弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

キルビーとノイスの気質比較

2006-09-29 00:02:53 | 趣味・読書
テキサス・インスツルメンツ社のジャック・キルビーと、フェアチャイルド社(当時)のロバート・ノイスとは、ほぼ同時期(1958~1959)にそれぞれ単独で半導体集積回路(IC)の発明を完成した発明者として知られています。

ところで、キルビーとノイスの研究アプローチが、対照的といえるぐらいに異なっている点に興味をそそられます。「チップに組み込め!」を古本で再度購入した動機も、その点を確認することが最大の目的でした。

キルビーは1958年5月、セントララブという会社からテキサス・インスツルメンツ社(TI社)に転籍します。電気回路の大規模化の問題解決のため、キルビーは的はずれのプロジェクトに取り組まされることになります。
TI社は夏期休暇で全員が7月の同じ数週間を休みますが、キルビーは入社直後で休暇の権利がなく、ひとりだけ研究室に残されます。
ここでキルビーは、一心にシリコンのことを考え始めます。そして1枚のシリコン半導体基板の上に、ダイオード、トランジスタのみならず、抵抗器やコンデンサーも配置できることに思い至るのです。
全員が休暇から戻ってきてプロジェクトにとりかかったとき、キルビーは自分のノートのスケッチを上司であるウィリス・アドコックに見せます。アドコックはそれほど興奮しませんでしたが、一つの試作品(発振器)を作ることを承認します。9月12日、キルビーが試作したワンチップ発振器は見事に作動しました。

キルビーはICの開発の後、順調に昇給と昇進を繰り返し、ポケット電卓の開発もこなし、TI社研究開発部門のナンバー・ツーとなります。ところが、1970年、彼は会社を去ります。フリーランスの発明家になるのです。
「ダラスの北のはずれのとりちらかしたオフィスでは、内向的で口数の少ないジャック・キルビーが、公式には自分以外を代弁する必要のない境遇に満足している。ときおり立ち寄る記者や歴史家にはよく話をするが、このごろはかねがね最も気に入っている仕事--発明に黙々と取り組んでほとんどの時間を創造的に過ごしているのである。」

一方のノイスは、ここで記したとおり、同僚とおしゃべりをしながらアイデアを固めていくタイプです。
「もの静かなキルビーはひとりで問題と取り組み、徹底的に考えぬいて最高の成果をあげるタイプだが、ノイスはそれと違って、外向的かつおしゃべりで、直感を重んじる発明家であり、自分の着想に耳を傾けて、うまくいきそうにないところを指摘してくれる人間を必要とする。その冬、ノイスの共鳴板になってくれたのは、友人のゴードン・ムーアだった。」

物理学者であったノイスがショックレー(トランジスターの発明者のひとり)に突然呼び出され、ショックレー研究所の一員となります。その後8人の研究者とショックレー研究所を飛び出してフェアチャイルド社を立ち上げると、リーダーとして振る舞います。またフェアチャイルド社を飛び出してインテル社を創設し、ノイスが社長、ムーアが会長に就任します。
さらにシリコン・バレーのエグゼクティブが集まって半導体工業界を結成したとき、ノイスは理事会に名を連ね、スポークスマンとなります。

このように気質の異なるキルビーとノイスが、それぞれ単独でほぼ同時期にICの発明を完成しました。優れた発明を完成する過程で、その人ごとに思索を突き詰めていくアプローチが異なるのですね。

ちなみに私は沈思黙考型のようです。新入社員の頃は、「また居眠りしている」と同僚からからかわれたものです。
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ICの最先発明者は誰か

2006-09-27 00:00:15 | 知的財産権
前回記載したように、1959年1月、フェアチャイルド社のロバート・ノイスは独自にICの発明を完成しました。
一方、テキサス・インスツルメンツ社のジャック・キルビーは、それよりも早く、1958年7~9月に、ICのアイデアに到達していました。9月12日、キルビーが試作したワンチップ発振器の作動が確認されます。そして1959年2月6日、米国特許庁に特許出願します(出願番号791,602)。

フェアチャイルド社のノイスが、自分のアイデアを特許出願するのは、1959年7月30日のことでした(出願番号830,507)。

ところが、特許が認められたのはノイスの出願の方でした。1961年4月25日、特許2,981,877として特許されます。
アメリカは先願主義ではなく先発明主義ですから、このように同じ発明について相次いで2つの特許出願があった場合、どちらが先に発明したかを明らかにし、最先の発明者に特許が付与されます。この手続を「インターフェアランス」と呼んでいます。interferenceとは、もともと妨害,干渉といった意味ですが、ランダムハウス英和大辞典には「11 ((米)) 〔特許法〕(1)(特許権の)優先[先願]争い.(2)抵触.」と記載されています。

「チップに組み込め!」に以下のように記載されています。
「政府は特別な手続き--「優先権手続き」と呼ばれる--と特別な委員会--「特許優先権委員会」--を設け、キルビーのような立場に置かれた発明者の言い分を聞くことにしていた。特許権争いの差異のルールは、優先権のあるものが勝つというルール、つまり最初に着想したことを証明した発明者に特許権を与えるというルールである。
 ・・・・・
 委員会は回答書式を同封し、両者にたいしその着想を得たことを証明できる最も早い日付を記すようにと求めた。キルビーもノイスも、実験ノートをとっていたのはまさにこのためだったから、二人とも正確に答えることができた。キルビーは1958年7月でノイスは1959年1月である。」

そして1967年7月24日、委員会はキルビーの勝訴を結論します。

これに対しノイス側は、1968年に特許権上訴裁判所に上訴します。上訴裁判所では、「キルビー勝訴の結論を出した委員会は明らかに誤りを犯した」と逆転判断します。
今度はキルビー側が最高裁判所に上訴します。最高裁はキルビー側の上訴を却下しました。
ここに、ノイスの勝利が確定しました。

しかし法的に解決する以前、1966年の夏、テキサス・インスツルメンツとフェアチャイルド社の両社は、集積回路製造のライセンスを供与し合うことに同意し、この市場に参入することを望む会社は、テキサス・インスツルメンツ社とフェアチャイルド社の双方と個別にライセンス契約をしなければならないこととなっていました。つまり、最高裁での確定は実務上は意味をなさなくなっていたのです。

ところで、キルビーとノイスの先発明の争いは、なぜこのようにもめたのでしょうか。
キルビーの発明とノイスの発明を対比してみます。
そもそもICの発明は、2つのポイントから成り立っています。第1は、トランジスター、抵抗、コンデンサーなどの素子を、一つの半導体基板上に形成することです。第2は、これら形成した素子間の必要な配線を、半導体基板表面にプリントして形成することです。

先に着想したのはキルビーでした。キルビーは、一つの半導体基板上に必要なすべての素子を形成することを着想したのです。ところが素子相互間の配線については思いつきませんでした。そのため、素子相互間をワイヤーで繋いだのです。キルビーの特許明細書に添付された図面でも、2個のトランジスター相互間の配線がワイヤーでなされています。これは日本語で「空飛ぶ電線図」と称されています。下に示す「チップに組み込め!」の表紙の絵でもわかります。
それではキルビーはICの第2のポイントに着想していなかったのか。
キルビーは出願の直前の土壇場で、明細書にもう1項目付け加えます。「電気的接続のためには、金のワイヤを使う代わりに、ほかの方法を採用することも可能であろう。たとえば・・・シリコン酸化物を半導体回路ウエハに蒸着させる・・・次いで、金などの材料を[酸化物の]上に置いて必要な電気的接続をはかる。」
"Instead of using the gold wires 70 in making electrical connections, connections may be provided in other ways. For example, an insulating and inert material such as silicon oxide may be evapolated onto the semiconductor circuit wafer .... Electrically conductive material such as gold may then be laid down on the insulating material to make the necessary electrical circuit connections."(特許公報6欄56~68行)

一方のノイスは、ヘルニーによるプレーナー・プロセス(シリコン半導体表面をシリコン酸化物で覆う)の発明がスタートになっているので、酸化物の上に配線をプリントする発明を完成していたのです。そのため、ノイス出願の発明の名称は「半導体素子のリード構造」ということで、接続の面がとくに強調されていました。

以上のようないきさつに基づき、ノイス側はキルビー明細書の空飛ぶ電線図を攻撃し、ICの発明が完成していないとの主張をします。
特許庁のインターフェアランスではノイス側の主張は認められず、キルビーが勝ちました。
一方、特許権上訴裁判所では、キルビー明細書の(配線を)「上に置く」とノイスの「付着する」の違いを問題にし、ノイスに軍配を上げたのです。

キルビー特許の明細書、ノイス特許の明細書は、いずれも日本特許庁の電子図書館で閲覧することができます。
外国公報DBの窓にUS-A1-3138743とインプットすればキルビー明細書が入手できます。キルビー明細書の図6が「空飛ぶ電線図」です。US-A1-2981877と入力すればノイス明細書が入手できます。

次回はノイスとキルビーの気質の違いについて比較したいと思います。
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ノイスのIC発明と弁理士

2006-09-26 00:17:21 | 弁理士
ショックレーは、トランジスターを発明した3人のうちの一人です。ショックレーがカリフォルニアはパルアルトにショックレー研究所を創設する際(1956年)、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアもショックレーから声を掛けられて参画しました。
しかし、ノイス、ムーアそれにジャン・ヘルニーを含む8人の科学者は、ショックレーのやり方に反発して飛び出し、フェアチャイルド社からの投資を受けてフェアチャイルド・セミコンダクターを創設します。

1958年、シリコン半導体を用いたトランジスターについて、トランジスターを汚染から守るため、ヘルニーがアイデアを出します。シリコントランジスターの表面にシリコン酸化物の絶縁層を置くというものです。この方法は「プレーナー・プロセス」と呼ばれることになります。
このアイデアを特許化するに際し、関与した弁理士がノイスを啓発し、その結果としてICの発明が完成した、という有名な話があります。以前、日経新聞にゴードン・ムーアが「私の履歴書」を連載した際、そのエピソードが語られ、私の記憶に残りました。
しかし「チップに組み込め!」には、日経新聞の記事よりも詳しく、このときのエピソードが語られていました。

以下、引用します。
「ノイスはただちに、会社の弁理士のジョン・ロールズを呼んで、特許権申請書をまとめあげた。ロールズはこのプレーナーのアイデアはエレクトロニクスの他の面でも応用がきくのではないかと見て取り、申請を最も一般的なかたちのものにしたかった。そして、ノイスに、インテルは申請の内容をできるだけ広範なものにすべきだと語った。このことについて話し合うたびに、ロールズは挑発的にこう言うのであった。『このアイデアを使って何かほかのことができないかね?』
 いま振り返って、ノイスは自分を精神的な溝から押しだしてモノリシック・アイデアとなった洞察への飛躍をうながしたのが、ほかならぬこの弁理士の質問だったことをはっきりとさとるのである。何かほかには? 何かほかのことができるのでは? 1959年の最初の数週間、ノイスはこの問題をじっくりと考え、ノートブックに図を描き、思慮深い友人のゴードン・ムーアと何時間も話しあった。
 ・・・・・
 ある日、ノイスはムーアのオフィスに入って行き、黒板を使って、1個のシリコン片の酸化物の上にプリント配線をして2個のトランジスタがつなげることを示した。数日すると、彼はまた黒板のところにやってきて、同じシリコン片のドープされないシリコンのチャネルを抵抗器として使えることをムーアに示した。さらに数日後、黒板にシリコン・コンデンサの図を描いてみせた。どれも全く新しいアイデアだったが、ムーアからはとくに異論が出なかった。
 1959年1月23日、『あらゆる断片がすべて組み合わさった』。そして、ノイスは自分の実験用ノートの4ページを集積回路の驚くほど完全な記述で満たしたのである。」

このような形で弁理士が発明を完成する手助けができたら、弁理士冥利に尽きるというものです。私も弁理士ですから、いつかはこのような力を発揮したいものです。

次回はICの最先発明者は誰か、について書きます。
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鳥人間コンテスト

2006-09-25 00:06:21 | 趣味・読書
9月22日にテレビで久しぶり(何年かぶり)に鳥人間コンテストを観ました。
鳥人間コンテストは、1977年から開催されており、今年で30回です。琵琶湖湖畔の10メートル高さのステージから発進し、着水するまでの距離を競います。
第9回まではクラス分けがありませんでしたが、第10回からは滑空機と人力プロペラ機に分かれました。

30年前にこのイベントが始まった頃は毎年楽しみにしていました。最近はときどきですが。我が母校の活躍については、ホームページで確認していました。

最初の頃は滑空機のみであり、1984年に人力プロペラ機が登場しますがまだ滑空機の方が距離が長いです。1985年に人力プロペラ機がトップを占め、その翌年から人力プロペラと滑空機のクラスが分かれました。
距離100メートル程度から始まった人力機の距離は、その後どんどん伸びていきます。人力機の優勝チームとその距離を下記にまとめてみました。

開催年 回 優勝距離 優勝チーム
        m
1986  10   512 チームエアロセプシー
1987  11   436 日本大学
1990  14  1,810 日本大学
1991  15   500 日本大学
1992  16  2,020 チームエアロセプシー
1993  17  2,181 日本大学
1994  18  2,372 日本大学
1995  19  8,764 チームエアロセプシー
1996  20  9,762 大阪府立大学
1998  22 23,688 チームエアロセプシー
1999  23  4,913 大阪府立大学
2000  24  7,946 大阪府立大学
2001  25  3,824 東京工業大学
2002  26  6,201 東京工業大学
2003  27 34,654 日本大学
2005  29 22,813 日本大学
2006  30 28,628 東北大学

この20年間の距離の伸びは本当に驚異的です。それだけテクノロジーが進化したのですね。
また、今まで優勝したチーム数は5チームです。この5チームが、連綿と技術の向上に努め、毎年次の世代に技術を引き継いでいるのですね。
優勝チームは1時間以上の滞空時間でこれだけの距離を飛びます。パイロットは1時間以上もペダルをこぎ続けるわけですが、それだけ持続できる程度の少ない負荷でも、ちゃんと滞空しているわけですから、これこそ技術の賜だと思います。

そこで今年の実績です。
私はテレビ番組を途中から見ました。ちょうど人力機クラスで優勝した東北大学チームの状況が放映されていました。すばらしい飛行だったと思います。
東北大と雌雄を決すると思われた日大チームは、出だしは好調だったのですが、突然力を失って5451mで着水しました。これでも立派な記録ですが。パイロットの談話では、いつもに比べてペダルが重かったということです。今回の機体は、可変ピッチプロペラをはじめて採用したようですが、そのあたりがうまく作動しなかったのでは、と想像しました。
東北大と日大以外は、いずれも1000m以下の記録でした。発進直後に主翼が折れて墜落、という機体が多かったようです。限界ぎりぎりの設計ですから、そういうことも多発するのでしょう。
東工大はコースアウトで失格でした。パイロットのブログによると、テトラポットに激突し、パイロットが踵に大けがを負ったようです。現在リハビリ中のようですが、早い時期の回復を願うばかりです。

今年からの新種目で、タイムトライアル部門が始まりました。片道1000mで往復し、スタートからゴールまでのタイムを競うものです。
チームエアロセプシーただ1機がゴールに達し、7分2秒の記録を達成しました。
このチーム、上記の記録を見ると、1998年までは人力プロペラ部門で常にこの部門をリードし、1998年にははじめて10kmを超えて23kmというとんでもない飛行をしたチームです。そころが忽然とその後姿を消します。そして今年、新しいタイムトライアル部門に登場します。1998年と同じ機体、同じパイロットです。そして優勝をさらってしまいました。
チームエアロセプシーが堅実に飛行して堅実な記録を出したのに対し、これに対抗する大阪府立大学は、折り返し2分42秒というとてつもない高速飛行を行いました。ところがゴール100メートル手前で、突然に力を失い、着水してしまいました。パイロットの酸欠だった模様です。6分の記録を狙える機体だったようですが、5分を切るペースで飛んでしまい、それが敗因だったようです。若さが出たといえばそれまでですが、凄い飛行をしたものです。

人力機部門とタイムトライアル部門で優勝を狙うチーム、それも優勝経験のある5チームをはじめとするチームは、すでに来年に向けて世代交代を完了し、設計や実験に取りかかっていることでしょう。これからも技術力を伸ばし、そしてガッツのある人材を輩出して欲しいものです。
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和田堀廟所と塩硝蔵

2006-09-24 00:00:31 | 杉並世田谷散歩
9月23日、京王線の明大前駅から甲州街道を渡る歩道橋を歩いたら、なぜかお年寄りの往来が普段より非常に多いのに気付きました。いったい何だろう、とそのときはわからなかったのですが、散歩で築地本願寺和田堀廟所の前を通って気付きました。本日はお彼岸のお中日だったのですね。
築地本願寺和田堀廟所は、京王線井の頭線の明大前で降りて甲州街道を越える歩道橋を渡ると、すぐ左にあります。私が通りかかったとき、ちょうど本堂で焼香を受け付けていました。この廟所で義父の法事を営んだこともあり、お焼香してきました。

和田堀廟所の前に掲示されている案内板によると、関東大震災で築地の本願寺が焼失したとき、再建に当たって墓地を築地からここに移転したとのことです。ところが昭和20年5月25日、今度は空襲によってこの和田堀廟所も消失します。戦後になって再建されました。
この廟所には、樋口一葉、九条武子、伊藤巳代治、藤原銀次郎、水谷八重子、古賀政男らの墓があるそうです。

この和田堀廟所と隣り合って明治大学和泉校舎があります。

和田堀廟所と明大キャンパスは、ともに陸軍火薬庫の跡地の払い下げを受けて建設されたものです。
江戸時代、この地は江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)として使用されていました。煙硝倉と書きたいところですが、現地の説明書には塩硝蔵と書かれていました。
明治維新の際、塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上野彰義隊や奥州諸藩の平定に使用され、その威力を発揮したそうです。その後当地は、兵部省を経て、陸軍省和泉新田火薬庫として再開されましたが、大正の末期に廃止されました。
明治の末期まではこの周辺には多くの狐や狸が棲息し、人を化かしたと伝えられているそうです。

9月23日、京王線の明大前駅から甲州街道を渡る歩道橋を歩いたら、なぜかお年寄りの往来が普段より非常に多いのに気付きました。いったい何だろう、とそのときはわからなかったのですが、散歩で築地本願寺和田堀廟所の前を通って気付きました。本日はお彼岸のお中日だったのですね。
築地本願寺和田堀廟所は、京王線井の頭線の明大前で降りて甲州街道を越える歩道橋を渡ると、すぐ左にあります。私が通りかかったとき、ちょうど本堂で焼香を受け付けていました。この廟所で義父の法事を営んだこともあり、お焼香してきました。

和田堀廟所の前に掲示されている案内板によると、関東大震災で築地の本願寺が焼失したとき、再建に当たって墓地を築地からここに移転したとのことです。ところが昭和20年5月25日、今度は空襲によってこの和田堀廟所も消失します。戦後になって再建されました。
この廟所には、樋口一葉、九条武子、伊藤巳代治、藤原銀次郎、水谷八重子、古賀政男らの墓があるそうです。

この和田堀廟所と隣り合って明治大学和泉校舎があります。

和田堀廟所と明大キャンパスは、ともに陸軍火薬庫の跡地の払い下げを受けて建設されたものです。
江戸時代、この地は江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)として使用されていました。煙硝倉と書きたいところですが、現地の説明書には塩硝蔵と書かれていました。
明治維新の際、塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上野彰義隊や奥州諸藩の平定に使用され、その威力を発揮したそうです。その後当地は、兵部省を経て、陸軍省和泉新田火薬庫として再開されましたが、大正の末期に廃止されました。
明治の末期まではこの周辺には多くの狐や狸が棲息し、人を化かしたと伝えられているそうです。

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コンピュータウィルスSTRATIONその後

2006-09-23 00:17:25 | サイエンス・パソコン
コンピュータウィルスWORM_STRATIONを運ぶメールが9月20日に10通も届いたことを先日報告しました。
当日いっぱい、プロバイダー(@nifty)のウィルスチェックも、ウィルスバスターの最新パターンファイルも、当方に飛来したウィルスを阻止することができませんでした。
翌日の朝やっと、@niftyのガードが働きだし、パソコンのウィルスバスターもウィルス検出が可能になりました。

しかし21日の遅くには、新たな亜種が出回り始めたらしく、@niftyもウィルスバスターも検出できないメールが到着し始めました。

このように、ガードとして配置したウィルス検出ソフトが出遅れることがあり得るとすると、あとは各パソコンを操作する個人が気をつけるしかありません。以前からウィルスメールを見慣れていれば、メールタイトル、差出人アドレス、メール本文、添付ファイルの名称などから、「あやしい」と直感でき、添付ファイルを実行することなくただちにメールを削除することができるのですが、そのような直感を養っていない人にとっては容易ではありません。

私宛に到着したウィルスメールのヘッダーの記載から、ウィルスメール発信源ではないかと特定して注意を喚起した団体がありましたが、やはりその団体のサーバーに接続する1台のパソコンにWORM_STRATIONが感染していたという報告が昨日届きました。

私のような特許事務所のパソコンにウィルスが感染すると、そこから発信されるウィルス付きメールは、パソコン内のアドレス帳に基づいて主にクライアント宛に送られることになります。特許事務所の信用を維持するためには、何としてもウィルス感染を防止しなければなりません。
今回のようにウィルス検出ソフトが無力となる場合には本当に困ってしまいます。

22日夕方現在、WORM_STRATION汚染メールの到着はなくなり、一服ついたようです。
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弁理士制度小委員会

2006-09-22 00:00:41 | 弁理士
9月19日に産業構造審議会知的財産政策部会 第4回弁理士制度小委員会が開催されていて、その配付資料が特許庁ホームページに公開されました。

  議事次第
2.弁理士試験制度の在り方について(論点整理)
3.弁理士研修制度の在り方について(論点整理)
4.弁理士法に規定する業務について(論点整理)
5.弁理士の懲戒制度等の在り方について

資料1 弁理士試験・研修制度の在り方について(論点整理) が、事務局が準備した主要資料ですね。

各項目ごとに、1.現行制度の概要、2.問題の所在、3.論点、4.議論の整理、5.対応の方針、の項目建てになっています。この中で、「5.対応の方針」が、事務局が考える結論のようです。

各項目の対応の方針から、結論らしきものを拾ってみましょう。

Ⅰ.弁理士試験制度の在り方について
(1) 弁理士試験の範囲について
 論文式試験に条約科目を復活させる必要性は十分であるとはいえない。

(2) 知的財産専門職大学院に係る試験免除について
 知的財産専門職大学院については、・・・仮に当該免除制度を導入する場合には、十分な能力レベルを維持していると認められる大学院のみを対象として、短答式試験における工業所有権法のみを免除対象とすることが妥当である・・。

(3) 法科大学院に係る試験免除について
 論文提出を要件とすることなども考慮しつつ、弁理士試験の論文式試験についての一部免除を検討していくことが妥当。

(4) 短答式試験及び論文式試験の合格者に対する次回以降の試験免除について
 一度短答式試験に合格して相当の知識を有していることが認められた者については、所定の年数(例として2年)短答式試験を免除することは合理的。

 論文式試験についても、・・必須科目と選択科目とで個別に合否を判定しても問題は生じないものと考えられる。
 ただし、必須科目については、・・免除は所定の年数(例として2年)とし、選択科目については、・・既合格者に対する免除についても永続的に認めることとすることが妥当。

Ⅱ.弁理士研修制度の在り方について
 基本的に弁理士に対する研修の義務化は必要である。
 登録要件としての研修とする案と登録直後の義務研修とする案それぞれの制度導入による影響も考慮しながら、更なる検討が必要。
---以上---

事務局の考えどおりの結論が出されるのかどうか分かりませんが、もしそうだとしたら以下のような方向です(通常の受験生への影響)。
1.論文試験への条約の復活はなさそうですね。

2.一度短答式に合格すると、2年間(翌年と翌々年?)は短答式を受験せずに論文試験を受けることができます。
 また論文試験の必須科目については、多分各科目ごとに、一度合格すると2年間はその科目を受験する必要がなくなります。
 このような免除制度が、受験生にとって吉と出るか凶と出るかは、始まってみないと分かりません。
 各受験生が、最初は短答式に全力を投球し、短答式合格の年には論文試験はあきらめ、次の年に論文試験に全力投球する、といった勉強スタイルが考えられます。このようなスタイルが主流になると、短答式と論文試験を同じ年に合格してしまおうとする短期合格狙いには不利になります。
 免除制度が生まれた結果として、短期合格者が増えるのか減るのか、そしてそれが受験者への負担減となるのか負担増となるのか、長い目で観察する必要があるでしょう。

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弁理士二次試験合格発表

2006-09-21 22:40:14 | 弁理士
本日、9月21日に弁理士試験の二次試験(論文式)合格発表がありました。
合格された655名の受験生の皆さん、おめでとうございます。

ここ数年、毎年100人規模で合格者が増えていたのですが、今年はじめて減少に転じました。
昨年の二次試験合格者数が738名ですから、一昨年(633名)のレベルに後戻りですね。これからどのような方向に進むのでしょうか。
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新種のウィルス?

2006-09-21 00:03:03 | サイエンス・パソコン
昨日(9月20日)、ウィルスメールらしきメールが10通も舞い込みました。

当方は、メールのウィルスは二重にガードしています。
まずはインターネット・プロバイダー(@nifty)でメールのウィルスチェックを行い、引っかかればウィルスを削除してメールが到着します。
次に、パソコンにウィルスバスターがインストールされており、メール到着時にウィルスチェックを行います。
ところが本日は、プロバイダーもパソコンのウィルスバスターもともに素通りしてきました。

トレンドマイクロにアクセスしたところ、"WORM_STRATION"という新種ウィルスの警告が出ていました。昨日付の警告です。種々の亜種が出回っているということです。そして、このウィルスメールのメールタイトル、添付ファイルの名称などの中に、本日当方に舞い込んでいるメールのものと同じものがあるので、多分WORM_STRATIONの亜種が当方に届いているのだと確信しました。
メールタイトルが
・Mail Delivery System
・Mail Server Report
・Server Report
添付ファイルの名称が
Update-KB<ランダムな数字>-x86.exe
です。

当方に到着するまでの間にチェックが効かなかったのは、まだトレンドマイクロが認識できていない最新の亜種であるためでしょう。

メールの差出人は、当然ながらウィルスがなりすましの差出人としているので、本当の発信源は捕まえることができません。ただし、メールのヘッダーを「すべて表示」としてチェックすると、発信源を大まかに捕まえられる場合があります。
本日到着したメールについては、主に3つの発信源から来ているようでした。そしてそのうちの一つは、ドメイン名が特定の団体を表していたので、その団体のメールサーバーから発信されている可能性を特定することができました。

さっそくその団体宛に要注意のメールを発信しておきました。
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チップに組み込め!

2006-09-20 00:00:09 | 趣味・読書
ICとかLSIとかよばれる半導体集積回路は、アメリカのジャック・キルビーとロバート・ノイスが、それぞれ独立に時を同じくして発明したことが広く知られています。
この2人のIC開発競争を描いた本として、以前「チップに組み込め!」という本を読んだことがあります。その後、職場に寄贈するか何かで手元から消えていたのですが、再度読んでみたくなり、調べてみました。その結果、すでに絶版となっていますが、古本としては1000円程度(送料別)で購入できることが分かり、さっそく購入して読んでみました。

T.R.リード著「チップに組み込め!」(草思社)1986年10月第1刷発行
とあり、私も多分発行直後に読んだのだと思います。もう20年も前になるのですね。

テキサス・インスツルメンツに勤めるジャック・キルビーと、当時フェアチャイルド・セミコンダクターの開発取締役だったロバート・ノイスは、1958年秋から1959年にかけて、それぞれ独立に、ICのアイデアに到達してICを完成します。この2人のIC開発に関しては、特許・弁理士に関するエピソードが3つあります。

第1は、ノイスがIC開発に着手するにあたって、弁理士が果たした役割についてです。
第2は、キルビーとノイスがそれぞれ米国で出願したICの特許について、どちらに権利が認められるかと争われた事件です。
第3は、キルビーの日本特許について、富士通との間で侵害訴訟が争われ、最高裁ではじめて特許無効の抗弁(権利の濫用)が認められたいわゆる「キルビー判決」です。

「チップに組み込め!」は米国人が書いた本であり、今から20年前の本ですから、当然上記第3のエピソードは範囲外ですが、第1と第2のエピソードについては結構詳しく記載されていました。
20年前に私が読んだ当時は、まだ弁理士受験勉強も始めていない一介のエンジニアでしたから、第1、第2のエピソードともに全く記憶の外でした。

私がこの本を再度読みたいと思ったのは、キルビーとノイスの気質の違いについて確認したいと思ったからでした。この点について、そして上記第1、第2の特許・弁理士のエピソードについて、順次ここにアップしていこうと思います。
次回はノイスと弁理士です。

ところで、半導体集積回路の開発をめぐる秘話について、「チップに組み込め!」はとっくに絶版になっているわけですが、皆さんはどのような書籍で知識をつけていらっしゃるのでしょうか。
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