面担当次長らが出席した。テレビ回線をつなぎ大阪、西部、名古屋の各本社の当番編集長らも参加した。
東京の当番編集長はデスク会後、「調書を見せてほしい」と担当次長に要請した。しかし、秘密保持や調書自体が多量であることなどを理由に断られた。
《各関係部署からの疑問》
「『命令』ではなく、『指示』ではないか」
「『命令』より『指示』という表現が適切ではないか」「命令を無視して逃げたというより、命令の内容が十分伝わらなかったのでは」「待機命令を聞いていることの裏はとれているのか」「吉田氏は『命令』『撤退』という言葉は使っていないが、大丈夫か」
「現場は混乱していたのでは。現場の声を入れた方がいいのでは」
「命令違反」の横見出しが、所員を責めているように読めるので「書き換えるべきではないか」
これらの意見はすべて無視された。

《問題点》
第1に、秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのは2人の取材記者にとどまり、社内でその内容が共有されることがなかった。
第2に、19日時点でも、見出しや記事内容について多くの疑義が社内の各方面から出されていた。しかし、これらの問題提起はほとんど取り上げられることなく終わった。
第3に、自信と過度の信頼も影響している。吉田調書を入手し検討した取材記者たちは福島原発事故の取材に関しては自負があり、2人だけでの仕事にこだわり、他からの意見を受け付けない姿勢がみられた。その結果、専門性の陥穽(かんせい)にはまった。担当次長も局内で高い評価を受けていた。GE、部長らは、そうした取材記者2人と担当次長の3人のチームを過度に信頼し、任せきりの状態だった。部長とGEがその役割を的確に果たさなかったというほかない。
---------------------------------
私が問題とした【第1部分】【第2部分】について、取材記者たちの言い分は第三者委員会を納得させることができなかったことはわかります。
しかし、報告書から見る限り、取材記者たちの言い分は弱いですね。本当にこの程度の根拠で記事を書いたのでしょうか。もうちょっとしっかりした根拠を主張するものと思っていました。
ここは、第三者委員会の見解のみを公表するのではなく、取材記者たちの言い分をもっとしっかりと聞きたかったです。
もし取材記者たちが解雇されることにでもなったら、そのあとで本人たちが詳細を述べることになるのかもしれません。
コメント

内之浦宇宙空間観測所訪問

2014-10-06 22:37:57 | サイエンス・パソコン
9月19~23日、家族で鹿児島に旅行してきました。
19日(金)羽田から鹿児島へ飛行機で移動、レンタカーを借りてダグリ岬(志布志)へ
20日(土)ダグリ岬遊園地→内之浦宇宙空間観測所→根占→フェリー→指宿
21日(日)流しそうめん→鹿児島(城山)→西郷遺跡(城山周辺)
22日(月)鹿児島中央→はやとの風→吉松→しんべい→人吉→SL人吉→新八代→新幹線→鹿児島中央
23日(火)鹿児島→羽田

まずは、20日(土)に訪問した内之浦宇宙空間観測所です。

内之浦の市街を経て観測所に近づくと、突然道ばたにアンテナが現れます。説明によると、昭和41年(136MHz)、44年(400MHz)に設置され、62年度まで人工衛星の軌道決定に活躍したアンテナということです。国産初の人工衛星「おおすみ」の電波を最初に受信しました。
人工衛星追跡用自動追尾アンテナ
  
左:400MHz  右:136MHz            136MHz自動追尾アンテナ

人工衛星「おおすみ」の像も建っています。

おおすみ
人工衛星は銀色の円錐台の部分だけで、黒い球形部分は切り離されずについてきた最終段ロケットです。

アンテナのすぐ横に、コンクリート製の古い洞窟が開いています。
 
『米軍オリンピック作戦(志布志湾上陸)に備えた内之浦砲台跡
この洞窟は、昭和19年第二次世界大戦のときに米軍の志布志湾上陸を阻止するために造られた砲台跡です。
「この陣地の大砲は、もともと佐賀関町に本部のあった豊予要塞砲を取り外してきたものである。」「砲台構築を目的とした有明作業隊が来たのが昭和19年9月」「そしてこの作業隊は海蔵から高崎へかけての砲台陣地と志布志湾に浮かぶ2つの島に10センチ加農砲2問と12センチ砲2門を据えつける砲兵洞窟陣地を完成させると、20年3月中旬、・・・次の築城場所である佐多の伊座敷へ移動していくことになった。」』(説明板)

「オリンピック作戦」ですか。突然ですね。
昭和45年8月にもし終戦を迎えていなかったら、連合軍(米軍)は日本本土上陸作戦を敢行するところでした。最初は九州、続いて関東です。九州上陸作戦を米軍は「オリンピック作戦」と読んでいましたが、これは終戦後にわかることです。
この話になると、堀栄三著「大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)」を思い出します(こちらの記事)。
堀氏は日本帝国陸軍の情報参謀で、ルソンの山下奉文司令官の情報参謀を経て、昭和20年に大本営に転属になりました。大本営で堀氏らは、米軍の九州上陸作戦(米国名オリンピック作戦)を
「米軍の九州への使用可能兵力は15個師団、上陸の最重点指向地点は志布志湾、時期は10月末から11月初旬の頃」
と予測し、これが実にピタリだったようです。関東への第二次上陸作戦についてもピタリと当てます。
終戦後、堀氏は連合軍総司令部(GHQ)から呼び出しを受けました。行ってみると、「日本はなぜ米軍のオリンピック作戦をこれだけ正確に予測できたか。米国の暗号が解読されていたのではないか」という疑問に対する尋問だったのです。
ここ内之浦は、その志布志湾の一部なのでした。
洞窟の説明書きによれば、この砲台は、堀氏が大本営で米軍志布志湾上陸を予測する以前から着工されていたようです。

《内之浦宇宙空間観測所》
 
内之浦宇宙空間観測所施設配置図

観測所入り口で入場の受付を済ませ、レンタカーでそのまま場内に入りました。
 
34mφパラボラアンテナ

門衛所から入ると、まず糸川英夫博士の像と人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑です。やはり、内之浦にとっての最大のメモリアルは、糸川英夫博士と「おおすみ」なのでしょうね。糸川博士は、朝日新聞が掲載した記事が原因でバッシングを受け、東大を退官しました。おおすみの打ち上げ成功は糸川博士の退官後のこととなりました(糸川英夫氏生誕100年と朝日新聞)。
なお、内之浦に立つ糸川博士の銅像(下写真)も、博士の生誕百年を記念して平成24年に建立されたようです。
  
糸川英夫博士の像         人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑

さらに進むとKSセンターです。コンクリート製の大きな構築物があります。どうもこれがランチャードームのようです。
 
KSセンター(観測ロケット打ち上げ場)ランチャードーム

一度門衛所まで戻り、別の道を進んでM(ミュー)センターへ行きます。
《M(みゅー)センター》
ここは、小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げたM-V(ミューファイブ)の打ち上げ場でした。そして現在は、イプシロンロケットの打ち上げ場になっています。
 
左:ロケット組み立て室  右:発射装置

 
左:ロケット組み立て室 右:衛星整備室 奥に発射装置

 
発射装置

ロケットは、各段ごとにロケット組み立て室で組み立てられるのでしょうか。衛星本体は衛星整備室で整備されるのでしょうね。そして個々に組み立て室から整備塔に運ばれ、この整備塔で全体が組み立てられる、という段取りだと思われます。
上の写真で、高い鉄骨構造物(やや古ぼけている)が整備塔、ちょっとだけ見える赤い構造物がランチャー、右端のコンクリート構造物が発射台と思われます。整備塔で組み上がったロケットはランチャーにあずけられ、そのランチャーが整備塔側からコンクリート発射台側にくるっと回転し、コンクリート発射台の上にロケットが載置されるのでしょう。

「はやぶさ」を載せたM-Vも、イプシロンの1号機も、同じこの整備塔で整備されて大空へ飛び立っていったのでしょう。

 
M-V-1(ミュー・ファイブ・1)模型

内之浦宇宙空間観測所の滞在時間は、30分程度でした。
午前中はダグリ遊園地で孫たちを遊ばせ、途中の道の駅でゆっくり昼食をとりました。そしてこのあと、根占からの最終フェリー30分前に根占につこうとすると、内之浦の滞在時間が30分しかとれないことがわかったのです。
雨も降ってきました。それもあって、内之浦の見学はそれこそ駆け足で、屋外の施設を写真に撮るだけに終わりました。

続く
コメント

朝日5月20日記事顛末

2014-09-15 14:41:52 | サイエンス・パソコン
朝日新聞社が9月11日19時半から記者会見を開き、5月20日の吉田調書をめぐる記事が誤っており、記事を撤回するとしました。
翌12日朝刊「吉田調書をめぐる朝日新聞社報道 経緯報告」2014年9月12日05時00分
『朝日新聞は、「吉田調書」の内容を報じた記事の中で、福島第一原発の事故で所員が「吉田所長の命令に違反し、福島第二原発に撤退」と誤った表現をした経緯について、社内で調べました。これまでの調査の結果、取材が不十分だったり、記事に盛り込むべき要素を落としたりしたことが、誤りにつながったと判断しました。
■「命令違反し撤退」と、なぜ誤ったのか
◇所員に「命令」が伝わっていたか確認不足 少人数で取材、チェック働かず
吉田所長が所員に指示した退避について、朝日新聞は「命令」とし、「命令違反で撤退」という記事を書いた。この記事については、福島第一原発事故の混乱の中で所員の多くに「命令」が伝わっていたかどうかを確認できていないなど、取材が不十分だった。その結果、所員の9割が「所長命令に違反し、福島第二原発に撤退した」と誤った記事になった。
特別報道部を中心とする取材班は、入手した吉田調書の内容を検討する中で、2号機が危険な状態に陥った2011年3月15日朝の動きに注目。所員の多くが福島第二に移動したことについて、「吉田所長の命令に違反した」と判断した。
その主な根拠は、(1)吉田所長の調書(2)複数ルートから入手した東電内部資料の時系列表(3)東電本店の記者会見内容――の3点だった。
吉田所長は(1)で、所員に福島第一の近辺に退避して次の指示を待てと言ったつもりが、福島第二に行ってしまったと証言。(2)の時系列表には、(1)の吉田所長の「命令」を裏付ける内容が記載されていた。また、東電は(3)で一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めたと発表したが、同じ頃に所員の9割は福島第二に移動していた。』
---------------------------
「(1)吉田所長の調書」は、記者会見と同じ9月11日に内閣官房から公表されました。その中の、朝日5月20日記事に関連する部分について、先日このブログに掲載しました(「吉田調書」抜粋)。
「(2)複数ルートから入手した東電内部資料の時系列表」については、今のところ、5月20日記事にも記載された『朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。』しか目にしていません。
そして、この「東電の内部資料」については、11日の記者会見でも記者から繰り返し質問がされていました。
『杉浦取締役「入手した資料では原発ではない場所でもテレビ会議がモニターであって、テレビ会議を聞いた方がメモした中に第1原発の線量の低いところに退避とメモがあった」
記者「命令はあったとすれば、吉田所長の伝え方が悪かったのか、途中の人がきちんと伝えなかったのか-所内の問題があったという印象も残る。そもそも、命令があったと認定した根拠は何なのか」
杉浦取締役「少なくともテレビ会議システムで、吉田さんの『第1原発のところに退避するように』という音声というか、が記録されていますので、テレビ会議を聞いた人には命令はあったと考えています」
記者「命令を聞いた第三者に確認をしたのか。聞き取った他の原発でのメモだけが根拠なのか」
杉浦取締役「現時点ではそういうことです」
記者「命令を聞いたという職員の方の取材は行ったのですか。この点は大事なので確認させてください」
杉浦信之取締役編集担当「取材はしたが話は聞けなかったということです」
記者「1人も話を聞いていないのに記事にしたのですか」
杉浦取締役「はい」
記者「メモでは『線量の低いところに行きなさい』と言っている。さらに、吉田調書では『線量の低いところがなければ、第2原発に行きなさい』と言っている。これは条件付きではないか。命令はあったと断定すると(命令の)伝え方や部下の問題という印象が残るのではないか」
杉浦取締役「ご指摘の通りだと思います。最初の命令はあったと思っておりますが、そこから違反に結びつくかという吟味。混乱があったり、やむを得ない事情で第2原発に行った人まで違反としたことが過ちだった」
記者「今後、その辺りを含めてさらに事実解明をする計画は」
杉浦取締役「ございます」』

この「東電の内部資料」は、柏崎メモと呼ばれているようです。
『吉田調書以外に、朝日が「命令違反」の根拠にしたのは「柏崎メモ」といわれるノートだ。
福島第1原発事故時のテレビ会議映像が柏崎刈羽原発(新潟県)のモニターにもリアルタイムで流れており、それを所員が個人的に記したノートを朝日が独自に入手していた。ノートには、吉田氏の命令として「1F(福島第1原発)の線量の低い所へ待機」と書かれているという。』

(1)9月11日に公表された「吉田調書」、(2)東電の内部資料(柏崎メモ)、(3)東電の記者会見「一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めたと発表」のみから、5月20日の記事が書かれたということでしょうか。しかしそれにしては、5月20日の記事は、吉田所長の判断と決定事項を本人から聞いたかのように詳細に語っています。

5月20日記事のうち、私が「何を根拠にして記載したのだろう?」と疑問に思う部分を列挙します。下記のうちで太線の部分です。
福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明~木村英昭 宮崎知己2014年5月20日03時00分
『吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。
とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。
午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」


葬られた命令違反 吉田調書から当時を再現
『そして、午前6時すぎ。衝撃音が緊急時対策室に響いた。吉田氏は白い防災ヘルメットをかぶった。
2号機の格納容器下部の圧力抑制室の圧力が「ゼロになったという情報」と「ぽんと音がしたという情報」が、中央制御室からほぼ同時に入ってきた。
2号機格納容器の爆発が疑われる事態だった。
計器を確認させると、格納容器の上部側の圧力は残っていた。吉田氏は「(格納容器が)爆発したということはないだろうな」と思ったが、圧力計が壊れている可能性は残るため、「より安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い」と考えた。
吉田氏は一方で、構内や緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していないという事実を重くみた。様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。
朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。吉田調書と同じ内容だ。命令の少し前に「6:34 TSC(緊急時対策室)内線量変化なし」と報告があったとの記載もあった。』

吉田調書の内容について検討します。
「吉田調書」は、政府事故調査委員会ヒアリング記録として内閣官房で開示されました。
吉田調書はA4で400枚ということで、通読はあきらめました。朝日新聞9月12日には、吉田調書の抜粋が2面ぶち抜きで掲載されています。当の朝日が掲載するのですから、5月20日の問題記事が依拠した部分は全部抜粋しているだろうと考え、取りあえずはこれだけ読むことにしました。それと、朝日新聞デジタル『「吉田調書」福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの』というサイトに出てくる吉田調書抜粋も参照しました。背実のブログ記事(「吉田調書」抜粋)に掲載しました。
「吉田調書」の私が知り得た範囲(ブログ記事に掲載した範囲)では、以下の記述があります。

『保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した』
『2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた』(なお、この部分については、内閣官房が公表した吉田調書中の記載箇所がまだ確認できていません)

以上の調書内容からは、「2号機の格納容器が破損している可能性があり、これから大量の放射線が発生する可能性がある」として、退避を判断しています。「免震重要棟からの退避」です。1Fの構内で免震重要棟の中よりも安全な場所があったとは思えず、免震重要棟からの退避であれば2Fは適切な判断と思われます。
そして、「現時点で免震重要棟の内部は線量が上がっていないから、2Fまで退避する必要はない」と吉田所長が判断していたことを示唆する記述は、どこにも見つかりません。「これから放射線が上がるかもしれない」と危惧している所長が、「現在免震重要棟内の線量が上がっていないから2Fに行く必要がない」と判断するのはあまりに不可解です。
上記5月20日記事のうちで私が太線とした部分は、一体何を根拠に記述したのでしょうか。

2011年3月15日未明から早朝にかけての「退避行動」は、3つのフェーズがあります。
(1)関連会社の人たちが退避
    (吉田調書中「○質問者 そのときは、実際、協力企業さんたちは帰られたんですね。
           ○回答者 まず、廊下にいる人はほとんど帰ったと。)
(2)東電社員が(最少人数を残して)退避(2Fへ)
(3)中央操作室の運転員が免震重要棟へ引き上げ
    (吉田調書中「中央操作室も一応、引き上げさせましたので」)

当時、これらの情報が現場で錯綜していたはずです。(3)のつもりで1F緊対室でされた発話が、(2)のことだと間違って他所でメモされた、ということもあるかもしれません。
「中央操作室の運転員が免震重要棟へ引き上げ」は、「一時的に福島第一の安全な場所などに所員が移動を始めた」と表現することができます。

東電社員の待避先が2Fになったことについて、吉田調書の実際の記述は以下のとおりです。
『○質問者 あと、一回退避していた人間たちが帰ってくるとき、聞いたあれだと、3月15日の10時か、午前中に、GM(グループマネジャー)クラスの人たちは、基本的にほとんどの人たちが帰ってき始めていたと聞いていて、実際に2Fに退避した人が帰ってくる、その人にお話を伺ったんですけれども、どのクラスの人にまず帰ってこいとかいう。

 A 本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。

○質問者 そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。

 A 今、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。

 Q 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。

 A 線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に。(8月9日聴取)』

質問者の質問は、「退避先について」ではありません。「2FからGMクラスに帰ってきてもらった」ということです。従って、吉田所長の「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。」がどういう意図での発言なのか、いろいろな解釈があり得ます。

その発言を受け手の次の質問「所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。」と想像を交えて語ると、それに対する吉田所長の回答は質問者の想像を否定する趣旨と受け取れます。

なお、「最少人数を残して退避」と命じた後、退避した人の中から必要な人たちを呼び戻した点については、吉田調書で「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで」と発言しており、同じ吉田調書中の「放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ。」からは一難去った、と考えていたらしいことがうかがえます。

いずれにしろ、私が接した情報の範囲内では、朝日5月20日記事中の
『様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。』
なる文章はとても生まれてきません。

朝日新聞は、単に謝罪して5月20日記事を取り消すだけではなく、取材陣はどのような証拠と判断に基づいてこのような記載に至ったのか、その点を詳細に調査し、われわれにわかるように明確に説明してほしいものです。
コメント (2)

「吉田調書」抜粋

2014-09-13 22:55:30 | サイエンス・パソコン
(10月4日修正)
「吉田調書」をはじめ、政府事故調査委員会ヒアリング記録が内閣官房で開示されました。
吉田調書だけでA4で400枚ということです。ちょっと眺めたら、テキストではなくイメージファイルですね。検索もできないし、これを読み通すことにはならなそうです。2年以上前、政府事故調中間報告、国会事故調報告書では、それぞれ両面で4~5cmの厚さになる書類を印刷して読みましたが、そのときほどの逼迫感はもちろんありません。

朝日新聞9月12日には、吉田調書の抜粋が2面ぶち抜きで掲載されています。当の朝日が掲載するのですから、5月20日の問題記事が依拠した部分は全部抜粋しているだろうと考え、取りあえずはこれだけ読むことにしました。

しかし、朝日新聞の抜粋を上記内閣官房の公表書類と比較してみると、朝日の抜粋では微妙に抜けているところがありました。そこで、朝日の抜粋のうちで5月20日記事が関連する部分について、内閣官房の公表書類を補って以下に掲載します。

また、朝日新聞デジタル『「吉田調書」福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの』というサイトを見つけました。この中に出てくる吉田調書抜粋には、9月12日の朝日新聞記事に掲載された抜粋には出てこない部分があります。この部分が調書のどこに乗っているのかもわかったので(xls-hashimotoさん、ありがとうございます)、調書の記載順に則って並べ替えました(10月4日)。
以下で、「Q」「A」から始まる部分は朝日新聞の記事、「---」「吉田」から始まる部分は朝日新聞デジタルです。また「○質問者」「○回答者」で始まる部分は、内閣官房の資料から文字起こししたものです。

--------------------------------
朝日新聞デジタルに掲載された部分(その1)
2011/7/29 事故時の状況とその対応について (PDF:7,170KB) 56ページ

--- 2号機とは限らないんですが、3月15日の6時から6時10分ころ、その前後の話なんですが、このとき、一つは2号機の圧力抑制室の圧力が急激に低下してゼロになる。それから、このころ、何か。

吉田「爆発音ですね」

--- 音があったと。これは免震重要棟から聞こえたり、感じたりしましたか。衝撃なり音なりというのを。

吉田「免震重要棟には来ていないんです。思い出すと、この日の朝、菅総理が本店に来られるということでテレビ会議を通じて本店とつないでいたんです。我々は免震重要棟の中でテレビ会議を見ながらということでおったら、中操から、あのとき、中操にたまたま行っていたのかよくわからないですけれども、その辺は発電班の班長に聞いてもらった方が、記憶にないんですけれども、要するに、パラメーターがゼロになったという情報と、ぽんという音がしたという情報が入ってきたんですね。免震重要棟の本部席に」
 「私がまず思ったのは、そのときはまだドライウェル圧力はあったんです。ドライウェル圧力が残っていたから、普通で考えますと、ドライウェル圧力がまだ残っていて、サプチャンがゼロというのは考えられないんです。ただ、最悪、ドライウェルの圧力が全然信用できないとすると、サプチャンの圧力がゼロになっているということは、格納容器が破壊された可能性があるわけです。ですから保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した

--------------------------------
朝日新聞9月12日吉田調書の抜粋に載っている内容は、事故時の状況とその対応について 4がそれに該当します。
まずはそのうちの52ページです。
--------------------------------
《2号機について》
○回答者 そうです。これもどこで燃料入れて、水が入ったか、覚えていないんですけれども、その後、下がっているんで、やはり水が入ったと思うんです。水が入ったら、逆に、今度は、水が過熱した燃料に触れますから、ふわっとフラッシュして、それで圧力がぐっと上がってしまったという現象だと思っているんですけれども、また水が入らなくなる。そういう形で若干落ちてきて、そういう現象だと私は思っているんですけれども、解析をやってみないとわからないです。いずれにしても、かなりこれは損傷して、メルトに近い状態になっていると私は思っていましたから。

○質問者 14日から15日のかけての夜ですね。

○回答者 はい。

○質問者 そのときは、実際、協力企業さんたちは帰られたんですね。

○回答者 まず、廊下にいる人はほとんど帰ったと。

○質問者 当時ですと、
 Q 本部に詰められている東電の社員の方々いますよね。その人たちはどう。

 A 本部といいますか、サイトですね。免震重要棟。そのときに、■君(政府が名を伏せている)という総務の人員を呼んで、これも密(ひそ)かに部屋へ呼んで、何人いるか確認しろと。協力企業の方は車で来ていらっしゃるから……。うちの人間は何人いるか確認しろ。特に運転・補修に関係ない人間の人数を調べておけと。本部籍の人間はしようがないですけれどもね。使えるバスは何台あるか。たしか2台か3台あると思って、運転手は大丈夫か、燃料入っているか、表に待機させろと。何かあったらすぐに発進して退避できるように準備を整えろというのは、こんなところに出てきていませんが、指示をしています。

 Q それは、2号機とか4号機がああいう感じに、15日の6時になりますね。それよりももっと前にそういうふうにして。

 A ずっと前です。2号機はだめだと思ったんです、ここで、はっきり言って。

 Q それは3号機とかよりも2号機。

 A 3号機は水入れていましたでしょう。1号も水入れていましたでしょう。水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、何も冷やさないと、圧力容器の壁抜きますから、それから、格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから、チャイナシンドロームになってしまうわけですよ。今、ぐずぐずとは言え、格納容器があり、圧力容器、それなりのバウンダリを構成しているわけですけれども、あれが全くなくなるわけですから、燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころの話ではないわけですよ。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ。

 Q それで準備は一応、最低限の人間を残そうということで考えておられて、その後、すぐに退避というふうになっていないですね。

 A それは、水を入れに行ったわけですよ。水がやっと入ったんですよ。入ったという兆候が出たんで、そこで、水入ったというふうに喜んで、あとはずっと水を入れ続けるだけだということで、忘れてしまいました、はっきり言って、ここは忘れたいんだけれども、余りここの時間を取りたくないんですけれども、忘れてしまいましたけれども、やっと助かったと思ったタイミングがあるんです。(8月9日聴取)

(続いて、55ページから始まる部分です。)

 Q 3月15日の6時ぐらいに異変が生じて、最初は2号機の圧力が一気に低下していって、それから、衝撃音がしたということが合わさって、最初の報告のときは2号から報告が来て、2号であったんだろうという、この音と結びついてですね。その後、今度また4号の方という話も来るわけですね。しばらく人員が少なくなる。

 A バスで退避させました。2Fのほうに。

○質問者 このときというのは、例えば、さっきの引き続き爆発音というか、何があるかわからないから、しばらくは現場で作業とかはできないですね。ただ、注水の、例えば。

○回答者 それは、どちらかというとストップして何かしたかというと、周辺の放射線量だとか、そこをまずしっかり測れと。だから、何かあったと。何かあったから、まずは引き上げろと。一番重要なのは、放射線量が急激に増加する、格納容器が破れるということで急激に放射線量が上がるわけですから、それをまず確実に測定して連絡しろと。その値を見て、どう操作をするとか、次のステップを決める、こういうことですから、まずはそういう対応をした。

○質問者 その後、例えば、パラメータとか、要するに、何が起こったかと。

○回答者 中央操作室も一応、引き上げさせましたので、しばらくはそのパラメータは見られていない状況です。いずれにしても、まずは放射線量がどうかということで、それが大きく変化するようであれば、またそれは考えないといけませんし、まずはそこをしっかり見ましょうと。

○質問者 当時はこんなのがわかっていたのかどうか、定かではないんですけれども、これはどういう意味なんですか。3月16日のこの辺り、原子炉圧力がマイナス。

○回答者 データは、16日の1時ですね。2号機は、パラメータがわけがわからない状態になっていて、サプチェンがゼロからダウンスケールでしょう。圧力容器が、ドライウェルの方が高くて、サプチェンがそれより低い状態から、ドライウェルの圧力は残ったままサプチェンがゼロになって、それに引き続いてドライウェルの圧力がどんどん落ちてきた。水位はマイナスのままですね。炉圧も途中で変な値を出しているんで、逆に言うと、ここのプレークか何かによって、圧力計だとか、その辺の異常が起こったのかなと、こんなふうに思った。

○質問者 圧力計が仮に故障していなかったとして、圧力がマイナスの状態というのは考えがたい状況だというのがありますね。基本的にこれは圧力計が故障しているのだろうと、爆発の影響で。
 あと、一回退避していた人間たちが帰ってくるとき、聞いたあれだと、
 Q 3月15日の10時か、午前中に、GM(グループマネジャー)クラスの人たちは、基本的にほとんどの人たちが帰ってき始めていたと聞いていて、実際に2Fに退避した人が帰ってくる、その人にお話を伺ったんですけれども、どのクラスの人にまず帰ってこいとかいう。

 A 本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。

○質問者 そうなんですか。そうすると、
 Q 所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。

 A 今、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して。

 Q 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。

 A 線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に。(8月9日聴取)
--------------------------------
朝日新聞デジタルに掲載された部分(その2)
2011/11/6 事故時の状況とその対応について (PDF:4,233KB)30ページの真ん中より下

○吉田所長 そのときの免震棟の本部の状況を言いますと、あれは菅さんが来ていたときです。来ていたというのは、本店の方にですね。朝から待機するだとか、訓示を垂れるか何か知らないですけれども、テレビ会議をつないでやっているときに、私自身は音を聞いていないです。

○質問者 聞こえなかったですか。

○吉田所長 私自身は免震重要棟で、そのタイミングでの音を聞いていないんですけれども、運転の方から、2号機のサプチャンの圧力がゼロになったという話と、音の話が先に入ってきたんです゜音とサプチャンゼロという話が入ってきて、2号かどうかはわかりませんが、音が聞こえたという事実と、2号のサプチャンがゼロになったという話があったんで、一番危険なことを考えると、そのときにまだ4号機の情報が入ってきていませんから、2号機が格納容器が破壊されてゼロになったんではないか。そのとき、ドライウェルの圧力がまだあったんで、本店からすると、ドライウェルの圧力があるんだから問題ないだろうと。それは遠くにいるから思うんであって、音を聞いて、サプチャンがゼロになったら、危ないと思うのは当たり前でしょう。ドライウェルの圧力計などは、計器そのものがほとんど信用できない状態だったものですから、まず、それを中心に、最低限の人間は置いておいて、避難しないといけないと言った。
吉田「20~30分たってから、4号機から帰ってきた人間がいて、4号機ぼろぼろですという話で、何だそれはというんで、写真を撮りに行かせたら、ぼこぼこになっていたわけです。当直長は誰だったか、斎藤君か、斎藤当直長が最初に帰って来て、どうなのと聞いたら、爆風がありましたと。その爆風は3、4号機のサービス建屋に入ったときかどうか、そんな話をして、爆風を感じて、彼は入っていくか、出ていくかだったか、帰りに見たら、4号機がぐずぐずになっていて、富田と斎藤が同じだったかどうか、私は覚えていないんだけれども、富田と斎藤から後で話を聞いたら、ぼんと爆風を感じた時間と、2号機のサプチャンのゼロの時間がたまたま同じぐらいなので、どちらか判断できないというのが私がそのときに思った話で。だけれども、2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた
--------------------------------
(10月4日修正)
コメント (1)

「吉田調書」問題の推移

2014-08-24 18:08:37 | サイエンス・パソコン
朝日新聞が、入手した「吉田調書」に基づいて1面記事を最初に出したのが5月20日朝刊、「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割」でした。
朝日新聞デジタル 5月20日(火)3時0分配信
『東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。』

私はこの記事に対し、5月26日のブログ記事『「吉田調書」と福島第2原発への退避』で意見を述べました。
角田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」と朝日記事を対比しつつ、以下のように述べました。
『「吉田調書」の記述は、「門田著書」の記述とずいぶん異なります。
「誰が残り誰が退避するか」という混乱についてはどちらも共通します。一方で、「どこへ退避するか」について両者で大きな隔たりがあります。
門田著書では、吉田所長の発言の中に避難先についての指示は出てきません。一方、伊沢氏をはじめとして残った人たちの発言では、退避先はいずれも2F(福島第2原発)です。
そもそも、第1原発構内で線量の低いエリアなど存在したのでしょうか。第1原発構内で最も線量が低かったのは免震重要棟の中だったはずです。吉田所長による退避命令は、「重要免震棟からの退避」です。そう考えると、免震重要棟からの退避先として福島第2原発が選ばれたことは理にかなっており、さほど非難されるべきとも思えません。

実際、午前9時前後から構内の線量が急上昇し、11930マイクロシーベルトの最高値を記録したわけですから、このとき、第1原発構内の免震重要棟以外の場所で600人が待機していたら、やばかったんじゃないでしょうか。』

その後、私のブログ記事に対して8月14日にxls-hashimotoさんからコメントをいただき、以来、xls-hashimotoさんと私との間でコメント議論を続けてきました。基本的に、「640人は福島第二に退避して正解だった」という内容です。

ちょうどそのときです。産経新聞が「吉田調書」を入手し、8月18日に記事にしたのは。
産経新聞 2014.8.18 11:02
吉田調書 元所員「誰が逃げるものか」菅元首相の絶叫に反発』(2)
『 ◆第1の環境悪化
 午前6時14分ごろ、2号機の方向から爆発のような音が聞こえ、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったという報告が入った。格納容器破壊の懸念が現実味を帯び、複数の元所員によると、吉田氏は「各班は最少人数を残して退避」と命じ、班長に残る人員を決めるように指示、約650人が第2原発へ退避した。
 調書によると、吉田氏は「本当は2Fに行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、所内にかかわらず線量の低いような所に1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」と命令の行き違いがあったことを示唆している。朝日新聞は、吉田氏のこの発言などから「命令違反」と報じたとみられる。
 しかし、調書で吉田氏は「考えてみればみんな全面マスクをしているわけです。(第1原発で)何時間も退避していたら死んでしまうよねとなって、2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と、全面マスクを外して休息できる第2原発への退避が適切だったと認識を示している。』

吉田調書の内容について、上記産経新聞記事の記述から「前半」と「後半」に分けます。
朝日新聞の5月20日記事では、このうちの「前半」のみが掲載されています。私はてっきり、朝日新聞は「後半」の存在を知りながらそれを隠蔽し、結論をねじ曲げて捏造したのだと思っていました。

ところが、調べてみると、朝日新聞は紙面には書いていないものの、デジタル版(登録者のみ見られる)にはアップしていたようなのです。6月7日JCASTニュース「吉田所長の命令に違反して福島第二原発へ「撤退」 朝日新聞記事を、ジャーナリスト門田隆将氏が批判」には以下のように記述されています。
『朝日新聞は2014年5月20日に特集企画「吉田調書 福島第一原発事故、吉田昌郎所長の語ったもの」を新聞本紙のほか、デジタル版でも配信している。朝日新聞は、非公開になっている政府事故調の吉田氏へのヒヤリング記録、いわゆる「吉田調書」を入手、それをもとに記事を掲載した。
問題になっているのは、記事の中の以下の部分だ。
「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」(前半)
これに門田氏が2014年5月31日付けの自身の公式ブログなどで異を唱えている。生前の吉田氏に「ジャーナリストとして唯一、直接、長時間」のインタビューをした人物だ。調書の記述を読んでも「『自分の命令に違反』して『撤退した』とは、吉田氏は発言していない」と指摘する。
デジタル版には、3月15日に2号機が危機に陥り、約650人が退避したときのことを振り返る吉田氏の発言が掲載されている。
「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」(後半)』

このデジタル版を見れば、650人が福島第二に退避したことは何ら命令違反ではありませんし、最善の選択でした。
前半と後半を通して読めば、吉田所長は「(福島第二ではなく)福島第一とその周辺に退避せよ」とは言っていないし、事後的に「福島第二に行ったことは正しい」と述べているわけです。
朝日がいう「第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。」などという結論には間違っても到達しません。
後半部分を隠蔽してはじめてなし得る捏造結論です。ところが実は、朝日新聞は紙面では隠していたものの、デジタル版ではこの後半部分をちゃんと公開していたというのです。私はそのことに気づきませんでした。しかし、言論界はもちろん、デジタル版のこの記載に気づいていなければなりません。

ところが、デジタル版のこの公開を根拠にしてその点について反論したのは、この記事にも紹介した角田隆将氏のみのようです。「お粗末な朝日新聞「吉田調書」のキャンペーン記事2014.05.31」

朝日新聞の5月20日記事は、海外でもニュースになったようです。
産経新聞吉田調書 「逃げ出す作業員」「恥ずべき物語」朝日の記事、各国で引用
2014.8.18 11:09によると、
『外国の有力メディアは、「吉田調書」に関する朝日新聞の記事を引用し、相次いで報道した。韓国のセウォル号事故と同一視する報道もあり、「有事に逃げ出した作業員」という印象が植え付けられている。
米紙ニューヨーク・タイムズ(いずれも電子版)は5月20日、「パニックになった作業員が福島第1原発から逃げ出した」と報じた。「朝日新聞によると」という形で、記事では第1原発所員の第2原発への退避を「命令違反」だと報じている。
英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼ばれたわずかな“戦闘員”が原発に残り、ヒーローとしてたたえられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃げたのだ」と記した。
オーストラリアの有力紙オーストラリアンも「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた」と見出しにした上で、「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」と報じた。
韓国紙・国民日報は「現場責任者の命令を破って脱出したという主張が提起されて、日本版の“セウォル号事件”として注目されている」と報道。韓国で4月に起きた旅客船沈没事故で、船長が真っ先に逃げたことと同一視している。』

朝日新聞の捏造記事は、日本の誇りと国益をどれだけ損なったことでしょう。

「吉田調書」が来週にも公開されるようですね。
原発事故の「吉田調書」、来週にも公開へ
日本テレビ系(NNN) 8月23日(土)1時1分配信

角田隆将さんの最新ブログ
日本人にとって「朝日新聞」とは 2014.08.20」によると、吉田調書には以下のような記述もあるようです。
『吉田調書には、吉田さんが「関係ない人間(門田注=その時、1Fに残っていた現場以外の多くの職員たち)は退避させますからということを言っただけです」「2Fまで退避させようとバスを手配したんです」「バスで退避させました。2Fの方に」とくり返し述べている場面が出てくる。
そして、「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危機的な状況で現場に向かっていく職員たちを吉田氏が何度も褒めたたえる場面が出てくる。そこには、「自分の命令に違反して、部下たちは2Fに撤退した」などという証言は出てこない。』

「吉田調書」を非公開としていたことから、朝日新聞が調書のつまみ食いで捏造記事を公表する残念な事態となりました。朝日の捏造記事を受けて、海外の新聞では「原発所員が命令違反で逃げ出した」と紹介されたそうです。
こんなことになるのなら、調書を早く公開すべきだったでしょうね。
コメント (44)   トラックバック (1)

中沢弘基著「生命誕生」

2014-08-09 13:13:42 | サイエンス・パソコン
生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像 (講談社現代新書)
中沢弘基
講談社

この本を読み、さらに疑問が深まったので下の本も購入しました。

巽好幸著「なぜ地球だけに陸と海があるのか――地球進化の謎に迫る (岩波科学ライブラリー)」(読み終わりました)

丸山茂徳・磯崎行雄著「生命と地球の歴史 (岩波新書)」(ぱらぱらとめくったところです)

現時点で思うと、上記3冊を逆順で読んだ方がベターだったと思います。

さて、今回は上記のうち、中沢弘基著「生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像」です。
地球上に生息するすべての生命は、以下の3点で共通しています。
1.遺伝機能(アデニン、グアニン、シトシン、チミンの4種類の塩基からなるDNA)
2.代謝機能(mRNAの遺伝情報を読み取ってタンパク質へと変換するリボゾームを有している)
3.細胞を形成している。
すべての生物にこれだけ共通項が存在するということは、地球上に生息するすべての生物が、一つの祖先から分化し進化したものであろうと推測できます。

そして従来、生命誕生のストーリーとして、「地球外から隕石によってアミノ酸やタンパク質が供給された」「アミノ酸に富む太古の海で生命が誕生した」などが語られています。

これに対して中沢著の本書は、全く異なった生命誕生の仮説を提供してくれます。

A.43億年前  海が生まれる
 まだ大陸地殻は形成されておらず、地球表面全体が同じ深さの海洋で覆われていた

B.40億~38億年前 激しい隕石爆撃(後期重爆撃・現在の1000倍も激しく隕石が降り注いだ)
(1)衝突した隕石と海との界面では、超高温と超高圧で海水はおろか隕石も海底の岩石も蒸発する。隕石中に多量に含まれる鉄(Fe)も蒸発する。
(2)蒸発した金属鉄と水が分解した酸素とが反応して酸化され、蒸気流は水素過剰の強い還元状態になる。
(3)アンモニアが大量に形成される。
(4)蒸気流の冷却過程で、メタン、エタンやメタノール、エタノール、さらにはカルボン酸、アミンまでもが形成される。
(5)隕石や海底岩石の一部は、粒子状の粘土鉱物として海水中に分散している。
(6)蒸気流が冷却して雨として海に降り注ぎ、生成した高分子も海に含まれる。
(6-1)メタン、エタンなどの揮発性の有機分子は、光化学反応で酸化分解する。
(6-2)疎水性および非水溶性の有機分子は水の中の“油”として凝集し水面に浮上し、太陽光のX線や紫外線によって分解する。
(6-3)親水性でかつ粘土鉱物に親和的な有機分子は、海水中に分散する粘土粒子に吸着する。
(7)有機分子が吸着した粘土粒子は、相互に凝集して大型の粒子となり、海底に沈殿する。

C.海底深く堆積した堆積物中で、有機分子が高分子化する。
 (地下を模した高温・高圧の検証実験では、グリシンの11量体が合成された)

D.さらに堆積物の粘土鉱物の小胞中で、高分子化した有機分子が“酵素やRNA/DNAの片鱗”まで進化する。

E.生命機能の発現の“最終段階”で、生命現象の最も特徴的な代謝機能や遺伝機能の発現に至った。

このメカニズムは、生命が有する不思議「生物有機分子はなぜ水溶性で粘土鉱物親和的か」という疑問にも答えてくれるものです。「たまたま水溶性で粘土鉱物親和的な有機分子が海底に沈殿してサバイバルし、生命誕生の糧となることができた」

さて、この本を読んだあとにいろいろネットで調べてみました。今から40億年ほど前に、海洋の誕生と隕石の後期重爆撃とがあったことは確かなようです。ただし、隕石後期重爆撃と、地球全体が海洋に覆われる時期のどちらが先か、については諸説あるようです。
中沢説のように、「海洋が形成されてから後期重爆撃があった」との前提に立てば、上記B、Cのメカニズムは十分にあり得たようです。

その後のD、Eについては、まだ闇の中です。
海底では、堆積物の粘土鉱物の小胞中で、高分子化した有機分子が“酵素やRNA/DNAの片鱗”まで進化した(D)としても、そのままでは成長も遺伝もせず、時間の経過とともに分解するのみでしょう。
一方、全地球的に、“小胞中における進化”はそこここで何兆回、何十兆回と起こっていたはずです。DNAによる遺伝機能発現と、RNAからタンパク質を合成するリボゾームの発現がそれぞれ別々の小胞で起こったとしても、それだけでは生命誕生に至らないはずです。
その中で、たった1カ所、DNAによる遺伝機能発現と、RNAからタンパク質を合成するリボゾームの発現が同じ小胞内で起こったとしたら、それこそ生命の誕生です。そのたった一つの生命体は、代謝と遺伝(複製の製造)をくりかえし、やがて全地球のすべての生物の祖先となった、ということになります。

さて、中沢説はまだ「仮説」の段階にあるようですが、今後研究はどのように進捗するのでしょうか。
コメント