弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ゼレンスキー・真珠湾・9・11

2022-03-19 09:18:41 | 歴史・社会
ウクライナのゼレンスキー大統領が、米国議会で演説を行いました。
ウクライナ大統領が米議会で一段の支援要請、「真珠湾を思い出して」
3/17(木) (ブルームバーグ)
『ウクライナのゼレンスキー大統領は16日、米連邦議会でオンライン形式で演説し、ロシアの侵攻阻止に向けた一段の支援を米国に要請した。真珠湾攻撃や2001年9月11日の同時多発テロを引き合いに出し、バイデン大統領に「世界の指導者」となるよう求めた。』
『米国は歴史を思い出すべきだ、ともゼレンスキー氏は発言。「真珠湾を思い出してほしい。1941年12月7日の朝、米国の空はあなた方を攻撃した戦闘機で黒くなった」とし、「それを思い出すべきだ。9月11日を思い出すべきだ」と続けた。』

私は、真珠湾と9・11に関して、ゼレンスキー氏が言おうとしたこととは別の感想を持っています。

《真珠湾攻撃》
日米開戦の前、日本とアメリカは何とか平和裏に問題を解決しようと、日米交渉を続けていました。しかし、ルーズベルト大統領率いるアメリカ政府は、すでに日本と戦争を行うつもりになっていました。ただし、米国海軍が、「開戦は数カ月待って欲しい」との希望を持っていたので、日米交渉でもあいまいな態度に終始していました。
突然、何か事情があって、アメリカ政府は日本政府に対して「ハル・ノート」を提示します。これは、当時の状況のもとでは、「アメリカの日本に対する最後通牒」と受け取れるような内容でした。アメリカの当局者は「これで日米開戦はすぐそこにある」と理解したし、日本の東郷外務大臣は「これで開戦を押しとどめることは不可能になった」と絶望しました。
ハル・ノート 2006-08-21
コーデル・ハル著「ハル回顧録」 2009-06-23

日米開戦直前のアメリカと、今回のウクライナ侵攻直前のアメリカを比較します。
日米開戦の直前、上記のように、アメリカはすでに日本との間に戦端を開くことを決めていました。「いつ、日本から攻撃させるか」に関し、まだ数カ月先を予定していましたが、何らかの極秘事情が発生し、それよりも前に日本に引き金を引かせるべく、ハル・ノートを発行しました。
ただし、アメリカは日本を見くびっていました。まさか、虎の子の空母艦隊を敵基地の直近まで派遣して航空攻撃を行うなど予想せず、日本の艦載機の基地在泊戦艦攻撃能力を見くびっていました。

アメリカは、ウクライナのNATO加盟はロシアにとってレッドラインであるとの進言を無視して、また独仏の反対にもかかわらず、2008年に「時期未定だがウクライナのNATO加盟の方向で進む」ことを決定しました。直近では、ロシアの再三の警告にもかかわらずこの方針を見直さず、また「ウクライナに米軍を派遣しない」と明言してしまいました。

アメリカは結果として、日本が真珠湾攻撃を行うことを後押ししたこと、ロシアがウクライナ侵攻を行うことを後押ししたこと、という点で、共通します。
ゼレンスキー氏が真珠湾攻撃を持ち出すのなら、この共通点に気づくべきでしょう。

ところで、"Remember Pearl Harbor"と言われます。これは、「日本による卑劣な奇襲攻撃を忘れるな」との意味で使われています。しかし、真珠湾攻撃についていろいろと研究した私から言わせれば、これは「油断大敵」を意味することわざと理解すべきです。
また、真珠湾攻撃は、ハル・ノートという最後通牒にも等しい文書を手交した相手国の、それも軍事施設を対象とした攻撃であって、市民への無差別攻撃ではない、ということも認識すべきです。
(ps 3/20) 真珠湾攻撃の時点で、アメリカは日本の外交暗号を解読しており、ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃が開始されたまさにその前後の時間帯に、日本が対米戦端を開くことを予知していました。真珠湾空襲までは知らなかったようですが予想はできたでしょう。アメリカから見て日本の空母艦隊が行方不明になっていたのですから。にもかかわらずその情報をハワイの軍司令官に伝達しなかったことは、油断、慢心としか言いようがありません。
ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていたか 2008-10-04
ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を事前に知っていたか(2) 2008-10-06
検証・真珠湾の謎と真実 2008-10-12

《9・11》
9・11があった結果として、アメリカ政府とアメリカ国民は逆上し、アフガニスタン戦争とイラク戦争をはじめました。
アフガニスタンの旧タリバン政府に対しアメリカは、アルカイダのウサマビンラディンの引き渡しを要求しました。タリバン政権が「客人を敵に手渡すことはできない」というイスラムの行動原理に従ったところ、アメリカはタリバン政権に敵対していた北部同盟に加担して軍事行動を起こし、政権を転覆させてしまいました。その後の傀儡政権に対するアメリカの支援は実を結ばず、というかますますアフガニスタンの国民を悲惨な境遇に陥れ、11年後にタリバン政権の復活、それも無血での政権交代に至りました。

イラクのサダムフセイン政権に対し、「大量破壊兵器を所有している」との(結果として)虚偽の大義をかかげ、イラク戦争を引き起こしました。フセインは死刑に処され、新政権が発足しましたが、その後、イラク国民が被った災厄は壮絶でした。リバーベンドのように、それまで普通にバグダッドでコンピューター技術者として働いていた女性が、難民としてシリアに出国せざるを得ない状況にまで治安は悪化しました。
リバーベンドが語るイラクの現状 2007-02-15
リバーベンドがイラクを脱出した 2007-09-19

アメリカはアフガニスタン戦争とイラク戦争でこれらの国々に戦争を仕掛けることにより、これらの国々の国民を悲劇のどん底に陥れました。その点で、ロシアによるウクライナ侵攻と共通します。
ゼレンスキー氏が9・11を持ち出すのなら、この共通点に気づくべきでしょう。
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ニコンミラーレスカメラz50

2022-03-15 16:37:20 | 趣味・読書
私はコンデジとしてキャノン・パワーショットのS90(2009年購入)、そしてS95(2011年購入)を購入し、ずっと使ってきました。2016年のオーロラ旅行に際し、S120に交換しました。
コンデジをキャノンS90からS95へ 2011-10-28
コンデジS90分解記 2012-03-20
オーロラ写真撮影の準備と実行 2016-02-06
S90,S95,S120いずれも、胸ポケットに入るコンパクトデジタルであり、ただし、撮像素子が、廉価版のコンデジ(1/2.4)に比較するとやや大きめ(1/1.7)ということで差別化されています。

デジカメの世界は、私がS120を購入した時点ですでにコンデジが衰退期にあり、S120はメーカー発売中止後でした。後継機は出ていません。スマホカメラによって駆逐されたのです。
私は海外旅行などで、ポロシャツの胸ポケットにカメラをしまい、シャッターチャンスにすかさず胸から取り出して写真撮影するスタイルを続けてきました。S120は、ナイアガラの滝では水浸しになり、スイスアルプスでは絶景を撮影し、6年にわたって活躍してきました。
ナイアガラの滝 2016-07-04
スイスの旅(2)マッターホルン 2018-07-20
スイスの旅(3)アイガー~ユングフラウ 2018-07-22
その意味ではコンデジを使い続けたかったのですが、後継機は存在せず、私は考え方を変えることとしました。

フィルムカメラ時代、それもオートフォーカスがなかった時代、一眼レフは小型でした。ファインダー画像は見やすく迫力があり、ファインダーで見る映像自体で感動することもありました。
コンデジの裏面液晶は小さいです。旅行などでは、遠景を見るために好適な眼鏡をかけており、小さな液晶画面に目を近づけることができません。常に、フィルムカメラ時代の一眼レフのファインダー像が懐かしく思い出されました。
デジタルでも一眼であれば、フィルム一眼と同じファインダー像が得られるわけですが、あんな重いカメラを持ち運ぶ気にはなれません。
ミラーレスの電子ビューファインダーについて、過去のものは画像が粗く、使う気になれませんでした。

1年ほど前、ぶらっとヨドバシカメラに入り、一眼(ミラー、ミラーレス)を見て回りました。「小型のミラーレスで、ファインダーを覗いたときに感動が得られるようなカメラはないか」という視点です。
店員さんに聞いてみたら、発売したばかりのニコンz50を紹介されました。ファインダーを覗いてみると、画面はそれなりに大きく、かつ画像の荒れも全然気になりません。
何より、セットズームレンズを装着して収納したときの大きさが小さく、この点を気に入りました。もちろん、ポロシャツの胸ポケットには入りませんが、カメラストラップでたすき掛けに脇に抱えるスタイルで行けそうです。
ただし1年前には、当面撮影のチャンスがなかったので、「撮影チャンスが来たら、その時点で他の機種も比較検討して購入することにしよう」と先延ばしにしました。

昨年10月、撮影チャンスをいつまで待ってもしょうがないので、その時点で再度機種比較していずれかのカメラを購入することに決めました。同じヨドバシカメラに出かけました。
z 50は発売から1年が経過しているので、当然競合機種が多数あるだろうと推測していたのですが、z 50は相変わらず優秀機種の一角に並んでいました。
撮像素子はaps-cとフルサイズ、ファインダーはミラーとミラーレスでそれぞれ比較しました。大きさからは、やはりaps-cのミラーレスに絞られます。ニコンz 50、ニコンz fc、富士フイルムの機種の3つが候補に挙がりました。電子ビューファインダーの出来の良さでは、店員さんはニコンお薦めでした。z fcは品不足のようであり、z fcの機能が欲しいとの希望もありませんでしたので、z 50に決めました。ダブルズームキットです。

z 50 ダブルズームキット 収納時


16-50mm(換算24-75mm)装着 レンズフード装着




50-250mm(換算75-400mm)装着 レンズフード装着




50-250mm(換算75-400mm)装着 収納時


予備用のバッテリーが品切れ状態で、別途アマゾンで購入依頼してしばらくしてから納品されました。
その他、標準ズーム16-50mm(換算24-75mm)のレンズフードを購入しました。上の写真で装着しています。こんなフードで役に立つのでしょうか。

結局、購入してから現在に至るまで、これといった撮影チャンスが訪れていません。

唯一、昨年10/27に歩いた「玉川上水13・幡ヶ谷~四谷大木戸 2021-11-28」のカメラとして使用しましたが、曇り空でもあり、カメラの特徴を引き出すには至っていません。
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ウクライナ問題

2022-03-14 08:47:34 | 歴史・社会
テレビのニュース番組、時事解説番組では、ウクライナへのロシア軍侵攻問題のオンパレードです。
しかし、戦争の実態については誰も把握できず、専門家といえども想像で話をするばかりです。また、戦場を遠く離れたこの平和な日本の地で、「プーチンは間違っている」と議論することに意味を感じることができません。
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まる前の段階では、「プーチンにウクライナ侵攻を思いとどまらせるにはどうしたらいいか」が必要な議論だったでしょう。
ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まってしまった現在、「当事国、当事者の不幸を少しでも減らすにはどうしたらいいか」が必要な議論です。

《ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まる前の段階》
プーチンが戦争に踏み切った最大の理由は、「NATOの東方拡大」にあったように思います。ウクライナがNATOに加盟すれば、ロシアは緩衝地帯を失います。それだけは絶対に許容できない。ウクライナへの軍事侵攻を行ってでも、ウクライナのNATO加盟を阻止したい、というのがプーチンの動機だったのではないか。ウクライナのNATO加盟はプーチンにとってのレッドラインであると。
ウクライナ国民を不幸のどん底に落とさないための対応とは、「ウクライナはNATOに加盟しない」とプーチンに信じさせることではなかったか。
2008年にNATOの東方拡大が図られたとき、ドイツとフランスはウクライナのNATO加盟に反対した一方、アメリカはむしろ推進の考えを持っており、結論は「時期は未定だがいずれウクライナはNATOに加盟する」ということのようでした。
アメリカという国は、リベラルな理想を追い求めるばかりで、それが当事国国民に不幸をもたらすことまでは配慮が及んでいないように思います。
(逆に、「2008年にウクライナが電撃的にNATOに加盟していれば、プーチンのウクライナ侵攻を防げたのではないか」との議論もあるかもしれませんが。)
アメリカは、ウクライナのNATO加盟を後押しすることによってプーチンを刺激する一方、最近のバイデン大統領は「ウクライナに米軍を派遣することはない」と繰り返し宣言し、プーチンの開戦に対する抑止の反対の動きをしていました。

2014年、ウクライナに政変があり、それまでの親ロ政権が倒れて反ロ政権が成立しました。その後、大統領が現在のゼレンスキーに交代しました。
ゼレンスキー大統領は、プーチンの上記レッドラインにどれだけ神経を使ったでしょうか。政治リアリズムに徹するのであれば、真の理想や希望を後ろに置いてでも、「ウクライナはNATOに加盟しない」と表明することにより、ロシア軍事侵攻を思いとどまらせ得たのではないか、と考えたりします。世界的英雄に上り詰めたゼレンスキーは、結果としてはウクライナ国民を不幸に追いやったのではないかと。

《ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まってしまった以降》
戦争は始まってしまいました。始まった以上、上記の議論はもう後の祭りです。
ウクライナ軍は善戦しています。ロシア軍は侵攻が頓挫し、甚大な被害を受けている模様です。ウクライナ軍善戦の背後には、アメリカを始めとする西側によるロシア軍情報の供与、対露兵器(対戦車携帯ミサイルや対空携帯ミサイル)の大量かつ迅速な供与が役立っているようです。
しかし、西側による兵器供与は、戦争を終わらす役には立っていないようです。逆に、ロシア軍の被害拡大と戦線の頓挫は、プーチンの激怒を呼んでいます。開戦当初は、できるだけウクライナ国民に被害が及ばないように作戦していたように思いますが、これからはウクライナ国民の殺戮を遠慮することなく、強力な火力でキエフ侵攻を実行しそうな気配です。
そうとすると、西側による兵器供与は、ウクライナ国民を結果としてより不幸にしているのではないでしょうか。

アメリカという国は、ロシア軍の軍事侵攻が始まる前も始まった後も、ウクライナ国民の不幸を最小限にするとのスタンスに立った冷徹なリアリズムで行動するのではなく、結果としてウクライナの不幸を増大しているように見えます。
ウクライナのゼレンスキー大統領も、ロシア軍の軍事侵攻が始まる前も始まった後も、ウクライナ国民の不幸を最小限にするとのスタンスに立った冷徹なリアリズムで行動するのではなく、結果としてウクライナの不幸を増大しているように見えます。

ウクライナ関連のニュースを見るたびに、ロシアに対して怒りを感じるよりも、どうすることもできずに悲しみを感じてしまう、その理由は以上のような認識によるのだと思います。
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ドットサイト(ダットサイト)

2022-03-13 14:29:55 | 趣味・読書
私は、「陸上自衛隊は戦えない軍隊だった 2022-02-28」記事において、ドットサイト(ダットサイト)に触れました。
ダットサイトは、小銃の光学照準器の一種です。
2002年当時、陸上自衛隊ではほとんど知られていなかったダットサイトを米国が使用しているとの情報が入ってきました。ダットサイトは銃に装着する照準器の一種で、中に見える赤い点を目標に併せて引き金を引くだけで弾を標的に命中させられるという便利な道具です。
著者が連隊長のとき、素早い照準を可能にするダットサイトやライト、スコープ、サプレッサー(銃声や閃光を軽減する装置)などの個人の装具類を小銃につけることは官給品以外、許されない環境でした。
2015年頃からは、世界の部隊が当たり前のように実際の戦闘で使用しているものを手にすることができるようになっています。

ダットサイトの原理について、ウィキの照準器で調べて見ました。すると、その原理は極めて単純であることが分かりました。
下の図(A)のように、球面ガラス(厳密には放物線面ガラス)のハーフミラーと、点光源(赤)があればできあがってしまいます。
球面ガラスの焦点(球面の半径の半分の位置)に点光源を置き、球面で反射させると、(A)に描いたように、球面のどの部分で反射した光線も、同じ平行な光線になります。
球面ガラスは度のついていないガラスですから、前方から入射した光を透過します。ガラスの後方から目で眺めると、ガラス面を通して遠景が見えています。
ダットサイトのゼロ点調整を行い、点光源からの反射光の方向と銃(カメラ)の向かう方向が平行になるように調整します。そのあと、ガラスの後方からガラスの部分を眺めると、遠景と赤点を見ることができます。そして、遠景のうちで銃が向かっている方向に、赤点が見えるのです(下の図の(B)(C))。
従って、銃で狙う標的と赤点が一致するように銃の向きを調整した上で引き金を引けば、標的に命中します。
昔からの銃の照準器は、銃口付近の凸型の照星と、後方の凹型の照門と、遠方の標的と、自分の目の4者を一直線上に配置することにより、照準が定まります。これに対してダットサイトは、球面ガラスの範囲内に標的が見えていさえすれば、後は銃の向きを調整して標的と赤点とが一致するようにすればいいだけです。目の位置がちょっとずれても、下の図(B)のように目が上方にあっても、(C)のように目がガラスの中央に位置していても、いずれでも赤点は銃の向かう方向と一致しています。
特にアサルトライフルを用いた近接戦(市街戦)で迅速に狙いを定める上で、ダットサイトの使用は大きなメリットになるといいます。

実戦でこんなに有益な機能が、こんなに単純な原理で実現するのにもかかわらず、ごく最近まで実戦で実用化されていなかった、ということに驚きを感じます。
ダットサイトの歴史について知りたいと思うのですが、なかなか情報が見つかりません。
英語ウィキのRed dot sightに記事があるようです。日本語ですと、ダットサイト/Dot sightに記事があります。
『ダットサイトの元となった、ハーフミラーを利用したリフレックス・サイトの特許はかなり古く、1900年のイギリスで取得されている。しかし小火器用のものが普及するのは大きく後の事となり、第2次大戦後、狩猟を目的とした、散弾銃用の光学サイトが登場した。ひとつは、太陽光などをプリズムを通して採光しレティクルを投影するもので、暗いところでは使えなかった。もうひとつはバッテリー式で電気的にレティクルを投影する仕組みを採用していた。
LEDによって赤い光点を投影する、いわゆる小火器用のレッド・ドット・サイトが登場したのは、1975年のこと。スウェーデンのエイムポイント社(Aimpoint AB)で開発された。
エイムポイント社の電子照準器は冷戦時代、試験的に導入された特殊部隊などで高い評価を受け、21世紀現在では『コンプM2』などのモデルが欧米各国軍の一般部隊でも標準照準器として広く採用されている。』
原理が簡単で実用的価値が高いのに、最近まで実用化されてこなかった理由は、点光源の確保にあったのでしょうか。

ところで、ドットサイトは、小銃のみならず、カメラの照準器としても使われていることを知りました。超望遠レンズで野鳥を視野に入れるに際して威力を発揮しているようです。それも、12800円で手に入ります。
私は、超望遠レンズを所有していないのでドットサイトの必要性はありません。しかし、ドットサイトの威力を自分の目で確かめたく、つい購入してしまいました。
オリンパスのEE-1(メーカーサイト)です。
カメラ(ニコンZ50)のホットシューにドットサイトを装着しました(下の3枚の写真)。
(使用時)

(使用時)

(格納時)


ニコンD50(APS-C)の望遠250mm(換算400mm)でファインダーに見えている画像(下写真)


EE-1を通して見えている映像(下2枚)



EE-1を通して見える赤点は、点ではなく、○と+を組み合わせたマークになっています。目の位置がちょっとずれても、カメラが向いている方向とマークの位置とは常に一致しています。見たい方向がガラスの枠内に入っていれば、カメラの向きを変えて赤マークが見たい方向に一致するように調整することで、狙いを定めることができます。

オリンパスのEE-1を用いた野鳥観察の実態については、「野鳥撮影に革命をもたらす!手持ちで撮れる600mmレンズフィールドレポート Vol.3」に詳しいです。
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キエフの無防備都市宣言はできないか

2022-03-12 18:19:47 | 歴史・社会
ロシア軍がキエフを包囲し、今後1週間か2週間の間に、キエフ市内で大殺戮が敢行される懸念があります。戦線が膠着状態で窮地に立たされたロシアのプーチン大統領が、どんな残虐な作戦を命令するか、予測ができません。
キエフを離れることのできない、百万人を超える一般市民の方々の安全を、何とか確保できないものでしょうか。
私は、ウクライナのゼレンスキー大統領に無条件降伏をしろとは言いません。
キエフを無防備都市とする宣言はできないでしょうか。

第2次大戦でも、都市について無防備都市宣言を行うことにより、都市の破壊と市民の大量殺戮を避けた例はあります。
ナチスドイツの侵攻を受けたパリが、無防備都市宣言をし、ナチスドイツはパリに無血入城しました。

フィリピンでは、日本軍の進撃を受け、米軍のマッカーサー司令官はマニラから脱出し、マニラを無防備都市宣言しました。本間司令官率いる日本帝国陸軍はマニラに無血入城しました。
マッカーサーは、バターン半島先端のコレヒドール島に立てこもり、米軍将兵はバターン半島に布陣しました。マッカーサーのこの行動には納得できません。あんな半島に立てこもって日本軍に立ち向かったら、食糧が尽きて飢餓状態になるのは目に見えています。米軍は日本軍に降伏したわけですが、その日本軍だって飢餓状態で、投降した大量の米兵に供する食料もありません。バターン死の行進は必然的に生じました。

連合軍のパリ反攻時には、ナチスドイツは無防備都市宣言を行わず、パリが破壊される可能性がありましたが、幸いに無傷で残りました。
米軍のマニラ反攻時には、日本陸軍の山下司令官はマニラから移動し、マニラの無防備都市化を計画しましたが、日本海軍その他が賛成せず、マニラは市街戦の戦場となって破壊され尽くしました。

さて、ゼレンスキー大統領がキエフを無防備都市化しようとしたら、結局は亡命するしか手はないかも知れませんが。決断はウクライナ国民と国民に支持された大統領が決するものであって、平和な日本に在住する私が意見を言う筋合いではありません。それでも、キエフ市内で大量殺戮が実行されるよりはよっぽど未来のウクライナのためになるのでは、と愚考する次第です。
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