弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

消費増税法案の中味は?

2012-06-29 21:05:07 | 歴史・社会
消費税増税法案は、3党合意案が衆議院で可決しました。
世の中は、その後の民主党の内紛で大騒ぎですが、3党合意の中味についてはよくわかりませんでした。
本日、古賀茂明氏のメルマガ最新号が到着しました。それによると、3党合意の中味はとんでもないことになっているようです。

■消費増税は社会保障以外に使われる
『6月26日、消費増税法案が衆議院を通過した後の記者会見で、野田総理は、今回の増税の目的は、「社会保障を持続可能なものにする」、「すべて社会保障に還元される」ことだと述べた。しかし、それは真っ赤な嘘だということが法案に書いてある。
今回の政府提案時の消費増税法案には、いわゆる「景気条項」と呼ばれる条文があった。附則の第十八条である。(附則18条の条文を末尾に示します)・・・
第1項は、要するに、2011年度から10年間の平均経済成長率を名目3%、実質2%程度になるように必要な措置を講じるという趣旨である。第2項を要約すれば、経済状況を増税前に点検して、必要なら増税の実施を停止するという意味だ。
・・・
しかし、この景気条項は、第2項だけでなく、第1項、すなわち、「成長のために必要なことをやる」という部分も重要だ。その意味はいろいろ解釈できるが、成長のためと称してバラマキに使われるのではないかという指摘がなされていた。今回の修正後の条文では、この懸念が正しかったことが明らかになった。』

●増税する前からバラマキが始まっている
『修正によって、第1項と第2項の間に新しい条項が加えられた。(修正条文も末尾に示します)
その最初の部分では、消費増税をすると収入が増えて余裕ができるというのです。そして、後段では、その増収分を「成長戦略や『防災、減災』などの分野に重点的に配分する」ということになります。つまり、消費増税で楽になった分を「社会保障」ではなく、「防災、減災」という名の公共事業バラマキ予算に振り向けますよということが、自民党と公明党の要求によって消費税増税法案に条文として明記されてしまったのです。
自民党が国会に提出している「国土強靭化基本法案」のバラマキ規模は10年間で200兆円といいますがその理屈として出しているのが「防災」ということです。

『財政が苦しいから増税するといっていたのに、増税を実現するために増税前からバラマキを始める。しかも、増税する時には、増税後景気が悪くなったら大変だという名目でまたバラマキ公共事業を追加することは必至だ。これでは何のために消費増税をするのかまったく分からない。』

民主党は、それでも遠慮がちに消費税10%増税案を提出しました。「社会保障のために消費増税が必要だ」として国民の理解を得ようとしました。それに対して自民・公明両党は、増税に賛成する見返りとして、上記のような修正を強要していたのです。

●財務省が自民党を使って骨抜きにした「歳入庁創設」の条文
野田政権が提出した法案では、その本則の第7条第八号に「歳入庁の創設による税と社会保険料を徴収する体制の構築について本格的な作業を進めること。」という条項が入っていました。これが実現すると、国税庁が財務省から切り離される可能性が高くなります。
国税庁を失うことを恐れた財務省は、何とかこの条項を落としたいと考えていたのですが、谷垣自民党使ってそれを実現してしまいました。
現在の自民党の長老たちはとにかく公共事業のバラマキの利権に割り込みたいと思っています。それを巧みに利用した財務省は、うまい条文を作って修正協議の中で自民党にそれを提案させました。政府提案の先の条項を削除して、新たにやはり本則第7条第八号として、「年金保険料の徴収体制強化等について、歳入庁その他の方策の有効性、課題等を幅広い観点から検討し、実施すること。」という条文に差し替えたのです。
この条文なら、「歳入庁その他の方策」となっていて、選択肢が歳入庁に限定されていません。
前の条文が「本格的作業を進める」としていたのに対して、新しい条文では「有効性、課題等を検討する」ことを前に置きました。
『要するに、歳入庁は作らないことにしたというのに等しい。あるいは、良くても、まったくの白紙ということだ。野田民主党はそれを呑んだ。財務省の完勝と言える今回の法案修正通過である。』

3年前に政権交代があった後、それまで与党であった自民党は、解党的出直しで日本国を担うにふさわしい政党に生まれ変わるべきであったし、われわれもそれをこそ期待していました。しかし、今の谷垣自民党は、ものすごく悪くなっています。政権を担っている民主党には「がっかりだよ!」ですが、それよりもさらに悪い政党に成り下がっていますね。
聞くところによると、3年前の衆議院選挙で、自民党では長老議員が何とか生き残り、一方で中堅の改革派議員が多く落選したとのことです。それでですか。現在の自民党は長老支配で、改革の推進は全く期待できません。
現時点で衆議院総選挙があったら、これら自民党長老派はことごとく落選することを本人たちも知っていますから、総選挙には反対でしょう。谷垣さんは、落選議員からは総選挙を要求されていますが、一方で現職議員は総選挙したくないのですから、どっちつかずで迫力を出すことができません。

そして、完全勝利を収めたのは財務省です。

いったい、これからの日本はどうなるのでしょうか。民自公3党合意は、戦前の大政翼賛会を連想させます。民自公の後に財務官僚の絶対権力が隠れているのも、戦前の軍部(官僚)とどうしてもイメージがダブってしまいます。
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附則の第十八条
第1項「消費税率の引上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、物価が持続的に下落する状況からの脱却及び経済の活性化に向けて、平成二十三年度から平成三十二年度までの平均において名目の経済成長率で三パーセント程度かつ実質の経済成長率で二パーセント程度を目指した望ましい経済成長の在り方に早期に近づけるための総合的な施策の実施その他の必要な措置を講ずる。」
第2項「この法律の公布後、消費税率の引上げに当たっての経済状況の判断を行うとともに、経済財政状況の激変にも柔軟に対応する観点から、第二条及び第三条に規定する消費税率の引上げに係る改正規定のそれぞれの施行前に、経済状況の好転について、名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認し、前項の措置を踏まえつつ、経済状況等を総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる。」

第1項と第2項の間に加えられた新しい条文
「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する。」
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陸山会虚偽報告書作成の田代検事は不起訴か

2012-06-25 21:38:02 | 歴史・社会
陸山会事件の虚偽捜査報告書作成問題については、報告書作成名義人である田代検事の勘違いによるものだ、という当初の報告から、虚偽記載は報告書全体に及ぶのでとても勘違いで済ますことができないという話に変化してきました。とても不起訴で済む話ではなさそうです。
さらに、この虚偽記載は田代検事一人の犯罪ではなく、東京地検特捜部の組織犯罪ではないか、という疑いがあります。検察審査会をミスリードして小沢一郎氏を起訴に持ち込むべく、東京地検特捜部が組織として画策したのではないかと。
田代検事の上司も関わっているとしたら、田代検事一人を起訴した場合、田代検事が洗いざらい内幕を暴露する可能性があります。そのような事態を避けるためには、検察としては、田代検事を不起訴にするしかありません。しかしそれでは世論が黙っていないでしょう。

田代検事を26日にも処分 虚偽捜査報告書問題
2012/06/22 21:25 共同通信
『陸山会事件の捜査をめぐる虚偽捜査報告書問題で、刑事告発された元東京地検特捜部の田代政弘検事(45)について、法務・検察当局が26日に刑事処分と人事上の処分を行う方向で調整していることが22日、関係者への取材で分かった。
滝実法相も同日の記者会見で「来週中に人事処分の結論を出したい」と述べた。
26日に予定される社会保障と税の一体改革関連法案の衆院採決が延期された場合など、政治日程によっては、処分がずれ込む可能性がある。
田代検事と当時の上司らに対する刑事告発はいずれも不起訴処分とする
一方、田代検事と佐久間達哉前特捜部長(55)は懲戒処分とする見通し。』

26日に処分を行うということは、消費増税の衆議院採決騒動のドサクサに紛れてしまおうとの魂胆が見え見えです。さらには、もし採決の日程がずれ込む場合には処分の日程もずれ込むとは何事でしょうか。見え見えどころか、あまりの姑息さに開いた口がふさがりません。

本件について郷原弁護士はどのように論評しているでしょうか。

「取調べ可視化」の問題は、陸山会事件をめぐる検察不祥事の本質ではない
2012年6月23日 郷原信郎
『「陸山会事件の虚偽捜査報告書作成問題を受け、最高検は23日までに、再発防止策として、検察審査会の起訴相当議決を受けた再捜査の取り調べを、録音・録画(可視化)することを決めた」(時事通信)。』
『他紙の報道からも、虚偽報告書作成問題に関する検察の処分は、来週中に公表される見通しのようだ。それが、消費税増税法案採決の方にマスコミや世の中の関心が向かっている間に、陸山会事件不祥事についての全面不起訴という社会に説明不能な処分を、できるだけ目立たない形で行い、この問題に対する説明責任から免れようとする意図によるものだとすれば、もはや検察の再生は絶望的だと言わざるを得ない。』
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NHKスペシャル「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃~」

2012-06-24 18:34:42 | 歴史・社会
6月23日のNHKスペシャルは「産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃~」でした。

今まで私は、「マル高出産」ということで、以前は30歳、最近は35歳を超えると出産が苦しくなる、ということは知っていました。
つい最近、新聞か何かで「35歳を過ぎると、受精卵の着床率が低下し、妊娠しづらくなる」という話を始めて聞きました。つまり、女性が高齢になると、出産に困難が伴うという以前に、妊娠が困難になる、ということです。

今回のNHKスペシャルはまさにその話題でした。
一言で言うと、「女性が持っている卵子は女性の年齢とともに劣化する。そのため、受精しても正常に育つ比率は、年齢とともに低下する。35歳を過ぎると劣化が進行し、40歳を過ぎると妊娠率は大きく低下する。」ということのようです。
不妊治療を行うにあたっても、不妊治療の成功率は女性の年齢とともに低下するのです。ですから、不妊治療を受けようと思うのであれば、できれば35歳前に受けるべきです。ところが、日本では、不妊治療に訪れる女性の年齢が35歳を超える比率が非常に高いのです。

問題は、日本人が「卵子は女性の年齢とともに劣化するので、不妊治療も35歳前に受けることが非常に重要」という事実を知らずにいることです。私は、そのような事実は最近になって明らかになったのかと思っていました。ところが実際は、
先進国の中で、卵子の劣化についての知識が国民に普及していないのは日本だけ
というのが実態だとのことです。私にとってはこのことが最大のショックでした。

日本では、「不妊治療の費用は一部のみが公的負担、年齢制限なし」です。
一方フランスでは、「不妊治療の費用は、女性が41歳以下であれば全額公費負担」という制度です。41歳を過ぎると公費でまかなってもらえません。また、夫婦で一緒に治療を受けることが公費負担の前提です。

以上のような制度の違いがあるので、フランスでは、不妊治療を受けるのであれば若いうちに受ける、ことが徹底しています。日本は逆に、35歳を過ぎてから不妊治療を始めるので、治療効果を上げることが困難なのです。

日本で女性の不妊治療開始年齢が高齢である理由が二つあがっていました。
第1は、働く女性が、自分のキャリアが軌道に乗ってから妊娠・出産しようと計画するため、どうしても高齢妊娠になってしまうという点があります。高齢になって妊娠を望んでも妊娠しないので、その時点で不妊治療の門を叩くことになります。
第2は、夫の無理解があります。不妊の原因が男性側にある場合が多いので、不妊治療は夫婦がともに受診しないと意味がありません。ところが、男性の側に勇気がなく、逡巡しているうちに何年かが経過してしまいます。男性側に不妊の原因があっても、体外受精で対応できる場合があります。ところが、やっと男性が決心したときには、女性の年齢が高齢化し、卵子が劣化しているため、体外受精の成功率が大幅に下がってしまうのです。
女性の年齢が40歳を過ぎると、体外受精の成功率は確か10%程度あるいはそれ以下でした。

少子高齢化が進む日本では、出生数の増加が急務です。私は特に、「優秀な夫婦が多くの子供を産み育ててほしい」と希求するものです。
しかし、優秀な女性ほど、働くことによって自分の存在意義を確かめたい要求を持っています。従って、私の希望を叶えようとしたら、「優秀な女性が若いうちに妊娠・出産できるような環境を整える」ことが必須となります。そのためには「優秀な女性が若いうちに妊娠・出産しても、その女性のキャリアに支障を来さないような制度が充実している」ことが必要です。
「男女機会均等」ではこのような条件は実現しません。私は、「男女で機会を不均等にし、女性を優遇しないと、今後の日本は立ち行かない」と思っている次第です。
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米提供汚染地図と枝野官房長官(当時)

2012-06-20 20:34:13 | サイエンス・パソコン
米提供の汚染地図について、昨日6月19日に枝野経産大臣が記者会見で発言したようです。
そこで、昨日に引き続き、この話題で3報目をアップします。

米提供の汚染地図活用されず 経産相が謝罪
日本テレビ系(NNN) 6月20日(水)3時55分配信
『・・・
枝野経産相は19日の会見で「長期間対応できなかったことは誠に遺憾でありまして、保安院の中において適切に情報共有、役割分担がなされずに、適切に対応できなかったことは大変反省すべきだ」と話し、保安院に対して、強く指導していくと述べた。
一方で、自身が官房長官だった東日本大震災当時は、アメリカ政府が作成したこの地図の存在を知らなかったという。』

枝野経産相の最後の発言ですが、「官房長官であった全期間、この地図の存在を知らなかった」というのはさすがに有り得ないと思います。いったい枝野官房長官(当時)は、どの時点で米提供汚染地図の存在を知ったのでしょうか。ちなみに私は、昨年3月24日に朝日新聞夕刊記事によって知りました。

まずは枝野経産相の記者会見の記録を探しました。経産省ホームページには掲載されていません。検索の結果、枝野経済産業大臣記者会見【2012年6月19日(火)】の動画(ユーチューブ)を見つけることができました。16分8秒の会見の一番最後の質疑です。
『朝日記者:当時官房長官として、アメリカからデータを与えられていたことについてご存じたったのか、全く知らなかったのか。いつの時点で知ったのか。

枝野大臣:少なくともこの時期には知らなかった。アメリカが空からモニタリングしたという話については、その後 ○○(報道?)かなにかで知った、かなり後になるという記憶だけ残っています。』

米国から外務省経由で経産省安全保安院が(全体)情報を入手したのが3月20日、米国エネルギー省が全世界に公表したのが米国時間3月22日(日本時間23日?)です。私は当然、枝野官房長官は23日に情報を把握したと信じていました。20日から起算すれば3日後です。
「かなり後」とはどの程度後でしょうか。「3日後」は普通「かなり後」といいません。やはり「1~2週間後」または「1~2ヶ月後」といった語感があります。

また、汚染地図を知った後、当時の官房長官であれば、「この地図は住民避難計画立案に大きな助けになる」と直感したはずです。そして、その時点で避難計画に役立てていないのであれば、ただちに役立てるように指示するはずです。しかし、上記記者会見での質疑では、その当時そのような重要性を認識した気配はゼロです。他人事のようです。

会見では、たった3日間、情報をため込んでいた保安院を「長期間対応できなかったことは誠に遺憾でありまして」としてきつく叱る姿勢を見せていますが、官房長官自身が知り得た時期から自分が放置した期間の方が、ずっと長かった可能性があります。
報道はこの点を見逃してはなりません。

去年3月23日の後、国際原子力機関(IAEA)が「飯舘村の住民を避難させるべきだ」と勧告したとき、枝野官房長官が自分の口で、「その必要はない」と会見したのを私はテレビでしっかりと見ています(3月31日)。政府が前言を翻して飯舘村住民の避難を決定したのはそれからずっと後(4月22日)でした。
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米軍機による放射能モニタリングデータ・続報

2012-06-19 20:26:33 | サイエンス・パソコン
昨日に引き続き、昨年3月の米軍機による放射能モニタリング地図のニュースです。
本日の朝日新聞は以下のように報じています。
米提供の汚染地図「避難に生かさず反省」 保安院
2012年6月19日8時1分 朝日新聞
『東京電力福島第一原発事故の直後、米国から提供された実測に基づく汚染地図を政府が放置していた問題で、避難計画づくりを担う経済産業省原子力安全・保安院の山本哲也首席統括安全審査官が18日に記者会見し、「住民避難に生かさなかったことは誠に遺憾で、反省している」と謝罪した。経産相や保安院の幹部職員にもデータの存在は伝わっていなかった可能性が高いとしている。
山本氏によると、汚染地図は、保安院に設けられた緊急時対応センターで放射線への防護対策などに当たる「放射線班」に届いたが、同センターで住民避難を担う「住民安全班」には伝わらず、共有されていなかった。放射線班は主に文部科学省職員で構成され、汚染地図をどう扱ったかは今も不明だという。山本氏は、昨年3月18日と20日に加え、23日にも測定結果や汚染地図が外務省を通して電子メールで届いていたことも明らかにした。
一方、放射線測定を担う文科省科学技術・学術政策局の渡辺格次長は「必要なら保安院が公表すると思っていた。文科省の不手際はなかった」と記者団に説明した。(砂押博雄)』

この問題は、時期を2つに分けて別々に考える必要があります。

《去年3月18~22日》
外務省を通じて米国から情報提供を受けて以降、情報が世界に公開されるまでの時期です。
この間は、政府の一部官僚のみが情報を知っていた状況であり、なぜその情報が必要な箇所にタイムリーに伝わらなかったのかが問題となります。

[文部科学省]
原発周辺の人たち、福島県、日本政府がひっちゃかめっちゃかになって対応に奔走していたそのとき、文部科学省は全く他人事のように対応していたのですね。
文部科学省は、放射線モニタリングに関して責任を有し、一方で地震と津波の影響で地上モニタリングが困難な状況にあったのですから、こんな他人事で済ませてもらっては困ります。
このことは、SPEEDIは活用できなかったかで私が主張したことともつながります。文部科学省は事故直後、SPEEDIの生データを福島県庁にメールで送りつけるだけでした。受けとった福島県庁の放射線担当者は多忙を極めており、解読が難しいSPEEDIの生データを解読して避難に役立てることなど不可能でした。私は、「このとき、文科省は、SPEEDIの専門家を福島県庁に派遣すべきでした。そして、県庁職員と一緒になって、SPEEDIのデータをどのように活用して県民避難を行うべきか、サポートすべきだったのです。もしそのような対応をしていたら、SPEEDIデータを活用して住民避難を行うことができたことでしょう。」と主張したわけですが、他人事の文部科学省にそんな知恵が湧くはずがない、ということになります。

[原子力安全保安院]
昨日の朝日新聞記事によると、政府の緊急時対応センターが置かれた保安院の一室のホワイトボードに、汚染地図がA2判の大きさに拡大されて掲示されていました。本日の記事では、『一緒に仕事をしていた保安院の「住民安全班」がこの掲示に気づかないのは不自然』としていますが、全くその通りです。
経産省配下の保安院は、文科省デスパッチ主体の放射線班に責任を押し付けようとしているようにも見えます。
いずれにしろ、霞が関の「縦割り」とは、“実際には見えているものも見ない”という摩訶不思議な習性を有しているのでしょうか。

《3月23日以降》
米国時間3月22日に米エネルギー省は情報を公開しましたから、日本時間の23日以降、米軍機による放射線モニタリングマップは日本中が知るところとなりました。私も、24日の夕刊記事で知りました。
政府の原子力災害対策本部や官邸は、公開された米軍機による放射線マップに接して、いったいどのような対応を取ったのでしょうか。
明らかにすべきは次の2点です。
1.航空機モニタリング放射能マップに接して、その情報を住民避難にどのように活用したのか。
2.「公開前に日本に情報が伝達されていたのではないか」との認識を当然に有したはずだが、官邸はその点をどのように確認したのか。

私たちが現実的に知っていることは、20キロ圏外の高汚染地区に対する避難の対応が著しく遅延したことです。飯舘村を中心とする20キロ圏外の避難区域を指定したのは、4月22日になってからだといいます。
保安院と文科省が情報を伝達しなかったことを責める前に、その情報を知った後も役立てることができなかった政府をこそ責めるべきかもしれません。
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政府は米軍機による放射能モニタリングデータを受領していた

2012-06-18 21:05:55 | サイエンス・パソコン
去年3月11日の福島第一原発事故発生直後、どの範囲の住民の皆さんに、どの方向に避難してもらう必要があるのか、その点を迅速に明確化すること死活的に重要な事項でした。ところが、そのために100億円以上もかけて構築したSPEEDIは威力を発揮することができませんでした。地震被害のため、放射能放出源データを入手できなかったから、とされています。
原発周辺各地の放射能汚染状況は、地上モニタリングで収集する予定でした。ところが、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)が2011.12.26に公表した中間報告によると、地上でのモニタリングは、地震や津波による被害(モニタリングポストの損壊、道路、通信途絶)でままならなかったことが明らかです。

今回事故のこのような状況に鑑みれば、航空機による絨毯モニタリングが威力を発揮したはずです。文部科学省は自前の機器を用いて計測を試みましたが、結局去年3月25日以前には計測を開始することができませんでした(原発事故直後の航空機による放射能モニタリング)。

一方、米軍が航空機モニタリングで詳細なデータを採取していたことは、去年3月24日には知れていました。去年3月27日にこのブログの「放射能拡散状況の実態」で紹介したように、3月24日の夕刊に、米軍機が測定した放射能汚染状況を示すマップが公表されたのです。記事によると、17~19日に測定が行われたとあります。さらに米国エネルギー省のサイトには、3月22日付けのデータも掲載されており、少なくとも米国時間22日には全世界にデータが公表されていたことを裏付けます。

米軍が去年3月17~19日に行った航空機モニタリングデータが存在し、米国時間3月22日には全世界に公表され、日本時間3月24日の夕刊で私が知得したことは明らかです。さらに私は、このデータを公表前に日本政府が受領していたに違いないと考えていました。
それというのも、日本政府がSPEEDIのデータを国民に公開する前に米軍に情報提供していた、として問題視されたことがありました。この報道から私は、日本政府がSPEEDIのデータを米軍に提供したそのとき、米軍から航空機モニタリングのデータを日本政府は受領していたに違いないとふんでいたのです。そして追求すべきは、「日本政府はなぜ米軍の航空機モニタリングデータを生かせなかったか」という点であると考えていました。そこで今年1月21日、政府事故調査委員会に対して、「米軍の航空機モニタリング結果を対策本部での避難計画策定に用いようとするアイデアはなかったのか、官邸が知っていたとして利用に至らなかった理由は何なのか、その点についてぜひ最終報告で明らかにしてほしいと考えます。」とするメールを送ったのでした(原発事故直後の航空機による放射能モニタリング)。

本日6月18日、上記疑問に対する回答が報道されました。朝日新聞朝刊1面トップです。
米の放射線実測図、政府が放置 原発事故避難に生かさず
『・・・
米エネルギー省は原発事故直後の昨年3月17~19日、米軍機2機に、地上の放射線量の分布を電子地図に表示する空中測定システム(AMS)と呼ばれる機材を搭載して、福島第一原発から半径約45キロの地域の線量を計測した。
・・・
外務省によると、測定結果を基に作製された汚染地図は3月18日と20日の計2回、在日米大使館経由で同省に電子メールで提供され、同省が直後にメールを経済産業省原子力安全・保安院と、線量測定の実務を担っていた文部科学省にそれぞれ転送した。文科省科学技術・学術政策局の渡辺格次長ら複数の関係機関幹部によれば、同省と保安院は、データを公表せず、首相官邸や原子力安全委員会にも伝えなかったという。』

3月18日には17日の測定データが、20日には17~19日の3日分の測定結果が提供されました。

朝日新聞が、文科省や保安院が汚染地図を早くから入手していたらしいという情報をつかんだのは、昨年10月末だったとのことです。私が「日本政府はデータを受領しているに違いない」とふんだ時期よりも早かったですね。しかし取材は、「役所の壁」にぶつかり、難航を極めました。
『文科省科学技術・学術政策局の渡辺格次長は取材に対し、汚染地図の存在を原子力安全委員会や官邸だけでなく、文科相や政務三役にも伝えていなかったことを明らかにし、「当初は測定結果の精度がどの程度のものなのかさえ分からなかった」と釈明した。』
文科省は、放射能モニタリングに関する責任を負っている部署です。その部署が「測定結果の精度がどの程度のものなのかさえ分からなかった」と言い訳するようではお粗末すぎます。
『渡辺次長に重ねて問うと、「当時は我々に任されたモニタリングをきちんとやることが最大の課題だった」と返答した。』
信じられません。
地上モニタリングポストは地震で全滅し、自動車による移動モニタリングも道路が損壊してままならず、文科省による航空機モニタリングも3月25日まで開始することができなかったのです。突然舞い込んだ米軍データは、放射能評価の責任を負った専門家の目から見たら即座に「プラチナデータ」と判断されるべきでした。
『政府の原子力災害対策本部の事務局として避難計画をつくる中心的な立場の保安院が、汚染地図を受けとりながら公表せず、関係機関に伝えていなかったことも複数の政府関係者の証言で確認できた。』
『避難住民に一刻も早く情報を伝えるという責任感は文科省にも保安院にも希薄だった。』

日本の中枢を支えている高級官僚の意識というのは、やはりこの程度のものなのでしょうか。
ところで、当時は「管直人リスク」最高潮の頃でした。管直人首相は、官僚が報告に行っても怒鳴り飛ばすばかりで、官僚が総理に近寄ろうとしなかったといいます。それがために、必要な情報が官邸に上がらなかった可能性もあります。もっとも、怒鳴られるのがいやで必要な情報を上にあげないという高級官僚の態度もひどすぎますが。


6月18日朝日新聞朝刊より
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原子力規制委法案、衆院通過

2012-06-16 15:33:22 | サイエンス・パソコン
原子力規制委法案、衆院通過へ
2012/6/15 13:52
『原子力安全行政を一元的に担う独立性の高い原子力規制委員会を設置する法案が15日午後の衆院本会議で可決、衆院通過する。・・・法案は参院でも午後の本会議で審議入りし、今国会で成立する見通しだ。
原発事故などが起きた場合、技術的・専門的な知識が必要な判断は規制委に委ねる。
・・・
規制委は9月までに発足する見通し。独立性の高い国家行政組織法第3条に基づく「三条委員会」とする。有識者で構成し事務局として原子力規制庁を置く。規制庁に移った場合に出身省庁に戻さない「ノーリターン・ルール」は経過措置を設けて原則として全職員に適用。平時の防災体制として、首相を議長とし全閣僚らで構成する原子力防災会議を創設する。』

原子力規制組織の法制化について、古賀茂明氏は「原子力ムラによって骨抜きにされつつある」とずっと危惧していました(大飯原発再稼働をめぐる動き原子力規制組織制定の動向で紹介)。それでは、衆議院で通過したという法案はどんな法案になっているのでしょうか。

昨日、ちょうど古賀茂明氏のメーリングリストが届きました。以下のように論じておられます。

●3条委員会が完全骨抜きに
『形は3条委員会なのだが、よく見ると独立性は極めて弱くなってしまった。・・・
修正協議の過程で、原子力防災会議(仮称)という組織を作ることが突如浮上した。・・・この会議は「原子力事故が発生した場合に備えた政府の取り組みを確保するための施策の実施の推進をする」と書いてある。』
原子力防災会議に置かれる事務局職員にはノーリターンルールが適用されないので経産省や文科省などの原発推進官庁の官僚が大量に出向してくることが予想されます。『そして、彼らの親元の原発推進の意向を受けて、規制委員会が厳格な安全規制を行うことをとことん妨害するだろう。
こんな組織をおくことは百害あって一利なし。直ちにこんな修正は葬り去らなければいけない。』
搦め手からこのような姑息な手段で骨抜きが図られているということですか。

●規制委員会事務局も原子力村の植民地に-ノーリターンルールの骨抜き
『「推進官庁への配置転換を認めない」として、「ノーリターンルール」を適用するように見せながら、いくつもの抜け穴を作った。』
例えば、いったん他の省庁に配置換えして、その後すぐに親元の経産省等に戻すことは可能です。
さらに、5年間は例外規定を設けているので、5年間はノーリターンルールが適用されません。また、ノーリターンルール適用は「給料アップ」等の処遇充実策を実施するまで先送りするという規定が入るそうです。給料アップをしない限り、いつまでたってもノーリターンルール適用が開始されないということでしょうか。

●国会事故調の報告書は3年間無視
国会事故調の報告書が6月に発表されるのですから、本来はその報告書を待って新たな規制機関の議論をするべきだったのです。それを待たずに急いだのは、国会事故調の厳しい指摘を免れるためだ、と古賀氏は言います。
野田総理は、記者の質問に対して、「(事故調報告書の)ご指摘というものを真摯に受け止め」とだけ発言したのだそうです。「反映する」と言わずに単に「真摯に受け止める」とだけ発言したのは、霞が関レトリックでは事実上無視することを意味するのだそうです。
『この法律の見直し規定では、40年廃炉とは別に、規制委員会などの見直しを3年後とした。事故調の報告書はその規定の中で「踏まえる」とだけ書かれた。踏まえれば無視してもよい。「反映する」とは書かれなかった。「尊重する」とさえ書いてもらえなかった。しかも、踏まえるのは3年後だ。つまり、3年間は完全無視ということだ。
事故調の報告書が出たら、おそらく、今の法案のような骨抜きの規制体系は根底から否定されることになる。それが6月末に出たら、それを反映しろという議論が出る。それに対抗するために、3年間は無視してよいという条文を予め入れる訳だ。
本当に呆れてしまう。怒る気力さえなくなってくる。』

6月15日に衆議院で可決したという法律案は、いったいどのような法律なのでしょうか。衆議院や参議院のホームページで探しましたが、どうしても該当する法律案を見つけることができません。古賀氏が言うように、本当に自公民の裏談合で決められており、国民もマスコミも実態を把握できない状況に置かれているようです。
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対オーストラリア・アウェイ戦

2012-06-13 22:13:37 | サッカー
オーストラリア戦は、最初から最後までストレスがかかりっぱなしの観戦となりました。唯一、栗原の先取点時には絶叫できましたが。

オーストラリアは、中盤をすっ飛ばして前線のケーヒルらにロングボールを供給するワンパターンですが、そのワンパターンがよく決まっていました。ケーヒルは、ディフェンスと競り合いながらよくもあんなに後方からのロングフィードをボールコントロールできるものです。
オーストラリアの現在の実力がフォローできていませんでしたが、やはり強いチームのようです。

最終予選最初の2試合、日本代表で私が感心したのは、シュートのほとんどがゴールの枠をとらえていたことです。
長い間日本代表は「決定力不足」と言われてきました。シュートを打ってもゴールの枠に入らない。Jリーグでの試合では得点できるのに、なぜか代表として闘うと金縛りにあうかのようです。メンタルだろうと推測していました。その金縛りを、日本は最近克服していました。
ところがオーストラリア戦では金縛りが再発してしまったのでしょうか。「打てるのにシュートを打たない」という場面も何回かありました。
もっとも、オーストラリアもシュートが外れていました。日本とオーストラリアのどちらか、シュートが枠を捉える率が高い方が勝利したかもしれません。

内田へのイエローとPK、栗原への2枚目のイエローと退場、いずれもその原因となったファウルがあったのかどうか判然としません。主審は、ミリガンをイエロー2枚退場としたことを負い目に感じて、さらにはスタンドから「日本のファウルをPKに」との威圧を感じて、あのようなジャッジに至ったかもしれません。
日本サッカー協会は、もしジャッジが不当だと判断するのであれば、きちんとFIFAに抗議すべきでしょう。不適切なレフェリーを排除しないと、公正な試合が担保できません。

日本とオーストラリア、どちらが勝ってもおかしくない試合でした。逆にどちらも負ける可能性が半分はあったわけで、引き分けたことに関しては両方ともほっとしていることでしょう。

さて、9月の第4戦までに吉田は復帰しているでしょうか。
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SPEEDIは活用できなかったか

2012-06-12 18:42:11 | サイエンス・パソコン
<国会事故調>「官邸介入で混乱」福島原発の初動対応批判
毎日新聞 6月9日(土)21時51分配信
『東京電力福島第1原発事故の原因などを調べている国会の事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)は9日、当時首相だった菅直人氏や東電幹部らを聴取した結果などを踏まえ、主な論点についての見解を整理した。
・・・・
放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」が公表されず、住民の避難に生かせなかったとの政府への批判について「初動の避難指示に活用するのは困難だった」との見解を示した。理由としては「政府は100億円を超える予算を投入しながら測定地点の多数化・分散化を進めてこなかった」ためだとした。
SPEEDIに関し、政府の事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)は昨年12月の中間報告書で「避難の方向などについて異なった議論がされた可能性がある」とし、政府側の対応が適切であれば、活用できた可能性があったことを示唆している。』

今回の事故におけるSPEEDIの活用について、私は国会事故調とは別の意見を持っています。

SPEEDIデータの送付先は、政府中枢と福島県庁でした。政府中枢へ送られたデータが総理や官房長官の目に触れなかったことは明らかとなっています。総理や官房長官が見たからといって何ができたか不明ですが。

SPEEDIデータは福島県庁にも送られました。しかし、福島県はそのデータを活用することができず、その点が非難されています。例えばSPEEDIのデータ削除調査――福島県の説明は支離滅裂(週刊筋曜日)。
去年の3月12~15日、福島県庁の放射能関連担当者は多忙を極めていました。次々と変転する原子炉の状況確認と避難の指示でてんてこ舞いでした。そんな中、文科省はSPEEDIの膨大な生データをメールで福島県に送りつけるのみです。データから何を読み取り、県民避難にどう結びつけるのか、という点については多くの時間を要します。これでは、超多忙でもっと優先順位の高い緊急業務でてんてこ舞いであった県庁職員が対応できるはずがありません。

一般に、緊急異常事態発生時の役所の対応を見ていると、平時の組織がそのまま、緊急事態に対応しようとしています。外部から専門家を招き入れ、その専門家に大きな権限を付与する、という対応は全く見ることができません。恐らく、日本の法制は、「平時の役所が緊急時にもそのまま責任権限を発揮する」ということになっているのでしょう。しかしこれでは、迅速・的確な対応ができないことは明らかです。
福島県の平時の組織でいえば、放射能関連担当者の数は極めて少人数のはずです。去年3月11~15日に、その人数でSPEEDIの生データを解析できるはずがありません。
このとき、文科省は、SPEEDIの専門家を福島県庁に派遣すべきでした。そして、県庁職員と一緒になって、SPEEDIのデータをどのように活用して県民避難を行うべきか、サポートすべきだったのです。もしそのような対応をしていたら、SPEEDIデータを活用して住民避難を行うことができたことでしょう。
しかし当時の文科省には、そのような発想は一切ありませんでした。アリバイとして県庁にメールで生データを送ったらそれでお役ご免と考えていたのです。
今回の原発事故の反省としては、専門家を現地に派遣する方向に進むべきであり、超多忙だった県庁職員を非難しても何の意味もありません。
また、国会事故調が発表したように、「初動の避難指示に活用するのは困難だった」で終わらせることもありません。

今回、新たに原子力規制委員会が設置されるわけですが、SPEEDIについても原子力規制委員会に移行することになるでしょう。そうであれば、事故発生時には、原子力規制委員会がSPEEDIの専門家をただちに現地に派遣し、県庁職員と一緒になり、派遣された専門家がSPEEDIのデータを読み取って住民避難計画に直結すべきです。
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東電は、原発からの全面撤退を意図していたか否か

2012-06-11 18:39:58 | サイエンス・パソコン
<国会事故調>「官邸介入で混乱」福島原発の初動対応批判
毎日新聞 6月9日(土)21時51分配信
『東京電力福島第1原発事故の原因などを調べている国会の事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)は9日、当時首相だった菅直人氏や東電幹部らを聴取した結果などを踏まえ、主な論点についての見解を整理した。
・・・・・
月内の報告書とりまとめに向けて公表した。水素爆発が原発で相次いで起きた後、東電が原発からの職員の全面撤退を官邸に打診したとされる問題については「東電が全面撤退を決定した形跡は見受けられない」と結論づけた。』

現在までに知られている状況証拠をもとにしたとき、「東電が全面撤退を決定した形跡は見受けられない」とまで言い切れるのか、私は疑問に思っています。

事故直後、吉田所長が発信したファックスの文面の中に、吉田所長も「全面撤退か一部待避か」で逡巡した痕跡が残っていたと記憶しています。そこで今回、ネット検索してみました。

「撤退するか残るか」。東電と菅首相が直面した究極の選択
2012年03月21日
WEB RONZA 竹内敬二
『朝日新聞の記事をもう一つ。(2012年3月4日付、「福島第一原発 「運命の日」は3月15日だった」)
【格納容器が壊れれば大量被曝のおそれがあった。当時発電所内にいた720人のうち、免震重要棟で復旧にあたった70人だけを残し、650人は一時バスで発電所から退避した。だが、最初から残そうとしたのではないという説もある。吉田所長が保安院に(昨年3月)15日早朝に送ったファクスの中に「対策本部を福島第二へ移すこと」という一文があるが、うえに線を引き「一部が一時、避難いたします」と書き直している。
14日夜には吉田所長は死も覚悟していた。この状況について、清水社長が寺坂信昭保安院長(当時)ら関係者に電話した際、「一部要員を残す」と明言しなかったことが「東電の完全撤退問題」の原因とされるが、本当に完全撤退を考えていなかったのかどうかは不明だ。
東電は昨年12月「全員撤退については、考えたことも、申し上げたこともない」という社内調査の中間報告を発表したが、官邸は一時、東電が完全撤退すると確かに受け止めていた。】』

後出しジャンケンで言い逃れる東電をマスコミは黙認
2012年3月12日
宇佐美 保
『TBSテレビ(2011.12.25)「「報道の日 2011」記憶と記録そして願い」
テレビ画面に映ったこの書類(次の写真)の細部はわかりませんでしたが、書類の一番上には、「異常事態連絡様式」……と書かれ、平成23年3月15日 発信時間:6時57分 
それと、吉田昌郎所長の名前が発信者欄にあり、その下の名前(?)はテレビ側の処理で(?)消されていました。
そして、「作業に必要な要員を残し」の文言は、書面の一般の文字ではなく、あとから、○囲いで書き加えられていました。』(ファックス文面の写真

吉田所長による上記ファックスの文面を見る限り、最初は吉田所長も「全面撤退」を意図していたものの、その後思い直し、「作業に必要な要員を残し」を手書きで付け加えた、という推論も成り立ちます。

国会事故調は今回、『「東電が全面撤退を決定した形跡は見受けられない」と結論づけた。』と発表していますが、上記吉田所長によるファックスをどのように解釈したのでしょうか。

最も考えられる推論は以下の通りです。
『東電の社長は、「一部の要員は、死を覚悟して現場に残れ」という命令を発する勇気を持たなかった。そこで、アリバイとして、政府に全面撤退を要請し、政府から「一部を残せ」と言わしめた。東電社長は待ってましたとばかり、「はいわかりました」と従って、一部残留の命令を発した。』

東電社長と管総理とのやりとりはどうあれ、結果的に、東電らの一部職員(70人)は、いつ放射能の大量放出が起こっても不思議ではない第1原発に残留しました。そのときの記録を、私はNHK番組で見ています(NHKスペシャル「メルトダウン~福島第一原発 あのとき何が」)。
中央操作室での待機を命じられた職員たちは、誰ともなく「写真を撮っておこう」と言い出したようです。その写真がテレビ画面に映し出されました。全面マスクをかぶり、ガラスが曇っているため、表情は見えません。あのとき職員たちは、「次に自分たちが発見されるとき、すでに死に絶えているかも知れない。そのときに自分たちが生きていた証を、写真で残そう」と考えていたと思われます。
勇気ある職員たちがいたことを、われわれは忘れることができません。
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