今、学校がどのように変質してきたのかが話題になっています。文藝春秋12月号でも特集されています。文藝春秋は小中学校が話題の中心ですが、日経新聞11月27日朝刊にも教育についての寄稿文が掲載されています。興味深い記事だったので、忘れないように挙げておきます。
河合塾河合文化教育研究所主任研究員の丹羽健夫氏によるものです。予備校から生徒を見ていると、学校で起こっていることが手に取るようにわかるのだそうです。
ここでの論点は、第二次ベビーブームの影響による高校の変質です。
第二次ベビーブームの前、
「それまでの高校は大学入試問題の解法などあまり気にすることなく、教科の本質を教えていた。『なぜこの教科はこの世に存在するのか』『どんな人がこの教科の構築に寄与したか』『私(先生)はなぜこの教科に惚れたのか』『ほら、この教科はこんなに美しいじゃないか、面白いじゃないか』・・・
当時の予備校はこのような教育を受け、受験的には無垢で、それでいて教科の本質に触れ、教科に畏敬の念さえ抱き学習意欲満々の生徒達に、入試問題の解法を教えることができる、という醍醐味を味わっていたのであった。」
第二次ベビーブーム
「18歳人口が増加すると大学入学率は下がり始める。80年には71%であった入学率は、90年には62%までダウンする。この事実は高校を直撃する。」
PTAや教育委員会から突き上げられます。
「教室は意味が分かろうが分かるまいが、正解ひねり出しのための記憶ドリルの作業場に変化を始める。」
予備校でも、安直に受験勉強に役立つ授業のみを生徒が要求するようになります。
「一般論ではあるが第二次ベビーブームが高校の教育が受験合理主義に走ることを決定付けた。」
92年を境に18歳人口は急減を始めます。
生徒数が減り始めれば、高校の教育も元に戻るだろうと予測していたのに対し、高校の受験合理主義は相変わらず続いていました。なぜだろうか。
知り合いの高校の先生に聞いてみたところ、『人間いったん易きについてしまうとなかなか抜け出せないものなのだ。それに指導体制も一人でも多くの大学合格者獲得というはっきりした目標があった方がまとまりやすい。だから授業もカリキュラムも受験合理主義から抜け出せないのだ』という返事でした。
「2002年から始まった学校完全週五日制、およびそれに続く総合的学習の時間の導入による教科の授業時間の減少は、受験合理主義を窮地に追い込む。」
必修科目の履修漏れは、必然だったというわけです。
「高校よ、道は険しいけれど、かつてのように生徒を教科の授業の中で感動させ、学習のおもしろさに魂を揺さぶられる授業を取り戻してほしい。受験的に無垢で、教科の教養を身にまとった生徒を、予備校に送ってほしい。」
---以上---
これがすべてではないだろうけれど、観察結果に基づく一つの考察ですね。
ただし現在の高校教育の姿は、第二次ベビーブームを経由してきた影響のみならず、小学校中学校の教育の変遷に起因する生徒の変質の影響をも色濃く受けていると思います。高校の先生が元の教育に戻そうと努力しても、生徒自身が以前の生徒とは変質してしまっていますから。
その点については、文藝春秋の記事から拾っていきたいと思います。
河合塾河合文化教育研究所主任研究員の丹羽健夫氏によるものです。予備校から生徒を見ていると、学校で起こっていることが手に取るようにわかるのだそうです。
ここでの論点は、第二次ベビーブームの影響による高校の変質です。
第二次ベビーブームの前、
「それまでの高校は大学入試問題の解法などあまり気にすることなく、教科の本質を教えていた。『なぜこの教科はこの世に存在するのか』『どんな人がこの教科の構築に寄与したか』『私(先生)はなぜこの教科に惚れたのか』『ほら、この教科はこんなに美しいじゃないか、面白いじゃないか』・・・
当時の予備校はこのような教育を受け、受験的には無垢で、それでいて教科の本質に触れ、教科に畏敬の念さえ抱き学習意欲満々の生徒達に、入試問題の解法を教えることができる、という醍醐味を味わっていたのであった。」
第二次ベビーブーム
「18歳人口が増加すると大学入学率は下がり始める。80年には71%であった入学率は、90年には62%までダウンする。この事実は高校を直撃する。」
PTAや教育委員会から突き上げられます。
「教室は意味が分かろうが分かるまいが、正解ひねり出しのための記憶ドリルの作業場に変化を始める。」
予備校でも、安直に受験勉強に役立つ授業のみを生徒が要求するようになります。
「一般論ではあるが第二次ベビーブームが高校の教育が受験合理主義に走ることを決定付けた。」
92年を境に18歳人口は急減を始めます。
生徒数が減り始めれば、高校の教育も元に戻るだろうと予測していたのに対し、高校の受験合理主義は相変わらず続いていました。なぜだろうか。
知り合いの高校の先生に聞いてみたところ、『人間いったん易きについてしまうとなかなか抜け出せないものなのだ。それに指導体制も一人でも多くの大学合格者獲得というはっきりした目標があった方がまとまりやすい。だから授業もカリキュラムも受験合理主義から抜け出せないのだ』という返事でした。
「2002年から始まった学校完全週五日制、およびそれに続く総合的学習の時間の導入による教科の授業時間の減少は、受験合理主義を窮地に追い込む。」
必修科目の履修漏れは、必然だったというわけです。
「高校よ、道は険しいけれど、かつてのように生徒を教科の授業の中で感動させ、学習のおもしろさに魂を揺さぶられる授業を取り戻してほしい。受験的に無垢で、教科の教養を身にまとった生徒を、予備校に送ってほしい。」
---以上---
これがすべてではないだろうけれど、観察結果に基づく一つの考察ですね。
ただし現在の高校教育の姿は、第二次ベビーブームを経由してきた影響のみならず、小学校中学校の教育の変遷に起因する生徒の変質の影響をも色濃く受けていると思います。高校の先生が元の教育に戻そうと努力しても、生徒自身が以前の生徒とは変質してしまっていますから。
その点については、文藝春秋の記事から拾っていきたいと思います。