菅外交は想像以上にスゴかった…「日米共同声明」がほぼ完璧だと断言できる理由
渡瀬 裕哉 4月28日 現代ビジネス
『バイデン大統領と菅総理の日米首脳会談の内容は極めてエポックメイキングなものだった。なぜなら、同会談後に公表された日米共同声明は今後4年間の世界の方向性を決定付けるものになったからだ。このような歴史の扉を開く首脳会談は歴史上数えるほどしかないものと思う。』
『《見事に調節された声明内容》
さらに、バイデン大統領・菅総理による日米共同声明は、日本にとって触れるべきこと、曖昧にすべきこと、言及しないこと、が見事に調節されたものでもあった。
多くのメディアの注目を集めた「台湾海峡」に関する言及は、日本が米国側に立つ意思を明確に世界に示すシンボリックな効果を持っている。もちろん世界中の国々は日本が米国と歩調を合わせる以外に選択肢がないことは了解している。それでも米中対決における日本の立ち位置が早々に誰にでも分かる形で提示されたインパクトは重要だ。』
『今後、菅政権は共同声明の内容に実質を持たせていく段階に移行していく。そのため、同政権は台湾海峡有事を前提としたプランを策定するため、NSCを早期に召集して関連省庁に体制整備を指示する必要がある。そして、米国や台湾などの直接的なステークホルダーだけでなく、欧米各国とも台湾海峡有事に備えた共同ミッションを行うことが急務となってくる。』
この話が重要です。「台湾有事の際、日本は武器を取って米国とともに(憲法のの許す範囲で)中国に対抗する」などという外交・防衛の基本方針について、日本国民はまともに聞かされていません。このような日本の動きが明確になったときの、中国による経済制裁の恐ろしさもまだシミュレーションされていません。
以下、渡瀬裕哉さんの論文から断片的に拾います。
中国側にとっては台湾問題は死活的な問題ですが、中国が日本の行動に対して露骨に強い対応をすることは難しいといいます。
日本は香港やウイグルの人権問題について、今回の日米共同声明でも「懸念を共有」する曖昧なレベルの表現に留めています。・・・これは中国が日本に対して踏み込んだ措置を取った場合、日本側にさらにもう一歩進んだ行動に出る余地が残されていることを意味しているとのことです。
日米共同声明のパースペクティブの大半をインド太平洋地域に限定できたことも望ましいことでした。
ロシアや中東諸国との間にも外交的な軋轢など、仮に日本と米国の同盟関係の射程が全世界の問題に及んだ場合、日本側として本来は抱える必要がない問題まで背負いこむ可能性がありました。現状においては自らの影響力を及ぼす地域をインド太平洋地域に限定することは賢明な判断だと言えるとのことです。
『このように菅外交は日米共同声明の内容を緩急織り交ぜたものに仕立てることに成功しており、その外交センスは非常に巧みであると評価しても良いだろう。
バイデン大統領・菅総理による日米首脳会談は、日米同盟のシンボリックな意味合いから現実的な実利面まで含む網羅的な内容を確認するものであった。
安倍外交のような美辞麗句を並べる派手な打ち出しではなく、菅外交は日本の国益を冷静に追求するクレバーな姿勢に特徴がある。菅政権の実務的な性格が色濃く反映された外交は、後世の歴史家が「世界史の転換点」であったと評する成果を淡々と積み上げていくことになるだろう。』
渡瀬裕哉さん、今回の日米首脳会談での菅総理についてべた褒めですね。下記に示す戸坂弘毅さんの論評とは真逆です。
とにかく見せ場を作れ」菅首相の初訪米、その異様な舞台裏
頭にあるのはパフォーマンスばかり
戸坂 弘毅 4月25日現代ビジネス
バイデン政権は、最初の首脳会談の相手として日本の菅首相を選びました。
『だが、日米関係筋は、「常に指導力不足を指摘されてきたバイデンにとって、強い姿勢で中国に対峙することを同盟国とともに高らかに宣言することで『強い指導力』を米国民に印象付けることができる会談相手は、日本の首相だけだった」と解説する。要するに、米国内の事情で菅首相が最初の会談相手になっただけなのだ。』
水面下における事前の日米外交当局間の折衝を辿れば、菅首相が肝心の首脳会談の中身よりも、会談の「特別感」をいかに世論にアピールするかの「演出」ばかりに腐心していたことが浮き彫りになるといいます。
『具体的には▼通訳以外は大統領と2人だけの、いわゆる「テタテ」の会談、▼大統領やハリス副大統領との食事会、▼大統領と並んでのポトマック河畔の桜の観賞、▼安倍前首相も4回泊まった大統領迎賓館「ブレアハウス」への宿泊などだった。』
しかし、菅の目論見は当初、ほとんど相手にされませんでした。
『首相は一連の会談の冒頭にテタテ会談を入れるよう外務省に強く指示。米側が「感染防止の観点から難しい」と難色を示しても譲らず、首相の出発直前に何とかねじ込んだ。だが、その時間はわずか20分。通訳を入れての会談だったことを考えれば、実質的には10分の会談だった。』
この短時間の会談になぜハンバーガーが出されたのか。それは、首相がギリギリまで晩餐会の実現に拘ったからだといいます。
首相は外務省幹部らに繰り返し晩餐会の実現を指示したが米側に拒否され、「それではワーキングランチはどうか」と打診したが実現せず。その代わりが、菅の前に置かれた一個のハンバーガーだったのです。
菅首相がこうしたパフォーマンスの実現に異様なほど固執したため、日米間の事前折衝は、肝心の会談の中身もさることながら、こうした首相の拘る「ロジ」――すなわち段取り部分の交渉で難航したため、会談前日まで全体のスケジュールが定まらない異例の事態に陥りました。
菅首相はご自分のブレーンから、「今回の首脳会談で中国が強く反発して、日中の経済関係が傷つくのはまずい」と釘を刺されていたためか、菅首相は外務省や官邸スタッフに対し、「いたずらに中国を刺激することは避けたい」として、中国が猛反発することが明らかな台湾問題をクローズアップさせないよう指示していました。
それに対して米国は、3月に東京で行われた日米の「2プラス2」共同文書の書きぶりよりも強い表現で中国を牽制することに同意を求めてきました。そのため、米側の共同声明案が示された時点で菅首相は、台湾問題の記述について「『2プラス2』の範囲内であれば仕方がないが、それ以上踏み込まないように」と指示したといいます。
しかし、そもそも菅首相を最初の会談相手に選んだ米側の目的は、「日本とともに中国に対し強い姿勢で臨むこと」を国内外に発信することでしたから、台湾問題の記述に関する米側の姿勢は固く、交渉は難航。文言の調整は、首脳会談当日まで続きました。
結局、首脳会談の共同声明では52年ぶりに台湾問題を明確に盛り込んだものの、米側が妥協して「2プラス2」の範囲内に収まることになったとのことです。
『《本当に菅首相で大丈夫なのか》
政権基盤の弱い無派閥の菅首相は、党内実力者たちの意向に敏感にならざるを得ない。最近はとりわけ麻生氏と二階氏との距離感の取り方に腐心している。共同声明には日本側の主張で「両岸(台湾海峡)問題の平和的解決を促す」との文言も入り、日本政府内には「最後は落ち着くとところに落ち着いた」との声が聞こえる。共同声明の文案作りで米側の主張を押し戻し、中国との対話も重視する姿勢を盛り込んだことは決して悪いことではないだろう。
だが、今回の日米首脳会談をきっかけに見えてきたのは、菅首相自身がかつて親しい永田町関係者に漏らした「私には国家観というものがない。しょせん地方議員上がりですから、安倍さんとは違いますよ」との言葉だ。
菅首相は、首相の役割として極めて重要な外交や防衛に関し、北朝鮮による拉致問題は別にして、就任以前に関心を示してきた形跡がない。本人のプロフィールを見ても国交省、経産省、それに総務省関係の役職は歴任しているものの、党の部会等を含め外交や防衛問題に関わった形跡は見当たらない。
「国家観がない」と自任する菅氏に国の命運を託して本当に大丈夫なのか――菅氏が首相の有力候補に浮上した際の疑問が、改めて頭をよぎる首脳会談だった。』
これはまた厳しい評価ですね。
渡瀬裕哉さんのべた褒め評価と、戸坂弘毅さんの厳しい評価を読み比べ、今後の日米中台外交・防衛問題を考えていきたいと思います。
渡瀬 裕哉 4月28日 現代ビジネス
『バイデン大統領と菅総理の日米首脳会談の内容は極めてエポックメイキングなものだった。なぜなら、同会談後に公表された日米共同声明は今後4年間の世界の方向性を決定付けるものになったからだ。このような歴史の扉を開く首脳会談は歴史上数えるほどしかないものと思う。』
『《見事に調節された声明内容》
さらに、バイデン大統領・菅総理による日米共同声明は、日本にとって触れるべきこと、曖昧にすべきこと、言及しないこと、が見事に調節されたものでもあった。
多くのメディアの注目を集めた「台湾海峡」に関する言及は、日本が米国側に立つ意思を明確に世界に示すシンボリックな効果を持っている。もちろん世界中の国々は日本が米国と歩調を合わせる以外に選択肢がないことは了解している。それでも米中対決における日本の立ち位置が早々に誰にでも分かる形で提示されたインパクトは重要だ。』
『今後、菅政権は共同声明の内容に実質を持たせていく段階に移行していく。そのため、同政権は台湾海峡有事を前提としたプランを策定するため、NSCを早期に召集して関連省庁に体制整備を指示する必要がある。そして、米国や台湾などの直接的なステークホルダーだけでなく、欧米各国とも台湾海峡有事に備えた共同ミッションを行うことが急務となってくる。』
この話が重要です。「台湾有事の際、日本は武器を取って米国とともに(憲法のの許す範囲で)中国に対抗する」などという外交・防衛の基本方針について、日本国民はまともに聞かされていません。このような日本の動きが明確になったときの、中国による経済制裁の恐ろしさもまだシミュレーションされていません。
以下、渡瀬裕哉さんの論文から断片的に拾います。
中国側にとっては台湾問題は死活的な問題ですが、中国が日本の行動に対して露骨に強い対応をすることは難しいといいます。
日本は香港やウイグルの人権問題について、今回の日米共同声明でも「懸念を共有」する曖昧なレベルの表現に留めています。・・・これは中国が日本に対して踏み込んだ措置を取った場合、日本側にさらにもう一歩進んだ行動に出る余地が残されていることを意味しているとのことです。
日米共同声明のパースペクティブの大半をインド太平洋地域に限定できたことも望ましいことでした。
ロシアや中東諸国との間にも外交的な軋轢など、仮に日本と米国の同盟関係の射程が全世界の問題に及んだ場合、日本側として本来は抱える必要がない問題まで背負いこむ可能性がありました。現状においては自らの影響力を及ぼす地域をインド太平洋地域に限定することは賢明な判断だと言えるとのことです。
『このように菅外交は日米共同声明の内容を緩急織り交ぜたものに仕立てることに成功しており、その外交センスは非常に巧みであると評価しても良いだろう。
バイデン大統領・菅総理による日米首脳会談は、日米同盟のシンボリックな意味合いから現実的な実利面まで含む網羅的な内容を確認するものであった。
安倍外交のような美辞麗句を並べる派手な打ち出しではなく、菅外交は日本の国益を冷静に追求するクレバーな姿勢に特徴がある。菅政権の実務的な性格が色濃く反映された外交は、後世の歴史家が「世界史の転換点」であったと評する成果を淡々と積み上げていくことになるだろう。』
渡瀬裕哉さん、今回の日米首脳会談での菅総理についてべた褒めですね。下記に示す戸坂弘毅さんの論評とは真逆です。
とにかく見せ場を作れ」菅首相の初訪米、その異様な舞台裏
頭にあるのはパフォーマンスばかり
戸坂 弘毅 4月25日現代ビジネス
バイデン政権は、最初の首脳会談の相手として日本の菅首相を選びました。
『だが、日米関係筋は、「常に指導力不足を指摘されてきたバイデンにとって、強い姿勢で中国に対峙することを同盟国とともに高らかに宣言することで『強い指導力』を米国民に印象付けることができる会談相手は、日本の首相だけだった」と解説する。要するに、米国内の事情で菅首相が最初の会談相手になっただけなのだ。』
水面下における事前の日米外交当局間の折衝を辿れば、菅首相が肝心の首脳会談の中身よりも、会談の「特別感」をいかに世論にアピールするかの「演出」ばかりに腐心していたことが浮き彫りになるといいます。
『具体的には▼通訳以外は大統領と2人だけの、いわゆる「テタテ」の会談、▼大統領やハリス副大統領との食事会、▼大統領と並んでのポトマック河畔の桜の観賞、▼安倍前首相も4回泊まった大統領迎賓館「ブレアハウス」への宿泊などだった。』
しかし、菅の目論見は当初、ほとんど相手にされませんでした。
『首相は一連の会談の冒頭にテタテ会談を入れるよう外務省に強く指示。米側が「感染防止の観点から難しい」と難色を示しても譲らず、首相の出発直前に何とかねじ込んだ。だが、その時間はわずか20分。通訳を入れての会談だったことを考えれば、実質的には10分の会談だった。』
この短時間の会談になぜハンバーガーが出されたのか。それは、首相がギリギリまで晩餐会の実現に拘ったからだといいます。
首相は外務省幹部らに繰り返し晩餐会の実現を指示したが米側に拒否され、「それではワーキングランチはどうか」と打診したが実現せず。その代わりが、菅の前に置かれた一個のハンバーガーだったのです。
菅首相がこうしたパフォーマンスの実現に異様なほど固執したため、日米間の事前折衝は、肝心の会談の中身もさることながら、こうした首相の拘る「ロジ」――すなわち段取り部分の交渉で難航したため、会談前日まで全体のスケジュールが定まらない異例の事態に陥りました。
菅首相はご自分のブレーンから、「今回の首脳会談で中国が強く反発して、日中の経済関係が傷つくのはまずい」と釘を刺されていたためか、菅首相は外務省や官邸スタッフに対し、「いたずらに中国を刺激することは避けたい」として、中国が猛反発することが明らかな台湾問題をクローズアップさせないよう指示していました。
それに対して米国は、3月に東京で行われた日米の「2プラス2」共同文書の書きぶりよりも強い表現で中国を牽制することに同意を求めてきました。そのため、米側の共同声明案が示された時点で菅首相は、台湾問題の記述について「『2プラス2』の範囲内であれば仕方がないが、それ以上踏み込まないように」と指示したといいます。
しかし、そもそも菅首相を最初の会談相手に選んだ米側の目的は、「日本とともに中国に対し強い姿勢で臨むこと」を国内外に発信することでしたから、台湾問題の記述に関する米側の姿勢は固く、交渉は難航。文言の調整は、首脳会談当日まで続きました。
結局、首脳会談の共同声明では52年ぶりに台湾問題を明確に盛り込んだものの、米側が妥協して「2プラス2」の範囲内に収まることになったとのことです。
『《本当に菅首相で大丈夫なのか》
政権基盤の弱い無派閥の菅首相は、党内実力者たちの意向に敏感にならざるを得ない。最近はとりわけ麻生氏と二階氏との距離感の取り方に腐心している。共同声明には日本側の主張で「両岸(台湾海峡)問題の平和的解決を促す」との文言も入り、日本政府内には「最後は落ち着くとところに落ち着いた」との声が聞こえる。共同声明の文案作りで米側の主張を押し戻し、中国との対話も重視する姿勢を盛り込んだことは決して悪いことではないだろう。
だが、今回の日米首脳会談をきっかけに見えてきたのは、菅首相自身がかつて親しい永田町関係者に漏らした「私には国家観というものがない。しょせん地方議員上がりですから、安倍さんとは違いますよ」との言葉だ。
菅首相は、首相の役割として極めて重要な外交や防衛に関し、北朝鮮による拉致問題は別にして、就任以前に関心を示してきた形跡がない。本人のプロフィールを見ても国交省、経産省、それに総務省関係の役職は歴任しているものの、党の部会等を含め外交や防衛問題に関わった形跡は見当たらない。
「国家観がない」と自任する菅氏に国の命運を託して本当に大丈夫なのか――菅氏が首相の有力候補に浮上した際の疑問が、改めて頭をよぎる首脳会談だった。』
これはまた厳しい評価ですね。
渡瀬裕哉さんのべた褒め評価と、戸坂弘毅さんの厳しい評価を読み比べ、今後の日米中台外交・防衛問題を考えていきたいと思います。