スイスの氷河で75年前の行方不明夫婦を発見
『融解が進むスイスの氷河で、75年前に行方不明になった夫婦のものとみられる遺体が凍った状態で発見された。地元メディアが報じた。(靴底の写真)』
氷河で発見の遺体、75年前に行方不明となった夫婦と特定 スイス
『【7月19日 AFP】スイスのアルプス(Alps)山脈で、解けて後退した氷河から発見された男女の遺体について、スイスの警察当局は19日、DNA検査により2人が75年前に行方不明となった夫婦であると特定したと発表した(靴底の写真)。』
私は中学時代(1961~1963年)、学校の山岳部に所属していました。当時、中学校の図書室で山岳関係の書籍を読んだ記憶から、今回の上記報道に接して2つの事柄で昔を思い出しました。
第1は、遺留品の靴底の写真です。
この写真に掲載されている靴は、ご夫婦のうちの奥様の靴のようです。そして、靴底の出っ張りは、すべて鋲が打ってあるように見えます。
私の中学時代、すでに鋲靴は姿を消していたはずです。私が中学時代に履いていた登山靴はキャラバンシューズですし、先輩方が履いていたのはビブラム底の登山靴だったはずです。
一方、中学時代に図書室で読んだ書籍の記憶として、以前は登山靴の靴底として鋲を打ったものが使われていたことを知っていました。鋲にはその形状によって名前が付いていました。一生懸命記憶をたどったのですが、どうしても名称が思い出せません。そこで、ネットで調べてみました。
岳さんの「登山用具の歴史 前編」のページに、西岡一雄、海野冶良、諏訪多栄蔵著の「登山技術と用具」の内容が掲載されています。その中に靴底のパターンの図面に、鋲の打ち方、鋲の名前が書かれていました。ムガー、クリンカー、トリコニー、そうそう、そんな名前でした。私が中学校の図書室で読んだ本も、同じ「登山技術と用具
」だったかもしれません。
今回発見された遺留品の靴底写真を見ると、鋲の形状は半球状であって、ムガー、クリンカー、トリコニーのどれでもないかもしれません。あるいは、ムガーが摩耗して半球状になったものでしょうか。
記憶の第2は、何十年も経ってから氷河の末端でご遺体が当時の姿のままに発見されることに関してです。
中学校の図書室で読んだ山岳小説の一つに、「青春の氷河」がありました。アマゾンで検索すると、青春の氷河 (1956年)
とザイルの三人―海外山岳小説短篇集 (1959年)
の2種類がヒットします。中学でどちらの本を読んだかは定かではありませんが。
「青春の氷河」のあらすじはというと・・・。
アルプスの氷河で命を落とした若い男性がいました。その男性の若い奥さんが未亡人として残されます。
未亡人に心を寄せる男性がおり、未亡人に求婚したのですが、未亡人は結婚を断りました。死亡した男性を呑み込んだ氷河は、一定速度で下流に下降しており、24年後には氷河の末端に辿り着くということを、未亡人は専門家から聞いて知っていたのです。
24年が過ぎました。二人とも結婚せずに独身のままです。
未亡人と男性は、連れだって氷河の末端を訪れました。そして、24年前の予測通り、氷の中に遺体を発見することができたのです。
男性が遺体を掘り出す作業を行っているとき、遺体の首にロケットを見つけました。ロケットを開けてみると、そこには未亡人とは別人の女性の写真が入っていたのです。
以上が私の記憶です。今回、ネット検索した所、青春の氷河のテキストを閲覧することができました。私の記憶はほぼそのとおりの内容となっていました。
テキストの最終章を拾うと・・・
『ふと、女がうつむいて足元をみると、そこに、ガラスにとじこめられたような、フロビッシャーの屍体があるのだった。すぐそこにひざまずいて、かの女は声をあげて泣きだした。
氷にとじこめられた青年は、二十四年の歳月がたっても、眼元口元に一すじのしわもよらず、すやすや静かに眠っているかのよう。冷たい氷は、金時計以上に彼を大切にいたわったらしい。元気に満ちた風貌は、登山にでかけた朝そのままだった、そして、その氷の上にひざまずくしわだらけのとしとった女は、わが子のような青年の姿をみながら、さめざめとすすり泣く――
みていたチャロナーは、今さらのように、自分の青春がとうの昔に過ぎさったことをしみじみと感じた。かの女の青春も過ぎ去った。「私もだんだん齢をとります」口でもしじゅういっていたが、それは本当の言葉の意味を知らずにいっていたのだ。が、いまや本当にその言葉の意味を痛切に知った。氷の中の子供のような若々しい青年にくらべれば、彼も女もともに老人で、その青春はもう掴もうとしても手のとどかぬ、遠いはるかな国へ飛びさってしまったのだ。
やさしく女を立ち上らせて、
「氷を掘らせますから、ちょっとのいてください。掘れたら呼んであげます。」
云われるままに、女は五、六歩そこをしりぞいた。チャロナーは人夫を呼んで氷をわらせ、屍体発掘がすむと女を呼んだ。
かの女と屍体とのあいだには、もうガラス板ほどのへだたりもない。青年とやつれた女は、こうして二十四年ぶりの対面をした。
だがこの時、ちゃりんと音を立てて、青年の体から妙なものがおちた。そばでみていたチャロナーが、急いで拾い上げてみると、それは糸のように細い金鎖のさきについたロケットなのであった。青年の頸にかけてあったのが切れたのであろう。チャロナーがそのロケットの蓋を開けてみると、なんと、美しい、がどこか俗悪な、見知らぬ女の写真が、大胆にこちらをむいてにっと笑っているのだ。とっさに彼はリフェルアルプ・ホテルの女支配人の言葉、「わたしだったら、自分の娘をあんな男のところへ嫁にやらぬ」といったのを思い出した。
ふと気がついてみると、白蝋のように蒼ざめた女が、いぶかしげに彼をあおいでいる。
「なんです、それは」とかの女がきいた。
いそいでチャロナーは蓋をしめて、
「あなたの写真です。」
「あら! あの人が、わたしの写真のはいったロケットをもっているはずはありませんわ!」
おりから、山のはに七月の太陽がのぼって、断崖や氷河を金色にそめるのだった。』(青空文庫)
今回の新聞記事を読むと、75年ぶりに遺体が発見された理由は、「氷河が融けて後退したため」とされています。一方、「青春の氷河」において24年ぶりに発見されたのは、「氷河が下流に流れて末端に到達したため」ということで、理由が全く異なります。
75年ぶりの今回について、「氷河が下流に流れる」ことによる影響は一部でもあったのかなかったのか、気になる所です。
『融解が進むスイスの氷河で、75年前に行方不明になった夫婦のものとみられる遺体が凍った状態で発見された。地元メディアが報じた。(靴底の写真)』
氷河で発見の遺体、75年前に行方不明となった夫婦と特定 スイス
『【7月19日 AFP】スイスのアルプス(Alps)山脈で、解けて後退した氷河から発見された男女の遺体について、スイスの警察当局は19日、DNA検査により2人が75年前に行方不明となった夫婦であると特定したと発表した(靴底の写真)。』
私は中学時代(1961~1963年)、学校の山岳部に所属していました。当時、中学校の図書室で山岳関係の書籍を読んだ記憶から、今回の上記報道に接して2つの事柄で昔を思い出しました。
第1は、遺留品の靴底の写真です。
この写真に掲載されている靴は、ご夫婦のうちの奥様の靴のようです。そして、靴底の出っ張りは、すべて鋲が打ってあるように見えます。
私の中学時代、すでに鋲靴は姿を消していたはずです。私が中学時代に履いていた登山靴はキャラバンシューズですし、先輩方が履いていたのはビブラム底の登山靴だったはずです。
一方、中学時代に図書室で読んだ書籍の記憶として、以前は登山靴の靴底として鋲を打ったものが使われていたことを知っていました。鋲にはその形状によって名前が付いていました。一生懸命記憶をたどったのですが、どうしても名称が思い出せません。そこで、ネットで調べてみました。
岳さんの「登山用具の歴史 前編」のページに、西岡一雄、海野冶良、諏訪多栄蔵著の「登山技術と用具」の内容が掲載されています。その中に靴底のパターンの図面に、鋲の打ち方、鋲の名前が書かれていました。ムガー、クリンカー、トリコニー、そうそう、そんな名前でした。私が中学校の図書室で読んだ本も、同じ「登山技術と用具
今回発見された遺留品の靴底写真を見ると、鋲の形状は半球状であって、ムガー、クリンカー、トリコニーのどれでもないかもしれません。あるいは、ムガーが摩耗して半球状になったものでしょうか。
記憶の第2は、何十年も経ってから氷河の末端でご遺体が当時の姿のままに発見されることに関してです。
中学校の図書室で読んだ山岳小説の一つに、「青春の氷河」がありました。アマゾンで検索すると、青春の氷河 (1956年)
「青春の氷河」のあらすじはというと・・・。
アルプスの氷河で命を落とした若い男性がいました。その男性の若い奥さんが未亡人として残されます。
未亡人に心を寄せる男性がおり、未亡人に求婚したのですが、未亡人は結婚を断りました。死亡した男性を呑み込んだ氷河は、一定速度で下流に下降しており、24年後には氷河の末端に辿り着くということを、未亡人は専門家から聞いて知っていたのです。
24年が過ぎました。二人とも結婚せずに独身のままです。
未亡人と男性は、連れだって氷河の末端を訪れました。そして、24年前の予測通り、氷の中に遺体を発見することができたのです。
男性が遺体を掘り出す作業を行っているとき、遺体の首にロケットを見つけました。ロケットを開けてみると、そこには未亡人とは別人の女性の写真が入っていたのです。
以上が私の記憶です。今回、ネット検索した所、青春の氷河のテキストを閲覧することができました。私の記憶はほぼそのとおりの内容となっていました。
テキストの最終章を拾うと・・・
『ふと、女がうつむいて足元をみると、そこに、ガラスにとじこめられたような、フロビッシャーの屍体があるのだった。すぐそこにひざまずいて、かの女は声をあげて泣きだした。
氷にとじこめられた青年は、二十四年の歳月がたっても、眼元口元に一すじのしわもよらず、すやすや静かに眠っているかのよう。冷たい氷は、金時計以上に彼を大切にいたわったらしい。元気に満ちた風貌は、登山にでかけた朝そのままだった、そして、その氷の上にひざまずくしわだらけのとしとった女は、わが子のような青年の姿をみながら、さめざめとすすり泣く――
みていたチャロナーは、今さらのように、自分の青春がとうの昔に過ぎさったことをしみじみと感じた。かの女の青春も過ぎ去った。「私もだんだん齢をとります」口でもしじゅういっていたが、それは本当の言葉の意味を知らずにいっていたのだ。が、いまや本当にその言葉の意味を痛切に知った。氷の中の子供のような若々しい青年にくらべれば、彼も女もともに老人で、その青春はもう掴もうとしても手のとどかぬ、遠いはるかな国へ飛びさってしまったのだ。
やさしく女を立ち上らせて、
「氷を掘らせますから、ちょっとのいてください。掘れたら呼んであげます。」
云われるままに、女は五、六歩そこをしりぞいた。チャロナーは人夫を呼んで氷をわらせ、屍体発掘がすむと女を呼んだ。
かの女と屍体とのあいだには、もうガラス板ほどのへだたりもない。青年とやつれた女は、こうして二十四年ぶりの対面をした。
だがこの時、ちゃりんと音を立てて、青年の体から妙なものがおちた。そばでみていたチャロナーが、急いで拾い上げてみると、それは糸のように細い金鎖のさきについたロケットなのであった。青年の頸にかけてあったのが切れたのであろう。チャロナーがそのロケットの蓋を開けてみると、なんと、美しい、がどこか俗悪な、見知らぬ女の写真が、大胆にこちらをむいてにっと笑っているのだ。とっさに彼はリフェルアルプ・ホテルの女支配人の言葉、「わたしだったら、自分の娘をあんな男のところへ嫁にやらぬ」といったのを思い出した。
ふと気がついてみると、白蝋のように蒼ざめた女が、いぶかしげに彼をあおいでいる。
「なんです、それは」とかの女がきいた。
いそいでチャロナーは蓋をしめて、
「あなたの写真です。」
「あら! あの人が、わたしの写真のはいったロケットをもっているはずはありませんわ!」
おりから、山のはに七月の太陽がのぼって、断崖や氷河を金色にそめるのだった。』(青空文庫)
今回の新聞記事を読むと、75年ぶりに遺体が発見された理由は、「氷河が融けて後退したため」とされています。一方、「青春の氷河」において24年ぶりに発見されたのは、「氷河が下流に流れて末端に到達したため」ということで、理由が全く異なります。
75年ぶりの今回について、「氷河が下流に流れる」ことによる影響は一部でもあったのかなかったのか、気になる所です。